2013/07/18

学ぶということ


大学在学中のこと、ある運動部に在籍していた ─ 時期があった。
その過程で、真夏の合宿を消防隊の訓練学校で過ごすことになったのだった。
確か、小山の中腹に在った合宿所ゆえ、真夏とはいえ炎天下に苛まれるということは無かったが、それでもクーラーの無い大広間にみなが雑魚寝しての一週間(5日間だったかな?)は、今思い返してもなかなか厳しいものであった。
朝、一斉に起床、そして体操となるのだが、この消防隊方式の早朝体操が実にキツイもので、ちょっと普通の体力ではついていけるものではない。
体操がやっと終わると、そのままランニング、ダッシュ、サーキットトレーニング、更にテクニカルトレーニング、と続く。

この運動部では少しムチャがたたって、首筋を痛めてしまい、練習をしたり、中断したり、また練習に復帰し、でもまた休み、と繰り返していたものだから、ちっとも上達せず、もう辞めちゃえよ、そうしようかな、などと自他共にだんだん居づらくなり…。
それで結局は、卒業前に中途で辞めてしまった。

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そんなだから、あまり立派な先輩面など吹かしたくはないのだが…

若い世代を3ヶ月だか半年だか、ちっとはキツイ目に合わせてやってもいいんじゃないか、との声も最近そこここで聞く。
それに応じて僕なりに言う。
確かに、若いうちに一度や二度くらい 「目が回りそうなキツイ思い」をすることは精神面での鍛錬になるし、人間のダイナミズムを知る経験とはなる。
しかし、それらから何か実践的なベネフィットを得るとは限らず、或いは「何にもならない」ままで終わるケースも往々にして有る。
だから、せいぜい3ヶ月だの半年だのという話になるのかな、と我ながら納得している。

酸いも甘いも、自分が決めるものではない、いや、むしろ自分以外が決めてしまうもの。
市場でたったひとつ不変のマナーは、はじめから見返りなど期待せず、ともかく相手に敬意を払うこと。
もちろん、こちらの敬意に対して、手前の常識と権威で増長してくる奴らだって、世の中にはゴロゴロいる。
そういう卑怯な相手には、もっと卑劣に応じてもいい、相手が発狂するまで追い詰めてもいい、相手が1発殴ってきたら5発殴り返してもいい…という具合に考えている。
それでもこちらをクビには出来ないよ、くだらない連中にそんな正当性など始めから有るわけない。
一体、なにが問題なのか、と和解のテーブルを持ちかけてくるまでは、許さん。
…と、ちょっとエキセントリックな喩えにはなったが、ともあれ市場経済とはそう割り切る世界。

だから、とくに学生諸君に言いたい。
人間関係などで悩む必要はない ─ どうせ必ずどこかにほころびが生じてしまうもの、ほっときゃいい。
同時に予想外の楽しさもある。
つまり、なるようにしか、ならん。
だから世の中は面白いもの。

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さて、上述の運動部の話を、ちょっとだけ続けるが─

とにかく首筋が痺れて、しかも鈍痛がなかなか取れないので、学校の最寄りの接骨医を訪れたことがあった。
出てきたのが初老のカクシャクとしたおじさんで、こちらの話を聞きながら…はいはい、ほぅほぅ、うん、そうか、首が痛いんだな、こっちへ曲げると腕が痺れるんだな、はいはい、わかったわかった…などと独りごちている。
そう言いつつ、僕を治療台にうつ伏せに寝かせると、「ちょっとだけ、痛ぇぞ、我慢しろ、な」と低い声。
それから僕の首筋に鍼を、ぷつっ。
うわっ、と弾かれるほどの激痛は、なるほど最初の一瞬だけで、それからウソのように痛みがとれた。
「何をやったんですか?!」と僕が尋ねると、「筋を縮めてやったんだよ、要するにね、ムチウチ症だったんだよ」
「ムチウチ症?僕がですか?」
「同じ症状だということだよ、いいか、あんた、筋肉っていうのはな、ある程度伸びきってしまうと、自分だけではなかなか縮むことが出来ないんだ、だから、プスッ、と外部から刺激をな」
なーるほど、と僕はすっかり感じ入ってしまった。
たったこれだけの経験でも、学ぶ気になればいろいろ学べるものである。

治療費は、学生に限り500円とのこと。
そこで会計時に、看護師の女性に対して500円玉を軽く放り投げてしまったのがいけなかった。
彼女がやおらに、ゆっくりとした口調で、しかしながら実に厳しい声色で僕に言い放った言葉を、今でもありありと覚えている。
「あなた!よく聞きなさい、先生は学生さん相手だから500円で治療をお受けしているの。もしもあなたが社会人だったらちゃんとしたお代を頂くのよ。そのくらい偉い先生なのよ!それにね、あなたが社会人だったら、今の侮辱的な行為は絶対に許されないわよ。分かった?」
これは実に強烈なお言葉。
要するに「あんたなんかまだ学生の分際なんだから、もっと謙虚に感謝しろ!」という旨のお叱りだったのである。
横っ面を張り飛ばされるほどのショックであった。
市場経済とは、こういう厳しい世界。
なぁんだ、くだらねぇ、と、エヘラエヘラと笑い飛ばしても、よし。
だが、志次第では、学ぶ機会はどこにでもある。
授業料はほとんどタダ同然でも、喫茶店のコーヒー代程度だとしても、見返りがびっくりするほど大きなこともある。

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これも大学在学時だが、早朝の工場アルバイトに勤務していたことがある。
朝のじつに5時から8時まで、或る乳製品の集荷工場で工場倉庫内の在庫を台車でかき集め、それを集荷トラックに荷積みするという仕事。
時給は確か800円、だったかな。
それを済ませてから日吉のキャンパスまで通学していた。
ある朝のこと。
たまたま遅刻してしまったのでそーっとロッカールームに忍び込んで作業着に着替えていたら、そこに踏み込んできたのが現場課長で、「おい!あんた!バイトだからって甘ったれんじゃねえぞ!」と怒鳴られてしまった。
これにカッとなった僕は思わず自分のロッカーのドアをブン殴ってしまったのだが、そこへサッと現れたのが年配の社員。
「おい、兄ちゃんよ、そんなに暴れんなや。なあ、あんたはさぁ、3時間のバイトでさ、とっとと消えっちまうから、いいっぺよ、んだけども生活かかってる社員も居るわけさ、なぁ、そこんとこ、分かってくれよ、兄ちゃん」
これには僕もヘタっとなってしまい、謝罪の言葉を告げるとこの社員とともに作業場へ趣いたのだった。

こういう具合に、たかだか時給800円の現場でも勉強の機会がそこいらに広がっているのが、市場経済である。
(しかもロッカーの修理代を僕のバイト代からちゃんと差っ引いているところなど、まこと市場経済のスリルでもあった。)


以上