2014/11/13

かがやき


さっきまでの雨がウソのようにおさまると、東の空がきらりと晴れ渡ってきた。
レストランの窓際に座っていた僕は、夕陽を見つめつつ、ふっと伸びをした。



そこへ。
「こんにちは!」 入口側からとつぜん響き渡った幼い声。
1人の女子中学生である。
「やあ、こんにちは!」
僕は手を振って応じた。
「こっちだよ!…あれあれ、ずいぶん濡れちゃったんだなぁ、傘は持ってなかったの?」
「うん、家を出てからすぐに雨が降ってきたんだけど、そのまま走ってきちゃった」
「そうか、大変だったんだな……ねえ!すいません!ちょっと!」
僕は女性店員を呼びつけた。
「タオルを持ってきてくれないか」
ただちに寄越されたタオルを僕はその娘に投げつけた 「ほら、頭を拭いて、それから首も。風邪ひいちゃうぞ」
「平気、平気、あたしってね、病気にはならないんだって」
「へぇ?」
「いつもお母さんのおにぎり弁当を食べているから、元気なんだってさ」
「ほぅ」
僕は目を細めて微笑みつつ、それからちょっと声色を落として尋ねてみた 「それで、お母さんはどうしたの?」
「来れないって」 彼女がかすかに肩で息をしているのが分かった。
「そうか……さて、ちゃんと拭いたらそこに座りなさい」
「はーーい」
「何か飲んでいくか。そうだ、熱いコーヒーを頼もうかな」
「はーーい」



とりあえず、会話を続ける。
「ねえ、君、ちゃんと勉強しているのかな」
「うん、してるよ ─ ねえ!あたし数学のテストで100点だったんだよ!」
「そりゃぁ、すごいね!」
「全学年で3人しか居なかったんだよ、100点」
「大したもんだ!」
「あのね、お母さんがね、勉強したらもっといい家に住めるようになるって」
「今だって、いいお家だと思うよ」 僕は危うく上ずりそうになる声を懸命に抑えつつ、からかうように応じていた。
「あっ、そうだ!お母さんが、これを渡してくれって」 彼女が小さな提げ鞄の中から一通の封筒を取り出した。
ぐしょぐしょに濡れた封筒。
「なんだこりゃ?これじゃ読めないかもしれないぞ」
「すいません」 彼女が泣き出しそうな声を上げた。
「…でも、せっかく持ってきてくれたんだから」 
僕はつとめて陽気な声を挙げつつ、その封筒にしたたまれていた便箋を取り出した。
文字は確かに滲んでしまっていたが、それが確かに彼女の母親からの簡易な書簡であり、先日僕が持ちかけた中古マンション購入プランへの丁重な断り状であることが読み取れた。



「なにか、いい事が書いてある?」 と彼女が怪訝そうに訊いてくる。
「うん、とても楽しいことが書いてあるよ」 
「どんなこと?」
「えーとね、うーん、つまりだな、君の家はみんなで楽しく暮らしているとか、とくに君は世界で一番頭のいい子だとか、まあそんなふうなことだ」
「ふーん、本当に? ─ だけど、お母さんあたしのことを全然褒めないんだけどなぁ」
「そんなことはないと思うよ。テストで100点なんだからさ」 僕は彼女をまっすぐに見つめた。
「ねえ、もしもあたしにお父さんがいたら」 彼女はぱっと顔を輝かせた。
「お父さんがいたら、絶対に褒めてくれるんだろうなあ」
「そりゃあ、そうだろうとも」 



やがて僕たちはレストランを出た。
「途中まで送っていこう」
送っていくとはいっても、彼女の帰路であり、僕が歩調に気をつけつつ彼女にゆっくりとついていく。
あらためて彼女を見やれば、首筋まで掛かる無造作な黒髪、そこに僅かに留まっていた雨のしずく、それらが西日に微かに応じつつもキラキラと輝いている ─ ふとそんな気がした。

「虹が出ているぞ」
「どこに?」 彼女がちらっと振り返る。
「どこにでも」 僕は気取った声で返答してやった。
さらに歩き続けてゆく。
「本当に、勉強したらいい家に住めるのかなぁ」 彼女が軽く嘆息していたのが分かった。
「今だってとってもいい家だよ。お母さんがそう言っているじゃないか」 僕はさっきよりももっと陽気な声を挙げつつ、彼女の前に回り込んで幾度も手拍子を続けていた。



そして、僕たちは川の陸橋の手前に辿り着いた。
「さあ、それじゃあここでお別れだよ。お家に帰ったらね、僕にちゃんと手紙を渡したって、そして僕が君のことを大いに褒めていたって、そう伝えておいてね」
「はーーい」
「もっと元気よく!」
「ハーーーイ!!」
「それでいい。そのくらいで丁度いい。じゃあ、もうお帰り」
彼女は小走りになって陸橋を渡って行った。
僕は堪らなくなって、いまや大声を挙げつつ、彼女の背中に言葉を投げつけていた。
「ねえ、君!ほら、川面を見てごらん、夕陽に反射してきらきらと輝いているだろう ─ こんなふうに、世界には必ず綺麗なものが在る。すぐには見分けがつかないかもしれないが、いつかどこかに必ず姿を現すんだ、それらが反射しあって世界がキラキラと輝いているんだ、だから君も心を磨いておけよ!分かるね!」
「ハーーーーイ」
背中でそう応えつつ、彼女はたったったっと川の向こうのアパートへ駈けていった。
僕はその後姿をしばらく見送りながら、彼女の母親もあんな風な娘だったのかなと空想していた。



ふと気づいてみれば、夕闇が川の向こう岸にとっぷりと影を落とし始めていたが、僕はしばしそこに立ち尽くしつつ、この町が大好きになっていた。


(とりあえずおわり)