2014/11/06

ガラスの劇場

以前のこと、或る国立大学の工学だか建築だかの学部に籍をおく(であろう)女子と、間接的に知り合いとなったことがある。
今20歳かな、本人はまだ自覚していないだろうが、極めて聡明、利発、意気軒昂。
そりゃまあ20歳だからこそ、どこか物事の軽重感覚においてバランスが座ってないようにも見受けられるものの、そこがいちいち新鮮で ─ そんな彼女と若干の意見を交わしているうちに、ぱっと閃いたことがあった。
「せっかく恵まれた環境下で勉強する機会があるのだから、いっそ、ガラス製の劇場でも建造してみたら面白いのでは」。
とりあえず彼女に提案してみたが、どの程度に関心を抱いたかは分からない。

そもそも、舞台も、舞台裏も、客席も、何もかもすべてガラス製の劇場など、建造しうるものだろうか?
ガラス素材、硬度や強度や安全設計、その工法などなど、言いだしっぺの僕自身には具体的な実現方法など全く見当もつかない、がしかし、もしそんな劇場が有ったら、演劇に革命的な変化をもたらすであろうことは、きっと間違いない。

たとえば、舞台で演じている俳優が舞台裏に引っ込んでも、その舞台裏での俳優たちの動作まで全部観客にあからさまにされる、いや、 それこそ立体映像のように奥舞台では別の演劇が同時進行で展開していけば、もっと面白いぞ。
もちろん宙空でのホログラム動画も使い放題、となると、シナリオが遥かに多様になる。
照明は観客席のガラスの座席を通しても発することが出来、だから全方位からさまざまなプリズム光線のようにピカッと舞台を照らす、舞台もガラス製だからなおさら幻想的に輝く。
現行の照明とは比較にならぬほどの、ダイナミックな光線効果がありえよう。
そして、そんな具合にキラキラと輝く舞台や舞台裏や観客席が、全てガラス張りの劇場の壁をつきぬけて屋外の人たちの視覚にまで届くところとなり、尋常ならぬ関心を集めることも出来よう。

なんだ、そんなもの、既にモバイルゲームでも実現されているじゃないか、というだろう。
が、しかし実際の演劇舞台でここまで実現しえたものがあっただろうか、いや、実際の演劇だからこそ、ゲームとは比較にならぬ凝ったシナリオと奥行きの深い演出効果に満ちた別世界が実現できようというもの。

…などとこうして書き留めつつも、想像力はどんどん膨らむ一方である。
僕でさえそうなのだから、未だ20歳の彼女がもし仮にこのガラス製の劇場に関心意欲を抱いたとしたら、はるかに自在な着想力をもって、それこそこれまでに存在したことのない文化芸術を想像(創造)しえよう。

ついでに思いついたもの。
まだ存在していないような気がするが、ガラス製のルービックキューブ、なんというか、たとえば寒天ゼリーみたいな形状と体裁で中にちっちゃなサッカーボールが入っているようなもの。
もちろん、中のサッカーボールを完全にきちりと復元させるという玩具である。
これも面白いと思うんだけどなあ。
(ただし、中に人間の頭とかドクロが入っていたらさぞや気持ち悪いだろう。) 


そんな、こんなで、あらためて考えること。
つくづく、思考にはフレームワークなど無ければ無いほど、面白い。
考えれば考えるほど、発想は多重になり、多角的になり、それこそ枠組みはガラスのように内外透過的になり、けじめも境界もなくなっていくでしょう。
議論も同じで、みなが違う発想のフレームワークで挑むからこそ、意見が膨らみ、おのおのの新規アイデアも膨らむ。

逆に、初めからフレームワークに上限をおいた思考や討論は、内向きの知識のギューギュー詰め合わせばかり、ひいては内輪の損得論ばかりになるは必定。
おまえはかくかくしかじかを知っているか、俺は知っているぞ、だから俺が仕切る、サァどけどけ、いやいやそんなことはないぞ、ネットで検索したらほーらこのとおり、おまえは間違いで俺が正しい…などと、もうぜんぜん面白くない。
面白くない時点で、全員が負けなのね、そんなもん発展的なビジネストークになるわけないでしょうが。
というか、何らかの事情で思考のフレームワークに上限を押しつけられているうちに、みな自己都合の損得論ばかりギューギュー押し合いへし合いに陥ってしまうのかもしれない。

しかし、たとえば商業取引においてさえも、原価、時価、証券、債権などなど、人類史上において何度もなんども権利価値の観念をすげ替えてきた次第で、まして自然科学系の諸分野における学生の皆さんには、もっともっと無遠慮かつダイナミックに思考自身を越えて行ってほしいもの。

以上