2013/06/21

日本人の反骨精神



① 我々日本人には、特定権威への「反骨精神」が強い。
たとえば、「おまえはバカなんだから正座して俺の言葉を拝聴しろ」などと言われれば、ふん、何言うてんねや、と寝っ転がってそっぽを向くのが日本人の本性というもの。
僕の両親も親類もそうだし、僕自身もそういうふうに育てられた ─ ようだし、今の学生でも、女子でも、同じ。

そんな我々にはもともと?面白い心性が有って、何もかもを真っ白、真っ黒、真っ青、真っ赤っか、あるいはまっ金金に塗りたくることを嫌う。
必ず、ポチッと、どこかに異質のアクセントを置きたがる。
立派な寺社仏閣の一角に、お地蔵様を置いてみたり。
そういう「異形への許容性?」は、さらに判官贔屓となって表れたりもする。 
「痩せ蛙、負けるな一茶、ここにあり」と詠ってみたり、さらには、前頭三枚目あたりが無敵の横綱をぶっとばすと、みんながワーーーッと歓声を挙げる、あれだ。
わははは、ざまぁみろ、いつまでも月夜の晩ばかりだと思うなよ、という心性。
長嶋茂雄氏のファンが未だに多い理由も、同じような心理なのではなかろうか ─ バットスイングが史上最速とされる長嶋氏は、けしてエリートではない無秩序な爆発のスリルに満ち満ちていたという。

こういう異形・異質への嗜好性や判官贔屓について、我々は自らを反逆的だとも背徳的だとも見なしていないし、むしろ痛快な勧善懲悪の類だとして賞揚しているくらいだ。

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② 我々のこうした気質は、どこから来るのだろう、あるいはどこから来たのだろうか?
…という問題となると、やはり地理的条件が、というのが真っ当な解説になるのかしら。

日本は荒れやすい海に囲まれ、うねうねギザギザと狭く入り組んだ地形で、しかも山岳は急峻である。
海から山へ、山奥から里へ、と思えばまた海へ、はたまた裏山へ、とサバイバルのうちに、「一枚岩」の知識と「量産型の技術」のみの連中は廃れていき、どこか異質の「ゆとり」というか「あそび」の余地を持っていた宮本武蔵みたいな連中が生き残ってきたのではなかろうか。
円月殺法で脳天からズバリという長刀とともに、異金属の短刀も忍ばせて、複合的な技術を叩き上げつつ、あっちへこっちへと広がりながら、今の我々のような異質嗜好や判官贔屓の心性が育まれてしまったのでは。
(サバイバル進化論だったかな、こんなような論旨の文章をどこかで読んだ記憶がある。)

こういう我々の社会は、いつも分業志向でもあり、チェスや将棋の駒のごとく、それぞれが役回りというものを独自に持っていて当たり前だと考えている。 
しかも一寸づつ、常に何か真新しい別種のものを摘んでいく。
そういえば我々の生体(遺伝子?)も植生も、そうなっているのではないか。

だから我々日本人は、質量の力で相手を完全に屈服させ根絶してしまうことを潔しとしない。
同じ理由で、我々日本人自身が完全統一の真っ白や真っ赤っかの一枚岩になった経緯も無い。
一人ひとりが、互いに必ずちょっとづつズレている。
我々は自嘲するほど画一的・集団的な民族ではなく、むしろ統一集団に成り得ない民族だと考えておきたい。

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③ むろん欧米人も、「権威に対する反骨精神」は強いし、それは個人としてはむしろ我々日本人よりも強固なものじゃないかと、時々思い返すことがある。
しかし、そこから先が違うようで。

欧米人の「反骨精神」は、そのまま集団としての「勝てば官軍」の発想に連なっているような気もしてならない。
ローマ帝国、十字軍、絶対王政、皇帝、共和政多数決や大統領選挙人や社会主義などなど、"winner-take-it-all"の総獲り合戦だ。
滅私奉公など、いかにも日本人の作り上げたヒロイズムのようでいて、実際は絶対王政やナポレオンなどが武装兵の脱走を絶対に許さないように徹底的に打ち込んだ鉄と血の掟だという。
なんというか…オセロゲームやルービックキューブの発想、全面総取りの発想。
全部真っ青に染めるか、あるいは真っ赤っかに染め直すか、真っ白真っ黒に塗りつぶすかしないと気がすまないのではないか。

と、なると。
欧米流の「反骨精神」は、勝者の全構成員(および反逆者の全構成員)が共有し続けていることになる。
兄弟とか同胞という意識が常に全面に出る。
かつてドイツ人たちと同じユースホステルに宿泊した時、同世代の彼らがしきりに「日本人は我々の兄弟だ」と言い、「いつかまた我々が世界のマジョリティになるのだ」と言って僕を取り囲んできたのをよく覚えている。

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④ なお、昨年の英エコノミスト誌のコラムで、ややメタフォリカルに日本(アジア)と欧米の精神性の違いについて指摘されていた。
それを僕なりに解釈すると ─

少なくとも日本人は「生きるための知識習得のコストが小さい」ため幼い頃から習得出来、だから集団化(徒党化)とイデオロギー対立の必要はあまり生じない、したがい概して平和的だということ。
一方で欧米人などは「生きるための知識習得のコストが大きい」ので、個人より集団として動いた方が皆にとって効率がよく、それでイデオロギッシュな集団化(徒党化)がどんどん進行する傾向があるらしい。

そうであるのなら、何でもかんでも真っ白真っ黒まっ金金に塗り潰そうとする欧米パワーが常に浸透圧が強く、ちょっとづつ異質の「あそび」を立てておきたい我々日本人は常に受身形に留まることになる
─ が、そこはそれ、我々には一人ひとりの「反骨精神」による分解作用が常に働くので、何かに一気に染まってしまうことはない。
結局のところ、海外からやってくるあらゆるものを我々一人ひとりが「いいとこどり」して、適当にバラついて、それで収まってしまうのではないだろうか。

以上

謝辞

ここに提示の記事は、いずれも私自身の判断責任のもと編集・投稿したものです。

大半の投稿は学生など若年層向けを意図してやや平易な表現にて、一方では通俗性を極力回避しつつ、論旨の明示性を意図して書き綴りました。

あわせてまた、社会人の皆様にお読み頂くことも想定しつつ、汎用性高い観念知識を相応に動員しながら記した積もりです。

私なりの思考着想によるささやかな閃きが、皆様の諸活動にて何らかの光源たり得れば、望外の喜びであります。

山本