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2015/07/16

戦争は論理以前に物理現象である

「論理」 と 「物理現象」 について考えちゃおう。
まず論理とは、たとえば化学反応式のような分子情報のあつまり、簿記会計のような貸借情報のあつまり。
だが、物理現象とは実際にマテリアルが起こす現象そのもの、とりわけ軍事の場合にはマテリアルや生命の移動と分解などのこと。

自衛隊や在日米軍が、違憲だ合憲だいうのは、論理の問題。
しかし論理解釈はともかくも、自衛隊や在日米軍は物理的に頑として実在しており、物理的な行動力を有している。
我々のような日本の庶民が彼らを物理的に排除することは不可能。

我々日本人の平和憲法解釈は、論理の問題。
しかしそれとは関係なしに、戦争という物理現象にまきこまれることは十分にありうる。
もしも中国やロシア(など)に一方的な武力攻撃を受けた場合、物理的に対抗しうるのは自衛隊と在日米軍だ。

では、もしも自衛隊が物理的に負け、在日米軍が退散してしまったら?
そんなことは絶対にありえないのだ!というのは論理の話に過ぎない。
物理的にはそんなことだってありうる。
その場合には、黙って降伏すりゃいいんだ、カネを渡して助けてもらえばいいんだ、というのも論理的には正論たりえようか。
だが、物理的にどれだけのマテリアルと生命が犠牲になるかわからず、だから降伏だけが物理的な正解とはいえない。
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問題は「コスト」についての考え方だと察する。
論理情報における「コスト」は、論理的なベネフィットともなりうる。
たとえばビジネスにおいては、どんな「コスト」だって論理情報化されるので、物理的コストを負担せずともカネや情報操作で市場を専有しつつ、論理的にベネフィットを生み出すことはできる。
だが物理的な戦争となれば、「コスト」は物理的なマテリアルと生命そのものだ。
物理的なベネフィットとの等価交換は簡単ではない。

だからこそ、こと軍事については、我々はマテリアルや生命の物理的な「コスト」を最小限に抑えるための物理的な方策が必須ではないか。
物理的に無手勝流のまま国会に出てきて、物理的な抑止施策を否定するというのは、あまりにも無責任で卑怯ではないか。
ビジネスと戦争をまったく取り違えているんじゃないのかな。
論理のみで反対反対いう前に、まずは物理的な戦争抑止策を言ってみろ。
これが絶対の優先順位でしょう。
「軍事である以上は物理的な核武装が必要だ、ただし論理的には自律性と権力分業に優れた日独のリベラル憲法を尊重しよう」
─ くらいのことを言って自民党に詰め寄る野党がいれば、ちっとは見直してやってもよいのだが。
(憲法学者なら、もちろんこの程度のことは当然考えている。)

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なお、ちょっと強引だが実践的なこと。
仮に物理的に有事となり、物理的に自衛隊が敗れ在日米軍が退散し、しかも日本に物理的な核兵器が無い、とする。
そうなると、我々一般庶民は物理的に死ぬしかないのか。
そんな事態を見据えて、日頃から銃器取り扱いのトレーニングくらいしておいた方が、物理コスト最小化のために効果的かもしれぬ。
だがその場合、銃器が却って国内治安における物理的コストを増大させてしまうだろうから、おおっぴらにはトレーニングが出来ないのかな。
だから、核武装しかないのかしら。
こういう議論、どこで明示的に展開されているのだろう?

以上

謝辞

ここに提示の記事は、いずれも私自身の判断責任のもと編集・投稿したものです。

大半の投稿は学生など若年層向けを意図してやや平易な表現にて、通俗性は極力回避しつつ、論旨の明示性を重視しつつ書き綴りました。あわせてまた、社会人の皆様にお読み頂くことも想定しつつ、汎用性高い観念知識を相応に動員しながら記した積もりです。

私なりの思考着想によるささやかな閃きが、皆様の諸活動にて何らかの光源たり得れば、望外の喜びであります。

山本