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2016/04/07

オフェンスとディフェンス

先に、新卒社会人向けのメッセージにて、世の中全体としては一定の目的など無い、と記した。
そうしたら、国防などしなくてもよいではないかなどとニヒリスティックに笑われてしまった。
そこで、ここのところもうちょっと記す。

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① たとえば、どんなスポーツにも、オフェンスとディフェンスがある。

オフェンスは各プレイヤーの生まれつきの天才やハートの強さで大小が決まり、自律的にリズムも方向も持っている。
いわば、芸術的、理数的、創造的な才気。
そんなプレイヤーの先天的なオフェンス能力を、あたかも電圧をかけるように指導者が押し出してやることは出来ると考える。
だが、どんな指導者も、プレイヤーのオフェンス能力を後天的に方向転換させたり潰したりすることは、出来ないのではないかな。

一方、ディフェンスは仲介的、配分的、政策的である。
他者が矯正し、補正し、誘導することがいくらでも出来る。
ディフェンス能力はトレーニング次第だから、量的にどんどん増大させることも出来る。
だが、ディフェンスばかり増やしても、オフェンス=創造力が強化されるわけがない。
まして、高齢化が進むとディフェンスばかり強化されるようになるから、世の中の創造力が減衰するとしてもやむなしですがな。

そもそも世の中の方向=需要と供給は、各プレイヤーなりの先天的なオフェンス能力によって「無作為に変わっていく」ような気がする。
つまり、運次第。
だから、一定方向など設定出来っこない。

じゃあ国防は、自衛隊は、となるが。
自衛隊とは、我が国にとってどこまでもディフェンス能力ではなかろうか。
だからもちろん意義も方向も政治的に設定されている。
そして、自衛隊に自律的な暴走など許されるわけもない(そんなこと危惧している人はちょっとおかしい。)

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② 民主主義の在りようは、常に議論され迷走させられる。
それは、民主主義をオフェンスとして捉える着想と、ディフェンスとして捉える着想が、錯綜しているからではないかな。

民主主義は、技術テクノロジー全てに対して最高の知識を有する人間たちこそが実現しうるもの ─ というのがオフェンスとしての政治論だと考えられる。

むろん、僕を含めたほとんどの人間には、それだけのオフェンシヴな技術テクノロジー知識など無い。
実務能力も経験則もない。
さらに、それらを習得する機会もありえない。
ざまざまな情報源に接することはあれ、それらのどれが正しく、どれが間違っているかなど、判別出来るわけもない。
だから、ほとんどの人間にとって、民主主義とは基本的人権を維持することのみがせいぜい、つまり他律的なディフェンシヴオプションでしかない。
ディフェンスゆえ、方向設定も合意も簡単で、一斉になされる。
だがまた、おのれの生命を保持するためゆえがこそ、カネと多数決でオプショナルにコロコロ変わり続けるのも当たり前だ。

たとえば、国防論を論理的に突き詰めるためには、核武装の方法について全国民がオフェンシヴな見識を交わさなければならないでしょう。
だが、そんなこと本当に全有権者に出来ますか?
俺はやだよ、いまさら原子物理学から核融合までマスターするなんて。
そんなもん、そういう分野におけるオフェンシヴな天才のお偉いさんに決めてもらうしかない。
俺たちは、毎日生き延びるためのディフェンスがせいぜいだ。

テクニカルに捉える以上、民主主義によるオフェンシヴな合意など実現出来そうにない。
しょうがないでしょう、ディフェンスがまずありきなのです、誰も悪くありませんよ。

以上

謝辞

ここに提示の記事は、いずれも私自身の判断責任のもと編集・投稿したものです。

大半の投稿は学生など若年層向けを意図してやや平易な表現にて、通俗性は極力回避しつつ、論旨の明示性を重視しつつ書き綴りました。あわせてまた、社会人の皆様にお読み頂くことも想定しつつ、汎用性高い観念知識を相応に動員しながら記した積もりです。

私なりの思考着想によるささやかな閃きが、皆様の諸活動にて何らかの光源たり得れば、望外の喜びであります。

山本