2016/12/18

フリーダム

人間の知性というものは、いつもリスクから回避する=リスクを先送りするように起動している、と考える。
知力が高い、とは、リスク回避オプションを多く有するってことだろう。
だからこそ、ケダモノより人間の方が知性的だと言われるはず。

自由競争、という言葉はしばしば勘違いされている。
自由競争の能力とは、経済(学)用語でいう 「取捨選択オプション数の多さ」 のことなのだから、もちろん投資の自由や技術開発の選択数でもあるが、また同時に、投資や技術開発や雇用を「回避し放棄する」選択肢の多さでもある。

だから、いわゆる超インテリたちの逃げ隠ればかりの言動を追えば、人間の文明の論理的な寿命がわかる
─ かどうかは知らないが、なにはさて、いかなる個人にも企業にも、市場から撤退する自由があり、技術開発を放棄する自由があり、従業員を解雇する自由だってある。
我々日本人がこれまで頼りかかってきたアメリカ(さま)にだって、撤退する自由があり、孤立する自由がある。

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ところが、だ。
どうも妙なことに、人間がリスク回避の自由権にのっとり、おのれの外縁部にバラ捲いてきたもののち、ある程度のものまでは、むしろ逆に「人間とリスクを近接させてきた」ような気もする。
すぐ思い当たるのは核エネルギーで、戦争を回避するための叡智としての核兵器だったはずなのに、却って戦争を全人類共通の同時的なリスクとしてしまっている。
ほかにも放射線、有毒ガス、電磁波、数学、コンピュータなど。

時々考えること。
情報の電子データ化によって、マテリアル上のリスクと資産運用のリスクを分散することは出来るようにみなされる、が、同時にまた、電子データはネットワーク化と極めて相乗しやすいので、リスクの現実化かつ拡大化をも導く一方ではないか。
ひとたびネットワーク共有化されてしまったデータのうち、ある特定の情報属性のものだけを、選択的に削除出来るだろうか? ─ 否、むしろビッグデータ化にともない、選択的な削除はますます困難になっていくのでは?
却って、全ての電子データを削除してしまうほうが容易な気がしないでもない。

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おっと。
コストの話をしていませんね。
戦争リスクを回避し、被曝リスクを回避し、伝染病リスクを回避し、経済リスクを回避し、ネットとデータの悪用リスクを回避する ─ そんなリスク回避の知性と自由を謳歌するためにこそ、国家があり領域があり、政府や軍隊があり、だから国家連合のような理念だってある。
とすると、これらは自由と知性のためのコストだということになり、これら政府や軍隊が巨大化していればいるほど、我々は自由で知的だということになる……??
いったい、どう考えたらよいのだ?
EUの理念は少なくとも政体としては瓦解しかけており、TPPはアメリカが逃げ腰だが、これらは 「リスク回避」 の放棄なのか、はたまた、「リスク回避という自由競争」 への逃走なのか。
アメリカがいつまでも合衆国であり、単一国家でないのは、どちらを意図してのことなのだろう?

鍵は通貨に在るような気もしている。
通貨とはあらゆるリスク回避のための媒体、と考えられるが、しかしそのリスク回避のために通貨を奪い合うからこそ、あらゆるリスクが増大しているのでもあって。
じゃあインフレになればなるほど、我々は自由で知的だってことかいな。
どこか、おかしい。

以上

謝辞

ここに提示の記事は、いずれも私自身の判断責任のもと編集・投稿したものです。

大半の投稿は学生など若年層向けを意図してやや平易な表現にて、一方では通俗性を極力回避しつつ、論旨の明示性を意図して書き綴りました。

あわせてまた、社会人の皆様にお読み頂くことも想定しつつ、汎用性高い観念知識を相応に動員しながら記した積もりです。

私なりの思考着想によるささやかな閃きが、皆様の諸活動にて何らかの光源たり得れば、望外の喜びであります。

山本