2018/11/22

【読書メモ】音律と音階の科学

『音律と音階の科学 小方厚 講談社Blue Backs

本書は「科学」と銘打たれてはいるが、音楽のデジタルな根本を成す音階(音程)と数学のかかわりについて簡潔にまとめられた一冊と察し、その抽象性に惹かれて手にしたもの。
さらりと読み進めてみれば、躍動的な文面に惹きつけられる箇所多く、僕のように音楽の門外漢としては随所に新たな知識発掘の喜びもある。
しかしながら苦言を呈せば、本書は一貫した論旨を見出しにくく、そのため諸々のコンテンツにて「仮説」か「論理的必然」か「偶発的事実」かをしばしば峻別しがたいところは否めない。
本書を貫く最もエッセンシャルな論旨であろう、『人間が協和音から感受する心地よさ或いはうなりなどの不快感と、数学的な簡潔さ(素数倍あるいは平均律など)とのかかわり』についても、これらが偶々そうであるのか、更なる数理化が演繹されるのかを見出しにくい。
とはいえ ─ 高校までの物理と(とくに)数学を一通り学んだ読者であれば、図表や数式から論旨捕捉も容易なはず、むしろそれらを注視しつつ肩肘張らずに読み進めていった方がヨリ楽しそうだ。
(そう踏まえつつ本書に挑んでみれば、たとえば音響論や工学論などを包括総論したものであろう第1章も楽しく読み進められよう。)

さて、此度の僕なりの読書メモとしては、とくに音律とその音階の数理上の設定にかかる箇所の拾い読みを、以下にざっと雑記してみた。




<音律・音程・音階>
・音楽における構成音の一定の秩序を、「音律」という。
現代の西洋音楽(ピアノの鍵盤など)の音律としては、全音と半音による12の「音程」が秩序だった「音階」を成し、12音階をもって1「オクターブ」を成している。
現行の音律に則った楽器において、それぞれの音階間の音程差を現代の「周波数」で換算すると、周波数のちょうど2倍の変化量が1オクターブにあたる。
かつ、各音階は公差ではなく「公比」の数列を正確に成している。

<基本波と整数倍波>
両端が固定されている「弦」のうち、途中で押さえる(挟む)ものが何も無い弦を「開放弦」といい、開放弦の振動によっておこる波を「基本波」という。
この基本波の振動数(周波数)を論理的に1として、この弦の丁度中間を「節」で押さえ弦長を半分割して弾いた場合、それぞれの弦の振動数(周波数)は論理的に2となる。
同様に、この弦を均等に3分割するように2か所を節で押さえて弾いた場合、それぞれの弦の振動数(周波数)は論理的に3となり、さらにこの弦を均等に4分割するように3か所を節で押さえて弾いたらそれぞれの弦の振動数(周波数)は論理的に4となり…
これが基本波に基づく「整数倍波(あるいは高調波)」の発想。

このように基本波と整数倍波は「公差」の関係にあるが、その一方で、上に記したようにじっさいの楽器類における音階間の音程差は「公比」となっている。
人間の聴覚は本性的に「公比」に対して敏感であり、それゆえ、人間が独自に発明した音律もまた楽器も各音階の音程差が「公比」におかれている…。
(この由について本書ではp.31に「かもしれない」と控え目に推定表現をおいている。)

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<ピタゴラス音律>
西洋型「音律」の祖は古代ギリシアにまで遡る。
数学者のピタゴラスは、弦楽器の開放弦つまり基本波、その2倍波(つまり1オクターブ)、および3倍波の響きの「協和(consonance)」が美しいハーモニーを奏でることに着目していた。
そこで、これらを組み合わせた最も美しい音律を数学のかたちで創造した。

開放弦を主音としてこの音の響き(現代でいう周波数)を論理的に3倍して新たな音階とし、その新たな音階をもとにまた新たに3倍して別の新たな音階とし、さらにまたそれをもとに別の新たな3倍
…と繰り返しつつ、これらをすべて「主音の2倍波(1オクターブ)内におさめた」≒「主音の丁度2倍波となるまで計算した」。
ここで、3倍波の設定の乗算mと2倍波に収める除算nを続け 3m / 2n ≒2 でm12かつn18とおけば2に極めて近くなった、ゆえに、3倍波の設定の乗算を12回で停めた。

ここから、各音階の響き(周波数)が互いに3倍波の関係にありつつ、12音階がちょうど1オクターブを成す ─ つまり「ピタゴラス音律」が出来上がった。
この計算結果を「現代のハ長調音階に相当させて」表すと;
30 (および312 )   C (ド)  白鍵
31   : G (ソ)  白鍵
32  : D (レ)  白鍵
33  : A (ラ)  白鍵
34  : E (ミ)  白鍵
35  : B (シ)  白鍵
36  : F(ファ)  黒鍵 (リディアン音階まで)
37  : C(ド)  黒鍵
38  : G(ソ)  黒鍵
39  : D(レ)  黒鍵
310  : A(ラ)  黒鍵
311  : F(ファ)白鍵

しかしながら、ピタゴラス音律は上に記したようにそもそも近似値を含め合わせた数学操作から各音階を設定したものに過ぎず、よって音程に微妙なばらつきがあり、だから音律として完結しているとはいえない。
この不完全さにつき、少なくとも2つの側面から検証済である。
1つは、円における方位や角度を起用しての検証。
一周360度の円周上にて、3の乗算ごとに210度ずつ方位をずらして音階を配置していく時計文字盤のイメージ図(p.46~p.50)と、3の乗算ごとに厳密に5度ずつ音階を配置するいわゆる5度円表示(p.56)を比較すると、数値上の微妙な差異が目視上あきらかである。

もう1つは、半音階ごとにおける周波数の差を対数比つまり「セント比」を以て確認された誤差。
平均律であれば100セント比ずつ異なっている(よって1オクターブで1200セント異なる)はずであるが、ピタゴラス音律にては114セントの半音と90セントの半音が混じっている。

(※ ここらあたりの由については、数学としてはさほど難しいものではなかろうが、本書における文面上の説明がどうも散文的?で捕捉し難い。)

ところで、やはり3の乗算で音階を算出しつつも 「計算を途中で停めた、つまり上の音階でいえばC, D, E, G, A までの算出に留めた」のが、中国や日本の「呂施法」音律である。
(ファとシの音階が無いので、白鍵の配置順における4番目と7番目が無い、いわゆるヨナ抜き5音階ともいう。)

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<純正律>
ピタゴラス音律は主音と2倍音(1オクターブ上)と3倍音から成っているが、ここに5倍音も合わせて音階の協和音をいっそう美しく響かせる発想もおこった。
たとえば、ピタゴラス音階においては主音CとEの「周波数比」は64/81となっているが、このEの周波数比をCに対して4/5に「補正」すれば、長3度(=4半音)の関係で綺麗に協和する。
こうした新たな音階設定をとくに'5リミットの'「純正律」と称す。

この純正律の着想は古代ギリシアのプトレマイオスのノートにもあるが、10世紀ごろからおこった複数旋律の同時進行つまりポリフォニー技法と相まって、純正律が普及するにいたり、15世紀のバルトロメ=ディアスが音律の形式に整備した。

純正律における長音階にて、主音Cの周波数を論理上1と設定すると ;
DとCの周波数比 : 9/8
EとCの周波数比 : 5/4 (音程差が長3度)
FとCの周波数比 : 4/3 (音程差が完全4度)
GとCの周波数比 : 3/2 (音程差が完全5度)
AとCの周波数比 : 5/3 (音程差が長6度)
BとCの周波数比 : 15/8
「Cの2倍波」とCの周波数比 : 2/1

また、となりあう音階同士では:
DとCの周波数比 : 9/8
EとDの周波数比 : 10/9
FとEの周波数比 : 16/15
GとFの周波数比 : 9/8
AとGの周波数比 : 10/9
BとAの周波数比 : 9/8
「Cの2倍波」とBの周波数比 : 16/15

ここまでふまえて、素数3と5の乗算と調整の繰り返しによる音階設定を数学上一括した例が、数学者オイラーのアイデアによる音階計算表、いわゆる「オイラー格子」(本書p.86)。
これは長3度音程(半音4つに相当)レベルでの上がり/下がり計算、および完全5度音程(半音7つに相当)レベルでの上がり/下がり計算による結果を、音階として表示したマトリクスである。
これによって、主音に対するいかなる半音上がり(♯)と半音下がり(♭)の音階も異名異音として設定出来る。


<大半音と小半音>
純正律の音階設定では、「全音」の音階同士の周波数「比」は9/810/9の2種類があり、よって「半音」の周波数比も少なくとも2種類が設定される。
そのうち1つはこの純正律音階にあるとおり周波数比が16/15で、これを「大半音」とする。
もう1つは、長3度(半音4つ)と短3度(半音3つ)の周波数比で、これが「小半音」であり、たとえば長3度であるCE間の周波数比5/4と短3度であるAC間の周波数比6/5から、両者間の比率つまり「小半音」の周波数比は25/24となる。

大半音と小半音を合わせると、「小全音」になるが、大半音を2つ合わせると、「大全音」を超えてしまう。
これはセント比計算によっても確認出来る。
よって純正律は(ピタゴラス音律同様に)、全音と半音をとりまぜた転調の音楽にては音の不協和(dissonance)な重なりが起こり、不快感を生じさせることにもなる。

(※ なお本書には何故か大全音と小全音についての概説が無い??)

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<平均律>
ピタゴラス音律や純正律における転調時の不協和音を克服するため、ヨリ数理的?に設定されたのが、現代の「平均律」である。
平均律では、音階同士が完全な公比を成しており、たとえば全音と半音あわせた12音階の公比を2とすれば音階間つまり音程間の公比は 12√2 = 21/12 = 1.0594 ... である。
つまり、平均律の公比値は整数比から導かれたものではない。

純正律と平均律を、音程差の周波数「比」で対照してみると;
短3度にては、純正律の周波数比が6/5=1.2 だが平均律の周波数比は1.189207
長3度にては、純正律の周波数比が5/4=1.25 だが平均律の周波数比は1.259921
完全4度にては、純正律の周波数比が4/3=1.33... だが平均律の周波数比は1.334839
完全5度にては、純正律の周波数比が3/2=1.5 だが平均律の周波数比は1.498307
長6度にては、純正律の周波数比が5/3=1.66... 平均律の周波数比は1.681792

このように、平均律における実際の音階/音程同士が整数倍の関係にないからこそ、整数倍音との音程の異なりが調律に活かされている。
平均律の普及と相まって、実際の楽器でとしてピアノの普及も進んでいった…

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…以上、とりあえず読んだ内容を僕なりに丸めて略記してみた。

本書はさらに、協和音からコード(chord)進行へ、いわば音階から音楽への次元拡大において、人間の覚える心地よさないし不快感がどのように移り変わりうるのか、多くの実例を挙げつつ記載されている。
また一方では、自然界の合成音をオシロスコープによって電流化→波形化→周波数ごとにスペクトル分離表現させる事例も紹介されており、こちらは音の物理学上の属性(周波数帯)などの知識と相まって多くの工業技術上の応用を想起させ楽しい。
ともあれ、音楽の素養に通じかつ音楽そのものに興味ある読者は、是非とも本書を読み進めてみては如何だろうか?

なお、本書のコンテンツとはほとんど被らないであろうが、数学が(というよりコンピュータが)デジタルにかつ演繹的に快適な音楽を紡ぎあげていく由について、未来的な仮説論を読んでみたいものだと、僕なりにふと思いついた。
本書の続編としてかかる主題のものが出されたら面白いのだが。

以上

2018/11/07

反抗期 Part II

ここに、一人のひねくれ者の少年がいる。
実名は明かせぬがゆえ、とりあえずY君とする。
このとりあえずのY君は、まだ中学生である。
母親の言うことにいちいち侮蔑的な態度で応じたり、教師たちから声をかけられると皮肉的な答えを返したり、そういうひねくれっぷり。
そう映るように演出しているのではなく、本性からしてぶかっこうなほどにひねくれ者なのである。

父親は居なかった。
しかし、小学生の妹が一人。
素直で正直な娘で、といっても女の子はそういうものなのだが、ただ、可哀そうなことにちょっと病弱であった。

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この妹が暫く入院したことがある。
ひねくれ者のY君ではあっても、病床の妹を哀れに思い、そこで兄貴然を発動して威勢を張った大胆な約束を交わしたのであった。
それは、或る大手企業が主催するクロスカントリーレースにY君が出場して、上位入賞するというもの。
もしも俺が入賞したら、おまえは血筋も家柄も大いに誇りに思っていいぞ、と。
素直な妹は、この兄の言から「もしも」を除外して、楽し気に空想するのであり ─ それは、Y君が本当にクロスカントリーで上位入賞し、皆が感嘆と感動の声を挙げつつ祝福するような、そんな情景であった。
そういう妹の質をもちゃんと見抜いていたのであろう、Y君はちょっとぶっきら棒に念押しする。
俺は誰にも明かさずそっと出場するつもりだから、他言するなよと。
お母さんにも内緒にしておけ、と。

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Y君はひねくれ者ではあったが、ほら吹きでも馬鹿でもなかった。
じっさい体力も運動能力もなかなかのもの、本気になれば3kmだ4kmだのは快足で走破するくらい軽いかるい。
早朝に、あるいは放課後に、誰彼に知られることなくそっと練習してみれば、おのれの想定をかなり上回るほどの快走であり、よしこれはいけるぞと自信を高めていたのである。
それほどであるならば、堂々と周囲に公言してエントリーすればよさそうなものだが、いや、そこはY君のこと、誰にも明かさぬままレースに出場する意固地な覚悟を決めていたのであった。

さて妹である。
誰にも言うな内緒にしておけと念押しされたはずなのに ─ いや、だからこそ、この素敵な約束についてもう誰かに喋りたくてウズウズ、それで、つい、母親に伝えてしまったのだった。
これを聞いた母親は大いに感激し、やはり誰かに喋りたくて堪らず、そっと中学校の担任教師に申し伝えていた。
この担任教師はといえば、ははーんと心得もよく、あのY君のことだから周囲で騒ぎ立てぬようにしましょう、皆でそっと温かく見守ってやりましょう、と。
はぁ、やはり、そんなものでしょうか。
そうですとも。

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ついに、クロスカントリーレース当日となった。
それは日曜の朝であり、Y君はとぼけた風を装いつつも、ちょっと所在無げに家を出ていった。
母親はクスクスと忍び笑いを浮かべつつその様子を見送って、それから、入院中の妹の許を訪れたのであった。
もちろん妹は、担当医師から特別の外出許可を得ていたので、病気もなんのその、喜び勇んで母親と一緒に病院を出て、レース会場に向かっていたのである。

さらに、彼女たちはレース会場で待っていたY君の担任教師と「そっと」合流。
やりますよ、彼ならね、自分ひとりで覚悟を決めた以上は、何かやってのけそうな子ですからね。
はあ、そうでしょうか。
そうですとも、彼はきっとやってのけますよ。
はぁ、あたしも正直なところ、そう期待しているんです。

ねえお母さん、と妹がたまらずに声を挙げる ─ みんなで声援してあげようよ、そうしたらお兄ちゃんはすごく頑張るんじゃないかなあ。
いいえ、そうしない方がいいのよ、だから今日は「そっと」お兄ちゃんを見守ってあげましょう。
母親は楽しそうになだめるのだった。

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レースは、あっという間に始まり、そして終わった。
Y君はおのれの吐いた言葉以上の快走をみせ、まさにひねくれ者の面目躍如、見事に上位入賞を果たしたのである。
トラックでしばらく息せき切っていたY君は、ついと顔をあげ、それからとつぜん気づいた。
あっ!観客席から手を振っているあの娘…
ああ、そうだ、妹だ!
どうして、どうしてここに、と、Y君はもう居ても立ってもたまらず、観客席に駆け寄り、妹に向かって両手を高らかに掲げ、大きく円弧を、さらにVサインを。
それでも ─ 妹の傍らで感極まってほとんど泣き崩れている母親と、さらにその隣で朗らかに微笑んでいる担任教師の姿を見とめると、Y君はふんと鼻を鳴らして、こんなものどうってことはないだろうに、大人っていちいちくだらないなあと呟くのであった。



(おわり)