2018/12/30

【読書メモ】知の果てへの旅

知の果てへの旅 マーカス・デュ・ソートイ著 新潮クレストブックス』

本書は本年4月に日訳が出されたもの、英語原題は'What We Cannot Know'であり、著名な数学者によるかなり壮大な随想集。
巻頭から読み進めてゆけば、本著者が問いかけ続ける主題はおそらく以下のようなものではないか。
「この宇宙あるいはどこかの宇宙にて、'いつかどこかで何かが'起こしえたはずの何らかの事象'と、'これから起こしうる何らかの事象'の関わりにつき、'我々自身の数学'によって万全に対応付けが可能か否か?」
この問いかけはあまりにも巨大で深淵な論題ではあるが、p.300における以下の言がとりあえずは本著者なりのひとつの回答であろう。
「(人間の)数学は、(人間の)有限の脳を通して無限を記述することが出来る」

さて、本書はそれぞれの章立てにおけるコンテンツのいずれもが、論旨を三転四転させつつ謎かけを呈し続けるエキサイティングな筆致展開であり、「ひょっとしたら」「けっきょくのところ」「かもしれない」などなど断定を敢えて回避する表記がとてつもなく多いのもやむなしか。
それでも僕なりに察するに、本書を構成する基本命題は、第1章および第2章にわたる箇所に掲げられている、ニュートン物理学から現代カオス理論まで、或いは着想の軸を換えて、宇宙におけるあらゆる物質の実在に対する人間の認識/数学記述力についてであろう。
尤も、これらはいずれも対立概念として描かれているので、文脈に慣れれば大意捕捉は難しくない。
とまれ、此度の読書メモとしては、本書を理科知識本ではなく数理や哲学の啓発書としてふまえ、あくまで第1章と第2章における主要な論題を記してみた。



・フェルマーやパスカルは神の存在などの不確かな命題を扱うために確率の数学技法を開発し、物質の性質や振る舞いを予測可能とした、が、これはたとえ遥か後代の量子力学にても活用された技法とはいえ、あくまで予測の技法である。
ガリレオやケプラーを経てニュートンが確立した古典物理学においてこそ、動き続けるあらゆるものを微分積分学をとおして力と質量と運動として記述出来るようになった ─ はずであった。
ラプラスなどは、或る時点までの或る実在について数学上の実証が出来るのならばその未来の在りようも記述出来る、と主張した。

・尤も、ニュートンまでの数学は2つの天体の共通重心と焦点の一致などは説明しえたが、3つ以上の天体のケースには対応しきれなかった。
ポアンカレは、この宇宙において太陽系が安定した軌跡を描き続けるか否かを証明させる懸賞問題に挑み、三体問題への解法に基づいて系の安定を解答提示したが、そのさいに質量を無視しうる微小な物質を想定しており、これが物理どころか数学上の過ちであると気づいた。
この過ちがきっかけとなり、極小の物体の変化によっても突然バラけてしまう系の存在、つまりカオス系についての数学理論が発展 - というより困惑させられることとなった。

・数学者にして貴族院議員でもあるロバート・メイは、動物の個体群の繁殖率と生存率と頭数のダイナミクスを単純なフィードバック方程式であらわし、一見単純なこの関係式においてさえ、繁殖率がほんの少し変わっただけで頭数が激変すると明示。
単純に見えつつも恐るべきカオス系の難解さは、宇宙あまねく処における生命の発生確率、さらに遺伝と生存確率にかかる問題であることはむろん、人間の数学知性の限界そのものを問う大問題でもあると指摘する。

・コンピュータ導入によってカオスのモデル化と解析そのものは進みうるし、そのさいに例えばリアプノフ指数を用いればカオス系のバラついていくさまを数学表現も出来よう、が、そのようにして確認を続けたところ、太陽系は(やはり)この宇宙においてカオスの系であることが分かってしまった ─ つまり分からなくなってしまった。
なお、宇宙の天体系のうちには、水星や地球のような岩石惑星が衝突を起こして幾つか弾き飛ばされた結果であろう、奇妙な軌道を成している惑星群も発券されている。
そもそもカオス理論に則れば、宇宙のどこかの片隅で電子がひとつ移動しただけでも宇宙のありようが変わることになる。

・カオス系は、複数次元にわたる多元的要素の問題ゆえに難解であるわけではない。
カントール集合図では、一次元の線分を特定の秩序の線分長で割って割って割り続けて白線と黒線に切り分けていくが、この論理上の操作をどれだけ続けていっても線分が完全に消えることはなく、むしろ無限個の黒い点と白い点が残ってしまう。

・量子物理学者のポーキングホーンは、宇宙がカオス系で成るにもかかわらず我々人間が頑として存在する理由として、全ての無限小の要素をもトップダウンで制御する知性の存在を ─ つまり神の意思を挙げている。
量子力学が素粒子などの運動のランダムさに則った科学である一方で、カオス理論は(本当に理論とすれば)なんらかの意思による決定論として捉えるしかないという。
かつ、その何らかの意思は、エネルギー保存則に抵触せず物理上の実在を大変動させることはない、あくまで情報系の何かとして存在することとなる。

・では我々人間の自由意志はどうなるのか ─ 我々が知りうることについての我々自身による認識論と、我々が知りえないであろう宇宙の真実にかかる万物の存在論は、これまでのところ一致してはいない。

・数学は、カオスについてどこまでが分かり、どこからが分からないか、つまり、どこまでが明らかな過去でありどこからが予測不能な未来であるかについて記述出来るようにも察せられる。
そうであれば、過去~現在までのカオスの起こりようから数学演繹して未来予測も可能である、ともとれるが、しかし未来に存在するものやその事象について完全に説明しうる数学は今のところ存在していない。

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以上、本書の第1章および第2章について、ともかくもニュートンから現代カオス理論まで、かつまた実在と認識について、つまり本書を対立的に構成しているであろう基本命題らしきを、ざっとまとめてみた。

さても本書はなかなかのヴォリュームにて、人間による数学の可能性について多段的に探究が続けられつつ、14の章立てから成る500ページ余の思索の旅が続く。
もちろん、宇宙だ観察だ実在だとなると量子物理学もひとつの主柱に据えられている。
だから、ハイゼンベルクやディラックやアインシュタインやシュレーディンガーからファインマンあたりまでは言うにおよばず、さらに、膨張する宇宙、ビッグバン、ダークエネルギー、ユニヴァースとマルチヴァースについてなどなど、引用も広範である。
一方では、カール・ポパーらによる科学哲学に対する人間の観察能力の限界からの反論、我々自身の脳神経の分析による認識可能性への懐疑などなどにおいて、そもそも我々の認識(論)そのものを我々自身がどこまで信頼できるか辛辣についた論題が多い。

特に学生諸君には、本書を思考のリフレッシュ教材として、さらに新たなる知識見識のリファレンス教材として、書棚のどこか目立つところに置いて、時おり読み進めることを薦めたい。
僕はたくさん読み残しているから、あとは君たちがどうぞ。

2018/12/26

100 / 101

「先生!大変なことになりました!」
「また君か。今度は何をやらかしたんだ?」
「あたし、ちょっとした連載小説を書いているんですけど、重大な描き間違いを犯してしまい、それがそのまま発行されることになっちゃったんです!」
「ははーーん。それは困ったもんだ。いったい、どういうお話なのかね?」
「ええと、或る村の先祖代々の御蔵から、100個の宝石が見つかったというストーリーなんです。元素も構造も形状も全く同じ100個の宝石。そして、その村の住民もたまたまちょうど100人であり…」
「結構な話じゃないか。一人ひとりが宝石を1つづつってわけだ」
「ところがそうはならないの!あたし、村人の数をうっかり101人と記してしまったのよ!つまり村人が1人余っちゃうの!これだとケンカになってしまうでしょう!あーー、このままネットに掲載されちゃうんだ!」
「フフン、なんだそんなもの、村人を1人だけ排除すればいいんだよ。それでストーリーがまーるく収まるじゃないか」
「簡単に言わないで!村人を1人だけ排除だなんて、そんなひどいストーリーは書きたくないもん。あーー、どうすればいいの?」
「さぁな。でも覚えておけ。いいか、大抵の問題にはだ、あらかじめ正解がセットで対応しているんだ。入試問題などが典型だ。名言だろう。by 俺。はははは」
「……あっ!…そうじゃないんだわ…!あらゆる問題は、それ自体があらゆる正解によって成り立っているのね。by あたし。そもそもこの話はあたし自身が書いたものであり、問題もあたし自身が引き起こしたもの。だから、だから…」
「だから?どうするつもりかね?」
「こうするのよ!」



なんと、彼女は自らがその小説世界に飛び込んでいったのであった。
え?なになに?
そうなると、彼女を加えて村人は102人となり、宝石は100個なんだから、いよいよ帳尻が合わないだろうって?
まあ、おしまいまで聞きなさい。
ほどなくして、彼女は1人の男性と連れ添って、また現実世界に舞い戻ってきたのだ。
もちろん、この幸せな二人の手には宝石が ─ あるわけがなかろう。
これで、あっちもこっちも丸く収まったことになる。
女の思いつきなんて、せいぜいこんなもんだ。
ともあれ、彼女は意気さかん、続編を書き綴っているようである。



(おわり)
※ 本編は遥か昔、高校生の頃に思いついた話を、立体的に改編したもの。

2018/12/23

半導体の超概説(3)

<パワー半導体>
そもそも、実体経済における電圧の現状≒需要の例は;
特別高圧: 交/直流ともに 7,000V超
高圧: 交流は7,000V~600V超、直流は7,000V~750V超
低圧: 交流は600V以下、直流は750V以下

超高圧変電所→一次変電所: 154KV (用途需要50,000kW以上)
一次変電所→二次変電所、鉄道など: 66KV (用途需要10,000kW以上~50,000kW)
二次変電所→大規模工場など: 33KV (用途需要2,000kW以上10,000kW)
配電変電所→ビルディング、変圧器、燃料電池など: 6.6KV
変圧器→電気自動車、小工場、一般住宅: 650V以下


さて、とりわけ大電量の電力供給システムにおける精巧な電圧変換、整流、および高速のスイッチングを主目的に開発された半導体素子を、とくに「パワー半導体」という。
パワー半導体は、高電圧における電気抵抗≒熱損失の徹底的な低減、それによる動作安定性が必須であり、技術仕様上は「定格電圧」がこれにあたる。
実体経済における電力供給システムの大規模化、かつ精密な配電能力の要求に応じて、パワー半導体の需要は増大の一途である!

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<サイリスタ/トライアック>
パワー半導体として最初に開発された素子が、交流を直流に整流するための「サイリスタ」であり、高耐電圧のものであれば送配電系にても用いられている。

サイリスタ素子はp-n-p接合トランジスタとn-p-n接合トランジスタを更に接合させたn-p-n-pの4層構造を成している。
サイリスタのメカニズムを大まかに記すと; アノード電極→カソード電極に順方向の電圧をかけつつゲート極に正電圧が印加された瞬間に正方向に電流が流れる、がしかしこの回路で逆方向に電圧がかかると瞬時に電流がオフになり、再びアノード→カソード極に順方向の電圧がかけつつゲート極に印加されると正方向に電流が流れる…
よって、ゲート極への正電圧タイミングと電流方向の組み合わせ次第で交流回路から直流に整流かつ制御ができる。

しかしながら、電流制御時の動作速度、オン抵抗の大きさ、そして正方向電流のみの制御能力などを鑑みると、サイリスタは大電圧回路に必ずしも適しているとはいえない。

なお、サイリスタ素子をさらに接合させたn-p-n-p-n構造の5層構造が「トライアック」素子である。
トライアックは、入力電圧と同じ極性の電圧をゲート極に加えると電流が流れはじめ、入力電圧がゼロになるとともに出力電流もゼロになる、よって、正/負の双方向に整流が出来る。

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<パワーMOSFET>
パワーMOSFETは、直流/直流の電圧コンバータおよび直流/交流インバータとして起用され、高速スイッチングと耐電圧に優れるため極めて多くの設備型機器などに採用されている。
とくに高速スイッチング機能を実現したことで、電気系ハードウェア全般の小型化を促してきた。

パワーMOSFETは原型のMOSFET素子と組成構造が異なり、電界生成に応じたチャネル量が格段に増えるようにn型/p型の半導体素材が垂直の層状を成している(DMOS構造と呼ばれる)。
また電極まわりの構造でも、ソース~ドレイン極のオン抵抗を抑えるようゲート極が縦構造を成すトレンチゲート型と、耐電圧能力を重視したプレナーゲイト型がある。
とくに、電子キャリアによるnチャネルかつ、常時はチャネルがオフであるエンハンスメント型が普及している。

とはいえ、パワーMOSFETはシリコンベースでの半導体素子ゆえ、せいぜい300V以下の低電力制御に起用されるものであり、大電圧でのコンバータやインバータとしては用いられない。

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<IGBT>
IGBT(Insulated Gate Bipolar Transistor;絶縁ゲート型バイポーラトランジスタ)は、パワーMOSFETを超える数千Vの電圧にて高速スイッチング機能を実現するもの。
燃料電池や鉄道制御の素子としても用いられている。
基本構造は、nチャネルエンハンスメント型の基本MOSFETのドレイン極にp-n-p型バイポーラトランジスタのp型部を組み合わせたもので、高速スイッチング操作をMOSFETで行いつつ、MOSFETで対処しきれない大電流をバイポーラトランジスタで補完する機能をもつ。

ただし、IGBTもやはりシリコンベースでの半導体素子であるため、産業用途での大電力電圧システムでは用いられない。
また、構造がMOSFETよりも複雑であるため、量産には必ずしも適しているとはいえない。

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以上、ここまでは電流の増幅、変圧、整流、そして高速スイッチングの機能を単体として有する半導体、いわゆる「ディスクリート半導体」の素子について超概説を記した。

ディスクリート半導体素子の特性につき、皮相電力(VA) と動作周波数(Hz) の要件から比較すると;
バイポーラトランジスタ : 1kVA以下 / 10kHz以下
サイリスタ : 10MVA~1kVA / 1kHz以下
パワーMOSFET : 10kVA以下 / 1MHz~10kHZ
IGBT : 1MVA~100VA以下 / 10kHz以下

なお、シリコンベースのこれら半導体素子に対して、炭化ケイ素や窒化ガリウムは耐電圧の安定度が約10倍、電力損失はわずか1/100である。

ガリウムヒ素半導体の電子速度はシリコンの約5倍もあり、高速集積回路のデバイスとして実用化が検証されている。


つづく
次回はメモリ、センサ、光学系、レーザにおける半導体素子の超概要など

2018/12/18

半導体の超概説(2)

<ダイオード>
不純物半導体のうち、p型半導体とn型半導体それぞれの結晶片を1:1で接合させ、ここに外部電流を導線で供して一巡した回路とする、この接合回路の素子をとくに「ダイオード」という。
ダイオード素子は、電流の接続方向に応じて電圧あたりの電流が極めて流れやすくなる、か、極端に流れにくくなる(流れなくなる)。
この機能特性により、ダイオードは交流電流の直流への変換つまり「整流」や、特定方向からのエネルギー入力に応じた発電などの応用に用いられる。

基本的なメカニズムは以下。
ダイオード素子にて、n型半導体の側には外部から負電荷(-)を、p型半導体の側には外部から正電荷(+)を供するようにして、これを電流回路として一巡させるとする
この電流回路では、n型半導体から出でた伝導電子(-)とp型半導体から出でた正孔(+)とがp/n接合部にて引き合い再結合して電流が流れ、かつ、n型半導体側には外部電流から電子(-)がさらに供給され続け、その電子の分だけp型半導体側で正孔(+)が出来続けて同じ外部電流に回る。
よって、このp型→n型の電流回路ではp型半導体からn型半導体に向かって電流キャリアが/電場が生じ続け、この電圧の加え方を「順方向」接続という。

一方で、やはりこのダイオード素子にて、n型半導体の側には外部から正電荷(+)を、p型半導体の側には外部から負電荷(-)を供する電流回路もある
このケースでは、n型半導体から出でた伝導電子(-)とp型半導体から出でた正孔(+)とが互いに離反方向に移動、そこでp/n接合部付近にては、n型側は電子(-)が不足する正イオン(+)となり、またp型側は正孔(+)の移動したあとを電子(-)が埋めて電子過剰の負イオン(-)となり、こうして接合部付近に電流の絶縁状態がおこる(空乏層がおこる)。
よって、このn型→p型の電流回路ではn型部とp型部で電位差が生じ、この電位差が外部電流の電圧と等しくなると電流は流れなくなる。
この電圧の加え方を「逆方向」接続という。

以上から、ダイオード素子の接続回路では、p型→n型の順方向接続では電流が流れやすく、n型→p型の逆方向接続では電流が流れにくい(流れない)。

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<バイポーラ・トランジスタ>
p型半導体とn型半導体それぞれの結晶片を2:1で層状に接合させ、この3層構成に外部電流を導線で供して一巡した回路とする素子を「接合型トランジスタ」という。
とくに、2つのn型半導体の結晶片に1つのp型半導体の結晶片を挟んだものをn-p-n型トランジスタといい、逆に2つのp型半導体の結晶片の間に1つのn型半導体の結晶片を挟んだ接合型をp-n-p型トランジスタという。
トランジスタの主たる効用は、電流の増幅である。

p-n-p型あるいはn-p-n型のいずれかを問わず、挟み込む2つの半導体層が電流の流れに応じて(電子の流れに反して)「コレクタ」層→「エミッタ」層を成し、挟まれた1つの半導体層が微小な電流の入力枝である「ベース」層である。
トランジスタの意義は、ベースに流れ込む微量の電流に応じて、コレクタでの電流量がものすごく増大するということである。
(この増え方は、エミッタ~コレクタ間の電圧変化よりも遥かに急激である。)

ハードウェア構造としては、シリコン酸化膜をコレクタの基板としつつ、そこにベース層とエミッタ層を別個に重ねて合わせたものであり、これにより各層間で別個に電流の制御を行うので、とくに「プレーナ型トランジスタ」とも称される。

基本的なメカニズムは以下。
たとえば、n-p-n型トランジスタの場合には n:コレクタ、p:ベース、n:エミッタ となる。
この構成で、エミッタから電子(-)をベースに流し込もうとしても、両者の接合部付近には空乏層がおこり、電子(-)がエミッタとコレクタそれぞれの電極に集まってしまうので、ベースにはほとんど電流が流れない。
ここでエミッタ~ベース間に順方向(p型→n型)の電圧をかけると、接合部の空乏層の電位が下がるので、電子(-)が「わずかながら」ベースに流れて正孔(+)と結合(消滅)する、が、ベースは極めて薄く小さく出来ているので、ほとんどの電子(-)はベースを通過してコレクタに流れていく。
一方で、このときコレクタにベースより高い電圧がかかっていると、コレクタに流れ着いた電子(-)が加速されつつ正孔(+)と結合、こうしてこのエミッタ→コレクタ回路に大量の電子(-)が循環する、つまりコレクタ→エミッタに大きな電流が流れる。

また、p-n-p型トランジスタの場合には p:コレクタ、n:ベース、p:エミッタ の構造を成し、正孔(+)が主たる電流キャリアとなる。
こちらの場合、やはりベースの電流をかすかに変えるだけで大量の正孔(+)が電子(-)と結合、ただしこちらではコレクタ→エミッタ回路に大量の正孔が循環する、つまりエミッタ→コレクタに大きな電流が流れる。

以上のトランジスタの機能特性を電流の「増幅」と称し、トランジスタにおいてはこの電流増幅率が100であること ─ たとえばベース電流の増加量を1mAとしてコレクタ電流の増加量が100mAを実現するような増幅率が求められ続けている。
かつ、ベース電流が0の時点ではコレクタ電流もほぼ0であること、この0か1かのデジタルなスイッチング動作機能も大前提である。

なお、ここまでのトランジスタは、電流キャリアとして電子と正孔をともに用いるため、「バイポーラ(双極性)・トランジスタ」とも定義されてきた。

このトランジスタの段階的かつ精密な量産可能とする製造工程技術が、現在まで続く集積回路(LSI)製造技術の端緒ともなった。

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<FET(電界効果トランジスタ)>
FET(Field Effect Transistor)トランジスタは、n-p-nあるいはp-n-p構成の半導体に在る電子あるいは正孔に対し、電圧を印加し電界をおこし、電荷を反転させて電極間の電流をスイッチング制御する素子である。
こうして半導体に生成される電流経路をとくに「チャネル」という。
半導体に繋がれている入出力の電極は、電子を流し込む低電圧の「ソース」極、電子を流し出す高電圧の「ドレイン」極、および、一方で脇から電圧印加を為す「ゲート」極からなる。

FETの採用上のメリットは、ゲート極に印加されるわずかな電圧によってソース極~ドレイン極まで高速に電流スイッチングを可能とすること。
これによって、低消費電力を、そして発熱量の低減を実現出来る。
かつ、微細な構造ながらもパターン量産化が易しいというメリットもある

ほとんどのFETトランジスタのハードウェア構造は、シリコン基板の表面に二酸化シリコンの薄い絶縁膜をかぶせ、その上にアルミニウムなどによる電極を付けたもので、これをとくにMOS(Metal/Oxide/Semiconductor)FETという。
このMOSFET構造に沿って、たとえば'nチャネル'生成のメカニズムを要約すると ─
まずシリコン基板の極性はn-p-n型であり、ソース極とドレイン極はn型部と繋がっているため両者は常時は通電しておらず、かつ、ゲート極はシリコン基板のp型部と常時は絶縁されている。
ここで、ソース極~ドレイン極に電圧を印加しても、シリコンのドレイン極付近に空乏層が出来るだけで、両者間に電流は流れない。
しかしながら、ゲート極~ソース極に(+)の電圧を印加すると、ゲート極直下のp型部との間に電界が生じ、シリコンの正孔(+)が内部に移動しつつ、逆にシリコンp型部の電子(-)はフェルミレベルが上がり伝導電子となってゲート極側に引き寄せられ、この電子群によってn型の電荷が流れていく(いわばp型部がn型部となる!)。
このnチャネル生成プロセスによって、シリコンにおけるソース極~ドレイン極までが通電、よってMOSFETとしてON状態となる。

上述のように、ゲート極~ソース極に(+)の電圧印加をしてドレイン極までのチャネルを生成させるFETトランジスタを、とくにエンハンスメント型(ノーマリオフ型)とも称す。
一方では、常時はチャネルが生成されているが、ゲート極~ソース極への(-)電圧印加によって電子や正孔を逃がしドレイン極までのチャネルを減衰させるFETトランジスタもあり、こちらはデプレッション型(ノーマリオン型)と称す。

FETトランジスタは、生成されるチャネルのnないしpの電荷が、チャネルの電流キャリアである電子ないし正孔と必ずしも一致しないため、とくに「ユニポーラ」トランジスタとも称される。

トランジスタとMOSFETを消費電力で比較すると;
トランジスタのオン時の消費電力(熱)は、コレクタ~エミッタ間に残っている何らかの飽和電圧xコレクタの電流、つまりコレクタの損失電力となる。
一方で、MOSFETはそもそもドレイン~ソース間の電圧はごく僅かにすぎず、消費電力(熱)はオン時の抵抗xドレイン電流2乗となるが、このうちオン時の抵抗は数Ω以下に過ぎない。
こうしてオン時の消費電力(熱)を比較すると、MOSFETの方がトランジスタより少ない。
かつ、オン/オフの所要時間もMOSFETの方が速い。

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<化合物半導体>
シリコンベースに不純物を添加して接合させたダイオードもトランジスタも、ベースは同じ物質同士ゆえ、いわゆる「ホモ接合」の素子とされる。
これに対して、全く異なる物質同士を接合させての半導体素子つまり化合物半導体は、とくに「ヘテロ接合」であるという。
後者の研究開発が進められたきっかけは、FET(MOSFETなど)におけるシリコン酸化膜に相当する絶縁用素材を模索検討続けてきた過程で、シリコン素材そのものから離れての素材の組み合わせに至ったこと。

化合物半導体は、高速かつ高周波のスイッチング操作の需要に即して開発が続けられてきた。
光電変換特性や環境耐性が高い。
ただし均質の結晶を製造し難いとの欠点もある。

化合物接合による半導体素子としては、ガリウムヒ素を基板に用いてのFETトランジスタすなわち「MES(MEtal-Semiconductor)FET」が挙げられる。
MESFETは動作原理としてはシリコンベースでのFETと同様に電界誘導による基板での電流チャネル生成であり、しかもガリウムヒ素基板はすぐれた半絶縁性と高い電気抵抗値を有するので、集積度が上がるほど実装優位性を発揮。
とくに、携帯電話などの超高周波信号用に起用されるモノリシックマイクロ波集積回路(MMIC)にてインダクタ機能向上にて有利。

ガリウムヒ素基板とn形アルミニウムガリウムヒ素を接合させたものとして、高電子移動型トランジスタ「HEMT (High Election Mobility Transistor)」も開発されており、HEMTは両物質の接合界面での電子のフェルミレベルのずれを活かして電子の高速移動を成す素子であり、低雑音特性が高い。
さらに、ガリウムヒ素基板ではなくインジウムガリウムヒ素をチャネル生成基板に起用した素子が、シュードモルフィックHEMTである。

他にも、ヨリ高速性能実現のため、インジウムリン系や窒化ガリウム系をチャネル生成基板に起用した素子などが開発され続けている。

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<フォトダイオード>
p/n接合されているダイオード素子に、その「バンドギャップエネルギー」以上の光を照射すると、その光が吸収されることによってp型領域には電子がまたn型領域には正孔が生成され(光起電力効果)、これによって外部に電流を供給する回路を成す。
これがいわゆる「フォトダイオード」素子の基本原理であり、この
入射光の光子数に対する電子/正孔の生成数をとくに「量子効率」として表現、むろんこの値が高いフォトダイオードほど優れたものである。
量子効率は、入射光に対する素材のバンドギャップエネルギーによって異なり、たとえば、波長が0.9μm以下の赤外線~可視光領域ではシリコンベースでのフォトダイオードが適する。
だが、ヨリ長い波長たとえば1.55μmの領域光はシリコンを透過してしまうため、このケースではバンドギャップエネルギーが小さめの素材、たとえばインジウムガリウムヒ素ベースのフォトダイオードが起用される。

また量子効率はフォトダイオードの接合構造によっても異なり、たとえば、p型とn型の間に絶縁体を挟み込んだいわゆるpin型のフォトダイオードでは、空乏層における電界に(逆)バイアスの電圧をかけることによって電子と正孔が空乏層を高速で通り抜ける ─ よって量子効率が一段と高まる。
この構造のフォトダイオードが光制御系システムで起用されている。
もっと(逆)バイアスの電圧を高めれば、電子と正孔の移動速度がさらに増して原子に衝突、ここから新たな電子を次々と発生させ続けていく、これがいわゆるアバランシェ(雪崩)現象である。
これつまり、ごく微弱な入射光に対してもこの反応現象が起こり続けるものであり、とくにアバランシェフォトダイオードと称される。

もちろん、これらフォトダイオード素子は太陽光の入射に対する起電力効果を活かしたもの、つまり太陽電池パネルとして大いに活用されており、またトランジスタと複合させたシステムとしても広く活用されている。
さらにフォトダイオードは、デジタルカメラにて採用されているイメージセンサつまり撮像素子にても、Charge Coupled Device(CCD)回路を伴った集積回路として大いに活用されている。


つづく
※ 次回は高電圧/大電力用のパワーMOSFET、IGBTなどなどについて超概要を記す。


2018/12/12

半導体の超概説(1)


半導体を学術的/大局的に鑑みれば、実装アプリケーションのとてつもない可変性≒有用性において最重要の基幹技術である。
現在の我が国の半導体関連産業はビジネス成果としては世界最高とは言い難いものの、研究開発力にては常に世界トップ級にあり、こんごも当分は間違いないとされる。

そこで、いわゆる半導体入門書の類を若干抜粋しつつ、学習参考書類における概念定義にも立ち戻りながら、以下に半導体について超概説をまとめてみた。





<構造/機能上の分類概要>
半導体物質のうち、とくに産業上有用なものとしての半導体は、ごく微量の異物質(つまり不純物)を添加しつつエネルギーを加えることで電子運動を操作出来る素子。
それら素子の選択的な組み合わせによって、電流(と電圧)の整流や増幅が可能、さらに複合して論理演算回路を構成することも出来る。
サイズの極小化と回路の複雑化が常に求められ続けている。

半導体は、まず「無機半導体」と「有機半導体」に大別出来る。
無機半導体は、シリコンやゲルマニウムやセレンや炭素など単一元素で構成される「元素半導体」はもとより、さらに複数元素の結合による「化合物半導体」、そして「酸化物半導体」に分類される。

ここで、化合物半導体は構成元素の数によって2元(素)系、3元(素)系、4元(素)系があり、硫化亜鉛、硫化カドミウム、ガリウムヒ素、窒化ガリウム、リン化インジウム、窒化ケイ素などなどに成っている。
これら化合物半導体は、元素半導体では実現出来ない高速性や光電効果を発揮するので、高速通信デバイスや太陽光発電デバイスなどに採用されている。
一方で、酸化物半導体はやはり異なった元素の結合により、酸化亜鉛やインジウムガリウム亜鉛酸化物などに成っており、これらは可視光を通す特性を発揮するので液晶パネルや透明電極に採用されている。

また、有機半導体としてはテトラセンやアントラセンなどが合成されており、これらは曲げられる特性を有するので、薄膜状の製品への活用がこんご見込まれている(電子ペーパーなど)。

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<エネルギーと電子>
金属や半導体などの個体結晶では、近接し合う原子間にて外軌道の電子ほど影響を及ぼし合い易く、電子のエネルギー準位が連続的に変わりうる。
このエネルギー準位の幅をエネルギーバンドという。

原子の最外殻軌道にあって、原子間の結合や化学反応の担い手となりうる電子を「価電子」といい、この価電子のエネルギーバンドをとくに「価電子帯」という。
価電子が熱や光のエネルギーを得ると原子核とのクーロン力から離れて、エネルギー準位の高いエネルギーバンド「伝導帯」にジャンプして「伝導電子」となり、これが電気伝導をおこす。
ただし、価電子帯と伝導帯の間には電子が存在しえない「禁制帯」があり、このエネルギー幅をとくに「バンドギャップ」といい、その大きさは約1eVである。
よって、価電子帯の価電子が伝導帯にジャンプするためには、禁制帯のバンドギャップを超えたエネルギーが必要となる。
なお、価電子が確率的には存在しうる上限エネルギー準位を、とくに「フェルミレベル」といい、フェルミレベルのあらかじめ高い物質ほど価電子帯から伝導帯に電子がジャンプしやすい。

金属は、禁制帯が無いか有っても幅が極めて小さく、またフェルミレベルが伝導帯に至っているので、熱や光のエネルギーを受けて価電子が簡単にバンドギャップを超え、伝導帯にジャンプする、とはいえ温度が上がるにつれて原子の振動が価電子のジャンプをむしろ阻み、伝導電子は減ってしまう。
一方で、半導体は金属原子よりも禁制帯が広く、かつ、フェルミエネルギーが禁制帯にあるので、価電子がバンドギャップを超えるエネルギーは金属原子よりも多く必要とする、がしかし不純物のごく微量な添加によってフェルミレベルを操作することが出来る

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<不純物半導体・価電子操作>
そもそも、構成物質の純度が極限まで高い元素半導体をとくに「真性半導体」と定義、例えばシリコン単結晶はシリコン純度が99.9999999999% である (この純度は9が12個のケタなので'12N'と称される)。
この真性半導体にごく微量ながらも別の物質を添加(ドーピング)したものが「不純物半導体」である。
たとえばシリコンベースの不純物半導体の場合、シリコン単結晶あたりでの不純物添加の量は「わずか」10-6 10-8 ほどである。
それでも、不純物の添加により、真性半導体と比べてフェルミレベルを変更する(高くする)ことが出来、ヨリ低いエネルギーにて価電子がバンドギャップを克服し伝導電子となる。

不純物半導体は真性半導体同様に共有結合を成してはいるが、電気特性は幅広く異なる。
不純物によっては、共有結合にて価電子が弾き出されてしまい、この余った価電子はエネルギー準位が高く、伝導帯(1eV)との差が数meV程度まで迫っているので、常温の熱程度のエネルギー(26meVくらい)でも原子核とのクーロン力を断ち切り、伝導体にジャンプする→伝導電子となってマイナス電荷の電流をおこす。
この反応をおこす不純物をとくにドナーと称し、余った価電子のエネルギー準位をとくにドナー準位ともいう。

また、別の不純物によっては共有結合にて価電子が足りなくなり、プラス電荷つまり正孔を発生させ、こちらも数十meV程度のエネルギーで別の価電子を充当、また別のプラス電荷の正孔に別の価電子、さらにまた別の…と続いて、プラス電荷の電流をおこす。
こちらの反応をおこす不純物はとくにアクセプターと称し、正孔に価電子を引き込むエネルギー準位をとくにアクセプター準位ともいう。
以上がエネルギーと価電子と伝導電子と正孔のおおまかな関係である。

「価電子→伝導電子」のマイナス電荷と「価電子→正孔」のプラス電荷は、どちらかのみが一様に起こるわけではない。
かつ、不純物半導体とはいえ、真性半導体なりのプロセスもわずかながら同時に起こっている。
それらをふまえて不純物半導体をトータルに分類すると;
電流キャリア(担い手)として伝導電子を多くかつ正孔を少なめにつくるものをとくに「n型半導体」という(マイナス電荷が主である意)。
また、電流キャリアとして正孔を多くかつ伝導電子を少なめにつくるものをとくに「p型半導体」という(プラス電荷が主であるため)。
不純物の添加操作によってこれらを作り分けることを、「価電子操作」という。

なお、p型半導体にてもn型半導体にても、不純物原子は常態では正孔や電子と緩く繋がり合っており、だから電気的に中性の状態を保っている。

半導体素材がシリコンやゲルマニウムの場合、n型半導体を成すための不純物はリン、ヒ素、アンチモンなどであり、p型半導体を成すための不純物ならばボロン、アルミニウム、ガリウムが起用される。
また、半導体素材がガリウムヒ素の場合、n型半導体を成すための不純物はシリコン、硫黄、炭素などであり、p型半導体を成すための不純物は亜鉛、マグネシウム、ベリリウムなどである。

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<電気抵抗率>
エネルギーと価電子移動の関係は、電気抵抗の観点で捉えることも出来る。
導体は外部からの温度や光などエネルギーに応じて電子の移動も活発になるが、それ以上に原子の振動が激しくなり電子の移動を損ねてしまうので、一次関数的に電気抵抗が高まってしまう。
しかし、半導体は外部からのエネルギーに応じて電子の移動が極めて活発になるため、むしろ電気抵抗が指数関数的に減衰する。
暫定的な定義でみても、導体の電気抵抗率は概ね10-6 Ω・m以下で、主な金属の電気抵抗率はこの値付近に集まっているが、その一方で、半導体の電気抵抗率は10-6 Ω・m以上~108 Ω・m以下と、極めて上下幅が大きい。

とりわけ、不純物半導体の電気抵抗率は真性半導体に比べてずっと低い。
不純物の濃度と電気抵抗の相関をミクロにクローズアップしてみると、たとえばシリコン単結晶における不純物の濃度が1014原子数/cmの場合には、p型とn型ではやや異なるものの、電気抵抗率が102 Ω・cm であるが、同濃度が1020原子数/cmを超えると電気抵抗率はなんと! 10-4 Ω・cm近くまで下がる。

※ ちなみに、導体の電気抵抗率がゼロになることはなく、一方では絶縁体の電気抵抗率は108 Ω・m以上ではあるが無限大ではない。


…つづく。
次回は、ダイオード、トランジスタ、パワー半導体(コンバータとインバータ)などについて実用例など挙げつつ超概説を記すつもり。

2018/11/22

【読書メモ】音律と音階の科学

『音律と音階の科学 小方厚 講談社Blue Backs

本書は「科学」と銘打たれてはいるが、音楽のデジタルな根本を成す音階(音程)と数学のかかわりについて簡潔にまとめられた一冊と察し、その抽象性に惹かれて手にしたもの。
さらりと読み進めてみれば、躍動的な文面に惹きつけられる箇所多く、僕のように音楽の門外漢としては随所に新たな知識発掘の喜びもある。
しかしながら苦言を呈せば、本書は一貫した論旨を見出しにくく、そのため諸々のコンテンツにて「仮説」か「論理的必然」か「偶発的事実」かをしばしば峻別しがたいところは否めない。
本書を貫く最もエッセンシャルな論旨であろう、『人間が協和音から感受する心地よさ或いはうなりなどの不快感と、数学的な簡潔さ(素数倍あるいは平均律など)とのかかわり』についても、これらが偶々そうであるのか、更なる数理化が演繹されるのかを見出しにくい。
とはいえ ─ 高校までの物理と(とくに)数学を一通り学んだ読者であれば、図表や数式から論旨捕捉も容易なはず、むしろそれらを注視しつつ肩肘張らずに読み進めていった方がヨリ楽しそうだ。
(そう踏まえつつ本書に挑んでみれば、たとえば音響論や工学論などを包括総論したものであろう第1章も楽しく読み進められよう。)

さて、此度の僕なりの読書メモとしては、とくに音律とその音階の数理上の設定にかかる箇所の拾い読みを、以下にざっと雑記してみた。




<音律・音程・音階>
・音楽における構成音の一定の秩序を、「音律」という。
現代の西洋音楽(ピアノの鍵盤など)の音律としては、全音と半音による12の「音程」が秩序だった「音階」を成し、12音階をもって1「オクターブ」を成している。
現行の音律に則った楽器において、それぞれの音階間の音程差を現代の「周波数」で換算すると、周波数のちょうど2倍の変化量が1オクターブにあたる。
かつ、各音階は公差ではなく「公比」の数列を正確に成している。

<基本波と整数倍波>
両端が固定されている「弦」のうち、途中で押さえる(挟む)ものが何も無い弦を「開放弦」といい、開放弦の振動によっておこる波を「基本波」という。
この基本波の振動数(周波数)を論理的に1として、この弦の丁度中間を「節」で押さえ弦長を半分割して弾いた場合、それぞれの弦の振動数(周波数)は論理的に2となる。
同様に、この弦を均等に3分割するように2か所を節で押さえて弾いた場合、それぞれの弦の振動数(周波数)は論理的に3となり、さらにこの弦を均等に4分割するように3か所を節で押さえて弾いたらそれぞれの弦の振動数(周波数)は論理的に4となり…
これが基本波に基づく「整数倍波(あるいは高調波)」の発想。

このように基本波と整数倍波は「公差」の関係にあるが、その一方で、上に記したようにじっさいの楽器類における音階間の音程差は「公比」となっている。
人間の聴覚は本性的に「公比」に対して敏感であり、それゆえ、人間が独自に発明した音律もまた楽器も各音階の音程差が「公比」におかれている…。
(この由について本書ではp.31に「かもしれない」と控え目に推定表現をおいている。)

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<ピタゴラス音律>
西洋型「音律」の祖は古代ギリシアにまで遡る。
数学者のピタゴラスは、弦楽器の開放弦つまり基本波、その2倍波(つまり1オクターブ)、および3倍波の響きの「協和(consonance)」が美しいハーモニーを奏でることに着目していた。
そこで、これらを組み合わせた最も美しい音律を数学のかたちで創造した。

開放弦を主音としてこの音の響き(現代でいう周波数)を論理的に3倍して新たな音階とし、その新たな音階をもとにまた新たに3倍して別の新たな音階とし、さらにまたそれをもとに別の新たな3倍
…と繰り返しつつ、これらをすべて「主音の2倍波(1オクターブ)内におさめた」≒「主音の丁度2倍波となるまで計算した」。
ここで、3倍波の設定の乗算mと2倍波に収める除算nを続け 3m / 2n ≒2 でm12かつn18とおけば2に極めて近くなった、ゆえに、3倍波の設定の乗算を12回で停めた。

ここから、各音階の響き(周波数)が互いに3倍波の関係にありつつ、12音階がちょうど1オクターブを成す ─ つまり「ピタゴラス音律」が出来上がった。
この計算結果を「現代のハ長調音階に相当させて」表すと;
30 (および312 )   C (ド)  白鍵
31   : G (ソ)  白鍵
32  : D (レ)  白鍵
33  : A (ラ)  白鍵
34  : E (ミ)  白鍵
35  : B (シ)  白鍵
36  : F(ファ)  黒鍵 (リディアン音階まで)
37  : C(ド)  黒鍵
38  : G(ソ)  黒鍵
39  : D(レ)  黒鍵
310  : A(ラ)  黒鍵
311  : F(ファ)白鍵

しかしながら、ピタゴラス音律は上に記したようにそもそも近似値を含め合わせた数学操作から各音階を設定したものに過ぎず、よって音程に微妙なばらつきがあり、だから音律として完結しているとはいえない。
この不完全さにつき、少なくとも2つの側面から検証済である。
1つは、円における方位や角度を起用しての検証。
一周360度の円周上にて、3の乗算ごとに210度ずつ方位をずらして音階を配置していく時計文字盤のイメージ図(p.46~p.50)と、3の乗算ごとに厳密に5度ずつ音階を配置するいわゆる5度円表示(p.56)を比較すると、数値上の微妙な差異が目視上あきらかである。

もう1つは、半音階ごとにおける周波数の差を対数比つまり「セント比」を以て確認された誤差。
平均律であれば100セント比ずつ異なっている(よって1オクターブで1200セント異なる)はずであるが、ピタゴラス音律にては114セントの半音と90セントの半音が混じっている。

(※ ここらあたりの由については、数学としてはさほど難しいものではなかろうが、本書における文面上の説明がどうも散文的?で捕捉し難い。)

ところで、やはり3の乗算で音階を算出しつつも 「計算を途中で停めた、つまり上の音階でいえばC, D, E, G, A までの算出に留めた」のが、中国や日本の「呂施法」音律である。
(ファとシの音階が無いので、白鍵の配置順における4番目と7番目が無い、いわゆるヨナ抜き5音階ともいう。)

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<純正律>
ピタゴラス音律は主音と2倍音(1オクターブ上)と3倍音から成っているが、ここに5倍音も合わせて音階の協和音をいっそう美しく響かせる発想もおこった。
たとえば、ピタゴラス音階においては主音CとEの「周波数比」は64/81となっているが、このEの周波数比をCに対して4/5に「補正」すれば、長3度(=4半音)の関係で綺麗に協和する。
こうした新たな音階設定をとくに'5リミットの'「純正律」と称す。

この純正律の着想は古代ギリシアのプトレマイオスのノートにもあるが、10世紀ごろからおこった複数旋律の同時進行つまりポリフォニー技法と相まって、純正律が普及するにいたり、15世紀のバルトロメ=ディアスが音律の形式に整備した。

純正律における長音階にて、主音Cの周波数を論理上1と設定すると ;
DとCの周波数比 : 9/8
EとCの周波数比 : 5/4 (音程差が長3度)
FとCの周波数比 : 4/3 (音程差が完全4度)
GとCの周波数比 : 3/2 (音程差が完全5度)
AとCの周波数比 : 5/3 (音程差が長6度)
BとCの周波数比 : 15/8
「Cの2倍波」とCの周波数比 : 2/1

また、となりあう音階同士では:
DとCの周波数比 : 9/8
EとDの周波数比 : 10/9
FとEの周波数比 : 16/15
GとFの周波数比 : 9/8
AとGの周波数比 : 10/9
BとAの周波数比 : 9/8
「Cの2倍波」とBの周波数比 : 16/15

ここまでふまえて、素数3と5の乗算と調整の繰り返しによる音階設定を数学上一括した例が、数学者オイラーのアイデアによる音階計算表、いわゆる「オイラー格子」(本書p.86)。
これは長3度音程(半音4つに相当)レベルでの上がり/下がり計算、および完全5度音程(半音7つに相当)レベルでの上がり/下がり計算による結果を、音階として表示したマトリクスである。
これによって、主音に対するいかなる半音上がり(♯)と半音下がり(♭)の音階も異名異音として設定出来る。


<大半音と小半音>
純正律の音階設定では、「全音」の音階同士の周波数「比」は9/810/9の2種類があり、よって「半音」の周波数比も少なくとも2種類が設定される。
そのうち1つはこの純正律音階にあるとおり周波数比が16/15で、これを「大半音」とする。
もう1つは、長3度(半音4つ)と短3度(半音3つ)の周波数比で、これが「小半音」であり、たとえば長3度であるCE間の周波数比5/4と短3度であるAC間の周波数比6/5から、両者間の比率つまり「小半音」の周波数比は25/24となる。

大半音と小半音を合わせると、「小全音」になるが、大半音を2つ合わせると、「大全音」を超えてしまう。
これはセント比計算によっても確認出来る。
よって純正律は(ピタゴラス音律同様に)、全音と半音をとりまぜた転調の音楽にては音の不協和(dissonance)な重なりが起こり、不快感を生じさせることにもなる。

(※ なお本書には何故か大全音と小全音についての概説が無い??)

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<平均律>
ピタゴラス音律や純正律における転調時の不協和音を克服するため、ヨリ数理的?に設定されたのが、現代の「平均律」である。
平均律では、音階同士が完全な公比を成しており、たとえば全音と半音あわせた12音階の公比を2とすれば音階間つまり音程間の公比は 12√2 = 21/12 = 1.0594 ... である。
つまり、平均律の公比値は整数比から導かれたものではない。

純正律と平均律を、音程差の周波数「比」で対照してみると;
短3度にては、純正律の周波数比が6/5=1.2 だが平均律の周波数比は1.189207
長3度にては、純正律の周波数比が5/4=1.25 だが平均律の周波数比は1.259921
完全4度にては、純正律の周波数比が4/3=1.33... だが平均律の周波数比は1.334839
完全5度にては、純正律の周波数比が3/2=1.5 だが平均律の周波数比は1.498307
長6度にては、純正律の周波数比が5/3=1.66... 平均律の周波数比は1.681792

このように、平均律における実際の音階/音程同士が整数倍の関係にないからこそ、整数倍音との音程の異なりが調律に活かされている。
平均律の普及と相まって、実際の楽器でとしてピアノの普及も進んでいった…

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…以上、とりあえず読んだ内容を僕なりに丸めて略記してみた。

本書はさらに、協和音からコード(chord)進行へ、いわば音階から音楽への次元拡大において、人間の覚える心地よさないし不快感がどのように移り変わりうるのか、多くの実例を挙げつつ記載されている。
また一方では、自然界の合成音をオシロスコープによって電流化→波形化→周波数ごとにスペクトル分離表現させる事例も紹介されており、こちらは音の物理学上の属性(周波数帯)などの知識と相まって多くの工業技術上の応用を想起させ楽しい。
ともあれ、音楽の素養に通じかつ音楽そのものに興味ある読者は、是非とも本書を読み進めてみては如何だろうか?

なお、本書のコンテンツとはほとんど被らないであろうが、数学が(というよりコンピュータが)デジタルにかつ演繹的に快適な音楽を紡ぎあげていく由について、未来的な仮説論を読んでみたいものだと、僕なりにふと思いついた。
本書の続編としてかかる主題のものが出されたら面白いのだが。

以上

2018/11/07

反抗期 Part II

ここに、一人のひねくれ者の少年がいる。
実名は明かせぬがゆえ、とりあえずY君とする。
このとりあえずのY君は、まだ中学生である。
母親の言うことにいちいち侮蔑的な態度で応じたり、教師たちから声をかけられると皮肉的な答えを返したり、そういうひねくれっぷり。
そう映るように演出しているのではなく、本性からしてぶかっこうなほどにひねくれ者なのである。

父親は居なかった。
しかし、小学生の妹が一人。
素直で正直な娘で、といっても女の子はそういうものなのだが、ただ、可哀そうなことにちょっと病弱であった。

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この妹が暫く入院したことがある。
ひねくれ者のY君ではあっても、病床の妹を哀れに思い、そこで兄貴然を発動して威勢を張った大胆な約束を交わしたのであった。
それは、或る大手企業が主催するクロスカントリーレースにY君が出場して、上位入賞するというもの。
もしも俺が入賞したら、おまえは血筋も家柄も大いに誇りに思っていいぞ、と。
素直な妹は、この兄の言から「もしも」を除外して、楽し気に空想するのであり ─ それは、Y君が本当にクロスカントリーで上位入賞し、皆が感嘆と感動の声を挙げつつ祝福するような、そんな情景であった。
そういう妹の質をもちゃんと見抜いていたのであろう、Y君はちょっとぶっきら棒に念押しする。
俺は誰にも明かさずそっと出場するつもりだから、他言するなよと。
お母さんにも内緒にしておけ、と。

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Y君はひねくれ者ではあったが、ほら吹きでも馬鹿でもなかった。
じっさい体力も運動能力もなかなかのもの、本気になれば3kmだ4kmだのは快足で走破するくらい軽いかるい。
早朝に、あるいは放課後に、誰彼に知られることなくそっと練習してみれば、おのれの想定をかなり上回るほどの快走であり、よしこれはいけるぞと自信を高めていたのである。
それほどであるならば、堂々と周囲に公言してエントリーすればよさそうなものだが、いや、そこはY君のこと、誰にも明かさぬままレースに出場する意固地な覚悟を決めていたのであった。

さて妹である。
誰にも言うな内緒にしておけと念押しされたはずなのに ─ いや、だからこそ、この素敵な約束についてもう誰かに喋りたくてウズウズ、それで、つい、母親に伝えてしまったのだった。
これを聞いた母親は大いに感激し、やはり誰かに喋りたくて堪らず、そっと中学校の担任教師に申し伝えていた。
この担任教師はといえば、ははーんと心得もよく、あのY君のことだから周囲で騒ぎ立てぬようにしましょう、皆でそっと温かく見守ってやりましょう、と。
はぁ、やはり、そんなものでしょうか。
そうですとも。

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ついに、クロスカントリーレース当日となった。
それは日曜の朝であり、Y君はとぼけた風を装いつつも、ちょっと所在無げに家を出ていった。
母親はクスクスと忍び笑いを浮かべつつその様子を見送って、それから、入院中の妹の許を訪れたのであった。
もちろん妹は、担当医師から特別の外出許可を得ていたので、病気もなんのその、喜び勇んで母親と一緒に病院を出て、レース会場に向かっていたのである。

さらに、彼女たちはレース会場で待っていたY君の担任教師と「そっと」合流。
やりますよ、彼ならね、自分ひとりで覚悟を決めた以上は、何かやってのけそうな子ですからね。
はあ、そうでしょうか。
そうですとも、彼はきっとやってのけますよ。
はぁ、あたしも正直なところ、そう期待しているんです。

ねえお母さん、と妹がたまらずに声を挙げる ─ みんなで声援してあげようよ、そうしたらお兄ちゃんはすごく頑張るんじゃないかなあ。
いいえ、そうしない方がいいのよ、だから今日は「そっと」お兄ちゃんを見守ってあげましょう。
母親は楽しそうになだめるのだった。

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レースは、あっという間に始まり、そして終わった。
Y君はおのれの吐いた言葉以上の快走をみせ、まさにひねくれ者の面目躍如、見事に上位入賞を果たしたのである。
トラックでしばらく息せき切っていたY君は、ついと顔をあげ、それからとつぜん気づいた。
あっ!観客席から手を振っているあの娘…
ああ、そうだ、妹だ!
どうして、どうしてここに、と、Y君はもう居ても立ってもたまらず、観客席に駆け寄り、妹に向かって両手を高らかに掲げ、大きく円弧を、さらにVサインを。
それでも ─ 妹の傍らで感極まってほとんど泣き崩れている母親と、さらにその隣で朗らかに微笑んでいる担任教師の姿を見とめると、Y君はふんと鼻を鳴らして、こんなものどうってことはないだろうに、大人っていちいちくだらないなあと呟くのであった。



(おわり)

2018/10/27

【読書メモ】 3時間でわかる!図解 民法改正

昨年公布された民法のいわゆる大改正、その施行「期日」は2020年4月1日とのこと ─ まだまだ時間はあるとはいえ、これを期に民法について再認識を促す本はないものかと探していたところ、適当と察せられる1冊を見つけたので、今般ここに紹介と略記引用する。
3時間でわかる!図解 民法改正 熊谷則一 日本経済新聞出版社』

むろん学生など初学者にとっては、改正内容どころかこれまでの判例解釈も、いや基本的な概念や通念すらも3時間程度では理解出来ようもない。
それでも本書を薦めるのは、数多くの改正内容のうち特に根幹的なものを本著者が抽出されているため、かつ、改正内容を概括的な図解で一瞥出来うるためである。


なお、此度の大改正に際してあらかじめ留意すべき理念上の変化について、別ソースより指摘あり;

・大陸法型の民法によれば、「既に成約済の契約は本源的に売り手/買い手の申込み/承諾が論理的に一体のものとして成立しているはず」であり、わが国も従来はこの着想に則ってきた。
・しかし英米法式の発想では、大陸法型の論理整合のみには立脚してはならず、「動的に激変しうる社会関係性」を鑑み、成約から履行までに売り手/買い手にかかる諸要件それぞれを双務の約因設定→約款化として厳密に定義しなければならない。
・そして今回の民法大改正においては、最も根本的な債権法のレベルに至るまで英米方式の約款化が実務上義務付けられることになった。

特に法律分野に関わる学生諸君は、まず民法そのものにつき、「ひとたび意義について了解」進めるためにまず基本概念/通念を知り、その上で此度の改正内容について理解と意欲を高めることが望ましかろうと察する。
そこで、以下に僕なりにまとめた此度の読書メモにては、条文の改正あるいは削除そのものの引用までは踏み込まず、基本概念/通念に係るキーワード(ヒント)を引用するに留める




<改正民法95条1項2号、2項>
・表意者の意思がその意思表示に対応していない錯誤
表意者の認識が法律行為の基礎(動機)にて真実に反する錯誤
・詐欺による意思表示
・意思表示の有効性
・意思表示の取り消し ─ 誰が?


<現民法105条の削除>
・或る「本人」の権利の「代理人」への選任(委任)
・その「代理人」が更に「復代理人」を選任
・「本人」と「代理人」と「復代理人」間の権利履行における排他的な監督責任 ─ ここに係る条文の削除


<改正民法107条>
・代理権の濫用
・無権代理(人)行為


<改正民法424条3>
・財産の債務者 ※カネの債務者とは必ずしも一致しないこと要留意
・その債務者と特定の債権者にて債権/債務の調整
・別の(元の)債権者に対する詐害行為
・詐害行為の取り消し請求


<改正民法166条1項>
・債権者による権利行使の認識時点(主観的起算点)
・その権利行使期間の「時効」
・その時効の消滅
・職業別の「短期」消滅時効の規定 ─ の削除


<改正民法151条1項>
・債権者による権利行使期間の「時効」の完成
・その時効の更新
・その完成猶予のための協議
・債権者による権利不行使


<改正民法404条>
・法定利率の変更 5%→3%
・法定利率における変動利率制導入
・法務大臣告知による短期貸付金利の基準割合/3年あたり


<改正民法412条の2>
・債務履行不能の定義化と効果
・債務履行の原始的不能における損害賠償請求


<改正民法415条2項>
・債務履行不能に対する填補賠償


<改正民法422条の2>
・債務不履行における代償物の償還請求


<改正民法541条、542条>
・債権者/債務者間の双務契約における、当該物件の危険負担
・債務履行不能の帰責事由
・債務履行不能に対する契約解除権
債権者によるその物件の危険負担の原則 ─ の削除


<改正民法424条2>
・或る財産の債務者が、或る受益者との間で財産処分
・「その財産の債権者」への詐害行為の要件化
・詐害行為の取消請求
(破産法との兼ね合い)


<改正民法424条3>
・或る財産の債務者が、或る債権者との間で債権/債務を調整
・「その財産の別の債権者」への詐害行為の要件化
・詐害行為の取消請求


<改正民法441条>
・連帯債務者の一人について生じた事由の、他の連帯債務者に対する相対的効力と絶対的効力
・その相対的効力化の原則 - 債務履行請求、免除、および時効完成にて
・絶対的効力の要件も残存
(破産法との兼ね合い)


<改正民法458条>
・連帯保証人の一人について生じた事由の、主たる債務者への相対的効力と絶対的効力


<改正民法465条の2>
・個人が保証人となる根保証契約
・極度額の定め

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以上 ─ あくまで本書の前半部に記載の改正(ないし削除)内容につき、その基本概念にかかる主要タームのみを挙げてみた。

本書では更に; 債権譲渡、証券の譲渡、相殺制限特約における意思の明示化と共有化にかかる改正を解説され、さらに、ヨリ現代的な事情をふまえつつ定型取引契約と定型約款、目的物の瑕疵と契約不適合などなどを取り上げて解説を進めている。


さて、僕なりに法分野の素人として考えること。
民法は、「いかなる権利者が」「いかなる権利者と」「いつ」「どのように」「財産の」「当該物件の」「権利を有する」「権利行使する」「合意する」「協議する」「催告する」「猶予する」「錯誤する」「詐害する」 ─ などなど、人間の権利/義務行為を根本にまで緻密に還元した上での条件分けと考証が必要な領域であろう。
しかも can/must のオプショナルな設定を熟慮しなければならぬ、よって、民法は次元やマトリクスの設定次第で明瞭ともなれば煩雑ともなりえようか。
今般紹介した本書が呈する図解について言えば、しばしば簡便に過ぎるきらいもあるが、民法の緻密さを了解の上で一瞥すれば優れたクイックリファレンスたりえよう。

2018/10/16

反抗期


或る有名な私立女子大、その付属小学校でのお話だ
この小学校で働く給食調理師に、一人の年輩の女性が居た。
もともと子供好きで、児童食における栄養バランスの熟慮はもとより、創意工夫を活かした微妙な味付け調整もなかなか巧みであり、だから調理師たちの間でも大いに信頼されていたようで。
そして当の女子児童たちはといえば、小学生とはいえ女子というのはなかなかませたもの、また社会性も高く、だから口々にこんな声が挙がる。
「うちの給食はおいしいよ。あの『給食おばさん』のおかげだよ」
へえ、そんなものかね、と教員たちが時おり試食してみれば、ああ本当だこれは美味しいなあと感嘆の声が発せられるのであった。
そういったわけで、この『給食おばさん』は実に評判よろしく、何年も何年もこの小学校の給食調理に従事し続けたのである。

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ところが世の中ってものは、そして人間ってやつはなかなか厄介な属性があり、よって様々な反応が起こり、明転もするが暗転もしてしまうもの。
どうも学校の経営層から、彼女を辞めさせるよう指示通達が発せられたようで。
客観的事由として、「彼女の職務能力は我が校の組織運営に必ずしも適合したものとはいえない」、さらにほじくり返して、「彼女の過去の経歴を総合的に勘案すれば教育現場に適合しているとはいえない」、などなど…
一方で、捕捉的事由としては、「彼女は本校の組織運営に対する誠意に欠けているふしがある」と言うが ─ ふん、何が捕捉事項なものか、要するに「あのバアさんは気に入らねえから辞めさせろ」ってこと。

負の位相に陥ったインチキ資本主義とは、こういうもの。
もっと苛烈にいえば全体主義とも社会主義とも評せようか。
経営陣の本心としては、もっと若い(従順な)美人をとっかえひっかえ次々と採用したいとの意向が ─ いやそこまではあずかり知るところではないし知りたくもないが、ともあれ、学校内外あちらこちらに指示通達がなされ、とうとうこの『給食おばさん』は職を解かれることになってしまった。

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さて、『給食おばさん』いよいよ最後の勤務となった。

彼女は淡々とした表情で調理に就いていたが ─ 本当に最後の最後に見せたささやかな意気であったろう、なんと、配膳する菓子パンの包み紙ひとつひとつに色とりどりの小さな折り鶴を貼り付けていったのである。
さあ、この折り鶴パンが各教室で待っている女子児童たちの眼前に配膳されてゆくと、皆が喜んだ、もう本当に喜んで、ワーワーキャーキャーと歓声の声。
子供ながらに彼女たちも直観していたのだ、世の中には分析のしようのない圧倒的な真理があり真実があるのだと。

だが、そこまでだった。
経営陣より発せられた冷徹な指示に従い、教員たちが教室内にずかずか立ち入って来て、女子児童たちの歓声を制しつつ、パンの折り鶴を片っ端からむしり取っていったのである。
もちろん教員たちだって人間である、痛苦の逡巡を懸命に圧し殺しつつの行動だ、そして、いまやもう泣きながら折り鶴を回収する女性教員さえ居たのだということも記しておこう。

一方で、最後の仕事を終えた『給食おばさん』は事態の進展に委細構わず、調理室を無言であとにして颯爽とこの小学校を去っていった。
去り際に、一度も振り返らなかったという。

以上で、この辛い話はおしまいだ。

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えっ?本当におしまいかって?
そんなわけがないだろう。
世の中は、人間のダイナミズムは、こんな程度で収まりがつくわけがねぇんだ。


『給食おばさん』が小学校を去っていった、その翌朝のこと。
隣接している同系列の付属女子中で、'事件'がおこった。
なんと!登校してくる女子中学生たちが、まるで示し合わせたかのように、制服の胸元に折り鶴を貼り付けて現れたのである。
示し合わせたかのように、ではない、むろん示し合わせたに決まってんだろう。
どの娘も、本当にどの娘も、みんな!みんな!


おっと、驚くのはまだ早い。
彼女たちは無言で教室に歩み入ると、自らの机に、やはり色とりどりの折り鶴を貼り付けていく。
もちろん教室だけではない。
いつの間にやら、講堂の机にも壇上の卓にも、美術室の絵画にも、音楽室のピアノにも、体育館の跳び箱にも、たくさんの折り鶴が貼り付けられてゆく…。
「何事だ?これは!?君たちは何をやっているのか!?」
仰天する教員たち、おいやめないかと叱責し、折り鶴を除去せんとするが、しかし娘たちはやめようとしない、いくら剥がされても捨てられても、無言のまま次々と折り鶴を貼りつけてゆく。


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さて教員室では。
事態と状況を把握した学校長が、経営幹部と電話を交わし、しばし何事かを口論していたかのように見えたが…やがて無言で電話を切ると、くるりと向きなおった。
そして、固唾を飲んで居並ぶ教員たちの前に歩み出ると、大声で呼びかける。
「皆さん!私は、こんなにも、こんなにもひどい朝を迎えたことはありません。女子のくせに、いったいなんという反抗的な生徒たちでしょうか! ─ さて、とりあえずですが、私は皆さんにお願いしたい。彼女たちがそこいら中に貼りつけてくれた反抗的な折り鶴どもは、『本日の風向き』を勘案しつつ、このままにしておきましょう!」

ここで、一人の女性教員が訳知り顔で、つまり微笑を浮かべつつ尋ねた。
「本日はこのままとすると、明日はどうすれば?」
すかさず学校長もほんの一瞬だけ相好を崩し、慌てて真顔に戻ったが、それでも声の弾みを抑えきれぬままに応じた。
「さあ、私なりに察するに、『明日は風向きが変わる』かもしれません!そうなると、折り鶴どもがどこに向かって飛んでゆくのか、私は本当に楽しみで ─ いや、気が気ではありませんね」

誰かが拍手した、そして次々と拍手が連なり、歓声が沸き起こり、素晴らしい情景となった。
もう経営陣もへったくれもなかった。
ふと耳を澄ませてみれば、隣接する付属女子高でも同じような、いやもっと大きな拍手と歓声が挙がっているのが聞こえてくるのだった。


おわり

2018/10/14

007考

ジェームズ・ボンドは、広く知られるとおり架空のそして究めて腕利きの、英国の諜報活動員であり、小説としてもお馴染みで、映画にてはもっと名の通ったヒーローということに「なっている」。
※ なぜ諜報部員のジェームズ・ボンドがヒーローたりうるのか、そこのところは本稿の後半で記す。

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まず着目したいことだが、ジェームズ・ボンドは'007'(俗称ダブルオーセヴン)とのコードネームを使っている。
このコードネームとは何か?
ジェームズ・ボンドという素性を明かさぬための…というより、ジェームズ・ボンドなる人物名そのものは明かしてもよいのだろうか?
創作作家のフレミングは、どう考えていたのだろう?
こういったところ、ネットでコチョコチョと調べたところで、フレミングの意向そのものが多少は分かるにせよ、この物語は実在の英国の諜報活動にもちらっと重なっているところあり、つまり主題そのものがシリアスなだけに、真相は却ってウヤムヤにされているかもしれぬ。

とりあえず想像で記す。
この'007'は、暗号における鍵のごとくおかれたナンバーかもしれない、とすると、コードネームというよりは「キーネーム」ってところか?
例えばだが、公開鍵方式の着想のごとく、ジェームズ・ボンドなる人物までは敵味方とわず皆が知っている、が、しかし007としての彼の使命まで知り尽くしているのはいわゆる「ボンドガール」のみなのよ、ふふふっ、ということなのだろうか?

数学がらみで言えば、そもそも7という数には魔性がある。
素数としてみれば、2,3,5 に次いで登場する、が、2,3,5 が和算や積算にて収まりのよい数である反面、7 はいかん、チェスでいうナイト駒のような厄介な変化を継続する。
また一方では、古代ギリシア以前から、人間が一度に覚えられる数量は7つが上限だとの見方もある。

だから、敵の陰謀団としても007という呼称を聞くたびにチラッと焦り、あれ?007って、あいつだったかなあ…?と心配し、ああそうだ、あいつだよあいつ、と思い出し…まぁ、こんなふうにヒヤヒヤさせる効果があるのかもしれぬ。

いや。
本当は、この007における'7'とは元素番号で、つまり「窒素」のことではないだろうか?
ジェームズ・ボンドがいわゆるボンドガールたちと協働してゆくうちに、硝酸やニトロ火薬のように…ドカーーーンと。
そもそも、007というこの3桁のナンバリングからして、似たような超人級のやつが少なくとも100人以上は揃っているんじゃないかと、ちょっとビビるよね?
元素だって100種類はゆうに超えているわけだし。
それでいて、ジェームズ・ボンドは007というじつに若い番号なのだから、ほとんどトップクラスの諜報部員にして、しかも若々しくて手ごわい奴、ってことにならないかな?

全然関係ないが、もしかして、ゴルフの7番アイアンに所以があったりして。
なお、トランプカード13枚においては、7はド真ん中だ。

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さて。
以降はちょっと社会科的なアプローチだ。
(そういうのが嫌いな人はもう読まなくてよいです。)

このジェームズ・ボンドの映画にて、何の篇話だか忘れたが、えーと、なんだっけ?特殊な周波数だか放射線だかによって紙幣の品質を変えてしまうという陰謀譚があった。
そのさい、「紙幣を劣化させて巨大なインフレを引き起こすのか」と尋ねるシーンがあったと記憶する。
しかしこの時に僕が考えたことは、紙幣が「使い物にならなくなる」としたら、経済社会の全体の通貨流動性が著しく鈍化し、よってインフレどころか物凄いデフレが起こりうるってこと。

このように経済論を持ち上げてみること、一応は意味がある。
ジェームズ・ボンドが所属するとされる英国の秘密情報機関、別称'MI6'は、世界の資産と所有関係の大変動を回避するためにこそ存在し「えよう」。
もっと抽象的にとぼけた言い方をすれば、価値と権利の大変動を避けるためだ。
これこそ保守主義の遂行というのなら、そのとおりだろう。
ヨリ具体的には、世界の戦争を回避し、革命を回避し、脅迫テロリズムも回避し、ともかくそういう大量無差別殺人を回避する。
それらのためならば、自身は暴力行使も認められている。
そして。
これらを実現するためには、徹底した情報収集力かつフレキシブルな資本投入力も必須に違いない。

なぜ、そこまで出来るのか ─ それは英国にそういう巨大な資本筋が厳然として存在するからで…と考えてみれば、もはや絵空事の娯楽だよでは済まされまい。

なんだ、勝手につらつらと書きやがって、おまえは'MI6'などについてちゃんと調べたのかよ ─ と言われるかもしれない。
しかしね、上に挙げた「ような」機関の能力と活動の真相をだ、どうやって「ちゃんと調べる」ってんだ?
ネットでいくらコチョコチョと検索しても、むだむだ。

じっさい、ここまで書いたほとんど全部が僕なりのロジカルな想定である。

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そういえば、近代以降の英国はスパイ能力が極めて高く、ヨーロッパが19世紀~20世紀初頭まで勢力均衡を為しえた真因は英海軍力の傑出した強さのみならず、諜報力が卓絶していたからだ、との見方がよくなされている。
じじつ、英国は日本の明治維新時(その前夜)から日本国内の情勢をずっと探っていて、江戸幕府よりも薩長の方が経済力や軍事力に勝っている由を知っていた、ともよく指摘される。
英国の情報力と諜報能力は、昨日や今日に始まったことではないのだ。


※ なお、「ゴルゴ13」というつまらない漫画がある。
なぜつまらぬかといえば、ゴルゴ13にては世界のありようを定義しておらず、だから戦争や革命などの是非の判定は一切行わないとの徹底的ニヒリズムの体現となっている。
しかもこの'13'は、7よりももっと変則的な素数であり、しかもこのコードネーム13は二桁だ、つまり似たようなやつは他にほとんどいねぇんだと主張しているような気が


以上

2018/10/06

【読書メモ】スマリヤン 記号論理学

スマリヤン 記号論理学 一般化と記号化 丸善出版』
本書を手にした理由は、久しぶりに論理学でもと書店を散策していたさいのこと、偶然手に取って中をパラリパラリと捲ってみたところ、前半部の論理パズル群がちょっと面白ろかったため。
そこで購入してざっと読み進めて見れば、後半部(特に第七章)以降がむしろ本書の主要コンテンツであり、記号論理学の入門本として体を成したものであること納得。

本書はトレーニングの書としての構成上の配慮からか(?)、用語定義や文脈展開はやや散在的で却って捕捉し難い箇所もあるが、全貌を俯瞰してみれば、紹介されている命題論理の根本的な着想はさして厄介なものではない。
『我々の前に、任意の命題ρがあるとして、これ自体では真(T)か偽(F)か判別出来ないとする。しかしここで、この命題ρを成す内訳としての(いわば変数としての)命題 k1,k2,k3 ... までを我々が観察可能であるならば、それらひとつひとつの真(T)か偽(F)と論理上の結合を見極め、命題ρそのものの「真/偽さらには恒真式」が分かる…』

本書の最重要な主題は、おそらくは恒真式(tautology)であろう、あらゆる命題を断片そして全体として恒真式で表現するにあたり、「論理結合子に応じた真/偽判定」で充足しうるとして、それでは「タブロー法表現」では? ─ このあたり、今般ここに読書メモとして(僕のような)初学者とくに学生諸君に紹介してみたいと思い立った。
※ なお、「1階述語論理」まででひとまず閉じられている本書は実は2分冊のうちの1冊にすぎず、もう1冊は同著者がヨリ理数的(技術的)に論旨を深化させた『数理論理学』と銘打って発行されている由である。

では、以僕なりに要約した簡易な読書メモを以下ざっと記す


<第7章: 任意の命題論理を成す主要な論理結合子と、命題の真/偽 

「否定(negation) "~p"」 …或る命題"p"の逆(反対)
これに則った真(T)偽(F)の組み合わせは;
p = T ならば "~p" = F
p = F ならば "~p" = T

「論理積(conjunction) "p∧q"」 …或る命題pおよびqがともに成り立つ
これから成る命題の真(T)偽(F)組み合わせと全体は;
p = T で q = T ならば "p∧q" = T
p = T で q = F ならば "p∧q" = F
p = F で q = T ならば "p∧q" = F
p = F で q = F ならば "p∧q" = F

「論理和(disjunction) "pq"」 …或る命題"p"および"q"のどちらかが成り立つ
これから成る命題の真(T)偽(F)組み合わせと全体は;
p = T で q = T ならば "pq" = T
p = T で q = F ならば "pq" = T
p = F で q = T ならば "pq" = T
p = F で q = F ならば "pq" = F

「含意(implication) "p⇒q"」 …或る命題"p"が成り立つならば命題"q"も成り立つ
これから成る命題の真(T)偽(F)組み合わせと全体は;
p = T で q = T ならば "p⇒q" = T
p = T で q = F ならば "p⇒q" = F
p = F で q = T ならば "p⇒q" = T  (qが真ならば全体としても真)
p = F で q = F ならば "p⇒q" = T  (pが偽ならばqも偽、という含意は全体としては真)

「同値(biconditional) "p≣q"」 …或る命題"p"が成り立つときにかぎり命題"q"も成り立つ
これから成る命題の真(T)偽(F)組み合わせと全体は;
p = T で q = T ならば "p≣q" = T
p = T で q = F ならば "pq" = F
p = F で q = T ならば "pq" = F  
p = F で q = F ならば "pq" = T

・論理式表現と真/偽判定
たとえば、或る命題Xが観察出来るとする。
この命題Xを成す「変数としての命題pと命題q」が (p≣(q⋀p)⇒(~p⇒q)) という論理式で表現されているとする。
この論理式にて変数命題p,qにそれぞれ真(T)偽(F)を充ててみると、2の2乗つまり4通りのケースがある。
ここでは、変数命題pが偽(F)でqが真(T)の場合のみ「命題Xとしては」偽(F)となる、つまり成立しないことがわかる。

同様に、今度は命題Yが観察できるとして、この命題Yを成す変数としての命題p,q,rが (p⋀q)≣(~p⇒r) という論理式で記されるとする。
上と同様、変数命題p,q,rにそれぞれ真(T)偽(F)を充ててみると、2の3乗つまり8通りのケースがある。
ここではp,q,r がそれぞれ T,T,T か T,T,F か F,T,F か F,F,F の場合に「命題Yとしては」真(T)となる、つまり成立することがわかる。
(※ この命題の真偽判定方法論は、たしか別著者による『パズルの国のアリス』における或る難問の解答案としても紹介されていたと記憶する。)

・恒真式
或る命題Zが観察出来るとする。
これを成す変数命題が、論理式として (p⇒q)≣(~q⇒~p) と記されているとしよう。
これで、p,qそれぞれに真(T)偽(F)を充ててみると…なんと、どのケースでもこの「命題Zとしては」必ず真(T)となってしまう(成立する)。
この論理式をとくに恒真式(tautology)と称す。
恒真式の例としては;
((p⇒q)⋀(q⇒r))⇒(p⇒r) …いわゆる三段論法の例
((~p⇒q)⋀(~p⇒~q))⇒p …いわゆる背理法の例、"~p"が偽(F)であることを導く
((p⋁q)⋀(p⇒r)⋀(q⇒r))⇒r …"p⋁q"が真であるときの場合分けによる証明

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<第8章以降: 正直者と嘘つきの命題論理>
ここから、本書の第1章など巻頭部における論理問題を、「あらためて命題論理で表現し分析」する。

<巻頭問題1.3の例>
或る島に、複数の住人A1とA2が居り、それぞれ、「正直な騎士」か、あるいは「嘘つきの悪漢」、どちらかである。
ここで、住人A1が「A1とA2はどちらも嘘つきの悪漢だ」と主張したとすると、A1とA2のどちらが正直な騎士だろうか?

まず、このA1ないしA2による何らかの言を、すべて命題ρとしよう。
また、A1が正直な騎士であるという命題論理を k1≣ρ と表現し、これが嘘である場合の命題論理を ~k1≣ρと表現する。
一方で、A2が正直な騎士であるという命題論理を k2≣ρ と表現し、これが嘘である場合の命題論理を ~k2≣ρとする。
すると、本問での住人A1による言つまり命題ρは、k1≣(~k1⋀~k2) という論理式で表現出来る。

さぁそこで、上で挙げたような真(T)/偽(F)を論理式に充当していこう。
k1が真(T)でK2が真(T)ならば、論理式k1≣(~k1⋀~k2)としては偽(F)になる、よって命題ρとして成立しない、と検証が出来、同様に、k1が真(T)でk2が偽(F)ならば命題ρは真(T)かどうか、さらに、k1が偽(F)でk2が真(T)ならばどうか…と検証を続けていく。
すると、k1が偽(F)でk2が真(T)のケースのみ命題ρとして真(T)となる、つまり成立することが分かる。
よって、k1の台詞を吐いたA1が嘘つきの悪漢であり、(ここでは何も言っていない)A2こそが正直な騎士である。

以上にて、命題ρの成立ケースのみを恒真式として表現すれば (k1≣(~k1⋀~k2))⇒(~k1⋀k2) となる。

巻頭問題1.4 についても、同様にアプローチしていく。
住人A1が 「A1とA2のうち少なくとも1人は嘘つきの悪漢だ」と言ったとしよう。
これも命題ρとし、変数命題をk1,k2として論理式 (k1≣(~k1⋁~k2)として、それぞれに真(T)/偽(F)を充当して検討すれば、k1が真(T)でありk2が偽(F)のときのみに命題ρとして真(T)になることがわかる。
このときのみの命題ρを恒真式で表現すれば(k1≣(~k1⋁~k2)⇒(~k1⋀k2)

巻頭問題1.5 では、住人A1が「自分はA2と同じ種類の人間だ」と言う。
やはりこれも命題ρとして、内訳の変数命題による論理式を記すと、k1≣(k1≣k2)となり、それぞれに真(T)/偽(F)を充てて検証してみれば、k1が真(T)であろうが偽(F)であろうがK2は真(T)となることがわかる。
このときのみの命題ρをまとめて恒真式で表せば k1≣(k1≣k2)⇒k2

(以上に抽出した設問と命題化と真(T)偽(F)充当による解説が、本書では続々とふんだんに呈されていくので、トレーニング素材として面白い。)

なお、あらゆる論理命題から恒真式を導く論理が、本書の随所に注記されているネルソン・グッドマンの定理である。

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<第11章: タブロー法による恒真式の証明、など>

或る命題Xが、複数の変数命題とそれらによる論理式から成っているとする。
タブロー法は、それら変数命題と論理式の全体に一括して真(T)/偽(F)を充当するのみならず、変数命題そのものをさらに真(T)/偽(F)に応じつつ論理分解していく
この論理分解のプロセスにては、ひとつの変数命題が論理和(または)から成っているならばさらに細かく命題を分岐させ、またそれが論理積(かつ)から成っているならば直接の帰結の命題に分け ─ こうして細かい命題に分割を続ける。
この徹底的な分解が完了したさいに、それら一つひとつの命題の間にて真(T)偽(F)の矛盾関係(共役関係)があるかないかを確認出来、仮に最初の命題Xそのものが真(T)でしかありえないと知れたら、これが恒真式であるともわかる。

(仔細は面倒なので引用省くが、本書p.87以降に実践的に記されている。)

同じ命題Xについても、変数命題と論理式の表し方によって、タブロー法による分割の仕方も変わり、ステップ数の少ない(効率的な)タブロー法分析も実現しうる。

※ 上に挙げたタブロー法はどこまで完全なのか、本書にてはp.100以降から、命題と論理の恒真性を証明するにあたって「正しい(correct)」か「完全(complete)」かを更に問い続けており、了察にあたっての難度が上がる ─ ような気がする。

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以上、あくまで本書のごく一部だが紹介してみた。

論理学については、量化問題や健全性問題はどうか、また電子素子との実装親和性はどうか、ソフトウェアプログラムとの相性はなどなど、巨大な拡張性について想像するだけでも圧倒されそうになる。
それでも、本書の主たるテーマである、論理の「峻別と単純化」のスキル探求は、法分野などでも有効な気はしている ─ ただし、知識の組み替えや着想の飛躍で出来ている分野(たとえば数学そのもの)においてはあまり有用でないこと、識者の多くが指摘するとおりであろう。

ともあれ、学生諸君などは僕の分まで(いや僕の見識など超越して)秋の夜長に大いに悩み、翌朝には颯爽と閃き、まあそんなふうに精進するがいいさ。