2023/03/29

【読書メモ】 なぜその地形は生まれたのか?

なぜその地形は生まれたのか? 松本穂高 日本実業出版社

本書は日本各地さまざまな地形の生成プロセスをカラフルにかつコンパクトに概説した一冊。
サブタイトルとして、「自然地理で読み解く日本列島80の不思議」とあり、いわゆる自然地理学の入門書として丁度よかろうと僕なりに判断し、それで此度手にとった次第。
世界的に知られたさまざま自然地理上の名所80箇所につき、もともと如何なる物質や環境条件が何を為し続けて現在の地形形成に至っているのか、それぞれ見開きページ構成において図説入り概説がなされている。

とりわけ留意すべきは、1kmベースの縮尺スケールを一貫したそれぞれの略地図であろう。
自然物と環境条件の相関概説を読みとる上で、地理上のサイズ観は地形と相まって重大であり、そしてじっさいにどれもこれも超巨大な自然の造形である。
一方では、時間スケールや時系列についての描写はやや省略的に抑えられているが、それらは地学の素養あればリファレンスはたやすい。
もとより人間にとって、自然物や自然現象は一瞬いっしゅんは物理化学上の必然事象であっても連続体としてみれば巨大な偶発の気まぐれにすぎぬが、しかし、本書掲載の名所数々におけるとてつもない完成美を眺めやれば、何もかも必然体現の永続に映ってしまうのである!

なお、これらそれぞれの図説や観光写真はそのまま現在の風光明媚な名所概説書/案内本としても楽しめるものであり、だから読者としてはページを捲るごとに旅行勘をワクワク喚起されてやまぬ。

さて此度本書を紹介するにては、とくに日本の地形生成にて最もベーシックな物理/化学ファクターであろう’マグマ’と’水’に僕なりにちらりと着目しつつ、以下にごく簡単に略記してみた。




<成層火山
火山噴火が繰り返し起こると、その度ごとにそれらの溶岩や噴出物が降り積もる。
しかもそれらは山の斜面と比べて爆発口ほど厚く積もる。
これが幾度も続く過程で、爆発中心部ほど堆積物が高く同心円状の周辺部が相対的に低い円錐形の火山が、何重にも重なっていく。
これを成層火山という。

日本における成層火山の最大例がいわゆる富士山
三大プレート~マグマ活動による爆発を繰り返してきた過去10万年以上のうちに、先小御岳火山、小御岳火山、古富士火山が次々と上部に覆い被さり続け、そして一番上に覆いかぶさっている円錐状の巨山が「現在の新富士火山」である。


<カルデラ>
地下の膨大な量のマグマが火山噴火によって放出されると、その地下は巨大な空洞となる。
そのため地表が広域に陥没、こうして出来た窪地がカルデラ窪地である。

カルデラ窪地に大雨の水が溜まると、広大なカルデラ湖となる。
やがてその水が流出してしまうと、阿蘇カルデラのような広大な平坦地を残す。

カルデラ湖の「中で」新たに噴火爆発がおこると、相応の成層火山が出来うる。
この成層火山が約8600年前と5000年前に山頂部を吹き飛ばした結果として残った部分が、十和田湖における半島状の土地である。


<水蒸気爆発>
地下マグマの上昇が地下水と反応すると、マグマ水蒸気爆発を起こすことがある。
この爆発が地面を吹き飛ばすと、円形状でしかも周囲に高みの無い広大な窪地をつくり、これがマール窪地。
マール窪地が池と化した例が、男鹿半島における一の目潟、二の目潟、三の目潟である。

成層火山の一部が水蒸気爆発によって吹き飛ばされると、半円状の巨大な爆裂火口が出来ることがあり、この例が磐梯山(会津富士)である。


<氷河>
もともと氷期においては雪が溶けきれず積もり続け、圧縮されて氷と成り、巨大な氷河を成し、山岳までを覆っている。
やがて氷期が終わると氷河が谷を流下し、その過程で側面の岩盤を削り取って砕いていく。
岩は石や土として谷底に溜まり、或いは下流へと流されていく。
これが続いて、底幅が広く両岸が急なU字型の断面形状の谷が出来る。
※ 氷河ではなく水流による削岩であれば、水の侵食が深くふかく進むため、谷はV字形状を成しているはず。

U字谷の典型例が、槍・穂高連峰における岳沢
なお上高地一帯の平地は、このU字谷とあわせて火山の土石流の土砂が堆積して成っている。

とくに稜線(尾根)近くに出来た氷河は、山の斜面をほぼ真下に侵食し続けていく。
こうして抉られた谷がカール圏谷である。
カールの例は、立山連峰にて極端に深く抉られた斜面。


<隆起準平原>
あらゆる土地は、多雨によって激しく侵食され続けると、平地と化していく。
一方では、海底の土砂による砂岩・泥岩が日本列島に付加されてきた過程で、山地を急速に隆起させてきた。
この隆起が平地をも高く押し上げると、隆起準平原を成す。

隆起準平原の端的な形成例が、高湿多雨でしかも太平洋に近接した紀伊山地、たとえば40km2の広がりをもつ大台ヶ原


<高層湿原>
高地では、低温のために植物が微生物によって分解されにくく、枯れた植物の遺骸はそのまま積もり積もって泥炭層を形成する。
泥炭層は雨水や雪解け水を保持し続けやすく、その結果として高層湿原を高次に成していく。
高層湿原にては、地下水に依存しない湿性植物こそがいわゆる高山植物として生き続けることになる。

高層湿原の例が尾瀬の湿原であり、高山植物が他種の樹木と艶やかに棲み分けうつ、多様な植物世界を成している。


<滝>
火成岩である流紋岩は水が侵食しにくい。
一方で、海底生成の堆積岩は水が侵食しやすい。
これら流紋岩と堆積岩は、土地の隆起によって複雑な地質構造を成している。
とくに高湿多雨の環境においては、これら岩石における水の侵食度の格差が川の極端な遷急点を作ることになり、よって巨大な落差の滝を形成することがある。

巨大落差の滝のうち最たるものが那智大滝

成層火山である富士山は、古富士火山噴出物の上に新富士火山溶岩流が重なった箇所地帯がある。
これら岩石のうち、後者は水を通しやすいので、地表から地中に伏流を流す。
富士山麓にある白糸の滝はこれら岩石から成っているため、川からの本流と地中からの伏流が合流、だからトータルな水量はほとんど変わらない。


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以上、本書のほんのごく一旦のみを紹介してみた。
それでも、とりわけ「マグマ」と「水」によるさまざまなそして巨大な物理効果にあらためて驚嘆させられる次第ではある。

繰り返し指摘しおくが、本書は旅行名所の案内本としても存分に楽しめる一冊であり、学生諸君などはリフレッシュの一端としてあれこれ想像巡らせつつ、日本の自然地理の絶妙な美しさを多方面から再発見こころみては如何だろうか。

2023/03/21

【読書メモ】魚は数をかぞえられるか?

 魚は数をかぞえられるか? ブライアン・バターワース    講談社

本書は、動物が(さまざま生物が)おそらくは有していると見做しうる「数的な能力」について、主だった学説や実験譚の数々に著者なりの前提をも交えて綴った学術エッセイ集。
本主題の特性上、口述も筆記も為しえない当の動物たちに成り代わって、人間側による数的能力の定義と試験観察そして解釈論までさまざま慎重なバリエーションが余儀なきもの。
それゆえ、読者としては相応の楽しさと難解さを同時に覚えずにはいられまい。

さて、本書の第1章を読みかけてみれば、最初の大前提;
・動物が認識し反応することになっている「数字」は、なんらかの複数物体から成るなんらかの集合空間におけるなんらかの具象(発生事象)の数量でありつつも、それらの物理属性判別にまでは至っていない、あくまでも「ただの基数」を指す ─ とある。

それで立ちどころに頭を過ぎった疑問点;
・動物たちによるこの「基数」の認識は先天的な必然能力か、はたまた後天的な学習能力たりうるか?
・所詮、動物の数的能力はあくまでも具象の「基数」計数に留まっているのか?或いは抽象としての数学操作も含まれうるのか?

読者としてはまずここのところ想定しまた疑義も抱きつつ、本書に挑むべきであろう。

たとえば動物の基数の認識能力が先天か後天かについては、プラトン哲学とも比較論証しつつ、具象物に触れた経験の無い動物種があくまでも先天的に数字や数学を抽象認識しうるものであろうかと、ちょっとした哲学論考も展開している。
しかし、それらさまざまな着眼上のパースペクティヴ以上に、動物脳の機能を簡素なコンピュータデバイスに例示させた本著者一流の機能論がいい。
あくまで略記に留め置かれてはいるものの、本巻通じてテクニカルな説得力も見受けられ、とりわけ僕はそこいらにさっと目を通しつつ本書を手にした次第である。

本書のテクニカルな醍醐味は、さまざまな仮説と実証試験が続々と紹介続く第2章~第9章にこそ大いに見受けられよう、ゆえに、動物(生物)の生態と脳機能などなどにひとかたらぬ関心お持ちの方々はここいらこそ大いに吟味し堪能しては如何だろうか?
だからこそ、日本語訳版の本書は図案提示がかなり少なめに抑えられている処、つくづく惜しまれる。

さて、僕などはもとより本書の論題について特段のテクニカルなインタレストは持ち合わせておらぬため、とりあえず此度の読書メモは概要案内に留めおくつもりで第1章と第10章を僕なりにひっくるめて要約略記し、以下にまとめおいた。



<基数処理システムとしての動物脳>
動物(さまざまな生物)は、数詞そのものの読み書き操作にまでは至らずとも、「基数」の計数機能と記憶機能を為す脳器官を備えている ─ はずである。
この動物の数的機能について広く一般的に受け入れられている学説として、「小さな数のシステム論」と「大きな概数のシステム論」が挙げられる。

まず小さな数のシステム論は、人間や動物が一瞬間に認識(subitise)しうるなんらかの具体物(事象)の基数が ≦4 であると前提したもの。
尤も、本当に常に一瞬間の認識を為しているかどうかはいまだ判然とはしていない。
一方で、大きな概数のシステム論は、人間や動物がなんらかの具体物(事象)の基数を対数的あるいは線形的にごく大雑把に(ブレたままで)認識し、それらを元にして足し算引き算まで実践している、というもの。
但し、対数をもとに算術演算する以上は逆対数機能をも脳内に備えていなければならず、それだけの複雑な機能/器官を動物類が本当に有しているか否か、いまだ判然としていない。


ここで本著者は、あらためて動物の脳内に「基数セレクター」および「アキュムレータ」としての機能/器官を想定し、ヨリ実践的なスタディを進めている。

まず基数の「セレクター」機能/器官は、外部におけるなんらかのさまざまな物体集合のうちから、具体物(事象)ごとに基数を排他選別する。
一方で、「アキュムレータ」機能/器官は、外部より入力されてきた「基数」データを正規化しコード化、そしてこの情報処理を随時記録可能、この処理件数を蓄積してゆき、かつ随時参照もできる。
かつ、この「アキュムレータ」機能/器官は、いわばオシレータとして連続的に搬送波のごときパルス信号を生成しており、「基数」データの入力に応じてこのパルスのゲートを開閉している。
よって、「基数」データの入力時間とコード化の総量を正比例分量として記録していることにもなる ─ つまり持続時間量をも記録。

この脳内における「アキュムレータ機能/器官」の実装量は、動物種によってかなり異なっていると想定される。
たとえば昆虫種の脳などはわずか数百万のニューロンに留まっているが、高等生物になれば操作ニューロン数はケタ違いに多く、それゆえに高等生物は数多くの「アキュムレータ機能/器官」を交信させ相乗操作が可能、よって足し算引き算以上の高度な演算も可能たりうる。

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生物種が適者生存しつつ進化してきた ─ とすれば、「基数」にかかる演算や記憶能力も相応に進化してきたはずである。
これを生物種ごとにぐっと要約すると以下のとおり。

<基数の見本合わせ(サンプル記憶)が出来る>
 無脊椎動物、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類、霊長類

<基数の足し算と引き算が出来る>
 無脊椎動物、両生類、爬虫類、鳥類、霊長類

<基数の大小が分かる>
 無脊椎動物、魚類、鳥類、哺乳類、霊長類

<基数の入力時間を元に位置ナビゲーションを計算出来る>
 無脊椎動物、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類、霊長類

<基数の数字自体を操作できる>
 鳥類、霊長類


また、基数の計数能力が果たしてきたであろう機能は生物種ごとに以下が確認されている。

<主に繁殖のため>
 無脊椎動物、魚類、両生類、爬虫類、鳥類

<主に採餌のため>
 無脊椎動物、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類、霊長類

<主に生存そのもののため>
 魚類、鳥類、哺乳類、霊長類

もちろんこれらの機能は大雑把な分類であり、実際には相互に機能しあってはいるが、生物種ごとに実証研究がところどころ不十分な領域でもある。

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以上、第1章と第10章をざっと読みぬけた限りでの、僕なりの要約略記ではある。

※ なお本書英文の原タイトルは 'Can Fish Count?' であり、本書大意に即しつつこのタイトルの主旨を斟酌すれば、「基数認識は出来ても足し算や引き算や数字活用には至っていない魚類どもの知性を我々は信頼しうるか?」といったところだろうか。
英国らしく皮肉ニュアンスの効いた一種の政治風刺とも解釈出来、なかなか面白い。

※※ 一方では、原著者による英文文面上の論理構造が元々連結的であるためか、此度の日本語訳にては接続副詞の論理構造がしばしば断片的に(不明瞭に)留まっており、これも読みづらさの一つの要因ではある。

とりわけ真意を汲み難かった日本語訳表現のひとつが、或る基数回数の’出来事’であり、この’出来事の数’が英語原文にては’existence(実在する具体物)'の意であったのか、或いは'occurence(物理運動の事象の発生)'の意であったか、どうも判然とせぬまま、僕なりの此度の投稿にさいしてはこれら両方の解釈をとった。


以上

2023/03/10

Reason To Believe


「先生こんにちは!あたしですよ。覚えていますか?」
「やあ、もちろん覚えているよ。季節がら、毎年まいとし同じように君たちが卒業と進学の挨拶に来るからね。とくに女子がね」
「ふーん、そんなもんですかね」
「そんなもんだ。なるほど君たちは容姿こそ凛として物言いは決然とはしているが、体型と仕草はアホゥドリみたいにヒョッコヒョッコのモッコモコ、そこのところが面白くもあり、楽しみでもあって、だから女子については一人ひとり覚えているんだよ。うむ、うむうむ」
「へ~ぇ、そうですか……ところで今日は『とっておきの質問』があるんですけど」
「ほぅ?どんな?」
「私たち人類は、AIロボットから逃げ切ることが出来るでしょうか?」
「あ?なんだって?我々人類が、AIから逃げ切れるかって??あっははは、我々人類はもともとAIやロボットとは競争なんかしていないし、競争するものでもない。だから愚問だ、あはははは」
「はあ??愚問でしょうか?私たち人類とAIロボットは共通点が極めて多いですよね?だからいずれ人間が不要になっちゃうんじゃないですか~?
「共通点は多いが、しかし厳然たる相違もある。そしてその相違点こそが肝要なんだ……よし、それじゃあ人間を人間たらしめている3つの重大な特性について、ざっと挙げてみよう」
「人間の3つの特性?なんですかそれは?三位一体説みたいなやつですか?」
「まあな。そんなふうに聞こえるかもしれないな。ともかくもざーっと説明しよう。まず1つめの特性は、'what'だ」
「へぇ?'what'ですか?」
「そうだ。'what' つまり、自然界のさまざまな『実体』だ。物理運動や化学反応を為し続けるモノと運動だ。万物がそうであるように、俺たち自身の肉体や脳神経もモノと運動の『実体』から成っている。だからここには'who'も含まれる。そうだろう?」
「それはまあ、そうですけど、でも、AIロボットだってモノと運動の『実体』から成っていますよね。すると、whatやwhoの『実体』としては人間もAIロボットも峻別できないってことになりますよね~」
「いいから続きを聞け。人間の2つめの特性は'how'だ」
「'how'とは?」
'how' とはすなわち、『数理』だ『論理』だ『論法』だ。要するに、数学とかアルゴリズムとか暗号とか法律とか多数決とかカネまわしなどを考案したり組み換えたりだ。ここには"when'や'where'による条件づけも含まれる。そうだろう?」
「はーん、なーるほど。でも、AIロボットだってやはりそれらの'how'を精密に論理操作できますよね。むしろAIロボットの方が数学や論理思考に優れていたり…」
「ふふん、慌てるな。いよいよ次が3つめの特性だ、これこそが人間のみの特性だ。whatでもwhoでもhowでもwhenでもwhereでも説明しきれないものだ」
「……それは、いったいなんですか…?」
『霊魂』を認識する能力だ!」
「はぁ?霊魂ですか?!」
「そうだ。そももそAIにもロボットにも『霊魂』を認識することはできない。たとえ絵画や音楽に接しても、夜空のさまざまな星座群を眺めても、AIやロボットはなんら『霊魂』を見出すことはない。だからストーリーを紡ぎ上げることが出来ず、あくまで電磁波の振動や面積速度などとしてしか感知できないんだよ。これが人間との決定的な相違点だ!」
「それじゃあ、人間が織りなすさまざまなストーリーにおける'why’は、霊魂によってこそ生じる問いかけであると…?」
「まあ、そういうことだ」
「ああ、ああ、分かりました!『霊魂』を認識出来るあたしたち人間が、『霊魂』を認識できないAIロボットに追いつかれたり追い抜かれたりすることはないと、そういうことなんですね!」
「そうだ、そのとおり。よーし君は秀才だ」
「ああ ─ そういうことなのね、はるかな過去から未来へと、あたしは『霊魂』を追いかけて、さらに担って継ぎ足していく、そうやって人生を駆け抜けていくことになるのね!」
「そうだよ ─ さあ目を凝らせ、耳を澄ませ、髪を濡らして頬を打て、朝陽の波動を横切って、光彩の内に旋風を聴け、大地の鼓動は太古のリズム、樹木の息吹は未来の譜面、しっかりやれよ!モソモソしているとモッコモコの尻を蹴り飛ばすぞ!わっははははは!」
「ひゃーーーっ、それではこれで失礼しまーーす!あっ、そうだ先生、最後のさいごに訊き忘れたんですけど、先生が言う『霊魂』とあたしが想定している『霊魂』は同じものでしょうか?」
「なんだとっ?!同じとか違うとか、君は本当に『霊魂』が分かってんのか?」
「分かったような、分からないような……ねえ先生、もしもですよ、本当はあたしが人間じゃなくてAIロボットであるとシタラ、’レイコン' ノ 'ニンシキ' ハ デキナイハズ デスヨネ、ソレデモ ’ニンシキシテイルフリ’ ヲ ツヅケルコトハ デキチャウンデスヨ……あっはははは、冗談です、そんな心配そうな顔しないでくださいよ。それではさようならっ!」



(おわり)

※ SF落語のつもり。人間寄りに拠って書いてみた。