2013/02/19

お願いだからちゃんと理解してくれよ!学生諸君!


最近は面白半分のことばかり書いているから、ああここは娯楽ブログになったのか、と笑っている学生諸君も多いかもしれない、が、違う。
いつまでも遊んでいると思わないように。

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昨年、「若い人たちに伝えたい社会科」というエッセイを記し、うむ、これは分かりやすくまとまったなあと我ながら喜んでいたら、何のことだか分かりませんという声があがった。
だから、もっと、とてつもなく単純かつ明瞭に、「人間の行為(なりわい)」について記す。
とてつもなく当たり前のことだから、ざっと書く。
既に大学生の諸君も、これから大学に進学する諸君も、絶対に理解しなければならないこと、もし理解出来そうになかったら無理矢理にでも理解しなさい。
そのうち必ず、如何に当たり前のことか分かるから。

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 <人間の(大人の)行為は、大別すると以下の3つしかない!>

① 何かをつくり、何かと交換する。
これはたとえば物理的には生産活動といい、経済学用語では市場経済活動といい、会計上や税務上は売上とか貿易ともいう。
が、要するに、「何かと何かを」複数の人間(法人や個人)同士が交換すること。
だから消費することでもある。

もちろん、交換しあう対象物は、農林水産業の産品もそうだし、工業製品もそうだし、保険や金融や福祉娯楽などのサービスもそうだ。
第一次産業も第二次産業も第三次産業も、環境も資源もインフラもITも学術も技術も情報も、全部含まれる。
人間が交換しうるもの、全部!
だから軍事力だってもちろん含まれる。

さらに、ほっといても交換される製品やサービスなどないので、法人間や個人間で交渉があり、調整や妥協があり、もちろん互いの新たな勉強や研究だって必然的におこる。
そうやって世の中全体の経済機会が増えれば、それをとりあえずカネに換算して(換算するだけだよ)、その地域や国や自治体のGDPが増えたという。
だからこそGDPが大きいと一般的に経済先進国という。

家庭や社会や学校が人間を育て、人間を保全している理由は、すべての人間が何かを提供し交換する(及び消費する)ことによって、すべての人間が賢く豊かになる、ということを皆が知っているためである。 

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② 交換する製品(財)やサービスの品質向上や改編を追求する。
これは①の生産行為を補完・強化し、かつ①でつくられた製品やサービスを補完・強化し、そして①の交換において互いのメリットを少しでも高めるために、①のあらゆる分野において、日夜勉強し、研究し、実験し、努力することによってその「精度を高め強度を高め提供効率を上げる」、そういう試行錯誤の連続である。
R&Dとかベンチマークとかクライテリアなどという用語はみなこの品質向上や品質改編への取り組みにかかるものである。

そもそも、どんな製品やサービスの品質にも上限はない ─ もちろん公共の福祉を損ねないように、とりあえずは法的に有効な保証範囲、危険範囲が設定されているが、それらは①の変化拡大とともに変わりうる。
だから、社会人全員が、何らかの過程で品質の向上と改編に必ず従事している。
そして、日本がこれまで信頼されてきたのは①もさることながらこの②において世界最高水準にあったからに他ならない。

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③ 利益を追求する。
利益とは、本来は、「①と②のためにこそ」求められ、蓄積されるべきものである。
つまり、手段であり、オプションである。

普通、利益とは具体的にはカネを指す。
カネはどこまでも論理的な存在に過ぎないが、それでも①や②における交換媒体としてカネ以上に便利なものはないので、したがい利益というと通常はカネということになる。
いかなる法人にとっても個人にとっても同じことである。

もちろん勘違いして欲しくないが、金融でも保険でも証券でも、本来はあくまで①と②のために存在している産業であり、利益のために存在しているわけではけしてない。 

さらに、政策の対象は通常このカネに絞られる。
それはカネこそが一番流通性が高い商品であり、しかもあくまで論理的な媒体だからこそ流通量も利率も総括的に調整出来るから。
つまり、政府にとって一番運営しやすい(税としても徴収しやすい)からであり、もちろんその目的は国庫を膨らませるためではなく、国民の①と②の充足をサポートするために留まる。

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これで、全部。
どんな仕事も生き様も、この①~③の行為の、どれかしかない。

むろん、上記の①と②においては、どこかで一時停止したり、何かが超過したり不足したりする。
つまり需要と供給の過不足の波であり、そこで①の個々の従事者は製品やサービスの過不足を自分の仕事に直結させて②を強化するなどして動く。

ところが、③の利益だけは、①や②がどうなろうとも、常に維持したり向上させたることが可能。
それは、①や②をただのコストとして、徐々に切り捨てていきながら、カネだけはずっと確保していればよいわけ。
だいたい、いつも利益が一定という企業は異常でしょう?①や②はいつも変動しているのに、利益のみが安定するわけがない。  

政府や金融関係者やマスコミなどは、製品やサービスの過不足を総括的に景気として捉えるので、③の議論に集中しがちである。
それが悪いといっているのではないが、①や②の実相からかけ離れているかもしれない。

一番狡猾で、かつくだらないのは、特に①の生産や交換(消費)の現場に巧妙にスリスリと割り込んできて、しかも②には何の意欲も関心すらもなく…ただ③の利益にばかり群がって、漁って、さーーっと消えていく連中である。
特に、主婦や老人や学生に近寄って、洗脳して、①や②の機会を奪いつつカネだけかっさらっていく連中が許しがたい。
…というと、なんだかナチスの演説みたいに聞こえるかもしれないが、これはナチでもユダヤでも華僑排斥でもなんでもなく、いつの時代も、そしてこれからも、どこの世界でも当たり前のことである。

以上

もうこれ以上に簡単には説明出来ない。
頼むから、学生諸君はまず①と②について「のみ」邁進するよう、そういう人間になれるよう、つとめて欲しいと切に願うばかりである。