2012/11/01

スコットランドのささやかな思い出

※「偶然」と「必然」について、分かりにくいという指摘を頂いたので、これらを個別観念ではなく物事の「捉え方;偶然としての個別事象か連続としての必然経緯か」と再定義し、少しだけ書き換えました。
 

およそ若い時分というのは、偶然と必然の区別が無い ─ というか、起こることや見聞きすることの全てが自己の 「偶然」 。
それらを極めて短期的に宿命とか誠意などといって自己をストイックに縛り付けるくせに、それでもちょっとしたことにいちいち手放しで喜んだり、と思えば今度は憤激したり、つまらないと分かっていてもどっぷり浸かり、ああこれがつまらないということなのか、なるほどなるほど、またひとつ利口になった、などと。
僕ももちろんそう(だった)。
すべては、どれもこれもが偶発的なぶっつけ本番にしか映らず、その長いながい必然的な連続プロセスとしては捉えようとしないのだから ─ なんと、実直な…。

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パースは、スコットランドの中世に繁栄した旧き首都であり、エディンバラから列車でさらに2時間ほど北上したところにある田舎街。
なぜ、どういう理由から思い立ったのか、もうさっぱりおぼえていないが、ともかくまだ大学3年生だった僕が駅からパースの市街地に降り立ったその朝は初春のうすら寒さ、確かどんよりと曇った日だったと記憶している。

ふらりと遺跡など探索しかけて、僕は 「キンヌールの丘」 のたもとに辿りついた。
川が大きくゆったりと流れていた。
その川辺に、初老の紳士、S氏が偶々散歩していた。
紳士、とはいっても、質素な濃紺の毛編みのカーディガンをさりげなく着こなし、何か饅頭(ハギスだとか称するもの)をかじりながら、そぞろ歩きの風であった。
僕はちょうどその時、腹が減っていて ─ 朝からろくなものを食べてなかった ─ だからその饅頭をひとつ1ポンドで2つくらい売ってくださいなどと申し出た記憶がある。
「美味くないぞ、こんなもの」
S氏が目を細めながら答えた。
そんなところから会話が始まり、 タダで譲ってもらった饅頭はなるほどお好み焼きとブタまんの混ぜこぜのようで美味くもなんともなかったが、ともかくも僕は軽く挨拶し日本から来た学生なのだと自己紹介した。
そうだろう日本だろう、俺には分かるんだ、君みたいな正直なやつは日本人だろうさ…などとS氏はだんだん相好を崩し、いやぁよく来たね、ここはいいところだぞ、本当のブリテンのハートへようこそ、などと語り始めた。
さらに曰く、彼は電気技師で、セールスの取りまとめの仕事もしている由であった。

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しばらく川辺でS氏と話しているうちに、彼がサッと腕を挙げて、「おい、このキンヌールの丘にのぼってみようぜ、いい景色だぞ」 と言い出し、僕が快諾するや否や彼はびっくりするほどのスピードでダーーッッと丘を駆け上がりはじめた。
とっさに、僕もすぐあとから追いかけた。
ほんの1分くらい駈けあがっただろうか、彼が振り返りながら 「君、疲れてないかね?」
「全然、平気です」 僕は少しムッとしつつ、悔し紛れに答えた。
「それなら結構」 と言い放つと、さらに彼はまたどんどん駆け上っていった。
いやもう、彼の健脚ぶりのすごいのなんの。
僕も体力には人並以上の自信はあったのだが、ハァハァと息せき切りながら追いかけていくのが精一杯で、まあそんなふうに走って、ちょっと休んで、また走って、休んでを繰り返しつつも、ようやっと丘の上に辿りついたのだった。
そこから川をあらためて見下ろすと、大きくうねりながらゆっくりと流れていたのがあらためて分かった。
「絶景だろう」 S氏が静かに言った 「俺は休日はいつも、ここへ来るんだ」
「そうですね」 肩でフゥフゥと息をしながら僕は相槌をうった。

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丘を降りると(そのときもまたS氏は駆けていったのだが)、S氏は川辺の停めてあった自分の車の前で立ち止まり、さぁ市内を案内してやろうと申し出てくれた。
いやぁ、そりゃいくらなんでも通りすがりの旅行者の分財で甘え過ぎか…ちらっと逡巡したが、でもその日は休日で、それに、俺はマネージャだから仕事しなくてもいいんだよ、さあ乗った、乗ったなどと催促されたので、好意に応じることにした。

それは業務車両で、予想通り少し乱暴にブワンと発進した。
「ここは、そもそもどういう街なのですか?」 少しがたがたと揺られる車上車上で、僕は尋ねた。
「かつてイングランドと戦った偉大な街だ」 S氏が答えた。
「でも、スコットランドの首都はエディンバラですよね?」
「エディンバラはスコットランドではない!」 S氏が敢えておどけたような大声をあげたので、僕はちょっとびっくりした。
「エディンバラはイングランドだ。あそこにはハートが無い。ビジネスだけだ」
「でも、イングランドとのビジネスがあるからスコットランドだって得があるわけでしょう?」と僕は続けて尋ねた。
「ちょっと違うな、スコットランドはビジネスでいつもイングランドのために犠牲になってきたんだ」
「どういう意味ですか?」
車は次第に街中に入っていった。
「いいか、君ね、俺のような普通(decent)の国民のいうことをよく聞くんだ」 S氏は少し声色を落とした 「スコットランドはね、日照時間がイングランドよりも短いんだぞ」
「はぁ」
「イングランドに合わせて生活させられるのは、不利なんだ、朝早く起きなければならないし、法律もイングランドに従わされるし、それに若いやつらがどんどんイングランドに流れていく」
そうすると、、どういうことになるのか、僕にはどうにも具体的なイメージが湧かず、だから黙っていた。

S氏はハンドルを握り、前方を見据えたまま、それでも妙に陽気な声で語り続けた。
「犠牲にされてきたのはビジネスだけじゃないぞ。かつてグレートブリテン帝国を軍事的に支えたのは俺たちの祖先の血だ、イングランドの奴らじゃないんだ。だから我々スコティッシュがイングランドから独立してもいいんだ、そうだろ?俺たちはスコティッシュのためのビジネスをすべきなんだ」
「それで互いに競い合うわけですね?」 と僕が尋ねた。
「互いが育つためならば、だがね」
僕はそのうちに、話しかける内容が無くなり、ほとんど黙ったままで車中からずっと街を眺め続けた。 
S氏もそこのところちゃんと斟酌してくれたのか、「どんどん本を読め、話題が増えるぞ」 などと静かに、かつ、半ばからかうように声をかけてくれたのだった。
車は質素なオフィス街や、カトリックの聖堂や学校や庭園などをすーーっと通りぬけて行った。

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「ヘイ、ジョー!」 信号待ちで停車中に、S氏がいきなり車外に向かって大声を挙げた 「万事、うまくいってるか?!」
「アーイ!」 なんだか妙なアクセントで、路上のその若い男が叫び返した。
さらに、パッチしたとかロードしたとか、なんだかそんなようなことを言いながら大声でこちらに手を振り返していた。
「あいつは、優秀なやつなんだ、大切なやつなんだよ」 S氏がつぶやくように言った 「何をやらせても、ちゃんと仕上げる、それに若い、そして今日も働いている」

いつの間にか正午を回っていた。
S氏が、昼食を一緒にどうかと声をかけてくれた。
「この街にはあまり美味いランチはないけどな、でも、腹一杯食えるぞ」
いや、もう結構です、午後に移動先がありますから、と僕は適当な嘘をついて丁重に断った。 
別れ際にS氏は、パースの駅前で僕を車から降ろし、「そこの土産物店で枕を買っていけ、良い香りのハーブの枕だ、熟睡出来るぞ、お母さんにいいお土産になる」 と言い残して去っていった。

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それから、数か月のち。
僕は日本の某電気メーカに就職が決まり、ああそうだ電気関係といえば、と、このS氏のことを思い出し、それで自分の次第について略記した手紙をしたためてS氏に郵送したのだった。

しばらくしてから返信が届いたが、それは意外なことにS氏自身からではなく、奥様からのものだった。
その手紙に曰く。
夫は電気関係の事業がだんだん低調になり、近頃は体調を崩して家に籠りがち、だから夫に代わって私があなたの将来を祝福します、日本の人たちはとても優秀だと聞いています、これからのあなたの成功を祈ります…などと優しくまとめられた内容のものであった。

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この手紙を受け取ってから。
僕はS氏のことを回想するたびに、どうまとめたらいいか分からぬまま、考え込んでしまうことがある。
この一連の顛末の意味は、いったい、なんだろう?
どうしでも分からず仕舞いで今に至るのではあるが。
しかし、ささやかな教訓くらいは、鈍感な僕でもそれなりに得たつもりではある。

すなわち。
自身にとっての個々のあらゆる「偶然」は、どこかで誰かに分かち頂いたもの。
どこかで誰かに譲り受けたもの。
そんな一つひとつの瞬時瞬時の「偶然」すらも、十や二十の「必然」プロセスに束ねて両替し、清算に充ててしまうことが…それがもしも現代の大人になるってことだとしたら。
それはけっして楽しいことでもなく、格好の良いことでもなく、ましてや ─ 哀しいことですらもない。
日々の多くを、ほとんどを、相対化して理屈もつけて、しばし道義の観念も生活信条も職業までも変えながら。
それでも、否、それでこそ本当はいつまでも返済出来ない、ひとつひとつは借りっぱなしの偶然の堆積として、今現在までの僕がここに在る。

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キンヌールの丘を駈け上り、駈け下りたあの胸一杯の真っ白な冷気、わが身をめぐった血潮のいぶき。
いまも、あの丘は。
遥か北の一画において、雲の合間のまっすぐな日射しを受けなだらかに立ち、裾野をゆるやかに曲がりくねる静かな川を黙ってたたえ、南に遠くイングランドを、さらには遥か世界を臨みつつ。
小さな刹那の真っ赤な必然を、無償だからこそ返済し得ない気高きさだめを、過去から未来へと交錯させ続けているのだろうか。

スコットランドは社会人になったのちも何度か訪れたが、パースには行かず仕舞いである。



以上