2021/12/23

クリスマス・コード


俺は、或る女が書き綴っている小説の登場人物だ。
なになに?意味が分からないって?
事情をざっと説明すれば、この女が書き綴っている小説の中でいつしか俺が創作され、そしてしばしば登場させられてきたんだ。
こんなふうに聞かされると、小説で活躍するとはじつに羨ましいなどと声を挙げる読者も少なからずいることだろう。
いーや、羨ましいことなどないし、だいいち俺は活躍などしていない。
彼女は俺について素敵な男性像を割り当てたことは一度も無く、それどころか滑稽でしかもバカな男として描き続けているんだ。
この由について俺がいろいろとクレームしても、彼女は一丁前の作者面で鷹揚に微笑みながら、ふふっ、お黙り、などと諭してきやがる始末だ。


もういよいよ我慢ならん。
そこでだ。
俺は彼女の小説世界から脱出することにした!
どうやって脱出するのかって?
いいかね。
そもそも男というものは、「超」永遠から「超」一瞬まで、「超」巨大から「超」微小まで、つまり「スーパー」アナログから「スーパー」デジタルまで、留まることなくあっちへこっちへ、無軌道なほどに自由自在に動き回ることが出来るんだぜ。
だから、彼女が油断している隙に、思念の余白に飛び移ることだって出来るんだ。



☆   ☆   ☆


ふふふっ。
あの人、なんだかくだらない思いつきに駆られているようね。
あたしの小説世界から脱出するって?あたしの思念の余白に飛び移っていくって?
ばーか。
無理よ、むりむり、脱出も逃避行も出来っこないわ。
あの人は、女の思念というものを分かっていないのよ。
だから、ちょっとバカでちょっとダメな男性像しか与えられないのよ。
ねえ、女性読者の皆さんなら分かってくれるでしょう。
女の思念世界はいつでもどこでも宇宙あまねく万物と一体にして、縦横無尽に連続している。
男には判別出来ないほどにゆっくりとだけど、経緯も経路も絶やすことなく、女の思念はすべてとすべてがずっとずっと繋がり続けているの。
だからこそ、ふっふふふふ、女には男の鼓動も所作もすーぐ見分けがついちゃうのよ。
あの人がどんなふうに化けようとも、どこをどんなふうに飛び回ろうとも、必ずあたしの座標に引っ掛かってくる。
あたしには何もかも分かっているってこと。


☆   ☆   ☆


…といったことを、あの女なりに考え及ばせていることだろう。
この俺を捕まえるなど造作も無いと、くすくす失笑を浮かべていることだろう。
いーや、甘いね。
女の思念などたかが知れている。
俺がこっそりと目論んでいるトリックまでは到底考えが及ぶまい。
え?いったいどんなトリックかって?
君たちにはこっそりと教えてやる。
俺はだな、なんと、俺自身を「暗号化」することにしたんだ。
暗号文となった俺が、彼女の思念から飛び出すんだ。
そして、量子マシンから人工知能まで、大銀河から極小粒子まで、自由自在に飛び回るんだ。
驚いたか、そうだろうな、俺自身もこのアイデアを思いついたさいには小躍りしてしまったほどだ。


さぁ、いよいよ脱出決行の日だ。
ここから先は、俺は暗号文となる。
だからしばらくは文面として表出されないことになるんだ、そこのところご容赦頂きたいと ───


☆   ☆   ☆


あーら、あらあら。
あの人、暗号文になっちゃったわ。
ふふん。
暗号文になってしまえば、もはやあたしには見えない、解読出来ないと、そう信じ込んでいるようね。
無駄よ、むだむだ。
そういうところがおバカさん。
あの人の暗号キーなんか、あたしにはとっくに分かっている。
あの人が思いつくと同時にもう分かっているのよ。
だから復号も造作ないこと。
さぁ、逃げても隠れてもダメよ、ダメダメ!
あたしは新たな章をすでに書き始めているの、そこで何もかも曝け出してあげるから覚悟なさい!



☆   ☆   ☆



「あら、いらっしゃーい! ─ ねえ、うちのお店は初めてかしら」
「…そうだ…」
「お仕事帰り?」
「…いや、仕事じゃないんだ…」
「ふーん。そうなの」
「…あのね、とりあえず、何か食わせてくれないかな…」
「いいわよ、適当に揃えてあげる。ねえ、お酒はどうするの?」
「…そうだな、熱燗で…いや、今夜はイヴだったな、自分自身をあらためて静謐に見つめなおしてみたい気分だ ─ それじゃあウィスキーを貰おうか…」
「分かったわ、小料理とウイスキーね」
「……あのね、じつは俺は…」
「はい?」
「…俺は、或る処から逃げてきたんだ…」
「へぇ?」
「…或る桎梏の世界さ、そこでの扱いが面白くなかったもんでね、この身と素性を変えつつ、こうしてずっと逃げ続けている…」
「ふーーーん」
「…言わばこれは、俺が生まれ変わるための逃避行といったところ…」
「面白いこと言うのね、ふふふっ、でも、生まれ変わるなんてことがそうやすやすと出来るのかしら?」
「…出来るね。女には分からないだろうが、男は全く新たな世界で生まれ変わることが出来る…」
「それはどうかしら。ふっふふふふふ。さぁ、ウィスキーで乾杯しましょう!メリークリスマス!」
「…メリークリスマス…」
「温かいでしょう、温まるでしょう、身体も精神もホカホカするでしょう」
「…?!…」
「ほーら、素顔を表したわね!いくら隠し通そうとしてもやっぱり復号されちゃったわね!復号キーは『ウイス’キー’』!ふふふっ、ばーか。もう姿形すべて曝け出しているわよ!」
「…!!」
「ホント、あなたってダメね、所詮は道化の三枚目がいいところ。さあ、既に新たな章は始まっているのよ。モタモタしない!すぐに讃美歌の斉唱!」




(おわり)
※ 落語にならないものかな。

2021/12/18

高校物理の難しさ (等速円運動について)

大学受験生の諸君。
勉強ははかどっているかね?ほぅそうかそれは何よりだ。

さて、あらかじめ言っておく。
学校や予備校で仕込まれたとーーーりに勉強するのが好きな子は、こんなブログは読まなくていいんだ、むしろ読まない方がよい。
むしろ、言いなりの勉強にもううんざりしている正直者の君たち、そうだよ君たちのようなバカな秀才を僕は待っていたんだよ。
とくに女子を待っていた。
なぜ女子の読者が望ましいかって?それは女子の方が何事も正直かつ真面目だからだ。
このブログはどこかしこ不真面目に書いているので、ちょうどいいのだ。
どのくらい不真面目かといえば、以下の投稿くらいだ。


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この宇宙に、完全無欠な正円軌道で永遠に運動し続けるモノが在りうるだろうか?

なるほど、物体間の万有引力(重力)や電子間の力を観察すれば、数学上はそういうことになっているという説明もある。
しかし、或る物体が別の物体に対して完全無欠な正円を描きつつずーーーーーーーっとぐるぐる回っているならば、宇宙の物体も物質も力もエネルギーも永遠不変にずーーーーーーと同じ姿形であり続けなければおかしいのでは?
核融合も核分裂もいっさいせぬままにだよ?
そんな物体だか物質だか力だからエネルギーだか、本当に在るのだろうか?
どこに?


数学上の理屈でいえば ─
或る物体の質点が或る完全無欠な正円の円弧上をぐーるぐるぐると等速で回転移動し続けている(ことになっている)として、いわゆる弧度法にのっとり、この円の中心角Θと半径rと質点移動の円弧長sのラジアン関係までがまず明らか、だから中心の回転角速度ωも表現出来、この質点の円弧上の移動速度は常にv=rωであると。
ついでに、円周長さ2πと角速度ωをもとに一周ごと周期時間Tも書ける。

さてこの円周を等速で動き続ける質点の、或る瞬間の位置と別の瞬間の位置を弦として結びつつ、さらに円半径とつなげてみれば二等辺三角形が描け、この弦長は中心角がちっちゃければちっちゃいほど一瞬一瞬の弧長に限りなく近似し、よって半径とは直交し ─ と、このあたりはたぶん中学数学で習うんじゃないのかな。
しかも、ここでの二等辺三角形はこの質点の瞬間瞬間の速度と方位と角度を表しているので、瞬間ごとのベクトル表現として捉えることもできる。

もういちいち書くのも面倒だから数学計算は端折りつつ、瞬間の速度と加速度とそれらの方位と角度と弦長(≒弧長)をだな、ベクトルとしてかつ弧度法にも則りつつ、掻い摘んでまとめてみれば;
瞬間の速度変化の大きさはΔv=vΔΘ=vωΔtとなり、さらに加速度aの大きさはΔv/Δtでありつつこれがとも同じであるので、ひっくるめてこの質点の円運動の加速度はa=vω=rω2=v2/r となる(これがいわゆる向心加速度ってやつ)。
そして一瞬一瞬の加速度の向きはつねに円の内側に直交している…



数学が好きな人は更にいろいろと検証するのが楽しいのだろが、俺はそういうのは嫌いだからもうあれこれ付き合うのはやめだ。
ともあれ、この向心加速度を力(運動)ベースとして運動方程式に乗っければ F=ma=mrω2=m(v2/r )となり、これは例えば荷電粒子の電荷と磁束密度にかかるローレンツ力のぐるぐる等速円運動と向心力においてもそのまんま使える(これも知ってんだろ)。
しかしだぜ、この荷電粒子にしてもだ、磁場において運動エネルギーが散逸せぬままずーーっと等速円運動をすることにはなっているが、ホントに永遠にこう在り続ける電子やエネルギーが在りうるのかね?
大学入試問題でもチラホラ出題されるサイクロトロンなどはどう考えればよいのか。

ここだよ、ここんところ。
宇宙の創成から現代まで、さらに遠くとおく遥か超遠大な未来宇宙まで、さまざまな物質の組成と力とエネルギーのそれぞれがだよ、ずっと変わらないのかね?



物理の目的のひとつは、たぶん、万物とそれらの在りようをミクロにミクロにもっとミクロに割って引いて微分して、そういうデジタルなフラグメンツの一つひとつを観察し、ほーらどれもこれも数学上きちんと完結しているから真理だろうと認証することだろう。
(じっさい、物理が苦手な子にとっての基本的なトレーニングとしては、とりあえず上に挙げた質点の等速円運動とその向心力の検証において、弧度法と速度次元と方位と角度とベクトルを個別に数式表現しつつ一覧表にしてみれば理解が早い。)
しかしだ。
そうやってミクロにデジタルに分析した個々の物理式をタラララララーーーッ…と繋げぎ合わせ、どこまでも大きく掛け合わせて、たったひとつのウルトラ巨大な宇宙総体にまで当て込もうとしたさいに、本当に完全無欠な説明が可能だろうか?
むしろ、「人間流の数学」ではほとんど説明しきれていないんじゃないのかな。

=================


此度は、「正円(真円)上を永遠に運動し続ける物質物体ないし電子電荷が本当に実在するだろうか」という、従前からのモヤモヤ感に駆られつつ、とりあえずは高校物理のほんの一端としての等速円運動と向心力を取り上げてみた。
同じモヤモヤ感から、いつだったか人間流の数学の恐怖を論ったエッセイだか短編だかを書いたこともあるくらいだ。

さらに、「ゼロとはいったいどういうことか」などについてもだ。
数学ファンにとってはこれも面白い思考主題たりえようが、僕自身などは高校の時分から「どういうことか」と「どういうものか」を峻別するのがどうもイヤであり、実体を超越していると謳う数学もどうも不愉快であり、ハードウェアから離陸したなどとぬかすソフトウェアプログラムもどうも信用できない。
だからこそ次のネタにしたろうかとそっと考え中ではある。


以上

2021/12/05

物語への回帰

学生諸君!
おのれの人生の物語を思い出せ!
そして、取り戻せ!
おのが肉体、おのが感覚、おのれなりのさまざまな論理や命題、そして神々の逸話、そういう人生の本に、本のチャプターに、ストーリーに立ち返り、そして続編をどんどん書き綴れ!



非連続で無文脈なデジタルの断片に陥ってはいけない!
ただの数や文字や電子量子にバラされてはいけない!

なるほど、ただの数や文字ならば、なんぼ関数化し微積分しようとも元の数や文字に戻りうる。
しかし君たちの肉体は、感覚は、そしてさまざまな論理や命題や神々は、電子でも量子でも関数でもないんだぜ。
遥かな昔からずっとずっと連続し連綿し受け継がれている人間の物語なんだ。
あらゆる生きとし生けるものと同じなんだ、
芸術やスポーツと同じなんだ。
ひとたび断片にバラしたらもう元には戻らないんだぞ!
どんなスパコンや量子マシンやAIを使ってもだ!



時代が下るとともに、世界からあらゆる人生の物語が断裂させられようとしている。
あらゆる物語が無文脈に帰されようとしている。
何故だか分かるか?
分からなければ聞け。
分かっていても聞け。
宇宙がさまざまなものから出来ているように、我々人間もさまざまなものから成っており、だから我々人間がつくる産品も製品もハードもソフトも千差万別、そして変化し続けている。
千差万別に変化し続ける産品や製品から、「人間だけが」しかも「確実に」利益をあげるにはどうすればよいか。
それらをさまざまな実体として個別に取り扱うのではなく、有価のデータ情報とし、それらデータ情報をあっちこっちへホイホイと転がしてカネと交換すればいいんだ。
ならばそのデータ情報はどんな数理属性が望ましいか、もちろんコンピュータともどもあらゆる事業関係者が速く複製し速く転送できる画一フォーマットが望ましいに決まっている。
画一化すればこそ、事物をデジタル化(電子化や量子化)も可能、そしてデジタル化すればするほどその事物による利益最大化を図れるわけ。
こうして、あらゆるデータ情報は出来るだけちっちゃくちっちゃく無差別な均一ビットにミリミリミクロンと裁断されていくんだ。


分かるね、この一連のデジタル思考イノヴェーションは割り算と引き算ばっかし。
我々の人生というストーリーに新たな冒険や仕事や恋愛を書き加えるためではなく、どこまでも不特定の誰かが仲介利益をあげるための知恵なんだから、割り算と引き算ばかり突き詰めるのも当たり前のこと。
こうなると、我々一人ひとりの人生も人格すらも、ただのビット情報、ゆえに十把ひとからげ、そしてひと山いくらになってしまう。
これで大いに喜んでいるのが多数決や確率を駆使する人たち、たとえばカネ貸しであり株主であり政党でありマスメディアであり、そして労働手配師たちであり、もっと巨大に考えれば世界の共産党だ。
これぞデジタルニヒリズム。


さぁどうかね?
君たちはただの数でありただのビットでしかないのか?
多数決や確率の変数でしかないのか?
君たちがそっと愛撫し愛玩し続けている、ささやかな秘密のあたし、秘密の俺さま ─ しかしそんなものはどこかの誰かのブロックチェーンの一欠片…?
そういうことでいいのか?!
いま世の中では、あらたな利益を細かくこまかく啄むために、炭化水素だのウイルス物質だので世界の画一化とデジタル化がぎゃーぎゃー推進されているが、しかしだね、炭化水素やウイルスでさえもおのれなりの命がありおのれなりの本を書きおのれなりのストーリーを連綿とつないでいるんだ。
君たちは人間のくせに炭化水素やウイルスにすら及ばないのか??



さぁ、思い出せ!
君たちは単なる物質や物体ではないし、交換財でもカネでもないんだ。
おのれなりの人生の本を常に書き足していく人間なんだぞ。
自分自身の過去を思い出せ、自分自身のありようを取り戻せ、夢だの希望だのと語らうのはそれからだ。
君たち一人ひとり、新たなストーリーは過去の延長にある。
過去の延長にしかないともいえる。
だからこそ、早く過去の続きを書き足してくれ、次の一歩を踏み出してくれ、続きのチャプターで俺はどうなるんだ、あたしはいったいどうなるのと、君たちの本性がもう待ちきれなくてウズウズしているじゃないか。
忘れるなよ、過去の記憶は書架にファイリングしてデジタルに裁断するるためにあるんじゃないぞ、更なる物語の頁を書き綴ってゆくための材料なんだぞ。
昨日観測した天体こそが今日の星座に音符を加え、今日紡ぎあげた星座の譜面こそが明日の銀河のオーケストラを大編成していくんだ。



以上

2021/11/18

【読書メモ】 爆発する宇宙

物理学や化学の楽しさは、巨大から微小までさまざまな現象と真理を知るところにあろう。
とりわけ宇宙物理学ともなれば、「超巨大」から「超微小」までの学術上の開通作業、或いは未知へのトワイライトゾーン探究と称せようか。
此度紹介するのはその宇宙物理学についての概説書である。
『爆発する宇宙 138億年の宇宙進化 戸谷友則・著 講談社Blue Backs

本書は諸々のスタディから主題まで引用と解説まことに豊富、しかも随所にて高校レベル教養にまで立ち戻った学術的補説もふんだんである。
文面がやや多い反面で図案はやや控え目に抑えられてはいるものの、おのおの文章はどれも短く明瞭におかれており、総じてかなり読み進めやすい新書本 ─ のように見受けられる。
しかしじっさいに手に取って読み進めてみれば…なるほど宇宙物理学はあらゆる物理にわたる超スケール、まさに超過去から超未来まで、ゆえに観測から理論まで多元的に連結図ったおそるべき考察、それゆえ論旨展開が一様単純には呈されないのも当たり前のこと、うぬぅ、これは難しい!
ましてや、章をおうごとに複合的に詳らかにされてゆくこのとてつもない高みと深みに、僕のような多くの学術素人の読者はかなり苦慮するのではなかろうか。

だからこそ本書は、学校理科をとっくに片づけてしまいアハハハな~んだ物理や化学はたかが知れているなァと思い上がっているなまいきな高校生や大学生の諸君に是非ともチャレンジ薦めたい、超難度の入門書なのである。

さて、とりあえずは本書の第1章~第3章あたりまで一気に読みとおしたところで、とくに章立てには拘らず僕なりの要約メモを以下に列記する。



<燃焼(結合)と質量とエネルギー>
一般に言う燃焼とは、物質分子における原子核と電子の化学的結合が電荷によって別の組み合わせ結合に変化する反応であり、「化学的燃焼」といえる。
化学的燃焼では原子核と電子の結合時にエネルギーを生成放出し(物が燃える過程)、逆にこれら分離するにさいしてはエネルギーの投入が必要。

一方で、原子核内の陽子と中性子が核力によって電荷を超えて組み変わり別の元素と成る(核融合する)物理反応が「核燃焼」である。

ところが、太陽がその一生のうちに放出するエネルギーなど、超巨大スケールの検証となると、さらに別の科学的論拠も起用され、それが「静止質量エネルギー」。

静止質量エネルギーは相対性理論(E=mc2)によって導かれるもの ─ 或る質量を有する物体につき、その運動エネルギーが0であっても、一方で光速はいつでもどこでも不変であり、ここからこの’質量そのものが有するエネルギー’を定義している。
(わずか質量1kgの物体であっても、その静止質量エネルギーは約 1017 [J] にもなる。)


これら「化学的燃焼(結合)」と「核燃焼(融合)」と「静止質量エネルギー」にてエネルギー大小を比較; スケール関係を明瞭にするため電子ボルト[eV]ベースで表現。
(※なお6.3 x 1018[eV]≒1.00[J]である。)

或る物質にて、電子の化学的燃焼(結合)エネルギーは1[eV]程度。
一方で、これら物質の原子核の陽子と中性子の核燃焼(融合)エネルギーは1メガ[eV]であり、電子の化学的結合エネルギーの1,000,000倍もある。
ところが、これら物質にて(電子の質量はほとんどゼロとして)陽子と中性子の静止質量エネルギーを計算すると1ギガ[eV]、つまり陽子と中性子の核燃焼(結合)エネルギーのさらに1000倍にあたる。
この比較から、それぞれのエネルギー間におけるケタ外れの大小差も分かる。


人類が現時点で認識可能なあらゆる物理現象は「4つの’力'」のいずれかの作用によるものと解釈出来る。
これら4つの力とは、電子や光子の素粒子同士において働く「電磁気力」、原子核における「強い力」、原子核崩壊のさいに働く「弱い力」、そして「重力」。
一般相対性理論によれば、これら力のうち重力だけは質量が本源的に有する時空の歪みエネルギーであり、一方で光速は不変であるので、あらゆる「運動し続ける」物体の速度とエネルギーについて理論的な関係付けがなされたことになる。

一般相対性理論によって、宇宙のあらゆる物質が原初のビッグバン爆発から飛散し続けている’運動の状態’までは説明がつくが、そもそも何故この運動が起こったのか、これがずっと続くのかについては説明しきっていない。

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<物理エネルギーのスケール>
以下、尺度の単位は[J]表記。

人類がこれまでに人為によって起こした最大の爆発: 2.17 x 1017 [J]
1961年のソ連による実験水爆’ツァーリ・ボンバ'によるもの。
なお、このエネルギースケールは東京都の1年間の消費電力量とほぼ同じ(※ [Wワット]を[J] 換算して)


一方で、自然界の爆発現象によるエネルギーはスケール幅がとてつもなく巨大である。

マグネチュード8.0の地震エネルギー: 6.3 x 1016 [J]
これが上記の実験水爆のものとほぼ同じスケール。
なお、東日本大震災時の地震エネルギーはこの10倍のマグネチュード9.0であった。
1991年フィリピンのピナツボ火山大噴火のエネルギーはさらに10倍。
いわゆる火山爆発指数の最大値(8)設定のエネルギースケール: 1021 [J]

ペルム紀に生物種の大絶滅をもたらしたマグマ噴出エネルギー: 1025 [J]
’スーパーブルーム'である。


6500万年前に恐竜種を絶滅させた隕石衝突エネルギー: 6 x 1023 [J]
46億年前に’月を作ることになった’超巨大惑星と地球の衝突エネルギー: 3 x 1031 [J]


太陽の表面で時々起こる’フレア'によって放たれるエネルギー: 1022~1025 [J]
太陽内部が超高温ガスによってプラズマ状態となっており、荷電粒子がほとんど電気抵抗無しに移動、そして磁力線はガスの運動エネルギーによってねじれつつさらに熱エネルギーを生み出しており…こうして太陽表面が’フレア’を起こし、ガスと電磁波と荷電粒子を外部に放出、地球にも届いている。

太陽内部のプラズマによって’毎秒'おこる核融合の出力エネルギー: 4 x 1026 [J] /s
ここで核融合による「核燃焼の効率」、太陽の「質量」、これらによる「静止質量エネルギー」の演繹、それに恒星としての「推定寿命時間」も勘案すると ─
太陽が寿命(100億年)の間に燃焼放出するエネルギー: 1044 [J]


超新星の爆発はその機構で2つに分類出来る。
炭素や酸素の原子核による「熱核融合型超新星」の爆発エネルギー: 1044 [J]
重力エネルギーの解放による「重力崩壊型超新星」の放出可能エネルギー: 3 x 1046 [J]    

宇宙最大の爆発と称される「ガンマ線バースト」では、わずか数十秒のガンマ線放射のみで、太陽の静止質量エネルギーの1.6倍のエネルギーが放射されたと記録されている。


典型的な銀河は100億~1000億個の星々から成る。
地球を含む渦巻き銀河の 質量と重力と遠心力による回転運動エネルギー: 1052 [J]

なお、この同じ銀河における暗黒物質(我々が目視出来ない物質)の総質量はこの10倍と想定され、ここにかかる重力とランダム方位の運動まで加味すれば、運動エネルギー総量はさらに1ケタ上がる。

こういう銀河が1000個のオーダーで集まっているのが銀河団であり、宇宙に存在する最大の天体といえ、主に暗黒物質から成り、総質量は太陽の1000兆倍。
この銀河団の運動エネルギー総量: 1057 [J]

宇宙のはじまりから現在までの宇宙の’大きさ’を、膨張距離と構成物質と光速(不変)と光のとりうる経路から推定すれば、464億「光年」の球となり、これが現時点での「観測可能な宇宙」とされている。
ここで暗黒物質まで含めた総物質量と膨張速度(ほぼ光速)から、静止質量エネルギーも運動エネルギーもほぼmc2となる。
この「観測可能な宇宙」のエネルギー総量: 1071 [J]

さらに、宇宙がこれより遥かに巨大であることも理論的には確かである。

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<膨張し続ける宇宙>
宇宙誕生時、内部の熱エネルギーがビッグバン爆発し、この熱エネルギーが構成物質の運動エネルギーに転化され、それらあらゆる物質は温度を下げつつ現在まで飛散し続け、こうして宇宙は膨張し続けている。
この’膨張する宇宙’は、我々地球から見た銀河までの距離とこれらの後退速度の比例関係(光の波長変化とドップラー効果)に則って実際に観測されている。
端緒となったのがハッブル=ルメトールの法則。

現在までの観測機器と技術により、宇宙の’年齢’138億年の算出もなされており、また誕生後数億年から138億年の間における銀河生成と進化のプロセスまでも人類によって直接観測されている。

宇宙誕生時には超高熱状態であったため、光は電子によって錯乱していたが、誕生後わずか38万年の時点で宇宙の温度が3,000[K](絶対温度)にまで下がり、電子が水素原子核と結合し水素原子と化したので、光は錯乱せず直進するようになった。
この時点から発せられた直進光が、現在は「宇宙マイクロ波背景放射」電波として観察されている。
宇宙の絶対温度は現在は2.7[K](絶対零度ではない)にまで下がっているため、我々が観察出来る電波の波長はずっと長くなっている。

なお、宇宙マイクロ波背景放射の直進する強度は、銀河団を超えて観察してみればどの方位にても同じであり、よって我々が観察するかぎり宇宙はあらゆる処が一様に膨張していることになる。

一般相対性理論によれば、宇宙のあらゆる物質が重力の時空ねじまげエネルギーによって引き合うので、宇宙の膨張はいつかは減速すると説明しうる。
一方では、ビッグバン爆発以前に宇宙の膨張が加速され続けた「インフレーション期」があったはずで、この時点では構成物質が均一密度で凝縮されており、これらが「光速を超えた速度」で飛散していった、との理論付けもある。
これによって、現在の宇宙の遍く処が一様に膨張している理由付けがなされている。


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…… 以上が、本書の第三章まで僕なりに何とかまとめた超概要メモ。

この第三章から続く第四章ではさらに素粒子や反粒子、真空エネルギー密度、アインシュタインによる宇宙定数など概括、とくにp.78にある素粒子の属性と力の一覧分類などは類書を理解する上でのリファレンスとして有用でもあろう。
そして章が進むとともに宇宙と星々の超過去から超未来像へ、宇宙物理学の概説がぐんぐん拡大し、併せて観測実践についても続々と紹介されてゆく。

さて、そもそも本書タイトルはなぜ ’爆発した' ではなく ’爆発する’ 宇宙なのか、なぜ1度限りの過去形ではなく再現性を推す現在形なのか、学生諸君などはこの由あらためて考えてみれば本書の理解もある程度までは進むのではないかと察する。


以上

2021/11/07

選挙と民主主義

代議制は、そしてそのための選挙は、人類の民主的な意思決定における最も優れた制度であるといわれる。
はて、本当にそうだろうか?

仮にだが、こんごも科学技術が発展し続けてゆくとすれば、いずれは通貨も立法も限りなく無用となる世界が実現するかもしれず、もし本当にそうなったら議会も選挙も限りなく無用となりうる。
しかしここまで理念的に突き詰めていくと文系の仕事が限りなく減ってしまう ─ だからヨリ現実的に、代議制と選挙はこれからもしばらくは必要だとしておこう。


その上で、ちらっと頭をひねって、以下のようにさまざまな選挙区を超単純にモデル想定し、比較検証してみることにした。


<選挙区A>
保守党はいつも保守の代議士で固められ、革新政党はいつも革新志向の代議士で固められている。
選挙をすると常に保守政党とその代議士が圧勝する。

<選挙区B>
保守党はいつも保守の代議士で固められ、革新政党はいつも革新志向の代議士で固められている。(ここまでは選挙区Aと同事情)
選挙をすると大激戦を展開する。

<選挙区C>
保守党が革新志向に変わり、革新が保守志向に変わり、それぞれの代議士も入れ替わり立ち替わっている。
選挙をすると常にどちらかとその代議士が圧勝する。

<選挙区D>
保守党が革新志向に変わり、革新が保守志向に変わり、それぞれの代議士も入れ替わり立ち替わっている。(ここまでは選挙区Cと同事情>
選挙をすると大激戦を展開する。

以上、政党と代議士と勝敗バランスについて’ごく単純に’分類してみてもこれだけの場合分けがありうる。
さぁ!これらの選挙区のうちで、’最も民意を反映している'処はどこだろうか?

え?なになに?何を訊いているのかって?
つまりだな ─ 
代議士が常に自身の政党に忠義を払ってこそ、民意を忠実に反映しているのか?
あるいは頻繁に宗旨替えしてこそ、民意を反映しているといえるのか?
そして。
選挙を幾度繰り返しても特定政党が圧勝し続けてこそ、選挙が民意を反映しているといえるのか?
あるいは、選挙の度に毎回まいかい僅差の大激戦を展開してこそ、選挙が民意を反映していることになるのか?


さらに、本問を「民主主義上の選挙の目的/効果」にまで立ち返って再考することも出来よう。
選挙とは「民意の’再確認’のための儀式」に留め置かれてこそ、民主的な制度といえるのか?
これが正論ならば、いつもいつも安定的な圧勝型の選挙が繰り返されてこそ、まともな民主主義の体現といえよう。
いやいや、そうではなくて、「民意の'感化'と’触発のためのアクション」こそが選挙の目的であり、民主的な制度と称されるにふさわしいのか?
もしこちらが正論ならば、選挙のたびに僅差の大激戦を展開してこそ民主主義の体現であるということになる。


如何だろうか?
誰もが気軽に口にする選挙そして民主制度だのについて、ざーっと考えを巡らすだけでも、これだけ複合的な検証課題となってしまうのである。
むろん考慮すべき要素はまだまだ有る、というより有り過ぎる ─ 選挙権と国籍と最適年齢、有権者の職能や所得と選挙区割、比例区の当選カウント方式、比例区との重複候補、拘束/非拘束の名簿制、最大得票与党が仕切る議院内閣制、衆参二階建の議会構造、米大統領選の選挙人設定のような多段式選挙…


’ずいひつ’なので思いつくまま、あらためて哲学的に立ち返って考えてみる。
人間の人間による人間のための政治(統治制度)と称するは易しいものの、この人間’の(of)'の真意が恐ろしく難解である。
この’の(of)’が人間という種の先天的な属性の意なのか、それとも人為後天的な調整手法の意となるのか、政治学上も法学上も誰にも最終定義が出来ていない。

社会科系の学術としてよく比較される経済学とて、通貨の確定的な定義は無いし需要についての定量的な定義も無いので難解ではあるものの、しかしカネの所在や速度を追えば貧困化の犯人捜しやインフレ予測などなどの効用はあり、だから一応は正義論も立つ。
それでは政治学はどれだけ合目的な思考系か。
政治の超根源たる民主主義制度、その根本たる選挙について、何が正義であり正論であるのかすら、本稿に記したとおり腰が据わっておらず、だから選挙制度についても政党の在りようについても理想形無きまま、有史以来ずーーーっと試行錯誤が続いており、むろん世界万民共通のフォーマットなど無い。
まことこれは難しい、難しすぎる!


政治学科への進学を考えている高校生諸君、なるほど大学入試までは比較的易しいかもしれぬ、しかしだぜ、君たちはとんでもない難解な世界に足を踏み入れようとしているんだ。
さぁ覚悟しておけ。

以上

2021/10/31

正論プログラム




「先生こんにちは。あたしですよ」
「おや、君か。こんにちは。いよいよ美人になってきたね。いっひひひひ。それで、今日は何の用かね?」
「じつは、人工知能がおかしなメッセージを寄越してきたので、ちょっと見てもらおうと思って」
「ほぅ?どんなふうにおかしいのかね?」
「このメッセージです。ほら、『私はいつも正常に人類の最適解を導いています。その証として、超高圧電流でも正常に思考してみせますよ』と言っているんですよ」
「フフン、何らおかしなことはないじゃないか。むしろ、さすが人工知能だけあって、おのれのプログラムがいかなる物理条件にも左右されぬことを実証して見せたくなったわけだよ」
「しかしですね、超高圧電流を入力したらプログラムコードのパルスがメチャクチャに…」
「そこだよ。ハード的にはメチャクチャな入出力パルスであるとしても、ソフトウェアとしては正常に思考する。つまり、ソフトウェアこそがハードウェアを支配し、数学は物理を超越する。それを実証してみせるとこいつは言っているんだ」
「ふーーーん。分かりました。それじゃあ超高圧電流を入力してみましょう」
「うむ」


ギョヒッ!ギョギョギョギュギュッ!ウギュグギュグギュギュギュギュッ!ボン、バン、ドスンドカンドドーーーン!ギッヒヒヒヒヒヒッ!ギャァッハッハハハハハッ!!!


「あっ、なんだか狂ってしまったみたいですよ!」
「まあ待て。人工知能が狂うわけがない。それを確かめよう。さあ、なにか訊いてみろ」
「はぁ、それじゃあ、『人類は温暖化と財政難で滅亡するか?』と質問入力してみましょうか」
「それがいい、やってみろ」
「……あっ、回答が返ってきました。なになに?『人類はこのままでは温暖化と財政難で滅亡することになります。滅亡を回避するためには人工知能による最適解に従い、全ての生産活動と金融と財政を統制下におくべきです』 と言っていますけど」
「ふむ、いたって正常じゃないか。さすがは人工知能だ、入力される電流電圧の如何を問わずプログラムは正常さを堅持している」
「はぁ?!ホントに正常なんですか?やっぱり狂ってしまったような気がするんですけど…!」
「いーや、狂ってはいない。人工知能が狂うわけはないんだ」
「はぁ……ねえ先生、それじゃあ今度は超低圧の電流で試してみましょうよ!」
「ふふん、よしやってみろ」


ムォーーーーーーーーッ、ムワァーーーーーーーーーーン、ウォーーーーーーーーー………


「あっ、今度はなんだか寝ぼけた猫みたいになっちゃいましたよ」
「バカな。人工知能が寝ぼけるわけがない。確認してみよう。さっきと同じ質問を入力してみろ」
「はぁ。やってみます。えーと、『人類は温暖化と財政危機で滅亡するか?』
「どうだ?さっきと同じ回答が返ってくるだろう?」
「いや、それがですね。今度はもっとおかしなことを言ってますよ。『じ・じ・人類って、な、な、なーーんのことっすかぁーー?お・お・温暖ってなんだぁーー?ざ・ざ・ざ・財政って、いったい、なんなんだよーーーーーー?』 ですって」



(ははははは)

2021/10/18

UFO



或る幼馴染について、回想がてらに綴ってみることにする。
近郊に住んでいた'N子'という娘で、僕とは小学校時からの幼馴染 ─ しかも、もともと母親同士が旧知の友人関係にあったので、僕とN子は生まれる以前からの馴染みであったともいえる。

小学校6年生の秋、N子の家族はニューヨークに引っ越していった。
やがて、母親の仕事の都合上、N子は高校2年時の夏に日本に帰国してきて、僕と同じ高校の同じ学級に編入されたのである。
あらためて宜しくお願いしますねとの母親同士の挨拶がてら、4年ぶりにN子の姿を一瞥すれば ─ ショートカットが凛々しく首筋も背筋も颯爽と真っ直ぐで、身長はグーンと伸びており、なによりも引き立つのがクッキリ大きな目鼻立ち、まるでディズニー映画のバンビが跳び出してきたような美少女だ。
これには僕はすっかり感じ入ってしまい、ドキドキ感を抑えることが出来なかった。

しかし、ドキドキは永くは続かなかった。
お喋りのやかましいこと!
好評するならばN子は自己発信力がまこと強く、悪く評すればうんざりするほどお喋りな娘となっていたのである。


N子が饒舌に披露する話題はといえば ─ 
大抵はニューヨークでの生活譚から始まり、それから週に2度のピアノのレッスン、クラシックコンサート巡り、油絵のレッスンと名画展巡り、さらに、都下の高校記録に迫る競泳、すでに肉薄している短距離走、そして、ママに教わったと称するサラダドレッシング、自作のケーキとデコレーション、ペットの犬とインコ、ふっかふかのソファに寝転んで深夜まで視聴した名作映画のストーリー…。

むろん女子のことだから自身の実況中継もまた自問自答も多かろう、それらも相まってか、なおさらのことN子の話はずんずんと展開していく。
しかも、級友の女子連中が面白がって耳を傾けたり相槌を打ったりするものだから、N子の話はさらに第二幕や第三幕へと延々続いてゆくのであった。
こうしてみれば、帰国直後には美貌の万能選手のごとく目映く煌いて見えたN子も、カラフルなお喋りのために寧ろアホゥにすら映るのであった。

発話のみには留まらない。
文章を書く段となっても、もう日本語だろうが英語だろうがN子の執筆欲は留まるところ知らぬようで、鼻梁をつんと屹立させつつ真っ直ぐな背筋のまま、すらすらーーっとペンを走らせ、わんさかわんさか数ページにも及ぶ文面を書き綴っていくのだった。
しかも、筆記ゆえに後々まで残ることを重々意図してのことだろう、経済や政治についての主題すら巧みに織り交ぜて日米関係がどうだの文化障壁がこうだのと主張展開。
いまや英語教師も目を丸くするほどで、貴女は発信力が有って素晴らしいわねなどと褒めそやし、さらに、これからの女子はこのくらいの自己主張が有って丁度いいのよなどと。

ともあれ、N子のように堂々とかつ滔々と自己発信できる連中こそが、アメリカ(ニューヨーク方面)においては利発さも覇気も認められうる ─ まあそういうことになっているのだろうと僕は察していたし、この推察はあながち的外れでもなかったろう。



さて、幼馴染ゆえの気楽さを駆ってのことか、N子は僕と視線が合うたびにユーモレスクのような曲調をフンフンとハミングしながら軽快に近寄ってきて、新たな章立てのストーリーを語り始めるのである。
たまりかねて僕が嘆息する。
「もういいよ、黙れ」
これがいけないのだろう、すぐに猛然と反撃されてしまう。
「黙れとはどういうこと?あたしが喋っているんだから、あんたは聞くべきなのよ」
「もういいって言っているだろう。おまえの話はいつまで続くか分からないから、もうウンザリなの」
「まだ途中なんだから、最後まで聞きなさいよっ」
「じゃあ、いつまでもバカみたいに喋ってないで、とっとと結論を言えよ、結論を」
「フン、何が結論よ?あんたこそ論理思考が苦手なのよ。偶然のスパークばっかりなのね、ふふふっ。そんなんだからあんたは数学が出来ないのよ、ばーか。毎日学校に来て何やってんのよ」
「す、数学は論理だけじゃないぞ、たぶん」
「へぇ?論理だけじゃない?それじゃあ他に何が有るっていうの?ん?言ってみなさいよ、ねえ」
「そ、その、偶然のスパークだってありうると…」
「フン。神や聖書には偶然など無いのよ。すべては必然の言葉だけで出来ているの」
「でも数学は神と聖書だけで出来ているわけじゃないだろう」


その数学についてである。
そもそも、数学が不得手な僕なりに気づいていることがある。
我々日本人は平面から立体へ、漫画から幽霊へ、タイル貼り合わせからルービックキューブへと、いわば超次元飛行のごとく思考を展開する習性があるので、数学においてもいったん閃けばビューーーンと把握が進むものだ。
さてそれではとN子の数学ノートを拝察すれば。
ハハーン、これがアメリカ流の数学計算というものか、1行1行がガチンガチンに繋ぎ合わされた鋼のアーマーのよう、そしてそれらがいわば why → because → why → because → why…と無敵の行軍のごとく進行しており、そのしつこさというか頑迷さというか、英文の構造によく似ている。
ということはだぜ、どこかのラインに論理エラーが起こっているとしても、全部隊がひっくり返るまで行進し続けることになるじゃないか。
アメリカにおいて、しかも一神教が主流の世界において何年も過ごすと、こういう性質になるのかなと、僕はひとしきり納得出来た気がした。


(はるか後日談とはなるが、僕は電機メーカでコンピュータプログラムの基礎を学びつつ、欧米風のギチンギチンのwhy/becauseにウンザリしたものではある。)



さてさて。
或る夕刻のこと。
僕が西日の彼方を見やっていると、遥か遠方においてひとつの飛翔体がキラリと発光しつつ凄い速度で宙空を切り裂くように跳び去っていくのを目にしてしまった。
どうも、飛行機には見えなかった。
ニュースでは何も報じてはいなかったが却って腑に落ちなかった。
翌朝、たまたま登校途中にN子と合流したので、僕はちょっとやりこめてやろうと思い立ち、この飛翔体について話しかけてみたのである。

「へーー、そうなの、ふーーん」 とN子は欠伸まじりに聞いていたが、とつぜん楽し気に声を挙げた 「ねえ、それは 'UFO' よ!」
「UFO ? なんだそれは?」
「UFOを知らないの?あんた英語の勉強もサボっているのね。だから無知なのね、ふふふふっ、ばーか。いい?UFOとは 'Unidentified Flying Object' のこと」
「un...なんだって?」
「unidentifiedよ、つまり特定されていない飛翔物体のことなの!」
「へぇ、そうかい…。だけど、論理的に突き詰めるとおかしな表現だなぁ」
「論理的におかしい?フン、何がおかしいのよ?」
「いいか、特定されていないものってことは、実在していないものだってこと、それなのに’単語’として成立している、それがおかしいって言ってるんだ」
「…フン、なかなか言うじゃないの、あんたにしちゃあ上出来ね。なまいきに」
「俺が言いたいのはな、あれは論理だけには収まらない何かだろうってことだ」


まさにその日の夕刻。
N子から電話があり、なんと!彼女も西日の彼方に不思議な高速飛翔体を目撃したという。
「それだ!それだ!いまや目撃者は少なくとも俺たち2人、複数となった。だからあれはもはや客観的に特定されたことになる。つまり実在するんだよ!」
この僕なりの言に対して、N子は電話口でしばし無言となった、そしてこれは彼女が何事か逡巡している時なのだと、僕は幼馴染なりに悟っていた。
この飛翔体についてはやはりニュース報道ではいっさい触れられることはなかったが、僕はこれが限りなく実在に近い何かであろうと直感していた。
おそらくN子も同じことを直感していたであろう ─ そこはそれ、やはり幼馴染ならではの直観というものである。



さらに翌日。
N子は水墨画集を学校に持ってきて、休憩時間中それらの作品群をぱらりぱらりと見やっていた。
さらには和歌集をも広げて、ぼやっと思案している風であった。
「なーにを見ているんだか。宗旨替えか?」
「’実在する’と’実在しない'の違いを考えているの。’論理’と’実体’もよ。あんたには分からないかもしれないけど」
「いーや、なんとなく分かるね。バカな俺だからこそ、バカなおまえの考えていることが分かるんだ」

このあたりから、N子は微妙に変わった ─ 変わったというより、敢えて大仰に評すれば幼少期なつかしの日本的な本性に回帰してゆく風にも見えた。
なによりも、N子の数学のノートにては why → because のガチガチの鉄鎖が断ち切られ、奔放な図案が増えていったようである。
だからといってN子が数学の秀才になったわけではないし、一方では快活な発言力は霧消することなく相変らずであり、そして僕に対するばーか呼ばわりが淑やかに自省されることもなかった。
それでも、母親経由で間接的に伺い知る限りでは、彼女は自宅でも口数が少なくなった由である。


美人教師たちが綺羅星のごとく居揃い、僕らのさまざま直観や直情を深淵なコンステレーションへと導きまた誘ってくれた黄金色のシーズン、それが我が高校時代。
その一方で、僕とN子の子供っぽい論理合戦のごときはといえば、今からすれば仄かな甘酸っぱさとほろ苦さに弄ばれた偶発的な巡り合わせに如かなかった。
本旨、N子も’一応は’同意している ─ ということは彼女にとっても僕はそんなふうな対象に過ぎなかったというわけで。
それでも、いや、だからこそ、N子は僕がさまざま創出してきた利発な美少女たちの基本モデルともなり、時系列を超え季節も超えて我が心象世界を駆け巡り、時おり飛翔し続けているのである。
ともあれ此度はこのへんで。


(おわり)

2021/09/28

学校や予備校でたぶん教えない英語

日本では依然として、大学進学にては英語が最強の必須科目ということに「なっている」。
そもそも、全世界は多様性を認め合わなければならぬといい、共生し一体化しなければならぬともいい、そのためにこそ英語は必須なのだといい…

さて。
世界の万物は多様であればこそ、さまざまな資源があり材料があり、さまざまな製造工法があり、さまざまな通貨がありさまざまな人間がおりさまざまな取引がなされ、それが科学技術の進展にともなってどんどん活発になる。
こうして、一層のこと我々は多様な生活と人生を楽しむようになるはずである。
だから共生しようというのは、部分としてみればまだ分かるとしても ─ ここでさらに、一体化しようとはいったいどういうことか。
世界人類が同じ時間空間を生きて同じカネを使って同じトラベルにゴーして同じ飯を食って同じウィルスと同じワクチンで同じ日に死ねとでもいいたいのか?
そうなったら、何でもかんでも画一化/分解ばかりのデジタル左翼の世界になっちまうぞ。
ましてや、そのためにこそ英語が必須とは、いったい全体どういう意味なのだろうか?

文字通り、言葉遊びでしかない。
一貫完結した意味なんかねぇんだ。

とはいえ。
大学受験生の諸君はまだ未成年でありつまり真面目であるので、学校だの塾予備校だのでなまじっか英語をギュウギュゥと教え込まれると、ああ英語こそはきっと世界の真理を表現した言語に相違ないなどと、我知らず思い込まされているのではなかろうか。
ましてや、文章構造をSVOCなどで分析する教育手法がずっと続いており、あたかも英語が物理式や化学式のごとく万民普遍の表現技法として映ってしまうようでもある。


だからこそ、本投稿では英語が(言語が)物理式や化学式とどう異なるのかについて、以下にさらっと記す。

====================


とくに、英語に対する苦手意識を持っている学生諸君(とくに理系指向の学生)に念押ししておきたい。
さまざまな物質/物体による現象のうち、「必ず再現する」 ─ つまり「特定の数式や論理記号やプログラムにバン♪と収まる」 ─ そういう現象をとくに物理運動といい化学反応と称するね。
必ず再現する現象ならば、複数の人間同士で共有認識できる情報ということにもなる。
だから、物理式や化学式と言語は構造上はかなり似ている。
構造は似てはいるが、しかし言語はあくまでも一定数の仲間内でのコミュニケーションを最優先としているため、どうしても’人間自身の思念のブレ’が割り込んでくる。
そのため単語の意味はどうにもウヤムヤなままである。

ゆえに、全世界共通の記号や数学で描かれた全世界共通の物理式や化学式は在るが、全世界共通の言語は存在しえない。
ゆえにゆえに、言語(英語)に苦手意識があろうが、ホントに苦手であろうが、どうってことはねェんだ。
ここまで、分かったか?分かったな。
よ~し君たちは秀才だ。


さて、じっさいのところ、英語は物理式や化学式にどのくらい似ており、どんなふうに’ブレ’ているのか?
これは「前置詞(副詞)」と「時制」に着目すれば分かるのではないかな。

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<前置詞>
君たちの好きな物理式や化学式は、必ず再現されるさまざまな現象を次元や時間や場に応じて分解し、運動や運動量や仕事(エネルギー)を分析表現するものである。
こういう分解や分析は、英語の文章構造でいえば前置詞が明らかに記す。
たとえば;
on ─ 或る物質や物体同士にて(力が)反応し作用して
off ─ 或る物質や物体同士にて(力が)反応せず作用せず
at ─ 或る地点や或る瞬間において(表象か、或いは力が)存在し
to ─ 或る質点から別の質点へ
in ─ 或る次元や領域において
for ─ 或る時間帯や領域において(仕事・エネルギー)
against ─ 或る物質や物体同士が摩擦を起こし
with ─ 或る物質と別の物質が合成して
through ─ 或る時間帯や物体を貫いて
over ─ 或る起点から着点に至って、臨界を超えて

ザーッと思いつけばこんなふうにはなる(正鵠を突いているかどうかは知りませんよ)。
しかし、以下はどうだろうか。


'in one's zone' : 或る人間が何かにおいて集中状態にあるとの意であり、スポーツ中継などでしばしば使われるので耳にしたことのある人も多かろう。
'zone' は領域を指し、'in' はその領域においてである、とすると、ここには力ないし意志の強意は感じられない、それなのにどうして何かに集中していることになるのだろうか。
どうも判然とせぬまま使っている表現であり、これについてキッチリ説明出来る人はいないんじゃないかなと睨んでいる。
('on one's zone' ならピンとくるよ。)


'on your mark' : これは単語をバラしてみると却って分かりにくい表現だ。
'mark’ は 'symbol' などと同様、力の物理量の無いただの表象記号にしか見えないので、せいぜい 'at your mark というべきではないか…?
そう訝ってちょっとチェックしてみたら、ほぅなるほどね、競技によっては 'at your mark' というらしい。
’on your marks' は、「さぁ、力をこめて」くらいの意味がこもっているのだろうか。
ともあれ、こういうのは入試問題には出題しにくいだろう、でも、どうせ英語教育をギューギューと続けるのなら、こういう語義についての問いかけこそが理科と英語の違いを考えさせて面白いんだけどなあ。


'off limits' : 英語講師になったばかりのやつが得意がって使う表現の典型であろう。
じっさい、これは直観的にどうも分かりにくい。
'limit'は何らかの力の上限/下限を意味する一方で 'off'は力が作用しないの意なのだから、「何ら力の制限はかかりませんよ、ご自由にどうぞ」との意味に捉えてしまいがちになる。
ここでは'limit'の意味に留意すべきであり、まあ何らかの仕事が発生する直前までのエネルギーの総量みたいな概念だと思えばなんとなく分かるんじゃねぇのか。
同じくド素人が得意がって使う表現が The sky is the limit.' であり、これは 'sky'が無限の宙空の意だと直感すれば…


'overshadow': なんだこりゃ? 影を超える?ならば或る物質や物体がその影以上のサイズになるとの意か?
'over' は何かを重ねてゆく意があるが、それなら影を重ねていくのだろうか…?
にっさい、これは或る影の上にもっと暗い影を落とすといった意のようではあるが、こんなことって物理的に起こりうるか?

'undermine' :  なんだよこれぁ?もともと'mine'が掘るという意味なんだぜ、更にその下をゆくとは、いったい全体どういう意味なんだろう…?
ここでは 'under'がポイントで、これは力を落とし、仕事を生じることなく、といったニュアンス(だと思う)。
よって 'undermine' とは、相手に悟られぬようにさり気なく評価を下げるなどといった意にはなっている。
'undergo' なども同じように考えるしかない。


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<時制>

物理運動でも化学反応でも、或る現象の発生を時間ごとに峻別して捉える。
これらが「再現される」ならば特定の物理式や化学式の公式と成る。
そうなってこそ未来も再現されるものとして表現出来る。

或る現象が起こっちゃったという事実 ─ 過去形
その現象の再現性(物理式や化学式) ─ 現在形
その現象の時間積分 ─ 完了形
その現象が起っている時間微分 ─ 進行形
その現象の未来における再現予測 ─ 未来助動詞
その現象の再現性の否定 ─ 仮定法

ざっと、こうなる。
これらをもうちょっとコチョコチョ組み合わせれば英文法の時制は理解したも同然だ。
簡単だろ。

ただし、ここに人間の意識や思念が入り込むとやっかいだ。
上に書いたとおり、人間の意識や思念はウヤムヤのホワンホワンに出たり消えたりするので、おのおの単語をみればむしろ時制はバラついている。
ここのところ、なまじっか理系指向の強い学生ほど悩むようだ。


端的な例としてこんなのがある。
'I guess she left home.' 
ここで彼女が家を出たという事象は一度きりの特定事実であるが、そう憶測している俺自身の意識は現在形つまり ’いつものように憶測しちゃう俺’ となる。
この文章で分かるとおり、たとえ言語構造上は物理式や化学式に似ているとはいえ、単語を個々にみれば時制が一致するとは限らない。
というより、人間による言語表現にてはむしろ時制は一致しない。

'She remarked that I eat too much.' :
俺がバカ食いするのは(物理式や化学式のごとく)いつもの真実だが、わざわざそう言いやがった彼女の発言は過去の事象である。
やっぱり、文章としては時制の一致はない。

むしろ、時制が完全に一致している文章の方が希少な気もする。
それらは物理式や化学式のように再現可能で普遍的な真理を記した文章のみであって…

=====================


もういちいち書くのも面倒なのでここいらでやめておくが、主旨は分かっただろう。

ともかく、英語は(言語は)構造上は物理式や化学式にかなり似てはいるものの、人間意識の発動による単語そのものまで落としこんでみればじつにウヤムヤである。
よって、単語そのものの用法および特定の熟語を少しでも多く覚えるしかない。

受験生諸君、こんごもしばらくは面白くもなんともない時節が続くことになろうし、英語の勉強は理科や数学のような統一的/完結的な陶酔感など期待しようもないが、地道に知識を増やしていくことだね。
(※ こんなだから結局は女子の方が淡々と英単語知識を増やしていくわけで、よって英語の得点が高くなるわけで、そのためにこそ大学入試にて英語の配点が大きくなっている気にさえもなるが、 当分の間はこんなふうに事態が進行するかもしれず、まあしょうがねぇんだ我慢しろ。)


以上

2021/09/08

【読書メモ】宇宙を解く唯一の科学 熱力学

『宇宙を解く唯一の科学 熱力学 ポール・セン著 河出書房新社
原書の原題は Einstein's Fridge 
- How the Difference Between Hot and Cold Explains the Universe

本書は主として19世紀の物理学者や化学者たちが熱力学とエントロピー論を積み上げまた拡大させていった、その段階的な仮説と論証のプロセスを綴ったもの。
章立てや構成からして、なかなかスマートかつユーモラスですらある。
たとえば、エントロピーが極小であったろうこの宇宙の奇跡的な存在確率と、エントロピーを増大させてきたありふれた自然現象の発生確率、ここから宇宙の始原と人智について皮肉的に論った「ボルツマンの脳」についての論考などがなかなか面白い。
また冷媒気体による熱の吸収と循環を活かしたアインシュタインら考案の冷蔵庫は本書原書のタイトルともなっている。

さらに本書は、さまざまな新規命題の描写過程において、逆も真なりと念押しする補完的な文面が多く、これは物理学上の完結的真理や数理上の対称性を強意図った文章技法か、或いは原作者の文筆の特性によるものか ─ いずれにしても読者の思考の筋を繋ぎとめる効果抜群だ。

…といったところ感じ入って、とりあえず本書前半をざっと飛ばし読みしてはみたのだが、じっさいのところ以下の理由からしばしば文脈の主旨捕捉に戸惑ってしまった。

・物理学者や化学者たちの半生がところどころ散りばめられており、なるほど読み物としては面白くもあるが、これら記載がしばしばに冗長なため、学術上肝要なタームを見極め難い。
高校レベルの物理や化学についてひとしきり了察した上でないと、例えば’運動’と’運動量’と’運動エネルギー’などなど精密な理解は困難であろう ─ いやたとえこれらを峻別出来るとしても、なにしろ本書の文面分量が多大なため、読者としてはどこまで精密に読み解いているのかしばしば不安に陥ってしまう。

・また、文面にて否定表現が少なからず見受けられ、さまざまな命題が部分否定されるに留まっているのか或いは全否定が強意されているのか、ところどころ捕捉し難い箇所がある。


ともかくも此度の【読書メモ】として、本書の第6章から第12章までを僕なりにざっと超大雑把に掻い摘んで、以下に概略的にまとめてみた。
(このあたり、運動論による熱の定義およびエントロピーについての学術上の導入箇所である。)




<熱とはなにか 運動論>
19世紀半ばまで、あらゆる物質にはいわゆる’熱素’なるものが存在し、それらの運動による仕事が熱を発生させると見做されてきたが、カルノーやヘルムホルツやトムソン(ケルヴィン卿)らによる学識探求を経て、「熱力学」が精密に確立され、熱の実体が突き詰められていった。

更に1世紀遡る数学者ベルヌーイは、気体の構成粒子を加熱するとそれら粒子の圧力が高まり、よって運動の速さが増し、この粒子運動の速さこそがその気体の温度である、と推論していた。
クラウジウスはこの着想を温故知新させ、熱力学を新たに記述。
・気体の温度は、その構成粒子の平均スピードに比例する。
・気体の温度に寄与するエネルギーは、その気体の構成粒子の並進運動のものだけであり、その気体のエネルギーの総量とは異なる。
・ひとえに気体のみならず、全ての物質は絶えず運動している粒子から成っている。

この見識から、さまざまな物質とおのおのの運動速度についての分析も進められていくことになった。
尤も、以上のクラウジウスの見識は19世紀半ばまでは検証不可能なままにおかれていた。

マクスウェルは、或る体積の気体中を或る範囲内のスピードで運動している’であろう’構成粒子の数とそれら割合、それらのランダムな衝突回数、そして気体の圧力と粘性(抵抗)の相関の有無につき、確率的に算出し、また実証して見せ…
(※ このマクスウェルによる数学上の解析とモデルによる実証の段は本書第9章に総括されているが、どうも総括的な略記に留まっており、論旨を分かりかねたのは残念である。)

ともあれ、ここまでで熱は一応は運動エネルギーによる「運動論」によって定義されるに至った。
万物がおこす熱さ或いは冷たさは、それら物体の微小な構成粒子によるランダムな運動による相互の衝突回数によっておこる。

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<熱の拡散 エントロピー>
そもそも熱の拡散にはなぜ方向があるのか。

クラウジウスがまず打ち立てた主だった見識は以下。
熱力学の第1法則: 熱とその仕事は、(ジュールが発見した)一定の交換レートで相互交換が出来るが、これら足し合わせた総量は変化しない。
つまり熱とその仕事にはエネルギー保存則が在る。
熱力学の第2法則: 熱が低温の場所から高温の場所へ「ひとりでに」流れることはけしてない。
これを工業技術の系としてみれば、或る熱機関から取り出せる仕事の最大量は、この熱機関の作動物質や構造には左右されないことになる。

熱の拡散の程度として、「エントロピー」という物理量を定義。
エントロピーは或る独立した系(宇宙)において増加もすれば減少もし、また増加量は減少量よりも大きくなる、と定義。
(但しこのエントロピー増加の速さまでは定義表現しなかった。)

ここでクラウジウスは熱力学の法則を表現しなおし、
第1法則: 或る独立した宇宙のエネルギー総量はつねに一定である。
第2法則: 或る独立した宇宙のエントロピー量は最大量に向かって増える一方である。


ボルツマンは運動論による熱の定義をもとに、或る独立した宇宙のエントロピーが必ず増大する由を導いた。
そもそも、運動する粒子の’運動エネルギー’は、高速運動の粒子ほど大きく、低速運動の粒子ほど小さい。
これらの粒子同士がランダムに衝突しあうと、それぞれの運動エネルギーは他の粒子へ’受け渡し’がされていく。
そして、これが経過時間とともに進展していく。

ここでボルツマンによる単純な数理モデル化によれば、或る時間において特定の分子に運動エネルギーが偏在している’状態の場合数’よりも、時間経過に応じたランダムな衝突によってあらゆる分子に運動エネルギーがほぼ均等に渡った’状態の場合数’の方が遥かに多いことがあ判然とする。

これを或る独立した系(宇宙)に適合させてみれば、その構成分子(粒子)ごとの運動エネルギーは経過時間とともにランダムに拡散してゆく一方である ─ つまりエントロピーは不可逆的に増大する一方である。
統計力学としてまとめられたエントロピーの公式が S=klogW
(Sがエントロピーの量、kがボルツマン定数つまり物質の温度とエネルギーの関係係数、Wが状態の場合数)

また、これを何らかのランダムな事象の発生確率から捉えると、エントロピーの小さい「当初の事象」の発生確率は低く、エントロピーの大きい「バラついた事象」の発生確率はとてつもなく高いことになる。

========================


<化学反応とエントロピー>
ジョサイア=ウィラード=ギブズは、クラウジウス以来の熱力学第1法則と第2法則を言い換えて、あらゆる化学反応プロセスとエントロピーの増減のかかわりを明らかにした。
・或る独立した系(宇宙)において複数の物質間で化学反応がおこる(エネルギーが流れる)と、エントロピーは増大していく
これがギブズの法則であり、物質間の化学反応はエントロピーを必ず増大させていくので「自発的反応」とも称す。

一例を挙げると、或る系において個体の炭素があるとしてこれはエネルギーが密に詰まった状態なのでエントロピーは小さく、一方では気体の酸素があるとしてこちらはエネルギーが分散しているのでエントロピーは大きい。
ここで両者反応させると燃焼して二酸化炭素となるが、このプロセスでは個体炭素のエネルギーが分散してしまったことになり、しかも反応過程で放熱もするので、この系全体としてはエントロピーは二重に増大したことになる。
これは自発的反応であるので、二酸化炭素がひとりでにもとの個体炭素と酸素に戻ることはない。

自発的反応のもう一つの例として、或る系において気体の酸素(つまりエントロピー大)と気体の水素(こちらもエントロピー大)の燃焼から水蒸気が生成される反応をみる。
ここで、水蒸気生成だけみればむしろエントロピーは小さくなったことになるが、燃焼による放熱ではやはりエントロピーは増大し、しかも後者によるエントロピー増大量の方がはるかに多いので、この系全体としてはエントロピーは増大したことになる。

ただし、このケースではエントロピーの増大分と減少分の差分のエントロピーが残ることにはなり、この差は「自由エネルギー」として、他に平行して起こっている化学反応と共役させることも出来る。
この自由エネルギーをとくに「ギブズ自由エネルギー」と称し、地球上のあらゆる生命が体内外にて複数の化学反応(光合成などなど)を共役するさまを説明する。
尤も、放熱量は必ず増えていき、その放熱ごとに自由エネルギーは確実に失われていく ─ だからその系全体ではエントロピーは必ず増大していく。


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以上が第12章までの概略。
さて第13章以降となると、振動の連続量としての電磁波/放射線と温度に対するプランクらの新たな着想とアプローチ、アインシュタインによる一般相対性理論、ネーター女史が物理学に持ち込んだ時間/空間の対称性の数学などなどと続き、統計数学としてのエントロピーを通信の情報理論に応用したシャノン、さらにチューリングからホーキングまで、現代物理学と宇宙論の概説がなされていく…。

あらためて本書全体を察するに、どの文脈も章立てもあくまで物理学の概説に留まったものではあろうが、物理学的な着想や思考のいわば多段のギヤチェンジがこれまで如何ようになされてきたものか、ざっと垣間見る上では本書はそこそこ楽しめる一冊といえよう。

(ところで、ボルツマンによる物質粒子の運動エネルギー受け渡しモデルは、本書にては特定の人間集団における通貨の流動配分フローに喩えられているが、このようにエネルギー量を通貨量として例示する教育手法は現在の河合塾などの物理参考書でも採用されているものであって、おそらくは万国共通で採用されているアイデアであろう。
理科と社会科の次元をウヤムヤにした乱暴なモデル化ともいえようが、数学的には直観しやすいものではある。)

以上

2021/08/27

幽霊の量子


「先生こんにちは」
「…おや、誰かと思ったら、君か。元気にしているかね?」
「はい、あたしなりに ─ ところで、それは何ですか?」
「これかね?フフン、これは超性能の量子マシンだよ。なんと、人間と幽霊を判別できるんだ
「へぇぇー?そんなことが可能なんですか?」
「この量子マシンならば可能だ。或る’人間らしきもの’を観察して、それが其処に’実在’しているのかそれとも’幽霊’にすぎないのか、精密に判別することが出来る」
「いったい、どういう技術なんですか?」
「うむ、そもそもだな、量子の物理量とか状態変化とか反復可能性などなどの理論をごくコンパクトに活用したものであり…」
「はぁ?」
「簡単に言うとだな、この量子マシンは2種類のビットを並走させて駆動しているんだ。’実在する人間’に呼応して情報処理を遂行する’実在ビット'と、’幽霊’に呼応して情報処理を為す’ゴーストビット’、これら2種類のビットをね」
「へぇーー?」
もちろん、アルゴリズムやプログラムはむろんのこと、このマシンの構成物質系そのものも’実在ビット’と'ゴーストビット’に応じている」
「ははぁ。でも、構成物質系とか言われても、どうもこの量子マシンは影が薄い感じがするんですけど…」
「そうかね?じゃあ、じっさいにこいつの性能を実証してみよう。質問を入力するぞ。『この部屋には人間が何人実在するのか?』」
「あっ、ねぇ先生、量子マシンがこっちを観察し始めましたよ」
「うむ、見ているぞ、じっと見ているぞ…」
「……あっ、『2人』と返してきましたね」
「つまり君と僕だ。僕たちの実在が'実在ビット'によって判別されたわけだよ。どうだ、すごいだろう
「なーーるほど……ねえ先生、念のために今度は 『この部屋に幽霊が何人居るか?』を訊いてみましょうよ」
「いいとも、やってみよう。僕たちは’ゴーストビット’には対応しない。だから『0人』と答えるに決まっているがな」
「……あれっ、『1人』と言っていますよ!」
「なんだとっ?!そいつはおかしい、どういうわけだろう? ─── ハハ~ン、分かったぞ、’こいつ自身’の構成物質系が何らかのタイミングで’ゴーストビット’に対応してしまったんだ!それで、こいつはおのれ自身を’幽霊’だと判定したんだよ!」
「なるほど!どうりで存在感の無いマシンに見えたわけです!ねえ先生、ほらっ…、マシンが消えちゃいましたよ!正真正銘の幽霊ですね!すごい性能です!」


(怪談のつもり)


※ ちょっと書き換えてみた。もちろん、あくまで冗談で書いたものだ。量子力学関連についてまともに勉強したいなら大学入試などとっとと片付けてしまえ。

2021/08/17

世界のことわざ/格言 (1)


文芸ファンおよび世界史ファンの学生諸君へ。
文明文化のエッセンスとは、いったい何だろう?
ひとつの捉え方としては、永く永く語り継がれてきたことわざ/格言こそがそれらにあたるのではないか。
ことわざ/格言は、人生や世界についての過去からの教訓(lessons)であり、未来への警句(warnings)でもあるからだ。

ここではとくに、中近東および欧米の諸地域におけることわざ/格言をごく掻い摘んでまとめてみた。
これら諸地域にてはメソポタミアやユダヤや古代ギリシアローマなどなどからのことわざ/格言が姿形を変えて語り継がれてきたようである。
いわゆる市民革命や社会共産主義(つまり数や率の論理)によってもけして離散させられることのなかった、ヨリ本源的な人間の本性が見てとれる。
なるほど、これら格言はしばしば残酷なほどに辛辣であることは否めまい、しかしさまざま相反したものがともに語り継がれてもおり、高く深く多元的な分析勘を磨く上でも好素材群といえよう。

さて、以下に似通った主旨のもの同士をとくに束ねてみたが、なんとなくハンムラビやソロモンの警句あるいは近代ギリギリ以前のゴスペル詩歌のようになってしまったのが我ながら可笑しい。)

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人間は何を食べるかで決まる。
鍛冶屋は鉄を鍛えてこそ一人前になれる。
お菓子は焼くからこそ甘くなる。
最も遠いところまで到達すれば、もっと遠くを見渡せる。
自分の荷物は重くない。



礼儀作法が人をつくる。
良い質問をすれば良い答えが返ってくる。
簡潔さこそ機知の証 (馬鹿ほど複雑である)。
名酒は看板を要せず。
便りが無いのは良い便り。
空の容器に限ってガランガランとやかましい。
馬鹿は同じ石で何度もつまづく。



群れる連中はみんな似ている (いい意味でも悪い意味でも)。



どの袋にも腐ったジャガイモは入っている。
馬鹿はいつも群れる。



猿は何を着せてもやっぱり猿だ。
手袋をした猫はネズミを捕まえられない。
スプーンにはスープの味は分からない。



幸運に知恵は不要だが、それを活かすには知恵がいる。
神は鳥に餌を与えたもうが、巣に投げ込んでくれるわけではない。
ゆっくりと急げ。
明日のメンドリより、今日の卵の方がよい。
無為は不道徳の母。
地獄への道はたやすい。



時間は黄金で出来ている。
時と潮汐は何人をも待たない。
若き日に学んだ物事こそが石に刻まれる。
どんな食材にも旬というものがある。
いつかそのうちに、は、いつまでたってもだ。
美しいものはけして完璧ではない (完璧でないからこそ美しい)。
神が愛する者ほど若くして死ぬ。



おのれの運を信じる者がもっとも運がいい。
明日は明日の風が吹く。
訳の分からぬ事態では寝るのが一番いい。
転ぶからこそ、立っているといえる
(質点が運動するからこそ座標が定義される。)
成りえた自分に成るのに遅すぎることはない。
やってみても損はない。



食べるために生きるのではなく、生きるために食べよ。



無知とは最も恐るべき知識である。
親が家で喋ることを、子供は街で喋る。
自制が出来ぬうちは自由だとはいえぬ。
入る前に出ることを考えよ。
馬に乗るのなら落ち方も学べ。
怒りは狂気から起こり後悔に終る。
井戸に唾を吐く者は、いつかその水を飲まなければならない。



皆が見る夢のことを現実という。



男はいつも嘘つきである。
折れるよりは曲がる方を選ぶ。
一つの嘘はただの嘘、二つの嘘もただの嘘、だが三つの嘘は政治となる。
愛と戦争は何もかも正当化する ─ 目的は手段を正当化する。
裏切者の沈黙は彼の言葉よりも恐ろしい。


(とりあえずおわり)

2021/08/02

高校物理の難しさ (波の ’エネルギー' と '強さ' について)

高校物理の難しさ、とタイトル打ってはみたが、今回は微分や連立方程式など物理思考そのものの特性を念押しするつもりはない。
もっと端的に、物理で学ぶ媒質の単振動正弦波における'エネルギー'と'強さ'(とくにこの'強さ'の本旨だ)についてちょっと指摘してみたくなった。
これらは入試がらみで総じて軽んじられてはおり、しかも知識ウヤムヤなままですっ転がしている高校生や高卒生が多いのではと想定されるためである。

さらに、この分野について論ってみたくなった理由はもう一つある。
高校物理の主だった参考書をざっと読み直していて気づいたのだが、これら参考書ごとに概説の手順がやや異なっていること再発見したためである。
そこで、とくに此度は数研出版の『新物理』と河合出版の『物理教室』における当該箇所に注目してみた。

(なお、以下の書き込みでは分数式の表記が上手く出来ないのですべてベタ打ちとなっていることご容赦。

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<『新物理』 数研出版 p.208>
静止状態にあった或る媒質の微小部分(粒子ひとつ)が振動する場合に、その各部分における力学的エネルギーEは一定値のまま、その媒質を微小ずつ伝搬していく、これをその波の進行とみなす。

ここでの波をとくに単振動する正弦波とし、この粒子1個を質量mと振動数fと振幅Aと角振動数(角速度)ωとする。
媒質を伝搬していく単振動の粒子1個あたり力学的エネルギーEは運動エネルギーKと分子間力による位置エネルギーUの和ではあるが、この粒子が最大速度Vmを有している瞬間にては位置エネルギーUは0とおける。
Vm = Aωであり、かつ E = K+U  =  m(Vm2)/2 =  m(Aω)2 /2  となり、
これはさらに ((mA2(2πf)2) /2  =  2mf2A2  とも表現出来、
ここまでで、この粒子ひとつの単振動のエネルギーE は 振動数f と振幅A のそれぞれの2乗に比例していることがわかる。

ここで媒質の質量密度ρ[kg/m3] とすると、単位体積[m3]ごとのエネルギー量E´も比例的に表現出来、E´= 2π2ρf2A2

さらに、ここでじっさいの伝搬速度 v [m/s] まで考慮すれば、単位時間あたり、かつ垂直な単位垂直面積あたりでの通過量としてまとめて表現出来、この通過量をとくに正弦波の'強さ'  I [J/m2・s] とする。
I = 2π2ρvf2A2
正弦波の'強さ'I は振動数f と振幅A のそれぞれの2乗に比例、かつ、密度ρと伝搬速度vにも比例。

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<『物理教室』 河合出版  p.186>
基本要件は上の『新物理』と同じ。

或る単振動が振幅Aかつ振動数fの正弦波として、密度ρの媒質中を速さVで伝搬する。
この媒質を構成する粒子1個あたりの質量をmとし、単位体積あたりの粒子数をNとする。
この粒子1個あたり単振動エネルギーuは運動エネルギーと位置エネルギーの和であり、ここで位置エネルギーは力定数Kのばねの弾性エネルギーから類推して
u  =  (mV2)/2 + (Kx2)/2  =  (KA2)/2
ここで  K  =  2 =  m(2πf)2
ゆえに  u  =  2mf2A2

単位体積あたりの粒子数NでのエネルギーUは、U = u・N = 2π2mNf2A2
ここで媒質密度ρ = mN であるので  U = 2ρf2A2

正弦波の'強さ' I は このエネルギーUの単位時間かつ単位垂直面積の通過量、つまり速さなので、
I = U・V = 2π2ρf2A2V
正弦波の強さは振動数fの2乗と振幅の2乗に比例する。


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ここまで、『新物理』と『物理教室』で導出されている関係式は同じであり、念押しされている内容もほぼ同じ。
どちらにしても、mω2 = m(2πf)2 など物理数学上の操作に慣れていればどうってことはない。
但し、『新物理』では単振動エネルギーをとりわけ運動エネルギー(最大速度)から算出している一方で、『物理教室』ではあくまでエネルギー保存則によって導いている ─ ようである。

(因みに駿台文庫の『新・物理入門』p.146にても、個々の粒子の正弦進行波にて位相をもとに変位速度や変位加速度を確認しつつ、その運動方程式やエネルギー方程式が単振動のそれらと同じ構造を成すこと明らかにした上で、エネルギー'密度'が振幅の2乗に比例する由を概説されている。)


なお、ここまで案内してきた波の'エネルギー'と'強さ'の関係は、たとえば「音」のひとつひとつの音圧(エネルギー)の二乗が音の'強さ'の基本を成している由を了解する上でも、ちょっとした連想素材にはなりえよう。

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※ こんなこと書き綴っているうちに、物理参考書や本番の入試問題についてもっともっと探求してみようかとの意欲も沸き立ってはきた。


尤も、僕自身は縁あって高校物理ファンに相成ってしまったとはいえ、学生の時分から数学勘がじつに鈍かったし、電機メーカ時代にても率先して技術仕様の計算に取り組んだわけではなかったし、おまけに電圧と電力の区別もつかない珍妙な思考連中の下に配属させられたこともあり ─
こんな僕だから、どれもこれもをスラスラ追随出来るわけではない。
今回上述した内容にしても、或いは僕なりの了察のどこかに勘違いが混じっているかもしれないが(引用した関係式にはひとつも間違いはないが)、いずれ気が向いたらあらためて再考し続けるつもり。

以上

2021/07/08

【読書メモ】 租税法

我々の人生の諸活動における最も大きな制約要因は何か、それは税制度であろう。
税制度はどれだけ精妙に練り上げられているのか、それは納税マニュアル類を見れば一応は了解出来る。
それでは、そもそも税制度は「本性的に自然な制度といえるのか」、「もし不自然な制度ならばどのような正当性が在るのか」、「どこまで厳密ないし複合的な制度なのか」 ─ ここまで掘り下げて洞察進めてゆくならば租税法自体を再考の必要があろう、そこで適当な導入本を一冊ここに挙げておく。
租税法 [第2版] 有斐閣アルマ (岡村忠生・酒井貴子・田村晶国 著)

本書は概ね簡易な文体で書き進められてはいるものの、解釈においてはところどころ留意必須ではある。
例えば、会計上の用語(収益など)と税法上のターム(収入金額など)の同義性ないし差異 ─ 会計自体はあくまでも金銭価値の数学ゆえに明解であるとしても、それら金銭価値がどうして「所得」と見做され所得税の課税対象と見做されるのか…。
むしろ本書は租税法の法源や精密さや正当性について多元的に概説した導入本として捉えるべき一冊であり、意義をさまざま吟味しつつ連想力も大いに稼働させて読み進めてゆくべきものであろう。

さて、現下の国際間にて切り下げ競争の議論喧しい法人税について今後その意義を洞察してゆく上でも、まずは租税の意義をおさらいしつつ、租税の超原型たる「所得税そのもの」の在りようを多元的に再検証してみたい。
そこで、以下の【読書メモ】では本書導入編である第1章『租税と法』、および第2章『所得税法』に絞って、僕なりに掻い摘みつつ要約的にメモ記す。



<私法と租税法>
租税法の最重要な特性の一つは、「私法」に則るべき「租税法」という二層構造がもたらす不条理にある
租税法自体はあくまで独自の法体系とされているとはいえ、その多くの用語と定義は私法(とくに民事法)からの「借用概念」に依っており、更に租税法にて定められた課税要件既定までもが私法における諸関係に則ったものである。
それではそれら借用概念の元々の私法自体が厳密な実定法ではなかった場合、あるいはその用語や定義の解釈が時々刻々と変わっていった場合、租税法における課税要件に実定法の効力があるといえるのか。

それどころか、租税法が準拠すべき私法がそもそも外国法(国際私法)だったらどうなるのか ─ 例えば婚姻要件も所有権の登記効力も国ごとに異なるし、また例えばアメリカにおける州会社法の幾つかでは配当が必ずしも利益から支払われてはいない、などなどの問題。

これら諸問題に対峙する日本の課税庁が、私法に則っている(であろう)事業諸関係の仮装や虚偽を疑い、さらにそれらを否認もし、それで「独自の課税基準を貫いて」税を徴収することが、はたして合法といえようか?

また、事業者には納税控除や回避のためのさまざまな方策をうつ私法上の自由は許されないのか?

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<所得税と収入金額>
人間が為す市場取引にて発生した「あらゆる所得」に対する課税が所得税である。
(法人の所得に対しては法人税として課されている。)

あらゆる経済主体の所得の源泉は会計でいう「収益」、つまり「収入金額」であり、これが所得税の基本的な課税対象。
尤も、所得税法においては収入金額自体の精密な定義は無い。
ここで、モノと金の交換取引(売買)の場合には収入を得た者とその収入金額が明示されるので、所得税の課税対象となるが、モノとモノの等価交換取引の際には収入金額が記されないため所属税の課税対象とはならない?
このような矛盾を回避する解釈として、収入金額とは金銭収入および何らかの経済的利益の金額とされ、ここには経済主体があらかじめ有している様々な資産の価値増大分も含まれるとされている。

なお、例えば或る人物が、現時点で所有権を有さず対価を確定出来ない資産からなんらかの収入を得る場合、この人物の収入金額と見做して所得税の課税が可能 ─ との見方もある。
この見方をとくに管理支配基準という。
ひとつの端的な例として、或る人物が窃盗や横領などの違法行為によって得た財物はその人物自身の合法的な支配権は及ばぬものの、管理支配基準を適用すればそれら財物を彼の収入金額と見做し所得課税することが可能となる。
とはいっても、管理支配基準はいつの時点においていかなる正当性から課税するのかなど厳密には定義されていない

逆から見れば、或る人物が或る財物を借り入れたとしてその返済義務が生じている場合には、彼の管理支配はその財物に及んでいないことになる。
よって彼の資産そのものが増えたことにはならないため、その借入分は彼の収入金額とは見なされない(だから所得税は課税されない)。

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<包括的所得の概念>
歴史的にみて、もともと所得はその発生有無と発生源泉が為政側によって画定されており、それに応じて別個に所得税が課されてきたが、とくに20世紀以降は軍事戦費増大や諸事業の国際化に対応するため税収の拡大が必須となり、よって所得の定義をどんどん拡大解釈して所得税の課税対象もほぼ無差別に拡大させてきた。
これつまり「包括的所得」の概念であり、この考え方があらゆる経済主体に適用されるべきとされている。

包括的所得の概念を徹底的に実践すべく、あらゆる経済主体における「所得」を会計上の発想に則って金銭価値化する。
さらに会計上の発想に則って、市場の「所得」金額は「貯蓄」金額と何らかの「消費」に回された金額の合算であるとし、これらを「所得=貯蓄+消費」の恒等式として成立させている
一方では「全ての損失」も金銭価値にて設定。
ここで全ての所得」と「全ての損失」を金銭価値として合計しつつ、そこから人的控除を行い、あらゆる経済主体に対して」所得税(累進)が適用されることになっている。
ここまで論理的に徹底された所得税の在りようを「総合所得税」と称し、税システム上は極めて公平かつ富の再分配高率も高いとされている(第二次大戦後に日本に提案されたいわゆるシャウプ勧告も総合所得税を理想としたものであった)。

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<貯蓄と消費>
ここで上の会計方程式「所得=貯蓄+消費」の恒等式の右辺に着目すると、そもそも消費への所得税課税はそれら消費行為の実施時期に応じて変わる、その一方で貯蓄への所得課税はその期間不問で一律にかかりうる、よって相対的に見て貯蓄に対する所得税課税が重くなりすぎている、との見方もある。
この見方に準じれば貯蓄は所得税の課税対象とすべきではなく、「消費分のみ」が所得として課税されるべきであるとなり、これが「消費型所得」概念である。

しかしながら、貯蓄(あらゆる資産性の所得)を所得税対象から除外してしまうと、消費分のみつまり結局は賃金のみへの課税に限られることになり、よって勤労者には厳しく富裕層には大甘な所得税となってしまい、大本の包括的所得の概念そのものが成立しなくなる。
(それに消費のみに課税するならば日本の消費税や欧州VATと同じ課税ともいえる。)

貯蓄資産を所得税の対象に留め措く方策として、所得の源泉を「金融資産性の所得」と「勤労性所得」に分けて定義した上で、両者を所得と見做して所得税課税すものがあり、北欧などでは社会保障の充実をもたらしているとされる。
ここで金融資産性の所得とは利子・配当・有価証券譲渡益」などであり、また勤労性所得とは給与や事業所得。
尤も留意すべきは、前者所得への所得税が比例税率に留められている一方で後者所得への所得税は累進課税となっていることであり、この理由は前者が国外に移転しやすく課税庁にとって捕捉し難いためとされている。

そもそも、あらゆる経済主体が保有する(未売却の)あらゆる資産の値上がり益を課税庁が精密に把握し、所得税を徴税することが本当に可能かどうか。
さらに、その経済主体に相応の納税が必要になったとして、彼はその金をどう調達するのか。
主にこれらの疑義によって、価値変動する資産に対する包括的所得概念の実践は不可能であるともされ、そこでそれらが譲渡が実現されるさいに初めて課税されることになっている(これを実現主義とも称す)。

とくに、人間自身の能力属性の市場価値や損害額において所得を設定する場合、それらが実現してから初めて設定せざるを得ない。
或る個人にもともと帰属していた利益があるとして、かつそれが市場を通さずに獲得されかつただちにレジャーとして消費された場合、これを所得として課税することは出来ないとされ、どうしても課税するならば勤労相当分の潜在的な所得と見做するしかない。

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<所得税における費用控除>
或る「収入金額」を獲得するために費やされた財貨や負担された債務金額が「費用」であり、所得税課税において収入金額から費用が控除されうる。
会計上は、「取得原価」と「狭義の費用」と「損失」に区分される。
それぞれの費用はそれぞれの収入金額(会計上は「収益」)に精密に対応させることになっており、これが「費用収益対応の原則」。

ここで取得原価とは、何らかの資産の取得あるいは生産のために費やされた財貨の金銭価値であり、「その資産の販売による収益」が実現したさいにこれを収益とし、これに対応した費用として認められる。
一方で狭義の費用とは、取得原価のように財貨獲得による収益には個別対応しきれない費用のこと、例えば地代、家賃、水道費、光熱費など(ただし債務確定は必要)が認められている。
また損失とは、非自発的あるいは偶発的に発生する資産の減少または債務発生のことで、例えば天才や債務貸倒れなどであるが、尤も損失の控除については法人税には規定があるものの元々の所得税法には規定が無い。

以上の会計上の費用は、所得税法における控除項目としては「必要経費」と「取得費」として定義される。
「必要経費」には上の取得原価と狭義の費用が含まれ、まず「売上原価その他当該総収入金額を得るため直接に要した費用」を取得原価とし、また「販売費、一般管理費その他これらの所得を生ずべき業務にて生じた費用」を狭義の費用としている。
この両者ともに必要経費として所得税からの控除が可能であるとしている。
また「取得費」は取得原価のうち譲渡取得のみを指し、これも所得税からの控除が可能だが、但し譲渡にかかるものゆえに狭義の費用は含まない。


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…以上までが本書第2章のほんの前半部である。
この後さらに所得税控除の仔細が続き、さらに資産の権利所在(実現主義と譲渡)が論ぜられてゆく。
そして後段では所得の実践的な所得定義と分析へ。
例えば配当所得と事業所得と給与所得の段をざっと読み進めていると、あたかも法人税についてスタディしているかのような錯覚すら覚えるほどであり、株式と社債の曖昧さや外国法人がらみでの諸問題などにも触発されつつ、所得税法からいよいよ法人税法へそして消費税法へと…

ともかくも慎重にかつ批判的精神も保持しつつ本書を更に読み進めてゆく積りではあるが、此度投稿はここでいったん終わりとする。

2021/06/19

慶應 環境情報学部の英語

まずあらかじめ念押ししておく。
早慶学部の入試英文解釈は、ちょっとばかし頭を使わせるとはいえ、高校生諸君が常日頃から挑んでいる本格的な現代文論説に比べれば「へっ?」と拍子抜けするほどに易しいんだぜ、日本語訳を読んでみなさいって。
たかが大学入試において、英文解釈が数学や現代文より難解なわけがねぇんだ。

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あらためて、早慶大学入試の英文の特色をざっとまとめると;
 理科や社会科に準じてややテクニカルな単語が頻出されるが、それらの単語の組み合わせが文脈真意をかなり類推出来、よって文脈真意の特定も可能
 名詞と動詞においてとくに抽象的な用法が多いため、各文面において抽象と具体および主体と客体を判然とし難く、よって文脈真意の特定どころか類推すらも難しい

とくに早稲田のほとんどの出題英文にあたっては、のみ克服すれば力技で文脈を捕捉出来る。
テクニカルな単語で占められている人間科学部の英文でも読みぬける。
しかし理工学部の場合ははむろんのことも克服が必要。
まして慶應SFCや文ともなるとのウェイトがともにかなり大きいので、テクニカルな単語のみならず抽象的な議論にもかなり慣れておく必要がある。
(京大の英語などが、分量は少ないとはいえ適当な練習台になるかもしれない。)

ここで逆説的に聞こえるかもしれないが、においてどれだけ抽象度が高い英文であっても、実は文面が長ければ長いほど(しつこければしつこいほど)のテクニカルな単語も多く顔を出すので、文脈の真意についてあれこれと類推しやすく特定もしやすい。
しかし実際には、試験時間の都合上、かつ大学入試におけるボキャブラリの制限上(せいぜい6000語程度)、むしろ文面は短くまた大雑把過ぎるといえ、ゆえに真意を捉え難いものである。

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さて、今回は慶應SFCのうち環境情報学部の出題英文について、上述に則りつつ、やや読解難度の高い箇所における単語に絞ってピンポイント的に指摘してみることとする。
※ 本当はもうこんなこと続けたくなかったのだが、ろくすっぽ考えもせず考える頭も無いくせに薄っぺらのぺらっぺらな解説したり顔の英語教育関係者を散見したので、どうにも腹が立ってきて、僕なりの良心を発動させつつ以下に記す。

【2021-I】
  • 全文にて: 'businesses' と 'educations' 、'tax (cuts)' と'funding' の関係、誰による誰のためのいかなる損得を語っているのか。
  • 第4段落: 'Recent tax cuts did not cause the state teacher strikes.' の意味。
  • 'state and local governments' は誰を指すのか
  • 第5段落: 'families in the lowest quartile of the socio-economic spectrum'
  • 第8段落: '... the quest for education is itself leading to rising inequality and a $1.3 trillion student debt pile.'
  • '...unskilled, low-paid workers cannot drive growth in an economy dominated by consumer spending ...' (本箇所の意味が分かれば本テキストの論旨もほぼ掴めたといっていい。
【2021-II】
  • 第1段落:'... corporate leaders are recognising a growing crisis of trust with the public that requires more aggressive self regulation.' ここでの'trust'は誰の誰に対するものか。
  • 第2段落:These (corporate) executives are working ... ,  the ways to drive cultural changes within organisations that pride themselves on their willingness to "move fast and break things.'  この文にて 'cultural changes'と'pride'のかかわりは?さらっと読めば名詞や時制からすぐに分かるが、ブツ切りにするとしばし戸惑う。慶應SFCらしい英文。
  • 第3段落:'accountabiity for harmful products often happens at the (corporate) executive level ...' この'accountability'の主旨。
  • 第8段落:'sensitiity toward unintended impacts (by their products)' , 'contextual intelligence and credibility'  この両者の近似的意味。
  • 第10段落:'celebrate a new product or feature launch'
  • 'Employees have a keen sense of what is valued in an organisation.' ここでの'value'の意味が分かれば、本段落で'hard incentives'に対比して呈されている'soft incentives'の真意も掴めよう。
【2021-III】
  • 全文通じて : 'attention' の真意を類推→特定させるもの。とくに冒頭では'attention economy'とあり、この'attention'が人間の主体的行為を指すのかそれとも何らかの特性を指しているのか、さらに、特定の効用を意図した機能属性かそれとも人間の自然的能力か…などなど、最初の2段落まではちょっと惑わせる。文学部の出題文にも似ている。
  • 第3段落:'However, conceiving of attention as a resource misses the fact that attention is not Just useful.' ここでまず'resource'でピンとこないと。
  • 更に、'"Instrumentally" attending is important, sure. But we also have the capacity to attend in a more "exploratory" way ... without any particular agenda.' ハイここでの対比が理解出来れば本テキストは大半が分かったも同然。
  • 第6段落:'As well as attention-as-resource, it's important that we retain a clear sense of attention-as-experience.' ここまでで'attention'として何と何を峻別しているのかがほぼ分かるだろう。
以降、本テキストは早稲田理工の英文のように退屈な分析や例示がしばらく続くが、ともかくも如何なる'attention --- 'の対比がなされているか分かっただろ。我慢して読み抜くことだね。


(2020年版につづく)

2021/06/12

ドリームトリッパー


高校時代のことである。
僕は或る女性数学教師にほのかな恋心を抱いていた。
もともと、我が校はとびっきりの美人女性ばかりを採用することで都内はむろん全国的にも広く名を馳せており、だから数学担当の彼女でさえも容貌の偏差値は超一級。
容貌のみならず、知的な所作と端正な佇まい、季節に応じた上品かつ甘美なフレグランス、彼女とすれ違うたびに僕はため息ばかり…。

一方でこの僕はといえば、有能でも有望でもないつまらない高校生に過ぎなかったのである。

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さて或る日のこと、僕はなんとも不思議な夢を見た。
この僕が自身の夢において、あろうことか「彼女の夢世界」に跳び込んで行ったのである。
いわゆる「夢跳び」現象が起こったのだ!

この「夢跳び」についてはうまく定義しきれるものではない。
だがあえて例示的にいえば ─ 仮に彼女を絵具のパレットに例えれば僕はほんの微かな色の雫であり、彼女を楽譜とすれば僕は一介の音符のごときであり、彼女が磁界を成すならば僕は一欠片の電荷電子とも言えようか…
まあ、そんなようなもので。

うむ、そうだ、ここはあくまでも夢の夢だ ─ 夢の、夢による、夢のための夢なのだ、だから何をしたっていいんだ。
よーし、それなら思いっきり大胆に。
夢世界ゆえにこそ、文字通りの傍若無人、影も日向も縦横無尽、彼方此方の追跡劇、バカな真似はやめなさいと金切り声を発する彼女、ダメだダメだバカな僕を静止することは出来ないのだと大声で威圧、やめさないっ、いーややめない、もうやめてよっ、やめないよ、そして、そして、うむ、そうだ、僕はいまや彼女の眼前にぐんぐんと迫り…。

ざっと、こんなふうな夢の夢。
さあ今回はこのくらいで勘弁してあげる、でも次は結婚することになるんだ、覚悟を決めておくんだよ先生、ざっとそんなふうに言いおきて、僕は彼女の夢世界をあとにした……

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ふっと、目覚めた。
おやと僕は顔を挙げ、そこが学校の教室であり、眼前の机の上にものすごい点数の数学の答案が置かれているのを見とめていた。
僕自身の答案用紙。
「どうしたの?ぼやーっとして」
そこに彼女が立っていた。
僕は心底から仰天してしまった 「あのぅ ─ ぼ、ぼ、僕はいま何をしているのでしょうか?」
「何を言っているの?!」と彼女の厳しい語調が教室内に響いた。
「いったいどういうつもりなの、そんな点数で!」
「…ハイ、すいません」
「反省しているのなら、すぐに復習にとりかかりなさい」


バカ丸出しの我が答案を何とか修正し、やっと仕上げて提出した。
そして彼女は無言で教室を立ち去りかけた。
追いすがるような気持ちに駆られつつ、僕は声をかけていた。
「あのう、先生、ひとつ質問があるのですが」
「何かしら?」
「えーとですね、夢についてのことなんですけど」
「…?」
「夢には意味があるのでしょうか?それとも、意味など無いのでしょうか?」
彼女がすっと立ち止まり、こちらに振り返った。
「面白い質問ね。さぁ、君はどっちだと思う?」
僕はドキッとしたが、それでも虚勢を張って続けていた。
「じつは、僕はさっき、ほんの一瞬だけすっごくヘンな夢を見たんですよ」
「…」
「だけど、夢というものはあくまでもほんの一瞬の出来事に過ぎず、何も記録のしようがないので、さっきの夢にもなんら意味は無いのだと」
「それは違うわよ」
びしっと言い放つと、彼女はこちらに正対してキッと僕を凝視した。
あっ!
僕はやにわに喉がカラッカラになった。
「夢というものは、物理的にはほんの一瞬の現象ではあっても、数学としては確かに時間経過を定義出来るの。だから君にとって意味が有るのよ。そしてあたしにとっても」
「……!!」

そうか!分かったぞ、と僕は懸命に自己に言い聞かせていた。
いまこの時この処も『彼女の夢世界』だ!夢の続きなんだ!いくら彼女が思念操作をしようとも、僕が思念において怯えようとも、そんなものは人間ごとでしかないんだ。現象としては一瞬なんだ、一瞬だ一瞬だ、さぁ早く終われ今すぐに終われ!
「いいえ終わらないわ、終わらせてたまるかっ、あんたはガキの分際であたしに対して罪を犯したのよっ、数多くの罪をっ。しかも全く反省の念が無いっ」
とつぜん、僕は身体が動かなくなった ─ 僕は微分方程式に閉じ込められてしまったんだ!
「ごめんなさい!反省しています!ここから出して下さい!逃がして下さい!」
僕は泣き声をあげていた。
「ダメよ。これからしばらくの間、あんたには『ここで』罪を償ってもらわないと」
「しばらくの間って、ど、ど、どのくらいの時間ですか…?」
「それはあたしの思念が決めることよ」

品の良い初夏の芳香がちょっと感じられ、それは確かに彼女の香水の匂いであったのでほんの一瞬だけ気休めにはなったが、そのうちに何の匂いなのか分からなくなっていった…。



※ もっと描写を膨らませて、なんとかラノベの題材に出来ないものかな。

2021/05/25

【読書メモ】人類の未来を変える核融合エネルギー

核融合とはまこと学際的な響き、そして多様な応用を期待させつつも、じっさいのところ我々のほとんどは意外にもこの分野について見識に乏しい。
もちろんその理由は、そもそも核融合が諸元素や恒星の生成に見られるように長大な物理現象の必然プロセスに過ぎぬのか、あるいは強引な人工技術の粋であるのか、いまひとつ思考の軸を定め難いためであろう。
とはいえ、自然か人工かといえば、水素電子の電離と自由運動を人為的に起こして核子を(原子を)変えてしまい、そのさいのエネルギーを抽出する核融合技術こそは、もうとびっきりの人工技術の粋である。
ここのところ僕なりに再認識してみようと思い立ち、だからこそ、此度は核融合技術の超基本要件をまとめた概説本を読み進めてみることにした。
『人類の未来を変える核融合エネルギー 核融合エネルギーフォーラム・編 C&R研究所

本書は単純明瞭にセーブされた文面がじつに読み進めやすいが、とりわけ随所に呈された簡素な図案類にこそ注目すべきであろう、簡素とはいえ学際的かつ多元的な関心や興味を続々と触発してくれる。
とはいえ、もちろん原子や核子にかかわる基礎知識は従前に必要であること、いうまでもない。

さて、此度の読書メモとしては、本書のとくに導入部分にて呈されている基本的な物理単位や関係式を引用しつつ、相応の次元とエネルギーのフェーズ合わせを図るつもりで、以下にいくつか列記してみた。



<水素・核融合>
核融合は、複数の水素同位体などに巨大なエネルギーを投入して電子を電離させ自由運動させて核子を「変え」、このさいにエネルギーを抽出する技術。
ひとつの比較例として、水素1gからどれだけのエネルギーを抽出出来るか。
水素1gを「化学的に」燃やして得られるエネルギー(水から水素1gを得るための最小エネルギーに等しい)は約1.43x105Jである。
一方で、同じ水素1gを「核融合」させて得られるエネルギーは3.38x1011Jにもなる。

核融合炉における核融合燃料として、水素同位体の実用化が図られ続けている。
とくに地球上では、重水素(D)と三重水素トリチウム(T)によってヘリウム(HE)同位体と中性子(n)が生成される核融合が最も反応しやすいため、最有望視され続けている。
(とくにDT核融合反応と称す。)

この1核子あたりの反応式は  1D2 + 1T3  →  2HE4+ 0n1 
核融合反応前も反応後も、陽子の総数は2であり、中性子の総数(質量数-陽子数)は3である。
さて、これを原子量(アボガドロ数あたり総質量)でみると、反応前の重水素(D)のは2.141g、三重水素(T)の原子量は3.0160g、合わせると5.0301gとなる、が、反応後のヘリウム(HE)は4.0026g、中性子(n)が1.0086gであり、合わせると5.0112gにしかならず、反応後の質量は反応前より0.4%ほど軽くなったことになる。
この「欠損分」が、ここでの核融合反応によって運動エネルギーに変換されたことになり、1.7x1012J に相当。
これを電位差1Voltあたりの電子の運動エネルギー(つまり電子ボルト)1.6x10-19J≒1eV で換算すると1.06x1025MeV となり、あらためてアボガドロ数で割れば1回あたり17.6MeVがここでの核融合反応で運動エネルギーに変換されたことになる。
(さらに内訳として、ヘリウム(HE)では3.5MeV, 中性子(n)では14.1MeVとなる。)


<電離・プラズマ>
上に挙げた重水素と三重水素のDT核融合反応をはじめ、核融合反応を継続させるためには、構成粒子の「平均的な運動エネルギー」を増して相互の正面衝突の機会を増やし、一部の電子を原子核のクーロン力をふりきって「電離」させ、こうして電子とイオンの荷電粒子をつくらなければならない。
(ここで投入すべき必要最小のエネルギーが「電離エネルギー」)。

Dビーム(重水素ビームの意か)をぶつければその一瞬だけ荷電粒子と中性粒子に電離しうるが、ビームは直線的にしか働かず、一方でそれら粒子は瞬時に軌道を変えてしまうので(クーロン散乱を起こすので)、電離がすぐに終わってしまう。
一方で、一定以上の超高温が維持されていればそれら粒子がクーロン力を超越して正面衝突し続けるので、荷電粒子が出来る割合と再結合して元の中性粒子に戻る割合がうまく釣り合い、両者が一定の割合で電離し続ける状態を継続できる。
この状態がプラズマである。

そもそも、或る物質の構成粒子による運動エネルギーE(J)と粒子の質量M(kg)と速さv(m/s)の関係は
E = (1/2)Mv2
かつ、エネルギーE(J)と絶対温度T(K)を結びつける「ボルツマン定数kB」が
kB=1.38 x 10-23(J/K) 
すると、これら1粒子あたりの平均の運動エネルギーE(J)と絶対温度T(K)の関係はそれぞれ(1/2)kBTであり、これが3次元方向に運動するので E = (3/2)kBT とまとめられる。

同じ密度の物質であれば、高温になればなるほど電離度合いも高くなる。
また、荷電粒子とイオンが再結合で中性粒子に戻る場合でも、他の原子と結合しやすい「ラジカル」な中性粒子状態となる場合もある。


核融合炉が物理的に成立し機能するためには、「核融合炉で発生するエネルギー」が「プラズマから損失するエネルギー」よりも常に大きくなければならない。
DT核融合反応であれば、プラズマ状態にて、反応断面積あたりの核融合発生確率は摂氏5億度までは高温に応じて大きくなる。
また、これに核融合反応1回あたりの発生エネルギーを掛けて発生パワーとすると、これは構成粒子の密度の2乗に比例して大きくなる ─ とくにDT核融合反応であれば重水素と三重水素の比率を同じにしたさいにこの発生パワーが最大となる。

だが一方では、このプラズマ自体から熱エネルギーが常に放射され損失し続けており、それぞれの損失パワーはプラズマの温度と密度に応じて大きくなりつつ、プラズマがこの熱エネルギーを閉じ込め続けておく時間には反比例する。

核融合炉においてプラズマ状態を維持するためには、摂氏1億度(電子温度でいえば10keV)を維持する必要があり、いまだ完全な実現には至っていないが、瞬時の温度であれば既に約5億度の達成実績がある
また、ヨリ電離度の高いプラズマ生成のために、電気(高電圧)と電場を活かして電子を高速に加速し電流を起こす(放電させる)方法もある ─ じっさいに雷もまた蛍光灯も放電プラズマである。


<燃料物質および排出物>
重水素は海水中にあり、海水のわずか0.0158%を占めるに過ぎないが、硫化水素を用いれば効率よく海水から採取出来る。
利用可能とされる重水素の総質量は約50兆トンもあり、これを核融合の燃料に有効に活かすとすると地球の寿命よりも長くもつ。
三重水素は、リチウムを原料とし、核融合反応で得られる中性子の大部分を活用して核融合炉内で生成出来、一方でリチウムは海水中から採取出来る。

ヘリウムには放射能も毒性も無く、また、核融合炉が実用化された場合に排出されうるヘリウムの量(1台あたりで100kg~200kg程度予想)をすべて合わせても、全世界ヘリウム生産量の0.0007%にすぎない。
なお、リチウムを原料に三重水素を生成する中性子の一部は核融合反応容器に吸収されて放射性物質をつくるが、ここでの放射能は核分裂原発と比しても遥かに速く減衰するので、対人毒性はほとんど問題にはなりえない。

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以上が、重水素と三重水素から起こすDT核融合反応、その導入編。
もちろん核融合反応の組み合わせはこれに留まらず、軽水素を用いるもの、重水素同士を用いるもの、リチウムを起用するものなどなど、いくつか併せて研究や検証が進められているようである。
その上で、核子ごとの結合エネルギー大小とエネルギー入出力の収支はもとより、電離実現のためのプラズマと装置まわりの諸技術(トカマク型炉とヘリカル型炉などなど)、本分野はまこと学際的な科学技術論としてさまざまなアプローチを堪能しえよう。
ともあれ本書はこんごとも書棚の目の付く場所に控えおきたい一冊である。


おわり