或る幼馴染について、回想がてらに綴ってみることにする。
近郊に住んでいた'N子'という娘で、僕とは小学校時からの幼馴染 ─ しかも、もともと母親同士が旧知の友人関係にあったので、僕とN子は生まれる以前からの馴染みであったともいえる。
小学校6年生の秋、このN子の家族はニューヨークに引っ越していった。
しかしながら、母親の仕事の都合上、N子は高校2年時の夏には日本に帰国してきて、僕と同じ高校の同じ学級に編入されたのであった。
あらためて宜しくお願いしますねとの母親同士の挨拶がてら、4年ぶりにN子の姿を一瞥すれば ─
ショートカットが凛々しく首筋も背筋も颯爽と真っ直ぐで、身長はグーンと伸びており、なによりも引き立つのがクッキリ大きな目鼻立ち、まるでディズニー映画のバンビが跳び出してきたような美少女だ。
これには僕はすっかり感じ入ってしまい、ドキドキ感を抑えることが出来なかった。
しかし、ドキドキは永くは続かなかった。
N子のお喋りのやかましいこと!
好評するならばN子は自己発信力がまこと強く、悪く評すればうんざりするほどお喋りな娘となっていたのである。
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N子が饒舌に披露する話題はといえば ─
大抵はニューヨークでの生活譚から始まり、それから週に2度のピアノのレッスン、クラシックコンサート巡り、油絵のレッスンと名画展巡り、さらに、都下の高校記録に迫る競泳、すでに肉薄している短距離走。
そして、ママに教わったと称するサラダドレッシング、自作のケーキとデコレーション、ペットの犬とインコ、ふっかふかのソファに寝転んで深夜まで視聴した名作映画のストーリー…。
むろん女子のことだから自身の実況中継も自問自答も多かろう、なおさらのこと、N子の話はずんずんと展開していく。
しかも、級友の女子連中が面白がって耳を傾けたり相槌を打ったりするものだから、N子の話はさらに第二幕や第三幕へと延々続いてゆくのであった。
文章を書く段となっても、N子の執筆欲は留まるところ知らぬようで、鼻梁をつんと屹立させつつ真っ直ぐな背筋のまま、日本語だろうと英語だろうとすらすらーーっとペンを走らせ、わんさかわんさか数ページにも及ぶ文面を書き綴っていくのだった。
しかも経済や政治についての主題すら巧みに織り交ぜて、実体経済は通貨と等量であるだの、通貨と価値観も等量であるだの、文化障壁と相互理解は相反関係にあるだのと。
この強引なほどの論理展開には、いまや英語教師も目を丸くするほどで、貴女は発信力が有って素晴らしいわねなどと褒めそやし、さらに、これからの女子はこのくらいの自己主張が有って丁度いいのよなどと。
ともあれ、N子のように堂々とかつ滔々と自己発信できる連中こそが、アメリカ(ニューヨーク方面)においては利発さも覇気も認められうる ─ まあそういうことになっているのだろうと僕は察していたし、この推察はあながち的外れでもなかったろう。
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幼馴染ゆえの気楽さをも駆ってのことか、高校生活における僕とN子の’仲の良さ’はちょっとした名物ではあり、かつやっかみの的でもあった。
登下校にて、さら教室内においても、僕と視線が合うたびにN子はユーモレスクのような曲調をフンフンとハミングしながら軽快に近寄ってきて、新たな章立てのストーリーを語り始めるのである。
たまりかねて僕が嘆息する。
「もういいよ、黙れ」
「黙れとはどういうこと?あたしが喋っているんだから、あんたは聞くべきなのよ」
「もういいって言っているだろう。おまえの話はいつまで続くか分からないから、もうウンザリなの」
「まだ途中なんだから、最後まで聞きなさいよっ」
「じゃあ、いつまでもバカみたいに喋ってないで、とっとと結論を言えよ、結論を」
「フン、何が結論よ?あんたこそ論理思考が苦手なのよ。いつもいつも偶然のスパークばっかりなのね、ふふふっ。そんなんだからあんたは数学が出来ないのよ、ばーか。毎日学校に来て何やってんのよ」
「す、数学は論理だけじゃないぞ、たぶん」
「へぇ?論理だけじゃない?それじゃあ他に何が有るっていうの?ん?言ってみなさいよ、ねえ」
「そ、その、偶然のスパークだってありうると…」
「フン。神や聖書には偶然など無いのよ。すべては必然の言葉だけで出来ているの」
「でも数学は神と聖書だけで出来ているわけじゃないだろう」
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その数学についてである。
そもそも、数学が不得手な僕なりに気づいていることがある。
我々日本人は平面から立体へ、漫画から幽霊へ、タイル貼り合わせからルービックキューブへと、いわば実体像に則って論理を連綿と連ねる習性があるので、数学においても常に実像から演繹しまた実像へと帰納するものである。
さてそれではとN子の数学ノートを拝察すれば。
ハハーン、これがアメリカ流の数学計算というものか、1行1行がガチンガチンに繋ぎ合わされた論理と論理のアーマーのよう、そしてそれらがいわば why → because → why → because → why…と無敵の行軍のごとく進行しており、そのしつこさというか頑迷さというか、英文の構造によく似ている。
ということはだぜ、どこかのラインに論理エラーが起こっているとしても、全部隊がひっくり返るまで行進し続けることになるじゃないか。
アメリカにおいて、しかも一神教が主流の世界において何年も過ごすと、こういう性質になるのかなと、僕はひとしきり納得出来た気がした。
(はるか後日談とはなるが、僕は電機メーカでコンピュータプログラムの基礎を学びつつ、欧米風のギチンギチンのwhy/becauseにウンザリしたものではある。)
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さてさて。
そんな高校生活における或る夕刻のこと。
自宅の窓を開け放って、僕が西日の彼方を見やっていると、遥か遠方にてひとつの飛翔体がキラリと発光しつつ、凄い速度で宙空を切り裂くように跳び去っていくのを目にしてしまった。
どうも、飛行機には見えなかった。
これについて、ニュースでは何も報じてはいなかったが却って腑に落ちなかった。
翌朝の登校途中にN子と合流したので、僕はちょっとやりこめてやろうと思い立ち、この飛翔体を話題に挙げてみた。
「へーー、そうなの、ふーーん」 とN子は欠伸まじりに聞いていたが、とつぜん楽し気に声を挙げた 「ねえ、それは 'UFO' よ!」
「UFO ? なんだそれは?」
「UFOを知らないの?あんた英語の勉強もサボっているのね。だから無知なのね、ふふふふっ、ばーか。いい?UFOとは 'Unidentified Flying Object' のこと」
「un...なんだって?」
「unidentifiedよ、つまり特定されていない飛翔物体のことなの!」
「へぇ、そうかい…。だけど、論理的に突き詰めるとおかしな表現だなぁ」
「論理的におかしい?フン、何がおかしいのよ?」
「いいか、特定されていないってことは、実在していないってこと、それなのに論理として成立している、それが論理そのものとしておかしいって言ってるんだ」
「…ヘーェ、なかなか言うじゃないの、あんたにしちゃあ上出来ね。なまいきに」
N子は僕の眼前に顔を近づけてきて、悪戯っぽく失笑してみせた。。
「でも、論理だからこそ論理のみで成立することもあるのよ。分かる?おばかさん」
まさにその日の夕刻。
N子から電話があり、なんと!彼女も西日の彼方に不思議な高速飛翔体を目撃したという。
「それだ!それだ!いまや目撃者は少なくとも俺たち2人、複数となった。だから実在するものとしてもおかしくはない。もはやただの論理では済まされなくなったんだよ!分かるか、ばか」
この僕なりの言に対して、N子は電話口でしばし無言となった、そしてこれは彼女が何事か逡巡している時なのだと、僕は幼馴染なりに悟っていた。
やがてN子は小声で囁いてきた。
「…そうね、論理を束ねても実体には及ばないのね。あたしの負けってことね」
「いーや、引き分けだ。おまえのおかげで俺も実体と論理の差異にあらためて気づかされたんだから」
この飛翔体についても、やはりニュース報道ではいっさい触れられることはなかった。
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美人教師たちが綺羅星のごとく居揃い、僕らのさまざま直観や直情を深淵なコンステレーションへと導きまた誘ってくれた黄金色のシーズン、それが我が高校時代。
そんなだから、同級生に過ぎなかったN子が僕の在りように特段の影響を及ぼしたとは言い難い。
ただ、実在の人物であるこのN子が僕の創作における利発な美少女たちの基本モデルとなり、時系列を超え季節も超えて我が心象世界を駆け巡り続けているのは、今さらながら不思議といえば不思議ではある。
(おわり)
