2014/11/21

【読書メモ】 生命とは何だろう?

実際に起こっている現象について、我々人間がそこになんらかの普遍性を見出せば、その普遍的な論理をまとめて自然科学に格上げ出来よう。
がしかし、特殊な現象ばかりがバラバラに確認されるのであれば、それらどれだけ束ねても自然科学とはいえまい。
この見方からすれば、生命の在り方は、完全な自然科学とはいえない。
いつだったか養老孟司氏が何らかの講演にて、「顕在化しているあらゆる生命現象は疫学的な統計に過ぎない。他の自然科学のように或るインプットに対して特定のアウトプットが必然的に確認されるものではない」 といった由を強調されていた。
また養老氏と福岡伸一氏による別の講演では、「どの生命個体もそれ自体が周辺物質から独立完結した存在ではなく、むしろ何らかのかたちで周辺物質と補完しあう流動的存在である」 旨 ─ とくに福岡伸一氏のいわゆる動的平衡論を総論に据えられていたと記憶している。

なるほど、生命現象は化学や物理学のような観察可能な再現性には欠けるのであろう…クローン、ヒトゲノム、放射線、万能細胞と、いずれも巷間議論が喧しい理由もそこにあるのではないか。
が、そうはいっても、現に生命論が生物学としてひとつの学問体系となっている以上は、「ある程度」までは自然科学的に=つまり論理的に説明がなされているはずである。
いったい、どの程度まで?

そんなことを考えつつ、ふと思い出したのが、昨年初めに発行されて読み進めていた今般紹介の本である。
『生命とは何だろう? 長沼 毅・著 集英社インターナショナル刊』
本書は、生命がどこまで化学や物理学の複合的な考察対象か、そしてどこからが仮説であるかを実に明瞭に解き明かす。
文面こそ平易に抑えられてはいるが、たとえ僕のような素人でも理知的な充足感は抜群、さらに著者の見識交えた斬新な仮説の数々はしばしばスリル満点。
まして、自然化学全般に見識高い社会人や学生であれば一晩で読み抜いてしまうのではないか。
しばらく以前に、本ブログにて松井孝典氏のアストロバイオロジーに関する著書を紹介したが、寧ろこの「生命とはなんだろう?」におけるコンテンツをキッチリと押さえて以降に松井氏のアストロバイオロジー本に進んだ方が、ヨリ包括的に理解が進むかもしれない。

では僕なりの【読書メモ】として、本書内容のうち特に関心惹かれた内容をいくつか以下に列記しおく。
ただ、化学や物理学にさえも明るくない僕なりのメモゆえ、高度に複合的な仮説の紹介は避け、基幹的なコンテンツの案内に留めたつもり。



・1953年のスタンリー・ミラーによる、分子ガス(メタン、水素、アンモニア、水蒸気)と高圧放電の想定実験以来、原初の地球環境を模した生命生成実験が数多くなされ続け、これらによって、単純な無機物を素材として複雑な分子構造の有機物(アミノ酸、糖、核酸など)が微量に生成されるところまでは確かめられた。
しかし、タンパク質の生成にはいまだに成功していない。
タンパク質は50~100個のアミノ酸分子連結によって初めて生成される。
さらに、多くの想定では地球の原初の海が高温であったことが前提となっているが、じっさいは温度が高すぎると(130℃を超えると)タンパク質分子が壊れる。

・そこで、生命体のタンパク質がはじめて生成された場所は、低温の海水がマグマ溜まりの岩石で加熱されて熱水循環がおこる箇所、たとえば海底火山の熱水噴出孔ではないか、という説が有力となったこともある。
しかしこの熱水噴出孔の説のとおりとすれば、タンパク質の生成につながらない有機物が多く出来過ぎてしまう。
また、分子がつながる際には水分子による脱水反応をもたらすが、海中であったなら分子に脱水反応が起こり難く、分子がつながり難かったはず。

・いまや、1988年のヴェヒターショイザーによる表面代謝説がとりわけ有力である。
これによると、海底火山における硫化鉄が黄鉄鉱に変わるさいの化学エネルギーをもとに、原始の地球で大半を占めていた二酸化炭素から様々な有機物が生成された、というもの。
黄鉄鉱は鉱物ゆえ表面に分子が結合し易く、しかもここなら脱水反応を起こし易いので分子結合も長くなりうる。
さらにこの黄鉄鉱は海底ながらも表面積が極めて大きかったことが想定され、だからそのどこかでアミノ酸分子が何百もつながってタンパク質が生成されたのでは。

・ところで、宇宙の彗星には有機物と氷で覆われたものもある。
これに宇宙の放射線や太陽紫外線があたると、その有機体が壊れ、その壊れる過程でアミノ酸も出来うるし、また氷は溶けて水になりうる。
その状態にて、さらに太陽系外からとてつもなく巨大な宇宙線があたると、アミノ酸分子をたとえば100個くらい同時につなげるような反応が起こりうるのではないか。

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・生命の特徴は、代謝、増殖、細胞膜、進化に総括出来る。
これらのうち、地球生命は全ての特徴を有し、また仮に地球外生命が存在しても代謝だけは行っているはずである。
代謝は、定義上二つあって、一つは細胞内の物質入れ替えを指す物質代謝であり、もう一つはエネルギー代謝である。

物質代謝として、生物は一定の時間が経つと古い細胞を捨てるが、このさいに取捨選択の論理判断エネルギーは発生させない。
ともかく一定時間が経つと無条件に古い細胞と新しい細胞が入れ替わり、しかも自己の構造は維持し続ける。
たとえば人間は毎日5、000億個の細胞が入れ替わるが、やはり自己の構造を維持し続けている。

エネルギー代謝としてみれば、生物は実に不思議な活動をしている。
物理学者のシュレーディンガーは、「生命はエネルギーでも物質でもなく、負のエントロピーを食べている」、と解釈した。
まず、生命はエネルギー代謝によって新たなエネルギーをおのれに注入し続けている (だからその生命自身はエントロピー増大に反した活動を続けている)。
かつ、宇宙全体でみれば、或る空間におけるエネルギーが保持され続けている場合、その周辺のエネルギーは費やされ続けている (周辺のエントロピーを増大させている)。
これらまとめて捉えれば ─ 生命はおのれの維持のために、おのれ以外の全宇宙のエネルギーの死 (エントロピーの熱的な死)を早めていることになる。
※ この段は、僕自身の熱力学に対する見識はさておいて、人間社会そのものをも示唆的に俯瞰した巨大な達観のようでもあり、なかなか面白い。

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・DNAの塩基は4種類で、A(アデニン)、G(グアニン)、C(シトシン)、T(チミン)の極めて巨大な配列と、その対から成る。
では、生命活動を導く塩基の配列のうち、「最小単位」はどんな配列だろうか?

クレイグ=ヴェンターは、100万の塩基対のDNAを人工合成。
尤も、これは或る現存する微生物のDNAを元に設計したもの。
仮に、何にも拠らずに全く新規のDNA塩基を合成する場合、そもそもA,G,C,Tの4種の塩基が50万個連なる、その論理的な順列は4の50万乗となる。
この膨大なとりあわせの塩基とその対をもって、それら一つ一つが生命活動を導くかどうかを実証しなければならない。
(なおこの順列の数は全宇宙の原子総数つまり10の80乗個より遥かに多い。)
それでも、もし何らかのテクノロジーをもってこの実証が可能となれば、生命活動を導くDNA塩基の最小配列が導けるかもしれない。

・とはいえ、DNA塩基列はあくまでも生命活動のプログラムであって、実際に生命を動かしているのは細胞質である。
細胞質は未だ人工的に作られていない、だから生命活動の実証にはまだ程遠い。

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・生命の突然変異は、「環境に適合するため」のみではない。
環境による淘汰を受けなければ、突然変異による何らかの遊びの部分は残存し続け、さらに多様性をもたらす。
そして、環境による淘汰を受けてこそ、特定の種の形質が似たようなものに収斂する。

・オウムガイのらせん形と木の枝の広がり方は、ともに数式によって表現出来る ─ ということは何らかの力学原理が働いていると考えられる。
オオコノハムシの外見は木の葉にそっくりであり、これはオオコノハムシに働いた何らかの力学が、木の葉の葉脈における力学と近かったためではないか。

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・二酸化炭素に水素を結合させて、栄養分としての炭水化物を作り出し、かつ酸素を排出する、というのが生物の祖先以来ずっと続けられている生命活動の基本プロセス。
特に原初の生物は、火山ガスに含まれる硫化水素の分解プロセスを利用して水素を得、それを二酸化炭素に結合させ、自身のうちに独立栄養としての炭水化物を作り出し、酸素を排出していたと想定される。
これが可能であったのは、原初の生物が海底火山ガスにともなう赤外線を察知していたからではないか。

ところが、恐らく24億年ほど前、シアノバクテリア細菌が地球生物で初めて、「水」を「太陽光エネルギー」で分解して水素を獲得、それを二酸化炭素にぶつけて炭水化物を得たのではと考えられている。
なぜシアノバクテリアが太陽光を察知したのかといえば、太陽光も赤外線と同じく電磁波であり、何らかの突然変異で太陽光を察知するクロロフィルが出来たのではないか。

このさいの水素の源である水=海水は、硫化水素より遥かに膨大に存在していた(いる)ため、このシアノバクテリア型の水分解システムを内蔵した生物は大増殖を始め、それとともに排出する酸素量もとてつもなく多くなり、結果として地球上の酸素濃度が高まった。
また、このためにこそミトコンドリアの原型にあたる微生物も発生したと考えられている。
ミトコンドリアは有機物から電子を取って溜め込み、酸素を使ってそこからエネルギーを生み出す。

・シアノバクテリアの排出したであろう膨大な酸素は、地球をそれまで高温保持させてきたメタンガスを酸化させ、二酸化炭素にしてしまった。
メタンガスに比べ、二酸化炭素は遥かに低温化を進めるため、全地球が凍結するきっかけとなった。
海が厚い氷で覆われ、太陽光が遮られて海中に届かなくなった。
この時代を生き抜いた生物が、細胞膜を有しミトコンドリアを取り込んだ真核生物に進化した、と想定されている。

生物は酸素への耐性を高めるためにコラーゲンを使って多細胞化、生殖細胞と体細胞の分化、さらに巨大化が進み…。

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以上、このあたりで僕はそろそろついていけなくなったので筆をおく。
本書は更にさらに、大きくそして深く考察と論理を展開させていき、巨大生物、知的生物、知性と生存の意味などについて触れてゆく。
なんといっても、視座のダイナミックな転換が楽しいもの、しかし視座の転換にさいしては基礎的な着眼が必須、ゆえに、実践的な観察眼をお持ちの社会人や学生こそ、いよいよ楽しめる一冊たりえるのではなかろうか。

2014/11/13

かがやき


さっきまでの雨がウソのようにおさまると、東の空がきらりと晴れ渡ってきた。
レストランの窓際に座っていた僕は、夕陽を見つめつつ、ふっと伸びをした。



そこへ。
「こんにちは!」 入口側からとつぜん響き渡った幼い声。
1人の女子中学生である。
「やあ、こんにちは!」
僕は手を振って応じた。
「こっちだよ!…あれあれ、ずいぶん濡れちゃったんだなぁ、傘は持ってなかったの?」
「うん、家を出てからすぐに雨が降ってきたんだけど、そのまま走ってきちゃった」
「そうか、大変だったんだな……ねえ!すいません!ちょっと!」
僕は女性店員を呼びつけた。
「タオルを持ってきてくれないか」
ただちに寄越されたタオルを僕はその娘に投げつけた 「ほら、頭を拭いて、それから首も。風邪ひいちゃうぞ」
「平気、平気、あたしってね、病気にはならないんだって」
「へぇ?」
「いつもお母さんのおにぎり弁当を食べているから、元気なんだってさ」
「ほぅ」
僕は目を細めて微笑みつつ、それからちょっと声色を落として尋ねてみた 「それで、お母さんはどうしたの?」
「来れないって」 彼女がかすかに肩で息をしているのが分かった。
「そうか……さて、ちゃんと拭いたらそこに座りなさい」
「はーーい」
「何か飲んでいくか。そうだ、熱いコーヒーを頼もうかな」
「はーーい」



とりあえず、会話を続ける。
「ねえ、君、ちゃんと勉強しているのかな」
「うん、してるよ ─ ねえ!あたし数学のテストで100点だったんだよ!」
「そりゃぁ、すごいね!」
「全学年で3人しか居なかったんだよ、100点」
「大したもんだ!」
「あのね、お母さんがね、勉強したらもっといい家に住めるようになるって」
「今だって、いいお家だと思うよ」 僕は危うく上ずりそうになる声を懸命に抑えつつ、からかうように応じていた。
「あっ、そうだ!お母さんが、これを渡してくれって」 彼女が小さな提げ鞄の中から一通の封筒を取り出した。
ぐしょぐしょに濡れた封筒。
「なんだこりゃ?これじゃ読めないかもしれないぞ」
「すいません」 彼女が泣き出しそうな声を上げた。
「…でも、せっかく持ってきてくれたんだから」 
僕はつとめて陽気な声を挙げつつ、その封筒にしたたまれていた便箋を取り出した。
文字は確かに滲んでしまっていたが、それが確かに彼女の母親からの簡易な書簡であり、先日僕が持ちかけた中古マンション購入プランへの丁重な断り状であることが読み取れた。



「なにか、いい事が書いてある?」 と彼女が怪訝そうに訊いてくる。
「うん、とても楽しいことが書いてあるよ」 
「どんなこと?」
「えーとね、うーん、つまりだな、君の家はみんなで楽しく暮らしているとか、とくに君は世界で一番頭のいい子だとか、まあそんなふうなことだ」
「ふーん、本当に? ─ だけど、お母さんあたしのことを全然褒めないんだけどなぁ」
「そんなことはないと思うよ。テストで100点なんだからさ」 僕は彼女をまっすぐに見つめた。
「ねえ、もしもあたしにお父さんがいたら」 彼女はぱっと顔を輝かせた。
「お父さんがいたら、絶対に褒めてくれるんだろうなあ」
「そりゃあ、そうだろうとも」 



やがて僕たちはレストランを出た。
「途中まで送っていこう」
送っていくとはいっても、彼女の帰路であり、僕が歩調に気をつけつつ彼女にゆっくりとついていく。
あらためて彼女を見やれば、首筋まで掛かる無造作な黒髪、そこに僅かに留まっていた雨のしずく、それらが西日に微かに応じつつもキラキラと輝いている ─ ふとそんな気がした。

「虹が出ているぞ」
「どこに?」 彼女がちらっと振り返る。
「どこにでも」 僕は気取った声で返答してやった。
さらに歩き続けてゆく。
「本当に、勉強したらいい家に住めるのかなぁ」 彼女が軽く嘆息していたのが分かった。
「今だってとってもいい家だよ。お母さんがそう言っているじゃないか」 僕はさっきよりももっと陽気な声を挙げつつ、彼女の前に回り込んで幾度も手拍子を続けていた。



そして、僕たちは川の陸橋の手前に辿り着いた。
「さあ、それじゃあここでお別れだよ。お家に帰ったらね、僕にちゃんと手紙を渡したって、そして僕が君のことを大いに褒めていたって、そう伝えておいてね」
「はーーい」
「もっと元気よく!」
「ハーーーイ!!」
「それでいい。そのくらいで丁度いい。じゃあ、もうお帰り」
彼女は小走りになって陸橋を渡って行った。
僕は堪らなくなって、いまや大声を挙げつつ、彼女の背中に言葉を投げつけていた。
「ねえ、君!ほら、川面を見てごらん、夕陽に反射してきらきらと輝いているだろう ─ こんなふうに、世界には必ず綺麗なものが在る。すぐには見分けがつかないかもしれないが、いつかどこかに必ず姿を現すんだ、それらが反射しあって世界がキラキラと輝いているんだ、だから君も心を磨いておけよ!分かるね!」
「ハーーーーイ」
背中でそう応えつつ、彼女はたったったっと川の向こうのアパートへ駈けていった。
僕はその後姿をしばらく見送りながら、彼女の母親もあんな風な娘だったのかなと空想していた。



ふと気づいてみれば、夕闇が川の向こう岸にとっぷりと影を落とし始めていたが、僕はしばしそこに立ち尽くしつつ、この町が大好きになっていた。


(とりあえずおわり)

2014/11/11

【読書メモ】 炭素文明論

炭素文明論  「元素の王者」が歴史を動かす 佐藤健太郎・著 新潮選書刊 
本書は昨年に初刊された世界史の動因分析本であり、サイエンスライターとして知られる著者がまとめ上げた快著。
そもそも歴史意識とは、人間のもの、ではその人間自身を突き動かしてきたモノが有ったのだろうか?
有った、それはまさにモノであった、つまり炭素であった。

本書の序章に総括されたところによれば ─  
有用な炭素化合物を発見し採集した段階こそが人類史のあけぼの、そして人為的に生産する段階、純粋に採取する段階、化学的な改変量産の段階を経て、現代はこれら有用化合物を超えた新規化合物の創造設計と製造の段階に至る、うんぬんと。
このくだりまで読んで、僕はもう本書を手にとってレジに駆け込んでいた。
ああそうか、人間は炭素化合物を段階的に発展せしめて歴史を紡いできたというわけだな…否!どうも真逆で、炭素化合物こそが人間の叡智を鍛え上げてきたと了察すべきではないか。

以前、「水が世界を支配する」 や 「理科で歴史を読み直す」 などを読んだ時もそうだったが、総じて素材論は文明/産業の新規需要を導いた偶発的起因、供給力増強に寄与したさまざまな試行錯誤、そして予期せぬ派生的事件などなど、これらを巨視的に交錯させつつ描き抜いており、よって読み手を飽きさせない。
とりわけ本書は、文明史を人間意思の段階的発展に帰着させがちな我々の視座を根底から揺さぶり、次々と引用紹介されるスケール感満点のコンテンツは学術的ながらも痛快そのもの、平易明瞭な文体と相まって実に新鮮に効く。
まさに、社会人の皆様はもとより、特に理科系も社会科系も人文系もとわず高校生含め合わせた学生諸君に一読を薦めたい快作である。

さて此度の【読書メモ】も、いつものように僕なりの随意書き留めにて、本書の章立てには特に拘泥せず、興味惹かれるままに綴ってみることにする。
なお、分子式や化学属性の仔細については、面倒かつ自信が無いのでここでは省く。



・炭素は電気的に中性で、かつ短く緊密に連結、互いに弾き合うことはない。
地表および海洋の元素分布においては、炭素は重量比で0.08%を住めるに過ぎないが、しかし天然あるいは人工の化合物のうち80%が炭素の化合物である。
多くの炭素化合物は水素に包まれて柔らかく流動的な分子=炭化水素として存在、この連結だけで何百万種以上もの炭素化合物が天然において、また人為的にも生成される。
炭化水素のうち、炭素の数が4以下であれば気体、5~十数個なら液体、それ以上であれば個体となる。
たとえば石油は、これら様々なサイズの炭化水素が混じりあったもの。

なお、人体を構成する元素のうち18%が炭素、また水分除いた体重の半分が炭素。

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・グルコース分子(ブドウ糖)は炭素と酸素に水酸基が結合した炭素化合物であり、これが燃焼して二酸化炭素と水に変化する際の化学エネルギーが、我々の活動エネルギーの大元となっている。
しかしグルコース分子における水酸基は水に溶けて流れやすいため、植物はグルコース分子をらせん状に連ねて=デンプンとしてエネルギー源を保存するようになっている。

・190万年前の人類祖先、ホモ=エレゥトゥスは、デンプン食材に人為的に水を加え加熱することで、水分子による膨化を実現、これによって容易な消化分解を覚えた。
まさにこの調理のためにこそ、彼らは火の使用を開始したのでは。
デンプンの消化分解が早くなったので、ホモ=エレクトゥス以降は短時間での摂取カロリーも増え(ただし膨化していないデンプン摂取能力は衰え)、またデンプン摂取が増えたからこそ脳の容積も大きくなったと推察される。

・世界各地で約1万3千年前ごろから大幅な気温寒冷化が始まり、多くの動物が絶滅、すでに狩猟生活でのデンプン摂取量の限界に至っていた人類は食糧が激減してしまった。
おそらくそのためにこそ、世界各地でほぼ一斉に1万年前ごろから人類祖先は農耕生活を開始、食材の計画的生産や長期保存を図った。
デンプン確保の食材として、米、稲、トウモロコシなどが有力となり、これらは変異を起こしやすい遺伝子を有するため地域や気温条件に応じた品種改良も大いになされたのだろう。
やがて寒冷期が終わると、これら作物を巡った経済や政治など人為も複雑になり、いわゆる世界史のはじまりとなる。

以降、現代まで、デンプン摂取量が人口を決定する有力要因であることに変わりはなく、稲の栽培に多くの水が必要であるように気温や環境要件に大きく依存していることもまた同様。

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・炭素と窒素の結合には、プリン骨格と称される結合形状があり、この構造は他の分子とペアを組みやすい。
こういうプリン骨格結合の化合物を、とくにプリン体と総称する。

アンモニアと青酸ガスを混ぜ合わせると、(なぜか)アデニンが生成され、これこそ地球上にはじめて出現したプリン体構造の化合物であったとともに、生命の基本物質のひとつである。
たとえば現在の生命DNAの核酸塩基4つのうち、アデニンとグアニンがプリン体。
さらにアデノシン三リン酸などをはじめ、生命体においてはプリン体が多い。

プリン体の化合物が人間の体内で酸化代謝を続けると尿酸に変化、尿酸は水に溶けにくいため身体内部で結石や動脈効果をもたらし、また針状結晶として析出すると痛風をもたらす。 
多くの哺乳類は尿酸を分解する酵素を有するが、霊長類と鳥類と一部の爬虫類はこの酵素が無い(ティラノサウルスも痛風であった)。

・一方で、尿酸の抗酸化作用が注目され、活性酸素による体内物質破壊を抑える機能がある。
ただ、かつてよく挙げられた尿酸=痛風=高知能の関係については、まったく論理的には証明されていない。

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・炭素は窒素との結合でアミノ酸も生成、アミノ酸は20種類しか存在しないが、それら単純なアミノ酸の極めて複雑な連結が生命の基本単位を成すタンパク質である。
アミノ酸のひとつがグルタミン酸であり、生物はグルタミン酸を摂取すると快楽を覚えるようになっている(母乳のアミノ酸も大半はグルタミン酸。)
さらにグルタミン酸は、人間の記憶や学習に必須の神経伝達物質である。

・昆布は乾燥重量の4%ものグルタミン酸を含み、味覚=ダシの素であるが、ほとんどが北海道など寒冷な海域で採取され、江戸時代に富山、鹿児島、沖縄などの貿易ルートを介して日本全国に広まった。
19世紀初め、薩摩藩は極端な財政破綻状態であったが、奄美や琉球で製造した砂糖を大坂で販売、その儲けでこんどは蝦夷地の昆布を大量に購入して清に輸出。
この一連の取引継続により、薩摩藩は財政の健全化、それどころかここで蓄積された資本が薩摩藩の倒幕活動の源泉ともなった。

・池田菊苗は昆布ダシをもとに、今世紀はじめにグルタミン酸の結晶抽出に成功、これを特許化し、「味の素」として生産へ。
この美味みが、日本人の食材摂取量の増加に貢献した。
味の素社は60年代にグルタミン酸を石油からも合成、あくまで分子化合物としてみれば昆布からでも石油からでも同じものであるが、科学的論拠は無きままこの製法から撤退されられている。

人間の有するグルタミン酸(の味覚)への受容体が欧米で認められたのは、2000年になってから。
最近では、脳内のグルタミン酸受容体に作用する薬として、アルツハイマー症などによる記憶力減退に対処するものなども開発されている。

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・香辛料の多くは、6個の炭素原子によるベンゼン環(芳香系)に酸素原子が結合したフェノール構造で、そこにアミノ酸のひとつであるフェニルアラニンが変換合成された化合物である。
もともと、香辛料は植物が身を守るために体内に生成した殺菌物質。

・古代エジプトでは香辛料を味付け香料のほか防腐剤や医薬として用いており、アラブやインドと取引航海を行っていた。
アレクサンドロス大王の遠征によって、香辛料は初めて西洋に持ち込まれ、食肉習慣における鮮度高い肉の必要性から、香辛料の防腐剤機能が大いに求められるようになった。
古代ローマの時代には、アレクサンドリア市からローマ市への積荷の3/4が胡椒であった。

・イスラーム勢力が勃興し拡大するとともに、香辛料は産地も消費地も地中海からインド以東にまで広がる。
そこに十字軍が侵入すると香辛料はヨーロッパにさらに浸透、ヴェネツィア商人が地中海からイスラーム世界までの香辛料取引にて莫大な利益をあげた。
やがて今度はオスマン帝国が出現し、ヴェネツィアの商業路を押さえつつアジアまで繋いだ香辛料貿易の大ネットワークを築く。

・ヨーロッパ人は、地中海もオスマン帝国も経ずにアジアに直接到達するアフリカまわりのインド洋ルートを考案、ヴァスコ=ダ=ガマがこれを実現し、香辛料貿易の更なる利益を巡る大航海時代が始まった。
なお、スペインが派したコロンブスは新大陸に到達、ここで唐辛子を新発見し、これは発汗作用が評価されて主にアジア諸地域に広まっていった。
ポルトガルはナツメグやクローヴの特産地であるモルッカ諸島までおさえ、一方スペインはマザランを起用して西回り航海でのモルッカ諸島到達をはかった結果、世界周航の実現へ。
やがてイギリスもオランダもモルッカ諸島の香辛料争奪に加わるが、アンボイナ事件や英蘭戦争などを経てオランダが独占するにいたる(この際にオランダはイギリスにマンハッタン島を譲っている。)

・18世紀にヨーロッパで、いわゆる農業革命(ノーフォーク農法やカブの品種改良など)が始まると、家畜の年間通じた飼育が可能となり、さらに冷凍法も確立された。
こうして鮮度の高い食肉が実現されたため、ヨーロッパにおける香辛料取引は鈍化していった。

・一方で、香辛料はもとより多様な香水の原材料でもあり、人工的な香水の開発はいよいよ続けられており、また唐辛子は鎮静剤としての機能も注目されて研究が進められている。

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・東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の国防を可能ならしめた有名なギリシア火薬も、中国唐代の黒色火薬も、無機化合物である硝酸カリウムを主成分としており、硝酸カリウムにはニトロ基が含まれる。
この硝酸カリウムは窒素-酸素の不安定な結合で、ここで高密度の酸素が可燃性物質と結びついて「酸化燃焼」が起こると、これらが窒素-窒素、炭素-酸素の結合に組み替わり、これら結合エネルギーの差が爆発力になる。
(※ ここのくだりは、物理学の知識に欠ける僕にはとりわけ難解なところ。)

・中国宋代には火薬が飛び道具と結びついて、金(満州系の異民族)との抗争に用いられた。
原料のひとつに用いられた硫黄は中国ではほとんど産出されなかったので、日宋貿易の主力品として日本が硫黄を提供していた。
モンゴル帝国も火薬をイスラームの投石機で飛ばし、ヨーロッパに侵入して火薬兵器の製法を伝え、ヨーロッパでは火縄銃が作られる。
またモンゴル帝国は火薬兵器をもって金も宋も滅ぼしつつ、日本にも襲来。
オスマン帝国のメフメト2世の治下、ハンガリー人ウルバンが開発した火薬大砲が、東ローマ帝国のコンスタンティノープル陥落と帝国滅亡をもたらした。

・やはり火薬兵器の原料である硝石は硝酸カリウムの結晶であり、こちらは糞尿のアンモニアが地中の硝化細菌によって酸化イオン化したもの。
よって近代半ばまで、硝石はトイレの下から採掘していたが、インドのガンジス河で世界最大の硝石鉱床が発見されると、イギリスはインド植民地化を進めていった。

・19世紀になって化学的手法が進むと、 爆薬の成分そのものが調合されるようになり、シェーンバインによる綿火薬、ソブレロによるニトログリセリン合成へ。
ニトログリセリンは、硝酸における不安定な窒素-酸素の結合を炭素ともども極めて高密度に閉じ込めたもの、酸化燃焼の連鎖反応が極めて早く、爆発力は極めて高い。
なお、ニトログリセリンは人体内で分解されると一酸化窒素を生成、これは血管拡張作用があり、狭心症の発作を沈める効能もある。

・ニトログリセリンは液状であり取り扱い困難であったが、ノーベルが土(珪藻土)に含ませて固形化、これがダイナマイトで、鉱山開発などに大いに活用されるようになった。
ノーベルはダイナマイトが戦争の抑止力になると信じていたが、ダイナマイトは戦争においても大いに活用されてしまった。

・日本海軍の技師であった下瀬雅充は、硝酸に似たニトロ基が3つ結合した化合物であるピクリン酸を砲弾内部に入れた「下瀬火薬」を開発、これが日本海海戦でロシアのバルチック艦隊撃沈で威力発揮。
こうして砲弾による戦艦撃沈が可能となったため、世界主要国の戦艦は巨艦化と大砲実装に向かう。

・ニトロ基を炭素ともども凝縮した新型分子の設計と合成(つまりさらなる強力な爆弾の研究)は、現代もなお精緻に続けられている。

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・石油は炭化水素の様々に混じりあった物質で、気化しそれから冷却すれば、(分留すれば)、沸点差によって炭素原子数ごとの分子に分けられる。
炭素原子が1つだけのメタン(都市ガスの成分)、 炭素原子が3~4つの液化天然ガス、炭素原子5~10個のガソリン、11~15個の灯油、15~20個が軽油、それ以上の炭素数の成分が重油へと、重量と揮発性に応じて分子の分離が出来、残油はアスファルトに用いられ、さらに不純物も除去。
このように石油の用途は極めて広く、特に20世紀以降は戦争の要因であるとともに、プラスチックや人工繊維など合成分子をとてつもなく多様に増やしてきた。

・なお、炭化水素である石油の炭素と水素の構成比は1:2だが、やはり炭化水素であるシェールガスの主成分はメタンで、炭素と水素の構成比は1:4である。
このためシェールガスは、燃焼したさいの二酸化炭素放出量が相対的に石油の半分ほど、だがメタンそのものも温室効果をもたらす。

・石油の燃焼が二酸化炭素濃度を上昇させ、地球温暖化をもたらし、また世界経済の不安定要因ももたらしてきたため、石油を代替する燃料源としてエタノールが浮上。
石油同様に液体として運用出来、安定供給が可能で、それでいて人体への悪影響も無いものとして期待されている。
植物(たとえばトウモロコロシ)の体を成す炭素化合物は空気中の二酸化炭素を元に出来ており、これを発酵させ更に分離抽出した液体がバイオエタノール、だから燃焼させても大気中の二酸化炭素を増やしたことにはならぬ。
…という理屈がいわゆる「カーボンニュートラル」論。
(※ この論の理屈付けがどこまで科学的に正当であるかは、ここでは問わない。)

さて実際のところ、バイオエタノールの製造工程で投入される全エネルギー量は、そのバイオエタノールの燃焼によって得られるエネルギー量とほとんど変わらない、との見方が多勢。
それ以前に、世界の石油消費量は年間40億トン、だがトウモロコシの年間産出量は年間8.7億トン、ここから採れるバイオエタノールは最大でも3.5億トンに過ぎず、さらに石油と比べバイオエタノールの燃焼効率は2/3に過ぎない。
にもかかわらず、食材としてのトウモロコシは明らかに減ることになる。

このような批判から、穀物によるバイオエタノールではなく、植物の体を構成するセルロースを元にエタノールをつくる研究が進んでいる(第二世代バイオエタノールという)。
セルロースは廃棄材や廃木からも採れるはずだが、実際には分解が難しく、シロアリの腸内細菌の転用などが考慮されている。

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・炭素化合物の応用としては、PET(ポリエチレン=テレフタラート)や、液晶ディスプレイ、有機EL(エレクトロ=ルミネッセンス)が既に我々の日常に馴染み深い創造的素材であり、いずれも素材自体が頑丈であり、軽量であり、エネルギー消費量が少なめのもの。

・炭素の純粋な形態は、黒鉛(グラファイト)、ダイヤモンド、無定形炭素(燃えかすのすす)がずっと知られてきたが、更なる構造形態の炭素として「フラーレン」が発見されると、90年代以降は合成も進められている。
フラーレンはその球状の形がナノレベルの潤滑剤として用いられ、また極めて薄くて軽量な特性ゆえ、超薄型の(どこにでも自在に貼り付け可能な)太陽電池素材としても期待されている。

・もとより、炭素同士の結合力は他のあらゆる原子同士の組み合わせより強靭であり、鉄の1/4の重量でも強さは10倍以上で硬さは7倍以上。
ゆえに「炭素繊維」は既に、機材やインフラ工材へ活用進められている。
NEC(日本電気)の飯島澄男博士は91年に、黒鉛を筒状に丸めた形状の「カーボンナノチューブ」を発見、これは炭素繊維よりもぐっと高密度で強靭な素材として合成研究が続けられている。
カーボンナノチューブは炭素原子の配列から導体にも半導体にもなりえ、仮に半導体としてコンピュータに用いれば、現行の素材よりずっと低電力かつ高速な情報処理が実現されることになる。

・人体内にてがんやリウマチを起こすタンパク質の「活動を抑える」ための、人工的な抗体をつくる研究が、バイオ先端技術をもって進められている(いわゆる抗体医薬というもの)。

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※ 参考 『シェールガス革命で世界は激変する』 より

・シェールガスからはエタン、ブタンなどの成分を採取出来、またエチレンやトリニトルなどプラスチック原料の採取も可能。
従い、プラスチック材料費も安価で済むことになる。
実際、アメリカの大手化学メーカがシェールガスを原料としたエチレン・プラントを動かす予定。 

・シェールガスはメタン純度が高く、精製分離すれば良質な水素エネルギーが得られることが分かってきた。
これは現行で開発ベースである水素燃料電池(活物質として水素と酸素を反応させて発電・蓄電する)の実用化を、一気に拍車させる技術たりうるかもしれない。


以上

2014/11/06

ガラスの劇場

以前のこと、或る国立大学の工学だか建築だかの学部に籍をおく(であろう)女子と、間接的に知り合いとなったことがある。
今20歳かな、本人はまだ自覚していないだろうが、極めて聡明、利発、意気軒昂。
そりゃまあ20歳だからこそ、どこか物事の軽重感覚においてバランスが座ってないようにも見受けられるものの、そこがいちいち新鮮で ─ そんな彼女と若干の意見を交わしているうちに、ぱっと閃いたことがあった。
「せっかく恵まれた環境下で勉強する機会があるのだから、いっそ、ガラス製の劇場でも建造してみたら面白いのでは」。
とりあえず彼女に提案してみたが、どの程度に関心を抱いたかは分からない。

そもそも、舞台も、舞台裏も、客席も、何もかもすべてガラス製の劇場など、建造しうるものだろうか?
ガラス素材、硬度や強度や安全設計、その工法などなど、言いだしっぺの僕自身には具体的な実現方法など全く見当もつかない、がしかし、もしそんな劇場が有ったら、演劇に革命的な変化をもたらすであろうことは、きっと間違いない。

たとえば、舞台で演じている俳優が舞台裏に引っ込んでも、その舞台裏での俳優たちの動作まで全部観客にあからさまにされる、いや、 それこそ立体映像のように奥舞台では別の演劇が同時進行で展開していけば、もっと面白いぞ。
もちろん宙空でのホログラム動画も使い放題、となると、シナリオが遥かに多様になる。
照明は観客席のガラスの座席を通しても発することが出来、だから全方位からさまざまなプリズム光線のようにピカッと舞台を照らす、舞台もガラス製だからなおさら幻想的に輝く。
現行の照明とは比較にならぬほどの、ダイナミックな光線効果がありえよう。
そして、そんな具合にキラキラと輝く舞台や舞台裏や観客席が、全てガラス張りの劇場の壁をつきぬけて屋外の人たちの視覚にまで届くところとなり、尋常ならぬ関心を集めることも出来よう。

なんだ、そんなもの、既にモバイルゲームでも実現されているじゃないか、というだろう。
が、しかし実際の演劇舞台でここまで実現しえたものがあっただろうか、いや、実際の演劇だからこそ、ゲームとは比較にならぬ凝ったシナリオと奥行きの深い演出効果に満ちた別世界が実現できようというもの。

…などとこうして書き留めつつも、想像力はどんどん膨らむ一方である。
僕でさえそうなのだから、未だ20歳の彼女がもし仮にこのガラス製の劇場に関心意欲を抱いたとしたら、はるかに自在な着想力をもって、それこそこれまでに存在したことのない文化芸術を想像(創造)しえよう。

ついでに思いついたもの。
まだ存在していないような気がするが、ガラス製のルービックキューブ、なんというか、たとえば寒天ゼリーみたいな形状と体裁で中にちっちゃなサッカーボールが入っているようなもの。
もちろん、中のサッカーボールを完全にきちりと復元させるという玩具である。
これも面白いと思うんだけどなあ。
(ただし、中に人間の頭とかドクロが入っていたらさぞや気持ち悪いだろう。) 


そんな、こんなで、あらためて考えること。
つくづく、思考にはフレームワークなど無ければ無いほど、面白い。
考えれば考えるほど、発想は多重になり、多角的になり、それこそ枠組みはガラスのように内外透過的になり、けじめも境界もなくなっていくでしょう。
議論も同じで、みなが違う発想のフレームワークで挑むからこそ、意見が膨らみ、おのおのの新規アイデアも膨らむ。

逆に、初めからフレームワークに上限をおいた思考や討論は、内向きの知識のギューギュー詰め合わせばかり、ひいては内輪の損得論ばかりになるは必定。
おまえはかくかくしかじかを知っているか、俺は知っているぞ、だから俺が仕切る、サァどけどけ、いやいやそんなことはないぞ、ネットで検索したらほーらこのとおり、おまえは間違いで俺が正しい…などと、もうぜんぜん面白くない。
面白くない時点で、全員が負けなのね、そんなもん発展的なビジネストークになるわけないでしょうが。
というか、何らかの事情で思考のフレームワークに上限を押しつけられているうちに、みな自己都合の損得論ばかりギューギュー押し合いへし合いに陥ってしまうのかもしれない。

しかし、たとえば商業取引においてさえも、原価、時価、証券、債権などなど、人類史上において何度もなんども権利価値の観念をすげ替えてきた次第で、まして自然科学系の諸分野における学生の皆さんには、もっともっと無遠慮かつダイナミックに思考自身を越えて行ってほしいもの。

以上

2014/11/03

元素の価格

たとえば、炭素原子1つの価格は幾らだろう?
え?そんなもの、考える必要が無いって?
なになに?価格は売り手と買い手の効用や機会についての判断で決まる?でも炭素1つだ2つだについてはそれらが定義出来ない?
わかったわかった、いいからちょっと黙ってろ。

さて ─ たとえば犬一匹の値段は?IPS細胞ひとつあたりの値段は?あるいは、人間の臓器の価格は?
これらは、なんらかの売買取引がなされる(なされうる)のだから、それぞれ米ドルだのユーロだの日本円だの換算でなんらかの価格はつくはず。
つまり、原子ひとつや分子ひとつには価格が「無い」のに、それらを膨大に組み合わせ束ねて存在する混合物としての犬やIPSには、誰かの都合によって価格がつく。
ということは、だ。
財貨の価格が人間相互の暫定的な虚構であって、本当は価格そのものには還元的な根拠など無い。

え?たとえば金属元素などには一定重量あたりの売買相場があるじゃないかって?
どんな原子の価格だって、分子の価格だって、根源的に設定出来るのだって?
じゃあ、石油やシェールガスの構成分子の単価があるとして、その一定量あたりの売買価格が年に20%も30%も変動する理由を、説明してみろ。

アダム=スミスは水とダイヤモンドのパラドックスを挙げたが、どうして日本では水が「タダ」なのか?水分子がタダだからか?
土地代が場所によって異なるのは何故か?土壌の成分とどこまで関係あるのか?無いのか?

身体を構成する原子や分子の絶対数が多い巨漢やデブは給料も税金も高いこと、また体質によって給料や社会保険料が異なること ─ これらは正しいといえる?
或いは逆に、人体を構成する原子や分子の数を算出し、それら諸々の元素や分子の単価を掛ければ、その人体に(つまり人間に)価格をつけることが出来る?
元素では不十分ですねなどというのなら、素粒子の単価あたりで計算してもいいぞ。

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人間同士が何らかの財貨に対して暫定的においた、還元的根拠の無い価格という虚構、それらの変動によって、 戦争がおこり、犯罪もしょっちゅう。
ある取引は合法であり正当であるといい、ある取引は詐欺といい刑事罰対象といい、懲罰とか空爆とかいう。
いえいえ、こういう虚構性と変動性にこそ、市場経済活動の醍醐味があるのですよ ─ といえばそれまでのこと。
ならば、経済の醍醐味には、恐怖も憎悪も殺人も戦争も含まれうるわけだな。
僕はいいとも悪いとも言ってないよ、虚構とその変動に対して、実体そのものである我々人間が、いいも悪いも判断出来るか。

ただ ─ 価格というもの、つまりカネというものが絶対の根源の無い虚構の変動であるからこそ。
人間は意思のちからだけでその虚構の間違いを修正出来る。
たとえば、中央銀行の通貨増刷を待たずとも、企業同士が相互信用にのっとってフレキシブルな事業継続が出来る。
また、政府の増税や国債発行を待たずとも、富豪がカネをぽんと市場に寄付することだって出来る。

(…用語も含め、どこかおかしいな、やっぱり。)

以上