2014/11/21

【読書メモ】 生命とは何だろう?

実際に起こっている現象について、我々人間がそこになんらかの普遍性を見出せば、その普遍的な論理をまとめて自然科学に格上げ出来よう。
がしかし、特殊な現象ばかりがバラバラに確認されるのであれば、それらどれだけ束ねても自然科学とはいえまい。
この見方からすれば、生命の在り方は、完全な自然科学とはいえない。
いつだったか養老孟司氏が何らかの講演にて、「顕在化しているあらゆる生命現象は疫学的な統計に過ぎない。他の自然科学のように或るインプットに対して特定のアウトプットが必然的に確認されるものではない」 といった由を強調されていた。
また養老氏と福岡伸一氏による別の講演では、「どの生命個体もそれ自体が周辺物質から独立完結した存在ではなく、むしろ何らかのかたちで周辺物質と補完しあう流動的存在である」 旨 ─ とくに福岡伸一氏のいわゆる動的平衡論を総論に据えられていたと記憶している。

なるほど、生命現象は化学や物理学のような観察可能な再現性には欠けるのであろう…クローン、ヒトゲノム、放射線、万能細胞と、いずれも巷間議論が喧しい理由もそこにあるのではないか。
が、そうはいっても、現に生命論が生物学としてひとつの学問体系となっている以上は、「ある程度」までは自然科学的に=つまり論理的に説明がなされているはずである。
いったい、どの程度まで?

そんなことを考えつつ、ふと思い出したのが、昨年初めに発行されて読み進めていた今般紹介の本である。
『生命とは何だろう? 長沼 毅・著 集英社インターナショナル刊』
本書は、生命がどこまで化学や物理学の複合的な考察対象か、そしてどこからが仮説であるかを実に明瞭に解き明かす。
文面こそ平易に抑えられてはいるが、たとえ僕のような素人でも理知的な充足感は抜群、さらに著者の見識交えた斬新な仮説の数々はしばしばスリル満点。
まして、自然化学全般に見識高い社会人や学生であれば一晩で読み抜いてしまうのではないか。
しばらく以前に、本ブログにて松井孝典氏のアストロバイオロジーに関する著書を紹介したが、寧ろこの「生命とはなんだろう?」におけるコンテンツをキッチリと押さえて以降に松井氏のアストロバイオロジー本に進んだ方が、ヨリ包括的に理解が進むかもしれない。

では僕なりの【読書メモ】として、本書内容のうち特に関心惹かれた内容をいくつか以下に列記しおく。
ただ、化学や物理学にさえも明るくない僕なりのメモゆえ、高度に複合的な仮説の紹介は避け、基幹的なコンテンツの案内に留めたつもり。



・1953年のスタンリー・ミラーによる、分子ガス(メタン、水素、アンモニア、水蒸気)と高圧放電の想定実験以来、原初の地球環境を模した生命生成実験が数多くなされ続け、これらによって、単純な無機物を素材として複雑な分子構造の有機物(アミノ酸、糖、核酸など)が微量に生成されるところまでは確かめられた。
しかし、タンパク質の生成にはいまだに成功していない。
タンパク質は50~100個のアミノ酸分子連結によって初めて生成される。
さらに、多くの想定では地球の原初の海が高温であったことが前提となっているが、じっさいは温度が高すぎると(130℃を超えると)タンパク質分子が壊れる。

・そこで、生命体のタンパク質がはじめて生成された場所は、低温の海水がマグマ溜まりの岩石で加熱されて熱水循環がおこる箇所、たとえば海底火山の熱水噴出孔ではないか、という説が有力となったこともある。
しかしこの熱水噴出孔の説のとおりとすれば、タンパク質の生成につながらない有機物が多く出来過ぎてしまう。
また、分子がつながる際には水分子による脱水反応をもたらすが、海中であったなら分子に脱水反応が起こり難く、分子がつながり難かったはず。

・いまや、1988年のヴェヒターショイザーによる表面代謝説がとりわけ有力である。
これによると、海底火山における硫化鉄が黄鉄鉱に変わるさいの化学エネルギーをもとに、原始の地球で大半を占めていた二酸化炭素から様々な有機物が生成された、というもの。
黄鉄鉱は鉱物ゆえ表面に分子が結合し易く、しかもここなら脱水反応を起こし易いので分子結合も長くなりうる。
さらにこの黄鉄鉱は海底ながらも表面積が極めて大きかったことが想定され、だからそのどこかでアミノ酸分子が何百もつながってタンパク質が生成されたのでは。

・ところで、宇宙の彗星には有機物と氷で覆われたものもある。
これに宇宙の放射線や太陽紫外線があたると、その有機体が壊れ、その壊れる過程でアミノ酸も出来うるし、また氷は溶けて水になりうる。
その状態にて、さらに太陽系外からとてつもなく巨大な宇宙線があたると、アミノ酸分子をたとえば100個くらい同時につなげるような反応が起こりうるのではないか。

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・生命の特徴は、代謝、増殖、細胞膜、進化に総括出来る。
これらのうち、地球生命は全ての特徴を有し、また仮に地球外生命が存在しても代謝だけは行っているはずである。
代謝は、定義上二つあって、一つは細胞内の物質入れ替えを指す物質代謝であり、もう一つはエネルギー代謝である。

物質代謝として、生物は一定の時間が経つと古い細胞を捨てるが、このさいに取捨選択の論理判断エネルギーは発生させない。
ともかく一定時間が経つと無条件に古い細胞と新しい細胞が入れ替わり、しかも自己の構造は維持し続ける。
たとえば人間は毎日5、000億個の細胞が入れ替わるが、やはり自己の構造を維持し続けている。

エネルギー代謝としてみれば、生物は実に不思議な活動をしている。
物理学者のシュレーディンガーは、「生命はエネルギーでも物質でもなく、負のエントロピーを食べている」、と解釈した。
まず、生命はエネルギー代謝によって新たなエネルギーをおのれに注入し続けている (だからその生命自身はエントロピー増大に反した活動を続けている)。
かつ、宇宙全体でみれば、或る空間におけるエネルギーが保持され続けている場合、その周辺のエネルギーは費やされ続けている (周辺のエントロピーを増大させている)。
これらまとめて捉えれば ─ 生命はおのれの維持のために、おのれ以外の全宇宙のエネルギーの死 (エントロピーの熱的な死)を早めていることになる。
※ この段は、僕自身の熱力学に対する見識はさておいて、人間社会そのものをも示唆的に俯瞰した巨大な達観のようでもあり、なかなか面白い。

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・DNAの塩基は4種類で、A(アデニン)、G(グアニン)、C(シトシン)、T(チミン)の極めて巨大な配列と、その対から成る。
では、生命活動を導く塩基の配列のうち、「最小単位」はどんな配列だろうか?

クレイグ=ヴェンターは、100万の塩基対のDNAを人工合成。
尤も、これは或る現存する微生物のDNAを元に設計したもの。
仮に、何にも拠らずに全く新規のDNA塩基を合成する場合、そもそもA,G,C,Tの4種の塩基が50万個連なる、その論理的な順列は4の50万乗となる。
この膨大なとりあわせの塩基とその対をもって、それら一つ一つが生命活動を導くかどうかを実証しなければならない。
(なおこの順列の数は全宇宙の原子総数つまり10の80乗個より遥かに多い。)
それでも、もし何らかのテクノロジーをもってこの実証が可能となれば、生命活動を導くDNA塩基の最小配列が導けるかもしれない。

・とはいえ、DNA塩基列はあくまでも生命活動のプログラムであって、実際に生命を動かしているのは細胞質である。
細胞質は未だ人工的に作られていない、だから生命活動の実証にはまだ程遠い。

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・生命の突然変異は、「環境に適合するため」のみではない。
環境による淘汰を受けなければ、突然変異による何らかの遊びの部分は残存し続け、さらに多様性をもたらす。
そして、環境による淘汰を受けてこそ、特定の種の形質が似たようなものに収斂する。

・オウムガイのらせん形と木の枝の広がり方は、ともに数式によって表現出来る ─ ということは何らかの力学原理が働いていると考えられる。
オオコノハムシの外見は木の葉にそっくりであり、これはオオコノハムシに働いた何らかの力学が、木の葉の葉脈における力学と近かったためではないか。

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・二酸化炭素に水素を結合させて、栄養分としての炭水化物を作り出し、かつ酸素を排出する、というのが生物の祖先以来ずっと続けられている生命活動の基本プロセス。
特に原初の生物は、火山ガスに含まれる硫化水素の分解プロセスを利用して水素を得、それを二酸化炭素に結合させ、自身のうちに独立栄養としての炭水化物を作り出し、酸素を排出していたと想定される。
これが可能であったのは、原初の生物が海底火山ガスにともなう赤外線を察知していたからではないか。

ところが、恐らく24億年ほど前、シアノバクテリア細菌が地球生物で初めて、「水」を「太陽光エネルギー」で分解して水素を獲得、それを二酸化炭素にぶつけて炭水化物を得たのではと考えられている。
なぜシアノバクテリアが太陽光を察知したのかといえば、太陽光も赤外線と同じく電磁波であり、何らかの突然変異で太陽光を察知するクロロフィルが出来たのではないか。

このさいの水素の源である水=海水は、硫化水素より遥かに膨大に存在していた(いる)ため、このシアノバクテリア型の水分解システムを内蔵した生物は大増殖を始め、それとともに排出する酸素量もとてつもなく多くなり、結果として地球上の酸素濃度が高まった。
また、このためにこそミトコンドリアの原型にあたる微生物も発生したと考えられている。
ミトコンドリアは有機物から電子を取って溜め込み、酸素を使ってそこからエネルギーを生み出す。

・シアノバクテリアの排出したであろう膨大な酸素は、地球をそれまで高温保持させてきたメタンガスを酸化させ、二酸化炭素にしてしまった。
メタンガスに比べ、二酸化炭素は遥かに低温化を進めるため、全地球が凍結するきっかけとなった。
海が厚い氷で覆われ、太陽光が遮られて海中に届かなくなった。
この時代を生き抜いた生物が、細胞膜を有しミトコンドリアを取り込んだ真核生物に進化した、と想定されている。

生物は酸素への耐性を高めるためにコラーゲンを使って多細胞化、生殖細胞と体細胞の分化、さらに巨大化が進み…。

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以上、このあたりで僕はそろそろついていけなくなったので筆をおく。
本書は更にさらに、大きくそして深く考察と論理を展開させていき、巨大生物、知的生物、知性と生存の意味などについて触れてゆく。
なんといっても、視座のダイナミックな転換が楽しいもの、しかし視座の転換にさいしては基礎的な着眼が必須、ゆえに、実践的な観察眼をお持ちの社会人や学生こそ、いよいよ楽しめる一冊たりえるのではなかろうか。