2012/05/27

学校や予備校が何故か教えてくれない世界史


世界史科の教科書や参考書を読めば読むほど、「訳のわからない疑問」 が湧いてくるもの。
もちろん学校のみならず、これに徹底的に基づいて教育をしている予備校でも、同じ。
おそらく、世界史は如何なる事実でも必ず「以下のステップ」で発生した、と考えないと説明出来ない。

(1) いつでも、どこでも、新規の農業や畜産や漁業、その技術ノウハウうやスキルが生まれ、土地や海洋の発見・開発も進む
(2) そこで交易市場が拡大し、余剰が生まれた地域では技術が収斂して産業となり、言語や通貨の専門化や効率化も進む
(3) そうなって、初めて社会や地域間に経済力の格差が生じ、所有と権利(法)と課税の闘争が生じる
(4) それがついに人種や民族の正当性の闘争、さらには戦争まで発展し、どこかで双方が諦めて条約となる
(5) 以上の合間に、時々文化人が現実を賞揚したり慨嘆したり理論化したり、絵画や音楽を残したり、更に新しい信仰がおこる。

大学入試の世界史出題をみると、たまに、「ああ、いい問題を出しているなぁ」 と感心させられるものも確かにある。
(1)→(2)および(5) もしくは (2)→(3)および(5) あるいは (3)→(4)および(5) 
…という具合に事実の因果を踏まえた出題が良問じゃないかと思っている。
ここに具体的な用語をちりばめたり、それを空所補充させたりして、うまくまとめあげるよう受験生にチャレンジしたりして。
いわゆる難関校ほど、そうなっている。
それで学習分量が増えて困る、というのなら、中国大陸の諸文明の歴史を一気に類型化し、唐王朝以前は割愛すればいいんじゃないの?
だって、同じように長く広域に亘る国家民族として、イラン系、アラブ系、トルコ系やドイツ系の歴史記述なんか、明らかに少ないよ。

ともかくも、「訳の分からないこと」 について以下のように僕なりに 「思いつくまま」 挙げてみる。

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・人口が増えると、商材取引の市場が拡大し、機会や情報や勉強量や経験量が増えるから産業が発展し、総じて経済が発展する、と一見思われる。
しかしながら人口の巨大な民族/国家がすべて経済力で世界トップ級というわけではない。
なぜか?
そもそも人口の多寡と産業力と経済発展の関係について、一貫した説明がどんな学問にもないように思われる。
なるほど、人が少ないから発展しない、という市場や産業もあるだろうが、人が多過ぎるからこそ発展しないという政策論理だってあるだろう(で、なかったら人減らしなど起こるはずがない。)
いずれにしても、人口の多寡こそは人類の歴史を決定する根幹要因そのものではないかと思われるのだが、どうしてこういう 「問題提起」 をしないのか?

・現行の世界史科ではほとんどが実質的には 「政策史」 であって、つまり民間の市場に国家権力がどのように絡んできたかの歴史となっている。
であれば、まず民間市場ありき、というのストーリーが自然なはずなのだが、どうして民間市場(や企業)についての歴史を徹底的にオミットしたがるのか?
これではとりわけ欧米の歴史を説明出来るわけがない。 

・世界史が派手に動いた時代は、大抵デフレ局面にあった。
まず、インフレについての説明は、比較的簡単で、「何かが不足した」ために市場と産業と経済における「調達競争」とそれに伴う「信用(期待)」が過熱し、通貨価値が下がり…
それが過度になるとついていけなくなる主体が増え、社会そのものが維持出来なくなり、で、破綻する ─ といえばよい。
ところが、問題はデフレであって、これは文明においてカネの蓄積者が率先して安穏と停滞に向かわせる「財の超過」 「カネ余り」 「信用崩壊(放棄)」 「不況」 なのだが、その循環を世界史科ではほとんど説明していない。
政治経済科などでは、○○の一つ覚えみたいに 「在庫が超過すれば、デフレです」 などと教えているが、ふざけんじゃないよって。
どんな財でもサービスでも、完成した瞬間から客先に引き渡されるまでは在庫なのである。
だから、在庫が超過であるという状況説明は現象面の暫定的な描写に過ぎず、過程や傾向の説明にはならない。

なるほど、何らかの理由で市場がどんどん縮小し、だからしばしば戦争をして無理矢理に景気づけをすることになる…地理上の発見もピラミッドも征服活動もニューディールも大戦争も景気回復のための大事業であった
…などと大まかに類推するのが普通の社会人で、学校教師連中よりはまだまともな市場経済感覚を持っているといえよう。

しかしながら…世界史という学問領域はどこまでも世界や社会の 「連続性を説明」 しなければならない!
つまりは、インフレ~デフレの景気循環と歴史的事実について動的に明らかにしなければならない。
ましてや、僕もそうだが、インフレの経験も記憶もない人間にとってはデフレ経済こそが現実=人生観そのものになりかねない。
ゆえに、現代の世界史科では、とりわけデフレの要因と経緯と顛末を動的に=歴史的に説明しなければならない。
そういうことは政治経済科に任せればよい…というのはちょっと無責任な見識だと思うし、また政治経済科でデフレをちゃんと説明するのであれば世界史の知識は不可避じゃないのですか?

・16世紀はじめのルカ=パチョーリによる複式簿記こそは人類史における最大の発明のひとつ、一般見識では通説とすらされているのに、世界史科では一般に触れられていない。
これでは、なぜ経済運営システムが欧米内部では正当化が進んでいったのか、なぜ巨大な投資への信頼が高まっていった、そしてなぜ非欧米世界がしばしば騙され搾取されたのか、ちゃんと説明出来ない。
しかも一方では、中国諸王朝の課税だの土地制度だのには恐ろしく細かい知識が課され、かつ、苛烈な課税制度にも中国人民は負けていないぞ、という文脈である。
いったい、何を教育しようとしているのかさっぱり理解出来ないし、何か意図があるのかすら分からない。
どうなっているのだろうか。 

・ストア学、アリストテレス、儒学、仏教、キリスト教、スコラ学、イスラームなどなどの思潮は、現代の科学技術と連環させてこそ意味のあるもの。
特に、近代以降の帰納法と演繹法について ─
たとえば前者は山岳系や海洋系の文明に適した着想で 「具体的な結果をまず出せば過程はあとで検証出来る」 という、いわば農業や鉱工業や商業に向いたロジックじゃないか。
一方で演繹法は、平原移動系の文明に適したカネの配分や課税、法律など 「まず数学的な真理がありきで、その真理の応用が現実となっていく」 という着想のもとなのでは?
中央集権や社会主義や唯物論とはどう関るのか?

このように(たとえばですよ)帰納法と演繹法については分類し易く、往々にして産業や職能についての分析でも準拠しやすいものかと思われる。
実際に、日本の産業は帰納法=経験論の着想に基づき、まずはやってみろ、数学と法律は後回しでよい、と言えば強くなるのでは?
(もちろん、それだからしばしば理念を無視して大失敗することもありうるのだが。)
ともあれ、どうして思想や哲学と現実とを世界史科ではつなげて教えないのだろうか?なんのための「文化史」なのだろうか?

・なぜ原子力が産業エネルギー源として選択されたのか?
これはもちろん理論的に可能であったからだが、理論的に可能だからといっても must ではなく、あくまで選択肢の一つでしかないはず。
兵器のエネルギー源として採用されたのなら判るが、それを産業エネルギー源として 「用いなければならない」 のか?
当たり前のことだが、水力や化石燃料が産業エネルギーの源泉であったからこそ、人類の居住地から領土紛争までが決定されてきた。
つまり、エネルギー源は、歴史の決定要因のうち最も根源的なもの。
このこと、なぜ世界史科で教えてはならないのか?
(言っておくけど、僕は原子力そのものを否定する積りはないし、原発だって選択肢の一つとしては保持しておいてよいと考えている。)

・世界史におけるいかなる大国、強国も、東西への拡大は速かったが南北への拡大は極めてゆるやか、乃至はゼロである。
なぜか?
あまりにも有名な 『銃・病原菌・鉄』 は、早稲田の入試英語でも取り上げられるほどに学際的かつ初学者向けの総括的な文明論である。
そこでは確か、穀物や家畜が同じ緯度では移殖し易い反面で、緯度が異なると移植が難しく、だから南北間での征服・拡大はなかなか進まなかった、とある。
こんな重大な 「問題提起」 をどうして世界史科でちゃんと指導しないのか?
地理科で教えりゃいいということか?
しかし市場や産業や経済の発展要因の最も重大な根源については世界史の領分ではないのか?

・世界史の強者は、必ずと言っていいほど海軍の強者でもある - ということは、ちょっと真面目に世界史を勉強すれば高校生だって閃くこと。
海軍力は、古代のアテネやローマから中世のオスマン帝国、近代のスペインやオランダや英国、現代の日本、アメリカに至るまで、必ずその学術や技術力の粋をぶちこんで強化されてきたもの。
これは深く考えなくても分かることで、まず海運が陸運とはケタ違いにコストが低く抑えられるため、経済力は海運力とも直結している。
まさにその海運を守るためにこそ、強力な海軍力が必須。
加えて、海軍の戦いは 「一時退却~!」 などという悠長な戦術が通用せず、いったん開戦したらどっちかが全滅するまで続くから、弱っちい小粒の海軍をいくらバラ撒いても、全く意味が無いじゃないか。

…という具合に、海軍力の覇者が文明の覇者であること (だから中国史上の諸文明は文明の覇者になったことはない) は現代に至るまで最強の真理であると思われる。
どうしてこういうことをちゃんと世界史科で解説しないのか?

・そういえば、どうしてアジアの文明史においては、(日本とマラッカを除いて)海洋民族が大国化しなかったのだろうか?
海が広すぎて、物流コスト低減のメリットを活かせなかったからか?
しかし地中海あたりよりもずっと広域での取引が出来たわけだから、市場規模だってすごく大きくなりえたはず。

・話題の本 『水が世界を支配する』 に仔細に解説されているが、スエズ運河やパナマ運河は、国際戦略展開を激変させたもの。
北方民族が中国文明を新たに造った時(隋や唐)にしても、運河の開削で東西及び南北をつないで経済活動を拡大した。
つまり、運河というのは海運と海軍のパワーを最大限に活用するためのインフラなのだが、これほど重大な文明史上の効用について、どうして世界史科でちゃんと解説しないのか?
アメリカなどでは、実際はエリー運河などの巨大な西方運河開削が続き、フロンティア活動が活発になったからこそ、それを補完促進するために大陸横断鉄道が出来たはず。
そういう運河と鉄道の関りも、世界史できちんと説明すべきではないのか?
まさか、これも地理科の領分だというわけか?

・インドシナ半島の真ん中、極めて細い地峡は、かつて開削して運河(いわゆるクラ運河)をつくろうという動きがあったのだが、どうして依然として中断されたままなのか?
そんな運河が出来たら、南端のシンガポールに寄港する船舶が激減するため、華僑資本が妨害しているんじゃないの?
そうでないなら、どうしてなのか?ねぇ、どうして?

・海洋民族と並んで世界史上の強力な勢力は、山岳系の民族である。
その理由としては、山岳系の民族は地の利を活かして外敵から守り易かったこと、耕作し難い土地におかれたため技術開発の創意工夫が進んだこと。
さらに、山岳部では疫病が伝染しにくかったことなどが挙げられている。

さて、日本人は海洋民族であるとともに、山岳民族でもあるわけで、地政学的に大袈裟に例えればトルコ人に似ており、イタリア人にも似ており、もっと言えばドイツ人と英国人をミックスしたようなアドヴァンテージがあったと思われる。
つまりこういう海洋と山岳の折衷こそが、経済、産業、軍事の全てにおいて優位に立つ要件であった、と考えたくもなる ─ のだが、こういう仮説を世界史科で聞いたことがない。
むしろ世界史科においては、平原部の移動型文明が一番強かったかのような説明が散見されるのだが、おかしいのではないか?

・日本は戦国時代に銃の生産量で世界一であったことがよく知られている。
そのままずっと銃の改良を続けて行けば、たとえ鎖国をしようともライフルや自動小銃(マシンガン)や大砲の類をヨーロッパやアメリカに先駆けて自主開発していたかもしれない。
いや、そうなっていたとすればそもそも鎖国などする必要もなく、豊臣秀吉の時代にはむしろアジア全域を簡単に征服していたような気がする。
もちろんライフルや大砲があれば、弓や騎馬軍などはもう相手ではないからであり、かつ日本製のライフルや大砲はきっと簡単には模倣出来ない技術水準のものになっていただろうから。
そうなると、南方に進出していたスペインやオランダをも追い出していたような気もする。
因みに、ヨーロッパの軍隊がライフルを活用するのは1700年代以降で、大砲とライフルが小銃とともに機動部隊を作ったのはナポレオン以降である。
どうして日本の権力者は銃器の新規開発製造を止めさせて内に籠ってしまったのだろうか?(本当に止めていたのだろうか?)

・いわゆるセルジューク・トルコでは、アカデミズムの代表者であるニザーム=アルムルク、宰相ガザーリーを始め、イラン系の傑物が輩出したことで知られる。
それどころかペルシア語を公用語にすら定めている。
トルコ、と称する王朝なのに、しかもイスラームだから法や税の根幹はアラビア文明圏のはずなのに、どうしてイラン系がこれだけパワーを発揮したのか?
そして、なぜイラン系にシーア派が増えたのか?
民族の能力や適性に関する好例として、これらの理由を世界史科が解説しければならない。
だいたい、民族運動となると物凄く大仰に語りたがる人が多いくせに、民族の能力ということになると口をつぐむのは何故か?

・いわゆるジプシーは、自称 「エジプトから来た民」 だが、じっさいにはインド方面から流浪してきたとされている。
ドイツ地方に流れ着いた集団は、ツィゴイネルワイゼンとも呼ばれた。
しかし、どうしてジプシーは東アジア方面へは流れてこないで、わざわざ寒いヨーロッパ方面に向かったのか?

・プロテスタントとカルヴァン派とピューリタンと英国国教会の違いについて、ちゃんとした説明が世界史の教科書にも参考書にも無い。
これでは17世紀前半のいわゆるピューリタン革命と、スコットランドのカトリック王権との関係と、クロムウェルの独裁と、英国国教会の立ち位置と、17世紀末の名誉革命と…どれも説明が出来るわけがない。
なおプロテスタントはカトリックと異なり、女性の読み書きを認めているとして広く知られているが、これもちゃんとした説明が世界史科ではなされていない。
民族の産業力、経済力そのものにも関るこれらの重大な現実について、どうしてちゃんと説明しないんだろうか?
こういうことは、ミッション系の女子中高生の方がむしろ知っているのだが、だったらそういう女子高にちゃんと聞きにいけばよいだろうに。

・フランス革命は、1792年のいわゆる8月10日事件の直後から国民公会主導で急激に社会主義化(第一共和政)し、さらに対外的にも攻撃的に打って出ていくが、これらはどう関っているのか?
ちょっと考えれば、ああ王権を抑えることで税などが軽減されたのだな、と分かるが、しかしベルギー侵略など対外戦争を進めるための「義勇兵」は何に期待したのか。
いや、そもそもそんな強力な兵隊、どこから出てきたんだろうか?

それから、1848年の中小企業と労働者による一連の革命の顛末として、ルイ=ナポレオンが全社会階層や軍部の支持を集めて大統領になっている。
ルイ=ナポレオンはもともと国家反逆罪で英国に逃亡中の身であったのに、なんでこんな人物が人気を博したのか?そもそもなんで大統領が必要だったのか?
(彼は後になんと皇帝にまで上りつめ、ナポレオン3世と称し、国際紛争にもどんどん首を突っ込んで大失敗している。)

・中国史を造ってきた諸文明は、おおむね朝貢貿易と冊封体制をとってきたが、これらはものすごく奇怪な外交政策とはいえないのか?
まず朝貢貿易だが ─ もし中国の諸文明の王朝が万物の生産力や商材の種類において 「本当に」 卓絶していたのであれば、ほっといても周辺諸民族の商社マンなどが買い付けにきたはず。
だから、中国皇帝が周辺諸民族に対し 「おまえら、わが中国のものを買え」 などと強要する必要など生じたはずがない。
そりゃまあ、買付にくる諸民族はなにか貢物くらいは持ってくるだろう、しかし商売なんだからあくまで交換であって、中国皇帝への一方的な貢物という見方自体がおかしい。

むしろ、ギルドの商売の許認可のようなビジネスライセンス付与だったと考えるのが自然で ─ そうならば朝貢などと言わず中国商品のライセンス許認可貿易だったと言ってほしい。
かつ、日本が遣唐使を廃止した理由は、唐で政治動乱が起こったから、というのもトンチンカンな説明で、そうじゃなくて日本側には唐の物品を購入するメリットが無くなったから、と考えるのが常識。

次に冊封体制だが、そんなもの本当に可能だったのか?
たとえば日本は継続的に中国の諸文明の冊封を受けたことはないし、モンゴル帝国が中国文明を新築した時代を除けば攻撃を受けたことすら一度もない。
そもそも、冊封体制を強要したはずの中国の諸文明の方が、北や西や東の周辺民族に乗っ取られて、廃絶させられてきた
…というのが歴史の真実。
いったいこの冊封体制とは何だったのか、と不思議でたまらない。

・モンゴル帝国に組み込まれた地域は、おおむね近現代に社会主義政策を国策として受け入れた経緯があるが、何故なのか?
普通に考えれば、「平原部」 の民族はもともと移動性が高く、利潤の配分を最優先とする一方で能力開発の観点が無い、だからろくな産業が興らない。
ろくな産業が興らないから人口増大とともにみんな飢える、かつ、国際競争に勝てない。
だから権力集中と利益配分(=つまり社会主義)を政策として選択する…と考えられるが、これが正論なのか?
こんなに明明白白な疑問に対して、どうして世界史科でちゃんと解説しないのか?

・モンゴル帝国は、西ヨーロッパと日本と東南アジアを除く広いユーラシアを征服した
─ というが、ならばどうしてロシアや東欧や中東の現首脳部に (優勢遺伝であるはずの)黄色人種が見当たらないのか?
もし本当にモンゴル帝国が黄色人種によるものだとしたら、どこかで人種そのものが駆逐されてしまった、としか思えないのだが。
そうではなくて、実はトルコ系の帝国だった、と言われれば人種的にも納得出来ないことはない。
(セルジューク=トルコという強大な勢力が消え去ってしばらくして、今度はモンゴル帝国が興っているわけで、セルジュークトルコの発展形がモンゴル帝国だと考えると理解しやすい。)
なお、ヨーロピアンが征服した諸地域では、未だにちゃんと白人との混血が政治・経済のリーダー層におさまっている。

こういう人種間の強弱論について、どうして世界史科ではちゃんと解説しないのか?
ついでに、中国大陸からの苦力がアメリカで強制労働を課せられ、それによって大陸横断鉄道が出来たということは誰でも知っているのに、どうして世界史の教科書に書かないのか?
人種差別論そのものになると、ものすごく大仰に解説したがるくせに。


・戦争中の軍事境界線と、戦争当事国の国境は、何が違うのですか?
いわゆる軍事境界線は「実効支配による領域」を示すというが、実効支配にはどういう法的正当性があるのですか?
つまり ー 国家主権と領域についての説明がきちんとなされないと、戦争と国家の関りも説明出来ないでしょう。
そういうことは政治経済科で教えればよい、とでもいうお積りですか?

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ちょっと思い当たるだけでも、以上のように疑問がふつふつと湧いてくる。
これらをちゃんと説明しようとしたら、世界史科は地理科および政治経済科とセットにしなければならない。

その方向への一層のシフトを期待する。


以上

2012/05/16

【読書メモ】 水が世界を支配する

数年前、『石油の終焉』 という本が巷間かなり話題となりましたが、それ以来の - おそらくはそれ以上の巨視的で深遠な文明論。
それが、今回ざっと要約した 『水が世界を支配する』 です。
英文原題は "WATER - The Epic Struggle for Wealth, Power, and Civilisation" で、文明史における水の意味、意義、そして効用とリスクを大胆に総括せんとしたもの。
著者は英米主要メディアの最高のジャーナリストの一人、スティーヴン・ソロモン氏。
日訳担当は矢野真千子氏で、この日訳版が昨年夏に集英社から出版されました。
青いカバーの強力話題作で、400ページを超えるドドンとした厚みもスリル抜群、一時は書店の新書コーナーが青々と映えてなかなかの壮観でしたね。

一読して……いやいや、これはこれは。
水というものが(石油と異なり)代替不能な唯一絶対の資源、かつ財である以上、これ以上に包括的な文明論はおよそ在り得ないような。
あらゆる生産活動面や衛生面など経済活動の諸局面を鑑みても、水こそは供給行為の源泉そのものといえ、かつ水の需要が国家間の紛争、農業や化学産業などの既得権益化をもたらしている次第で。
と、なると、化石燃料、資源、化学、工業、貿易、言語、数学、軍事、法律、IT、カネ…といった諸要素がいかに上っ面の変動要素に過ぎぬものか ─ 水の巨大なプレゼンスの前にこれらすべてはあまりにも小さい、小さい。

もう少し具体的に換言すれば ─ もし地理学がもっとも包括的な学術分野のひとつとするならば、本書こそはその最強のテキストのひとつといってもいい。
ゆえに、地理学の導入には格好のドキュメンタリーファイルとも言えそうです。
むろんそこから、あまりにも巨大であまりにも断片的にすぎぬ生態系の学問分野を触発していくことも可能。

ともあれ。
以下にちょっと長いのですが要約メモを列挙します。
こういう本ではいつもそうですが、本当に重要なコンテンツはだいたい後半に集中しているので、今回の要約も後半部、つまり 「第3部」 「第4部」 のみに絞りました。
(前半には古代~中世の世界史の変遷と水について、ドラマティックに描かれています。)

まず、本書でふんだんかつカラフルに引用される 「水に関わるテーマ」 を範疇で分類すれば;
・生態系全般
・降雨
・河川
・地下水(地下帯水)
・灌漑農業
・ダム貯水
・水力発電
・工業用水
・物流(水運)
・生活用水、衛生
・国際紛争の歴史

以上に、ざっと分けられます。
ただし人類文明とのインタフェースを主眼にすえているため、概して海水ではなく淡水におかれていること、かつ、なぜか日本についてはほとんど触れられていないところも併せて留意。

なお、本書でしばしば引用される 「水1ガロン」 がアメリカ式の表記であるとすれば、これは約3.8ℓに相当。


・地球上の全ての水量のうち、蒸発と降雨をエンドレスに循環している 「淡水」 はたった0.004%しかない。
そのうち、人類が使用可能な状態のものは、最大でも1/3にすぎず、残りの2/3は地下水系から海水になってしまう。

・この使用可能な淡水をもし全人類に均等に配分すれば、ちゃんと全員に行き渡るはずだが、しかしアマゾンやコンゴのジャングル、シベリアの淡水をも確保した上での話である。
おしなべて、現在の使用可能な淡水は全人類のニーズ、つまり年間1人あたり2000立方メートル相当を満たしていない。
こんごの人口増で、ますます足りなくなる。

・オーストラリアは世界で最も乾燥した大陸で、流出水全体でみても全世界の5%しか無い。
だが人口は全世界の0.5%以下である。
アジア大陸は全世界の使用可能な水の1/3を有するが、世界人口の3/5がこの大陸に住む。
降水の3/4は季節性かつ概して乾燥気候ゆえ、取水や貯水の効率が概して悪い。
なお、とくに乾燥の激しい中東地域に限ると、人口の増加率が著しく高い。
ヨーロッパ大陸は使用可能な水は全世界の7%にすぎぬ一方で人口は12%であるが、降水に恵まれ蒸発も少なく、河川にも恵まれているので取水効率がよい。
北米大陸は使用可能な水が全世界の18%で、人口は8%しかいない。
南米大陸は使用可能な水が全世界の28%もあり、人口は6%と、一見とても水には恵まれているが、それはジャングルからもちゃんと取水が出来た上での話である。

・人間は、仮に食事がゼロでも数週間は生存可能、しかし1日に2-3ℓの清潔な水が絶対に必要。
いくら知力が高くても技量や腕力に優れていてもカネがあっても、水が無かったら死ぬ。

・現在、人類全体の約1/5は1日に1ガロンの安全な飲料水を入手できない。
人類全体の約2/5は、最低限の衛生状態を保つための1日5ガロンの水を入手できない。
入浴や料理まで含めた生活には、1日に最低13ガロンの水が要る。
全世界の20億人が、水害に対処する公共インフラに不足している。
一方、アメリカなどの先進国の一般家庭では1日に150ガロンの淡水を使うこともある。

・淡水の使用量は、過去2世紀の間に人口増加の倍の速度で増加した。

・世界の主な河川の261本が国境をまたぐものであり、その流域に世界の人口の40%が住む。

・20世紀が終わるまでに、全世界の大河川のじつに60%がダムなどの人工物に遮られるようになった。
これらによって、灌漑農地の拡大や水力発電の獲得を推進出来たということは素晴らしい事実である。
しかし反面、シルトの部分的な堆積、下流水域の土地の塩類化、河川水量そのものの減衰、自然環境の不安定化、排水公害などが深刻化した地域もある(とくに発展途上国)。
もちろん河川の上流国と下流国の間で、国際紛争の原因にもなっている。

・地球の地下深く、取水が可能な地表水の100倍もの淡水が、有史以前氷河期から恐ろしくゆっくりと溜まっている。
このいわば化石水が溜まっている深みが、「帯水層」 である。
地表の水は降雨と蒸発の循環で、その一部は地表のすぐ下の地下に一時的に滞留するが、「帯水層」 の水はまったく異なり、ひとたび取水すれば 「なくなる」。

・1992年のリオデジャネイロの 「地球サミット」 がきっかけとなり、世界の利用可能な淡水源は今後の経済成長を支えきれないという認識が高まってきた。
2001~2005年の、国連の 「ミレニアム生態系評価委員会」 によれば、今世紀に入って世界の灌漑農地は水不足のために有史以来初めて 「減少」 に転じているという。
同報告によれば、世界の淡水の使用量の1/4は 「持続的な供給」 の限界を超えている。
また、全世界の20億人は、全世界で使用可能な水のたった8%しか自由に使うことが出来ない。

・2003年、国連は 「世界水発展報告書」 の発行を開始。
同年に京都で開かれた 「第3回世界水フォーラム」 では、世界の水インフラ投資に必要な年間1800億ドルの拠出を先進国政府や協力民間企業に求めている。

・2005年、国連は 「生活水国際10年計画 - 命のための水」 の開始。

・世界の水の3/4が農地灌漑のために、しかも概して農業事業者と政権による既得権益の硬直化もあって極めて安価で使われている。

・1ポンドの小麦の収穫までに、0.5トンないしは150ガロンの水が必要である。
1ポンドの米の場合には、250~600ガロンの水がいる。
ハンバーガー1個分の肉およびコップ1杯の牛乳をつくるため、家畜に与える飼料が要るが、その飼料のために800ガロンまたは3トン以上の水がいる。
Tシャツを一枚つくるため、700ガロンの水が必要である。

・世界5大飲料品メーカであるネスレ、ダノン、ユニリーバ、アンハイザー・ブッシュ、コカコーラが商品生産のために1日に使う水量は、地球上の全員が1日に生活で使う水の量に相当する。

・2025年には、世界の乾燥地帯、人口過密地帯、貧困地帯に要る36億人が、食物の自給が出来なくなる。


・現在にいたるまで、水というものは基本的に市場原則から除外された財であり、その価格は取水と排水のコストのみから成る、とされがちである。
もっとも、水はけして無限の財でないことは古来より人間の知るところであり、アダム=スミスやフランクリンの時代でも、効用と供給限界を鑑みた上での水の価格は 「安すぎるのでは」 と論じられてきた。
しかし、現在でも水は市場取引、自由競争の財として見做されることはほとんどなく、むしろ各国政府の独占供給、独占配分、独占価格決定のもとにある。

・水による 「生産性 (productivity) 」 は先進国と途上国の在り方を端的に表す経済指標といえる。
すなわち、水1立方メートルあたりの生産物を、その売価額面に換算して評価するというもの。
この額面が高いほど、水の経済効率が良いことになる。
アメリカの例では、1900~1970年まではおよそ6.5ドルだったが、そのご急速に額面が高くなり、2000年になると15ドルになった。

・最大の理由は、環境保護運動が高まったために発電・産業・都市の「廃水」 による公害規制が厳格化し、その廃水の浄化は汚染者負担の原則が定着化していったため。
いかに廃水を減らすかを追求する過程で、いかに水を効率的に使うかを産業界・経済界で追求していった所以。

・先進国では、おしなべてこの努力が継続されてきた ─ こんご生態系への理解と研究が進めば進むほど、改善はますます進むだろう。
とくに、本来的に水が不足しがちであったニューヨーク州の環境保全的で包括的な取り組みは注目に値する。

・対極にあるのが中国やインドで、そもそも廃水による汚染そのもののコストが巨大になり過ぎている。
たとえば、いわゆるグリーンGDPを算出すると、生態系復旧コストは経済成長による成果を食いつぶすほどになっている。

・なお、しばらく前の四川大地震はダムへの貯水の重量が地盤に悪影響を与えたため ─ という見方が真面目に論じられている。
環境との共存が勘案すべきリスクは、様々である。

・環境と文明の共存について、大別して2つの路線がよく引用される。
とくに水の利用についてまとめると ─
1つは、「ハードパス路線」 と呼ばれるもので、20世紀前半のアメリカや後半の途上国のように、巨大なダムを建設しテクノロジーと中央統括インフラを強引に導入。
こうして、経済効率を最優先にすえて、環境をまさに量的に改造していくというもの。
もう1つは、「ソフトパス路線」 というべきもので、既存の水供給を元手にその利用技術の効率化を進めつつ、経済活動における水の需要と供給能力を総じて弾力的にするというもの。
これはあわせて、文明のもっとも巨大な決定要因である生態系そのものへのダメージを極力抑制するという活動にもつながる。

・最近になって、水を需給の自由な調整をへて市場化、産業化させるという動きも活発にはなっている。
水を産業化した例としては、水道事業の民営化があり、多国籍企業が仕切り、年間で4000億ドル相当の世界的産業として推進している。
ちっちゃなスケールとしてはペットボトル水もあり、年間で1000億ドル相当の売り上げがあって、コカコーラやペプシコは公共水道水をハイテク素材で濾過しつつ1700倍の金銭価値を付加して売っている。

・水資源に本来的に乏しい国々は、必要な農産物や工業製品を水資源の豊かな国に生産委託し、そのコストを含めた生産物を輸入する、というオプションもとっている。
この輸出入取引の形態をとくに 「ヴァーチャル・ウォーター」 と称している。
こんご、ますます増えることが予想されている。

・水の配送インフラが未整備のため、水道管などの水漏れも依然として大きな問題である。
これらをまともに補修をするためには、この先数年だけでも全世界で3兆ドルはかかるであろうと概算見積もりがなされている。

・海水の 「淡水化」 は、第2次大戦中に南太平洋のアメリカ海軍兵に淡水を補給するという必要から、本格的な技術導入が始まっている。
蒸気圧の誘導を応用した熱脱塩技術などの試行錯誤を経て、さらに海水に高圧をかけて塩を濾過するという 「逆浸透法」 へと。

・この逆浸透法は多量の付加エネルギーを必要とするもので、浸透膜そのものの技術革新もとわれてきたが、21世紀に入るとずいぶん進歩し、低コスト化が進んだ。
実現可能性が高まる一方とされる、未来派技術の粋であり、この産業の市場規模は2005年には40億ドルだったものが2015年までには7倍にまで拡大する、という見方すらある。
実際、オーストラリアのパースでは供給水の1/5がすでに脱塩処理によるものという。

・ただし ─ 現時点での見極めによれば、脱塩処理による淡水の量は、世界で必要とされる淡水をほとんど満たさない希少なものに過ぎないともされ、すぐに水不足を解決する手立てとはなりそうもない。

・(これは僕の所感)
市場化、と聞いてすぐにカネを中心に思考を展開する経済無知がいるが、困ったものである。
経済は本来はエネルギー交換や物々交換や知識間の交換が理想で、それが現実的には出来ないから仕方なくカネという媒体があるのである。
通常、自由競争ではカネが一番用途も効用も多岐にわたるため、どうしても資本主義の形態をとりがちだったのは当たり前。
一方で、現実をふまえれば水こそが最も普遍性、交換性、優先性の高い財であることは間違いなく、となればその用途、効用をとっても物々交換経済の主要媒体として最有力候補たりえないだろうか?
そうなると、 「水本主義経済」 の時代がこれから到来しうるのだろうか?
これが最先端の未来派思考であるのか、或いは、退行的な思考放棄ととられ得るのか、それは今後の我々の常識と見識と想像力のすべてにかかってくる。

ただ、「水本主義経済」 においては、所有の独占や権利の随意な移転、そして納税を通じての権益配分などはこれまでのカネと同様には出来なくなるだろうから、反対する人間の方が圧倒的に多いだろうなぁ。

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<以下、近現代史にかかわるエピソードを列記>



・公衆衛生の観念はもともと古代ローマの時代にすでに存在していたが、ローマ帝国の瓦解とともに廃れていった。
コンスタンティノープルでは細々と受け継がれており、オスマン=トルコに征服されて以降に水道網や水力事業が復活した。
また、ベネツィアにも公衆衛生の観念はかろうじて残っていたが、地形的には常に淡水が不足しており、イタリア本土から給水船で水を運んでいた。

・産業革命の時代を向かえ、スコットランドのグラスゴーやエディンバラでは、蒸気機関および鋳鉄の利用による川の水の汲み上げ技術、ダムや水道が発展した。

・ロンドンでは、17世紀初頭のエリザベス女王治世下に、人口増にともない民間の長距離水輸送業も発展、ロンドンを支えたのはテムズ川の水で、水車ポンプも活用していた。
18世紀、ニューコメン蒸気機関のポンプも活用されはじめた。
だが、ロンドンでは19世紀になると人口増に応じた清潔な水を確保しきれなくなる。
一方、下水の量は際限なく増えていった。

・1817年にインドのコルカタでコレラが発生。
船舶の乗船者が世界中に撒き散らすことになり、またメッカに集まったイスラーム教徒たちはコレラを母国に持ち帰った。
アイルランド移民によってコレラは新大陸にも広まっていった。

・1831年、コレラがロンドンで大流行。
テムズ川は本来、潮汐に応じて水位が大きく変わり、よって下水=汚水は海に流れ出でる前にロンドン市内を何度も巡ることになる。
さらにずっと昔に埋めておいた汚水溜めも、攫ったりするものだから、どうしても疫病が流行る。

・1833年、テムズ川からサケが獲れなくなる (再びサケが戻ってきたのはなんと1974年だった)。

・テムズ川で、上下水道を厳密に区分すればよい、との知恵が出てきて、それは法令にもなるが、このころにはコレラが「細菌」であるという認識がまだ確立していなかった。
だから下水道そのものは杜撰で、途中で上水と交じり合い、1848年にはまたコレラが大流行することとなった。

・1861年、クラッパーが効率的な水洗トイレを開発、販売へ。
するとロンドンでは水の使用量が倍増し、よって汚水がますますテムズ川に還流されることになった。
ようやく、コレラの感染経路は水に違いない、との見識が麻酔医のジョン=スノウによって打ち立てられ、従来の自由放任経済論者の反対を押し切って議会と政府がコレラ問題に介入。
水硬性のセメントが下水管に採用され、下水はロンドン中心部から徹底的に離れたところでテムズ川に放流、それを荷船で海に投棄、という行政主導のネットワークシステムが出来上がった。
こうして、やっとロンドン市内からコレラ患者が消えた。

・ちなみにコレラ菌そのものが発見されるのはドイツのコッホによって、1883年になってからのことであった。
病原細菌説の登場により、同じく水媒体の超チフスの感染も抑止されるようになった。

話は前後するが、普仏戦争でプロイセンが大勝した最大の理由は、プロイセン側が伝染病対策を怠らなかったためで、一方のフランス軍は伝染病により甚大な病死者を出した。
なお、パナマ運河開設の工事初期には、蚊が媒介する黄熱病が甚大な死者を出したが、1914年の開通時には死者はほとんどいなくなっていた。

・水の殺菌処理は、20世紀にはいると大きく進歩、化学薬品、熱処理、紫外線、オゾン処理など。
1915年、ロックフェラー財団は全世界感染症撲滅活動を開始する。
1920年代になると、欧米の先進国では人口増にも関わらず清潔な淡水が不足することはなくなった。

・なお現在の汚水処理は、固形物を濾過、微生物で有機物質分解、化学焼く遺品による殺菌という3段階を経ている。
ロンドンのヘドロは海へは投棄せず、高熱で灰化し、廃熱は発電に転用している。
最終的な放出水は、テムズ川の水よりもきれいである。


★   ★   ★

・アメリカ植民地は東部が雨水農業の可能な大地と水源にもともと恵まれており、独立以前から大西洋沿岸の海洋物流はさかんであった。

英国植民地ということもあり、海洋型の文明であった。
内陸にも流れの激しい河川も多く、水力を活用しての銑鉄や鋳鉄の製造は英本国をしのぐものだった。
また、ニューイングランドの背の高い木は造船を盛んにし、なんと独立戦争における英国艦隊の1/3はアメリカ植民地による造船だった。

・アメリカは1783年の独立当初、西辺境はミシシッピ川、北は英領カナダ、南はスペイン領フロリダまで確保。
このスペイン領フロリダ部にミシシッピ河口のニューオーリンズがあった。
だがアメリカは最初からすでにアパラチア山脈以西~ミシシッピ流域の水運力や産業可能性に大注目。
ミシシッピ川の肥沃な流域は、ナイル川やガンジス川の2倍の広さがあり、その広さはアメリカ本土のじつに1/5を占めている。

・アメリカが英国と巧みに妥協しながら英領インド諸島との交易を始めると、スペインは英米の連携を恐れてミシシッピ下流域とニューオーリンズの航行権をアメリカに提供。

これでアメリカはカリブ海へのアクセスも可能となったが、そうなると今度はフランスが英米の連携を恐れて、カリブ海を巡ってアメリカと対立。

・1802年、ナポレオンは、砂糖とコーヒーの植民地であるハイチの奴隷反乱を抑えるために何万ものフランス軍をハイチ周辺に駐留させる。

これに慌てたアメリカは、英国との連携をちらつかせつつ、ニューオーリンズとフロリダをめぐってフランスと交渉するが、ハイチ駐留のフランス軍が黄熱病で倒れてしまい、このためナポレオンはハイチをあきらめ、新大陸にも消極的になり、ヨーロッパにおける英国との直接対決に方針転換。

・やがてナポレオンの公使タレーランとの交渉の結果、1803年にアメリカはニューオーリンズを併せたルイジアナをフランスから買収、広大なミシシッピ川流域を一気に得た。

(なお、ハイチはこののち独立してしまう。)

・1807年、ナポレオン戦争にアメリカが巻き込まれることを憂慮したジェファーソン大統領は対外貿易を停止、かつ、その狙いはアメリカ農業を保護することであった。

しかし、英国製の織物の輸入がとまると、むしろアメリカ国内の織物産業を加速化させることになってしまった。
すでにこのとき、ホイットニー開発の水力の綿繰り機によって、綿はアメリカ南部の主要生産物。
さらにホイットニーは、規格化部品そのものの工作機をも開発しており、アメリカの大量生産の端緒がおこっていた。


★   ★   ★


・1815年、フルトンが設計開発の蒸気船はミシシッピ川を始めて上流~下流間の 「往復」 を実現。
(それまで、木造船はすべて上流から下流までの一方渡航が普通であり、下流についた船は解体されていた。)

・このころ、既に大西洋の 「玄関」 となっていたニューヨーク州からアパラチア山脈をつきぬけて峡谷をいき、なんとナイヤガラの滝のエリー湖まで水路をつなげるという、巨大な構想が持ち上がっていた。
企画率先はニューヨーク州で、最初は既存のモホーク川をエリー湖までつなげていこうとしたが、船舶航行には不適格とされた。
代わりに、この川に並行して全長363マイルの大運河をエリー湖まで開削することになった。
これが世に知られる 「エリー運河計画」 である。
ニューヨーク州の夢はふくらみ、ゆくゆくはエリー運河をミシシッピ川へつなげよう、と。

・1817年、ついにエリー運河の開削工事が始まり、フランスへのルイジアナ買収債務支払い不安に始まるアメリカ国内恐慌にも関わらず、運河の開削は進められた。
むしろ運河建設によって、出資イニシアチブをとったニューヨーク州は好景気となり、他州が不景気だったため概して低金利で資本獲得もできた。

・1825年、ついに巨大なエリー運河が完成、初年度から7000隻もの船がこの運河を航行し、ニューヨークは大西洋と内陸部をつないで大発展していくことになる。
5大湖方面の鉄鉱石が東部諸州にもたらされ、鉄鋼業の大発展をもたらした。
また中西部諸州の農産物は東部沿岸を経てヨーロッパへと輸出されていくようになった。

・エリー運河がきっかけで、東部諸州から西部への大規模な人口移動も可能になった。
アメリカでは、巨大運河づくりがブームになった。
1840年になると、アメリカ人のじつに1/5がアパラチア山脈西部に移住していた。

・ちなみにこのころ、ニューヨーク州自身は水利に恵まれておらず大火災もあり、コレラ禍にも苛まれていたが、やがて下水道の整備が始まり、人家ではバスルーム設置も当たり前となっていく。

・なお、19世紀の半ば、ミシシッピ川の渡航船による貨物輸送量は巨大なものとなっており、「大英帝国」域内の貨物輸送量とほぼ同量となっていた。

・1848年、カリフォルニアのゴールドラッシュが始まった。
そこで、東部諸州を今度は一気に西海岸の諸州につなげる気運が高まってくる。
と、なると海上輸送ルートが模索されることになるが、ここで着目されたのがパナマで、パナマまで海路をいき、なんとかその地峡を超え、太平洋側に出てからまた海路をとって西海岸へ向かう、という構想が出来た。
パナマはコロンビアの集権下にあったが、アメリカはコロンビアに譲歩しつつもとりあえず地峡をつらぬく 「パナマ鉄道」 を開通させた。

・だがしばらくのちの1903年、アメリカはコロンビアからこのパナマ地峡そのものを買い取り、今度は大胆にそこを全部開削して運河を通すことに。
そして、1914年にパナマ運河が開通する。
もはやゴールドラッシュの西海岸へのアクセス、どころではなかった。
たった10年で船舶通行量は年間5000隻となり、スエズ運河と並ぶほどの勢いだった。

海路、パナマ運河を経て太平洋に躍り出るようになると、アメリカは軍事的な選択肢が大きく増えたことになる。
この時点でのアメリカの最大の仮想敵国は、もちろん全世界に展開している大英帝国であった。


★   ★   ★


・英国のアークライト系列の織物工場の熟練工サミュエル=スレーターは、その工場全体の設計をずべて暗記、農民のふりをしてアメリカに渡航し、ポータケットにおいてなんとそれを再現し、水力駆動の綿織物工業を発展させた。

・フランシス=カボット=ローウェルは、英国に滞在中にマンチェスターやバーミンガムの綿織物工場設備をやはり 「暗記」 し、アメリカに戻ると原綿から布地までの機械式織機をつくりあげる。
河川そのものも滝やダムで加工し、水力そのものも増強しての運用を始めた。
やがてローウェルという町となり、アメリカ最大の綿織物製造地となった。

・ローウェルの工場では、動力源の水車の出力にさらなる工夫を重ねるうち、蒸気機関を凌駕する出力を達成、やがてこの過程で1848年には水力タービンが開発される。
開発した技師、フランシスの名をとって、フランシス・タービンと称され、このフランシス・タービンはずっとのちにナイヤガラの滝の電力化にとって1万馬力を出せるようになった。
水力発電の画期的なイノヴェーションであり、アメリカは水力発電の大国となっていく。

・西部諸州の農地の灌漑、開墾の効率=農業生産性を向上させるため、1902年にセオドア=ローズヴェルト大統領は 「開墾法」 を成立させた。
これはホームステッド法以来の伝統的な自営農地開拓の精神に反し、政府主導の農地灌漑・水利化を目指すという、革新的なもの。
政府が率先ゆえ、協力する農業経営者への補助金貸付もはじまった。

・西部諸州の灌漑農業はもとより、さらに発電、洪水管理、船舶航行の促進と、すべてを解決する手立てとして、大河川における巨大ダムの建設構想がおこった。
1922年、巨大な水量を誇るコロラド川を有する各州がその水量を分かち合う取り決めがなされ、1929年に大統領に着任したフーバーはコロラド川に 「ボールダー峡谷ダム」 の建設を開始させた。

ところが同時期にアメリカは大恐慌におちいり、1933年にフーバーに代わってフランクリン=ローズヴェルトが大統領に着任すると、このボールダー峡谷ダムをはじめ巨大なダム建設工事をいわゆるニューディールの柱にすえた。
各所の巨大なダム工事に、全米の失業者の25%が従事した。

・1936年、巨大なボールダー峡谷ダムが完成、ダムのコンクリート量はアメリカ大陸横断のハイウェイのそれに匹敵する量。
そこに、人口貯水のためのミード湖がつくられた。
ちなみに、このダムは企画元の大統領の名をとって、フーバー・ダムと改称された。
巨大な水力発電の時代が始まり、あわせて、その水力発電の売り上げが大農家の農地灌漑の補助金を支えていき、農業族議員が既得権益を調整していく時代へ。

・コロラド川のさらに10倍もの水量を有するコロンビア川には、1941年にグランドクーリー・ダムが完成。
これはフーバー・ダムの3倍のスケールのもので、全米の水力発電量の半分を生み出した。

なお、このグランドクーリー・ダムの完成わずか5日前に、日本軍による真珠湾攻撃があったが、このダムの発電は航空機とアルミニウムの大量生産を可能とし、ひいては第二次大戦におけるアメリカの圧倒的な軍事的優位性の源泉となった。
ワシントン州コロンビアのハンフォード軍事施設にまで給電され、そこでプルトニウム239が開発されることになる。

・アメリカの巨大ダム建設は1970年代以降に下火となるが、それは巨大なダムが主要な河川に作られすぎてしまい、更なるダム建設の経済効果が無くなったため。
時代は前後するが、コロラド川の水はダムの止水と灌漑過程での蒸発のため、いちばん下流のメキシコに届かなくなり、メキシコの土地は塩類化が進んでいった。
これは生態系をも狂わす問題として、60年代から70年代に意識を高めていった。

・コロラド川流域の諸州では、2007年に 「非常事態協約」 が成立した。
背景を雑記すると ─ 南カリフォルニアで極度に灌漑農業を優先してきた状況に、テキサスの投機筋と水不足のサンディエゴの意向もからみ、コロラド川の水利権を活用せんとしてきた一方で、アリゾナやネヴァダ州などが取水しすぎてコロラド川の水量そのものが減ってしまったため。
ここで事態を重くみた内務省が、南カリフォルニアをはじめ関係諸州にコロラド川の水量割り当て制限を課して、関係諸州がともに妥協しあう非常事態協約となった。
灌漑農業と補助金における既得権益が、利益享受者と不満組の間で大騒ぎをもたらし、やっと合理的な妥協に至ったという好例。

・この非常事態協約によって、関係諸州ではコロラド川の水の効率的な活用に積極的に取り組むようになり、水の使用料と他産業の諸コストを金銭取引するなど、柔軟なビジネス機運も拡大しつつある。


★   ★   ★


・アメリカの大西部、グレートプレーンズの地下深く、オガララ帯水層というおそろしく広大な水源がある。
コロラド川の水量に換算してなんと235年分に相当する水量がある、いや、あった。
この地下帯水のうち2/3はネブラスカ州の下。

・第二次大戦が終わると、ディーゼル駆動の遠心ポンプの活用がすすみ、可動式スプリンクラーの導入も手伝って、オガララ帯層の水はぐんぐんと汲み上げられてグレートプレーンズを大灌漑農地に変えていった。
1980年代までに、これによる灌漑農地面積は1400万エーカーになった。
一方、オガララ帯層の水は、少なくともテキサスとカンザスでは貯蔵量の30%を使い果たしており、2020~2030年のうちに枯渇が予測されている。

・樹木の年輪による長期的な気候変動予測によれば、アメリカ南西部はこれまでがむしろ湿潤期で、今後はどんどん乾季(高温化)にむかうという。


★   ★   ★

・アラビア半島諸国ほか、リビア、イスラエル、パレスティナなどはいわば砂漠そのものに近く、独立後に食糧自給のための必要水が得られなくなった。

取水可能な水に恵まれていると見做されたヨルダンやエジプトでも、1970年代には水危機に陥った。
しかし、同時期にオイルマネーで儲けたため、そのカネを食料輸入に充てて当座の危機をしのいだ。

・1956年、エジプトのナセルは、ナイル川に巨大なダムを建造するヴィジョンを掲げて大統領となった。
スエズ運河国有化など反欧米路線をゆき、第二次中東戦争もひきおこした。
そして、ソ連の技術を取り入れてダム建設へ。
ところがソ連の技術力が低過ぎてダム建設が進まぬと判ると、今度は西側の建設機器を購入した。

・ただし、ナイル川の水はすべてエジプト国外、つまり上流国から流れ込んでくるもの ─ すなわち、エチオピア、スーダン、ルワンダ、ブルンジなど、現在まで続く貧困国、紛争国である。
とりわけ、エチオピアはこのアスワン・ハイ・ダムの建設時から、エジプトへの敵対心が根強く、エジプトとスーダンだけがナイル川の水量を事実上独占するという 「ナイル水利協定」 にも憤懣。
そこにイスラエルが忍び寄るという構図もあった。

・1967年6月のいわゆる6日間戦争 (第三次中東戦争) は、ヨルダンの水の奪い合いがきっかけ。
サウジの資金的な後押しで、ヨルダン川上流に位置するシリアがイスラエルに無断でダムを建設し始めたことから。

この戦争にあっという間に大勝したイスラエルは、逆にそれまで確保できなかったヨルダン川水系のほとんどを支配下におく。
域内のパレスチナ人は農地灌漑の自由が大きく損なわれ、農地が減っていった。
なお、このときイスラエルが確保したヨルダン川西岸地区には、巨大な帯水層が確認された。

・イスラエルはヨルダンとの間では水路の安定確保を互いに約束していたが、その理由はヨルダンこそがPLOゲリラの拠点であったため。
水を担保に、PLOがイスラエルを急襲しないように、との取り計らいだった。

・しばらく後に、イスラエルはゴラン高原も併合し、有力な淡水湖であるガラリア湖を手中に納めた。

・1969年、リビアのカダフィは革命で実権を握ると、「大人工河川プロジェクト」 に着手した。
オイルマネーを元手に、なんとサハラ砂漠の地下の帯水層の水を取水し、それを地下水同網を経て地中海沿岸の主要居住区まで引っ張ってくるというもの。
この地下帯水層こそが、いわゆる 「ヌビア・サンドストーン帯水層」 であり、その淡水埋蔵量は500億エーカーにも及ぶとされ、現在まで知られる世界最大のものである。
但し、やっかいなことにこの巨大なヌビア・サンドストーン帯水層はリビアだけが占有しているわけではない。
エジプトもチャドもスーダンも共有しているのである。

・1971年、エジプトではナセル死後わずか4ヶ月して、ナイル川に壮大なアスワン・ハイ・ダムが完成。
これがナイル川流域を安定した灌漑農地へと変えていった。
このダムの貯水湖(通称、ナセル貯水湖)は、ナイル川の年間水量のじつに倍以上を貯水、またダムによる水力発電はエジプト国内の電力の半分をも担った。

・だが、エジプトは他国の貧困を犠牲にして自身のみが生存している、との見方もひろまり、エジプト国内では敵国イスラエルがいつかアスワン・ハイ・ダムを攻撃するのではとの疑心暗鬼が高まっていった。
これこそ、1979年にサダトがイスラエルと平和条約を結んだ重大な背景事情のひとつ。
エジプトはこれにより寧ろ国際的な評価が高まり、イスラエルについで国連支援の受益国となった。

・同じころから、ナイル川は20世紀最悪の渇水期にはいり、農地灌漑水量と発電が危機的状況に陥った。
しかし1988年、ナイル川の上流国エチオピアとスーダンに大規模な降水があり、ナイルの水はふたたび豊かになるどころか、今度は一転して最高の豊水期に入った。

・また、同じころにイスラエルでも旱魃が起こった。
イスラエルは農業用水への補助金を引き下げることで、従来優先されてきた灌漑農地への水利用を削減させ始めたが、これは世界的に見ても画期的な大英断である。

・1990年、トルコに大規模な 「アタチュルク・ダム」 が完成。
世界各国で、歴史上の偉人や有名人の名をダムに冠しているのは、面白いというか切迫感すら伝わってくるもの。
このダムの貯水湖は、備えられたユーフラテス川の年間水量の5倍もの容量がある。

・このアタチュルクダムなどをもとにトルコが遂行させたのが、「南東アナトリア開発計画」 である。
そもそも、ユーフラテス川の水のじつに98%は、トルコの南東アナトリア山岳地帯に端を発している。
(ちなみにティグリス川の水の半分もトルコが水源である。)
だがこの計画は、ユーフラテス川下流域のシリアやイラクの取水を大きく損ねるものであった。
そこでシリアは、南部アナトリアの反体制勢力であるクルド人と通じ始め、さらにシリアをイラクのサダム=フセインも支援した。
フセインは、アタチュルク・ダムを爆破してやるなどと発言。
これでイラクが水不足であることが却って知られるところとなり、湾岸戦争が始まると多国籍軍はイラクへの給水を封鎖。

・1991年、リビアのカダフィが待ちに待ったヌビア帯水層からの最初の大地下水道網が開通。
アメリカ石油資本の大々的な協力によるものであった。
但し ─ これを包括する 「大人工河川プロジェクト」 が仮に完成しても、リビアの食料生産需要の半分も確保できない、というのが現在までの冷めた見方でもある。
かつ、このままプロジェクトを進めていけば、ナイル川流域国(エジプトやスーダンやチャド)の地下水面が低下していくことも指摘されている。

・1993~94年のパレスチナ暫定自治協定で、イスラエルはヨルダン川西岸地区に居住するパレスチナ人に地下帯水層の開発の自由を認める。
だがパレスチナ人居住区の帯水層はほとんど取水が出来ず、有用な帯水層は依然としてイスラエルが独占していた。
こうして、和平プロセスは瓦解していった。

・1999年、世銀が支援する 「ナイル流域イニシアティヴ」 は、今度こそナイル流域諸国が共同で河川を開発するモデルケースか、と思われた。
しかし実際は、エジプトが人口増加のための居住地拡散をはかり、砂漠への引水と緑化をはかるものであった。

そして現在まで、ナイル上流地域の諸国は依然として水不足のため飢餓と内戦が続いている。
たとえばスーダンは未来のアフリカの穀倉地帯たりうると期待され、ナイル川流域全般でみれば3/5を占めるほどだが、耕作可能とされる土地の1%しか灌漑が進んでいない。

・現在、当のエジプトでも使用可能な淡水がだんだん不足し、穀物輸入が増え続けている。
どこでもあることだが、ふんだんに使われてきたナイル川の水は政府補助金つきで農家に優先的に配分され、その既得権益が硬直化してきた。
ゆえに農業政策が弾力的に改善されない。

・ナイル川の水質自体も変わってきた。
巨大ダムのために、シルトが下流域に流れていかなくなり、土壌の塩類化が進んでいる。
これでは農業生産性も落ちるが、人口集中の肥沃なデルタ地帯が逆に地中海の海水に侵食されつつある。

・一方で、エチオピアやスーダンはエジプト離れを進め、ナイル川上流に大小のダムを好き放題に建設。
それどころか、エチオピアの青ナイル部の周辺に巨大な地下帯水層が発見されるにいたり、いまやエジプトの方がエチオピアにすり寄っている。

・2001年、レバノン南部のシーア派がシリアと組んで、ゴラン高原から引水するパイプラインを建設しようとしたが、イスラエルはこれを戦争挑発だと激しく非難した。
現在に至るまで、ゴラン高原とヨルダン川の水の分配についてはイスラエルとパレスチナとシリアが互いに譲らす、緊張状態が続いたまま。

・そもそもレバノンもシリアも、イスラエルに比べれば水はけして不足状態にはないわけで、政治的な国際紛争がゴラン高原とヨルダン川の水の奪い合いと複雑に絡み合った格好。
そこにユーフラテス川上流のトルコと、トルコ内のクルド人と、イラクまでもが絡み合って、ヨリ混迷した情勢になっている。


・ソ連は1917年の共産主義革命で発足してから60年間で水の使用量を8倍に増やした。
その源泉は、ボルガ川、ドニエプル川、ドン川、ドニエストル川といった大河川。
収容所の労働者を無償で働かせての、取水や引水であった。

・アラル海の消失は、「水のチェルノブイリ」 と呼ばれる。
1950年代以降、ソ連政権下で中央アジアの乾燥地帯を巨大な綿花地帯に変えるため、強引な取水継続を続けた結果、アラル海の水が干上がった。
21世紀の現在、アラル海の一帯はむしろ乾燥化が進む一方で、綿花栽培も出来なくなっている。


以上

2012/05/05

レモンの太陽


「太陽の温度は、どのくらいかしら?」
「なんでそんなこと、訊くの?地球人の尺度をはるかに越えた問いだと思うんだけどな」
でも、いつでも、どこでも私たちを暖めてくれる、すごい火の玉のエネルギーよねぇ」
「そうかね。でも、温度が分かったところで、大した意味はないさ」
「どうして?」
「太陽は核融合で燃えている。そのエネルギー生成過程に注目すべきだろうな」
「あっはははは、見たようなこと言うのね、聞いた風なことばっかり言うのね、あなたって」
だって、それは君がつまらない思いつきで質問するから、こっちもつまらない返事しか出来ないわけだ」
「ふーん、じゃあ、核融合って、何よ?原子力の核分裂とどう違うの?」
「それは、説明がとっても難しい」
「分からないんでしょう?」
「ん?」
「太陽についての話なんて、みんな観測可能な光エネルギーに基づいた憶測、推定、類推のたぐいだって、理科の先生が言ってたっけなー」
「そりゃあ、まあ…今のところはそうだ」
「ふん、分からないなら、分からないなりに、もっと面白い話をしてくれればいいのに」
「面白いって、たとえば?」
「たとえば、じゃないのよ、面白いものに 『たとえば』 もなにもないの。太陽の温度はどのくらいかって訊いてるんだから、何か面白いこと言ってよ、ねぇ」
「じゃあ、摂氏35.8度くらい」
「へー、どうして分かるのよ?」
「こうやって…ほーら、おでこと、おでこをくっつければ」
「あ…ばーか、ね」
「ああ、太陽はレモンの匂いがする」
「もぅ、なーに言ってんのよ、ふふっ」
「手ーのひらを、太陽にー」
「あはっ、やめて…あっ!もぅ、いやっ」
「いやっ、いやっ、と言いつつも、太陽はいよいよクネクネとまとわりついてくるのであった」
「あぁっ、もう、ちょっと…いやっ!」
「太陽は核融合を」
「いやっ、やめてっ」
「お?こんなところに黒点が」
「ばっかじゃないの!あっ!…」



★     ★     ★


とつぜん、2人は動作を停止した、かと思うと、一瞬にして燃え尽きてしまった。




★     ★     ★


「ほら、また止まった。どうしてもここで焼き切れてしまうんだよ」
「おかしいな、分からん」
「もう数えきれないほどプログラムを修正してきたのに、どうしてここで誤動作を起こすんだろう?」
「もしかしたら、こいつらにとっては誤動作でもなんでもなくて、知性の設定が贅沢過ぎるのかもしれないな」
「だけど知力をこれ以下に設定すると、人間らしさが無くなってしまうぞ」
「かといって、逆にこれ以上に設定すると、やっぱり人間らしさが消えてしまうだろうし」
「……やっぱり、人間を創造するということは、そもそも不可能なのだろうか」
「まあ、そうとばかりも言ってられない、我々にも時間的な余裕は無いのだから」
「じゃあ、今度はレモンの匂いじゃなくて、薔薇の匂いっていう設定でやってみるか」



★      ★     ★


「ねえ、知ってる?太陽にはもう時間的な余裕が無いんですって」
「くだらないこと言うな、そんなこと分かったところで、どうってことはない」
「なにが、くだらないのよ?」
「あのな、太陽の時間、じゃないんだ、厳密には、太陽が地球上の生命を維持する時間がもう半分を過ぎた、って言うべきなんだ」
「まーた、聞いたようなことばっかり言って、あなたっていっつもそうなんだから」
「だって、それは君がね、つまらない思いつきばかり言うから、こっちもつまらない返答しか出来ないんだよ」
「ふーん、じゃあ、生命って何よ?」
「さあ」
「あのね、理科の先生が言ってたんだけど…」
「まあ、有限性といったところだろうな」
「つまんなーい。もっと面白い話をしてよ」
「面白いって、どんな?」
「 『どんな』 じゃないのよ、あなたの思いつきで、何か楽しいこと話してみてよ、ってこと」
「そうか、じゃあ、君の生命は…お?なんだか薔薇の匂いがしないか?」
「そう?」
「確かに、薔薇の匂いがする、ちょっと手を見せて」
「あっ…いやん、何するのよ、もう」
「手ーのひらを、太陽にー」
「あんっ、もう、いやっ」
「いや、いやと悶えつつも、碧の髪の木漏れ日は、薔薇の香りで男を惑わす」
「あっ…あっ!いやっ、やめて、いやっ!」


おわり