2024/04/16

大学新入生諸君へ (2024)

大学新入生向けのメッセージをざっと記す。

昨年は世界のデジタルでニヒルな無文脈化について触れつつ、じっさいのモノやエネルギーは無文脈化などありえず、世界の各地でさまざま胎動し連動もし暴発すら続けていると ─ まあそんなところをリマークした。
大学生の諸君らは、他者に押し込まれた断片的な知識や命題にいちいち盲従してはならぬと。

今般はバカでも分かるようにヨリ単純に書き綴ることにする。

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諸君らのほぼ全員は、幼少時から現在まで数学を学び続けてきた(押しこまれてきた)ことであろう。
そもそも数学とはなにかといえば、僕なりにまとめるに、何らかのデータや命題や事象や関数などの’再現性’を保証表現する術であろう。
じゃあ確率論はどうなるんだなどとイチャモンをつける輩もいるだろうが、そういう見方そのものが数学に寄り添い恋している証。
数学が’再現性’を保証すればこそ、アルゴリズムもさまざま可能だし、プログラムはもっと自由自在たりうる。
となると、数学は実体の情報転換技術でもあり、自動化の保証技術ともいえる。


さて、この数学による事象の’再現性’保証があってこそ、宇宙のあらゆるモノやエネルギーの運動(量)や作用/反作用や仕事について特定の法則が成り立ち、これらを束ねて物理学となっている。
たった一度きりの発生事象の場合は宇宙の気まぐれかもしれず幽霊かもしれず、だから再現性を観察できず、ゆえに数学に乗せることが出来ず、これは物理現象とはいえない。
じゃあ量子力学はどうなるんだよと難癖をつける輩もいるだろうが、そういう着眼そのものが物理学を愛している証であろう。
ともあれ、物理学によってさまざまなモノやエネルギーを特定の法則に則って人間なりに活かすことが出来るのだから、これは機械化の技術ともいえる(電子だろうが量子だろうがだ)。

これを産業側からみれば、数学による自動化技術と物理学による機械化技術の複合が大英帝国の繁栄を可能とし、これが巨大スケールの素材とインフラから精妙な暗号数理などなどまで現代型のテクノロジーを導く原初モデルを確立したように映る。


しかし大英帝国の産業は、20世紀以降はアメリカとドイツに対する圧倒的な優位性を失ってしまった。
とくに鉄鋼業などの重大産業にて、大英帝国は化学素材の組み換えやバラエティへの意欲が高揚されにくく、それでアメリカやドイツの後塵を拝するに至ったのではと言われる。

同じような経緯は旧ソ連でも見受けられるようだ。
特定品質の工業製品の大量生産においては旧ソ連はさすがに強かったが、アメリカとドイツが多品種の化学素材によるさまざまなバラエティ製品を世界に送り出すと、旧ソ連はもう追随できなくなったと指摘されている。
さらに悪いことにチェルノブイリ原発事故にても、旧ソ連の工業部材は化学素材がごく限られており、よって大事故を回避出来なかったと。

では日本の産業はどうだったかといえば、数学と物理学はもとより化学においてもドイツやアメリカに負けておらず、むしろ勝っていた。


もう言いたいことは分かりますね。
数学と物理学だけでは現代産業の優位性を保持することは出来ないってこと。
大量生産の勝負に必ずしも適さぬわが日本なればこそ、化学の知識見識が必要とされているってこと。
化学素材や化学薬品がらみでいろいろ揺さぶられてはいる昨今の産業界ではあるものの、大学生の諸君は化学を捨ててはいけない。
将来どの途を選ぼうとも、たとえ数学や物理学が大っ嫌いでも、化学の素材バラエティには常に関心を保持していこう。
世界はまんざら退屈ではないし悲劇的でもないよ、むしろさまざまリアルな関心が高まりかつ深まってゆくのではないかな。

だからって就職活動にて優位となるかどうかは分からないよ、なにしろ素材のバラエティあれこれの世界だ、得もありゃ損もありうる、知ったことかそんなもん。


※ ついでに指摘すれば、日本人のとくに年配層は(経験則からか)医薬品や石油やプラスティックがらみの化学知識がかなり豊富であること、これは大学生諸君にとってひとつの天啓とも呼ぶべき巡り合わせではないか。



なんだかズボラな論旨の投稿にはなったが、大学生向けのつもりだからこんなもんでいいんだ。
おわり

2024/04/11

新卒社会人の皆さんへ (2024)

新社会人の皆さんに伝えおきたことを、ちらっと記すことにする。
僕なりにここ数年ほぼ同じようなことを考えており、着想も問題意識もほぼ変わっていないので、今回も同じような意思を以てちらっと書き散らす。

とはいえ、昨年はモノと観念についての人間なりの捉え方として、無限性と有限性について留意しつつ、創造的な掛け合わせもあれば不幸な割り算(引き算)もあると、まあそんなようなことを記した。
今回はもうちょっと単純に、大人社会で大いに威力を発揮している根元的かつ端的な学術思考、すなわち物理(学)と経済(学)について、ごく簡単な比較をはかりつつ大人社会の不可思議さを ─ まあいいや、ともかくそういうこった。


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物理学はあらゆる物質/物体の運動とそれら仕事/エネルギーの変化と保存則とエントロピー増大を考察対象とし、これらを再現的に捉えて語る。
再現性を語るためにこそ、必ず数学に則っている。
数学が有限が無限かはさておくとして、物理は一応はあらゆる実体の有限性と保存性を記述する ─ ことになっている。
コンピュータプログラムさえも、ブロックチェーンでさえも、電磁波の変化として捉えてみれば物理学の考察対象である。
人間の脳神経も遺伝子もやはり物質なので、物理学のうちにあるのは当然である。


では経済学はといえば、こちらも物質/物体や運動や仕事/エネルギーの変化を捉え、これらについての再現性を語る。
やはり再現性ゆえ、数学に則ってはいる。
それなら物理学そっくりじゃんと納得するかもしれないが、そっくりどころか、おそろしく異なっている。

経済学は人間風の価値と権利を物理よりも上位に据え、それらの需要/供給が増えただの減っただのと分析し、さぁこれは希少なメタルだの貴重なアースだのと誉めそやし、そうかと思えばダーティーなエネルギーだの過剰な仕事だなどと論じている。
さらに、そういう声を反映しつつ信用が高まっただの下がっただのと…。
とりわけ厄介なのは、経済事象のひとつひとつを通貨換算して価値や権利を表象しつつも、当の通貨そのものに価値や権利の絶対尺度が無いというところだ。
要するに、どこまでもその時その場の人間風の価値と権利をとっかえひっかえで、これらが物理の外部に超然的におわしますなのである

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さて、物理学と経済学は同期をとりうるだろうか?
社会人らしくもうちょっと実践的に論うならば ─ さまざまな物質や仕事/エネルギーの「物理量」と「経済価値/権利」は比例関係にあるだろうか?


物理学に則れば、たとえば過去2000年間において地球の全物質量/全エネルギー量は全くといっていいほど変わっていない ─ ことになっている。
しかし同じ2000年間にて、資産の価値も通貨の価値も、それらの量も、とてつもなく増大しかつ変動してきた。
いったいなぜか?
人間とはそういうものさというのが達観的な答えであろうし、じっさいのところ、経験的な答えもこうならざるをえない


① 物理学と経済学の差は、上にちらっと書いたように、物質物体の外部に人間風の’価値’を超然させるかしないかだ。
あらためて、’価値’について捉えなおしてみたい。

資産の「価値」には、物理上の絶対尺度も基準も無い。 
1クーロンあたりや1電子ボルトあたりの「価値」尺度も基準も無い。
金(gold)1オンスあたりもだ。 
あらゆる価値は、あくまで人間がその時その場で好き勝手に決めているにすぎない。
だいいち、データそのものの価値を独占するなどというが、物理に即していえばデータは電磁上の表象でしかないんだぜ、これらの価値とはいったいどういう意味だ?
ましてや、付加’価値’だの、それを見做した上での付加価値税だのと…

ともあれ、物理学には’価値’の観念は無いが、経済学にてはあらゆるモノや仕事に’価値’を設定する。
ここだけ捉えてみても、物理学と経済学は同期をとっておらず、量的な比例関係にない。


② その上で、さらに仕事(生産)において物理学と経済学を比較してみる。

物理学に則れば、あらゆる物体はそれ自体なんらかの「運動」を為しつつ、さまざまな物体が互いに作用/反作用しあい、これら成果の距離を以て「仕事」と称していること、誰もがお分かりのとおり。
仕事は’生産’でもある。
ところが経済学における用語では「仕事(生産)」の定義が分かり難く、どうも察するに何らかの'価値’の付加を以て「仕事(生産)」と見做しているようでもある。
だから経済学によれば、通貨のみをグルグルと回しているだけでも「仕事(生産)」の付加がどんどん増えていく(そしてGDPも増えていく)ように映る。

※ とくに女たちは、生活そのものがこれすべて「仕事(生産)」を為していると信じているようで、だから職場で遊んでいても寝ていてもとにかく通貨を寄越せと。


③ さらに、仕事(生産)とコストについて。
たとえば電気には、電位差克服のために電流に物理上のコストがかかる。
その電位差を克服すれば、物理上の仕事つまり電力を起こしたことになる(発電を為したこしたことになる)。
しかし経済学に則れば、なんぼ電力の仕事を為したところで、カネというコストばかりが発生し、リターンという名の仕事(生産物)はほとんど無いことになっちゃう場合もありうるわけで、そうなるとこの仕事(生産)行為は経済学上の価値はほとんどゼロだ、ナッシングだ。

むかっ腹が立つかもしれないが、これが物理学と経済学の差だ、そして理系と文系の違いといってもよさそうだ。


④ もうちょっと。
AIが、世界中のあらゆる物質と電力とさまざまエネルギーを統一的に制御しつつ、最適プログラムをとことん実行し続けていく ─ としよう。
すると、いずれは全世界のあらゆるハードやソフトやインフラまわりの物理上のコストが最低限まで下がる ─ かもしれない

では、この偉大なAIとさまざまリソースの経済コストも下がり続けるだろうか?
むしろ、さまざまなリソースとカネの独占的な運用権を主張する連中どもによって、経済コストはバカっ高くなっていくのではないか?

どうだ、なかなか巨視的でエキサイティングな論題だろう。
新卒社会人の諸君は、このくらい巨視的な着想を日頃から弄ぶくらいで丁度いいんだ。


④ 安全保障について。
物理上は、人間にとって危険な物質やエネルギーは確かに在る。
では、経済学に則りつつこれら物質やエネルギーの価値や権利をゆっさゆっさと揺さぶっていれば、わが国はずーっと安泰でいられるのだろうか?



なんだか面倒くさくなったので、このへんでやめておく。
ともあれ、宇宙万物の真理のみからなる物理学と、人間都合の方便で’価値’や’権利’を使いまわす経済学 ─ これらがあらゆる学術思考の二大陣営であり、さまざまな事業や政策の根本ともいえよう。


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(付記)

毎年書いていることだが、仕事における実践的なアドバイスも一つだけしおく。

新人諸君は、なにはさておき、まずはメモ用紙を準備しろ、そして常に携行しろ、見聞きするもの片っ端からメモしまくれ。
チマチマした付箋などはダメだ、大きめの紙を使うんだ、出来ればB5サイズ以上のものだ、広告の裏紙でもなんでもいい。
これくらいのサイズであれば、まとめていろいろ書き記すことが出来るし、いつでもまとめてノート帳として一瞥できよう。

とくに、新規の世界への了察は理科や社会科の新分野学習に等しく、右脳的(絵画的)に物事をズンズン描き続けること必須、だから大きな紙面が望まいのだ。
また、電話番などで取り次いだメッセージもつらつらと書き残し、ビッと引きちぎって上長などに手渡すことが出来る。
一方で、書き損じをしてしまったメモは引きちぎってとっとと捨てるんだ、いちいち名残惜しんでいてはいけない。

以上の機能を同時に果たすべく、B5サイズ以上の紙を常時20枚くらい束ね、これを左上リング綴じの構造にしておけばいい。
これで重要なメモはノートとしてずっと保持し続けつつ、不要な紙はどんどんちぎり捨てることが出来る。
ホントに重宝するから。


もうひとつ付記。

技術仕様から契約書にいたる文書類について、職制を問わずほとんど誰もが実務上拘束されることとなろう。
これらの意義について精緻に了解しておきたい。
口頭による提示や合意ならまだしも、文書によるそれらは諸君らの想像を超えた恐ろしい失態を導きうるものだ。
例えば、同一の商材についての見積書が複数存在する場合、購入希望者はどちらかおのれに有利な方を正当な文書と見做し、それ以外の文書は黙殺すること、当然である。
契約書もしかり。
くれぐれも慎重に、ワンアンドオンリーの原則だぞ、ナンバリングと更新日時の明記を絶対に忘れるなよ。

※ 塾業界や風俗関係などであれば、うっかりミスでも土下座くらいで済まされる、かもしれない。
しかし、まともな産業のまともな産品や製品においてはちょっとしたミスのみでも復元不能なほどの大損をもたらす場合も多い。
そんなこと続けていたら多大な賠償を負うのみならず、さらには市場からバカアホ呼ばわりされて信用失墜してしまいかねないぞ。


以上

2024/03/22

会うは別れの


高校3年時のこと。
僕は或る女性英語教師を猛烈に恋していた。

彼女は日本人ではあったが、大メディア向けに英文記事を執筆するなどなかなかの英語通。
しかも、ご本人は明言されなかったが彼女の英語はスコットランド訛りで、これは彼女の発話を聴いていて僕なりに気づいたことであった。
僕自身は幼少期にロンドンで過ごしたことがあり、近所に住んでいた日本人女性がスコットランド訛りで喋っていたのを覚えており、だからこの女教師のアクセントにもピンときたのである。

この女教師についてもうひとつ特徴的だったのは、テニス部の顧問を務めており、しかも左腕でラケットを振るって凄まじいボールを打ち放ったこと。
僕自身、戯れ半分に彼女とコートで相対したことがあったが、彼女が打ち込んでくる超特急のサーブはこちらのラケットを弾き飛ばさんほどに強烈で、だからとてもラリーなど続けられようはずもなかった…

彼女こそが僕の初恋であった。
そしてこの初恋は失恋に終わってしまった。
彼女は婚約していたのである。

恋とは不思議なもので、しかも意地悪なもの。
結ばれぬものと判れば分かるほど、いよいよ惹かれて漕がれてゆくのは人のさだめか本性か、ともあれ、我ながら馬鹿ではなかろうかとの自嘲と嫌悪に揺り動かされてやまぬのであった。


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進学が片付き、進路も定まり、僕の高校卒業はいよいよだ。
それでもこの女性教師への恋心は留まりもせず収まりもせず ─ いや、それでもどうにか、おのれなりのささやかな解決策に思い至った。
要するに彼女を忘れてしまうえばよいのである。
冷徹にいえば、記憶から消し去ってしまえばよいのである。

そこで閃いたことがあった。

そもそも、だ。
人間は特定の物事や人物のみを記憶に留め置くことはなく、必ず周辺の物事や人物の光や音と拮抗させつつ記憶しているはずだ。
よって、或る特定の人物を忘却しようとすれば、その人物「以外」のあらゆる光やあらゆる音についてはむしろ記憶が強化されるはずではないか。
端的に例示すれば ─
或る物質粒子 Xが (+)の電荷を有するならば、その周辺のさまざまな物質粒子 Y', Y'', Y''' ... はどれも (-)の電荷を有しているはず。
ここで「(+)電荷の X」を除去するならば、「さまざまな (-)電荷 のY', Y'', Y''' ... 」は増えるはずだ。
半導体素子の組み合わせ次第で、電子と正孔が分離してゆくに似ている。

そうだ、これだ。
初恋の女性教師を忘れ去るためには、むしろ「彼女以外の」あらゆるものを鮮烈に記憶に留めてゆけばよいのだ。
うむ。
校舎の威容、教室の静謐、級友たちの意気と意地、年輩教師たちの叱責、運動部の快哉と怒号、どれもこれもを記憶に刻め…

こうして卒業式の日を迎えた。
式次第が進行し、別れの刻がおとずれる。

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胸を聳やかしつつ真っすぐに校舎をあとにした僕は、隣接するテニスコートの前を横ぎったところで足を留めた。
コート内にて快活な声を挙げつつ、女子生徒たちを指導していたのは ─ 

おや?あれは初めて見かける女性教師だぞ。
女子生徒たちに請われるまま、彼女は日本語と英語を入り交ぜての指導を続けており、その英語アクセントは聞き紛えようのないスコットランド訛り…。

彼女の左腕から次々と放たれる超スピードスピンのボールがコート面上をあちらへこちらへと貫いてゆく。
その一撃一撃ごとに、僕はおのれの事態も局面も分からなくなってゆくのだった。
正/逆の電位と放電をおのれの脳内の思考素子に覚えつつ、あらためて分かりかけていたのは、僕はこの女性教師を見初めてしまい、「新たな初恋」のプログラムを起動させ始めていたということであった。


※ おわり ─ いや、これは有と無の論理反転を人間の脳神経に展開させたような、そういう一種の恐怖譚のつもり。
もともと物理学でいう運動量の保存則(数学でいう対称性)のアイデアをちょっと拝借しているんだ。
そんなわけで終わりは無いんだ。

2024/03/17

【読書メモ】 笑わない数学

一般に人間の思考においては、何らかの表象を「〇〇なるもの(名詞)」と「□□を為す(動詞)」とに予め次元峻別した上で、これらを組み合わせてさまざまな命題をつくる。
だから、例えば「みかんを食べる」などの命題を整然と作ることが出来る。
ところが数学においては、「〇〇なるもの」と「□□を為す」が混然一体であり、直観にまかせて記せば、「みかんを食べる」と「食べるのみかん」に区別が無いようなのである。
もっと職業人らしく論ずれば、「コンピュータ」と「プログラム」だ。
前者は電位差から成る実体機構に過ぎぬが、後者は信号ロジックを為し、だから両者は別次元のもの ─ それでいて、「コンピュータがプログラムを動かす」と言い、また「プログラムがコンピュータを動かす」とも言い、どちらの表現も数学上なりたつ。
このように数学は実体量と関数を転換可能、だから主体と客体も交換可能、なるほど数学思考そのものには善も悪もなかろうが、実体の物理量と経済価値をすり替えるやつらもわんさかといる。

…といったようなところが、僕なりに日夜ウヤムヤと浮かんだり消えたりの随想ではある。
それで、しばらくぶりにまた数学本を取り上げてみようと思い立ったのであった。
そのうちの一冊がこれだ。
笑わない数学 NHK笑わない数学制作班 KADOKAWA』
本書はいわば高校(以上)数学の超ダイジェスト本であろう。
総じて概括に留め置かれたコンテンツゆえ読み進めやすいが、しばしば概括的すぎるため却って不明瞭でもあり、数学ファンでもなんでもない僕にとってはところどころ難解でもある。
むしろ図説にこそ大注目すべきであり、文字通りカラフルなこれら描写が随所にて平易さ(そして難解さ)を直截に語り掛けてくる。
本書のひとつのお薦めは『テーマ4:フェルマー最終定理』であり、n=4 に限った場合の証明例が呈されているほか、女性数学者ソフィー・ジェルマン考案の素数なども数学冒険譚の一端として楽しめる箇所ではある。

なお、僕は『テーマ6:ガロア理論』にちょっと拘ってみた ─ 理由は、たまたま併読している或る物理本にてラグランジュの名および’対称性’の観念を見出し、それで本書に立ち換えてみようと思いついたため。
だから此度の【読書メモ】としても、この『テーマ6』を僕なりに掻い摘んで以下にざっとまとめおいた。




四則演算が自由に可能ななんらかの計算の系を、その「体」とする。
すべての有理数の集合Qは有理数の「体」である。

なんらかの代数方程式はさまざまな「体」から成り、代数方程式の全ての「解」が見つかるならば、その代数方程式を最小分解した「体」も見つかるはずである。
例えば;
有理数a. b. c から成る2次方程式 ax2 + by+ c = 0 (a≠0) における「解の公式」にて、
冪根√(b2-4ac)  の部分が有理数とならぬ可能性があっても、全ての有理数集合の「体]Q にこの √(b2-4ac) を付け加えて拡張すれば、最小分解「体」を得られるはず。

「解」の公式の導出をヨリ一般化すると;
(0).  代数方程式のすべての係数を含むような「体」K0 を設定する。
(1).  ある a1 ∈ K0 の冪根を付け加えて 拡張の「体」 k1 を作る。
(2).  ある a2 ∈ K1 の冪根を付け加えて 拡張の「体」 k2 を作る。
.....
(n).  ある an ∈ Kn-1の冪根を付け加えて 拡張の「体」 kn を作り、これによってすべての「解」を含ませる。

─ このテンプレートに則って  a1 から an を見出すフローである。

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ラグランジュ・リゾルベンの基本発想。
3次方程式にはちょうど3つの解が、4次方程式にはちょうど4つの解が存在するが、これは解の公式のみに限定的に収まる特性ではないと。
それぞれの方程式にて、複素数を投入しつつ、解をバラして置き換えてまた足し合わせれば、原型よりも簡単な方程式に帰着すると。

確認例。
3次方程式 ax3 + bx2 + cx +d = 0 にて 3個の解を A, B, C  とし、さらに 複素数t3 =1 となるt (但し t≠1) を用意する。
ここでこの3次方程式を低次の X = At2 + Bt + C へと落としこむ ─ この手口がラグランジュ・リゾルベント式。

方程式の解を A→B, B→C, C→A と並べ替えると、Xの値は
 = Bt2 + Ct + A
=  At3 + Bt2+ Ct
= tX
と換えることが出来る。
もう1回並べ替えると t2X となる。
さらにもう1回並べ替えると X に戻る。
すると、 X x (tXx (t2X) =  t3X3 = X3   
X3 まで見つかるので X があらためて定義出来たことになる。
こうしてリゾルベント式によればもともとの3次方程式におけるよりも早く X 値を導くことが出来る。

ここでの「解の置換」こそは図案が着想上の大ヒントたりうる。
P.173~p.174.における正三角形および正四面体の「対称性」と併せて見ればじつに納得しやすい。


※ 因みに、ラグランジュは’力学作用の経路と積分’を起こした数学者であり、まさに近代の物理数学の嚆矢といえ、彼がオイラーともども最小経路の定式化を進めていった由はさまざまな物理読本にも引用されている。そして「対称性」の観念も物理学上のさまざま「保存則」と邂逅するに至っている。

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「群」の導入。
ラグランジュまでの代数方程式の「解」、および相応の図形の「対称性」、これらを繋ぐのがガロア以来の演算「群」。
※ ここのところとりわけ難しいが、さまざまな演算/変換コマンドの集まりとしての「群」の意であろうと僕なりに見受けつつ、記しおくこととする。

「群」は以下の条件を満たすものとする。
1. 複数の連続操作とそれら合成操作によって成る。
2. これら合成操作は順不同かつ結合可能。
3. 何も変換せぬ(原点保持の)操作も一つと数える。
4. すべての操作に逆元がある。

代数方程式と図形それぞれ、さまざまな「群」によって表現し直してみれば、「対称性」とともに「’複雑さ’」をも表現出来る。

解の公式における「体」の拡大系列を k0 ⊂ k1⊂ k2 ⊂ ... kn-1 ⊂ kn とすると
複雑に成っているはずのこの「体」 k0 ⊂ kn は、個々レベルでの巡回の「群」に分解が出来る。
k0 ⊂ k1 を表す巡回群
k1⊂ k2 を表す巡回群
 ... 
kn-1 ⊂ kn を表す巡回群
こうして「体」を単純きわまる巡回「群」にまで分解しきれば、最小分解「体」を表現しきったことになり、ゆえに複雑さが判然とする。


あらためて、3次方程式と対称性の三角形にて、解の公式を確定できるかどうかが分かる。
同様に、4次方程式と対称性の四面体にても分かる。

ところが、5次以上のほとんどの(?)方程式では「巡回群」をいかに組み上げても最小分解「体」を表現出来ず、つまり複雑すぎることになり、だから「解」を特定出来ない。
(冪根を投入してもやはり出来ない。)


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以上 『テーマ6』がかなり難度高い数学論である由をおそるおそる察しつつの、あくまでも僕なりのメモである。
若手社会人~学生諸君、とくにガロアと『群論』まわりににちょっと挑んでみてはどうだろうか。

2024/03/11

ピノキオ


世界には、さまざまな命題の組み合わせがある。
これら命題には、『真』と『偽』のいずれかがありうる。

さて、ここにピノキオという人形が在り、このピノキオは『真』の命題のみを叩き込まれて作り上げられた存在 ─ としよう。
ゆえに、ピノキオは『真』の命題のみを発信するはずである。

もしもピノキオがうっかり『偽』の命題を発信した場合、ピノキオは鼻が伸びてしまう。
ちょっと『偽』を言うと、ちょっとだけ鼻が伸びる。
もっと『偽』を言ってしまうと、もっと鼻が伸びる。
更にさらに『偽』の命題を発すれば、更にさらに鼻が伸びてしまう。

いったい、ピノキオの意義は何だろう?
『真』から成る神によって創られ、人間による『偽』を戒めるようにと遣わされたのではないだろうか?

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ああ、なるほどね。
ここまではあたしにも分かった。
でも、あたしはまだ納得しきれていないのよ。
だって、あたしは ─ ピノキオくんの鼻をこうしてキュッキュッと引っ張っているんだから。
さぁさぁピノキオくん、おまえは鼻を引っ張られると『偽』の言葉を発するんでしょう?

あら、なんですって?『僕は人形ではなく、人間です、だから鼻を引っ張るのはやめて下さい』ですって?
な~るほど、おまえは『偽』を叫んでいるわけね。
じゃあ、もっともっと鼻を引っ張ってみましょうね、ほぅらほらほら!
えっ?なんだって?『僕は人間です、もう鼻を引っ張らないで下さい』ですって??
はっはははは、や~っぱり『偽』を叫んでいるわね。ふっふふふふふ、それじゃあもっともっとも~っと鼻を引っ張っちゃうわよ~、さてさてどういうことになっちゃうのかしら?…

おやっ?
AIの生成プログラムがメッセージを送信してきたわね。
えーーと、なになに?…『宇宙の原初より貫かれてきたあらゆる数学と論理学を以て判定すれば、ピノキオが人間であるとの命題は真である』… ですって?!
ああ!そうだったのね!ピノキオくん!おまえは人間だったのね!それじゃあ鼻がこんなに伸びているのはおかしいわ。縮めなければならないわね!



(おわり)

2024/02/29

ミステリーの構造


或るミステリー小説を考案中である。
おそらくは多くの読者が、あっ!と驚嘆し、そしてうっ!と呻吟してしまうであろう、そんな代物だ。
今の時点では何も語らぬ。

さて、此度の投稿タイトルは『ミステリーの構造』と据えてはみたが、むしろ「思考の構造」と題すべきではないかとも考えている。
ミステリー物語のストーリー展開をつらつらと考え巡らせているうちに、そもそも人間の思考とはいったい何物であろうかと、あらためて整理つけたくなったのである。
もちろんここでいう人間とは、作者である僕自身であり、あっとかうっとか感嘆を発するであろう読者諸兄でもある。


そもそも我々人間の思考は、さまざまな知識x命題による刺激に応じ、これらを処理するように出来ている。
この思考プロセスは、大別して以下3つの系から成っている ─ と察せられる。


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(1) まず、思考の「動機 (motive, incentive)」

これはさまざまな知識x命題の動因であり、さらには絶対アプリオリのスタンダードともなりえ、端的にみれば一神教が典型であろう。
尊厳と欺瞞のけじめでもあり、利害得失のパースペクティヴでもある。
或いは、むしろ神を畏れず逆に全否定する獣性でもありえよう。

よって善悪がとてつもなくハッキリしている。
キリスト教やイスラーム教の思考「動機」に準じた作家たちの作品が、とてつもなく類型的であり、かつパワフルに響くのは、まさにこのためであろう。
日本においては一神教ほどの強力な動機パワーは好まれないが、敢えて挙げれば神仏や皇統や武家思想など。

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(2) 次に、思考の「経路の数 (variation, variety)」。

これは知識x命題の量に比例するもの。
典型は数学やチェスやコンピュータで、思考の「経路の数」がじつにさまざま、融通無限にして変幻自在のヴァリエーション、更にふんだんなヴァラエティさえもが幾らでも許容されうる。
数学ほどではないにせよ、もともとの自然観による自然科学においても、思考の「経路の数」は見方次第でさまざまに在りえ、このヴァラエティの典型は運動量保存則などではないか。

欧米人もかなりのものではあるが、しかしこの思考の「経路の数」における世界チャンピオンはじつは日本人ではないかと察している。

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更に、上の(1)思考「動機」および(2)思考「経路の数」の折り合いをつけるのが (3)思考の「秩序(priority, order)」であろう。

これは政策や多数決議会や裁判制度などが典型であり、学校教育の範疇でいえば社会科がまさに相当する。
この思考「秩序」あってこそ、尊重されるべき知識x命題が次第に峻別され、世界は護持されうるわけ。
極端なものが、一神教世界における最後の審判思想などではなかろうか。

この思考「秩序」が無かったならば、世界はあっちゃこっちゃ好き放題のテクノロジーとマネーゲームが乱立し、多数決の無節操な濫用によってムッチャクチャな気まぐれ天国(あるいは地獄)に陥りかねないのではないか…。


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さて。
以上に記した人間思考の段階分類を、著名なミステリーものにちらっと当て込んで論考してみよう。

例えばホームズやポワロなど(おそらくルパンも)。
まずは(1)思考「動機」をギリシア/ローマ以来の一神教的な善悪論の類型として据えている。
また(2)思考「経路の数」においてはあれこれ存分にそして突飛に悩ませそして楽しませる。
そして、これら双方に則った最終解としての(3)思考「秩序」としては、勧善懲悪がカッチリ’民主的に’収まった大団円。
ここんところが世界中多くのファンを擁してやまぬ所以ではなかろうか。


一方で、明智小五郎や金田一耕助はどうだろうか?
あくまでも昭和期以前の日本人の因襲や伝統観に則った犯罪譚だ、ゆえに現代の我々にとって(1)思考「動機」の淵源はウヤムヤなまま。
だが一方で、(2)思考「種類」のヴァラエティは欧米ものを凌ぐ凝りようであり、気まぐれからキチガイまでわんさかと出場してさまざま犯行を展開し、読者の猥雑な妄念を刺激してやまぬ。
しかも、これらに挑む明智小五郎の眼は物質の電磁波を一瞬一瞬に峻別し、また金田一耕助の耳は媒質振動によって電磁波の変化経緯を静かに数え、そんなこんなの超人的な才さえもが発動されつつ、犯罪の経緯が推論され絞り込まれてゆく。

それでは(3)思考「秩序」はどうかといえば…。
うーーーむ、どうにも日本の物語はここんところがズボラなんだよ。
いわば不条理の宙ぶらりんがそのままずっと放置されつつ、いったい何が解決したのか、いやじつは何ら解決していないのか、このウヤムヤさこそが日本の物語の特性とすら言えるのではないか。
権力者に捉えられて釜茹に処されるか、おのおの方が腹をかっ捌いて自決するのか、孤高の剣豪がヒューヒュー風の吹くままに彼方へ消えてしまうのか、どこの誰かは知らないが誰もがみんな笑ってる、そんな感じで話は片付いてしまい、浜の真砂は尽きるとも悪いやつらはよく寝てやがる。

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…ざっと、こんなふうに人間の思考プロセスを考えなおしつつ、さて此度考案中のミステリーものを欧米テイストにてガチンガチンの型に嵌め込むか、はたまた、思考の経路をあっちゃこっちゃ百花繚乱に散らしつつ日本式の締まりのない娯楽ものに仕上げるかと、僕なりに考えあぐねているところではある。


※ なんとなく締まりの悪い投稿にはなってしまったが、’ずいひつ’として記しているのだからこんなもんでいいのだ。

以上

2024/02/15

【読書メモ】もっとホワット・イフ

『もっと ホワット・イフ WHAT IF ランドール・マンロー 早川書房』

本書は同著者による数年前の有名作『ホワットイフ(野球のボールを光速で投げたら…)』の続編にあたる科学読本。
前作同様、一般視聴者からの突飛な質問を次々と取り上げつつ、あくまでも科学に則ってさまざま回答してゆく構成。
そして前作同様に、呈される主題は熱力学から情報処理論までなかなか幅広く、またどの論題においても分野横断的かつ複合的な論旨展開はスケール感バツグン、よってどこから読んでも楽しめるもの。
遍く一般大衆に向けて科学の深みを軽妙に説きつつ、想像のロマンと実践のリスクをともに喚起し、そして閉鎖的な専門バカをしばしば笑い飛ばす ─ これらが本著者なりのフェアネス感覚であるならば、本書はまことアメリカ的なインテリジェンスの体現といえよう。

さて此度の【読書メモ】として、本書におけるさまざまな論考論題のうちあくまでもごく一部につき、僕なりに要約して以下に雑記してみた。




<地球の質量と重力>
地球の全ての地表を掘り続け、あらゆる地殻物質を削り取って宇宙に棄てていく、とする。
こうして「地球を小さくしていく」と、重力は弱まっていくだろうか?
なお、この実践は地球上のエネルギーのみでは賄えないので、太陽の放出する全エネルギーをすべて活用するものとする。

地球の地上1kmの岩石を全て削り取って宇宙に棄て去ると、マントル活動の沸き上がりを抑えきれなくなり世界中の火山が噴火する。
地下20kmまで全て削り取るとマントルが露出する。
地下60kmまで全て削り取り溶岩を取り去ってしまうころには、地球は’小ささ’ゆえに密度が増し、だから’重力は’むしろ大きくなっていく。
地下3000kmまでの全ての物質を棄て去ってしまうと、この’ミニ地球’の直径は元の半分になり、’質量’は元の2/3となっており、ここまで小型軽量になると'重力/質量’は一定横ばいで変わらなくなる。

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<地球の1日が1秒となると…>
※ 本書のサブタイトルとしても挙げられている論題であり、要するに地球の’自転速度’が86400倍となったら何が起こるだろうかと問いかける、超スケール感満点の謎かけだ。
とりあえず地球の地軸傾きは変わらぬものとする。

これだけ速い自転速度となると赤道の速度は光速の10%にもなり、いまや’相対論的な速度’に至っている。
こうなると’遠心力’の強さは’重力’をとっくに超えている。
この自転の超高速化が始まってからわずか1.5秒後(地球の自転換算で1.5日後)には、地球は円盤状を成しつつ膨張を始めており、地殻物質を宇宙空間にばら撒きつつ静止衛星エリアに至っている。
そして10秒後(地球の自転換算で10日後)にはもっと巨大な円盤状に膨張しつつ、月の軌道を突き抜けており、ここで月があくまでも従来の衛星軌道に在るならば地球物質に弾き飛ばされて彗星となってしまう。
この調子で1時間も経過すれば、もっともっと円盤状に巨大化した地球はいまや太陽を超えて太陽系全体に至っており…

※ 本題で触れられている’相対論的な速度’は高校物理をほとんど超えたコンセプトではあるが、例えば河合出版『理論物理への道程(下巻)』の末尾appendixにては相対性理論の概説もあり、文系あがりの俺だって本気出せばこのくらいは、
ともかくも本書にては随所にこのような学術モチヴェーションをささやかながらも見出すことが出来る。

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<鉄の気化>
鉄の沸点は約3000℃でかなり高く、実際に「或る個体鉄」を気化させるためには電磁波による誘導加熱を課すか、電子ビームで加熱する必要がある、
かつ、これら加熱操作時に周囲環境の不要な高温化を回避すべく、この鉄をシールドで隔離の必要がある。
とくに電子ビームは磁場によって方位操作が出来るので、シールド隔離されている鉄の過熱に適している。
1m3 の鉄の重量は約8トン(比重計算に則れば7850kg)であり、これを気化させるためには約60ギガジュールの熱エネルギーを加える必要がある。

じっさい、地球上の地表や大気中いたるところにとてつもない量の「鉄の塵」が散在している。
例えば或る砂漠で約3時間の間に吹き上げられる鉄の塵は約3万トン、さらに同じ3時間に各種工場設備から排出される鉄の塵も1000トンにはなる。
大気中の鉄塵はすぐに酸素と凝華反応して酸化鉄の粒子となる。

海中の鉄分は藻の栄養素であり、海中で藻が増えればそれだけCO2を吸収するが、海中の鉄分そのものが大気中の炭素を吸収/分離することはない。

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<ハトによる人間移送>
※ これは大笑いさせる論題だ。数学の誤用(物理学との差異)を嘲笑するような論法が楽しい。一方ではSFの素材として活かせそうな謎かけともいえる。

「或る600羽のハト」が「70kgの人間」を上から吊るして5m上昇させ、ここで疲れ果ててしまうものとする。
この時、「下方にぶら下がって控えていた別の600羽のハト」がこれを宙空で引き継いで、さらに5m上昇させ、これまた疲れ果ててしまうとしよう。
そしてこの時、「さらに下方にぶら下がって控えていた別の600羽」がこれを宙空で引き継いで、また5m上昇させ、ここで疲れ果ててしまい…
こうして、70Kgの人間を5m上昇させるたびに、下方にぶら下がって控えていた600羽のハトユニットが新たに入れ替わってゆくとすると、この人間の上昇高度が地上322mを超えるまでにどれだけのハトが必要となるだろうか?

この問いかけはいわゆる’多段式ロケット’を想起させるもの。
しかし数学上の理想的な多段ロケットシステムとは決定的に異なり、じっさいのハトの能力には物理上の限界がある。
それぞれのハトはおのれの自重の1/4までしか上方に引き上げられないのである。
つまり、或る1羽のハトを上方に引き上げるためには4羽のハトが必要になり、だから或る600羽を上方に引き上げるには2400羽が必要であり、さらにその2400羽を上方に引き上げるには9600羽が必要となる。
よって、このハト(と人間)を上昇させるためにはとほうもない数のハトが必要となってしまい、地球上に生息するすべてのハトつまり3憶羽を起用しても上昇高度はせいぜい45mでしかない。
これを地上160m以上まで上昇させるためには1.6x1025のハトが必要となってしまい、この総重量は約8x1024kgであり、地球の総重量を超えてしまう。
地上322mを超えるころには総重量は約3.5x1046kgにもなり、銀河の総重量を超えていることになる。

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<真空管のスマートフォン>
※ 本稿は本書にても最も卑近なデバイス論ながら、最もプラクティカルな文明論ともいえ、だから僕なりにもとびっきりのお気に入りである。

真空管とトランジスタは「デジタルな(数学上の)論理素子」としては互換性があるといえる。
では、仮にトランジスタを一切使わず真空管’素子’のみを起用して現行のスマホを作るとすると、「物理上」どんな代物となるだろうか?

そもそも最初期の商用コンピュータUNIVACは25m3の筐体に5000個以上の真空管’素子’を起用していた。
一方で、現行のiphone12はわずか80mlのケースに118憶個のトランジスタが収められている。
ハードウェア1lあたりで比較すれば、iPhone12の素子密度はUNIVACの1兆倍にあたる。
この密度差を以てiPhone12を真空管’素子'のみで強引に作るならば、その筐体サイズは5街区にわたるほど超巨大なものになってしまう。
逆に、当初のUNIVACが現在のトランジスタで作られていたとすれば、そのサイズは0.3mmくらいの超極小モノに収まっていたことになる。

当初のUNIVACにおける真空管のステップ同期クロックは2MHzに過ぎず、この周波数は現行トランジスタの約1/1000でしかない。
だから、仮に上で挙げたような超巨大なiPhone12を真空管のみで作ったにせよ、ステップ同期があまりにも遅すぎてしまいプログラムが走らず、よって使い物にならないだろう。

最初期の有力な真空管'素子’としてとくに7AK7を挙げることは出来るが、たとえこの7AK7素子を起用してiPhone12を作ったにせよ、これは総じて1011W相当(摂氏1780℃相当)の熱を放射することになろう。

※ 本項で引用されているシュテファン=ボルツマンの法則は、物体の表面積と熱放射(電磁波)と温度についての関係法則。


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<その他>
上に挙げた論題はあくまでもほんの一端であり、本書はどこから見開いても楽しめる科学ものである。
他にも、ちょっと目についたものとして -

・光の進路は空気密度によって変わる(温度で変わる)。
レーザー光線も同様である。
蜃気楼をレーザーで撃つならば、見えるままに撃てば当たる(ように見える)。

・あらゆる物質の発する(吸収する)’温度’はそれら物質分子の平均運動エネルギーによって決まり、そして宇宙空間の物質分子は大量のエネルギーを有しつつ高速で運動している。
しかし宇宙全体として捉えれば、物質分子の量は希少であり、だから宇宙空間の’温度’は地球と比して低い。

・ブランコを漕ぐ運動について。
おそらくは高校物理でいう’単振り子’と’小球’と’重力’と’角運動量’を語るものであろう ─ 本書にては’単振り子’とその下端の’回転ホイール’の組み合わせ構造と見なしている。
ただし空気抵抗まで論じている処は高校物理を超えており、こういう複合的な視座はちょっとした学習動機付けにはなる。

・或る宇宙船が光速の1/10くらいの速度で宇宙を横切っていくとして、天の川銀河を完全に横切るまでに1000万年かかり、この間に何らかの恒星に衝突する確率は「わずか100憶分の1」にすぎない。
なお、10ケタの電話番号を30秒ごとに1件ずつランダムにかけていくとして、すべての電話番号をかけ終わるまでに1万年かかるが、ここで一番始めに或る特定の電話番号にかけちゃう確率が「100憶分の1」である。


以上

2024/01/18

2024年 大学入試共通テストについての所感

自然科学といい、社会科学といい、人文科学ともいう。
では科学とは(科学思考とは)何か?
僕なりの拙い語彙力でちらっと総論するならば、科学は、あらゆる考察対象の 「一瞬一瞬の微分における’合理’」 と 「永続的に積分した’普遍’」 を両立させる思考技術。
この典型が、高校教育までで言うところの理科であろう、つまり物理であり化学であり生物学だ。
これら理科の考察対象はあくまでも自然物なので、人間が’合理’と’普遍’をともに解釈しそして完結させることはけして不可能ではなかろう。
(ましてや数学ともなれば、おのれの秩序系そのものをおのれの記号と論理のみで完結させる思考技法なので、’合理’と’秩序’が両立するのは当たり前である。)


では、社会科は科学と見なせるだろうか…?
社会科の考察対象はあくまでも人間業である。
人間業といえども、なるほど一瞬一瞬を微分的に分析すれば’合理’が成立しているようではあり、一方では、ざーっと積分的に総括してみれば永続的な’普遍’が成立しているようにも見える。
例えば経済学や経営学にて、人間の経済活動を需要と供給(さらには資産と資本)から’合理’的に分析し、また一方では景気変動や経済成長を以て’普遍’を導くことも出来よう。
こうしてみれば経済学や経営学とて一応は科学のようではあり、これらを制度から捉える法律学も意思決定過程から捉える政治学もまた科学のようにも見受けられる ─ つまり、社会科は理科同様に科学であるように映る。

しかしだ。
現実の人間世界に詐欺があり、暴政があり、テロが起こり続け、戦争が後を絶たない理由について、社会科は’合理’と'普遍’の両面から説明しきれているだろうか?
イスラエル、ウクライナ、或いは中華人民共和国について、社会科の作法に則って評すれば、それぞれ一瞬一瞬ごとには’合理’を成してきた国体かもしれないが、では人類史上に燦然と輝き続ける’普遍だとも言い切れるだろうか?
ヨリ我々に卑近な行為主体として、東芝や富士通などは技術開発の一瞬一瞬にては’合理’を成し遂げてきただろうが、ではこれら企業の苦境と顛末は市場経済の’普遍’モデルであると断言しえようか?

むしろ我々の常識センスに則って現実の人間業を眺めやれば、一瞬一瞬はスリル満点ともいえようが、総括すれば不条理だということにもなる。
とすると、社会科はむしろ人間業のスリルと不条理を暴いているに過ぎないのではないか?…との穿った見方をどうしても払拭しきれない。
だから、社会科はしばしば大っ嫌いになることがある。

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そうは言っても、冬場を迎えて共通テスト(センター試験)の時節が近づいてくると、やっぱり社会科にちょっかいを出したくなってくるのは、酸いも甘いもフンフン嗅ぎ分けてきたおのれなりの半生を回想しつつの義務意識ではある。
ゆえに、此度の「所感」も社会科(政治経済と世界史)の出題コンテンツについて、幾らか触れてみることにする。
(なお物理と化学にも触れてみることにするが、それらは別稿にて。


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【政治・経済】
昨年の政治経済の出題は、さまざま資料類の併記による多段的な構成が目立ち、よって文面の分量は増加しつつあるものの、諸々知識から複合的な最適命題を演繹させる設問はほとんど見受けられず、あくまでも個々の断片知識を即応的に質すものに留まっていた。
もとより受験生のなだらかな得点差を導く(しかも制限時間内)のが共通テストの主眼ゆえ、知識の多寡を質す散逸的な設問ばかりが増え続けてゆくのは仕方なかろう ─ というのが昨年までの僕なりの了解であった。

さて本年版はといえば、引用資料の多段化よりもむしろ題意そのものの多段的な要件変化が特徴的な、ちょっとした数学型パズル型の設問が、若干数ではあるが目を引いた。
これらの設問は、むしろ題意の要件変化そのものについて僕なりに若干吟味出来たので、今回はこれらのみを論ってみることにする。


<第1問>
問2
選挙区制度と当選者数についての小問で、議会議員選挙において各選挙区における各候補者の得票数をカウントさせるもの。選挙区かつ候補者の獲得票の総数は定まっているものの、それぞれの得票数はバラついているため、どこでどの政党の候補者が議員に当選したか、死票がどれだけか、それぞれ個々にカウントするしかない。一律計算による算出は不可能である。
本問の妙は、ここの選挙制度が小選挙区制に変更となった場合、あらためて上と同様にそれぞれカウントし直し、その上で当選者数がどう変わるかを確かめさせること。やはり一律計算による算出は不可能である。
ここまで閃くのはさして困難ではなかろう。

しかしながら本問は、幻惑的な紛らわしさをも含め合わせている。
そもそも本問は、各候補者と所属政党のかかわりについて一切触れていない。かつ、選挙制度変更に伴う有権者の投票選好の変化(そして選挙戦の拮抗度合いの変化)についても一切触れていない。よって、受験生は通常の先入観に幻惑されることなく、予めこれらを冷静に捨象した上で本問に挑まなければならない。むしろこの’捨象センス'こそが試されているのではないか?
そして逆から捉えてみれば、これら等の複合的な要件をも含み入れた大仕掛の出題であったならば本問はもっと教育効果はあったのではないか。どうも惜しい。

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<第2問>
問8
臓器移植法の改正と解釈について。本問は論理峻別の的確さを質す出題だ。なるほど、改正前および改正後の制度概括メモを読み比べてみれば、本設問の選択肢における正しい論旨選択はほぼ即座に可能であろう。

しかし本問の設問とは別に、僕なりに演繹的に思い当たった論点がある。
そもそも、ここでの’本人’の臓器提供は、この’本人’自身が生存しておりその意思が明らかな場合と、この’本人’自身が死んでしまいその意思が不明となる場合がありえる。そして、たとえ後者の場合でもひょっとすると’本人’には臓器提供の意思が有ったかもしれぬ、と見なす第三者が居るかもしれない。
こういう第三者の恣意的な解釈と介入によるトラブルを回避すべく、改正後の臓器移植法にては、’本人'の意思が明らかであっても不明であっても必ず家族の意思確認を要求しているのでは ─ というのが僕なりの想像的解釈である。

むろんこんなもの当たり前といえば当たり前の閃きには過ぎぬが、ともあれこのように要件がヨリ多段的に展開する大がかりな題意設定であったならば、本問はもっと凝った論理パズルたりえたのではないか。速読即応の設問に留まってしまったのが惜しい。

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<第3問>
問5
企業Aと企業Bによって排出される汚染物質の現行の排出総量と濃度をもとに、こんご規制されるべき排出可能総量を計算すればよい。よって、排出総量を11トン未満に抑えられる選択肢つまり3.が正解となる。
─ というのが本問の正解アプローチであり、こんなものは中学校1年生程度でもすいすいと解けるパズルでしかない。

しかしながら、敢えて本問を論ってみたい理由が2つある。
まず、本問の「仮定」箇所、’制限がかかったもの’ とあるが、これが一体何を指しているのか、排出規制さるべき汚染物質の意か、他に何がありうるのか、どうにも分からない。
さらに、そもそも人間都合に即して(つまり社会科思考に則って)本問の論題を捉えてみれば、ここでの排出規制は企業Aと企業Bに対して同時かつ公開的に通達されなければならない。そうでなければ企業Aと企業Bはそれぞれ自社利益に則りつつ、排出量について相手方とひそかに調整図るかもしれず、こうなると規制当局の企図する最適解とは異なる結果に至ってしまうかもしれぬ。

尤も、こういうケースまで複合的に含め合わせた出題であったなら、本問はもっとエキサイティングな大問に仕上がっていたのではないか…?あっさりした数学パズルに終わってしまったことがまこと惜しまれる。


問8
本問は財貨の需要曲線の意味を問いつつ、多段的な要件設定が小気味よく発動されてもおり、その点にては良問とも評せよう。
冷凍野菜の輸入が解禁されることにより、国内産の生鮮野菜の需要がどう変わるか ─ というのが本問の題意。ここで呈されている前提要件のみに素直に即するならば、冷凍野菜の輸入量増加に相まってこの生鮮野菜の需要が減少、しかもその(数量の)価格弾力性は大きくなるはずだから、選択肢2.が正解となる。
ここまでは既得の経済学知識でパッとこなせよう。おそらくそういう狙いの単問であったろう。

尤も、ここで僕なりに論いたいのは本問の前提要件が不完全であること。
そもそも、需要曲線ゆえに生鮮野菜の価格→数量の相関は一応は明瞭であるが、しかし消費者が価格と数量のどちらにヨリ多く影響されているか動機の文脈は無い。
かつ、生鮮野菜と冷凍野菜の価格相関も完全には呈されていない。なるほど、生鮮野菜の方が価格高くなればそれだけ冷凍野菜がヨリ多く売れる由は前提されているが、逆に生鮮野菜の方が安くなっちゃう場合にどうなるかについては前提が記していない。
つまり、両者間の競合事情も消費者の購入動機も不明瞭ままである ─ とはいえ、受験生としてはこんなところまで総体的に考察図らなくともよいのだ、前提要件として明かされておらぬ条件は捨象してしまえばよいのだ、ということか。
逆に、こんなところまで含め合わせた多段的な設問であればぐっと面白い大問に仕上がったのではなかろうか。

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<第4問>
問3
国際収支における「所得収支」のうち、’貸借当事者’間のそれは「第一次所得収支」に勘定され、一方で’貸借’にあたらない援助などは「第二次所得収支」に勘定される。

問5
「宇宙空間」における当事国間の規律を定めてきた国際法が「宇宙法」。あくまでも国際法ゆえ、実際の法源は当事国における慣習法と条約である。最初の法源が国連総会決議で1963年に定められた「宇宙条約」。
本設問における条文抜粋メモは、この宇宙条約をまとめたものである。
宇宙法そして宇宙条約は、宇宙空間への物理的な進出程度を問わず全ての国家に自由平等な自由と制約を課しており、この点からすると空域や海域以上に理念性(論理性)の高い国際法といえる。

なお、本設問メモ内容以外に、宇宙法にて注目さるべき事項としては ─
そもそも「宇宙空間」自体の領域定義(空域との境界)について、これが独自に定義されるべきか、宇宙条約に準じて都度解釈すべきか、最終解釈がなされていないこと。
宇宙空間におけるいかなる国家のいかなる行為についても、無過失責任が課されていること。


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【世界史A】
世界史学習の醍醐味は、諸々の人間と財貨が縦横に織り成す’連関性’を確かめていくこと。とりわけ世界史Aは地理的要件も相まってさまざまな財貨の横断的な関わりを眺めやる、その大胆な着眼にあろう。
だから僕なりにも共通テスト(センター試験でも)の世界史Aにはこれまでも注目を払ってきた。

では此度のものはどうかといえば ─ 
まずは第3問Aにおけるガラスがらみの主題が、スケールはささやかながらもピカ一の産業技術論といえまいか。
それから、東アジアの文字’創造’について一端を披露する第4問Bも着眼が斬新ではあり、規模と組み合わせ次第ではかなり巨視的な大問にも仕上がるのではと察する。
また第5問Bの米ソ軍縮がらみの出題も、けして楽しめる論題ではないにせよ、地理的な制限を超えた’現代性’がまさに世界史Aにふさわしくもあり、こんご更に科学技術論と絡めて巨視的な作問が出来得るではないかと期待感を抱いた。

それでは、これら以外の出題も併せて、あらためてざっと論ってみることにする。


<第1問 A>
問2
ワフド党は第一次大戦後エジプトにて独立運動を推進した党派で、立憲王国としての自立は実現した。しかし肝心かなめのスエズ運河の管理権を英仏から奪った(奪回した)のは、ずっと後年のスエズ戦争時であった。

問3
ワッハーブ派がサウード王家とともにイスラームの原初思想回帰を説いて回ったのは、18世紀半ばのことであり、意外にも早い。そもそもアラビアにせよイランにせよ、イギリスやロシアなど列強による侵食に常に呼応し反動しているわけではないので、時期と動機について留意が必要である。

<第1問 B
本問は中国近代史についての出題。なお、歴史区分として捉えるとかなり長尺なフレームに亘る ─ すなわち、清王朝の末期から辛亥革命さらに袁世凱による混乱期を経て、新文化革命と中国共産党、そして日中戦争期まで。
なるほど、歴史上の諸事実の’複合性’や’連関性’について受験生に自由に解釈させるならば、このような大がかりな枠組み設定ほど望ましかろう。しかし残念ながら実際の設問はほんのひとかけらの知識クイズに留まっている。よって、本問は作問上の大失敗だろう。

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<第2問 A
問1
ロシアによる3ハン国と新疆への進出はイリ条約で一段落となるが、このイリ条約にて清との拮抗がどう収まったのか、そしてこののちロシアはどう動くのか、地図をにらみながら把握必須である。

問3
青年トルコ革命が起こってもオスマン帝国は続いていた。その後にバルカン戦争~第一次大戦が起こるがまだオスマン帝国は存続している。第一次大戦の終了後、ムスタファ=ケマル将軍が主導してついにオスマン帝国が解体され、トルコ人によるトルコ共和国が建国された。

<第2問 B
フランスの第三共和政についての出題。これも第1問のB同様、時代区分上はかなり長きに亘るものであり、しかも出題がほんの僅かな小問に留まっているのも同じ。だから本問も大失敗の作問であると断じざるをえない。

なおフランス第三共和政が普仏戦争~パリコミューン蜂起後に始まったのはまだ理解しやすいが、ではこの国体が実質的に終焉した(させられた)のはいつか?第二次大戦中のドイツの侵攻による敗北のタイミングか、或いはドゴールの亡命政権による自由フランス期まで存続したと見做すのか、解釈が割れているふしもある。
また、この第三共和政がフランス革命当初の理念に沿って全国の学校教育制度を確立した云々と解かれることも多いが、そもそも、学校教育制度のアイデアがフランス革命精神であったなどと本当に断定しうるものだろうか…?

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<第3問 A
ガラス製造技術にまつわる論題である。此度はあくまでも小問に留まってはいるものの、こんご工業技術論~産業論として大がかりに膨らませれば、世界史Aの出題として大良問たりえるであろう。

なお僕なりにささやかながら’ガラス論’を捕捉付記しておくと ─ 
ガラスはケイ砂(ケイ素)が根元的な素材であり、ケイ砂と他物質とのさまざまなアモルファスを以て、相応のさまざまなガラスが作られる。
意外にも(?)ステンドグラスより無色透明ガラスの方が出現は遅かったが、これは無色透明を成す製法がずっと難しいため。
無色透明ガラスはまず近代ヨーロッパに出現し、科学技術に大いに活用されている。端緒期の好例が、ガリレオによる望遠鏡であり更にレーウェンフックによる顕微鏡でもある。
無色透明ガラスの大量生産が可能になってこそ、外部から内部を透徹出来る’ガラス瓶’も広く普及するようになり、20世紀以降の食生活を著しく便利にしてきた。
また、20世紀半ば以降に無色透明ガラスの製造がさらに大規模化することによって、一般家屋から高層ビルに至るあらゆる窓がガラス張りとなり、さらに断熱効果なども向上しつつ今日にいたっている。

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【世界史B】
総じて、世界史Aよりも資料類など情報量が多く、それでいて設問は断片知識ばかりを質すクイズ群に留まっている。だから却って主旨の希薄な出題ばかりに留まってしまったようだ。

しかし例外もあり、例えば<第4問のB>は「或る国語」と「その話者自身の国籍」の関係にちらりと振れており、これは創意次第では歴史上の諸事実の’複合’や'連関’を紡ぎ上げうる論題とも言えよう。 ─ むしろ世界史Aに編入してもよいほどだ。
(尤も本問は論理上の不整合さが残ったままである。本問の前提命題によれば、或る国語からその話者の国籍を演繹出来ることになる。しかし現実には、その話者が必ずしも彼の母国語のみを話すとは限らない。この杜撰さは小問ゆえの不手際か。)



以上

2024/01/10

新成人 (2024)



新成年おめでとう。

此処の投稿内容は、昨年の新成年の日に際して書き綴ったものを元に記している。
以来、僕なりに考えは変わっていないため、概ね同一内容を繰り返し記すことにする。

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昨日まで子供だった諸君らにとって、「実体」「論理」は一緒くたの不可分だった。
というより、すべて「実体」そのものに映っていたことだろう。
しかし、成年に達したということは、その彼/彼女にとって「実体」の次元と「論理」の次元が完全に分離したということ、そして、これらどちらもともに生きなければならぬということである。

だから、此度は「実体」「論理」について、ちょっとだけ理屈をおいてみよう

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あらゆる物質も物体も、そして我々の肉体もまた脳神経すらも、1度に1つ限りの自然な「実体」である。
たとえば、遺伝子や細胞はむろんのこと ─ 水や食材、薬剤、電磁波、核、熱、鉱物、イオン、木材、鉄鋼、コンクリート、ガラス、プラスティック、機械類、半導体や導線、火力兵器、核兵器、ウイルス物質、ワクチン、さらにスポーツや絵画や音楽や文学などなど。
もちろん地震や津波は実体の超巨大な複合といえよう。
これらは何らかのエネルギーから起こり、何らかのエネルギーに転化もできる、だからこそ「実体」といえる。

日本国、皇室、日本人、お正月、アメリカ人、イギリス人、フランス人、ドイツ人、ロシア人…そして伝統文化や社旗規範なども「実体」

「実体」は、途切れることなく連綿と変化し続けてはいるが、どこまでも有限の存在でもある。
変化し続けている以上は、「実体」それら自体をデジタルに均等細断することはおそろしく困難、ましてや有限の存在ゆえ、完全無欠の複製や流動や組み換えや復元はもっと困難、(素粒子レベルで本当に復元できようか)。

君たちは「実体」として生まれ、「実体」として育ち、「実体」として成人した。
「実体」として走り、「実体」として跳び、「実体」として「実体」を見聞し感受し、「実体」に対して右ストレートや左フックを叩き込み、「実体」を掴んで抱えて上手投げや下手投げを繰り出し、「実体」をぶっ叩いて場外ホームランを叩き出し、「実体」を蹴り飛ばしてオフサイドギリギリのシュートを放つことも出来る。

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一方では、成年なりたての諸君を大いに惑わしうる「論理」について注記しておこう。

「論理」はどれもこれも人間が考案した観念でしかない。
たとえば、数学とか言語とかソフトウェア(デジタル)とか、通貨とか価値とか税とか証券とか保険とか、法とか権利とか義務とか、多数決とか議会とかメディアとか…
さらに、国際金融資本、アメリカ合衆国、ヨーロッパ連合、ウクライナ政府、中国共産党、国際連合、NHK、感染者数、などなど。

人間考案の観念にすぎぬがゆえ、あらゆる「論理」無限を前提とし得る
無限の「論理」ゆえにこそ、作為的に意義や文脈を無視してデジタルに均等断裂が出来、なんぼでもシャッフルして組み換えが出来、さらに複製も流動も自由自在、そしていつかどこかで完全復元もOK ─ ということになっている。

「論理」のほとんどは、しばしば言葉遊びでもある。
たとえば「勤労の義務」は規範とされているが、「雇用の義務」という規範は無い。
また、「生産」および「生産物」は「実体」だが、「生産性」はカネまわしの「論理」でしかない。
「地球の気温」は「実体」だが、「温暖化あるいは寒冷化」となると「論理」でしかない。


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何が言いたいのかって?
成年なりたてホヤホヤの諸君に伝えたいことは、要するに簡単なことだ。
「実体」あってこその「論理」である!
「論理」のために「実体」があるわけではない!
有限の「実体」を改編し新規に作り上げるためにこそ、さまざまな「論理」の無限のフレキシビリティが起用される!
感染という「論理」をコロコロ転がしてカネをコロッコロと回すために、諸君らの肉体という「実体」が犠牲になってよいわけがない!

ひとたびカネに変えてしまった肉体を完全な元通りに買い戻すことは不可能なんだぞ!


君たちの多くが学んできたとおり(あるいは言い聞かされてきたとおり)、物理学は名称こそ紛らわしいが明らかに「実体」に則った学問である。
その証拠に、「万物」の運動現象をとことん還元すれば何らかの物体の単振動、それら力の作用と反作用である ─ などなどと断言している。
そして、エネルギーとその仕事の有限性に則ってこそ、エネルギー保存則もエントロピー限界説もある。
一方で、数学は「論理」でしかない、だからエネルギーも保存則もねぇんだ、無限にずーーーっと縦横無尽の展開をしていくんだ。


なるほど、物理学は数学「論理」によってさまざま新たな仮定もおこり、新たな発見もなされ、それらによってこそプラスティックもシリコンウエハーもコンピュータも航空機もレーザーも量子マシンも核兵器も生み出してはきた。
だから、「論理」あってこその新規創造だろうと反論したくなるかもしれない。
しかし、じっさいに生み出されたそれらは有限の物理環境においてこそ駆動するもの、だからどこまでも有限の「実体」である。

生命科学によって出現したクローンやIPSにしてもそうだ。
クローン男にせよ、IPS女にせよ、数学「論理」によって設定された完全な同一複製や組成再現であるはずだから、「論理あってこその新たな生命秩序じゃないかと言いたくなるかもしれない。
しかしながら、それらはひとたび発生した瞬間から別々の環境にて別々の代謝を始めるもの、ゆえにどれもこれも別々のそして有限の「実体」である。


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グダグダと書き殴りやがって…と閉口しているかもしれぬが、ともかくも「実体」「論理」の峻別は個々人にとっても国家民族にとっても生きるか死ぬかの超重大問題。
独立した成人であれば、なおさらのことだ。
だからこれからも何度でも繰り返すつもりだ


以上


2024/01/08

大学入試のような英文読解 私案その2

先般のもの同様、本稿も大学入試を念頭において僕なりに書き下ろしたものであり、こちらも元より英文であるため日本語訳は無い。
尤も、此度は誰もが気楽に楽しめるよう、高校数学の一端をパズルゲームとして捉えつつ、暫定的にかつ部分的にざーーっと記してみた。
だから本問は淡泊なコンテンツに如かず、しかも設問も簡単で、だからおそらく先般のものよりは易しいはずである。
(本稿はすべて僕自身の作成であり、文責は僕個人に帰属する。)


えっ? なんだって?
なぜおまえごときがこんなふうな英文解釈課題を自前で起こすのかって?
大抵の高校英語教材が陳腐で退屈なものばかりであり、学際的な思考の楽しさをほとんど喚起していないからだよ。





Read this following text from paragraph [1] through [3], then answer the accompanying <Questions> hereunder.


Number of Cases

[1]   Wherever the probabilities of certain events' occurrences are required in % scale description, the most basic stage before detailed calculation must be maximum-minimum counting of those cases. And it is normally done with the 'case counting' methods in mathematics.
Let's pay a little glance to some aspects of case counting math. Do not worry. This text just presents funs and thrills of high school math puzzles. 

Yet, some features of case counting may go beyond your daily perspectives.

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[2]   Challenge our daily senses of scales.

Do you play cards (※1) ? Most of you do. 
Suppose you have just 3 different cards as of 💛J, 💛Q, and 💛K. Then, when you put each of them in one straight line, how many different cases can you make ? 

Of course, by adopting our basic case counting formula, we can automatically find out the number of cases as of 3! = 3x2x1 = 6. 
All right. Then what about 💛10, 💛J, 💛Q, 💛K and 💛A ? 
Similarly, the number of cases is 5! = 5x4x3x2x1 =120. Easy, so easy.

Then, what if you are responsible with the total 52 cards, complete them in one straight line ? 
52! is the instant answer, why not ? 
But, how large is this ? It's 52x51x50x49x48x47x46x45x44x43 ... .

This is where you must abandon your common perspectives. The number of these possible cases astonishingly reaches up to 68 digits, cruelly bursting out your daily calculator and defying your high-end computer programmes. 
If (a big if) you take 1 second per 1 case counting, the total time necessary for the full 52! cases is unimaginably far huger than that so far spent since the generation of the universe. 

Who has ever tested this ? Can't you believe me joking that some cases within were once coded by devil ?

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[3]   Join a smart trick with temporary symbols. 

Suppose you have 6 tennis balls, and all these 6 balls cannot be identified individually. 
Now. you must deliver all these 6 balls to 4 different persons - identifiable as A, B, C and D. The number of balls per your delivery can vary from null (0) to 6, not exceeding 6 in total. 

Case example [1]: 1 ball to A, 2 balls to B, 2 balls to C, 1 ball to D
Case example [2]: 3 balls to A, 1 ball to B, 1 ball to C, 1 ball to D
Case example [3]: 1 ball to A, null(0) to B, 4 balls to C and 1 ball to D
... .
Then, how many cases can you have in ball deliveries to these receivers ?

Yes, this is a textbook math, but, remember that the premise here shall include the possible cases of null(0) delivery to any receivers. So, we cannot simply apply the elementary combination formula (leading to 6C4).

Now, a classic solution herein is to add 3 same 'temporary separators' as of the symbol "│", and let them stand among each receiver. In each case, we must count the numbers of balls and 'temporary separators', equivalently combined, while ignoring any null(0) cases. 
Let's confirm if this trick really works, adjusting it to the two examples shown above;  

Case example [1]:  ●│●●│●●│●
Case example [2]:  ●●●│●│●│●
Case example [3]:  ●│null│●●●●│●
... .
Accordingly, the total number of ball delivery cases must be 9C3 = 84.

All right. This operational trick is practically devised in many computer algorithms as well as in object-counting machines. 
And, in farther broader terms, we can say this is how some mathematical tricks have re-invented physics since the dawn of our civilization.


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(※1) トランプカードで遊ぶ

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<Questions>

[Q1].  In the paragraph [1], why can we say that some features of case counting may go beyond your daily perspectives ?

(1) Because some of those methods are not common to all people over the world
(2) Because some of those calculations betray human's common imagination
(3) Because some of their tricks are theoretically wrong
(4) Because some people will argue the preciseness of case counting math

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[Q2].  In the paragraph [2], what can be our daily senses of scale ?

(1) Our counting ability of natural numbers
(2) Our prospects to future events
(3) Our confidence in our own natural senses of scales
(4) Our belief that we understand all sorts of math outputs

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[Q3].  In the paragraph [2], what is the bottom line of the author's joking (that some cases were once coded by devil ?)

(1) Lining up the cards in all 52! cases will be almost impossible to anybody
(2) Lining up the cards in all 52! cases will be possible to somebody but you
(3) 52! is an imaginary number
(4) Nobody will be happy in calculating the number 52!

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[Q4].  What can be the main lesson we learn from the temporary symbol trick shown in the paragraph [3] ?

(1) Case counting shall not consider null (0) occurrence
(2) That trick puzzle is not suitable to math education
(3) The formula of combination is imperfect in itself
(4) Temporary symbols can be counted for its quantities

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[Q5].  In the paragraph [3], what does the author imply by saying that some mathematical tricks have re-invented physics since the dawn of our civilization
 ?

(1) Mathematics can deliver just logical symbols to overcome some physical limitations in materials
(2) Mathematics has always been recorded in books since the first day of mankind, while physics has not
(3) Mathematics has always distorted the laws of physics since the generation of universe
(4) Mathematics is insincere in itself against human and has spoiled our technologies and industries


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= end of text =

2024/01/07

大学入試のような英文解釈 私案

本稿は大学入試の英文解釈を想定して僕なりに英語で作文したもの。
日本語訳はとくに準備していない。
語彙も文意も単純なものに留めてはおり、とりわけ不定詞用法は文意がぼやける恐れがあるため回避している。
しかしながら、論旨を質す設問部においては若干の語彙力と連想力(想像力)を発動必須。

本課題にて勘違いや誤解に陥ることなく正確な論旨理解を貫けるならば、ほとんどの大学入試の英文解釈ごときは十分に対処しきれよう ─ それでも早慶入試の(論理パズル性の高い)英文読解に対処しきれるかどうかは微妙なところではあろうものの。

※ なお、本稿の文責は全て僕個人に帰属するものである。
※※ なおなお、平素の僕自身はほとんど日本語世界で生活しておるため、英語表現に若干の不格好さは見出されるかもしれぬが、もとより自覚の上、いいんだよ俺は英語教育の専門家じゃないんだから。





Read this following text from paragraph [1] through [6], then answer the accompanying <Questions> hereunder.


 "You" or "I"

[1]  We are reminded that English is one of the most strict languages with its pronouns' usages. These pronouns can represent various things independently. Those are; 'this' from 'that', 'that' from 'it', 'it' from 'they', etc., and considered as representing each various thing independently.
But, in some cases, the usages of  pronouns often appear vague, or even complex, when practically challenged. Let's review this briefly.

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[2]  Start with simple quiz.
Suppose you receive an invitation letter to a party. At the end of that invitation, there can be a request to choose whether "I will join" or "I will not". Then, "You" will click one of those and somehow return it to the party sponsor.
Who am "I" ?  "The party sponsor" or "you" ? 
An easy question when understanding the context of invitation. It must be "you" who are asked to clarify the joining or not.

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[3] Another simple test.
At a fast food restaurant, the sales persons normally ask you whether 'eat here or take away'. 
Now, here comes a seemingly absurd question. "Who" on earth is questioned to eat  foods in the restaurant or take them away ? Those sales persons ? Of course, not. Its "you" as a customer. 
This business situation must specify that the sales persons  ask "you" whether "they" must bag the foods or not.

I just remember a severe remark of penalty against smoking in Singaporean national taxes . They declare that smoking is severely banned in all transportations, then unexceptional penalties shall be charged to every violation.
"Who" shall pay the penalty if violated ? The taxi or bus drivers ? Of course not.

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[4] But, we must remember that even the simplest pronouns - namely you or I - do not always share the same meanings between physical dimension against linguistic dimension.
What are those ? Well, for example, check the following sentence (X1) ;

(X1) If I were you, "I" would frequently change "my" account number with passwords, accessing on various Internet shopping sites.

What does this sentence mean ?  Our common linguistic senses say "I" recommend "you" to change "your" account number frequently.  However, in reality, "I" am not "you", so "I" don't owe any responsibility with "your" securities on there.

Please hung on. Is this (X1) physically a good sentence ?
Here comes what I tentatively name "you-I-confusion" problem.

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[5] For this sentence (X1), the real phase of fact can be that it is "you", not "I", who shall owe the legal responsibility on Internet accesses. Yes, "your" decisions and actions will matter in reality.
Then, the sentence (X1) may as well revised as of the following (X2) ;

(X2) If I were you, "you" would frequently change "your" account number with passwords, accessing on various Internet shopping sites.

Compare (X1) with (X2). Which sounds more reasonable ? Dazzling puzzle ? My personal English literacy recommends (X2) as a reasonable expression.

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[6]  Additional notes.
Remember that lawyers and accountants, not to mention scientists and engineers, are strictly keen to avoid any confusion in pronouns in their jobs.
Their classic solution to this is establish clear identifications to each entity (client). Practically, they invent such distinctive nouns as "Mr X", "Ms Y", "Alice and Bob team", "the observer and the subject", "the third party", etc., and tag them on to each independent entity. 
These are their odd-looking papers of technical memorandum or legal obligations.

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<Questions>


[Q1]. The paragraph [1] through [6] goes that the usages of pronouns often appear vague or even complex in linguistic expressions. 
Which of the following may represent this problem ?

(1) Reply to the invitation of a party
(2) 'Eat here or take away' inquiry at a fast food restaurant
(3) Penalty system against smoking in vehicles in Singapore
(4) Changing "your" Internet account with passwords
(5) All of the above

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[Q2]. Which of the following is the 'context' stated in the paragraph [2] ?

(1) All the invited people must join the party.
(2) Each receiver of the invitation letter can clarify if he will join the party or not.
(3) The invitation letter was issued by the sponsor and delivered to himself.
(4) The usage of "you" or "I" is not at all restricted by people who are concerned with the party.
(5) None of the above

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[Q3]. Which of the following is the 'situation' stated in the paragraph [3] ?

(1) Confirmation by the restaurants' sales persons on their food bagging
(2) Hospitality by the restaurant hoping the customers spend good happy hours in there
(3) Singapore's strict administrative observation against their smoking habits
(4) Singaporean transport systems do not function if the vehicle drivers smoke on duties
(5) None of the above

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[Q4]. In the paragraph [4] through [5], which of the following does this author reminds by quoting physical dimension against linguistic dimension ?

(1) Existing people against virtual people
(2) Existing "you" against logical "you"
(3) The Internet complex against the users' accounts
(4) Physical existences against legal responsibilities
(5) None of the above


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[Q5]. In the paragraph [4] and [5], why can the sentence (X2) be better evaluated than the sentence (X1) ?

(1) Because the sentence (X2) describes the actually responsible decisions and actions by "you" on "your" Internet world
(2) Because the sentence (X2) unifies the word "you" with "your" accounts and passwords, in the right English grammar
(3) Because the sentence (X1) does not actually build logical words, while the sentence (X2) does
(4) Because, in the Internet world, "I" can dynamically replace "you" and change "your" account with passwords at my will
(5) None of the above

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[Q6]. According to the paragraph [6], what can be the technical advantage by assigning tentative Alice-and-Bob like names to certain entities (or clients) ?

(1) Convert those names dynamically in the course of some technical operations
(2) Premise who-is-who distinct identifications in specific papers
(3) Confirm those are just virtual but not real people in businesses
(4) Make puzzles for enhancing the Internet security tests
(5) None of the above



=== end of text ===