2024/01/18

2024年 大学入試共通テストについての所感

自然科学といい、社会科学といい、人文科学ともいう。
では科学とは(科学思考とは)何か?
僕なりの拙い語彙力でちらっと総論するならば、科学は、あらゆる考察対象の 「一瞬一瞬の微分における’合理’」 と 「永続的に積分した’普遍’」 を両立させる思考技術。
この典型が、高校教育までで言うところの理科であろう、つまり物理であり化学であり生物学だ。
これら理科の考察対象はあくまでも自然物なので、人間が’合理’と’普遍’をともに解釈しそして完結させることはけして不可能ではなかろう。
(ましてや数学ともなれば、おのれの秩序系そのものをおのれの記号と論理のみで完結させる思考技法なので、’合理’と’秩序’が両立するのは当たり前である。)


では、社会科は科学と見なせるだろうか…?
社会科の考察対象はあくまでも人間業である。
人間業といえども、なるほど一瞬一瞬を微分的に分析すれば’合理’が成立しているようではあり、一方では、ざーっと積分的に総括してみれば永続的な’普遍’が成立しているようにも見える。
例えば経済学や経営学にて、人間の経済活動を需要と供給(さらには資産と資本)から’合理’的に分析し、また一方では景気変動や経済成長を以て’普遍’を導くことも出来よう。
こうしてみれば経済学や経営学とて一応は科学のようではあり、これらを制度から捉える法律学も意思決定過程から捉える政治学もまた科学のようにも見受けられる ─ つまり、社会科は理科同様に科学であるように映る。

しかしだ。
現実の人間世界に詐欺があり、暴政があり、テロが起こり続け、戦争が後を絶たない理由について、社会科は’合理’と'普遍’の両面から説明しきれているだろうか?
イスラエル、ウクライナ、或いは中華人民共和国について、社会科の作法に則って評すれば、それぞれ一瞬一瞬ごとには’合理’を成してきた国体かもしれないが、では人類史上に燦然と輝き続ける’普遍だとも言い切れるだろうか?
ヨリ我々に卑近な行為主体として、東芝や富士通などは技術開発の一瞬一瞬にては’合理’を成し遂げてきただろうが、ではこれら企業の苦境と顛末は市場経済の’普遍’モデルであると断言しえようか?

むしろ我々の常識センスに則って現実の人間業を眺めやれば、一瞬一瞬はスリル満点ともいえようが、総括すれば不条理だということにもなる。
とすると、社会科はむしろ人間業のスリルと不条理を暴いているに過ぎないのではないか?…との穿った見方をどうしても払拭しきれない。
だから、社会科はしばしば大っ嫌いになることがある。

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そうは言っても、冬場を迎えて共通テスト(センター試験)の時節が近づいてくると、やっぱり社会科にちょっかいを出したくなってくるのは、酸いも甘いもフンフン嗅ぎ分けてきたおのれなりの半生を回想しつつの義務意識ではある。
ゆえに、此度の「所感」も社会科(政治経済と世界史)の出題コンテンツについて、幾らか触れてみることにする。
(なお物理と化学にも触れてみることにするが、それらは別稿にて。


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【政治・経済】
昨年の政治経済の出題は、さまざま資料類の併記による多段的な構成が目立ち、よって文面の分量は増加しつつあるものの、諸々知識から複合的な最適命題を演繹させる設問はほとんど見受けられず、あくまでも個々の断片知識を即応的に質すものに留まっていた。
もとより受験生のなだらかな得点差を導く(しかも制限時間内)のが共通テストの主眼ゆえ、知識の多寡を質す散逸的な設問ばかりが増え続けてゆくのは仕方なかろう ─ というのが昨年までの僕なりの了解であった。

さて本年版はといえば、引用資料の多段化よりもむしろ題意そのものの多段的な要件変化が特徴的な、ちょっとした数学型パズル型の設問が、若干数ではあるが目を引いた。
これらの設問は、むしろ題意の要件変化そのものについて僕なりに若干吟味出来たので、今回はこれらのみを論ってみることにする。


<第1問>
問2
選挙区制度と当選者数についての小問で、議会議員選挙において各選挙区における各候補者の得票数をカウントさせるもの。選挙区かつ候補者の獲得票の総数は定まっているものの、それぞれの得票数はバラついているため、どこでどの政党の候補者が議員に当選したか、死票がどれだけか、それぞれ個々にカウントするしかない。一律計算による算出は不可能である。
本問の妙は、ここの選挙制度が小選挙区制に変更となった場合、あらためて上と同様にそれぞれカウントし直し、その上で当選者数がどう変わるかを確かめさせること。やはり一律計算による算出は不可能である。
ここまで閃くのはさして困難ではなかろう。

しかしながら本問は、幻惑的な紛らわしさをも含め合わせている。
そもそも本問は、各候補者と所属政党のかかわりについて一切触れていない。かつ、選挙制度変更に伴う有権者の投票選好の変化(そして選挙戦の拮抗度合いの変化)についても一切触れていない。よって、受験生は通常の先入観に幻惑されることなく、予めこれらを冷静に捨象した上で本問に挑まなければならない。むしろこの’捨象センス'こそが試されているのではないか?
そして逆から捉えてみれば、これら等の複合的な要件をも含み入れた大仕掛の出題であったならば本問はもっと教育効果はあったのではないか。どうも惜しい。

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<第2問>
問8
臓器移植法の改正と解釈について。本問は論理峻別の的確さを質す出題だ。なるほど、改正前および改正後の制度概括メモを読み比べてみれば、本設問の選択肢における正しい論旨選択はほぼ即座に可能であろう。

しかし本問の設問とは別に、僕なりに演繹的に思い当たった論点がある。
そもそも、ここでの’本人’の臓器提供は、この’本人’自身が生存しておりその意思が明らかな場合と、この’本人’自身が死んでしまいその意思が不明となる場合がありえる。そして、たとえ後者の場合でもひょっとすると’本人’には臓器提供の意思が有ったかもしれぬ、と見なす第三者が居るかもしれない。
こういう第三者の恣意的な解釈と介入によるトラブルを回避すべく、改正後の臓器移植法にては、’本人'の意思が明らかであっても不明であっても必ず家族の意思確認を要求しているのでは ─ というのが僕なりの想像的解釈である。

むろんこんなもの当たり前といえば当たり前の閃きには過ぎぬが、ともあれこのように要件がヨリ多段的に展開する大がかりな題意設定であったならば、本問はもっと凝った論理パズルたりえたのではないか。速読即応の設問に留まってしまったのが惜しい。

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<第3問>
問5
企業Aと企業Bによって排出される汚染物質の現行の排出総量と濃度をもとに、こんご規制されるべき排出可能総量を計算すればよい。よって、排出総量を11トン未満に抑えられる選択肢つまり3.が正解となる。
─ というのが本問の正解アプローチであり、こんなものは中学校1年生程度でもすいすいと解けるパズルでしかない。

しかしながら、敢えて本問を論ってみたい理由が2つある。
まず、本問の「仮定」箇所、’制限がかかったもの’ とあるが、これが一体何を指しているのか、排出規制さるべき汚染物質の意か、他に何がありうるのか、どうにも分からない。
さらに、そもそも人間都合に即して(つまり社会科思考に則って)本問の論題を捉えてみれば、ここでの排出規制は企業Aと企業Bに対して同時かつ公開的に通達されなければならない。そうでなければ企業Aと企業Bはそれぞれ自社利益に則りつつ、排出量について相手方とひそかに調整図るかもしれず、こうなると規制当局の企図する最適解とは異なる結果に至ってしまうかもしれぬ。

尤も、こういうケースまで複合的に含め合わせた出題であったなら、本問はもっとエキサイティングな大問に仕上がっていたのではないか…?あっさりした数学パズルに終わってしまったことがまこと惜しまれる。


問8
本問は財貨の需要曲線の意味を問いつつ、多段的な要件設定が小気味よく発動されてもおり、その点にては良問とも評せよう。
冷凍野菜の輸入が解禁されることにより、国内産の生鮮野菜の需要がどう変わるか ─ というのが本問の題意。ここで呈されている前提要件のみに素直に即するならば、冷凍野菜の輸入量増加に相まってこの生鮮野菜の需要が減少、しかもその(数量の)価格弾力性は大きくなるはずだから、選択肢2.が正解となる。
ここまでは既得の経済学知識でパッとこなせよう。おそらくそういう狙いの単問であったろう。

尤も、ここで僕なりに論いたいのは本問の前提要件が不完全であること。
そもそも、需要曲線ゆえに生鮮野菜の価格→数量の相関は一応は明瞭であるが、しかし消費者が価格と数量のどちらにヨリ多く影響されているか動機の文脈は無い。
かつ、生鮮野菜と冷凍野菜の価格相関も完全には呈されていない。なるほど、生鮮野菜の方が価格高くなればそれだけ冷凍野菜がヨリ多く売れる由は前提されているが、逆に生鮮野菜の方が安くなっちゃう場合にどうなるかについては前提が記していない。
つまり、両者間の競合事情も消費者の購入動機も不明瞭ままである ─ とはいえ、受験生としてはこんなところまで総体的に考察図らなくともよいのだ、前提要件として明かされておらぬ条件は捨象してしまえばよいのだ、ということか。
逆に、こんなところまで含め合わせた多段的な設問であればぐっと面白い大問に仕上がったのではなかろうか。

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<第4問>
問3
国際収支における「所得収支」のうち、’貸借当事者’間のそれは「第一次所得収支」に勘定され、一方で’貸借’にあたらない援助などは「第二次所得収支」に勘定される。

問5
「宇宙空間」における当事国間の規律を定めてきた国際法が「宇宙法」。あくまでも国際法ゆえ、実際の法源は当事国における慣習法と条約である。最初の法源が国連総会決議で1963年に定められた「宇宙条約」。
本設問における条文抜粋メモは、この宇宙条約をまとめたものである。
宇宙法そして宇宙条約は、宇宙空間への物理的な進出程度を問わず全ての国家に自由平等な自由と制約を課しており、この点からすると空域や海域以上に理念性(論理性)の高い国際法といえる。

なお、本設問メモ内容以外に、宇宙法にて注目さるべき事項としては ─
そもそも「宇宙空間」自体の領域定義(空域との境界)について、これが独自に定義されるべきか、宇宙条約に準じて都度解釈すべきか、最終解釈がなされていないこと。
宇宙空間におけるいかなる国家のいかなる行為についても、無過失責任が課されていること。


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【世界史A】
世界史学習の醍醐味は、諸々の人間と財貨が縦横に織り成す’連関性’を確かめていくこと。とりわけ世界史Aは地理的要件も相まってさまざまな財貨の横断的な関わりを眺めやる、その大胆な着眼にあろう。
だから僕なりにも共通テスト(センター試験でも)の世界史Aにはこれまでも注目を払ってきた。

では此度のものはどうかといえば ─ 
まずは第3問Aにおけるガラスがらみの主題が、スケールはささやかながらもピカ一の産業技術論といえまいか。
それから、東アジアの文字’創造’について一端を披露する第4問Bも着眼が斬新ではあり、規模と組み合わせ次第ではかなり巨視的な大問にも仕上がるのではと察する。
また第5問Bの米ソ軍縮がらみの出題も、けして楽しめる論題ではないにせよ、地理的な制限を超えた’現代性’がまさに世界史Aにふさわしくもあり、こんご更に科学技術論と絡めて巨視的な作問が出来得るではないかと期待感を抱いた。

それでは、これら以外の出題も併せて、あらためてざっと論ってみることにする。


<第1問 A>
問2
ワフド党は第一次大戦後エジプトにて独立運動を推進した党派で、立憲王国としての自立は実現した。しかし肝心かなめのスエズ運河の管理権を英仏から奪った(奪回した)のは、ずっと後年のスエズ戦争時であった。

問3
ワッハーブ派がサウード王家とともにイスラームの原初思想回帰を説いて回ったのは、18世紀半ばのことであり、意外にも早い。そもそもアラビアにせよイランにせよ、イギリスやロシアなど列強による侵食に常に呼応し反動しているわけではないので、時期と動機について留意が必要である。

<第1問 B
本問は中国近代史についての出題。なお、歴史区分として捉えるとかなり長尺なフレームに亘る ─ すなわち、清王朝の末期から辛亥革命さらに袁世凱による混乱期を経て、新文化革命と中国共産党、そして日中戦争期まで。
なるほど、歴史上の諸事実の’複合性’や’連関性’について受験生に自由に解釈させるならば、このような大がかりな枠組み設定ほど望ましかろう。しかし残念ながら実際の設問はほんのひとかけらの知識クイズに留まっている。よって、本問は作問上の大失敗だろう。

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<第2問 A
問1
ロシアによる3ハン国と新疆への進出はイリ条約で一段落となるが、このイリ条約にて清との拮抗がどう収まったのか、そしてこののちロシアはどう動くのか、地図をにらみながら把握必須である。

問3
青年トルコ革命が起こってもオスマン帝国は続いていた。その後にバルカン戦争~第一次大戦が起こるがまだオスマン帝国は存続している。第一次大戦の終了後、ムスタファ=ケマル将軍が主導してついにオスマン帝国が解体され、トルコ人によるトルコ共和国が建国された。

<第2問 B
フランスの第三共和政についての出題。これも第1問のB同様、時代区分上はかなり長きに亘るものであり、しかも出題がほんの僅かな小問に留まっているのも同じ。だから本問も大失敗の作問であると断じざるをえない。

なおフランス第三共和政が普仏戦争~パリコミューン蜂起後に始まったのはまだ理解しやすいが、ではこの国体が実質的に終焉した(させられた)のはいつか?第二次大戦中のドイツの侵攻による敗北のタイミングか、或いはドゴールの亡命政権による自由フランス期まで存続したと見做すのか、解釈が割れているふしもある。
また、この第三共和政がフランス革命当初の理念に沿って全国の学校教育制度を確立した云々と解かれることも多いが、そもそも、学校教育制度のアイデアがフランス革命精神であったなどと本当に断定しうるものだろうか…?

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<第3問 A
ガラス製造技術にまつわる論題である。此度はあくまでも小問に留まってはいるものの、こんご工業技術論~産業論として大がかりに膨らませれば、世界史Aの出題として大良問たりえるであろう。

なお僕なりにささやかながら’ガラス論’を捕捉付記しておくと ─ 
ガラスはケイ砂(ケイ素)が根元的な素材であり、ケイ砂と他物質とのさまざまなアモルファスを以て、相応のさまざまなガラスが作られる。
意外にも(?)ステンドグラスより無色透明ガラスの方が出現は遅かったが、これは無色透明を成す製法がずっと難しいため。
無色透明ガラスはまず近代ヨーロッパに出現し、科学技術に大いに活用されている。端緒期の好例が、ガリレオによる望遠鏡であり更にレーウェンフックによる顕微鏡でもある。
無色透明ガラスの大量生産が可能になってこそ、外部から内部を透徹出来る’ガラス瓶’も広く普及するようになり、20世紀以降の食生活を著しく便利にしてきた。
また、20世紀半ば以降に無色透明ガラスの製造がさらに大規模化することによって、一般家屋から高層ビルに至るあらゆる窓がガラス張りとなり、さらに断熱効果なども向上しつつ今日にいたっている。

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【世界史B】
総じて、世界史Aよりも資料類など情報量が多く、それでいて設問は断片知識ばかりを質すクイズ群に留まっている。だから却って主旨の希薄な出題ばかりに留まってしまったようだ。

しかし例外もあり、例えば<第4問のB>は「或る国語」と「その話者自身の国籍」の関係にちらりと振れており、これは創意次第では歴史上の諸事実の’複合’や'連関’を紡ぎ上げうる論題とも言えよう。 ─ むしろ世界史Aに編入してもよいほどだ。
(尤も本問は論理上の不整合さが残ったままである。本問の前提命題によれば、或る国語からその話者の国籍を演繹出来ることになる。しかし現実には、その話者が必ずしも彼の母国語のみを話すとは限らない。この杜撰さは小問ゆえの不手際か。)



以上