2021/01/21

2021年 大学入学共通テストについての所感

昨今の世界情勢はどうなっているのか。
アメリカの虚構、日本の虚飾、中国の虚偽 ─ どれも虚・虚・虚ではあるが、逆説的に言えばこれらがいよいよ明らかになってきたともいえる。
こういう世界であっても、理科や数学を動員すれば一応は説明しきれよう、しかし社会科では到底説明しきれない、だから日本の社会科教育もこんご激しく揺さぶられるだろう。

さて、大学入試においては、センター試験から今般の共通テストへとヨリ思考力を問う試験実施を図ったという。
いったい、思考力とはなにか
大雑把にみても、ざっとこれだけありうる。
① 「未知の命題」を新規に想像・創造する
⓶ 或る部分から「何らかの命題」を類推・演繹する
③ 「何らかの命題」の内に「既得の知識」を見出す
④ 「既得の知識」の内から「最適解」を抽出する

実社会で真に求められる思考力は①と②であり、社会人経験のある人たちならばこのくらい百も承知、さらにこんごの世界ではこれらが一層求められよう。
その一方で、④は冷徹にいえば下請労働者の反応力に過ぎない。

共通テストは50万人以上が一斉に一定時間内にマークシート解答、そして一斉採点であり、従来のセンター試験と変わらない。
つまり、従来どおり受験者の「特定の知識(命題)の量を測定する」試験となるのは当たり前のこと、よって、上の①と⓶を考査することは不可能だ
どうしたって③か④の考査になってしまう。
ここで、従来のセンター試験までは特に④の考査に偏重し過ぎていたため、せめて③をも併せて評価したい、というのが此度の共通テストの狙いだったのではないか。
僕がかかわってきた社会科(政経と世界史)の出題を見る限りでは、そう解釈出来る。

しかし、じっさいに試験内容を確認してみれば、③´「主旨の不明瞭な命題を提示しつつ、その主旨を熟考せずとも導ける既得の断片知識」の量を質すつくりの出題が目立ち、そうなると動員される思考力としては④とほとんど変わらなくなってしまう。
なぜこうなってしまったのかは分かりかねるが、何とも奇妙ではある。

ともあれ、今回出題された政治経済と世界史について、以下に僕なりの所感を超簡単にまとめおく。

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【政治・経済】
社会科のうちでも論理上の整合を重視する科目であろう。
とくにGDP(カネ)の三面等価やバランスシートや国際収支などは美しいほどに帳尻だけは合っている、がしかし、いったんでも職業人の経験があるならば、これらのみでは人間の意気や技量や創意工夫を表現しきれないこと、お分かりであろう。
ましてや、自由・公正・民主主義・社会権などなどはあまりにも漠然とした理念に過ぎないので、いいようにも悪いようにも論われ、制度化されうる。
このウヤムヤさが此度の出題でもウンザリするほど目立った。

<第1問>
問2.GDPデフレータや名目/実質GDP成長率に則っての簡易な図表作成の出題。
だが、「2015年と2016年の一人あたり名目GDPが同じ」との前提を図表外にて追記してやんの、なんだか杜撰な作問である。

問3.「ある国」の消費者物価指数の変化「率」を図表から類推させる出題で、これは良い出題であろう。
尤も、正答の選択肢にては「変化「率」が毎年0%以上云々」とあるが、しかしだぜ、変化「率」が0%以下ということがありうるのだろうか?


<第2問>
問1.公法と私法について、2つの資料文を提示した上で一貫した解釈に到達させる狙いか。
このいわば多段的な資料から真意を類推させるつくりは世界史科の出題でも多く見られ、此度の共通テストの大いなる成果といえよう。
しかし本問では民法や不法行為への洞察が無いと正答は難しいのではないか。
それ以上に、そもそも本問は資料1をもとにして資料2を…とあるが、この「もとにする」とは両者が同旨であるとの意か、はたまた反証材料として捉えるべきか、ここが実に分かり難い。

問6.これは世紀の悪問だ!政治参加(選挙権)への包括性と異議申し立ての許容、それぞれの「程度」について、ゴルバチョフ以前のソ連の方がチャーチスト運動以前の英国よりも包括的であっただと??何をどういう根拠でそう言い切れる?!
(まさか、現行の中華人民共和国は戦前の日本よりも政治参加が包括的である、とでも演繹するつもりか?こんな出題ダメだダメだっ!たとえ学校教員や予備校講師が本問を称揚しようともだ!)


<第3問>
問4.金融機関のバランスシート(資産と資本)の基本。これこそ政治経済科における根幹的な命題の一つといえよう、ここから金融政策についての論考も進められる。こういうのを良問という。こういうのをどんどん出題しなさいよ。

問6.国際収支の基本。シンプルだが良問だ、理由は上と同じ。


<第4問>
問1.ダメだっ!これも悪問だ!いわゆる民主主義と政治参加と政治体制の関係は??自由参加か義務か?前提が超ウヤムヤな観念ばかり並べやがって。解答だってウヤムヤに為さざるをえない!

問5.資料から主旨を読ませるつくりは素晴らしいが、ここで呈されている表では「質問票への回答者の年齢階級」と「その年齢階層別の該当人数」のかかわりが実に不明瞭だ。この「該当人数」は絶対人数なのか、それともトータル数からの比率配分がなされているのか、はたまた、年齢階級ごとに回答者数が極端に異なっているのは何故?こんな曖昧な表から如何なる見解を導けるというのか?

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【世界史A】
世界史科の学習目的は何か? ─ いくつも考えつくことは出来るが、ひとつは多様で雑多な諸文明が「どれだけ自由自在に混交しうるか」を考察すること、もうひとつはこれらが「どの程度まで互いに素であるべきか」を冷徹に見極めること。
このどちらを追求するにせよ、世界の資源や産業を縦横に織りなして思考しうる世界史Aは、時系列の因果をことさら強調する世界史Bよりも重要な科目でありうるはずだ。

さて世界史Aこそは、一定の資料と命題をもとに更なる命題を類推させうる科目として、もともと今回共通テストの主目的に沿っていた科目とはいえまいか?
じっさい、政経科同様に資料問題も目立っており、また植民地の産業発展を論じた第4問などは大良問ともいえよう。
しかし一方では地理条件と産業と貿易まで踏まえた巨視的な論題が消えたことは惜しまれる。
総じて評すれば昨年以上に雑多でウヤムヤな出題が増えた感は否めない。

<第1問>
資料Aはアメリカ誌フォーリンアフェアーズ誌1947年の投稿引用とあるが、ここでの「ソ連に対峙する側」や「1回勝利した」がドイツを指すと類推するのは難しい。もちろん解答選択肢を鑑みればドイツしかありえないのだが、そう分かったところで本問にはそれ以上の展開が無いのが浅薄である。

<第2問>
資料Aにかかる出題はとりわけ雑然とし過ぎている。そもそもモーツァルトの出自とヨーゼフ2世とポーランド分割に何らエピソード上の一貫性が無い。それから万有引力の法則を「発見」した人物をニュートンのみと限定する方が不自然であり、ガリレオだって重力からそれなりの引力の法則性くらい「発見」していたかもしれない。

<第3問>
資料Aについては、分量はあっさりしてはいるものの、むしろ世界史Bで出題して欲しかった複雑なバルカン半島史についての出題であり、そしてかなりの良問である!
ロシアのニコライ2世がバルカン同盟を結成させた由は意外な盲点であり、しかもセルビアという国名が隠されている。この地域の複雑な歴史の考察は往々にして敬遠されがちだが、オスマン帝国~第一次大戦~ユーゴスラビア~コソヴォ問題と悲劇的なファクターでありつづけている。

資料Bについては、ペルシア/イランの政治史への注意を促したい。トルコ帝国ともアラブ世界とも常に一線を画しつつ独自に西欧やロシアと対峙し続けており、世界史を古代から現代まで揺るがし続けている国家地域といえる。

<第4問>
資料Aこそは大良問のひとつに挙げたい。こちらも出題こそあっさりとしているが、オーストラリアの流刑植民地化とゴールドラッシュとどちらが先に起こったかについては、時系列の断片知識のみならずヨリ立体的な思考と学習が必須。
常識的に考えれば、大金鉱が発見された地を囚人の流刑地とするわけがない ─ となるが、いや待てよ…もしかして黄金採掘のために英国の囚人が送り込まれたのでは…ん?そうなのか?…としばし幻惑させてくれる。
こういうスリリングなほどの想像力の醸成こそが、共通テストにおける本当の眼目たるべきであり、そして勉強の本当の目的であり醍醐味ではないだろうか。

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【世界史B】
こちらは世界史Aよりも歴史事実の時系列重視、とりわけ為政者による政策の是も非も学ばせる科目であるため、問われるべき知識量ももともと多い。
だから此度の共通テストにても、上で挙げた思考力の分類での③´「主旨の不明瞭な命題を提示しつつ、その主旨を熟考せずとも導ける既得の断片知識」の出題が多くなってしまったのでは ─ と察していたが、やっぱりそうだった!!

とりあえず気づいたところをざーっと記す。

<第1問>
資料Aでの司馬遷『史記』引用は主旨がウヤムヤだ、しかし資料Bはもっとひどい、ひど過ぎる!なんだこりゃ!この資料Bの文書は誰が誰のために何を意図し如何なる権利を保証したものなのか?そしてこの文書の所在がなぜ求められているのか??
いいかね?資料Aにせよ、資料Bにせよ、ここまでウヤムヤな命題を提示されれば受験者としては却ってあれやこれやと思考が膨らんでいく一方なんだぜ、それなのに、既得知識を質しているんだよこれらの出題は!(まさか左翼思考を誘導しているのか??)
上に掲げた思考力の分類でいえばまさに③´の典型だ、つまり出来損ないだ、科挙の出題すら想起させるほどだ、ダメだダメだダメだよこんなのは!!!

<第2問>
出題Aは、むしろ政治経済あるいは世界史Aでの出題が望ましいものだろう。そして、出題にて提示される財政史の命題こそ優れているものの、質されている歴史知識は断片に過ぎず、上で挙げた思考力のうち③´の典型に留まっているのが惜しい。
さて金貨の「鋳造量」とあり、延べの流通量と混同せぬよう。紙幣発行量との兼ね合いは図抜けて難しいが解答選択肢から判断は容易であろう。

出題Bもむしろ世界史Aで出題さるべきものか。貨幣の素材についての良問であり、ローマの金貨、ペルシア以東の銀貨、日本の金と銀さらに宋の銅銭なども含め合わせての交易がらみの出題とすればもっと素敵だった。

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他の設問についても触れておこうと思ったが、この世界史Bはとにかく上で掲げた③´のタイプの出来損ないの出題と設問が目立つ目出つ、だからもうやめとくわ。

だいいち、世界のさまざまな文化民族を許容するどころか多様性すら認めていないソ連や中華人民共和国について、世界史科にて学ぶのはおかしいんだ、だから大学入試共通テストで出題するのもおかしい。まさか共産主義勢力(銭ゲバ左翼勢力)に迎合しているわけでもなかろうに。
あえて世界史科の学習で引用するのなら、「中国共産党は~~と主張しているが真偽のほどは明らかではない」、くらいに留めておけばいいんだ。

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※ そういえば英語の出題もチラッと斜め読みしてみた。
英語科こそは上に挙げた思考力の定義のすべてが求められるべきとはいえ、やはり共通テストの実施上の制限から③と④に留まってしまっている。
しかし、ヨリ大局的に世界のありようを鑑みれば、英語そのものがこんごも世界標準語たりうるかどうかは何とも言えないし、といって中国語などはもとより標準語としての許容力が無いし、だから学校教育における語学学習は…面倒だから別稿にて。

※※ なお、物理についてはこれも別稿にて記すこととする。


以上

2021/01/11

新成人(2021)


新成人の諸君。
見てのとおりだ、君たちの先輩たちが作り上げてきた現在の世界は、何が正論で何が嘘で何がバカで何がキチガイなのか、じつに分かり難い状況になっている。
目下のところ、この世界のいかなる大国にせよ我々の教科書ではない、だから完全無欠の正論など無いんだ、よって模範解答もありえない。

世界の構成物の総量は(人間自身も含め)ほとんど全く変わっておらず、物理運動の原則も化学反応の現実も変わっていないのに、いったいこの世界のバラつきは、このみっともなさは何だろう?
たとえば新コロについては数理上のリスクだけは一応設定されているものの、生命医学上の量的な実相について聞いてみれば諸説があちこちに出たり消えたりであり、だからこそスリルと不安と便乗フィーバーのバカ踊りがあとをたたない。

そもそも、数理上の設定だけはなされているものの実体量としてはウヤムヤなままおかれているもの、そのうち特に重大なウヤムヤは「時間」と「価値」ではなかろうか
どちらも「物理量としての絶対の尺度」が無い。
論理上つまり心理上の統一尺度らしきをとりあえず動的に放置しているに過ぎない。



「時間」とはなにか、物理学者は物理上の(実体上の)尺度を何とか定義しようとしているが、いまのところは定義しきれていない。
あくまで、論理的つまり心理的に暫定的な統一計算尺度を設定し、皆がしたり顔で分かち合っているに過ぎない。
(そんなこと言ったら質量だって論理上の約束事に過ぎないのではと言い返したくなるかもしれないが、話が反れるから此度は触れない。)

君たちは20世紀という時間尺度の最後の最後に生まれ、世界のドタンバタンのありようにもかかわらず偶々この日本に生まれ或いは育ち、そして此度ちゃんと成人出来た…という巡り合わせはどこまでも論理上の話。
しかしながら、実体量としては違うぞ!
若いわかい君たちは量的な実体だ、そして時間あたりの感覚は研ぎ澄まされている、だから思考も速い速い、よって、理想の根元つまり正論を突き詰めるのも速い速い、一方で時間経過はおそいおそい。
そうだその実体量そのものの感覚を大切にしろよ!物理学上の解釈がどうであろうとも、そして一般社会での講釈がどうであろうともだ。
たとえ一時は無茶だの夢想だの社会主義的だのと批判されてもいいんだ、すぐにまた修正できるできる。

どうせいつか歳をとれば、何でもかんでも安易に回帰直線に集約して、俺はこれだけ大局的に世界を俯瞰出来るんだなどと論理合戦ばかりになるんだ。
そうなる前に少しでも多く問題をこなし、少しでも多く実体量にぶちあたり、思考と体験のネットワークを増強しておけ。
論理上の時間に流されるな、時間を超えて実体もろとも飛翔せよ!


さて。
時間が実体としてウヤムヤなればこそ、「価値(価格)」も実体としてウヤムヤなままである。
だから価値にも物理量上の絶対尺度は無い、1J(ジュール)の「仕事」あたりの統一価値が誰にも設定出来ないんだぜ、あらゆる仕事の価値は(価格は)論理上つまり心理上の暫定合意でしかないってことだ。
しかもこれら価格は需給の市場相場によってガラガラっと変わりうる。
したがい、朝から晩までフーフー肉体を酷使しながらなされる仕事と、家で脳をちょこちょこッと活かしてパソを叩くだけの仕事、それぞれJ(ジュール)あたりの換算価格を比べれば前者より後者の方が遥かに高くなることも十分にありうる。

価値(価格)がこのようにウヤムヤなものに留まっているがゆえに、我々は実体の方をすり減らし、しばしば嘘つきになり、バカになり、キチガイにすらなってしまう。
それこそが市場経済のスリルですよ、とほくそ笑む経済学者や株屋もいるだろう、でもね、価値(価格)はどこまでも論理と心理の数学でしかない



若いわかい君たちは論理や心理のウヤムヤのために実体とそれらの量を看過してはならない。
実体は実体量のぶっつかり合いのために活かせ!
自然は常に変化している、だから我々の細胞も遺伝子も刻刻と変容し続けている、風に吹かれつつ走り回るように出来ているんだ。
皆、頑張れよ!


以上