2021/01/11

新成人(2021)


新成人の諸君。
見てのとおりだ、君たちの先輩たちが作り上げてきた現在の世界は、何が正論で何が嘘で何がバカで何がキチガイなのか、じつに分かり難い状況になっている。
目下のところ、この世界のいかなる大国にせよ我々の教科書ではない、だから完全無欠の正論など無いんだ、よって模範解答もありえない。

世界の構成物の総量は(人間自身も含め)ほとんど全く変わっておらず、物理運動の原則も化学反応の現実も変わっていないのに、いったいこの世界のバラつきは、このみっともなさは何だろう?
たとえば新コロについては数理上のリスクだけは一応設定されているものの、生命医学上の量的な実相について聞いてみれば諸説があちこちに出たり消えたりであり、だからこそスリルと不安と便乗フィーバーのバカ踊りがあとをたたない。

そもそも、数理上の設定だけはなされているものの実体量としてはウヤムヤなままおかれているもの、そのうち特に重大なウヤムヤは「時間」と「価値」ではなかろうか
どちらも「物理量としての絶対の尺度」が無い。
論理上つまり心理上の統一尺度らしきをとりあえず動的に放置しているに過ぎない。



「時間」とはなにか、物理学者は物理上の(実体上の)尺度を何とか定義しようとしているが、いまのところは定義しきれていない。
あくまで、論理的つまり心理的に暫定的な統一計算尺度を設定し、皆がしたり顔で分かち合っているに過ぎない。
(そんなこと言ったら質量だって論理上の約束事に過ぎないのではと言い返したくなるかもしれないが、話が反れるから此度は触れない。)

君たちは20世紀という時間尺度の最後の最後に生まれ、世界のドタンバタンのありようにもかかわらず偶々この日本に生まれ或いは育ち、そして此度ちゃんと成人出来た…という巡り合わせはどこまでも論理上の話。
しかしながら、実体量としては違うぞ!
若いわかい君たちは量的な実体だ、そして時間あたりの感覚は研ぎ澄まされている、だから思考も速い速い、よって、理想の根元つまり正論を突き詰めるのも速い速い、一方で時間経過はおそいおそい。
そうだその実体量そのものの感覚を大切にしろよ!物理学上の解釈がどうであろうとも、そして一般社会での講釈がどうであろうともだ。
たとえ一時は無茶だの夢想だの社会主義的だのと批判されてもいいんだ、すぐにまた修正できるできる。

どうせいつか歳をとれば、何でもかんでも安易に回帰直線に集約して、俺はこれだけ大局的に世界を俯瞰出来るんだなどと論理合戦ばかりになるんだ。
そうなる前に少しでも多く問題をこなし、少しでも多く実体量にぶちあたり、思考と体験のネットワークを増強しておけ。
論理上の時間に流されるな、時間を超えて実体もろとも飛翔せよ!


さて。
時間が実体としてウヤムヤなればこそ、「価値(価格)」も実体としてウヤムヤなままである。
だから価値にも物理量上の絶対尺度は無い、1J(ジュール)の「仕事」あたりの統一価値が誰にも設定出来ないんだぜ、あらゆる仕事の価値は(価格は)論理上つまり心理上の暫定合意でしかないってことだ。
しかもこれら価格は需給の市場相場によってガラガラっと変わりうる。
したがい、朝から晩までフーフー肉体を酷使しながらなされる仕事と、家で脳をちょこちょこッと活かしてパソを叩くだけの仕事、それぞれJ(ジュール)あたりの換算価格を比べれば前者より後者の方が遥かに高くなることも十分にありうる。

価値(価格)がこのようにウヤムヤなものに留まっているがゆえに、我々は実体の方をすり減らし、しばしば嘘つきになり、バカになり、キチガイにすらなってしまう。
それこそが市場経済のスリルですよ、とほくそ笑む経済学者や株屋もいるだろう、でもね、価値(価格)はどこまでも論理と心理の数学でしかない



若いわかい君たちは論理や心理のウヤムヤのために実体とそれらの量を看過してはならない。
実体は実体量のぶっつかり合いのために活かせ!
自然は常に変化している、だから我々の細胞も遺伝子も刻刻と変容し続けている、風に吹かれつつ走り回るように出来ているんだ。
皆、頑張れよ!


以上