2020/04/29

【読書メモ】砂と人類

『砂と人類 ヴィンス・バイザー 著 草思社』
本書は「砂粒」という極めて卑近な物質を工業上の重大資源として捉えた、まこと学際的かつ業際的な着眼が素晴らしい。
工業用途としての主だった切り口をまとめると;
そもそも近代以降の我々人類は
・砂の上および中に住んでいる(コンクリートやアスファルト)
・砂によって視覚を他の感覚から遮断している(ガラス)
・砂によって宇宙も微生物も見極めてきた(レンズ)
・砂によって超高速演算を可能としてきた(半導体チップ)
・そして砂によって化石燃料をほじくり返す(フラッキング)。

それでいて、本書を読み進めてゆけば、これら成果物はほんの一突き(prick)でドスンと崩壊しうるのだよとの警鐘もシリアスに並走。
そういえば本書原題は 'The World In A Grain' とあり、まことに壮大かつアイロニカルなタイトルをおいたものではある。
惜しむらくは、本書コンテンツのおそらく3/4ほどは諸々のビジネス成功譚(および挫折の経緯)で埋められており、その一方で科学論ないしテクノロジー論は随所に散在するに留まっているところ。
このあたり、読者は半ば拍子抜けするかもしれない。

それでも、本書は随所にクリティカルなファクトやデータが挙げられており、これら一瞥するだけでも我々の拠って立つ足元をあらためて見据えるきっかけとはなりえよう。
そこで此度の僕なりの読書メモにても、以下にそれらを略記してみた(とくに本書の第1章などから)。


<総論>
いわゆる砂粒とはさまざまな物質の形状の定義にすぎぬが、人類が工業用途として多様かつ大量に活用してきた砂粒物質は二酸化ケイ素SiO2(シリカ)である。
このうち、とりわけ石英の形態をとっているものが非常に硬質であり、コンクリート建材の製造で有用。
さらに、二酸化ケイ素(シリカ)の純度が95%を超える石英がいわゆるケイ砂であり、こちらはガラス製造や半導体チップ製造などに用いられる。

現時点で全世界の人類が消費する砂と砂利の総量は推定で年間に約500億トン、しかもこの量は10年ごとに倍増のペース。
工業用途においてはほとんどがコンクリート建造物(含アスファルト舗道)である。

総じて、工業用途に適した砂粒は硬くかつギザついて結合力に優れたものであり、一方で永年に亘り風に吹かれて丸くなってしまった砂漠などのものは不適である。
ゆえに、多くの砂は世界中の海岸や海底や河床から剥ぎ取られ、この砂資源は確実に減少し続けている。
しかも、川底から砂が減ってしまうと、川の流水が地下帯水層にまで浸透しなくなり(すべて海に流れてしまうため)、地下帯水層が貧弱になり、よって飲料水や農業用水の不足をもたらす。

シンガポールは埋め立てによる国土拡張が最も盛んな国で、過去50年間に国土を140平方キロメートルも増やしており、その埋め立てと建造物の需要を満たすため世界最大の砂の輸入国となっている。
これに応じて周辺国の沿岸や川底の砂資源が剥ぎ取られてしまい、ゆえに現在はシンガポールへの砂輸出が禁じられようとしている。

メコン川の沿岸各国は都市開発のため、年間5000万トンほどの砂を川床から引き剥がしており、このためベトナムではメコンデルタが縮小し続けており、このままでは21世紀までにメコンデルタの領域は半減してしまうことが想定されている。

なお、日本は毎年約4000万立方メートルの砂を海底から引き揚げている。

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<コンクリート/アスファルト>

※ 諸々の砂素材や製法や物理特性などについては、『コンクリート崩壊(PHP新書)』に具体的にまとまっている。
https://timefetcher.blogspot.com/2014/04/blog-post_1671.html

アメリカでコンクリート建造物が爆発的に普及したきっかけは1906年のサンフランシスコ大地震。
このさい、多くの建造物が崩れ落ちてしてしまったが、コンクリート建造物の損壊は比較的軽微であったため。
1902年にアメリカでコンクリート建造のために消費された砂と砂利は45万2000トンであったが、ほんの7年後には5000万トンにまで増大した。
なお、パナマ運河の建造もこの時期にあたる。

1920年代のフーバー・ダムの建造、さらに1930年代のシャスタ・ダムの建造にては、現場では採掘不可能な膨大な量の砂と砂利をどのように調達するかが工学上の問題となった。
そこで、砂資源の豊富な地点でまず砂と砂利を大量に採取、そこで生成プラント化しつつ、これを特注の輸送インフラ(列車など)でダム現場まで運搬する巨大なシステムが確立した。

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いわゆる舗装道路には、コンクリート道路とアスファルト道路がある。
アスファルト(瀝青)はコンクリート同様に原材料は砂と砂利だが、結合剤にセメントではなくアスファルトを用いているため、総じてアスファルトと呼称されている。
コンクリートが総じて頑強である一方で、アスファルトは重量当たりでヨリ安価であり加工も容易である。

そもそもアスファルトは化学的にガソリンを精製するさいの副産物であり、このため自動車の普及と相まってアスファルト生産量も増えることになり、ひいてはアスファルト舗装道路が広く普及することになった。
かくして、現在に至るまで舗装道路にはコンクリートとアスファルトが競合しつつ用いられている。

1900年時点で、アメリカが保有する自動車はわずか8000台だったが、1912年までには100万台近くに増えていた。
1904年時点で、アメリカにおける舗装道路は総計してもわずか227キロメートルであったが、1914年には41万4070キロメートルに延びた。
1926年には自動車が約2000万台にまで増え、舗装道路の総計は83万9941キロメートルにまで延びたがまだ足りなかった。

ドイツのアウトバーン道路建造による交通量増大に触発され、アイゼンハウアー政権はアメリカにて州間高速道路(インターステイツ)の建造を推進、ちょうどこの頃、アメリカでは民間旅客機のジェット化が到来し、滑走路はじめ空港設備の巨大化工事もはじまった。
かくして、アメリカで砂や砂利の工業用途の年間消費量は約7億トンに至り、このあたりから消費量の飛躍的な増大の時代に突入する。

さまざまな業界や利害団体ともどもの紆余曲折を経て、州間高速道路がやっと完成したのは1991年のこと、総距離はせいぜい7万5440キロメートルではあったが、ともあれこの建造に投入された砂は15億トンに上った。

因みに、ニューヨーク市の幹線道路と主だった高層ビルの建造には総じて2億トン以上の砂が消費されており、これら砂の大部分はロングアイランドで採取されたもの。

現在、アメリカ全土におけるあらゆる舗装道路の総長は430万キロメートルに延びており、現在は建造ペースは落ちてきたとはいえ、毎年5万車線キロメートル以上が新たに建造されている。

それどころか、全世界では2000年~2013年に1200万車線キロメートルの舗装道路が建造されており、このペースはおさまりそうにない。

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<ガラス>
ほとんどのガラスは、二酸化ケイ素(シリカ)を高純度に含むケイ砂が原材料であり、これを溶かして製造する。
ケイ砂の融解には摂氏1600℃の熱量が必要だが、炭酸ナトリウムなどの融剤によってケイ砂の融点を下げつつ、ここに石灰岩や貝殻などのカルシウムを混ぜてガラスにする。

そもそも、ケイ砂を成している二酸化ケイ素(シリカ)は加熱に相反して無秩序に分子結晶構造が変わるので、ガラスに成った時点で液体のような分子構造をとっており、このため製法次第でさまざまな形状に加工出来る。
しかも、いったんガラスとして固まると他の物質とはほとんど反応しないので、食材などの保管にも極めて有用である。

はるか紀元前の古代より、人類はガラスの製法を一応は知っていた。
おそらく、純度高いケイ砂の採掘出来る土地にて、炭酸ナトリウムとカルシウムを含むソーダ灰などの天然素材にも恵まれており、試行錯誤しながらガラスの装飾物の製造に至ったのだろう。
古代ローマ人は、酸化マンガンの添加によってガラスの透明度が上がることも知っていた。

中世にはヴェネツィアなどでガラス製造が隆盛し、ステンドグラスが教会の窓の光彩を艶やかにした。
15世紀になると、ムラーノ島のバロヴィエールが無色透明なガラス(クリスタッロ)の製法に成功。
ここから光彩明瞭な窓ガラスはもとよりメガネレンズの向上もなされ、それどころか17世紀初頭には顕微鏡や望遠鏡の登場をもたらし、ガリレオやレーウェンフックにいたる。
もちろんアメリカ大陸(植民地)にもすぐに伝わった。

無色透明なガラスは産業革命以降もずっと重要な工業製品である。
アメリカでは、例えばオハイオ州トレド(など)が高純度のケイ砂の地層がありつつ、熱源としての天然ガスにも製品運送用の河川にも恵まれ、19世紀末から20世紀初頭にかけてガラス産業の大拠点となった。

ガラスの瓶の大量生産が可能になると、飲料品や食料品の保存もまた視覚的な分類も容易になり、人々の食生活は著しく安全かつ低コストになった。

1952年にイギリスで、錫とガラスを溶融させて延ばす製法が開発されたことにより、面積が大きくまた厚み均一な板ガラスの大量生産も可能になった。
板ガラスを窓に用いると外部からの断熱効果もあるため、高温多湿の地域における家屋製造を促進することになった。
それどころか、全世界の高層建築において板ガラスの大量使用が始まり、ガラス張りの高層ビルが続々と建造されることになった。
宇宙ロケットにもガラス窓が使われるようになった。
今日では、全世界で年間に91億平方メートル以上の板ガラスが生産され、その半分以上は中国におけるものである。

現在のスマホ画面をコーティングしているガラスはコーニング社によるいわゆるゴリラガラスで、さらに自在に曲げられるよう更に開発が続けられている。
日本板硝子は太陽光と酸化チタンを反応させて(自動的に)汚れを落とす板ガラスを開発中である。

1930年代にアメリカで、ガラス繊維の製法を開発、直径わずか4ミクロンながら何百メートルにも延ばせるもの、これがファイバーグラス。
強靭かつ軽量なガラス繊維の時代が到来、これがプラスチックを補強することであらゆる工業製品に大革命をもたらした。
1970年、実用的な光ファイバーが開発され、通信技術に大革命をもたらした。

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……以上までが、本書におけるコンクリートとガラスについての要約である。
なお本書はこののち第5章で、高純度のケイ砂からシリコン~インゴット結晶(ウエハー)を取り出し半導体チップと成すまでの製法を概説。
また第6章では、シェール層に砂をぶっつけて炭化水素(ガス)を取り出すいわゆるフラッキング技術を概説しており ─ さらに以降の章立てにては全世界における「砂資源の危機」や「それがもたらす危機」を多角的に論じている。

いずれにせよ、諸々のビジネスや政策について功罪を論じていく本書ではあり、考察テーマがところどころ交錯しつつも読み物としてはむしろカラフルともいえよう、徐々に読み進めていく上でお薦めの一冊である。

以上

2020/04/18

高校や予備校ではあまり教わらない英語

大学受験生の諸君、現下の異常事態の日々においてすっかりヒマをもてあましていることだろう、 Me, tooだ。
きっと今頃は、英語の勉強って何だろう?などと一丁前に思い悩んでいる子も多いのではないか…そんな諸君らのために、いっそう悩ましい論題を呈しておくから、さぁ覚悟しろ、brace yourself !

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① 言語って、そもそも何だろう?

我々の思念は本来モヤモヤとしたものであろう。
我々はこのモヤモヤを 「〇〇が △△を ××する」 というふうに分節と単語のまとまりとして認識が出来、だから表現も出来、これをいわゆる分節化(segmentation)という ─ と思う。
分節化が不明瞭な場合にこれを言霊といい、分節化のルールが厳密に定められると言語になる。
とりわけ欧米の言語は、思念の分節化がSVOCなどと鉄骨部材のごとくガチンガチンにルール化されている。

物質や物体とそれらのアクションを精密に分節化すると、いわゆる理科の表現となる。
ここで、'must'が適用できる表現をいわゆる物理学や化学といい、そこまで厳格ではなくとも'can'は適用できる表現をいわゆる生物学というのではないか。
一方で、人間と行為について分節化をしていくと、いわゆる経済学や会計学や法律学などの社会科の表現となる。

とくに英語世界などでは人間を物質や物体として捉えているので、総じて理科式の表現がベースとなっているような気がする。
https://timefetcher.blogspot.com/2018/05/blog-post_28.html

以上、言語とは何かについての話はおわり。

※ なお、数学やソフトウェア(機械語)も我々のモヤモヤとした思念の分節化表現ではあり、しかもそのルールだけは最高に精密である。
しかし、これらにはそもそも単語が無いので、分節の複製や組み替えや転送は無制限に自由自在となっており、とても言語とは見做せないように察せられ、むしろ口下手で筆不精の人の方が向いているような気がする。

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② ところで。
欧米語ほどではないにせよ、日本語は分節化の秩序も単語の意味もそこそこ厳密であり、だから会話を長々と継続せずとも意思を一気にバーンと疎通し易い。
一方で、シナの言語は分節化の秩序が地方ごと(さらに宗族ごと?)にバラついており、単語の意味も異なっているため、意思の疎通のためにかなり長々と会話を継続しなければならない ─ という。

このように分節化のマナーの異なる日本人とシナ人が、英語を用いた場合、どのくらい似ているのか或いは似ていないのか?
日中間の親睦や理解のため、およびセキュリティにかかる問題としても、少なからず考慮すべきことであろう。

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③ 入試英語においては、さまざまな学術記事の類が多く引用されている。
それら記事の論旨が学生向けにふさわしい中立なものか、はたまた思想的に著しく歪曲されているものか、それは単語起用が妥当か否かにかかってくる ─ だから読む側としても単語そのものの真意には鋭敏でありたい。


<例えば、以下列挙するものについて考えてみたい。>

・入試の英単語は実践的なものほどよろしい、そして抽象度の高い単語は望ましくない、といわれる。
それでは、'possibility', 'probability', 'actuality', 'reality' を峻別させる英語問題は実践的に望ましいものだろうか、はたまた、抽象的に過ぎるため望ましくないのだろうか?
ね、ちょっと考えるとすぐこういう疑問につきあたるんだ、単語というものはこのくらい精密でありかつ学際的でもあるんだ。

・いわゆる受験の英熟語'save time'について、「時間を節約する」との意とされる。
しかし、人間には時間を量的に縮小させることは出来ない、よって時間を節約するなど不可能、むしろこれは「時間あたりのエネルギーと仕事の効率を上げる」が真意だろう。
えっ?屁理屈だって?どこが屁理屈なんだ?!
むしろ、学生諸君は平素からこのくらい学術思考に鋭敏であるくらいで丁度いいんだ。

高校までの物理は、電荷など「何らかの実体」の「量」と「速さ」と「方位」と「時間」による「力」と「運動」、それら複合してのエネルギーと仕事(量)、以上おわり ─ と一応は納得できる。
さて、物理の教科書には英単語がワンサカと載っているが、これによれば、電場や電流は「強さ(intensity)」だという。
ん?「強さ」とは「力」のことか?と悩む子がきっと居るのではないか。
それでは、いったい「強さ(intensity)」とは何かについて、ウィキで見れば「抵抗力」「硬度」うんぬんとある。

これらと電場や電流とどう連環させて考えればよいのか、いよいよ訳が分からなくなる。
そこを説明するのが英語教師のつとめではないか。


・ほとんどの英語教師は、'gravitational acceleration' と 'acceleration of gravity' が同じか異なるかを指摘出来ない。
中学理科の教科書にもある汎用概念なのだが。
うーん、うーんと考えてから「異なる!」と答える人は、学識が絶無なのか、そうでなければ 'of' に幻惑されてしまうのか。
なるほど、 'of' は英語学習において最も難解な語のひとつではある。

・'free'という英単語は真意の解釈が難しいのでは?
「あらゆる力から影響されない」の意だとすると、'freedom of choice(s)' や'freedom of speech'はどうなるのだろうか。
'freedom in choices'なら分かるよ。
難しいのはむしろ'of'の方か。

・或る英文問題集の執筆にて、石油やシェールオイルなどについての文脈で'hydrocarbon'と記したら、この語は難度が高いから取り消せだと。
しかし、これが「炭化水素」だと気づく高校生だってワンサカといるはず。
そもそも、炭化水素こそは学校の理科と社会科の両方にて最も普遍的に挙げられる物質だぜ、難度が高いとはどういうことだろうか?

・英語で'artificial'は人工素材による何かであり、'man-made'は人為に因る何か。
では、半導体はどちらか?
方程式はどちらか?電子通貨は?法律は?
なぜ人工知能は'Artificial Intelligence'というのか?
上っ面の語義だけ知っていても歯が立たない論題だ、だから学術知識を日頃から増強すべきだ。
(そういえば、どうして 'The Internet' と大文字で表現するのかな?知ってる?知ってんだろこのくらいは。)

・先の早稲田文化構想学部の入試英語、大問I(A)にて、アイヌや沖縄人などは'indigenous peoples'とある。
直後には、'era of Japanese colonialism'に日本に来た朝鮮人や中国人の子孫が云々ともある。
どちらも、名詞の意味が史実に則っていない ─ だから論旨としてもおかしなものである。

このように、実際に大学入試で出題された英文解釈のうちには、単語の起用がどうもおかしなものが散見される。
だからこそ、学生諸君もそして英語教師も、英語以前に理科や社会科の教養を…

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以上
気が向いたら続きを記す。

2020/04/09

大学新入生諸君へ (2020)

まずは大学入学おめでとう。
新入学生の諸君らは、この冬から春にかけてのまさに世界の事態急変に半ば唖然としているだろうか、いや、若いわかい正直な諸君らのこと、如何なる事態をも真理の体現と見做し、たちまち順応してしまっているのではないだろうか。
その一方で、永年に亘ってさまざまな虚偽に慣れっこになっていた我々社会人は、いかなる虚偽をもっても交換しえない厄介な物質によって真理の世界に引き戻され、みっともなくも戦々恐々としている。
だからといって、大学新入生の諸君までもが恐れ戦いてはならぬ。
むしろ、真理と虚偽の両面からこの世界を知る絶好の機会と捉えたい。
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「真理」について、思い返そう。
諸君らは高校時代までに、さまざまな真理について学んできた。
力と質量と熱と仕事とエネルギー、電荷と電場と磁気と磁場とインダクタンスと交流電流、細胞と電子伝達と光合成と核酸、遺伝子と免疫と進化、自然権と自由権と社会権と多数決、国と自治体と代議制と法と裁判、株式と税と金融と財政と貿易と為替、そして煌くほどの芸術と伝統文化と文学作品、それらのどれよりもエキサイティングかつ腹立たしい数学の諸分野 ─ などなど。
どれもが、個々にみれば真理である。
現下の世界を混乱させているウイルスも生体の内外における真理として実在し続けている。

しかし、だ。
これら諸々の真理を束ねて総論化してみると、実はところどころに「虚偽」が混じりかねない。
例えば、いかなるウイルスも大地震も物理上の実体だ。
一方では、カネというシステムは財貨の市場運用における知恵である。
それでは、カネによってウイルスや大地震や巨大隕石の実体量を完全に制御出来る、と言えるだろうか。
もちろんこれは馬鹿みたいなたとえではあるが、このようにさまざまな真理の間隙にはつねに虚偽が入り込みうる。
あるいは、このようなおかしな宗派や脳波に制御された人たちと出会うこともあるかもしれぬ。
その虚偽のおかしさこそを、諸君らは大学で学ぶべきだ。

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さて。
これから諸君らはSNSをいっそう頻繁に活用してくことと察する。
そこで、ひとつ考えて欲しいことが有る。

人間の言語音声を文字化…これは情報処理である。
その文字を符号化…これも情報処理だ。
その符号を暗号化…これも情報処理。
そのデータを転送…これも情報処理。
ごく簡単に考えて、このコミュニケーションは往路だけで少なくとも4段階の情報処理を為していることになる。
このように情報処理プロセスの多様化/多段化を進めることによって、機器メーカやSEやプロバイダや広告事業者の売上(利益)が増すことが期待されよう。
さはさりとて、これによって本当にあらゆる人間のコミュニケーションが確実になるといえようか?
そもそも、直接出会ってのコミュニケーションであればこれらの情報処理は不要であるし、手紙のやりとりであっても音声の文字化だけで済む ─ むしろこちらの方が、人間同士の意思を迅速に大量にそして感覚的に交換出来るとは言えまいか?

どうだろうか?
利便性も損得も各論としては真理であろう、だが総論として真理を成すとは限らない。
もちろん、これだって超大雑把な例題であること百も承知、それに、合成の誤謬だのなんだのと論理表現しうることも分かってて書いている。
いや、外部不経済にあたるのかな?
ともかく言いたいことは、それら合成のどこがどんなふうに誤謬しているのかを見極めて欲しいってことだ。


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勉強はどこでも出来る、オンラインでもリアルタイムでも録画でも。
ただ、気心知れた連中とそうではない連中が数十人程度で直に集まって、適度な緊張感と信頼感に揺さぶられつつ議論をぶっつけあうのが一番楽しい。
世の中の大人たちのあらゆる集団スケールもだいたいそうなっている。
だから、諸君らが一日も早くキャンパスに足を運び、わっさわっさと笑いあったり睨み合ったり怒鳴り合ったりできるよう、切に願っている。

以上

2020/04/02

新卒社会人の皆さんへ (2020)

毎年のように似たようなことをここで記している気がする。
だから今回も似たようなこととなろう。
ともあれ、些事はさておき大局的に述べておきたいことのみを記す。
(とくに今年度の新卒社会人に対してはいろいろと思い入れがあり、だからこそとの念も有る。)


科学によれば、さまざまな物質やそれら運動(量)は常に何らかの保存則と対称性から成っている ─ ことになっている。
電磁波、重力、放射線、物質とイオン、核酸もタンパク質もゲノムパッケージ…どれもこれも常に変動し、エントロピー増大によって因果が固定化する一方で、また別の仕事と変動を起こすものの、個々の現象は保存則と対称性によって一応はおさまりがついているようである


しかし我々人間は、個々の現象ごとにバラバラに生きているわけではない。
まして無節操なバラバラが永遠に続くわけでもない。
だから因果にこだわり損得にはもっと拘る

なるほど需要と供給は安定するといい、微分的には需要が供給に対応されている瞬間も見いだせよう。
しかし人生の総体にまで積分してみれば、すべての需要が充足されることはなく、いつもどこかで何かが足りない。
誰もがそうだから、社会全体もそうである。
こうして需要そして供給が常に変動し続けるからこそ、市場という。
市場があればこそ、いたる時にいたる処から知恵がおこり論理を成し実体を動かし物質を燃焼させ、市場関係が更新され、そこに諸君ら新人たちが入門し、ジジイババアが退出していくんだ。

前の世代から譲り受けたものを、その世代に返納するなど出来ないし、後の世代に譲り渡すべきものをその世代から前借りすることも出来やしない。
瞬時瞬時の清算にどれだけ励んでも、大局的には清算など無理無理、そんなものにギューギュー拘る必要などこれっぽっちもないのだ。
じっさい、バランスシートも事業契約書も、いつでも更改出来るように構成されている。

いまや、あらためて思い知らされたこと。
世の中を新たにつくるのは、いかなる先輩たちにも試みられることのなかった、新たな掛け算コンビネーションだ!
これは余剰の遊びではなくて、人間の本性だと信じている。

以上から言えること。
永遠不変でも全知全能でもない俺たち、一人ひとり、おのれの担当製品(商材)に精いっぱいの能力と愛情を注ぎ込む。
それしかないし、それでよいのだ。
それが出来ぬとなったならば、担当製品(商材)を替えればよし。
生きる目的はまず'what'だ、次が'why'、その次が'how'、その次が'when'と'where'で、もっとも短期的でせつないのが'who'だ、そういうこった。


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実践的なアドバイスも一つだけしおく。

新人諸君は、なにはさておき、まずはメモ用紙を準備しろ、そして常に携行しろ、見聞きするもの片っ端からメモしまくれ。
チマチマした付箋などはダメだ、大きめの紙を使うんだ、出来ればB5サイズ以上のものだ、広告の裏紙でもなんでもいい。
これくらいのサイズであれば、まとめていろいろ書き記すことが出来るし、いつでもまとめてノート帳として一瞥できよう。
とくに、新規の世界への了察は理科や社会科の新分野学習に等しく、右脳的(絵画的)に物事をズンズン描き続けること必須、だから大きな紙面が望まいのだ。
また、電話番などで取り次いだメッセージもつらつらと書き残し、ビッと引きちぎって上長などに手渡すことが出来る。
一方で、書き損じをしてしまったメモは引きちぎってとっとと捨てるんだ、いちいち名残惜しんでいてはいけない。

以上の機能を同時に果たすべく、B5サイズ以上の紙を常時20枚くらい束ね、これを左上リング綴じの構造にしておけばいい。
これで重要なメモはノートとしてずっと保持し続けつつ、不要な紙はどんどんちぎり捨てることが出来る。
ホントに重宝するから。


もうひとつ付記。
見積や契約については、職制を問わずほとんど誰もが実務上拘束されることとなろう。
これらの意義について精緻に了解しておきたい。
口頭による提示や合意ならまだしも、文書によるそれらは諸君らの想像を超えた恐ろしい失態を導きうるものだ。
例えば、同一の商材についての見積書が複数存在する場合、購入希望者はどちらかおのれに有利な方を正当な文書と見做し、それ以外の文書は黙殺すること、当然である。
契約書もしかり。
くれぐれも慎重に、ワンアンドオンリーの原則だぞ、ナンバリングと更新日時の明記を絶対に忘れるなよ。


以上