2019/10/27

反抗期 Part III

しばらく以前のこと。
ある娘について、以下のような顛末があった。
彼女の実名は明かせぬので、Sという仮名を起用しおく。




9月〇〇日

S君へ
はじめまして。
君についてはお母様から聞いていますよ。
あまり喋らず、また他人の意見にもほとんど左右されぬ性格であり、しかしながら現実に対しては実に真面目に取り掛かる高校生である、云々
僕なりに君には好感を抱いています、よって挨拶がてらに声を掛けてみた次第。

さて、僕は或るライトジャズのサークルと通じておりますが、そこの連絡先をお母様に知らせてあります。
よく相談され、意欲関心が向くようであれば参加してみたらどうでしょうか。

山本

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9月■■日
山本さんへ
はじめまして!今日の夕刻、母からご紹介頂いたライトジャズのサークルに行ってまいりました。
'あの人'が是非にと奨めるのでアルトサックスを携行していきましたが、そしたら’マネージャー’の方から本当にサックス担当に指名されました。
そして実際に数フレーズを吹き鳴らすように言われたので、ちょっと気取ってスカして吹いてみたら、一丁前の恰好をするなと叱られちゃいました。
まずは身体の力を込めて真っ直ぐに吹け、ぶち抜くつもりで吹け、格好つけるなど10年早いんだ、などと仰るんですよ。
さすがに私はカッとなってしまい ─ ここだけの話ですけどレッスンが終わってからタバコを…とはいっても、家で'あの人'が不愉快な時に吸っているから真似してみただけです。
何だか早くも挫折しそう。
では、また。

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9月◇◇日
S君へ。
まず、タバコはよせ、君の「道具」に対して失礼だ。
それより何より、お母様のことを'あの人'呼ばわりするのはもっとよろしくない。
いいかね、自分の思念のみを唯一絶対の世界だなどと思いつめてはならぬ。
あらゆるモノと現象をそれぞれの相対関係でしか表現出来ないように、人間の心もやはりさまざまな相対関係から成っているんだ。
誰の心もそうだ、そして、音楽も同じこと。

なんだか説教じみたメッセージに聞こえるかもしれないが、もちろん説教のつもりだ。
期待しているぞ。
山本

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10月●●日
山本さんへ
こんにちは、今日もバンドのレッスンに加えて頂きました。
大学生奏者の人たちにとりあえず混ぜて頂いております。
毎回のレッスンは想像以上に疲れるものです。
でも頑張ります。

山本さんは、'あの人'と同じようなこと仰るんですね。
ああ、母と記すべきなんですよね。
そういえばレッスンの’マネージャー’さんも同じようなこと仰います、何だか変ですね。

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10月△△日

S君へ。
君の性格については敢えてあれこれ言わぬことにする。
実のところ嫌いではないんだ。
それよりも、君はともかくサックスを吹くことに執心すること。
ちょっと想定してみるに、レッスンで疲れてしまうのは君の体力と精神がやや貧弱なためかもしれないね。

大雑把に言えば、吹奏楽器で力強い音を出すために必要なものは2つしかない。
1つは強い身体、とくに背筋から足腰までのパワー、地と足のいわば作用反作用でバーーンと吹き鳴らすためのもの、だから下半身が太くなるくらいでちょうどいいんだ。
タバコなんかもっての外だぞ。
それからもう1つは、心を解き放つことだ、一人きりで内に秘めるのではなく、自分なりのものを付けて世界にぶちまけてやるつもりでね、さぁ、あたしはここまで成長しているんだ、今やこれほどのものなんだ、聴いて驚け見てもっと驚けって、そんなふうに全身全霊を込めてサックスを吹くんだよ。

では引き続き期待しているよ。
山本

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10月★★日
山本さん、こんにちは。
今日のレッスンで、マネージャから初めて褒めて頂きましたよ!
サックスの音色が実に直線的に押しだされるようになってきた、これなら大学生と混ぜても遜色が無いかもしれない、などなど。
全身全霊で思いきり吹き鳴らすということが私なりに何となく実感出来ました。
気のせいかもしれませんが、脚がちょっと太くなってきたような(笑)
それから、今日は母の料理の手伝いをしましたよ!
母と一緒にご飯を作ってみたのは、たぶん今回が初めてです。
それでは。
Sより。

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10月◎◎日
S君へ。
素晴らしい知らせを有難う。
いいかね、音楽はパワーだ、そして心もパワーだ、その時その場の関わり合い、そしてぶつかり合いだ。
だからこそ存分にぶちかませ、君の全てをぶっつけて突き抜けろ。
頑張れよ!
山本

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10月◆◆日
山本さんへ
あー、私はやっぱりダメです、本当にダメ、もうバンドのレッスンなんか止めちゃいたいです。
母に相談してみたら、そんなことでどうするのと叱られました。
でもレッスンを受ける度にいろいろ叱責の矢面に立たされているのは'あの人'じゃなくて私ですからね。
そんな訳でいろいろ考え中です。。。

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Sとのメール往信はここで終わっている。
彼女が何をどのように思案してきたか、そして如何なる心境の逡巡と変遷があったのか、それについては仔細を記すつもりはない。
そんな必要は無いからだ。


11月。
このライトジャズバンドのコンサートが開かれた。
Sにはソロ演奏のパートが与えられており、そして彼女は微塵ほどの逡巡も無く、びっくりするほどのパワフルなサックスをメロディアスに吹奏してみせた。
何もかもが火照り煌くそのせつなを、僕は舞台袖からじっと見ていた、そして聴いていた。
ふっと客席を観察すれば、二階席の片隅にSの母親が居り、つ、と僕と視線が合った。

聴衆たちによる拍手の豪雨がSに注がれているその間、僕はSの母親のもとへと駆け寄っていった。
「娘さん、びっくりするほどに素晴らしい演奏でしたね」
「はい、有難う御座いました」 と彼女が僕に深々と頭を下げたので、僕は慌てて制し、それから彼女に囁いた。
「娘さんが気づく前に、とりあえずここは退散させて頂きます」
「はぁ、そのことですが、あのぅ…」 と彼女は心もち楽し気に微笑み、すっと一通の手紙を僕に差し出した。
「あの娘はもう何もかも知っております」
えっ、と僕は仰天して、その手紙を手にとった。
それはSが僕にしたためたものであり、実は僕こそがレッスンの現場においてかつメールを通じて二重にSにアドバイスを続けてきた同一人物であることをとっくのとぅに察していた旨、簡素に記したものであった。
僕は唖然として舞台上のSを見つめたが、Sも高揚した風情で僕たちを見つめ返していた。
「…しかし、しかしですね、なぜこの僕宛ての手紙を貴女が持っていらっしゃるので…?」
僕が早口で問いかけるのを今度は彼女が制し、いっそう楽し気に答えてくれた。
「つまり、あの娘は本当に何もかも分かっていたんですよ。貴方と私についてのこれまでのことも、これからのこともです」


舞台上で再び演奏が始まった。
Sは先ほどよりもいっそう力のこもったサックス演奏をぶちかまし、それは何もかもを突き動かしてやまぬ強力な一瞬一瞬の、そして過去も未来も音階と旋律の奔流に溶け合わせて余りあるほどの、もはやテクニックもスタイルも脚の太さもへったくれもない、無遠慮なまでの激情そのものであった。
すっかり煽られてしまっていた僕は、笑うべきか泣くべきかちょっとだけ迷ったが、傍らにいる母親が声を挙げて泣きじゃくっているのに気づき、だから敢えて傲然と舞台上のSを見据えてやることにした。
いいぞ、小娘、おまえは実にいい、生意気なくらいに素晴らしい、その調子でいけ、気取らなくていい、スタイルに拘るなど10年も20年も早いんだぞ。


(おわり)
※ あくまで作り話だぞ。