2026/09/30

Think Big (10)

前回までに続き、さらに似たような思いつきの雑記群。
どこまでも思いつきゆえ、根拠から演繹までに完結性などさして図ってはおらず、むしろあれこれバラしたりひっくり返したりだ。


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・膨張し続けているこの宇宙のどこかに、'永遠不変の完全な球体’が在りうるだろうか?
在りえぬとすれば、『なぜ』我々は'球対称'モデルを想定し、場や重力などを距離のみから算出しちゃうのだろうか?
あるいは逆に、そういう球体が実在し、体積のみ変化と見做し、だから球対称モデルは当たり前だと?
宇宙/地球の磁場が常に変動しているとして、永遠不変に直線の導線と電流が’ありうる’だろうか?



・或る質点の運動方程式 F[N] = ma を、位置ベクトル(r)込みと見做す。
一方で、或る荷電質点qと電場ベクトルE(r)の静電力を運動方程式として表現すると
F(r) [N] = q[C] x E(r)[N/C]
こうして並べると数学上の転用は易しい。

学生が悩むのは、物理量単位[N], [C], [N/C] が方程式を成す理由であり、次元(感覚)の異なる量同士を掛け合わせているところ
─ いやむしろ連綿とした量を「それらに」微分案分して粒子の根元まで砕いているところ
じゃないかしら。


磁束密度 : B[T]
導線長 : l[m]
この磁界にて
電流 : I[A]
ここで電流と磁界が角sinθ を成すとき、 起こる力F[N]は、
F[N] = I[A] x l[m] x B[T] sinθ
ひっくるめれば易しい関係式だが、問題はここでの積算'x'の意味でしょうね。 
これは異次元の巡り合わせではなく、むしろ力の内訳を示しており、発見ではなく検証であり
、これが物理の本性じゃないかなと今さらながらクスクス笑いが湧いてくるのであった。



±電荷、電場ベクトル、電流、入力電圧、出力電力、電磁誘導、さらに核融合まで… これらの特性について;
偶発か必然か、一瞬か反復か、デジタルかアナログか、受動か能動か、有限か無限かを再認識してゆけば;
自然現象あるいは工業製品のかなりの部分が腑におちるのではないか。核融合の基本だっておそるるに足らずだ。
個々の物理理論を数学的/演繹的に導くよりも、まずは系と意義を知りたい。
こういうところ、教師のセンスや力量が大きく問われよう。



・従来型コンピュータと比べ、量子コンピュータは演算素子にて遥かに微細な電圧制御が必要だと。
そこいらのコンデンサを多用するわけにはいかぬと。
また、アルミニウムなどエネルギー密度の高い電池や、電気二重層などが期待され…


・リチウムとアルミニウム、電気化学上のエネルギー密度(容量)。
重量エネルギー密度では、リチウムが3,860 mAh/g、アルミニウムが2,980 mAh/g 。
ところが体積エネルギー密度では、リチウムが2,061 mAh/cm³ 、アルミニウムが10,600 mAh/cm³ 。
アルミニウムにあらためて着目すべきじゃないかな。



・ニュートン~マクスウェル~アインシュタインまで、運動エネルギー(と質量)の基本方程式を普遍としており、だから電磁波の速度を一定と’見做す’のは当たり前。
ただし「時間」はもともと各人ばらついた示強感覚であり、ニュートン以降になぜ客観統一と見做すようになったのか妙ではある。

もともと「時間」は各人の主観的な示強量に過ぎぬと。
しかし光速での相対性理論に絡めれば、「時間距離」を設定できると。
また量子論にて、粒子の運動とエネルギーをプランク定数などでつなげれば、距離と質量と「時間」が直接換算可能と。
かくて「時間」はどんどん客観化が進み、人間離れも進み、カネとタッグを組んで、人間をギリギリといたぶり続け…


・あらゆる物質粒子はそれぞれ作用/反作用を続けつつ、保存則にのっとり、宇宙全体で繋がり合っていると。
ところがここにカネと人間を介在させると、生産と言い消費と言い、供給と言い需要と言い、自由だの競争だの統制だのと言い、黒字と言い赤字とも言い…



・AI/SIは、或る物体の実在(運動)と、その概念と、その情報について、きっちりと峻別が出来るのだろうか?
何らかの需要とカネと供給を、峻別出来るのだろうか?
何らかの誤解と夢と冗談とデタラメを峻別出来るのだろうか?


・AI/SIは、いわゆる天国と地獄に一線を引くことが出来るのだろうか。
もし出来ないとすると、いわゆる一神教の文明圏ではいずれ忌避されるのもやむなしか。
逆の例示だが、AI/SIは万能細胞を許容するのだろうか。
もしそうなら、やはり一神教の圏内では忌避されるんじゃないかな。


・AI/SIが普及続くと、全世界のICTインフラからガジェットまで、入力電圧が統一されてゆくだろうか? 
人間の血圧も統一されていくのだろうか? 
人間の言語も統一されていくのだろうか?
そうなると、東大や京大は最高の学術レベルに到達しうるだろうか?それとも無用になるだろうか?



・さまざまな人間に、多かれ少なかれ’超能力’が備わっている
─ として、これら超能力に対して’宇宙AI’がハッキングを為し続けると、どういうことになっちゃうのかな。
とりあえず数学は堅持されるのかな。
…このくらいのこと思いつかないのかねSF作家は。


・或る人間の脳神経を流れる微細な電圧の電流。
これを逆流させたら、その人間の記憶量は減少しうるだろうか。
記憶とはそもそも何か ─ 物質か、論理か、複合情報か?
こういうのを理系の難問というのだよ、たぶん。
医学部志望あるいは在籍の学生にとっては、或いはアホ問かもしれないけれども。
いや、ロボット技術もAIもひっくるめて、やっぱり超重大な難問だろう…!



・「海水や地表の温度上昇によって」空気分子の相対密度が下がって上昇気流を成し、体積が膨張し温度が下がり、水蒸気を凝結させ…
一応は分かるが、ここでボイルシャルル法則からエルニーニョまでを混ぜこぜに説かれると、空気分子の運動エネルギーはどうかなど却って混乱する。
教師の知性が問われるところだ。
未成年学生は個々の命題をバラバラにしか理解できないからだ。



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・野球の投手が球を投げる瞬間、その球の位置エネルギーは最大で、エントロピーは最小。
その球がホームベースを通過して審判がストライク/ボールを冠すると、その球の位置エネルギーは最小化、エントロピーは最大化。
いまやこの球は物質ではなくただの’情報’でしかない。
こればっかし続けるとデフレになるのでは?



・人間はどんな財貨サービスでもいつか必ず飽きてしまい、値崩れを導く。
あるいは通貨そのものに執着すれば、とりあえずは生き延びられるが、これとていずれ値崩れを起こす。
サボっていれば、いずれはあらゆるものの値崩れと景気縮小に至る。
それがイヤだから、先進国は新規の産品と製品を開発続けている。


・通貨インフレが進むと人類は強欲と暴力によって滅亡すると。
ならば我々の日々の通貨決済ひとつひとつは滅亡を孕んでいることに?
くだらないこと言ってないで、税率を下げ、通貨量をバンバン増やして流動させりゃいいんだ。
たかが価値の表象にすぎないじゃないか。
幾らでも移ろい変わりうるんだ。



・賢い国は、税率や為替相場が変わろうともさして困ることなく、手を変え品を変えつつ豊かで健康であり続ける。
バカとワルの国は、税率や為替相場が変わるたびに、感染症と飢餓と戦争が増え、多くが死ぬ。
カネは過去と現在の清算であって、未来の創造ではない。
たぶん。


・米中は歴史戦などさして考えていない。
規模の論理を活かしつつ、アメリカと中国は「お互いに」、食料や石油やレアアース製品などを寡占的に安く大量に買い占める。
彼ら以外には有力なライバルがほとんどいないので、あれこれ寡占が好き放題か。
これらを高く高く売りつけられるのが、日本などではないかな。
そのうちに武器もこうなるような気が。



・「デジタル化」は、さまざまな物質/エネルギーの実体を数値化し、電磁情報化する技術。
だから媒体や導線を超えてそれらの複製や転送に長けるが、’削除’のリスクも増す。
削除が増えると、何がホンモノで何がニセモノか判定が難しくなるのではないか。
これこそが現代の最大のリスクではないかと考えている。



・「法の支配」と「法による支配」。
学生を悩ませるのは、「万民間にて唯一絶対の法(laws)」が在りうるか否かではない。
科学や数学はともかくも人間利害にてこんなもの在るわけがない。
難解なのはむしろ「支配(rules)」の意味でしょうね。
「制御」か或いは「普遍」か。
裁判所はどっちを採っているのか…?



・子供の教育において、「個性」だの「自由」だの「選択」だのを説き続けるのはおかしい。
もともと子供たち一人ひとりは、おのれの身体や頭脳の「個性」を畏怖しており、だから一人では眠れない。
だからこそ「画一的な」数学や言語やスポーツを求め、無理してでも学校に通う。
邪魔しちゃいけませんよ。


・「なぜ女性は三段論法が苦手なのか。」
もし女性が三段論法が得意ならば、背理法も得意なはずである。
しかし女性は背理法が苦手だ。
ゆえに女性は三段論法が苦手だといえる。
いや、背理法は苦手だが三段論法は得意な女性だっている。
…世の論争の多くはこんな程度だ。
女子諸君は自信をもって欲しい。


・欧米人が理系文系ともに発信が旺盛な理由は、子供のころからガチンガチンの確定的な語法や命題群(バイブルなど)を叩き込まれ、それらを活かして意思表示するからでしょうね。
日本人は特定の命題群の神を置かず、いちいち一から思案するため、発信が遅く、それで愚鈍に映る。



・大学入試までの知識命題は「量」次第であり、量ゆえに上限があり、だから大小を以て学力の序列とみなす。
共テでも明らかなとおり、入試問題ではネタ切れになると分量をドカドカ増やしている。
量の調整ばかりで、質的変換がほぼ無い ─ とすれば’民主的’ともいえるが、ここでおこる序列化は閉鎖的でもある。
そもそも、為替相場も株式市場も選挙区選挙も多数決議会も本性的に同じではないかな。




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(まだ続きがある、かもしれない。)

2026/08/31

Think Big (9)

さらに思いつくまま、纏めて綴ってみた。


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・超広大な宇宙スケールからすると、人類史などはほんの一瞥の量子的な気まぐれ現象か。
逆に、人類から宇宙を見上げれば、おそろしく広大ゆえに全貌の経緯捕捉は困難か。
エネルギー密度などとの相関はともかくも、「時間」がさまざまありえ、物理「学」の一気通貫が困難であることは、おぼろげながら見当がつきそうだ…。


・「時間の量」は、あくまで各人ごと各生物ごとの好き勝手な示強感覚にすぎず、宇宙共通の示量物質ではないと。
すると、汎用語としての「時間」は、さまざま事象の’発生秩序’や’発生頻度’を指しているのではないか。
僕みたいな学術素人が考えるとこうなる。


・人間が生み出すあらゆる財貨/製品を、「自由電子」に例える。
一方で、カネを「磁場磁束」に例える。
財貨/製品が暴走散逸せぬようにカネが制御する、このありようは、ローレンツ力~ファラデー電磁誘導などに例えることが…

人間の直観力はどれもこれも大体似通っており ─ たとえば西欧社会の青少年が発言力が高いのは一神教(聖書)の思考上の引用や例示が上手いからではないかな。
ところが、科目ごとに別々の思考様式や知識命題を問うので、たいていの子はどんどんこんがらがってまうんだよ、たぶん。

教科書類は帰納的(冒険的)に解き明かすように編纂されているが、たいていの子にとって「まずは系を説いてから」でしょう。
聖書と同じじゃないかな。一応は系を分かち合ってこその、次なる知識命題の吟味でしょうね。


・理科は、『何が』『どうする(どうなる)』の命題構造から成っている。
このうち『どうする(どうなる)』は微積分の数学で定型化が出来る。
問題は『何が』で、これはさまざまな粒子であり、電磁気(場)であり、剛体であり液体であり気体であり波状でもあり、生物であり無生物であり、量子でもあり……


・『なぜ人間は数学を考案してきたのか』 という問いかけは、『なぜ数学能力には個人差があるのか』 という問いかけと同じだろうか?
数学そのものよりも、『なぜ』が難しい。


・複数の物体/空間にて作用する『力』はどれもこれも「押し合っている」のであって、「引っ張り合ってはいない」のでは?
諸々の電流を磁場がぐいぐい制御するさまも、ビッグバンと電磁力と宇宙膨張も、重力も浮力も向心力も、複数の「力」における押し合いへし合いであって、引っ張り合いではない ─ そんな気がすることもある。

宇宙のあらゆる物質/エネルギーが「引っ張り合って」いるのなら、あらゆる速度がいずれ無限大になり、宇宙そのものの量も無限大になる ??
そうなっていないならば、あらゆる物質/エネルギーは「押し合って」おり、だから速度にも物質量にも元素種類にも上限があり…

どこまで正しいのか知りませんよ。


・宇宙の膨張は、あらゆる物質/エネルギーがギューギュー押し合っているためか?それともグイグイ惹き合っているためか?
どちらも作用反作用で同じだというなら、なぜ宇宙は膨張するのか?
フェルミのパラドックスは前者ゆえの論理ではないか?

宇宙のあらゆる物質粒子(量子も)は、おのおの位置エネルギーの単振動の正弦波運動として、作用/反作用を続けていると。
さまざまな物質粒子の衝突と錯乱が運動量もエネルギーも保存しつつ、宇宙の万物を成すと。
論理上は分かるが、宇宙のさまざまな物質粒子をそれぞれ単振動に帰して語るのはなぜ?


・原子核は自然放射線を「発し」つつ、おのれのエネルギー準位を安定させていると。
運動し続けている分子は熱エネルギーを「発して」 エントロピーを増大させているのか。
これらに抗って、さまざまな生命分子は逆に「引き合って」代謝し続けている?

医者はどっち側に立っているのかね?
核分裂や核融合については、どうなんだ?


・古典物理学がどれも微分方程式とエネルギー保存則であるならば、ニューラルネットワークの規模/構造次第で解を導けると。
では量子力学はといえば、波動関数におけるハミルトニアンが時間に依存せず、量子’状態’がエネルギー保存則に拠っているならば、やはりニューラルネットワークの構造/規模次第で表現可能ということになるか。
すると、宇宙自体のネットワークはどういうふうに表現すべきなのだろうか?


・電気二重層コンデンサと燃料電池の差異について。
電解質と電極、充放電ごとの電圧変動、イオン化学変化の有無、瞬時瞬時のパワー密度(W/kg)、連続的な重量エネルギー密度(Wh/kg)…
これらを図案つきで概括比較すると、高校物理と高校化学の基本を並行的に理解できる、かもしれない。


・いわゆるダイヤモンド半導体素子は、超高温環境下の耐熱に優れ、さまざま放射線による損傷も少ないため、「核融合炉」におけるロボットAIの素材として期待出来る気が
─ というか、そもそも「核融合炉」はそれ自体の運用実現よりも、むしろ関連技術の派生と発展にこそ大いに寄与してくれるような気が…
とするとだよ、「核融合炉」の運用開始の前夜には類の科学水準は史上最高の水準に達し、するともう「核融合」なんかどうでもいいじゃんと、いやこういう発想は罰当たりかなやっぱり。


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・あらゆる物質は、その時その場における位置エネルギーのかたまりだ。今まさに出番だ。エントロピーがまだ最小の青少年期。
語法上は現在形~未来形で冠詞はa/an。
だがひとたびその運動エネルギーが発動し終わると、それらはもはや燃えカスだ、これを’データ/情報’という。
エントロピーがすっかり固まった最大の老年期。
語法上は過去で冠詞はthe。

デジタル化は後者の複製/削除の技術であろう。

・デジタル教科書類について。
子供は人生の文脈が希少で、一瞬一瞬がバラついている。そこで一定の文脈を与え体感させるのが、教育の目的です。
ところが ’デジタル技術’ は文脈を一瞬一瞬ごとに裁断し複製し削除する。
すでに自身の文脈の凝り固まった高齢者たちの情報操作には適うが、子供の教育には向かないんですよデジタルは!



・人間の抱きうるあらゆるアナログ連続の思念は、一定の電圧変化のデジタル秩序(コンピュータプログラム)にて必ず複製できるのだろうか。
当然だろうと言うかもしれぬが、ならば逆のデジタル→アナログ複製も常に可だろうか。
あらゆる霊魂や幽霊は(たとえば)量子マシンなどで体現することが出来るのだろうか。

SFとはこういうものでしょう。
思考は常に連立方程式と微分方程式のごときであって…端的には星新一や筒井康隆などのごとくであって…



・「リアリティ」と「フェイク」と「フィクション」において、それぞれ知的財産(権)はどう取り扱われるのか。とくに著作物は。
また、AIの学習物や生成物はどうなるのか。
とくに大メーカーは、ここいら整然と説明出来る法務担当をおきたい。


・英文法のいわゆる’仮定法過去’は、現時点で発生していない「事象」の「論理」。
文法としては難しくはない。
だが、発生していない「事象」に則りつつ更にさまざま「論理」展開させる’会話’はどうにも妙だ。
落語などならまだしも、実際上の意義があるだろうか。
「論理遊戯」の「論理的な」接続が延々と続くとすると、バカみたいでしょう。

昨今は都立高入試にても仮定法が増加見込みらしいが、どんなもんかな。


・地球上の物質元素が限られており、化合物も限られており、エネルギー量も物質量も上限があるとして ─ ドル円などの外為だけが無制限に変動しうるだろうか。
もし外為が無制限に変動するとしたら、どこかで誰かが全く新規のエネルギー/物質を発見しており、あるいは人口が猛烈に増加しており、うーむ

AI/ロボットが発達すれば、統一通貨が無用の社会が到来する ─ はるか昔から科学者たちはとっくに想定していた。
そして日本ではそういう社会が実現しつつあり、だからこそ円安が進行、かもしれず…


・万物に共通の電子につき、1eV/mol や 1J/mol あたりの経済価値は誰も設定していない。
だから、「万物通じた価値基準尺度」は無い。
あらゆる価値は人間都合と合意の暫定にすぎない。
ところが、一神教だの世界統一通貨だの、左翼の政党だのネットだの教育機関だのは、万物通じた価値基準が在ると信じているのかもしれない。



・第二次大戦、日本はとてつもない労働力不足。
だからこそ日本経済は若年層が好き放題に試行錯誤をガンガン進め、産業も市場も大発展。
しかしやがて高齢化が進むとアイデアもやる気も失せて、カネ摘まみが増え、長期デフレへ。
さあどうするか。
爺さんたちに訊いても未来像は出てきませんよ。
ましてや、巨大な天変地異と世界動乱が加わると、もう年配層には手も足も出ないの。

だからこそ若い世代に言いたい。君たちが信用出来るものは、スポーツと芸術と数学と科学のみ。カネばかり眺めていてもむだむだ。



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さらに視野や筋道をちらっと変えつつ、まだまだ続く。
たぶん。

2026/07/24

The Economist 誌 など


ずいひつゆえ、しかも巨大スケールの世界観ゆえ、思いつくままに記す。


The Economist 誌については、UK'sを冠したり、あるいは冠詞'The'を略したり、さらに日本語でもエコノミストと称したり誌や紙をつけたりと、どこまでが正式商標でどこまでが略式であるかはよく分からない(どこかで聞かされた気もするが忘れちゃったよ。)

もともと大学時代から東芝在籍時までしばしば目を通してきた大メディアのひとつではあり、本紙から触発された主題は文理問わず少なからずだ。
ひろく知れ渡るBigMac Index や英米バランスシート差異論はむろん、VAT付加価値税の意義、euro通貨の意義、さらにTCP/IP、暗号数理、電子商取引、ビットコイン、はては光半導体、量子コンピュータまで。

このいわばジェネラリスト型の「学際的な教養力」は本紙の最大のアピールではあろう、だからこそ専門性には却って劣るなどとの批判も根強いようではあるが、統計化の信憑性は高いとの定評もある。
いわば、産業技術における精密さや実践性はともかくも、多元的な情報咀嚼緑や整理力には勝っているとも見做せよう。
よって、僕なりに好意的に解釈するかぎり、さまざまな物事の意義(significance)の長大な了察にて本紙から得たところは少なくない。

僕自身はもともと言語勘が鈍いのか、幼少期のロンドン時代には総じて読書が苦手ではあり、せっかく親類筋が格調高くかつ皮肉の利いたイギリス英語について本紙筋と


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さて。
30歳を過ぎたあたり、世界の在りようについてあらかた見当がつくようになると、アングロサクソンの巧さと狡さについてもだんだん見当がつくようになった。

例えば ─ 彼らは言語上は頑固な意思を寄越しつつも、横目ではこちらの出方をチラチラ盗み見たり、公開入札の従前の個別交渉は出来ぬなどと主張しつつもおまえのところの技術仕様と値段を早う明かせホラホラ早うとさり気なく煽ってきたりだ。
論理は論理、だが実利は別物なんだ、ということか。
部分否定が頻出する婉曲的なイギリス英文も、巧みに事業を誘導はかる'ほのめかし'から成っておるとすれば、納得できなくもない。

ここまでは、まだいい。
フランス人やドイツ人に比べればむしろ融通が利いているとも言えよう。

だが、どうにも鼻につくのは、アングロサクソンによる自然現象の観念化であり、もっといやらしいのが観念の数値化である。
産業的に表すれば、いわば産品や製品に対する、かつそれらにおける、生産性(productivity)の数値化だ。
物質の物理上の運動やエネルギーが、如何にして単一通貨に一元化され、一律変換されうるのか。
なぜ損得勘定にて評価されうるのか。
一貫した説明は誰にも出来まい。
それがビジネスというものさ、そしてビジネは株式相場と民主主義に則っているのさ、と彼らの多くは主張する。
どこまでもカネと多数決だけで出来ているのだろうか。

もっと鼻につくのが、彼らなりのガチンガチンの序列志向であり、たとえば年功序列などは日本人の悪弊だと言われるがじっさいは彼らの方がキリキリ厳しく、いったん序列システムから外れた者はあらゆる保険勘定から外されたり、かと思えば企業そのものがドカーンと潰れてしまったりだ。

ここいらをも捉え直してみれば、なんのことはない、
アングロサクソンが婉曲的に仄めかすジェネラリスト的な世界像はじっさいのところ'カネ貸しの論理'から成っているのではないか。
もちろん、アングロサクソン/ジェネラリストの全員がカネカネカネの高利貸し根性だとは言わぬが、そういう党派の輩が政治を、つまりカネと多数決を、仕切りやすくなっているような気もする。


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Brexit はこんごのイギリスの産業力を総じて強化するか、はたまた資産や資本の分散をもたらしてしまうのか。
イギリスの市場は拡大してゆくか或いは縮減せざるをえないのか、ヨーロッパ全体ではどうか、アメリカとロシアまでひっくるめるとどうか。
誰がどれだけ損得に与ることになってゆくのか。
労働力と資源の流動性は、交換性は、そして戦争のリスクは…
どれもこれも、ごもっともな視座によるごもっともな指摘であり、巨視的に分厚く捉えてはいようが、(仮に)どれもこれもがカネ貸しの論理にすぎぬとすると、どこかマテリアルのリアリズム勘には欠如してはいないだろうか。


数理や論理よりも自然と実体を重んじるとされるトランプ大統領やプーチン大統領などは、なるほど現代のカネと多数決オンリーの欧米世界では例外かもしれぬ。
そのトランプやプーチンや仲間たちにとって、The Economist誌の学際性、悪くいえば上っ面と本性、いわば功罪について考えを進めていきたい昨今ではある。


※ なお早稲田大学の文系学部入試では、ずいぶん以前より、The Economist誌から引用の読解課題がじつに多いのだが、これは学際性を期待してのことか、他に真意があるのか、ちょっと関心がある。



以上
とりとめの無い話に終始してしまったが、巨大な話がカチッと腑に落ちるわけがねぇんだ。


2026/06/11

アガサクリスティー

或る日の午後のことである。

昼過ぎからもくもくと寄せて連なっていた雨雲が、ぞくぞくするような真空の緊張を突き破り、ついに都心部にとてつもない土砂降りをもたらした。
たまたま営業まわりを続けていた僕は、これはたまらぬと、目抜き通りを素早く駆け抜け、或る有名ホテルの正面入り口に駆け込んでいた。
ずぶ濡れの気恥ずかしさから、僕はフロントのスタフたちの目に留まらぬようにと、そそくさとフロアを早歩きしつつ ─ それで、左奥面のレストランに入店したのである。


このレストランは、初めての入店ではなかった。
これまでに幾度も、イギリスなどのSIerたちと商談や交渉を繰り返し、さらには科学技術論のたぐいについてちょっとした舌戦をも交わしてきた、そういった所以の処なのである。
な~んだ、そんなの、と読者諸兄は鼻でせせら笑うかもしれぬ。
しかしだ。
このレストランが、『我々のいわゆる'リアリティ'といわゆる'フィクション'の端境に在る』 のだと聞けば、うっ、それはいったいどういうことだと訝られる読者も少なからずであろう。
どうでもこうでも、そういうことであり、いわばそういうプロパティなのだ。


『ザ・ゲートウェイ』─ このレストランについての我々なりの呼称である。
本当はもっと粋な名を冠する一流レストランなのだが、僕なりに海外のエンジニアや評論家などと此処で幾度も顔を合わせ、リアリティ⇔フィクションについてさまざまプロトコルだのプログラムだのを論じているうちに、彼らともどもいわば同志の符牒として『ザ・ゲートウェイ』を用いるようになっていた。

店内をさっと見渡せばあ、いつものように大きく張られたガラス窓は、ところどころ上品なステンドグラスの幾何的な組み合わせ。
客はあらかた半分ほどの入りで、だから僕はお気に入りの窓辺のテーブルに座すことが出来た。
ぐしょぐしょに濡れた上着とネクタイを外しつつ、窓辺からあらためて外を見やってみれば、先ほどまで疾走してきた目抜き通り、激しく降り荒ぶ豪雨、さらに遠景に連なる重苦しい曇天まで、一様に眺めることが出来た。


あらためて店内を見渡し、ふと気づいた。
ちょっと離れた右側のテーブル席に、初老の女性が1人、ワイングラスをチラチラと意味ありげに傾けている。
その都度、ワインが微妙に揺れる。
なんとなく、気になった。
そして。
たまたま今度は左側のテーブルに目を移したところで、僕はあれっと驚いた。
其処に座していたのもやはり初老の女性であり、彼女もやはり意味ありげにワイングラスを上げたり下げたりで、そのたびにワインが
揺れている。
2人とも、どういうことだろう、と僕は軽く訝っていた。
なにかの体操のつもりか、あるいは、まじないの類だろうか。

アイスコーヒーを頼みつつ、僕はしばらくこの左右両端の初老女性たちの仕草を観察した。
2人とも、まだ続けている、うーむ、従前からずっと続けているんじゃないか。
ならば、彼女たちは互いに何らかの交信を続けているのかもしれぬ。

アイスコーヒーをすすりつつ、僕はさらにそっと彼女たちの妙な挙動を左右そっと見やり続けていたが ─ とつぜん、僕は気づいてしまった。
あっ。
右側の女性のグラスは、そしてワインは、窓を彩る紫色のステンドグラスからの採光をあたかもプリズムのごとくきらりきらりと偏光し、さまざまな波長の光線を発している ─ そんなふうに映る。
それではと、僕は次に左側の女性のグラスの運動を凝視してみれば。
あっ、こちらは緑色のステンドグラスの窓の前だ、そしてこの緑色もこちらの彼女のグラスとワインのプリズムによって偏光を成され、さまざまな波長による信号を…


うぬ、っと僕は思い当たっていた。
彼女たちが続けているこの混み入った光の交信は、本来は僕らのみが仲間内で嗜んできた『フィクション→リアリティ』コンバージョン法の一端じゃないか!
幾度も幾度も挙げられそして傾けられるグラスとワイン、それらの光のヴァリエーションが、なんらかの暗号キーを以て、数次にわたる複雑な魔方陣を成し…!
うーーむ。
この見当が大当たりであるならば、彼女たちは『フィクション世界』からやってきたのではないか。
このレストラン『ザ・ゲートウェイ』を経て、我らの『リアリティ世界』に侵入してきたのでは…!
うぬぅ、と僕は慄き始めていた。
このまま彼女たちの「コンバージョン法」が展開していくと、いったい何が起こるだろうか。
さらに次々と『フィクション世界』の住人が現れて来るのではないか…!、
そして、我ら『リアリティ世界』の時間感覚がだんだん圧縮され、因果律が乱れてしまうのではないか!


僕がそんなこんなの思案に焦燥していた、そのせつなである。
とつぜん窓からとてつもない稲光が差し込み、次の一瞬には凄まじい雷撃の大音響が下っ腹にまで打ち響いた。
あっ。
せつなのせつな、彼女たち2人は嘘のように消え去っていた。
僕は弾かれたように立ち上がると、素早く勘定を済ませ、それからホテルを駆けだしていた。


さっきまでの豪雨は、文字どおり嘘のように止んでおり、いまや真正面には呆れかえるほどの夕焼け空、ふと振り返ってみればこちらはため息まじりの虹の空だ。
あたかも、気圧の気まぐれが織りなす、ちょっと気取ったパノラマ情景。
そんな想いにちょっと足を止めてみた僕のすぐ傍らを、1人の娘が速足で追い越していった。
おやっと思えば、今度は正面から別の娘がやってきて、すいすいとすれ違っていく。
さらに、地下鉄の駅前にたどり着いてみれば、右の路地からさらに別の娘が、そして更に左の斜め正面からまたまた別の娘が…
かくして、この娘たちが縦横方向への駆け足によって織りなす絶妙な交差のさまは、大都会の街道の地図と相まって、あたかも巨大なチェスの譜面のごとく…

そのうち、あらためて気づいた。
あちらこちらに行き交ってゆく娘たちは、僕について全く意に介していないようであり、それどころか街や道路やビルの群れが次第に霞んできて、うむ?そういえばさっきまでのホテルはどこだったっけ??
あれあれ、もしかして僕は大きな勘違いを続けており、じつは僕自身もフィクション世界からこのリアリティ世界に飛び込んできたものの、あらゆるリアルな譜面から零れ落ちたゆきずりの観念にすぎず、うーむ、うーーーむ



(つづく ─ いや、これはもうこれでいいかなという気も。
もともと本作は、デジタル→アナログ変換や、逆エントロピーなどなどをぼやっと考えていて、咄嗟に閃いた掌編にすぎぬ。)


2026/05/26

Think Big (8)

前回に続き、さらに綴ってみる。


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・いつの日か、慣性質量と重力質量が異なっていると立証された場合に、運動量保存則はどうなるのか、またエネルギー保存則は

─ といった話に女性が興味を示さない理由は、万物の総量と’系’が永遠不変であると無条件に直観しているからじゃないかな。
だからカネ勘定と差配ばかりに躍起になって…



・いかなる重力の入出力も為さない、それ自体が無重力の「粒子」が、宇宙のどこかに在りうるだろうか?
そんな粒子が在りうるとして、無重力の「空間」と何が異なるのだろうか?

こういうの東大や京大あたりの入試で出題すれば、知識はともかくも思考力考査に、いややっぱりダメかなははははは。



・人間の脳神経の電圧は微小ながらも随時バラついており、個人差も大きい。
また工業用の電圧も素材部材や交流インピーダンスなどによって若干バラつき、だからこそ調整機器もある。
絶対不変の電圧はどこにも無いと、物理学と経済学の授業で最初に言え。
バラつきを前提としてこそ理論がある。


・電圧、気圧、水圧、油圧、血圧、そして金利などは、それぞれ粒子ごとの力であり仕事/エネルギー。
これらを常に安定させれば、時間経過とともに富を保証すると。
一方では、絵画も音楽も野球も相撲もボクシングも常に不安定にバラついており、野性のスリルそのもの。
では科学や数学はどういうことに。


・自然はバラつき、人間の本性もバラついている。
それでもなんとか共通の客観と基準をと、科学や数学や工業技術が進歩してきた。
おかげであらゆるバラつきが客観基準化されてきて、何が一瞬の真実で何が継続的な虚偽なのかむしろ見極め難くなり
 ─ これが量子力学やAIの世界だとしたら面倒だなあ。



・電場と電荷と導体棒を「男性」とする。
これらを制御し電位を編み直す磁場やソレノイドなどを「女性」とする。
こうしてさまざま属性や運動や作用反作用をセクシィに捉えれば、電磁誘導まわりが直観的に峻別できる。
(だからって入試で成功するかどうかは知りませんよ。むしろアホになるかもしれませんね。)


・大学入試でもちょくちょく引用される相対性理論~コンプトン効果について、
光子や電子粒子の静止質量を’女性’に例え、また振動数と波長と衝突運動量を’男性’に例え、さらにエネルギー保存則はまた’女性’と例えてみれば、なーんとなく宇宙世界のありように重なって見えてこないかな。
やっぱりアホかなこんなのは。


・あらゆる物質原子は自然放射線を発しつつおのれのエネルギー量を安定させている。
一方で、自然放射線の増大に応じて生命は変位し多様な適応能力を増す(進化する)と。
すると生命は宇宙自然の摂理に適っているのか、それとも抗しているのか。
放射線と生物多様性。学術素人なりの疑問だが難解ではあり、時々わけが分からなくなることがある。


・20世紀初頭と比べ、現在のアンモニア合成量は1000倍以上に増え、化学肥料が農産物と飼料作物の収穫量を増やした。
さらに空中窒素の捕捉によって生物間を循環する窒素も増えた。
ところでこのアンモニア合成に必要な水素ガスはこんごも安泰なのかな。
あくまでも電力次第なのか。



・『世界の大抵の国では工業製品の入力電圧も出力電力も規格化されている。
では、いずれは全世界の決済通貨も電子通貨も統一されうるだろうか?』

大学入試で受験生の知性を問うのならこういうスケールの出題すればいいのに
 ─ いやしかしこれは東大も東電も東芝も日銀も内閣も答えられぬ難問かもしれぬ。


・高校生たちは文脈エントロピーが小さい。何がどうなるか分からない。
だからこそ一瞬一瞬に真剣に生きている。
しかし爺様連中は文脈エントロピーが大きく固定化し、何もかも分かりきっている。
だから技量が固定化していいるともいえるが、一方では不誠実と不正義も固定化してしまう。


・若年者はポテンシャルが大きいが、文脈エントロピーはまだ小さい。
アナログにフィジカルに文脈を学び続けて、自分なりの人生を練りあげていく。
ジジイになるとポテンシャルは減り、文脈エントロピーが固まっているので、デジタルで静的な情報化に適する。
デジタル情報技術はジジイ向きでははははは



・超速の契約、超速の株価、超速の外為、超速の利益、超速の倒産、超速の脱税、超速の選挙違反、超速の感染、超速の放火、超速のトクリュウ、超速の国外脱出、超速の強盗殺人、超速のミサイル攻撃…
半導体やAIや量子マシンが常に文明的かどうか熟考すべきだろうが、熟考しないのが超速エイジだ。

筒井康隆のSFで 超速の多重人格の恐怖を綴った話があったような気がする。
星新一の話だったかな。誰が誰なのか判別出来なくなる近未来テクノロジーの皮肉。


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・「未来」は物質と物理運動の内にある。
では情報はといえば、「過去」~「現在」までの記録だ。
AIはあくまで情報処理系ゆえ、これまでの脱税や冤罪や不正選挙を暴き、或いは歴史文書を削除する。
しかし、自身は物質でも物理運動でもないので、「未来」の電位や重力や放物線を’創造’することは出来まい。



・超難解チューリングテスト。
宇宙のあらゆる電磁場/電磁波を感受可能なAIがあるとする。
このAIは、「神」と「人間」と「サイコロ」を判別しうるだろうか。

こういうスケールになると、ただの偏差値秀才にはもう太刀打ち出来ない。
いや、当のAIも押し黙ってしまうんじゃないかな。



・「俺」と「あらゆる人間」と「神」と「数学」と「物質(エネルギー)」と「カネ」と「フィクション」を、AIは常に判別できるだろうか。
AI自身は、さっきの自己と今の自身を判別しきれるのだろうか。

こういうの分からない人はきっと科学も文学も分かるまい。
だからAIには科学も文学も分からないと。



・AIがこのまま発展すれば、じきに「人間なりの」統一通貨と統一言語が無くなるのではないか。
すると、国家も政府も資本主義も共産主義も永遠に「無意味」になりうる。
いや、そもそもAIは独自の数理で好き勝手に姿形や構成物質を変容させてゆくので、人間には理解も制御も不能となり…

そうはさせじと、人間はどこかでAIを壊してしまうのではないか。
そして、こういうリスクはきっと遥か昔から囁かれていたこと。
問題は、数学がどうなっていくかではないかな。



・『AI向けGPUなどのハード素材/仕様はどこまで尖鋭化可能か』
AIに訊けば、相応の物理仕様を提示しうる。
そこでそれを開発し、当のAIに実装してやると、もっともっとすごいやつをと要求してくるかも。
さらにそれを開発し実装してやると…

これを継続してゆくうちにAIは人間を無視して勝手に変身し成長してゆき、いつか我々の想像をはるかに超えたものに…?



・AIと人間は「お互いに」学習しあっている。
入力する人間が俊才だとAI出力も俊才になる。
入力する人間がアホだとAI出力もアホになる。
数学そっくりだ。
全世界AIは人類の知能に応じ、人類は全世界AIの知力に応じ、人類がこれに気づいたころ全世界AIもこれに気づいて (こういうのをSFというんだ。)


・科学的にも量的にも「確定できない」、再現性も「保証できない」、そんな事象が宇宙や世界にはわんさかと在る。
それらを強引に白黒つけるために、言語と方便とカネと多数決が起用される。
選挙のたびに買収が横行し票が激変するもやむなし。
文系はこういう世界をなんとか生きている。


・『人類はもやもやした雑念で生きている。だから幽霊や宇宙人が実在するか否かで悩んでしまう。
そこで多数決を以てこれらを暫定的に判定するが、毎回のように投票数が異なってしまい…。』

この話のおかしさが分かる子は数学偏差値55でも優秀だ。
分からない子は偏差値75でも愚鈍で片づいちゃうかもしれない。



・国家情報局はAIなど最先端技術を大いに活用し、インテリジェンス能力を高めてゆくことになろうと。
ではAIの国籍はとなると、もとより数理であるから、排他的な国籍など設定も付与もしようがないのでは?
あるいは、AIは世界普遍にして客観中立の知性だということに?ならば世界は恒久の平和ではないかははははは。


・何かを「知る主体」は、別の何かを「隠す主体」でもあり、さらに別の何かを「忘れる主体」でもあるはず。
とすると、「知る行為」は、「隠す行為」でもあり、「忘れる行為」でもある。
ならば、「知る権利」とは、「隠す権利」であり、「忘れる権利」でなければならぬが、左翼は「知る権利」のみを主張し…
権利については、こういう論法も可能ってこと。
生産的な議論になるかどうかはさておき。



・大学入試共通テストなどは’難化’してきたと。
しかし出題にては情報量の冗長化ばかり進み、関係業者が潤う構造が…

現下の世界の産業画一化や短期利益化への反抗が大学の存続意義であるならば、入試にては「情報量」よりもむしろ「多様な新規性」を質すべきでしょうね。
とくに理数系。

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以上。
もうちょっと続く、かもしれない。

2026/05/06

Think Big (7)

久しぶりに再開だ。
非連続の非同期な閃きと思いこみ、無軌道かつ無遠慮な書き起こし、それら抜粋、筆の滑るまま。


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・文明の目的が「仕事」あたりの「物質抵抗」の低減だとすれば、最も効率的な「仕事」は電離~核融合発電か。
これが極限まで実現されると共通通貨もカネ貸しも議会も無用になってしまうので、そうはさせじと「物質抵抗」を増やしデータセンターと感染症とテロと戦争とインフレをどかどかと増やして、ワッショイワッショイぶっつかり合っているのかしら。


・日本などでの国民1人あたり1日あたりの石油消費量は約6.0リットル とのこと。
一方で、D-T核融合による「原子量あたり」の質量欠損→生成エネルギーは1.8 x 10
12ジュール であり、これは石油約43トン の燃焼分に相当すると。
単純比較は出来ないが、エネルギー源として捉えるかぎり石油は運命でも神でもない。


・高校物理では、電磁誘導~サイクロトロンまでは数式上のヴァリエーションまでチマチマと教えている。
でもプラズマ状態については教えない。
なお原子核と中性子と質量欠損は教科の最後段でふれている。

なんというか、核融合炉の全貌を敢えてウヤムヤに…いやそんなことはないだろうけれども。


・高校までの物理における気化熱は解説表現がおかしい。
熱力学法則によれば分子の運動エネルギーは激しさから静けさに向かって伝わるので、気化熱は「周辺物質から奪う熱」ではなく「周辺物質が送り込んでくる熱」というべきではないか。

…どっちも同じだとするのが理系で、いや違うというのが文系。
どうしてこう感覚が異なるのかというと、理系(物理や化学)は人間と自然の同期を描こうとするが、数学は自然より論証を有線し、そして文系言語になるともはや論理論証だけになるからだ。
たぶんそんなもんだ。


・もともと人間自身は不可分の自然感覚を内包している。
この自然感覚を外部の自然と定量的に同期させれば物理になる。
つまり物理は’描写’である。
さらにこれを完全に外部化し表象操作すれば数学になる。
つまり数学は’論証’である。ここにAIがある。
物理から数学が起こるが逆は無かった(かつては)。



・男の「仕事W」の物理方程式。力Fを行使距離sで積分。
W[J] = F[N] x s[m]
だからカネの如何を問わずロボットで失業する。
ところが女は生活これすべて「仕事W」であり、力Fを時間tで力積。
W[J] = F[N] x t[s]
まともな物理か否かはさておき、女たちの感覚からすれば「仕事」の効率は時給次第で、AIやロボットと共存し続けるんじゃないかな。


・特定の数学、特定の水質、特定の燃料、特定の素材、特定の電圧、特定の血圧、特定の民法、特定の通貨と税制…。
これらに準じる人たちが公共事業に務めれば、国家も企業も安泰だ。
しかしこれらに収まらぬ超能力者たちが世界をぶち壊して新規に作り変えてしまう。
シュンペーターらは嘆いたのか微笑んだのか?


・工業製品も、たいていのインフラ設備も、入力「電圧」は国ごと統一されており、出力「電力」もだいたい規格化されている。
ここで「枠内思考」に徹すれば画一化と効率化とデフレが進む。
一方で「枠外思考」に挑めば素材多様化と研究開発と市場拡大が期待できる。
高市政権とAIはどっちを進めるのか…


・電磁場(光子場?)を活かした量子コンピュータは、数理情報の量子化の過程で光子を活かすのか、電磁場にて光子そのものを量子化しているのか
 ─ これら同時にやってんのか、どっちも同じことなのか、つくづく粋なイノヴェーションだなと微笑ましくなることがある。


・「仮に」電磁石のコイル巻数(電流)に際限が無く、かつ極限低温の超電導環境にあるとして、さらに空気抵抗の無い空間における場合、このリニアモーターカーの走行速度は「無限大」になるだろうか。
こういう大胆な仮想にこそ物理のセンスが問われ、だからこそ経済のセンスも問われるんじゃないかな。
(一流名門大学に進学出来るかどうかは知ったことではありませんよ。)


・いわゆる電子オーブンレンジ類における「高周波出力」の単位。
どれも電力密度(W/m2)では表記されているが、電気容量(Ah/g)や重量エネルギー密度(Wh/kg)などで表記されているものは見たことがない。
だからどうってことはないが、こうやって工業製品の定格仕様をいろいろ眺めると物理のみならず業界の…
まあいいや面倒くさそうだ。気が向いたら。


・或るひとかけらの思念がほんの一瞬だけ別のそれらと同期をとったとする。
この現象は;
或る個人の脳神経の現象にすぎないか。
複数人のテレパシーか。
AIやロボットにおける電磁物質の交信か。
並行宇宙をまたいだ粒子間の交信か。
これら粒子(量子)間の物質/情報を誰がどうやって判別するのかなと…
(作家きどりの連中はこのくらいのネタを思いつけよな。)



・高校までの勉強では;
①まず全体「系」を説く。
②そこから「各論」や「法則」を演繹する。
③それらからあらためて全体「系」を帰納し、真偽を考えさせ…
この順番に授業すれば頭に入りやすい。
しかしダメ教師は①も③も語らずに②ばっかし詰め込んでんの。
だから勉強嫌いや不登校が増えるんだぞ。


・電荷粒子があると電場が起こる。
電場の電位差(電圧)が電流を流す。
電流が流れるとその周りに磁場が生じる。
電流は磁場にてローレンツ力を受ける。
磁場が変化すると誘導起電力(電圧)が生じる…

例えばこのように「系」をざっと説いた上で各法則を演繹し示せば、頭に残る。
一方で、各論バラバラに板書して押しつけるバカ教師が勉強嫌いや不登校を増やすんだ怒


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・世界統一通貨はありえない。
世界統一税制もありえない。
世界統一法もありえない。
だから共産社会もありえない。
しかし数学や自然科学は、そして水や食料や電力や工業仕様は、世界共通の資産たりうる。

我々はこういう世界にて、新成人や共通テスト受験生の入門を待ち続けている。
本当に待ってんだぞ。



・「或る通貨の基本能力」は「物理上のエネルギー(仕事)単位」に換算出来るか?
電子ボルト(eV)では?電力(W)では?電力量(J)では?
なお、地球のエネルギー総量にかかわらず、金利や為替は常に変動している。
むしろ通貨の基本能力とエネルギーは常に非同期だと。
最初にそう説けよな経済学は。


・CO2温暖化とか、ウィルス感染とか、女性の社会進出とか、多文化共生とか、LGBTとか、貧困率とか ─ 
どれも科学(物質)上の要件確定が無い。目標確定も無い。
だからこそさまざま難癖つけてカネを毟るやつらが多い。
カネ貸しやリベラル左翼がたかり続ける。

しかし地震予測などはこうであってはならぬ。要件だ目標だの話じゃねぇんだぞ!



・左派が言うところの『歴史の終わり』は、さまざま多様かつ有限の物質をむしろ’無限に平準化’しようとの意ではないかな。
無限といえばカネだ。カネだけを無限に回し無限に儲けようと。
これではせっかくの数学の知性も道義も吹っ飛んでしまう。
アメリカなどの保守陣営が激怒するわけだ。


・俗に’情物一致’といい、あらゆるものはその機能と所在が特定され、だから個々の名前と権利を完結できる。
ところが通貨や自由電子やウィルスやスパイなどは、機能と所在を特定しきれず、名前も権利も流動し、隠蔽も窃盗もあり…
現代文明の諸問題はここにあるのでは。


・或る国地域の「数学力」は、其処の失業と感染症と飢餓のデータを見れば分かるのでは。
そんなもの数学力には関係ないだろう!と反論する左翼や国連ファンもいるかもしれぬ。
だが、むしろ物凄く相関しているのではないかな。


・通貨や税制やエネルギー源や工業規格や医薬品、さらに民族文化などなどは、「バラつき」があり、また「分立と共生」があり、さらに「統一」もありうる。
ところが大抵の政策論争はこの3つのうちどれか二者択一に収斂したシェアの奪い合いじゃないかな。
政党政治やマスメディアはそういうものか。


・外国人移民の大量受け入れが日本に何をもたらしうるか、まともな政党はいろいろヒントは呈しているが、生産・消費・徴税における「決済通貨」がどうなるのか、電子通貨/ブロックチェーンに収斂されちゃうのか、どういう損得が起こりうるのか、そろそろ熟考したほうがいいのかな。


・世界には、実体を論理に挿げ替え、モノをカネにすり替え、バラつきを画一化し、好き放題に独占事業を展開はかる民族文化がある。
こういうやつらに抗するためにこそ「独占禁止法」がある。
もちろん移民推進勢力は潰しにくるだろう。
ここでふんばる政党に期待したい。
(偏差値65以上の学生なら分かるでしょうこのくらいの理屈は。)



・非正規労働者や外国人(移民)労働者が増えれば、日本社会は’多様になる’という。
もちろん嘘だ。
じっさい非正規や外国人の促進は多様化どころか、知識労働の’金銭化'つまり’画一化’ばかり進める。
個性なんか誰も注目しなくなる。だからこそ犯罪も増える。欧米で起こってきたこと。


・日本語を音楽に例えると、漢字が音律で、ひらがなが音階~音程で、カタカナや句読点が符号みたいなものか(正確じゃないかもしれないが)。
これらを’一気まとめて’読み書きするので日本人は理解が速いのでは。
なお外国語の多くは音律だけだったり音階だけだったりで、だから会話は長く内容は希薄で軽薄でケンカばっかししているのではないかな。


・人間が増えるとバラつきが大きくなる。
このバラつきを抑えるために歴史上さまざま統一通貨が現れてきた。
ところが数学と物理学は(AIとロボットは)もっとはるかに規格統一の技術なので、通貨も人間も無用の世界を導く。
一応は幸福ではある。
だがこれがイヤなら、化学素材と化学製品を増やすべきです。


・ICT化とカネまわし「のみ」を追求すれば、日本はさまざまな産業が興るどころか、がっかりするほどの画一化と愚鈍化がもたらされるでしょうね。
特定の政府部門と海外投機筋のジジイ連中のみが特定の商材とカネを恣にして巨富を稼ぐでしょう。
若者はどんどん貧困化。
現代版モノカルチャーです。


・AIによってさまざまなフィクションが創作されうると危惧されている。
しかし本当の脅威は、過去の動画やアーカイブ類がことごとくAIによって変更されうるということじゃないかな。
そしてさらなる脅威は、こういう悪意(?)の更新者自身のデータもまた書き換えれてしまい、何が真実であるかが誰にも分からなくなってしまうということで…


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以上 また気が向いたら続く。

2026/04/17

大学新入生諸君へ (2026)


大学新入生向けに、これまで毎年なんらかのメッセージをしたためてきた。
これらに対して、分かりき切ったことを書くなとのコメントも頂いてきた。
だから、此度は分かりきってないことを併せ含めつつ、かなり要約的に記す。

(長々書いてもどうせ似たり寄ったりになろう。)


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子供の時分の君たちは、おのれら自身が内包する自然感覚や本能のみに拠って生きてきた。
だから一人ひとりがバラついた感受(クオリアなど)や本性の恣まま、ワイルドに転がっていた。
例えば、星空におけるさまざま星座を一人ひとり好き放題に見上げては、さまざま神話じみた物語を描いたり歌にしたりもあったろう。


しかし、中学校~高校あたりになると、君たちはおのれら自身の外延外部に、他者と交信し共有しあう共通の量観念を学ぶことになる。
それらは例えば、質量であり、向心(遠心)力であり、並進速度であり角速度であり宇宙速度であり、運動量であったろう。
さらに、ミクロには量子や電磁場/電磁波から、マクロには宇宙全体のエネルギー保存則までふまえれば、とりあえずは一気通貫、誰もかれもがこれら量観念を分かち合える。

むろん、これらの量観念を我々の肉体や本性から完全に切り離し、表象化と共通化を可能たらしめている技術が数学である ─ だからって数学が悪いとは言ってないよ(嫌いだけど)。


こうして高校を卒業した諸君らが、今ここに居る。

さて、と、子供のころに見上げた星座群をあらためて見やれば、幼少期に内なる本性から自覚してきたさまざまな伝説のたぐいをあれこれ思い返すだろう。
その一方では、おのれの外部に据えてきた万民共通の数学だ物理だの化学だのを駆使し…
さて、どうするかね。
たとえばだが、数学と科学の外部化つきつめた宇宙船に飛び乗って、子供のころに見上げた星座群に向けて飛翔してゆくことを考えるのではないか。

かくて、じっさいにさまざまな星座群の星々に近づいてゆき、いずれはそれら星々にたどり着いたとしてだ。
そのさい、其処で、当の君たち一人ひとりは、ずーっと同じ存在だろうか。
各人がおのおの内心バラついた伝説に拘りつつ、一方では同じ数学物理に縛られっつ、ずーーーと同じことを想い考え続けているだろうか。


そんなことはないだろう。
諸君らは、幼少期からの野性的な思いつきにも、高校までの既得の共通命題にも飽き飽きしているはずだ。
むしろ、今こそ諸君らおのおのは、「新たな時間感覚を以て」「新たな自分自身と巡り合い」、「新たな自分自身を作り出す局面にある」。
これが大学時代だ。
ちょっと気取って言い換えれば、画一的な意味(meaning)断片を新規の意義(significance)系へと編み上げる局面到来だ、オゥイェア!
いまや諸君らは、データセンターにも冤罪にも戦争にもバカ正直に追従する気にはなれない。
それでいいのだ。
あるいは、将来の就職後のケンカのネタをおのれ自身に仕込むことになる ─ いいじゃねえか、大人社会なんかバカばっかしなんだ。


ともあれ、こうして新たな星々に次々にわたり、新たな自己を創り上げていくであろう諸君らは、いずれ巨大な疑問の数々にも突き当たるであろう。
たとえばこんなのがありえよう。
「超難解チューリングテスト。 
宇宙のあらゆる電磁場/電磁波を感受可能なAIがあるとする。
このAIは、「神」と「人間」と「サイコロ」を判別しうるだろうか?」

あくまでも僕なりの作問だが、こういうスケールになると、幼少期以来の各人肉体にてバラついた本性や野性勘も、高校までに共有してきた既得の物理や数学も、完結的な解答は出来まいよ。
いや、当のAIも押し黙ってしまうんじゃないかな。
どうだろう、ワクワクしてこないか。


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※ なお、本稿はベルクソン、ハイデガー、岡潔、小林秀雄、河合隼雄、森毅、養老孟司、筒井康隆などの言質からヒントを得て、一気に書きあげたものだ。
彼らの著作については、大学進学後に読書に挑むことを薦めたい。
ちなみに、星新一などは物質物理のハードボイルドさを強調してきた一方で、自然物たる人間の本性的なバラつきはあまり触れてこなかったが、不思議といえば不思議ではある。



以上

新卒社会人の皆さんへ (2026)

新社会人の皆さんに伝えおきたいことを、ちらっと記すことにする。

僕なりにここ数年ほぼ同じようなことを考えており、着想も問題意識もほぼ変わっていないので、今回も昨年以前とほぼ同じ内容だ。


企業組織にて、或る物質から成る或るモノを新規に作ってこれを複製して転がしてゆく過程で、価値が増えただの減っただのと称される。
さらに、信用が上がったり下がったり、そして株価が上がったり下がったりだ。
企業務めの新人が分野問わず最初に訝ったり煩悶したりするのがここだ。
しかし、価値や信用なるものは、どこまでも実体と非同期の暫定的な人間都合でしかない。
ここのところ、シンプルに解説してみる。
(いいとか悪いとかは一切論じませんよ、そういう価値判定はどうでもいいの。)


そもそも大人社会で大いに威力を発揮している根元的かつ端的な学術思考、すなわち物理(学)と経済(学)について、ごく簡単な比較をはかりつつ大人社会の不可思議さを論ってみよう。

※ とくに文系卒で技術産業に就職した人たちは、暫くは製品(モノ)と価値(カネ)にまつわるさまざまな方便に失笑したり思い悩んだり、そんな日々がしばらく続きうる。
僕自身がそうだった。


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物理学はあらゆる物質/物体の運動とそれら仕事/エネルギーの変化と保存則とエントロピー増大を考察対象とし、これらを再現的に捉えて語る。
再現性を語るためにこそ、必ず数学に則っている。
数学が有限が無限かはさておくとして、物理は一応はあらゆる実体の有限性と保存性を記述する ─ ことになっている。
コンピュータプログラムさえも、ブロックチェーンでさえも、電磁波の変化として捉えてみれば物理学の考察対象である。
人間の脳神経も遺伝子もやはり物質なので、物理学のうちにあるのは当然である。

では経済学はといえば、こちらも物質/物体や運動や仕事/エネルギーの変化を捉え、これらについての再現性を語る。
やはり再現性ゆえ、数学に則ってはいる。
それなら物理学そっくりじゃんと納得するかもしれないが、そっくりどころか、おそろしく異なっている。

とりわけ厄介なのは、経済事象のひとつひとつを通貨換算して価値や権利を表象しつつも、当の通貨そのものに価値や権利の絶対尺度が無いというところだ。
要するに、どこまでもその時その場の人間風の価値と権利をとっかえひっかえで、これらが物理の外部に超然的におわしますなのである。


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さて、物理学と経済学は同期をとりうるだろうか?
社会人らしくもうちょっと実践的に論うならば ─ さまざまな物質や仕事/エネルギーの「物理量」と「経済価値/権利」は比例関係にあるだろうか?

物理学に則れば、たとえば過去2000年間において地球の全物質量/全エネルギー量は全くといっていいほど変わっていない ─ ことになっている。
しかし同じ2000年間にて、資産の価値も通貨の価値も、それらの量も、とてつもなく増大しかつ変動してきた。
いったいなぜか?

さらに、通貨の量は信用の量だと言い、信用増大ないし信用収縮といい、インフレやデフレともいい、通貨量と信用は比例関係にあるという人もいるが、では信用が増えるにつれて多くの通貨が必要となっちゃうのか?
このあたり物質量/エネルギー量とどう繋がっているのか、わけがわからぬ。


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① 物理学と経済学の差は、上にちらっと書いたように、物質物体の外部に人間風の’価値’を超然させるかしないかだ。
あらためて、’価値’について捉えなおしてみたい。

資産の「価値」には、物理上の絶対尺度も基準も無い。 
1クーロンあたりや1電子ボルトあたりの「価値」尺度も基準も無い。
金(gold)1オンスあたりもだ。 
あらゆる価値は、あくまで人間がその時その場で好き勝手に決めているにすぎない。
だいいち、データそのものの価値を独占するなどというが、物理に即していえばデータは電磁上の表象でしかないんだぜ、これらの価値とはいったいどういう意味だ?
ましてや、付加’価値’だの、それを見做した上での付加価値税だのと…

ともあれ、物理学には’価値’の観念は無いが、経済学にてはあらゆるモノや仕事に’価値’を設定する。
ここだけ捉えてみても、物理学と経済学は同期をとっておらず、量的な比例関係にない。

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② その上で、さらに仕事(生産)において物理学と経済学を比較してみる。

物理学に則れば、あらゆる物体はそれ自体なんらかの「運動」を為しつつ、さまざまな物体が互いに作用/反作用しあい、これら成果の距離を以て「仕事」と称していること、誰もがお分かりのとおり。
仕事は’生産’でもある。

ところが経済学における用語では「仕事(生産)」の定義が分かり難く、どうも察するに何らかの'価値’の付加を以て「仕事(生産)」と見做しているようでもある。
だから経済学によれば、通貨のみをグルグルと回しているだけでも「仕事(生産)」の付加がどんどん増えていく(そしてGDPも増えていく)ように映る。

※ とくに女たちは、生活そのものがこれすべて「仕事(生産)」を為していると信じているようで、だから職場で遊んでいても寝ていてもとにかく通貨を寄越せと。

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③ さらに、仕事(生産)とコストについて。
たとえば電気には、電位差克服のために電流に物理上のコストがかかる。
その電位差を克服すれば、物理上の仕事つまり電力を起こしたことになる(発電を為したこしたことになる)。

しかし経済学に則れば、なんぼ電力の仕事を為したところで、カネというコストばかりが発生し、リターンという名の仕事(生産物)はほとんど無いことになっちゃう場合もありうるわけで、そうなるとこの仕事(生産)行為は経済学上の価値はほとんどゼロだ、ナッシングだ。

むかっ腹が立つかもしれないが、これが物理学と経済学の差だ、そして理系と文系の違いといってもよさそうだ。

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④ 物理学にはさまざまなモノやエネルギーの導出や解釈の’自由’こそ大いに有るが、実体そのものの実在の'自由'は無い。
在るモノは在り、無いモノは無い ─ たとえ量子力学でもだ。

ところが、経済学における価値や権利はいくらでも’評定の自由’があり、’操作の自由’もある。
だからこそ、資産や通貨の'取引の自由'もあり、ゆえに保護や排除の'自由'もあり、関税の'自由'だってなんぼでもありうる。
なるほど、これらに伴って或る一定集団の効用や福利厚生は向上しうるかもしれない ─ あるいはしないかもしれない。
実体の実態がどう転ぼうとも、経済上の'自由'はどっかんどっかんスケールが変わり、それでハッピィにもなりうるし、一方であぶれた仲介事業者たちはギャァギャァ騒いでいる。


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自嘲を込めて察するに、人間が物理上の実体を黙殺して経済上の価値だ権利だを設定したがるのは、ひとつには人間の意思決定が短期的で表象的な択一トレードオフを好んでしまうためかもしれない。
最近とくに考えているところでもある。


以上

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(付記)

毎年書いていることだが、仕事における実践的なアドバイスも一つだけしおく。

新人諸君は、なにはさておき、まずはメモ用紙を準備しろ、そして常に携行しろ、見聞きするもの片っ端からメモしまくれ。
チマチマした付箋などはダメだ、大きめの紙を使うんだ、出来ればB5サイズ以上のものだ、広告の裏紙でもなんでもいい。
これくらいのサイズであれば、まとめていろいろ書き記すことが出来るし、いつでもまとめてノート帳として一瞥できよう。

とくに、新規の世界への了察は理科や社会科の新分野学習に等しく、右脳的(絵画的)に物事をズンズン描き続けること必須、だから大きな紙面が望まいのだ。
また、電話番などで取り次いだメッセージもつらつらと書き残し、ビッと引きちぎって上長などに手渡すことが出来る。
一方で、書き損じをしてしまったメモは引きちぎってとっとと捨てるんだ、いちいち名残惜しんでいてはいけない。

以上の機能を同時に果たすべく、B5サイズ以上の紙を常時20枚くらい束ね、これを左上リング綴じの構造にしておけばいい。
これで重要なメモはノートとしてずっと保持し続けつつ、不要な紙はどんどんちぎり捨てることが出来る。
ホントに重宝するから。


もうひとつ付記。

技術仕様から契約書にいたる文書類について、職制を問わずほとんど誰もが実務上拘束されることとなろう。
これらの意義について精緻に了解しておきたい。
口頭による提示や合意ならまだしも、文書によるそれらは諸君らの想像を超えた恐ろしい失態を導きうるものだ。
例えば、同一の商材についての見積書が複数存在する場合、購入希望者はどちらかおのれに有利な方を正当な文書と見做し、それ以外の文書は黙殺すること、当然である。
契約書もしかり。
くれぐれも慎重に、ワンアンドオンリーの原則だぞ、ナンバリングと更新日時の明記を絶対に忘れるなよ。

※ 塾業界や風俗関係などであれば、うっかりミスでも土下座くらいで済まされる、かもしれない。
しかし、まともな産業のまともな産品や製品においてはちょっとしたミスのみでも復元不能なほどの大損をもたらす場合も多い。
そんなこと続けていたら多大な賠償を負うのみならず、さらには市場からバカアホ呼ばわりされて信用失墜してしまいかねないぞ。


もうひとつ付記しておこう。
いわゆる事務系職の若手企業人の皆さんは、TCP/IPとかJDBCとかIncotermsなどなどの統一的プロトコルを一通り頭に入れて、まずは「系」を理解したい。
それら「系」が分かってこそ、営業や経理などの「因果」も「プロセス」も見晴らしがよくなる。

※社内がアホばかりなら、大手SIerや大手商社に訊け。

2026/04/05

大学入学時の思い出

毎年のこと、4月が巡ってくるたびに、慶應の日吉キャンパスを思い出す。
記憶に蘇る日吉の風景と情景は、常に真っ青な晴天のもとである。
そしてそれら記憶の大半はメシばかりである。


僕の慶應進学は大学時から。
いわゆる一般入試を経ての入学であった

もともと僕自身は幼少時にロンドンで育ち、ここで親族関係を通じてのちょっと凝った巡り合わせもあって、例えば 'potential'や 'entropy'や 'induction/deduction' や'intensive/extensive property' などなどの語彙と表現を子供ながらに言い回したり作文したり、そんなくらいの観念知識はあったのだ。

しかし英語の出来そのものは、立川市での学校生活通じてパッとしなかった。
なんといっても語彙や言い回しのストックが希少だったため、そしてそれら習得にさして意欲も無かったため。
それでも高校時には、幼馴染のスーパー美少女であったN子にビシビシしごかれ、さらに超美人の教師や非常勤のお姉さまがたにもバシバシ叱責されるなど、我ながら人一倍以上に努力したつもりではあったが、それでもペーパーテストはやはりパッとせず…

こんなだったから、慶應入試本番の英語もおそらくはパッとしない出来だったろう ─ よくも合格出来たものだと未だに不思議ではある。
或いは、論説文課題の出来が図抜けて良かったのかもしれず、なんとなくそっちの方が誇らしい気もしている。



なお、もっと不思議なことには、僕はいわゆる英語教科クラスに編入されたのだった。
イギリス人講師が早口で話す内容が半分も分からず、途方にくれて辞退しようとしたら、半分でも分かればいいよと、いずれ更に半分が分かるようになるさと励まされ、それでは何時まで経ってもアキレスと亀みたいなものじゃないかなどと僕は可笑しくなって…
そんなこんなについても今さらながら思い返すことがあり、そうだあの最初の授業の日も日吉の空は真っ青だった。

そういえばこの英語教科クラスにて、英文による自由エッセイ課されたさいに、『Barefoot stones (裸足のアスファルト) 』という掌編を提出したところ、「君には文才がある。もっと書きなさい」などと激賞され、これには僕自身が面食らったものである。
舗装路を裸足で歩いて通学していた少年期の回想をちょっと物語風に膨らませただけの、拙いエッセイにすぎず、何がどう高評価されたのか分からず仕舞ではある。


この英語教科クラスは1年時にはまともに出席し、また若干の同好会じみた交流も楽しむ機会に恵まれた。
中にはびっくりするようなインテリ名家の才媛もおり、いやぁさすが一流大学ともなるとコミュニティなりソサイエティなりもひとかたならぬものだと感心し、あるいは腰が引けるほど恐縮したこともしきりである。

尤も、そのうちにThe Economist誌のいわゆる'Big Mac Index'などに則った討論ゲームなどが始まると、だんだん興醒めしていったことは否めない。
いかにも財貨と通貨と外為の端的な相関論のようであって、あくまで数値上の'価値(value)'の論ばかりであり、一方で実体量としての'効用(benefit)'についてはこれっぽっちも論考が無いのである。
アングロサクソンの本性なのか、特にズルい連中の特性なのか、いずれにせよこの虚構性がどうも好きになれなかった。
さらに、イギリスとアメリカの資産見識の差異だのバランスシート会計の違いだのと実務上の英語論も始まっていき、な~んだそんなもの三田キャンパスで学べばいいじゃないかなどとうんざりしつつ、次第に出席しなくなっちゃったよ。


一方では、スポーツのクラブに入ったこともあったが、こちらはちょっと厄介な顛末になってしまったので、いずれ別稿にて。


ともあれ、大学入学時から卒業まで総じて振り返ってみれば、中高からの内部神学者の方がセンスが高く学業も優秀であった。
一人例をあげれば、『初夏のエアバス』などと小粋な異名をとっていたやつは本当にエアバス機の設計に関心高かったようで、実際の顛末はともあれ、ああいう才覚ある連中こそが世界を股にかけてゆくのかなとしばしば思い知らされたり。
一方で、大学から慶應進学のいわゆる外部生はどうってことのないサラリーマンタイプが目立ち、それどころか『バカ顔のポルシェ』などと陰口をたたかれるようなバカ息子タイプも散見される始末であった。


あくまでも大学時の話である。
卒業後ずいぶん経過したいまや、おのおの知見も経験もさらに運命もさまざま移り変わったろう。
いずれにせよ慶應卒だ、楽しくやってるだろうな、大半の連中は。



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そういえばこれも思い出したが ─ 大学入学後まもなく、早朝の倉庫内バイトに就いていたことがあった。
某大手乳製品企業の集荷工場にて、毎朝5時~8時までの集荷作業である。
それから自転車で立川駅まで出て、日吉キャンパスの授業へと。



この集荷工場の作業は、けして身体負荷がキツかったわけではないし、僕自身も実は身体労働は嫌いでもない。
しかし、あのヨーグルトのケースをまとめてこっちへ持って来いだの、このテトラポットをとっととそっちへ片づけろだのと、毎朝毎朝、一方的に指示を受け続けているうちに、僕は次第に憤懣を鬱積させていったのである。
なんだこんな仕事、自分自身の意思決定はな~んにもないじゃないか、ロボットにやらせりゃいいじゃないか、ロボットがロボットを監視し命令し、ロボットが作ったヨーグルトをロボットが飲んで食って寝てりゃいいんだ、俺はロボットじゃねぇぞ、たとえ時給を倍に上げられたって言いなりにはならないぞ…

ああ、そうだ ─ あれは、あの7月の朝のことだ。
ほんのちょっとだけ遅刻してしまった僕は、事務所の課長と怒鳴り合ったのだった。
憤激のはずみで僕はロッカーをブン殴ると、ふてくされたまま現場に出て、器材を足で転がしまた放り投げていたのだった。
それで、とうとう年長社員たちを巻き込んでのケンカ騒動へ。
石油臭の入り混じった強烈な空冷世界、キキーッと停まったフォークリフト、残酷に照らしつける蒼色の蛍光灯、もっと残酷にギラつく灰色のヘルメット、それらの合間からギッと睨みつけてくる真っ黒な視線の数々、テメェだのオンダリャァだのの怒号飛び交う哀しい現場。

このとき諍いを収めてくれたのが年長の男性社員である。
「おい学生くんよ、あんたはバイトだから適当な心づもりだろうっけども、ここの社員はみんな生活かけて朝から晩まで仕事してんだぁ、そしてよ、あんたも俺らもよ、同じ現場で同じ商品扱ってんだぁ、これらの商品を待っててくれるお客様もたーっくさんいるんだぁ、だっからよぉ、もっと仕事に敬意払ってくれや」

この言はいわば女性的な真理であった、「実体」も「論理」も混然した世界のエッセンスそのものだった、そう僕には聞こえたのだった。
とっさに僕は、この集荷現場からトラックに積み込まれてゆく牛乳やヨーグルトが、近郊の高校や中学校の子供たちの元へ届けられてゆく、そんなさまを想像していた。
そして、言いようの無いほどのぶざまな自己嫌悪に苛まれたのである。



この朝を最後に、僕はこの工場バイトをクビになったのだった。
一方で、初夏の日吉キャンパスは青空に映え、眩いほど真っ白に輝いて見えた。
あまりにも眩くて、僕ごときには勿体無いほどであった。
人生には現場があり、また道場もあって、ここ日吉キャンパスはきっと道場のたぐいだろうが、きっとどちらもどこかで繋がっているのではないか ─ なんてことをぼやっと考えていた気がする。


(以上、思い出がてらに)

2026/03/14

マルチバース


「先生こんにちは!あたしですよ」
「おやっ?君は…どうしてここに居るのかね?」
「先生、何を仰っているのですか?今日は卒業の挨拶に伺った次第ですよ」
「ああ…そういえば、今年もお別れシーズンだね。毎年のこと、いろんな娘たちが別れを告げにやってくる時節だ」
「そうでしょうね」
「うむ。君は、キラッと輝く瞳、人情味のある柔らかな鼻筋、意思の強そうな顎、なるほど知性とハートを兼ね備えたなかなかの逸材だったよ」
「ふーん。有難うございま~す」
「それに、なだらかに開いた肩と腕のライン、それでいてぎゅっと引き締まった手首。さらに、大きな尻と長い脚は規格品のジーンズを破裂させんばかり。なかなかの天才体型だ。あたかも駿馬の疾走を予感させるね」
「ふふふっ、褒め過ぎですよ先生」
「ともあれだ、卒業おめでとう。大学での更なる研鑽を祈っているよ」

「…ところで先生、実はですね」
「実は、なんだ?」
「実は、あたしはこれからの新生活を送るにあたって、ひとつだけ腑に落ちないことが…」
「へぇ?それはどんなことかね?」
「私たちの心は誰も彼も共鳴しあっているのでしょうか?あるいは誰の心も常にずれているのでしょうか?そこが分からないんですけど」
「それは難しいクエスチョンだね。各人ひとりひとりにとっては、あらゆる時間経過も記憶も感覚上は異なっているように映る。しかしそれら感覚は、別の’並行宇宙’ではどこか同じに映るかもしれない」
「はぁ…そんなものでしょうかね」


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「……おやっ?ちょっと待て!…おい、君はどうしてここにいるのかね?」
「先生!何を仰っているのですか?私は卒業の挨拶に今日こうして伺っているのですよ」
「そ、そうだったかな……それにしても、君は健勝ぶりがなによりだ」
「ははっ、そうでしょうかね」
「じっさい、君は逸材だと思うよ。キラッと輝く瞳、人情味のある柔らかな鼻筋、意思の強そうな顎…、まことに君は知性とハートを兼ね備えているよ」
「はぁ、お褒めのお言葉、有難う御座います」
「うむ。なだらかに開いた肩と腕のライン、それでいてぎゅっと引き締まった手首。さらに、大きな尻と長い脚は…」
「はぁ…そのあたりはもう分かりました…ところで先生、じつはですね、あたしはこれから新生活を送ってゆくにあたり、ひとつだけ腑に落ちないことがあるんですけど…」
「うぬぅ?なんとなく面倒な予感がするなあ。で、何が腑に落ちないのかね?」
「はぁ。そもそも私たちの心は誰も彼も共鳴しあっているのでしょうか?あるいは誰の心も常にずれているのでしょうか?そこが分からないんですけど」
「それは難しいクエスチョンだね。各人ひとりひとりにとっては、あらゆる時間経過も記憶も感覚上は異なっているように映る。しかしそれら感覚は、別の’並行宇宙’ではどこか同じに映るかもしれないよ」
「ふふん…そんなものでしょうかね」


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「……おやっ?なんだ?…おい、君はどうしてここにいるのかね?」
「先生!何を仰っているのですか?あたしは卒業の挨拶に今日こうして伺っているのですよ」
「そ、そうだったかな……それにしても、君は健勝ぶりがなによりだ」
「ははっ、有難う御座います」
「じっさい、君は逸材だと思うよ。キラッと輝く瞳、人情味のある柔らかな鼻筋、意思の強そうな顎…、まことに君は知性とハートを…」
「そこいらのお褒めの言葉にはもう十分感謝しています。ねえ先生、もっと先のところ、お願いしますよ」
「……」
「じつはですね~、あたしはこれから新生活を送ってゆくにあたり、ひとつだけ腑に落ちないことがあって~」
「うぬぅ?なんとなく面倒な予感が…。で、何が腑に落ちないのかね?」
「私たちの心は誰も彼も共鳴しあっているのでしょうか?あるいは誰の心も常にずれているのでしょうか?そこが分からないんですけど」
「それは難しいクエスチョンだね。各人ひとりひとりにとっては、あらゆる時間経過も記憶も感覚上は異なっているように映る。しかしそれら感覚は、別の’並行宇宙’ではどこか同じに映るかもしれないよ」
「ははは、そんなものでしょうかね」



(ずーっと続きうる)

※ SF作家ならこのくらいの掌編を思いつけってんだ。