物理上の粒子、その運動や仕事やエネルギーにおいて、永遠不変の「統一価値」の尺度や単位を設定出来るだろうか?
アダムスミスもマルクスも、シュンペーターもケインズも、こんなもの画定していませんよ。
一神教だろうが金本位だろうが、とりあえず「何か」について「誰かが」部分的に「価値」を設定しているにすぎない。
だから時間経過とともに、そして時代経緯とともに、万物の「価値」はいつもいつも変動している。
とはいえ、万物の価値を永遠に変遷するまま放っておけば、俺の価値、あいつの価値、俺はハッピィあいつは不幸、ということも大いにおこり、ハッピィな信用取引も交換も成立しえない。
それどころか詐欺も脱税もし放題になってしまう。
これでは誰もが困っちゃうので、何かと何かの暫定的な供給と需要ごとに、暫定的に通貨換算の「価格(price)」を設定している。
つまり、「価格」とは暫定確率上の数値である。
さて経済学は、市場における財貨・サービスの「数量(quantity)」と「価格(price)」、これらの「供給量(supply)」と「需要量(demand)」の関わり合いを語るという。
ここで「価格」が確率上の数値に過ぎぬとすれば、経済学そのものも確率上の学問ということになっちゃうんだなこれが。
もちろん計量的にはそれぞれの数値の精度を追求しうるが、永遠不変の真理命題は説明出来ないし、そんなエコノミストがいるわけもない。
…と、まずは全体像を置いた上にて。
経済学を最も集約的に表現しているとされる「需要供給曲線」をいったんバラし、さまざま解釈しなおしてみる。
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(1)そもそも需要供給曲線は以下のように出来ている。
② かつ、その財貨・サービスの「供給」にて、それらの「価格」も市場に知られているとする。
(この「価格」を何らかの「単価」とする見方もし得るが、その単位自体まで追求するとキリが無くなるので「単価」は考えないことにする。)
③ その財貨・サービスの「需要」に、「数量」が有る。
④ かつ、その財貨・サービスの「需要」に、「価格」も有る。
だからこそ、それぞれに「数量」と「価格」という条件付けを以て、それぞれの状態も推移変化も、さらに行動動機までをも表現する。
ここで、①~④の「供給」「需要」を「数量」「価格」の組み合わせ 4=22 とみて、2種類のデータ群としてまとめることが出来る。
これを、横軸を「数量」とし縦軸を「価格」とする二次元座標上にて表現する。
その上で、①と②の組み合わせのデータ群を連続的に直線あるいは曲線で記し、これを「供給曲線」とする。
同様に、③と④の組み合わせデータ群もまた連続的に直線あるいは曲線で記し、これを「需要曲線」とする。
以上で、需要供給曲線の構成説明はおわり。
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(2)ケースバイケース
もとより「供給」も「需要」もあくまで人間がいちいち定義しているため。
右上がりだろうが右下がりだろうが、水平一直線であろうが垂直一直線であろうがだ。
また例えば、「供給が増える」とか、あるいは「需要が減る」という命題のみの場合は、「数量」変化のみは語っているが「価格」がどうなっているかは語っていない。
もしかしたら価格は完全競争状態にあるのかもしれない。
このような場合分け思考こそ、経済学の重大な機能といえる(だからこそ「供給」「需要」の組み合わせ発想も重大なのである。)
「供給曲線」と「需要曲線」が交差する場合。
これが需要供給曲線の醍醐味だという人も多い。
もちろんこの2本が交差すれば、その財貨・サービスの「供給」と「需要」が「数量」「価格」ともに一致しているわけで、ビンゴの大当たりのような爽快感もある。
しかしあらゆる財貨・サービスが需要側と供給側で’自動的に一致’することはない。
「供給」側も「需要」側も人間ゆえ、あくまで意思と動機によって動いているためである。
「数量」「価格」をどっち方向にどれだけ調節はかろうとも、一致しないものはすれ違いのままである(俗にいう’市場の失敗’である)。
もっと実勢に即していえば、両者が本当に心底からかつ中長期的に'合意’しているか否かは誰にも判別しようがない。
だからこそ客観化と政策調整も必要となる。
以上で、需要供給曲線の本性的な限界についての説明もおわり。
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さて。
もっともっとでっかく捉えてみよう。
全世界の人類の総「供給」と総「需要」は ─ しかも表層に現れる物質や通貨のみならず、深層心理まで踏まえたそれらは ─ どこの誰が確定しうるのだろうか。
仮に何らかの統一尺度を以てそれらが確定されるとしてだ、それらはいついかなる瞬間にも常に総和が一定たりえようか?
たとえ戦争があっても、エネルギー源や食材の供給が偏ってしまったとしても?
(つづく ─ いや、これ以上は続けようがない気がしている。)