とりわけ、政治経済と世界史である。
(A) もとより理科であれば、主題は物質であり作用反作用であり次元であって、これらが’要素’と’全体系’として精密に編み込まれている。
しかし一方で、社会科の主題はたとえば「効用」であり「価値」であり「生産」であり「富」であり「権利」であり「責任」であり「カネ」であり「税」であり、さらに「民族」や「国民」などなど…、どれもこれもあくまで観念として学ぶため、何となにが’要素’でありどういう’系’を成しておるのかを総括できない。
それでいて、社会科では組織論や手続き論がおそろしく多いのである。
だから社会科にては、難易度は情報のバラツキと情報量に大いに拠ってしまう。
(B) じっさい、此度は例年以上に設問上の情報量の多さが非難されているようだが、ここのところ僕なりに敢えて評してみる。
①まず全体像としての図案や資料を呈した上で、②各論を演繹させる ─ この①→②の設問構成ならば、制限時間内の選抜試験としてやむなしか。
(或いは穿った見方をすれば、受験者にあらかじめ全体像を提示しておき、これを存分に読み込ませた上でこの試験に挑ませたらどうか。功罪はさておき。)
しかし ②→①として各論の検証から全体像を帰納させるものは、さまざま全体像をいちいち想定しつつ再検証が必要ゆえ、制限時間内での正答は未成年には酷だろう。
こうなると試験よりもむしろ自由研究課題に適しているような気もするし、そうであれば未成年たちも喜んで挑みうるであろうし、社会科の探偵や探検家を自称する教師たちも微笑むかもしれない。
(C) なお此度の出題にては、全体像と各論の精密な(過不足の無い)整合を質すタイプの設問も少なからず見られたが、この論理力のチャレンジにとくに限ってみれば、むしろ凡庸な知識正誤問題よりもずっと思考純度が問われ、よって此度の設問量の多さは却って好ましい傾向とはいえまいか。
こんな論理思考パズルの類が社会科のテストといえるのか ─ そういう批判もありえようが、社会科における主題そのものがどうしても観念に留まってしまうのだから、論理パズル大いに結構ではないかな。
(文系あがりの僕なりに体験談に則っていえば、文系職はどうしたって物質やエネルギーなどに拘束されぬ論理パズルだらけになってしまうのだ。政党や議会や為替相場や株式を見てりゃ分かるだろははははは。)
僕なりの総括的な講評はざっと以上のとおり。
ともあれ、僕なりに注目した出題について以下にちらっと注記してみた。
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【公共、 政治・経済】
第1問
問2 ここに呈されているノートは
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【公共、 政治・経済】
第1問
問2 ここに呈されているノートは