だから、自分史をさらっと記してみたくなった。
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僕は英国ロンドン郊外で生まれ、やがて小学校に上がる時分に家族ともども東京都立川市に越してきた。
以降ずっと日本で生活している。
中学生の時分までは引っ込み思案の性格であり、だから僕の出来上がりの基本もきっと引っ込み思案なのであろう、そして今も慎みやかな性格は変わらねぇんだ、おらっ。
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尤も、高校部に進学後は、若干ながら頭を働かせることを覚えた。
我が高校ときたら、説明しがたいほど ─ つまり信じがたいほど見目麗しき美人教師たちの混成部隊、それも天才肌から超人タイプまでさまざま美人が目白押し…さらに教育実習生も舞台女優のように颯爽とした若年美人が入れ替わり立ち替わりであり、こんなだから都内どころか近隣県にまで美名を轟かすほど。
そんな彼女たちが慄然と進めていく毎週毎日の授業の数々、そのどれもこれもが、僕たち子ども頭から察してみてもかなり知的水準の高いもの。
よって、彼女たちに好いてもらおうと、あわよくば心に留め置いて頂こうと、少なくとも嫌われまいと、僕ら生徒たちはそこそこ頑張ったのであった。
美人といえば、忘れられずまた避けて通ることも出来なかった一人の女子がいる。
本ブログにても再三再四ふれてきたとおり、幼少期から高校時代まで通しての女友達、実名は隠すがN子である。
「下手な文芸小説を読むよりも、くだらない予備校に紛れ込むよりも、あたしと話す方がずっと賢くなれるのよ ─ 聞いているの?おバカさん」
N子と僕とは母親の代からの旧知の知人であり、しかも彼女の家はなかなかの名家でもあったので、N子自身の学識もなかなかのもの。
そしてこれも何度も記してきたとおり、N子は大抵のスポーツからピアノ演奏までさまざま記録を刻むほどの卓絶したスーパーガールであり、褒め言葉ついでに付言しておけばバンビやピーターパンの絵本から跳び出でてきたかのようなスマートな長身美少女でもあった。
そしてこれも何度も記してきたとおり、N子は大抵のスポーツからピアノ演奏までさまざま記録を刻むほどの卓絶したスーパーガールであり、褒め言葉ついでに付言しておけばバンビやピーターパンの絵本から跳び出でてきたかのようなスマートな長身美少女でもあった。
「下手な文芸小説を読むよりも、くだらない予備校に紛れ込むよりも、あたしと話す方がずっと賢くなれるのよ ─ 聞いているの?おバカさん」
ほとんど毎日の学校生活から登下校まで通じて、N子にはこんなふうにしばしばあしらわれたもの。
周囲からはいろいろ冷やかされつつも、なるほど僕自身たしかに知力が向上し、知識量から文脈理解力まで数段にわたって進歩したことは否めないし、それどころか今でも感謝している。
おまけに体格も大きくなり、さまざまスポーツも得意になったが、これらは我ながら意外なほど。
周囲からはいろいろ冷やかされつつも、なるほど僕自身たしかに知力が向上し、知識量から文脈理解力まで数段にわたって進歩したことは否めないし、それどころか今でも感謝している。
おまけに体格も大きくなり、さまざまスポーツも得意になったが、これらは我ながら意外なほど。
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こうして美人教師やN子についてさらりと述べ記したのには、僕なりにこだわりが有る。
実は僕は高校生くらいから、あらゆるものにおける『実体』と『論理』の整合と不整合についてぼやーっと考えに耽ることが多くなっていた。
そして僕自身は、『実体』と『論理』はしばしば不整合が多く、だから宇宙や地球の物質の多寡は比例しうるものの、それらと物価変動は直結しないのであり、だからこそカネと多数決とインチキとデタラメが横行してやがるんだ…などと考えてしまうのだった。
ところがである。
どうも女性たちは本能的に『実体』と『論理』を一体の整合として呼応させているようであり、だから(物理で言うところの)仕事と運動は同じ、(経済に言うところの)モノとカネも同じ、そして正義と多数決も同じであろうと、こんなふうに信じているようなのである。
大人の女性教師たちでさえこうなのだから、ましてや同年齢のN子ともなるとなおさらであった。
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ともあれ、僕は大学入試にてもさほどの苦難を覚えることはなく、慶應や早稲田の一般選抜入試にあっさり合格してしまった。
慶應は正直なところ英語の出来が悪かった気がするのだが、もともと論説課題は得意であり、某大手予備校の全国模試ですっごい上位成績を叩き出したほどで ─ まぁそのくらいの知的活力は有った、もちろん今はもっともっと有るんだ、おらおらっ。
もしも数学と相性が良ければ一橋あたりに…
そもそも集合や証明問題や確率関係ならば、僕だってそこらの理系よりは出来が良かったのだが、整数論などなどのように思考上のディレクトリ構造も入口と出口も判然としない範疇となると、どうにもこうにも出来が悪かった。
要するに、数学の縦横無尽な思考操作についていけなかったのであり、だからって数学を憎むほどではないものの、総じて相性が悪いのは否めまい。
もしも、今現在いうところの情報分野を大学入試にて選択していたら、僕はどのくらい得点出来ただろう…?
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慶應に入学後、しばらく思案したこと。
いったい僕自身は、「実体」と「論理」を峻別しきっているのだろうか?
この論題は「俗世間に言われる’仕事’とはなにか」に突き当たるだろう。
’仕事’とは、物理であろうか、それともカネまわし(価値操作)であろうか?
こんなこと大学で学べるのかなと訝ってはいたし、だいいち吉キャンパスのいわゆる一般教養科目では学ぶべくもない。
それでも、何か’仕事らしきこと’をしてみよう、真似事でいいから体験してみようと思い立ったのだった。
それで(我ながら意外なことに)平日の早朝5時~8時まで、某大手乳製品企業の集荷工場にて倉庫内作業のアルバイトに就いたのである。
朧気ながら覚えているかぎりでは、夏休み直前までほぼ毎日、この早朝アルバイトを続けていた。
それから自転車で立川駅まで出て、日吉キャンパスの授業へと。
この集荷工場の作業は、けして身体負荷がキツかったわけではないし、僕自身も実は身体労働は嫌いでもない。
しかし、あのヨーグルトのケースをまとめてこっちへ持って来いだの、このテトラポットをとっととそっちへ片づけろだのと、一方的に指示を受け続けているうちに僕はとうとう爆発したのである。
なんだこんな仕事、自分自身の意思決定はなーんにもないじゃないか、ロボットにやらせりゃいいじゃないか、ロボットがロボットを監視し命令し、ロボットがロボットとケンカしてりゃいいんだ、ロボットが作ったヨーグルトをロボットが飲んで食って寝てりゃいいんだ、俺はロボットじゃねぇぞ、たとえ時給を倍に上げられたって言いなりにはならないぞ…などと積もり積もった挙句の爆発であった。
なんのことはない ─ 僕自身は’仕事’の「実体」と「論理」を強引に峻別図っていたのだった。
ああ、そうだ ─ あの朝のことだ、ほんのちょっとだけ遅刻してしまい、事務所の課長と怒鳴り合ったのだった。
それで僕はロッカーをブン殴ると、ふてくされたまま現場に出て、器材を足で転がしまた放り投げ、それで年長社員たちを巻き込んでのケンカ騒動へ。
石油臭の入り混じったような強烈な空冷世界、キキーッと停まったフォークリフト、残酷に照らしつける蒼色の蛍光灯、もっと残酷にギラつく灰色のヘルメット、それらの合間からギッと睨みつけてくる真っ黒な視線の数々、テメェだのオンダリャァだのの怒号飛び交う哀しい現場。
このとき諍いを収めてくれたのが年長の男性社員である。
「おい学生くんよ、あんたはバイトだから適当な心づもりだろうっけども、ここの社員はみんな生活かけて朝から晩まで仕事してんだぁ、そしてよ、あんたも俺らもよ、同じ現場で同じ商品扱ってんだぁ、これらの商品を待っててくれるお客様もたーっくさんいるんだぁ、だっからよぉ、もっと仕事に敬意払ってくれや」
この言はいわば女性的な真理であった、「実体」」も「論理」も混然した世界のエッセンスそのものだった、そう僕には聞こえたのだった。
とっさに僕は、この集荷現場からトラックに積み込まれてゆく牛乳やヨーグルトが近郊の高校や中学校の子供たちの元へ届けられてゆくさまを想像していた。
そして、言いようの無いほどのぶざまな自己嫌悪に苛まれたのである。
この朝を最後に、僕はこの工場バイトをクビになったのだった。
一方で、初夏の日吉キャンパスは青空に映え、奇妙なほど真っ白に輝いて見えた。
(つづく)