「ふふん。楽しい話ではないよ。いいかね。つい先ごろのこと、僕が執務室を空けている合間に何者かが室内に侵入して、或る本を読んだおそれがあるんだ」
「へーーー?どんなご本ですか?」
「これだ、いまここにある、この本だよ。これは恐ろしい本なのだ」
「どういうことですか?」
「この本はね、にわかには信じがたいかもしれないが、宇宙のあらゆる物質と存在量が誰にも確定できないと、そう語っている本なのだ」
「へーーー。それがどうして恐ろしい本なのですか?」
「いいかね。宇宙のあらゆる物質存在量が確定できない一方で、人間はさまざまなモノの価値を好き勝手に設定し続けている。つまり、宇宙の物質量と人間世界の価値は比例も呼応もしていない。ざーっと言えばそういうことになる」
「ははーーん?」
「したがって、人間世界の市場取引も所有権も物質上の根拠は無く、あくまでも人間オンリーの便宜とスリルにすぎないってことが、この本によって分かってしまうことになる。だから恐ろしい本だと言っている」
「ふーーーーん。それで、その恐るべき本と、このあたしと、どう関係があると仰るのですか?」
「うむ、そこを質したかったんだ。ねえ君、この本をこっそり読まなかったか?」
「いいえ。読みません」
「なあ、本当のことを言ってくれよ。僕が不在の合間に執務室に忍び込んで、この本を読まなかったか?もしも読んでいたとすると一大事なんだよ。この本は未成年には読ませてはならぬものだからね」
「へぇ?どうして未成年は読んではいけないのですか?」
「どうしてって…あのね、事の重大さは経済や法律どころではないんだ。もっと遥かに巨大なものについての解釈もガラガラっと崩れてしまうんだよ」
「へえーーーっ、例えばどんなものが…」
「地球や太陽系のサイズ、銀河の本当のスケールなどなどだ。我々人類はほとんど何も知らなかったんだよ」
「ほほぅーーーー。なーるほど。でも先生、あたしはそんな本読んでいませんよ」
「本当に読んでないんだな?」
「読んでませんってばぁ……ねえ先生、お話はそれだけですか?」
「うむ、まあな。読んでないのならそれでいい。ともかくこの恐るべき本はもっと厳重に管理することにしよう。さあ、君はもう帰っていいぞ」
「はい、それじゃあ失礼します …… あっ、ところで先生、ほら、窓の外をちょっと覗いて見て下さいよ。星がすっごくたくさん!」
「…なんだと…?」
「まだ夕暮れ時なのに、あんなにたくさんの星が、うわぁ、昨日まで気づかなかったのですが、あらためて見やれば、うわぁーーー、すっごくたくさん瞬いています!これが本当の星空だったんですね!」
「……」
「あたし、なんだか心の目が開かれた思いです!あっちにも、こっちにも、色とりどりのお星さまがいっぱい。だからさまざまな星座群も!ああ、これらがさまざまな神話を生み出してきたんですね!そしてこれからもっともっと多くの……」
(おわり)