僕は或る女性英語教師を猛烈に恋していた。
彼女は日本人ではあったが、大メディア向けに英文記事を執筆するなどなかなかの英語通。
しかも、ご本人は明言されなかったが彼女の英語はスコットランド訛りで、これは彼女の発話を聴いていて僕なりに気づいたことであった。
僕自身は幼少期にロンドンで過ごしたことがあり、近所に住んでいた日本人女性がスコットランド訛りで喋っていたのを覚えており、だからこの女教師のアクセントにもピンときたのである。
この女教師についてもうひとつ特徴的だったのは、テニス部の顧問を務めており、しかも左腕でラケットを振るって凄まじいボールを打ち放ったこと。
僕自身、戯れ半分に彼女とコートで相対したことがあったが、彼女が打ち込んでくる超特急のサーブはこちらのラケットを弾き飛ばさんほどに強烈で、だからとてもラリーなど続けられようはずもなかった…
彼女こそが僕の初恋であった。
そしてこの初恋は失恋に終わってしまった。
彼女は婚約していたのである。
恋とは不思議なもので、しかも意地悪なもの。
結ばれぬものと判れば分かるほど、いよいよ惹かれて漕がれてゆくのは人のさだめか本性か、ともあれ、我ながら馬鹿ではなかろうかとの自嘲と嫌悪に揺り動かされてやまぬのであった。
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進学が片付き、進路も定まり、僕の高校卒業はいよいよだ。
それでもこの女性教師への恋心は留まりもせず収まりもせず ─ いや、それでもどうにか、おのれなりのささやかな解決策に思い至った。
要するに彼女を忘れてしまうえばよいのである。
冷徹にいえば、記憶から消し去ってしまえばよいのである。
そこで閃いたことがあった。
そもそも、だ。
人間は特定の物事や人物のみを記憶に留め置くことはなく、必ず周辺の物事や人物の光や音と拮抗させつつ記憶しているはずだ。
よって、或る特定の人物を忘却しようとすれば、その人物「以外」のあらゆる光やあらゆる音についてはむしろ記憶が強化されるはずではないか。
端的に例示すれば ─
或る物質粒子 Xが (+)の電荷を有するならば、その周辺のさまざまな物質粒子 Y', Y'', Y''' ... はどれも (-)の電荷を有しているはず。
ここで「(+)電荷の X」を除去するならば、「さまざまな (-)電荷 のY', Y'', Y''' ... 」は増えるはずだ。
半導体素子の組み合わせ次第で、電子と正孔が分離してゆくに似ている。
そうだ、これだ。
初恋の女性教師を忘れ去るためには、むしろ「彼女以外の」あらゆるものを鮮烈に記憶に留めてゆけばよいのだ。
うむ。
校舎の威容、教室の静謐、級友たちの意気と意地、年輩教師たちの叱責、運動部の快哉と怒号、どれもこれもを記憶に刻め…
こうして卒業式の日を迎えた。
式次第が進行し、別れの刻がおとずれる。
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胸を聳やかしつつ真っすぐに校舎をあとにした僕は、隣接するテニスコートの前を横ぎったところで足を留めた。
コート内にて快活な声を挙げつつ、女子生徒たちを指導していたのは ─
おや?あれは初めて見かける女性教師だぞ。
女子生徒たちに請われるまま、彼女は日本語と英語を入り交ぜての指導を続けており、その英語アクセントは聞き紛えようのないスコットランド訛り…。
彼女の左腕から次々と放たれる超スピードスピンのボールがコート面上をあちらへこちらへと貫いてゆく。
その一撃一撃ごとに、僕はおのれの事態も局面も分からなくなってゆくのだった。
正/逆の電位と放電をおのれの脳内の思考素子に覚えつつ、あらためて分かりかけていたのは、僕はこの女性教師を見初めてしまい、「新たな初恋」のプログラムを起動させ始めていたということであった。
※ おわり ─ いや、これは有と無の論理反転を人間の脳神経に展開させたような、そういう一種の恐怖譚のつもり。
もともと物理学でいう運動量の保存則(数学でいう対称性)のアイデアをちょっと拝借しているんだ。
そんなわけで終わりは無いんだ。