2021/07/08

【読書メモ】 租税法

我々の人生の諸活動における最も大きな制約要因は何か、それは税制度であろう。
税制度はどれだけ精妙に練り上げられているのか、それは納税マニュアル類を見れば一応は了解出来る。
それでは、そもそも税制度は「本性的に自然な制度といえるのか」、「もし不自然な制度ならばどのような正当性が在るのか」、「どこまで厳密ないし複合的な制度なのか」 ─ ここまで掘り下げて洞察進めてゆくならば租税法自体を再考の必要があろう、そこで適当な導入本を一冊ここに挙げておく。
租税法 [第2版] 有斐閣アルマ (岡村忠生・酒井貴子・田村晶国 著)

本書は概ね簡易な文体で書き進められてはいるものの、解釈においてはところどころ留意必須ではある。
例えば、会計上の用語(収益など)と税法上のターム(収入金額など)の同義性ないし差異 ─ 会計自体はあくまでも金銭価値の数学ゆえに明解であるとしても、それら金銭価値がどうして「所得」と見做され所得税の課税対象と見做されるのか…。
むしろ本書は租税法の法源や精密さや正当性について多元的に概説した導入本として捉えるべき一冊であり、意義をさまざま吟味しつつ連想力も大いに稼働させて読み進めてゆくべきものであろう。

さて、現下の国際間にて切り下げ競争の議論喧しい法人税について今後その意義を洞察してゆく上でも、まずは租税の意義をおさらいしつつ、租税の超原型たる「所得税そのもの」の在りようを多元的に再検証してみたい。
そこで、以下の【読書メモ】では本書導入編である第1章『租税と法』、および第2章『所得税法』に絞って、僕なりに掻い摘みつつ要約的にメモ記す。



<私法と租税法>
租税法の最重要な特性の一つは、「私法」に則るべき「租税法」という二層構造がもたらす不条理にある
租税法自体はあくまで独自の法体系とされているとはいえ、その多くの用語と定義は私法(とくに民事法)からの「借用概念」に依っており、更に租税法にて定められた課税要件既定までもが私法における諸関係に則ったものである。
それではそれら借用概念の元々の私法自体が厳密な実定法ではなかった場合、あるいはその用語や定義の解釈が時々刻々と変わっていった場合、租税法における課税要件に実定法の効力があるといえるのか。

それどころか、租税法が準拠すべき私法がそもそも外国法(国際私法)だったらどうなるのか ─ 例えば婚姻要件も所有権の登記効力も国ごとに異なるし、また例えばアメリカにおける州会社法の幾つかでは配当が必ずしも利益から支払われてはいない、などなどの問題。

これら諸問題に対峙する日本の課税庁が、私法に則っている(であろう)事業諸関係の仮装や虚偽を疑い、さらにそれらを否認もし、それで「独自の課税基準を貫いて」税を徴収することが、はたして合法といえようか?

また、事業者には納税控除や回避のためのさまざまな方策をうつ私法上の自由は許されないのか?

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<所得税と収入金額>
人間が為す市場取引にて発生した「あらゆる所得」に対する課税が所得税である。
(法人の所得に対しては法人税として課されている。)

あらゆる経済主体の所得の源泉は会計でいう「収益」、つまり「収入金額」であり、これが所得税の基本的な課税対象。
尤も、所得税法においては収入金額自体の精密な定義は無い。
ここで、モノと金の交換取引(売買)の場合には収入を得た者とその収入金額が明示されるので、所得税の課税対象となるが、モノとモノの等価交換取引の際には収入金額が記されないため所属税の課税対象とはならない?
このような矛盾を回避する解釈として、収入金額とは金銭収入および何らかの経済的利益の金額とされ、ここには経済主体があらかじめ有している様々な資産の価値増大分も含まれるとされている。

なお、例えば或る人物が、現時点で所有権を有さず対価を確定出来ない資産からなんらかの収入を得る場合、この人物の収入金額と見做して所得税の課税が可能 ─ との見方もある。
この見方をとくに管理支配基準という。
ひとつの端的な例として、或る人物が窃盗や横領などの違法行為によって得た財物はその人物自身の合法的な支配権は及ばぬものの、管理支配基準を適用すればそれら財物を彼の収入金額と見做し所得課税することが可能となる。
とはいっても、管理支配基準はいつの時点においていかなる正当性から課税するのかなど厳密には定義されていない

逆から見れば、或る人物が或る財物を借り入れたとしてその返済義務が生じている場合には、彼の管理支配はその財物に及んでいないことになる。
よって彼の資産そのものが増えたことにはならないため、その借入分は彼の収入金額とは見なされない(だから所得税は課税されない)。

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<包括的所得の概念>
歴史的にみて、もともと所得はその発生有無と発生源泉が為政側によって画定されており、それに応じて別個に所得税が課されてきたが、とくに20世紀以降は軍事戦費増大や諸事業の国際化に対応するため税収の拡大が必須となり、よって所得の定義をどんどん拡大解釈して所得税の課税対象もほぼ無差別に拡大させてきた。
これつまり「包括的所得」の概念であり、この考え方があらゆる経済主体に適用されるべきとされている。

包括的所得の概念を徹底的に実践すべく、あらゆる経済主体における「所得」を会計上の発想に則って金銭価値化する。
さらに会計上の発想に則って、市場の「所得」金額は「貯蓄」金額と何らかの「消費」に回された金額の合算であるとし、これらを「所得=貯蓄+消費」の恒等式として成立させている
一方では「全ての損失」も金銭価値にて設定。
ここで全ての所得」と「全ての損失」を金銭価値として合計しつつ、そこから人的控除を行い、あらゆる経済主体に対して」所得税(累進)が適用されることになっている。
ここまで論理的に徹底された所得税の在りようを「総合所得税」と称し、税システム上は極めて公平かつ富の再分配高率も高いとされている(第二次大戦後に日本に提案されたいわゆるシャウプ勧告も総合所得税を理想としたものであった)。

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<貯蓄と消費>
ここで上の会計方程式「所得=貯蓄+消費」の恒等式の右辺に着目すると、そもそも消費への所得税課税はそれら消費行為の実施時期に応じて変わる、その一方で貯蓄への所得課税はその期間不問で一律にかかりうる、よって相対的に見て貯蓄に対する所得税課税が重くなりすぎている、との見方もある。
この見方に準じれば貯蓄は所得税の課税対象とすべきではなく、「消費分のみ」が所得として課税されるべきであるとなり、これが「消費型所得」概念である。

しかしながら、貯蓄(あらゆる資産性の所得)を所得税対象から除外してしまうと、消費分のみつまり結局は賃金のみへの課税に限られることになり、よって勤労者には厳しく富裕層には大甘な所得税となってしまい、大本の包括的所得の概念そのものが成立しなくなる。
(それに消費のみに課税するならば日本の消費税や欧州VATと同じ課税ともいえる。)

貯蓄資産を所得税の対象に留め措く方策として、所得の源泉を「金融資産性の所得」と「勤労性所得」に分けて定義した上で、両者を所得と見做して所得税課税すものがあり、北欧などでは社会保障の充実をもたらしているとされる。
ここで金融資産性の所得とは利子・配当・有価証券譲渡益」などであり、また勤労性所得とは給与や事業所得。
尤も留意すべきは、前者所得への所得税が比例税率に留められている一方で後者所得への所得税は累進課税となっていることであり、この理由は前者が国外に移転しやすく課税庁にとって捕捉し難いためとされている。

そもそも、あらゆる経済主体が保有する(未売却の)あらゆる資産の値上がり益を課税庁が精密に把握し、所得税を徴税することが本当に可能かどうか。
さらに、その経済主体に相応の納税が必要になったとして、彼はその金をどう調達するのか。
主にこれらの疑義によって、価値変動する資産に対する包括的所得概念の実践は不可能であるともされ、そこでそれらが譲渡が実現されるさいに初めて課税されることになっている(これを実現主義とも称す)。

とくに、人間自身の能力属性の市場価値や損害額において所得を設定する場合、それらが実現してから初めて設定せざるを得ない。
或る個人にもともと帰属していた利益があるとして、かつそれが市場を通さずに獲得されかつただちにレジャーとして消費された場合、これを所得として課税することは出来ないとされ、どうしても課税するならば勤労相当分の潜在的な所得と見做するしかない。

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<所得税における費用控除>
或る「収入金額」を獲得するために費やされた財貨や負担された債務金額が「費用」であり、所得税課税において収入金額から費用が控除されうる。
会計上は、「取得原価」と「狭義の費用」と「損失」に区分される。
それぞれの費用はそれぞれの収入金額(会計上は「収益」)に精密に対応させることになっており、これが「費用収益対応の原則」。

ここで取得原価とは、何らかの資産の取得あるいは生産のために費やされた財貨の金銭価値であり、「その資産の販売による収益」が実現したさいにこれを収益とし、これに対応した費用として認められる。
一方で狭義の費用とは、取得原価のように財貨獲得による収益には個別対応しきれない費用のこと、例えば地代、家賃、水道費、光熱費など(ただし債務確定は必要)が認められている。
また損失とは、非自発的あるいは偶発的に発生する資産の減少または債務発生のことで、例えば天才や債務貸倒れなどであるが、尤も損失の控除については法人税には規定があるものの元々の所得税法には規定が無い。

以上の会計上の費用は、所得税法における控除項目としては「必要経費」と「取得費」として定義される。
「必要経費」には上の取得原価と狭義の費用が含まれ、まず「売上原価その他当該総収入金額を得るため直接に要した費用」を取得原価とし、また「販売費、一般管理費その他これらの所得を生ずべき業務にて生じた費用」を狭義の費用としている。
この両者ともに必要経費として所得税からの控除が可能であるとしている。
また「取得費」は取得原価のうち譲渡取得のみを指し、これも所得税からの控除が可能だが、但し譲渡にかかるものゆえに狭義の費用は含まない。


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…以上までが本書第2章のほんの前半部である。
この後さらに所得税控除の仔細が続き、さらに資産の権利所在(実現主義と譲渡)が論ぜられてゆく。
そして後段では所得の実践的な所得定義と分析へ。
例えば配当所得と事業所得と給与所得の段をざっと読み進めていると、あたかも法人税についてスタディしているかのような錯覚すら覚えるほどであり、株式と社債の曖昧さや外国法人がらみでの諸問題などにも触発されつつ、所得税法からいよいよ法人税法へそして消費税法へと…

ともかくも慎重にかつ批判的精神も保持しつつ本書を更に読み進めてゆく積りではあるが、此度投稿はここでいったん終わりとする。