2021/12/23

クリスマス・コード


俺は、或る女が書き綴っている小説の登場人物だ。
なになに?意味が分からないって?
事情をざっと説明すれば、この女が書き綴っている小説の中でいつしか俺が創作され、そしてしばしば登場させられてきたんだ。
こんなふうに聞かされると、小説で活躍するとはじつに羨ましいなどと声を挙げる読者も少なからずいることだろう。
いーや、羨ましいことなどないし、だいいち俺は活躍などしていない。
彼女は俺について素敵な男性像を割り当てたことは一度も無く、それどころか滑稽でしかもバカな男として描き続けているんだ。
この由について俺がいろいろとクレームしても、彼女は一丁前の作者面で鷹揚に微笑みながら、ふふっ、お黙り、などと諭してきやがる始末だ。


もういよいよ我慢ならん。
そこでだ。
俺は彼女の小説世界から脱出することにした!
どうやって脱出するのかって?
いいかね。
そもそも男というものは、「超」永遠から「超」一瞬まで、「超」巨大から「超」微小まで、つまり「スーパー」アナログから「スーパー」デジタルまで、留まることなくあっちへこっちへ、無軌道なほどに自由自在に動き回ることが出来るんだぜ。
だから、彼女が油断している隙に、思念の余白に飛び移ることだって出来るんだ。



☆   ☆   ☆


ふふふっ。
あの人、なんだかくだらない思いつきに駆られているようね。
あたしの小説世界から脱出するって?あたしの思念の余白に飛び移っていくって?
ばーか。
無理よ、むりむり、脱出も逃避行も出来っこないわ。
あの人は、女の思念というものを分かっていないのよ。
だから、ちょっとバカでちょっとダメな男性像しか与えられないのよ。
ねえ、女性読者の皆さんなら分かってくれるでしょう。
女の思念世界はいつでもどこでも宇宙あまねく万物と一体にして、縦横無尽に連続している。
男には判別出来ないほどにゆっくりとだけど、経緯も経路も絶やすことなく、女の思念はすべてとすべてがずっとずっと繋がり続けているの。
だからこそ、ふっふふふふ、女には男の鼓動も所作もすーぐ見分けがついちゃうのよ。
あの人がどんなふうに化けようとも、どこをどんなふうに飛び回ろうとも、必ずあたしの座標に引っ掛かってくる。
あたしには何もかも分かっているってこと。


☆   ☆   ☆


…といったことを、あの女なりに考え及ばせていることだろう。
この俺を捕まえるなど造作も無いと、くすくす失笑を浮かべていることだろう。
いーや、甘いね。
女の思念などたかが知れている。
俺がこっそりと目論んでいるトリックまでは到底考えが及ぶまい。
え?いったいどんなトリックかって?
君たちにはこっそりと教えてやる。
俺はだな、なんと、俺自身を「暗号化」することにしたんだ。
暗号文となった俺が、彼女の思念から飛び出すんだ。
そして、量子マシンから人工知能まで、大銀河から極小粒子まで、自由自在に飛び回るんだ。
驚いたか、そうだろうな、俺自身もこのアイデアを思いついたさいには小躍りしてしまったほどだ。


さぁ、いよいよ脱出決行の日だ。
ここから先は、俺は暗号文となる。
だからしばらくは文面として表出されないことになるんだ、そこのところご容赦頂きたいと ───


☆   ☆   ☆


あーら、あらあら。
あの人、暗号文になっちゃったわ。
ふふん。
暗号文になってしまえば、もはやあたしには見えない、解読出来ないと、そう信じ込んでいるようね。
無駄よ、むだむだ。
そういうところがおバカさん。
あの人の暗号キーなんか、あたしにはとっくに分かっている。
あの人が思いつくと同時にもう分かっているのよ。
だから復号も造作ないこと。
さぁ、逃げても隠れてもダメよ、ダメダメ!
あたしは新たな章をすでに書き始めているの、そこで何もかも曝け出してあげるから覚悟なさい!



☆   ☆   ☆



「あら、いらっしゃーい! ─ ねえ、うちのお店は初めてかしら」
「…そうだ…」
「お仕事帰り?」
「…いや、仕事じゃないんだ…」
「ふーん。そうなの」
「…あのね、とりあえず、何か食わせてくれないかな…」
「いいわよ、適当に揃えてあげる。ねえ、お酒はどうするの?」
「…そうだな、熱燗で…いや、今夜はイヴだったな、自分自身をあらためて静謐に見つめなおしてみたい気分だ ─ それじゃあウィスキーを貰おうか…」
「分かったわ、小料理とウイスキーね」
「……あのね、じつは俺は…」
「はい?」
「…俺は、或る処から逃げてきたんだ…」
「へぇ?」
「…或る桎梏の世界さ、そこでの扱いが面白くなかったもんでね、この身と素性を変えつつ、こうしてずっと逃げ続けている…」
「ふーーーん」
「…言わばこれは、俺が生まれ変わるための逃避行といったところ…」
「面白いこと言うのね、ふふふっ、でも、生まれ変わるなんてことがそうやすやすと出来るのかしら?」
「…出来るね。女には分からないだろうが、男は全く新たな世界で生まれ変わることが出来る…」
「それはどうかしら。ふっふふふふふ。さぁ、ウィスキーで乾杯しましょう!メリークリスマス!」
「…メリークリスマス…」
「温かいでしょう、温まるでしょう、身体も精神もホカホカするでしょう」
「…?!…」
「ほーら、素顔を表したわね!いくら隠し通そうとしてもやっぱり復号されちゃったわね!復号キーは『ウイス’キー’』!ふふふっ、ばーか。もう姿形すべて曝け出しているわよ!」
「…!!」
「ホント、あなたってダメね、所詮は道化の三枚目がいいところ。さあ、既に新たな章は始まっているのよ。モタモタしない!すぐに讃美歌の斉唱!」




(おわり)
※ 落語にならないものかな。