2021/06/12

ドリームトリッパー


高校時代のことである。
僕は或る女性数学教師にほのかな恋心を抱いていた。
もともと、我が校はとびっきりの美人女性ばかりを採用することで都内はむろん全国的にも広く名を馳せており、だから数学担当の彼女でさえも容貌の偏差値は超一級。
容貌のみならず、知的な所作と端正な佇まい、季節に応じた上品かつ甘美なフレグランス、彼女とすれ違うたびに僕はため息ばかり…。

一方でこの僕はといえば、有能でも有望でもないつまらない高校生に過ぎなかったのである。

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さて或る日のこと、僕はなんとも不思議な夢を見た。
この僕が自身の夢において、あろうことか「彼女の夢世界」に跳び込んで行ったのである。
いわゆる「夢跳び」現象が起こったのだ!

この「夢跳び」についてはうまく定義しきれるものではない。
だがあえて例示的にいえば ─ 仮に彼女を絵具のパレットに例えれば僕はほんの微かな色の雫であり、彼女を楽譜とすれば僕は一介の音符のごときであり、彼女が磁界を成すならば僕は一欠片の電荷電子とも言えようか…
まあ、そんなようなもので。

うむ、そうだ、ここはあくまでも夢の夢だ ─ 夢の、夢による、夢のための夢なのだ、だから何をしたっていいんだ。
よーし、それなら思いっきり大胆に。
夢世界ゆえにこそ、文字通りの傍若無人、影も日向も縦横無尽、彼方此方の追跡劇、バカな真似はやめなさいと金切り声を発する彼女、ダメだダメだバカな僕を静止することは出来ないのだと大声で威圧、やめさないっ、いーややめない、もうやめてよっ、やめないよ、そして、そして、うむ、そうだ、僕はいまや彼女の眼前にぐんぐんと迫り…。

ざっと、こんなふうな夢の夢。
さあ今回はこのくらいで勘弁してあげる、でも次は結婚することになるんだ、覚悟を決めておくんだよ先生、ざっとそんなふうに言いおきて、僕は彼女の夢世界をあとにした……

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ふっと、目覚めた。
おやと僕は顔を挙げ、そこが学校の教室であり、眼前の机の上にものすごい点数の数学の答案が置かれているのを見とめていた。
僕自身の答案用紙。
「どうしたの?ぼやーっとして」
そこに彼女が立っていた。
僕は心底から仰天してしまった 「あのぅ ─ ぼ、ぼ、僕はいま何をしているのでしょうか?」
「何を言っているの?!」と彼女の厳しい語調が教室内に響いた。
「いったいどういうつもりなの、そんな点数で!」
「…ハイ、すいません」
「反省しているのなら、すぐに復習にとりかかりなさい」


バカ丸出しの我が答案を何とか修正し、やっと仕上げて提出した。
そして彼女は無言で教室を立ち去りかけた。
追いすがるような気持ちに駆られつつ、僕は声をかけていた。
「あのう、先生、ひとつ質問があるのですが」
「何かしら?」
「えーとですね、夢についてのことなんですけど」
「…?」
「夢には意味があるのでしょうか?それとも、意味など無いのでしょうか?」
彼女がすっと立ち止まり、こちらに振り返った。
「面白い質問ね。さぁ、君はどっちだと思う?」
僕はドキッとしたが、それでも虚勢を張って続けていた。
「じつは、僕はさっき、ほんの一瞬だけすっごくヘンな夢を見たんですよ」
「…」
「だけど、夢というものはあくまでもほんの一瞬の出来事に過ぎず、何も記録のしようがないので、さっきの夢にもなんら意味は無いのだと」
「それは違うわよ」
びしっと言い放つと、彼女はこちらに正対してキッと僕を凝視した。
あっ!
僕はやにわに喉がカラッカラになった。
「夢というものは、物理的にはほんの一瞬の現象ではあっても、数学としては確かに時間経過を定義出来るの。だから君にとって意味が有るのよ。そしてあたしにとっても」
「……!!」

そうか!分かったぞ、と僕は懸命に自己に言い聞かせていた。
いまこの時この処も『彼女の夢世界』だ!夢の続きなんだ!いくら彼女が思念操作をしようとも、僕が思念において怯えようとも、そんなものは人間ごとでしかないんだ。現象としては一瞬なんだ、一瞬だ一瞬だ、さぁ早く終われ今すぐに終われ!
「いいえ終わらないわ、終わらせてたまるかっ、あんたはガキの分際であたしに対して罪を犯したのよっ、数多くの罪をっ。しかも全く反省の念が無いっ」
とつぜん、僕は身体が動かなくなった ─ 僕は微分方程式に閉じ込められてしまったんだ!
「ごめんなさい!反省しています!ここから出して下さい!逃がして下さい!」
僕は泣き声をあげていた。
「ダメよ。これからしばらくの間、あんたには『ここで』罪を償ってもらわないと」
「しばらくの間って、ど、ど、どのくらいの時間ですか…?」
「それはあたしの思念が決めることよ」

品の良い初夏の芳香がちょっと感じられ、それは確かに彼女の香水の匂いであったのでほんの一瞬だけ気休めにはなったが、そのうちに何の匂いなのか分からなくなっていった…。



※ もっと描写を膨らませて、なんとかラノベの題材に出来ないものかな。