2023/03/21

【読書メモ】魚は数をかぞえられるか?

 魚は数をかぞえられるか? ブライアン・バターワース    講談社

本書は、動物が(さまざま生物が)おそらくは有していると見做しうる「数的な能力」について、主だった学説や実験譚の数々に著者なりの前提をも交えて綴った学術エッセイ集。
本主題の特性上、口述も筆記も為しえない当の動物たちに成り代わって、人間側による数的能力の定義と試験観察そして解釈論までさまざま慎重なバリエーションが余儀なきもの。
それゆえ、読者としては相応の楽しさと難解さを同時に覚えずにはいられまい。

さて、本書の第1章を読みかけてみれば、最初の大前提;
・動物が認識し反応することになっている「数字」は、なんらかの複数物体から成るなんらかの集合空間におけるなんらかの具象(発生事象)の数量でありつつも、それらの物理属性判別にまでは至っていない、あくまでも「ただの基数」を指す ─ とある。

それで立ちどころに頭を過ぎった疑問点;
・動物たちによるこの「基数」の認識は先天的な必然能力か、はたまた後天的な学習能力たりうるか?
・所詮、動物の数的能力はあくまでも具象の「基数」計数に留まっているのか?或いは抽象としての数学操作も含まれうるのか?

読者としてはまずここのところ想定しまた疑義も抱きつつ、本書に挑むべきであろう。

たとえば動物の基数の認識能力が先天か後天かについては、プラトン哲学とも比較論証しつつ、具象物に触れた経験の無い動物種があくまでも先天的に数字や数学を抽象認識しうるものであろうかと、ちょっとした哲学論考も展開している。
しかし、それらさまざまな着眼上のパースペクティヴ以上に、動物脳の機能を簡素なコンピュータデバイスに例示させた本著者一流の機能論がいい。
あくまで略記に留め置かれてはいるものの、本巻通じてテクニカルな説得力も見受けられ、とりわけ僕はそこいらにさっと目を通しつつ本書を手にした次第である。

本書のテクニカルな醍醐味は、さまざまな仮説と実証試験が続々と紹介続く第2章~第9章にこそ大いに見受けられよう、ゆえに、動物(生物)の生態と脳機能などなどにひとかたらぬ関心お持ちの方々はここいらこそ大いに吟味し堪能しては如何だろうか?
だからこそ、日本語訳版の本書は図案提示がかなり少なめに抑えられている処、つくづく惜しまれる。

さて、僕などはもとより本書の論題について特段のテクニカルなインタレストは持ち合わせておらぬため、とりあえず此度の読書メモは概要案内に留めおくつもりで第1章と第10章を僕なりにひっくるめて要約略記し、以下にまとめおいた。



<基数処理システムとしての動物脳>
動物(さまざまな生物)は、数詞そのものの読み書き操作にまでは至らずとも、「基数」の計数機能と記憶機能を為す脳器官を備えている ─ はずである。
この動物の数的機能について広く一般的に受け入れられている学説として、「小さな数のシステム論」と「大きな概数のシステム論」が挙げられる。

まず小さな数のシステム論は、人間や動物が一瞬間に認識(subitise)しうるなんらかの具体物(事象)の基数が ≦4 であると前提したもの。
尤も、本当に常に一瞬間の認識を為しているかどうかはいまだ判然とはしていない。
一方で、大きな概数のシステム論は、人間や動物がなんらかの具体物(事象)の基数を対数的あるいは線形的にごく大雑把に(ブレたままで)認識し、それらを元にして足し算引き算まで実践している、というもの。
但し、対数をもとに算術演算する以上は逆対数機能をも脳内に備えていなければならず、それだけの複雑な機能/器官を動物類が本当に有しているか否か、いまだ判然としていない。


ここで本著者は、あらためて動物の脳内に「基数セレクター」および「アキュムレータ」としての機能/器官を想定し、ヨリ実践的なスタディを進めている。

まず基数の「セレクター」機能/器官は、外部におけるなんらかのさまざまな物体集合のうちから、具体物(事象)ごとに基数を排他選別する。
一方で、「アキュムレータ」機能/器官は、外部より入力されてきた「基数」データを正規化しコード化、そしてこの情報処理を随時記録可能、この処理件数を蓄積してゆき、かつ随時参照もできる。
かつ、この「アキュムレータ」機能/器官は、いわばオシレータとして連続的に搬送波のごときパルス信号を生成しており、「基数」データの入力に応じてこのパルスのゲートを開閉している。
よって、「基数」データの入力時間とコード化の総量を正比例分量として記録していることにもなる ─ つまり持続時間量をも記録。

この脳内における「アキュムレータ機能/器官」の実装量は、動物種によってかなり異なっていると想定される。
たとえば昆虫種の脳などはわずか数百万のニューロンに留まっているが、高等生物になれば操作ニューロン数はケタ違いに多く、それゆえに高等生物は数多くの「アキュムレータ機能/器官」を交信させ相乗操作が可能、よって足し算引き算以上の高度な演算も可能たりうる。

=========================


生物種が適者生存しつつ進化してきた ─ とすれば、「基数」にかかる演算や記憶能力も相応に進化してきたはずである。
これを生物種ごとにぐっと要約すると以下のとおり。

<基数の見本合わせ(サンプル記憶)が出来る>
 無脊椎動物、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類、霊長類

<基数の足し算と引き算が出来る>
 無脊椎動物、両生類、爬虫類、鳥類、霊長類

<基数の大小が分かる>
 無脊椎動物、魚類、鳥類、哺乳類、霊長類

<基数の入力時間を元に位置ナビゲーションを計算出来る>
 無脊椎動物、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類、霊長類

<基数の数字自体を操作できる>
 鳥類、霊長類


また、基数の計数能力が果たしてきたであろう機能は生物種ごとに以下が確認されている。

<主に繁殖のため>
 無脊椎動物、魚類、両生類、爬虫類、鳥類

<主に採餌のため>
 無脊椎動物、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類、霊長類

<主に生存そのもののため>
 魚類、鳥類、哺乳類、霊長類

もちろんこれらの機能は大雑把な分類であり、実際には相互に機能しあってはいるが、生物種ごとに実証研究がところどころ不十分な領域でもある。

===================


以上、第1章と第10章をざっと読みぬけた限りでの、僕なりの要約略記ではある。

※ なお本書英文の原タイトルは 'Can Fish Count?' であり、本書大意に即しつつこのタイトルの主旨を斟酌すれば、「基数認識は出来ても足し算や引き算や数字活用には至っていない魚類どもの知性を我々は信頼しうるか?」といったところだろうか。
英国らしく皮肉ニュアンスの効いた一種の政治風刺とも解釈出来、なかなか面白い。

※※ 一方では、原著者による英文文面上の論理構造が元々連結的であるためか、此度の日本語訳にては接続副詞の論理構造がしばしば断片的に(不明瞭に)留まっており、これも読みづらさの一つの要因ではある。

とりわけ真意を汲み難かった日本語訳表現のひとつが、或る基数回数の’出来事’であり、この’出来事の数’が英語原文にては’existence(実在する具体物)'の意であったのか、或いは'occurence(物理運動の事象の発生)'の意であったか、どうも判然とせぬまま、僕なりの此度の投稿にさいしてはこれら両方の解釈をとった。


以上