2018/11/07

反抗期 Part II

ここに、一人のひねくれ者の少年がいる。
実名は明かせぬがゆえ、とりあえずY君とする。
このとりあえずのY君は、まだ中学生である。
母親の言うことにいちいち侮蔑的な態度で応じたり、教師たちから声をかけられると皮肉的な答えを返したり、そういうひねくれっぷり。
そう映るように演出しているのではなく、本性からしてぶかっこうなほどにひねくれ者なのである。

父親は居なかった。
しかし、小学生の妹が一人。
素直で正直な娘で、といっても女の子はそういうものなのだが、ただ、可哀そうなことにちょっと病弱であった。

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この妹が暫く入院したことがある。
ひねくれ者のY君ではあっても、病床の妹を哀れに思い、そこで兄貴然を発動して威勢を張った大胆な約束を交わしたのであった。
それは、或る大手企業が主催するクロスカントリーレースにY君が出場して、上位入賞するというもの。
もしも俺が入賞したら、おまえは血筋も家柄も大いに誇りに思っていいぞ、と。
素直な妹は、この兄の言から「もしも」を除外して、楽し気に空想するのであり ─ それは、Y君が本当にクロスカントリーで上位入賞し、皆が感嘆と感動の声を挙げつつ祝福するような、そんな情景であった。
そういう妹の質をもちゃんと見抜いていたのであろう、Y君はちょっとぶっきら棒に念押しする。
俺は誰にも明かさずそっと出場するつもりだから、他言するなよと。
お母さんにも内緒にしておけ、と。

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Y君はひねくれ者ではあったが、ほら吹きでも馬鹿でもなかった。
じっさい体力も運動能力もなかなかのもの、本気になれば3kmだ4kmだのは快足で走破するくらい軽いかるい。
早朝に、あるいは放課後に、誰彼に知られることなくそっと練習してみれば、おのれの想定をかなり上回るほどの快走であり、よしこれはいけるぞと自信を高めていたのである。
それほどであるならば、堂々と周囲に公言してエントリーすればよさそうなものだが、いや、そこはY君のこと、誰にも明かさぬままレースに出場する意固地な覚悟を決めていたのであった。

さて妹である。
誰にも言うな内緒にしておけと念押しされたはずなのに ─ いや、だからこそ、この素敵な約束についてもう誰かに喋りたくてウズウズ、それで、つい、母親に伝えてしまったのだった。
これを聞いた母親は大いに感激し、やはり誰かに喋りたくて堪らず、そっと中学校の担任教師に申し伝えていた。
この担任教師はといえば、ははーんと心得もよく、あのY君のことだから周囲で騒ぎ立てぬようにしましょう、皆でそっと温かく見守ってやりましょう、と。
はぁ、やはり、そんなものでしょうか。
そうですとも。

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ついに、クロスカントリーレース当日となった。
それは日曜の朝であり、Y君はとぼけた風を装いつつも、ちょっと所在無げに家を出ていった。
母親はクスクスと忍び笑いを浮かべつつその様子を見送って、それから、入院中の妹の許を訪れたのであった。
もちろん妹は、担当医師から特別の外出許可を得ていたので、病気もなんのその、喜び勇んで母親と一緒に病院を出て、レース会場に向かっていたのである。

さらに、彼女たちはレース会場で待っていたY君の担任教師と「そっと」合流。
やりますよ、彼ならね、自分ひとりで覚悟を決めた以上は、何かやってのけそうな子ですからね。
はあ、そうでしょうか。
そうですとも、彼はきっとやってのけますよ。
はぁ、あたしも正直なところ、そう期待しているんです。

ねえお母さん、と妹がたまらずに声を挙げる ─ みんなで声援してあげようよ、そうしたらお兄ちゃんはすごく頑張るんじゃないかなあ。
いいえ、そうしない方がいいのよ、だから今日は「そっと」お兄ちゃんを見守ってあげましょう。
母親は楽しそうになだめるのだった。

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レースは、あっという間に始まり、そして終わった。
Y君はおのれの吐いた言葉以上の快走をみせ、まさにひねくれ者の面目躍如、見事に上位入賞を果たしたのである。
トラックでしばらく息せき切っていたY君は、ついと顔をあげ、それからとつぜん気づいた。
あっ!観客席から手を振っているあの娘…
ああ、そうだ、妹だ!
どうして、どうしてここに、と、Y君はもう居ても立ってもたまらず、観客席に駆け寄り、妹に向かって両手を高らかに掲げ、大きく円弧を、さらにVサインを。
それでも ─ 妹の傍らで感極まってほとんど泣き崩れている母親と、さらにその隣で朗らかに微笑んでいる担任教師の姿を見とめると、Y君はふんと鼻を鳴らして、こんなものどうってことはないだろうに、大人っていちいちくだらないなあと呟くのであった。



(おわり)