2022/10/23

【読書メモ】 「高校の物理」が一冊でまるごとわかる

仮に、あらゆる物事を’知識の織物’としてひっくるめるとして、それらが ’経糸(たていと)’の知識と’緯糸(よこいと)' の知識によって織りなされている ─ としよう。
このたとえに則りつつ僕なりの経験則で見れば、高校生あたりの思考の癖そして限界は、’経糸'こそ頑丈かつ連綿と長く長く継ぎ足していく一方で、'緯糸'はほとんど張っていないところ。
典型的な学校秀才ほど、ヨリ高くヨリ深く’経糸’ばっかしの暗記バカに陥りがちである。
それでも数学ならまだよかろう、どうせ数学は’経糸’がそのまま’’緯糸’にもなる、そういう縦横無尽の思考系だからだ(日本語の古典にもそういうところがある)。
だが、物理や化学さらに政治経済などでは、高校生ほか若年層を高度や深度ばかりの暗記バカに終始させぬよう、敢えて’緯糸の系を喚起すべきではないか…

…といったようなことを考えていた矢先に巡り合った一冊がこれだ。
『「高校の物理」が一冊でまるごとわかる 小川慎二郎 ベレ出版
’高校物理’の総ざらいをほのめかしつつも、本書はむしろ緯糸’としての応用知からそもそもの基本へと切り込んでいく形式の、なかなかの快作である。
各章が別個のクイズ形式を採っており、じっさいの工業製品における物理技術の概説もふんだん、それらから物理の基本をあらためて喚起していくつくり。
ゆえに、必ずしも教科書類のような段階的な原理法則の演繹本とはいえぬが、学生諸君にとってはむしろ小気味よい緊張感を以て’横断的な’知識欲を充足しうる一冊であろう。


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さて、高校生諸君は、力学の基本について例えば以下の根元的な疑念に突き当たったことがあるのではないか。
『あらゆる「力」が作用/反作用し合いながらいつかどこかで’つりあい’、いったん’つりあったそれらの’力がずっと均衡し続けるものとすると、あらゆる元素や物質の核分裂も核融合も起こらないことにならないだろうか?
そうだとすると、この宇宙の全物質は、原初のはじまり以来、物質はまったく変わらずエネルギーも変わらず、つまりなーんにも変わってこなかったことに。
(とすると、生物の出現もないので人間の出現もなく、だから物理の勉強で悩み続ける俺たちも存在しないことに……?)』

え?なになに?バカな論題を呈するなって?こんなすっとぼけた出題が大学入試物理で問われるわけがないだろうって?
バカはもとより承知の上よ、これは物理素人の僕なりにずーっとわだかまっていた'巨大な緯糸'としての疑念なのだ。
そして、今回紹介する本書のp.64には、本旨についてニュートンの運動第2法則に絡めて一応の解説がなされている。
いわく、「物体は運動し続けるものなので加速ないし減速する、だから力のバランスは必ず崩れ、よって速度変化(加速度)が生じる」由。
超概説に留まってはいるものの、なるほど言われてみればだ。
そして本書ではここから、物理選択の高校生なら誰もが知る力学の基本かつ集大成としての「運動方程式 ma=F」へと着地しているのである。
ひいては、位置エネルギー(ポテンシャル)→仕事の暫時性への了察も、振動エネルギー伝播としての波も、ここの理解があってこそではないか。

※ なお、僕なりの所感ではあるが、力のバランスが必ず崩れる云々は近現代思想におけるとてつもない真理のひとつともいえ、政治経済分野においても重大な根本命題となっている 。

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さはさりとて。
本書ではその’物体の力'についての「文面上の描写」がしばしば省略されているところ、ちょっと戸惑ってしまう。
例えばp.98にては、速い球ないし遅い球をバットで打ち返す場合の打球速度そして加速度について平易に論じつつ、運動量や力積の基本まで再考させる良問とはなっている。
しかしここでは、バットがボールに’接触する際の力'と’打ち返す力’が同義なのか否か、文意のみからでは却って分かりにくい。
むしろ、p.101にてずらっと併記されている一連の関係式を一瞥した方が、基本観念の総復習として望ましい。

またp.162以降では、等速円運動で地球を周回する球を仮想しつつ、球の向きや周期から向心加速度を導き、向心力をまとめて運動方程式に乗せており、このあたりは教科書や参考書に載っている例題のとおり。
だが、’速さと重力のバランス’という文意が曖昧に過ぎるようにも見受けられ、そもそも’球の速さ’が何を指しているのか ─ ’推進し続ける速さ’なのか’地上へ落下してゆく速さ’なのか、はたまたこれら同義なのか合成なのか、初学者には却って分かり難く映ってしまうのではないか。

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さて、本書構成における最大の特色は上に評したように「クイズ形式」を採った論説形式であり、だからこそ本書は知識の’緯糸'を喚起しうる一冊たりうる。
その最たる好例が p.270『雷は落ちるのか昇るのか?』であろう。
ここでは雷雲から地表に至るまでの電場と電子(電荷)の生成フローを包括的に描きつつ、静電誘導や電場の力線(強さ)そして電気力の位置エネルギーまで概説しており、どれも高校物理の総復習でありつつも、連綿と繋げていく物理「系」の楽しさを喚起してやまない。

またp.281『電池に蓄えられているのはなにか?』では、高校生の誰もが知っていようオームやキルヒホフの基本法則を再確認しつつ、電池の素材と起電力の相関も概説。
そして、社会人でも勘違いしがちな’電力'と'電圧'の次元の差異についても再考させてくれる。
略式ながらも諸々の図案と電池素材マトリクスが明瞭で分かりやすい。

※ なお、電力(W)が或る系の対外的な仕事/エネルギー次元としての’power'であり、起電力(V)はその系における電位差電圧'force'に過ぎない由、電機メーカをはじめ主要な技術産業にては営業担当であっても通念的に了解しおくべきものであろう。
少なくとも英語圏にて営業活動すすめるのならば必須。
かつて僕は電機メーカ時代に製品仕様書上のWとVを混同してギャーギャー喚き散らすような珍妙な営業部長にあたり、じつに不愉快な思いをし…まあそれはいいや。

さらに、p.293 『画面をタッチした場所がなぜわかるのか?』 では、スマホのタッチスクリーンを具体例に据えつつ、コンデンサと電気エネルギーの総復習に導いており、これもまた実際の工業製品を想起させつつ、絶縁体の誘電分極などの基本図案がわかりやすい。

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以上 本書についてごく掻い摘んで述べてみた。

もちろん最終章ではお馴染みの核融合と核子の質量欠損などについても図案入りの概説があり、多元的な論証もあり、ここいらに至ればなおさらのこと、ひとかたならぬ思考を触発してくれる。
ともあれ、本書の各章そして各クイズ問は教科書のような一本道の論証に留まらず、さまざまな実用例から基礎知識への回帰を繰り返しつつ、知識と思考の’緯糸を大いに増やしまた膨らませてくれよう。
さまざまな勉強の合間に、或いは大学入試を安生片づけたら、本書さまざまなページをパッと見開いてああこれは知っているとかいやぁこれは知らんかったと独り言ち、さらに友人たちとワイワイ楽しんでゆく、そういう’大胆な’(だからこそ’謙虚な’)学生時代があってもいいんじゃないかしら。


(おわり)

2022/10/08

【読書メモ】 税金の世界史

いわゆる「世界史」に必然は有るか?
必然は無かったとして、それでは方向は有っただろうか?
いや、特定の方向すらも歩んでは来なかったとすれば、いわゆる「世界史」など設定そのものが無為なのであろうか?

このように「世界史」は理科と比べてもおそろしく曖昧な、つまりとてつもなく難解な学問分野である。
しかし実体としては歴史経緯に’変動’があること、我々が日夜直観しまた体感してはいることであり、それではそのように実体の需給バランスを強制的に揺すぶって崩しうる力とは、いったい何か?
ひとつの重大戦犯は税制であろう、まさに税こそは、奪う者と奪われる者を分け、統治する者と統治される者を切り分けてきた、最も強圧的な人為システムであったはず
─ との大前提を僕なりにも抱き続けており、だからそういう本にはつい手が伸びてしまうのである。
此度紹介の一冊もそういう動機から手にしたものである。

 『税金の世界史   ドミニク・フリスビー  河出書房新社

さらりと途中まで読み進めてみたかぎりでは、本書は主として英国の政治経済史を課税/徴税の妥当性の観点から大雑把に論じたものであり、一見したところユーモラスな歴史譚のカラフルなエッセイ抱き合わせの体である。
しかしながら同時に、随所には猛烈な正義論もぶちまけているところ、筆致はなかなか痛快だ。

とりわけ本書にて税制の現代性としてクローズアップされているのが「所得税」であろう。
仔細には踏み込んではいないものの、第一次大戦以降の欧米諸国における政府支出の極端な増大に対処すべく、最重要な財源として所得税制の拡大が図られつづけて現在に至っている事実は、現代政治史そのものの実相解釈となっている。
さらに経済の現代性に着目すれば、産業効率化の経緯と目されるギグワーク型雇用の増加が続く半面で、所得税回避のためのデジタル・ノマドも増大化の一途、これらは産業界と税制との皮肉な拮抗と称せよう。
はたまた、国家統制からの回避を大前提として開発~普及が進んできた(らしい)仮想通貨技術やブロックチェーン帳簿などなど、いったい誰が/誰に/如何なる正当性に則り/如何にして所得税を課税し徴税しうるのか…、ここいらは世界史総論というよりは超現代的な断面図のいったんを垣間見せてくれて面白い。

なお、本書に臨むにあたっては、まずは読者なりに税の超基本的な定義分類をふまえておくべきであろう。
すなわち、経済利益にかかる収得税所得税や法人税など)、あるいは保有する財産にかかる財産税(固定資産税など)、あるいは消費にかかる消費税、さらにはモノや権利の取得/移転にかかる流通税であり、そして、とくに課税の水平平等性に基づく人頭税…そして極めて現代的な付加価値税(あるいは消費税)などである。
※ とりわけ本書は土地と(地主と)地代と税のかかわりが総じて不明瞭に映り、これらについて原書の作者がどこまで具体的に証しているのかやや訝しさは残るところ、よって留意はそれなりに必要。

あらためて、本書は自由闊達なエッセイの体であればこそ、税制の定義分類を段階的ないし時系列的に概説した論旨展開とはなっていないが、読者としてここいら了解の上で本書を読み進めれば、税の妥当性(そして不条理性)をさまざま見出すことも出来よう。
そしてそれゆえにこそ、いわゆる「世界史」の真の崇高さをも再発見しえよう。
そんなところ期待しつつ、僕なりに本書第7章まで読み進めてみた上で着目した箇所について、とくに章立てに拘ることなく、またさまざまな資産や税額の数値仔細はあえて引用は避け、以下にざーっと要約して此度の読書メモとして記す。




・人類初の体系的な徴税システムは、おそらくは古代シュメール世界の諸王朝における「十分の一税」であり、生産物の価値の十分の一相応の財貨あるいは労働を以ての納税が課されていた(実質上の所得税ともいえる)。
’十分の一’についての物理上の論拠は定かではないが、人間の十指が着想の原型であったとも考えられる。

なお、貯水池をめぐる戦争でウマに勝ったラガシュは、戦争が終わってもウマに対して貯水池利用料を税として課し続けた。
税の本質はこういうものである。

・税の出納管理の便宜上からこそ、あらゆる書字体系が発展していったとされる。
古代におけるひとつの集大成がロゼッタストーンの石板であり、ここにはエジプト戦乱後の税緩和の勅命が古代ギリシア文字とデモティックとヒエログリフで書かれている。

・もちろん、'究極の'課税システムは世界あまねく見られる奴隷制である。
人間のあらゆる資産も能力も骨の髄まで徹底的に収奪し、何もリターンは為さないのだから。

・古代ギリシアでは、インフラ整備増強や祝祭祈念は慈善と公共奉仕と自己犠牲によってこそなされるべきとされており、ゆえに、それだけの余裕のある大資産家たちが自発的に出資した。
アテネを最強国たらしめた無敵の三段櫂船の建造も、大資産家たちの率先した出資あってこそ。
一方で、彼らの所有資産の再分配が迫られることはなかった。
しかしペロポネソス戦争で費用がかさんだため、アテネは市民の財産額に応じた戦時特別税を強制徴収することになり、ここからアテネは公共奉仕も自己犠牲精神も廃れてゆき弱体化。


・ローマ帝国のハドリアヌス長城は、異民族への防護柵であるのみならず、異民族との交易における輸出入物品への徴税機関でもあった。
シナの諸王朝が築いた万里の長城も同じ目的を果たしていた。


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・イスラーム帝国が短期間に広く版図を広げた理由のひとつは、対峙していたペルシア帝国やビザンツ帝国において人々が重税に苦しめられていたため。
イスラームの征服領域内においては、ムスリムに改宗しさえすれば民族を問わず誰もがジズヤ人頭税を免除され、この寛大さが大人気を博して、改宗しイスラーム領域に移り住む人々が増えた。
一方で非改宗の異教徒からはジズヤを厳格に取り立てたが、それでも帝国が彼らを庇護しきれなくなった際にはジズヤが彼らに返還されることもあった。
ウマイヤ朝(アラブ民族帝国)にてもアッバース朝(イスラーム国際帝国)にてもムスリム人口は増え続け、土地の耕作が進み、版図は拡大し大繁栄。

しかし諸王朝が大散財を続けて拡大し続けると、イスラーム帝国域内にてはむしろ「異教徒が減りすぎてしまった」ためにこそ、却って税収も減少してしまい重大な財政難に。
やむなく諸王朝にてムスリムへのジズヤ免除措置が廃止され、重税さえも課されるようになり、しかも諸地域のスルタンなど徴税権力者たちの着服への監視はいい加減なもの、こうして帝国各地において人民は貧窮し逃亡、土地は放棄され、税収が激減し、軍隊組織も弱体化。
イブン=ハルドゥーンによる「歴史序説」のとおり。

それでも17世紀までは資産力と軍事力に優れたオスマン朝(トルコ帝国)がヨーロッパよりは優位を誇ってはいたが、以降のイスラーム帝国は強盛を失ってゆくことになった。

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・ヨーロッパ人種が14世紀以降に姓と名をともに名乗る ─ 名乗らされる ─ ようになったのは、人頭税を精密に徴税するため(あっちのジョンとかこっちのトムとかでは誰が納税したのかしていないのか判定しがたい)。
※ 世界のほとんどの人種民族はこの理由から姓名ともに名乗っているのではないか。


・十字軍の時代、ヘンリー二世はサラディンの脅威に対抗すべく軍事力強化の必要に駆られ、いわゆるサラディン十分の一税を定めて騎士たちの収入と動産に特別課税、これでイングランド王室が大いに潤った。
聖職者たちは免税だったので、彼らが敵に回ることもなかった。
しかもこの十分の一税は十字軍に従軍すれば免除との特典つきであったため、却って従軍騎士が増える効果もあった。

この余勢を駆って、ヘンリー二世の息子であるリチャード獅子心王は第3回十字軍を企画しこれに参加、だがエルサレム奪回はかなわず、帰国途中で捕らえられて神聖ローマ皇帝に引き渡されてしまった。
神聖ローマ皇帝が求める身代金に応じるため、イングランドではさらに苛烈な十分の一税とが別途設定され、あらたに土地税も導入され、しかも今度は聖職者までもが課税対象とされてしまい不興を買うことになった。

リチャードの弟であるジョン王はおのれの王座安泰のためさらに別の十分の一税を設定し、土地税などと合わせて大儲け。
さらに各州の長官からも大いにカネを収奪しつつ、見返りとして彼らに都市建設の自由などさまざま政治権限を付与していった。
そこで州長官たちはおのれらの政治権限を活かして各々各地で好き勝手な収奪に励んだ。

だがこのジョン王の治世は農業不作にもあたり、インフレ抑制のための貨幣改鋳も効果がなく、社会不安が高まったあげく、ついにイングランド北部の諸侯が王室との主従関係を拒絶して蜂起しロンドンを包囲占領。
追い詰められたジョン王は、カンタベリー大司教の神介のもと、諸侯と市民と教会への課税における同意ほか諸権利の保護にかかるさまざまな条項への同意を求められた。
諸侯との更なるいざこざや神聖ローマ教皇介入の過程でジョンは死んでゆくが、大摂政マーシャルの活躍もあってついにこれら条項がいわゆる「大憲章(マグナ・カルタ)」として発布されるにいたった。

なお現在のイングランドの法にては、大憲章の条項として残留しているものはわずか3つであり、他はすべて近現代史の過程で廃止されている。


・ペスト(黒死病)がイングランドを襲うと、農村部では農奴たちが大激減、だが領主たちも減少し、よって無償で解放された農奴たちが増えた。
また耕作地も減少してしまったため、農奴たちの需要が高まり、このため彼らは自由身分の農民として地主領主たちから賃金を得るまでになった。

しかし農民たちの経済力拡大をおそれた支配階層は、物価と賃金に上限を設定してしまう。
おりしもフランスとの百年戦争を継続中のイングランドは、軍事費補填のために人頭税を導入、とくに地主層のみならず農民たちからも万遍なく、しかも金納として徴収するもの。
危機をおぼえた農民たちは人頭税を回避すべく活動開始、ここからイングランドの農民一揆が始まり(経済力を考慮すれば農民一揆というよりは市民暴動か)、説教師のジョン=ボールはカンタベリー大司教に攻撃されつつも農民たちの不遇を訴えて協力者を増やし、人頭税不払いを広く説いてまわった。

ジョン=ボールやワット=タイラーらの首謀者は政府に捕らわれて処刑されてしまったが、しかしこの大暴動ののち、農民は金銭次第で自由身分の賃金労働者となりつつ、賃貸契約で土地耕作にあたるようになった。
また物価と賃金の上限は撤廃され、そして人頭税も廃止され、イングランドは百年戦争を遂行出来なくなった。
イングランドでは、こののち300年間は人頭税が課されることはなかった。

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・中世以来、イングランドの国民は家屋での炉の所有について何らかの税を教会に収めてきた。
名誉革命の前夜、財政難に陥っていた政府は全国民の炉所有に対して一斉課税を法制化した。
この炉税は悪評高かったため、名誉革命時には国民の歓心を煽るべく廃止された。
だが新国王ウィリアム(ウィレム)はオランダからの借金やヨーロッパでの同盟戦争準備や通貨危機を克服する必要があった。
ここで、全国民の家屋の窓の数がその家屋主の資産に応じていると見做し、今度は窓に一斉課税することになった。

この窓税に対処するため、大家主たちはおのれらの家屋の多くの窓を塞いでしまい、そこに集団で住み込んでいた労働者たちが健康を害するきっかけになった。
やがて産業革命時には、大都市に集中し集住していた労働者たちの多くが伝染病で命を落としていった。
(いつだってこうだ!こういうところ糾弾しない野党は何をやってんだ!)
じつに19世紀半ば、全国的な動議が展開するにいたってようやく窓税は廃止、なおフランスにも窓税はありこちらは20世紀はじめまで存続していた。
一方では、新たにガラス税さえもが課税されていった。


・イングランドでは宗教改革ののちに多くの土地所有が教会から俗人の手に移り、彼らが引き続き十分の一税をおもに物納として徴税し続けた。
19世紀に入ると、産業革命と所得税導入と通貨普及、さらに農業恐慌と農民貧困化によって、物納がむしろ非効率となり、1836年には金納に変わり、これが地代になっていった。
一方、フランスでは革命によって十分の一税が完全に廃止された。


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・20世紀に入るまでは、主要各国における対GDPあたりの政府支出は総じておそろしく少なく、フランスで13%、英国で9%、アメリカでは7%程度でしかなかった。
政府財源のほとんどが税収であったため、国民の税負担もぐっと少なかったといえる。
対GDP比での政府支出が増大したのは第一次大戦がきっかけであり、以降すごい勢いで増大の一途、よって国民の税負担も増大し続けている。

女性参政権が認められるようになったきっかけの一つは、第一次大戦中に多くの女性たちが労働に従事し、所得税を納税し始めたこと ─ 納税しているんだから参政権は当然よと。

現在の英国の中流労働者は、生涯のうち20年相当かそれ以上の年月を’納税のみのために’働いている勘定になる(およぞ360万英ポンド)。
この年月/納税負担は、領主などに納税義務を負っていた中世の農奴と変わらないが、とくに現代の「国民」は納税先に選択肢が無い ─ そこの国民であるかぎりは。


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ざっと、以上が本書第7章まで、そして末尾の数章をもあわせて読み進めた上での、僕なりの要約メモである。
ほんのこれらについて一瞥したかぎりでも、世界史の政治経済上の重大な動因のひとつが(しばし強欲なまでの)課税/徴税にあったことは容易に総括できまいか。

なお、第8章以降は名誉革命、アメリカ独立戦争、フランス革命、南北戦争、第一次大戦、第二次大戦、さらに冷戦期から現代まで、肝心かなめの所得税はもとより付加価値税VAT(あるいは消費税)などなどの導入までひろく論じられてゆく。
ざっと察するに、このあたりまでは大戦争を前提とした強圧的な徴税の正当性ないし不条理性について論じていよう、そしてここいらが本書のコアエッセンスのようにも見受けられる。

一方で第15章から末尾までは、むしろ超現代の税制と産業界テクノロジーにかかる功罪拮抗論の風であり、このあたりになると、世界史解釈というよりはむしろこれからの産業論についての予見的見解のようでもある。
また、ちらほらと随所におかれるユーモラスで皮肉館たっぷりのエピソード数々も、あくまで雑記の体ではあるものの捨てがたい ─ たとえば、温暖化対策と称するいわゆる燃料税などは、政権によるヒューマンな正当性のでっち上げ、バカ丸出しの強欲課税の端的な例、などなど。


以上