2012/10/25

男子は殴ってやればよい (アハハハ)

① 男子たるもの、一度や二度くらいは思いっきり痛い目に合った方がよい、と思っている。
理由は、在る程度の緊張感、恐怖心、スリルがあってこその、男の生き甲斐だからである。
サァ、これから思いきりブン殴ってやる!
気絶するかもしれないし、入院するかもしれん、でも、怨むなよ、みんなこうやって一人前になったんだぞ…
うーむ、いい世界観だ。
そんなの日本の悪しき封建主義だ ─ なんていう、その感覚がそもそも馬鹿、というか、古い、というか、非合理的。
だってさぁ、欧米なんか、みんな伝統的に滅私奉公の封建主義、メッチャクチャな軍国主義と自己犠牲の根性、よくも悪くもそれで世界を動かしてきた。
今だって、そうだろう…だから欧米諸国にはちゃんと軍隊がある。
むしろ、日本の方がすぐに甘ったれて、軟弱になる、と思われる (アジアはのどかなんだよな、もともと。)


もちろん、いつも目下のやつらを殴ってりゃ、そのうちに報復だってあるだろう。
そこに、スリルが有るってんだよ。
たまには、目上のやつを逆にブッ飛ばしてやりゃあいいのね。
相撲をみてみろ、ボクシングをみてみろ。
格下のやつが、格上のやつを容赦なく張り倒してんだろう?
そういう下剋上が許されてこそ、男はいつも緊張感を維持出来る。
そして、それが分かっているからこそ、観客はみなが座布団投げて拍手喝采だ。
今も昔も、変わりなく。
儒教なんか入り込む余地はねぇんだ。
だから日本人のテイストに合っているのかもしれぬ。
それを、どうして否定するのかなぁ?


② 暴力は、集団化し、暴徒化につながるから、よろしくない。
…という意見もあるのは百も承知。
でもね、自分を思いきりブン殴ったりネジ上げたりした奴をね、集団で報復しても面白くないのよ。
親なんかが出てきたら、もっと面白くないに決まっている。
てめぇ一人でカタをつけるところに、男としての誇りがあるわけよ。
いつぞやは、随分と世話になったな、オッサン、さぁ復讐してやる、覚悟しろ!って。

実は、男子はもともと矛盾しているのである。
矛盾しているがゆえに、男らしいといってもいい。
それはどういうことか、といえば ─
本当は男子は女子よりもずっと執念深いし、女子のようにみんな仲良し、大団円、などという世界にはなかなか到らぬもの。
得てして、負けた男は 「本当は俺が勝っていた」 などと死ぬまでウダウダと呟き続ける。
試合のルールが、間違っていたんだ、とか、本調子じゃなかった、とか、ずっとぼやき続けているものだ。
つまり…
男子は自分一人だけで決定的にカタをつけることに極めて拘ってしまうのだ。
チームなんかどうなろうが、部隊が勝とうが負けようが、本当はどうでもいいんだ。
俺さえスカッとすればそれでいいんだ。

と、まあ、どうしたってそういう手前勝手な心性からは逃れられないんだから…男子たるもの、たまには痛い目に合わせてやって、早くそういう男の流儀というかマナーを覚えるべきじゃないか。
「だからこそ」、あえて軍隊が在るのだ。
矛盾、そのもの、と言われても仕方ないのではあるが、軍隊においてこそ、一人ひとりを鍛えつつ、自尊心を活用し集結することが出来る。
もちろん、軍事やスポーツだけじゃない、どんな仕事だろうが、学術分野だろうが文化芸能だろうが、男の悦びなんて自分勝手なもんだ、と考えている。


③ そういうたった一人の、イチかバチかのスリルを知らない男というのは、そりゃあつまらんぞ。
名刺ばっかりバラ撒いてね、やたらと価格交渉や納期交渉の場面にばっかりしゃしゃり出て来てね、信頼がどうしたとか人間関係がこうしたとか、担保されるとかされぬとか、もうもう、実体はなにも分からないくせに半身で事情通ばかり気取ってね。これは、もう…主観的にも客観的にも実存的にも、本当につまらない。
実際、そういう連中は、ほんと、傍からみてもつまらなそーーーな顔してるでしょ?
これではモラルが低下するのも当たり前。
女のモラルはたぶん向上も低下もしないが、男のモラルはぬるま湯では低下する。
そうならないように、時々ブッ飛ばしてやるこそが、男子の教育には絶対に必要だと思っている。

まあ、さすがにボクシングパンチなどで殴ったら大事故に至るおそれもあるから、かるーく地面に押さえつけてバタバタと暴れさせてやるくらいが丁度いいんじゃないの?

以上

2012/10/22

女子は放っておけばよい


今の仕事に移ってから暫くの間、女子学生への学科指導が本当に難しいなと実感した。 
学科指導どころか、ただのアドバイスすらそう簡単ではないということに気づいてしまった。
最近はもう慣れてしまったので、あまり驚かなくなったが…いやいや、それでもやはり時々当惑させされることがある。
それは、どういうことかと言えば。

要するに ─ 女子はちっちゃい頃から既に人生のストーリーの大筋がもう出来上がっていて、それを局面や経緯に沿って具体的に展開しているのである(あろう)。
だから、外部要因による刺激や誘導が、じつに困難。
成るようにしか、成らん。

古代、中世から近代にかけて、世界の知識や学術は、成るようにしか成らぬもの 『ナトゥーラ』 から、意図によって変え得るもの 『アルス』 へと編成が進んでいったとされる。
が、これでいけば女子はずーっと 『ナトゥーラ』 のままである。
『 ナトゥーラ』 はすなわち英語の nature であり、mother nature なのであろう、か。

よくは知らないが、(性)染色体は女性がXXの対になっており、このうちXひとつが機能しつつ、もうひとつは全細胞で不活性化しているという。
これでちゃんと生命としてまとまり、人間という種の在り様を決めているとか。
これが正しいとすれば、男性の染色体XYにおけるYはむしろ「余計」な作為を人体に課していることになるそうな。
だから男性の方が人工的で、外部刺激に感応しやすく、しかも無理を続けるから概して早く死ぬ…??


男子というのは自身のストーリーを外部刺激によってダイナミックに再改編させることが可能で、その度に新しい自己を造っていくことが出来る。
そして間違いはすぐに消し去ることも出来るわけだ。
だから 互いに触発したり説得したりといろいろ仕掛け甲斐もあるってもの。
だが、女子には何を言ってもむだむだ。
たぶん、一貫した統一モラルのようなものが頑として在るので、そこから逸脱したものにはきっと聴く耳を持たずにシャットアウトしてしまう。
いや ─ むしろ自分たちこそが世界のモラルの中軸であるかのごとし。
こっちが疲れていたりすると、「先生、頑張って下さい」などと声をかけてくる娘たち。
こういう女子の言動に接して、なんだこのやろう!と思わず怒鳴ってやりたくなったこともあった。
が、しかし彼女たちからすれば、当然の施しということになるらしい。

暫く以前に。
ある娘がなんとか志望校に進学し、それで僕が素っ気なく「あー、よかったね、うんうん」 などと応対してやったら…
この娘が非常に不機嫌になって、 「なんで喜んでくれないんですかッ!?」 と大声をあげたのにはこっちがびっくりした。
最初っから(きっとどこまでも)、皆が祝福しあう素晴らしき世界、というストーリーになっているらしい。
「わかった、わかった、頑張ったよ、うんうん」 と宥めてやったのだが、それでもしばらくの間はずっと不機嫌だった。

ことほど、左様に。
女子はいつも完結しており、完結している以上は外部要因で誘導することもきっと出来ないだろう。
否、もともと誘導などする必要がない ─ まあ敢えていえば、適宜「補正だけ」を施してやれば、あとはほっといても普通のまともな世界に導いてくれる。
そう考えれば、むしろ安心して見守っていればいいのしらん?と気楽にもなる。


ただし、重要なことを最後に付記しておく。
もしも学科指導の相手が女子生徒ばっかりだったら、さぞや、楽しいだろうな……というのは傍から眺めてのこと。
実際には、いつもこちらが娘たちから監視されているような状態。
下手なこと言おうものなら、「この先生はおかしい」 「人間味が無い」 などとヒソヒソ声がおこり、それが公倍数となってこっちを包囲しかねない。
いやぁ、このシチュエーションは本当に辛い。
(だいたい、女ばっかしのパーティとかに行くの、イヤだろ?もう死ぬほどつまんないから。)
だから、担当の生徒たちの過半が男子だと、むしろホッとするんだよね。

以上