まず最初に。
毎年、センター試験ではいろいろな不祥事が起りますね、カンニングだの、試験問題の中途持ち出しだのって。
不祥事を起こした(起こさせた)連中は道徳とか信用などという観念そのものが希薄なのではないかな。
そんな連中から発せられる、まさか、とか、有り得ない、などというコメントも、どこまで信用していいか分からないし、あるいはそういう不確定性の高い「文化」なのだろう。
…と、まず自身から距離をおきつつ、その上でどこまでも客観者として記してみる。
しばらく以前、ある全国的に有名な個別塾に履歴書を持って応募に参じたことがあったが、その履歴書を学生アルバイトが何枚もコピーしているのを目撃して唖然としたもの。
しかも、その履歴書を出状の際に記した「遊び用」のe-mailアドレス宛に、わずか数日後に妙な金融業者から融資案内のメールが届いたので、「なーんだ、そういう文化の連中なのか」と納得したものである。
秘密保持も個人情報もあったものではない。
今般の政権交代によって、こういうおかしな「文化層」もある程度は是正されるかもしれないけれども…ともあれ、一貫性の無い文化や世界での話、だから事実面の開示を待って事後策を練るしかない。
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それはともかく、昨年同様、センター試験の社会科の出題についてどうしても留意しておきたい事項が有るのでここに記す。
まず政治経済科の出題について。
国際情勢についての時事問題が出るぞ出るぞ、とさんざ下馬評が立ちつつも。
あけてみれば、エジプトとアメリカとミャンマーかよ。
日本の尖閣諸島は、竹島は、北方四島は??
とくに北方領土問題など、現代史や外交にかかる問題としていくらでも出題出来るじゃないの?
なんでこういう地域についての時事問題を出題しないのか、まったく釈然としない限り。
まあ出題当局がどこの誰に遠慮してるのかわからないが、なんとなく妙な作為すら察してしまい、社会科講師の端くれとして憤懣の念が沸いてきてしまうのである。
まあ、来年に期待するか…。
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次は世界史だ。
まず世界史Aの第2問、設問Bにて。
「19世紀後半の朝鮮…朝鮮政府は国王の命を受け、漢文による『漢城旬報』を発行し…朝鮮の近代化政策の一環…知識層に広め…
1890年代以降、ハングルを使用した民間新聞が発行され、読者層が広がった。庶民の多くは文字が読めなかったが…」
とある。
さて。
ここでいう「庶民が読めなかった文字」はハングル文字を指しているようにも見受けられる、が、もしかしたら知識層が使いまわしていた漢字を指すのかも知れず、そこが判然としていない。 公表されているソースによれば
─ 李氏朝鮮の名君とされた世宗が定めた訓民正音(1446)は、むしろ庶民の文字として普及。
だから、しばらくのちに世祖が制定した王朝基本法である経国大典(1485)は漢字で記されたくらいである ─
よって本出題における、19世紀末の「庶民」が「読めなかった」文字は、じつは上層知識階級の使っていた漢字であり、訓民正音文字=ハングル文字は庶民もある程度までは読めた、と考えてもおかしくはない。
さらに。
第3問の問3において。よって本出題における、19世紀末の「庶民」が「読めなかった」文字は、じつは上層知識階級の使っていた漢字であり、訓民正音文字=ハングル文字は庶民もある程度までは読めた、と考えてもおかしくはない。
さらに。
「20世紀前半、日本は、朝鮮で日本語教育を推進した」
とある。
これは昨年の世界史Bでも出題されたクリティカルな出題コンテンツ。
なるほど出題文そのものは間違いではないだろう。
それにしても、日韓併合期に日本の投資に伴い朝鮮の数多くの教育インフラが整備されたことによってこそ、朝鮮人一般階級に訓民正音=ハングル(偉大な文字)を朝鮮で普及、公式化させることになったのも事実とされている。
以上から考えること。
せっかく世界史の出題テーマとして訓民正音=ハングルを取り上げるのならば、ヨリ総括的に社会階層における諸事情、漢字との関係、および日韓併合との関係までふまえて出題して欲しいもの。
それも、できるだけ学術的な裏付けに基いて、である。
そうでないと ─ あたかも日韓併合で日本語を押しつけたために朝鮮の下層庶民階級の訓民正音=ハングル普及が損なわれた ─ かのごとし誤解を学生に与えかねない。
まあこんなふうに考えるのだが、どうだろうか?
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次に。
世界史Bの第2問、問5について。
「セルビア人はバルカン半島に定住後、ローマ=カトリックを受容した」
という文の正誤判定が問われているが、これは公表された正答によれば誤文ということになっている。
しかし、これも釈然としない出題だ。
特に今回調べ直したわけではなく、以前から了解してきたことではあるが、やはり広く知られているソースに基づく限り、
─ セルビア人は概してビザンツ帝国やギリシア正教会の影響を受け続けてきたが、一方で常に現実的な戦略選択力に長じ、セルビアの王がカトリック教皇による戴冠すらも選択するなど、セルビア人みなが一枚岩として収斂してしまうことはなく、ビザンツ帝国やハンガリーなどの強国と巧みな外交戦略によって渡り合い、独立勢力として存続し続けた ─
つまり、少なくともセルビアの王権としてはローマ=カトリックを受容した経緯もあった、と僕などは了解してしまうのである。
ゆえに今般の出題は大雑把に過ぎるような違和感が残るのである。
以上、もしかしたらどこか誤解や間違いがあるのかもしれないが、そうであるのなら指摘していただきたいもの。