2014/01/13

新成人 2014



新成人の皆さん、おめでとう。
これまでの皆さんは、大人たちが書いた何冊もの本、たとえばご親族の道徳訓や学校の教科書などを頭の上に乗っけて、それで懸命に大人たちと背比べしてきた ─ かもしれないが、これからは違う。
もう背比べなんか、せずともよろしい。
むしろ、皆さん一人ひとりが本になっていく。

ものすごく文学的に喩えれば。
人生のステージに大小きらめく星座群を一つひとつ精緻に描き綴りながら、更にページを継ぎ足していく、そんな図鑑のような存在になっているかもしれない。
或いは、あらゆる知識経験を幾何学的に紡ぎ合わせ編み合わせた、壮大かつ深淵な絵画のタペストリーとなっている、かもしれない。
さらには、ハラハラドキドキ海へ山へと駆け巡るシンドバッドやガリヴァーのごとき冒険譚となっている、かもしれない。
そういうのがいやなら、誰かに頼み込んで、装丁ばかり立派な作品に製本してもらってもよい、かもしれない。

皆さん一人ひとりが決めていくこと。

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さて。
我々日本人には(と、いうか仏教圏には?)、不思議な信仰が根付いている。
世の中においておのれの為したあらゆる行い、その因果は、回りまわっていつか自身に返ってくる、という。 
「いつか、しっぺ返しをくうよ」と。

これは、ぐんと大局的に捉えれば真理のようにも聞こえるが、でも具体的に考えるとおかしい。
だって、化学物理の現実に則って何もかも変化し続け、それらの変化から生命や工業製品が暫定的に生成され続け、そして一人一人が別々の損得で市場経済に勤しみ続ける過程で ─ 或る個人の特定の所作がその本人に「そのままの形で返ってくる可能性は極めて小さい」。

大人の社会常識に鑑みれば、あなたが為すこと、為したことは、ほとんど再現も復元もされません
…いやむしろ、全く異なった、しばしば予期せぬ形において、何らかの別種のリターンがある、かもしれません、と言うべきか。
それが、「しっぺ返し」の真意なのだろう ─ そして成人するとはそういう世界の一員となること。

そんな「大人の現実世界」へのデビューだ、襟元を正せ、されど萎縮するなかれ。

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さらに言っておきたいこと。

やがて皆さんの多くは、至るところで「価値」だの「機会」だのという言葉にイヤっていうほど接することになるだろう。
あなたは大人なんだろう、じゃあこれらの意味も分かるだろう、などと強く説かれると、ああ、おお、ええ?…と狼狽してしまうこともあろう。
しかし、これらの言葉には厳密な意味など無い、だからいちいち悩む必要なし。

たとえば「価値」だが、これは新規開発した製品サービスのことでもあり、事業規模のことでもあり、おのれの利益のことでもあり、売買当事者の幸福感のことでもある。
それらの意味を巧妙にすり替えてカチカチ、カチカチとうるさい大人たちも居る、さらに全部ひっくるめてビジネスヴァリューなどと訳の分からないコンセプトを説くアホも居る ─ いちいちマジメに聞かずともよろしい。

さらに、「機会」という言葉も厳密な定義など無いぞ。
自分が何かを求めても一つの機会、何かを与えても一つの機会、合意も一つの機会、ケンカも一つの機会、サボタージュも一つの機会、和解も一つの機会…何をやってもその行為自体を一つの機会としてカウンタブル。
よって、ビジネスチャンスという言葉も全く曖昧そのもの、いちいち真剣に聞かなくともよい。

言葉あそびに幻惑されず、「いったい何が起こっている」のか、「何をすべき」なのか、そこんところに徹底的に拘ろう。
「誰が仕切っているのか」は、あとまわしでよろしい、だって、全ての「価値」や「機会」を仕切れる人間なんかどうせ居やしないんだから。

以上