2017/10/21

ちょっとだけフランス大衆文学

本稿は時代考証などいっさい意識せず、つらつらと書いている。
何がロマンで何が自然主義でなにがシュールであるのか、知ったことか。
その上で言うが、僕はフランスの文化芸術はあまり好きではない。
お気に入りは音楽のドビュッシーくらいだ。
いや、ドビュッシーであっても、リストの「ため息」や「愛の夢」に匹敵するような感傷の抑揚効果はあまり発揮されていないような気がする。

音楽などの感傷性はさておくとして。
フランスのいわば大衆文学」の"仕掛け"において、少なくともひとつ、僕なりに留意しているものがある。
それは、人生において誰もが抱えるささやかな「論理矛盾」が、そのまま市場にそして世界に演繹され拡大されていく、というトリックである。

たとえば、誰もが一度は読んだことがあろうモンテ=クリスト伯』は、私怨と復讐から物語を起こしつつも主人公の大出世までを書き抜いた、痛烈な冒険物語だ。
『レ=ミゼラブル』は、貧困と慈愛のちっぽけなストーリーから始まりつつも、資本主義と理性主義の相克および市民革命までを巨大なモチーフに据えてゆく。
さらに、モーパッサンの短編は市井の悲しみとおかしさを論いつつ、人間世界の普遍性を暗示せんとする。
と思えば、怪盗ルパンのさまざまな冒険譚は、(いわば)掌中のナイフひとつを元手に豪華客船や巨大戦艦を盗み出すような、そんな破天荒なものばかり。

モンテ=クリスト伯にせよジャンバルジャンにせよルパンにせよ、一敗地にまみれた屈辱からのスタートではある。
だが、ひとたび彼らが俗世の「論理矛盾」を見出せば、それらをそのまんま関数として様々な事象を大括弧で括りつつ、驚くほどの効率で白と黒をひっくり返してゆく。
挙句の果てに、世界の常識感覚にすら挑むほどの大どんでん返しに至っており、悪く言えば山師ともなりえようが、よく言えば革命児でもある。

なお、例えばイギリスの大衆文学などは真逆のアプローチ、かもしれぬ。
つつがなく常識的に完結している「はず」のシステムのうちに、何か小さなほころびが露見されると、それをも含め合わせたシステムに拡大させつつも、常識感覚は変わらないような。
(あるいは、皮肉にとれば007のようにほころびの抑え込みに奮闘しているような気がする。)

思い出しついでに挙げるが、よく知られる『十五少年漂流記』について。
こちらはフランス的な論理演繹とイギリス的な常識平衡を、ヒューマニズムという原初的な土俵の上で見事にぶっつけ合っており、そもそも「事件」のきっかけ論争からして必然性と蓋然性の衝突と見えなくもない。
大人になってからあらためて読み返したい一冊ではないか。

範疇分けなど最早どうでもよいが、『異邦人』『ペスト』もよく知られたフランス文学の傑作で、厳然とした自然界において論理性追求に限界ありと認めたもの、とされている?(だから不条理系などと冠されているのか)。
さらに思い出せば、『星の王子さま』 はわけのわからぬ物語、もしかしたらだが、物質の存在量が永遠普遍かどうかはともかくも、論理だけはどこかで全宇宙が一貫している…とでも言いたいのかな?

ここいらあたりでフランス文学らしさが終わってしまったのかどうか ─ 
いや、彼らのことだから、また新たに痛快な、しばし危険な論理矛盾をそのまま関数化し、宇宙のパネルや世界のタイルをパタパタとひっくり返していくのではないかな(頭の中では)。

以上

2017/10/03

【読書メモ】 パズルの国のアリス

パズルの国のアリス 坂井 公  日経サイエンス』
サブタイトルは、美しくも難解な数学パズルの物語、とあり、物語とはいっても数多くの単問パズルが次々と呈される編成になっている。
数学の難問が本当に美しいかどうかはさておき、僕なりに本書を手に取った理由は、データエラー検出や修復に用いる符号論理(ハミング符号列)がいくつかの解答案に引用されており、また別問にては「暗号における論理演算」の基本もカチッと引用されていて、インダストリアルな技術の源泉はやはり数学にあったのかと直観したため。

さてそれではと、本書にて続々と投げかけられる(超)難問に挑んでみれば、あらためて数学の複合的ないし多段的?な構成力に感嘆させられる、とともに、しばしば紹介されているいわば「エレガントな解法」に呆気にとられることも。
こうなってくると、たとえば僕が永年に亘り仇敵のごとく憎悪してきた整数論にせよ、ちょっとは自信があった確率変動にせよ、全体の多段的な構成にてはあくまでひとつの調整弁に如かず、と、しばしため息が漏れ出でてしまうほどである (だからといって僕自身が数学好きになったわけでもないし、こんごも好きにはなれそうもないのだが。)

そもそも、何を前提命題とし、いかなる解法を投入させ、どこまで至れば正解を成すのかというパズル化において、数学ほどに自在な思考体系は他にあるまい。
少女アリスが次から次へと難問のワンダーランドに迷い込んでゆくという本書ならではの演出にせよ、若さ、直観力、飛躍力への誘いの趣きか、かつ、絶妙の問題設定の数々はカードゲームなどのプログラム設計をも想起させてやまない。

さて、以下にいくつか引用する此度の読書メモにては、本書のパズル形式の性質上、とくに前提と解法と正解を切り分けずに、概括的に列記してみることとした。




第18話
真の金貨と偽の金貨が一定数在るとして、その真偽判定のために最も効率的な計算手順を問うもの。
…といえば極めて簡単そうだが、ここに「無効な計測結果が混入しているかもしれない」 との前提条件が付加されており、それでも真偽判定の計算手順は変わらないだろうか、と問いかける

本問への解答案として引用されているのが、無効レコードの検出に活用される「ハミング符号」である。
ハミング符号につき、(僕なりにはるか遠い記憶を手繰り寄せつつ)思いきり要約するに ─ 2進数ほか或る進数の或るビット長における演算結果が白か黒か、を判別するためではなく、「白でも黒でもない演算結果を検出し、だから件数勘定から排除も出来る」ための符号順列…じゃなかったかな。
そうであれば、ハミング符号は、「それら以外では存在しえない(起こり得ない)はず」の最小限の進数/ビット長の順列である。
本問は前段部にて、3進数4ビット長のハミング符号の順列が概念投入されており、また後段部にては2進数7ビット長のハミング符号順列が誘導されている。
さぁ、これらによって「無効なデータが黙殺される」としたら、金貨の真偽判定のための計算手順は変わってしまうか、それとも変わらないか?

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第6話
こちらは、上にあげた第18話にて挿入されているハミング符号の順列を、ヨリ多段的に応用したもの。
7人が頭に戴く冠の色が、白か、赤か、これを2進数7ビットで表現できるというところまではすぐ思い当たるとしても、「どっちかわからない」とのオプションあり。
たとえ「わからない」が含まれていても、2進数7ビットのうちハミング符号は16列しか無いのだからこれを上手く活かせ、と誘う解答案は、かなり閃きの難度が高いのではなかろうか。
それどころか本問は、おのれの冠の色を当てるか外すか或いはわからないで通すかによって、ゲームの利得が変わってくる、との条件付きであり、ここまで込み入ってくると、解法を読みおおせてみても了解は難しいのではないか。

※ なお、ハミング符号、完全符号などなどエラー検出の数理論については、p.27の末尾にも概説の一端が有るが、総括的には行列とベクトルによる符号理論として体系化されているようである。
こういうのが好きな人は、どんどん深みにはまってゆけばよかろう、また、自分でなんらかの数理ゲームをデザインしてみようなどという変人にとっても、なかなか愉快なトリック源たりうるのではないかな。

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第21話
0から15までのカードのどれか1枚を、16枚のコインの表裏の出方によって仲間が言い当てる、というトリックゲーム。
これもじつに誘導的な設問になっていて、16枚のコインのうち1枚を故意にひっくり返すと、それが仲間に対してのカードNo.の合図となっている、という。
いったいどんなトリックなのだろうか…ここで解答案として導入されているのが、いわゆる「排他的論理和」の演算である。

例えばだが、初めに裏になってしまったコインNo. と、当てるべきカードNo. と、この両者まじえた排他的論理和を2進数にて演算し、この演算結果「番目」のコインをあえてひっくり返す。
その上にて、仲間がこれらコインからあらためて排他的論理和を演算し、それから10進数に戻すと、その数が問題のカードNo.にぴたり一致する、というトリックだ。
本当にそうなるのだろうか、いや、おのれがコンピュータになったつもりで演算してみればよい。
とまれ、排他的論理和のコンセプトそのものではなく、これを千里眼のごときトリックに応用するという飛躍センスこそが、「超」難しい。
(こういうロジカルトリックこそが、ロープレやカードゲームにふんだんに仕込まれているのではないかしら、よくは知らないけれども。)

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第13話
本問は題意そのものがちょっと捕捉しにくい。
或るアナログ円時計の長針(つまり「時針」)と短針(つまり「分針」)の長さがまったく同じである、として、このどちらの針も分刻みの目盛りまで正確に指す、とする。
この前提にて、「何時何分を指しているのか判別できない」タイミングは1日24時間のうちに何回起こるか?
…というのがおそらくは題意であろうが、残念なことに例示的な図案が呈されていないため、「何時何分か判別できない」とはいかなる状態であるのか、アナログ的にイメージし難い。
例えば、2時30分頃なのか、はたまた6時12分頃なのか、こういうのが時間判別できないタイミングの意ではないか、とも察せられるが。

それでも、とりあえず代数計算によって解法は確立されている。
或る t時 までの時針と分針の回転数をまず定義、かつ、別の s時 までの時針と分針の回転数も定義する。
時針と分針がともに分刻みの目盛りをピタリと指す、そのタイミングこそが、何時何分か判別出来ない時である、とすると、つまり時針と分針がともに整数であるタイミングだ、さぁその回数は0時~24時までの間に幾つ有るか?

─ なるほど、こうやって見れば実に簡単な代数によるとデジタルな解法である、が、本書では仰天するような別案も紹介されていて、それはなんと、分針の12倍の速度で回る「第三の針」を想定して、これが時針に重なるタイミングおよび分針に重なるタイミングを数え、その勘定数をもとに本設問の解法に向かう、というものである。
こういうのがデジタル思考の発展形であるのか、いや、もしかしたらアナログ的な大飛躍なのかもしれぬが。

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第4話
これは本書にても典型的な複合問題のひとつであろう。
トランプカードの神経衰弱ゲームで、2人が交互に自分の番に裏のカードを2枚ずつひっくり返し、もしその2枚の数が合致したらそのまま続けて次の2枚に挑む
…というルールであるが、これは細かく場合分けすればもうちょっと戦略的に込み入っていて、「おのれが既に表の数字を知っている」カード1枚を捲るか、「全く未知の新たな」1枚を捲ってみるか、これで戦略がまず変わる。
「全く未知のカードを1枚捲ってみた」場合に、続く2枚目のカードとしては既に確認済のものを捲るか、あるいは全く未知のものをランダムに選ぶか、このどちらかによっても「成功の期待値」が変わってくる。
もちろん、こうして挑んだ2枚目が当たりか外れかによっても、「更なる成功の期待値」は変わってくる。
では、この神経衰弱にて、出来るだけおのれに有利にゲームを運ぶためには、どういう戦略をとってゆけばよいか…?!

ちょっと考えるだけでも頭がどうにかなりそうな難題だ。
解法の道筋としては、裏返っているカードの残数(2の倍数として)と、既に一度は捲ってしまい表が分かっているカードの数をまず定義、この「両者の数値によって勝率全体が決まる」、としつつも、各局面ごとの成功の確率もまたこの両者の比によって別個に変わってくる、とする。
こうして、確率変動と期待値の項を複数足し合わせた(あるいはマイナスした)形の漸化式をつくり…

本問はとにかく多段的というべきで、付録的に提示されているカード枚数(残数)と期待値の実践的なマトリクスに、目が眩みそうである。
さはさりとて、これもまたカードゲームなどにおける実践的な数理アプリケーションたりえよう、そして本設問と解法はけして突飛な飛躍を課すものでもなかろう。

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第34話
これは暗号演算の数理の一つで、いわゆる3パス・プロトコルの適用だ。
もう設問までいちいち引用するのも面倒になったので、3パス・プロトコルの数理手法について本書引用の箇所をさらりと紹介しおく。

或る平文を c とし、これを暗号化したものを、暗号文 d, e, ...  とする。
送信者Aの目的は、この平文c を暗号化して受信者Bに送ることであり、受信者Bの目的はそれを復号化して元の平文cを入手すること。
暗号化の鍵関数として、送信者Aは関数f逆関数f- 1  のみを知っており、一方で受信者Bは関数g と逆関数g- 1 のみを知っている。
さて、送信者A は、平文cを関数f暗号化し、d = f(c) として受信者Bに送る。
B は、この暗号文dを関数gで暗号化し、暗号文e =g(d)=g(f(c))=f(g(c)) をAに送り返す…ここのところ、暗号文の暗号化であり、本方式の絶妙テクニックである。
Aは、この暗号文eを逆関数f- 1 復号化、z = f- 1 (e) = g(c) としてこれを再びBに送る。
そこでBは、 z を逆関数g- 1 で復号化、元の平文c を手に入れることが出来る。

見事なものだ、復号化するための逆関数を「AとBは共有していない」のに、Bはちゃんと復号が出来ている!

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以上、ほんの一欠片には過ぎぬが拙くも引用してみた。
数学思考の強化に充てるもよし、またゲームデザインのヒントに活かすもよし、これまで以上に数学を憎むもよし、とりわけ学生諸君には、僕の代わりに一問一問ぶっつかってゆくことを祈念しつつ、僕自身はもう当分は数学には手出ししないでおこうと思う。

なお、本書は初版が2014年末で、既に続編本も出ているようである(やはり超難問数学パズルのヴァラエティに富んだ連弾集だそうで)。