2023/01/22

2023年 大学入試共通テストについての所感

大学入試の学習指導にあたりつつ、今年も共通テストの政治経済と世界史を「きっかけ」に据えて、僕なりの勉強論と思考論を簡単に記す。

総じて、投入されるべき知識・命題の分量は昨年以前と比べてもさして変化はないものの、今回はとくに「会話文」「資料」「要約メモ」といった多段的な出題テキストの構造が相応に凝ってはいる。
しかしながら諸々の設問を確かめてみれば、それら多段的なテキストにおける諸々メッセージを事実(史実)のエッセンスに帰納させるものはほとんど見当たらず、ましてそれらを紡ぎ上げて近未来の世界像を演繹させるものは皆無であり、むしろほとんどの設問は昨年以前と同様に断片知識の照会(再確認)クイズに留まっていたのが惜しまれる。

たとえ共通テストの使命が減点法に則った得点序列化であるにせよ、採点効率を図った選択肢型の設問やむなしにせよ、せっかくの多段型テキストなればこそ、事実(史実)のエッセンスあるいは近未来の世界像を論理的に質すタイプの設問を大いに増やして欲しいもの。


上のような所感を抱くに至ったとびっきりの理由がある。
1つはロシアとウクライナ(つまり旧ソ連)を巡る戦争であり、もう1つは昨今の中国である。
どちらについても、今回の共通テストの政治経済と世界史にてはこれっぽっちも触れていない。
社会科のテストとして、これは異常な事態ではなかろうか。

ロシアとウクライナは昨年の両国開戦からほぼ1年が経過しており、戦争のファクターは歴史的にまこと重層し、そしてその影響もエネルギー源や食材などなどじつに多元的に世界拡大しており、まさに国際政治の限界であり国際経済の実相であり、世界史の正体ともいえ新展開ともいえる。
世界はさまざまなwin-win関係の掛け合わせによって練りあがっていく、との言質があるが、むしろこの戦争によってさまざまな財貨がwin-loseによる割り算ばかりが進行している。

中国の現実についていえば、もともと中国が保有するさまざまなモノの物質量および人口は他国と比してもとてつもなく多様かつ莫大なはずだ。
しかしながら昨今の中国では、カネまわりが極端に偏り(不動産への投資/投機などが優先され過ぎた挙句に大失敗)、それゆえに多くのシナ人は仕事とカネが減り続け、それゆえにおそろしい勢いで人口を減らし続けている。
こちらも財貨と人間の掛け算は放棄されたがごとくであり、割り算と引き算ばっかし続いてやんの。

これらいずれも、世界における「スーパースケールの不条理」だ。
スーパースケールの不条理ゆえにこそ、大学入試共通テストでは意図的に不問に伏しているのだろうか。
いや、むしろ共通テスト社会科なればこそ、これら不条理について学生諸君に大いに問いかけるべきではないのか。
巨大な不条理にいっさい触れない社会科など、いったい何の意義があるのか?!
いわゆる一流高校の教職員たちは、本旨について大いに疑義を抱いて頂きたい。
また予備校関係としても、東進や四谷学院などはいさ知らず、駿台や河合塾などの自称・一流講師陣ならば本旨について大いに再考して頂きたい。
※ これからやってくる早慶入試の世界史が楽しみだなぁ。


それでは例年のように政治経済と世界史について、僕なりの従前からの拘りにも駆られつつ、以下にちょっとだけ具体的に論ってみることにする。


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【政治・経済】

<第1問>
問1にて、マルクスのいわゆる’階級分化’論として「生産手段を有する者と有しない者、つまり資本家と労働者」うんぬんとあるが、バカじゃねえのか?もともと’科学的に’物理学や生物学に則っていえば、どんな人間だってなんらかの「生産手段」は持ち合わせているんだよ、たとえ一時的にカネの偏在は起こるにせよだ。


問2は諸国における’実質GDP成長’、’一人当たり実質GDP’、および'政府債務残高対GDP比’を併記したもの。これらそれぞれの因果の有無を考えさせれば良問たりえたし、さらに貿易はどうか、外為はどうか、労働人口は、平均寿命は…と加味していけば複眼的な考察がさまざま楽しめるスケールの大きな出題となりえたであろう
しかしながら本問は、日本の「低成長が常態化」「政府部門累積赤字の拡大が議論の的に…」で片づけられており、なぜそう判断できうるのか(ホントにそうなのか)考える余地を残していない。せっかく良フォーマットを据えての出題なのにどうして設問がこう浅薄なのか、あるいは特定の思考への誘導意図があったのか…


問3では輸出品目の大分類の国際比較がなかなか良い。機械類と精密機械の違いは何だろうと考えさせるきっかけたりうる。しかし、「日本は加工貿易で経済発展」との表現が意義不明瞭。そもそも、いかなる工業だって物理学上も化学上もなんらかの物質「加工」に決まってんのよ。


問4はいわゆる’温室効果ガス’排出ゼロの政策誘導について。皮肉を込めて評すればこれは大良問といえよう。そもそも’温室効果’とはいかなる天体間および物質間のいかなる反応を指すのか、’化石燃料’とはいったい何か、また’再生可能エネルギー’なるものが物理上ありうるのか ─ これらについて社会科で言葉遊びに終始することなく、バカみたいな政治家に問い質したりせず、ちゃんとした産業や官公庁あるいは理科教師たちに教わるべきであろう。


問7は公正取引委員会について制度面をさらりと論じるに留まってはいるが、じつは独禁法こそは地味ながらも日本の(世界の)重大事項である!総じて「経済法」とも称される独禁法の自由競争との相克、市場への過度な干渉リスクなどなど、こんごの産業界のありようを静かにしかし確実に変えうる重大ファクターといえよう。だからこんごの受験生(とくに法学部志望者)も独禁法について是非とも意識を払って欲しい。



<第2問>
問4は需給曲線について。今年の出題にては或る財貨の「グローバル化」に対抗するために政府が価格上限をおきつつ、供給数量も抑えるとの設定だ。なるほど需給曲線上の推移は驚くほど簡単。
しかし本設問の真の意義はむしろバックボーンにある。グローバル化に抗するために自国の相当品の価格/数量を縮小させる政策が常に妥当なのか、またこの財貨の供給者に対しては政府が如何に補償するのか…本問ではいっさい説明がなされていないが、だからこそこれからの受験生は深く洞察すべきだろう。


問7にては、日銀による日本国債の引き受けの合法性と妥当性が問われている。いつでもどこでも賢者もバカもが参戦して、インフレになっちゃうとか、なるわけねぇだろうとか、それよりも財政破綻の危機こそが重大だとかそんなことは起こらねぇとか ─ 退屈な談義ばかりを繰り返している幻惑的な論題のひとつ。
しかし、まともな学生諸君はよく理解して欲しい!
そもそも、「通貨」の「価値」はあくまでも人間による論理表象でしかない。よって、「通貨建てのさまざまな債権」もまた「債務」も論理表象にすぎない。電荷や万有引力のような物理上のプラスマイナス相反特性は有していない!
論理表象にすぎぬがゆえに、「債権/債務」と「通貨」の多寡や所在や流動速度のみによって「万物の実在」が激しく減少するわけがないし、そうならない以上は財政が破綻するわけもない!
(いちいちインフレだの財政破綻だのと煽っているメディアや教育関係者は悪代官や奴隷たちとまったく脳構造が同じなのだろう。)




<第3問>
問7はいわゆる「表現の自由」と「事実報道の自由」と「知る権利」の憲法保障上の正当性について。この論拠として、公共の意思決定におけるさまざまな自由意志と多数決プロセスを広く詳らかにすべきであるためとの判例。
なお本問にて面白いのは設問文で、諸々命題に対する憲法21条適用の真/偽(部分否定と全否定)を問い質しており、簡易ながらも論理パズルとしての良問である。政経科においてとくに法解釈は論理上の峻別力が大いに求められるものゆえ、こんご同形式の出題が増えることを大いに期待。


<第4問>
いわゆるSDGsについての出題がずらっと続くが、<第1問>の問4と同様、科学的にどうにも納得しかねるものばかりだ。
しかもこちらの問4にては、「グローバル企業」、「世界に広がるサプライチェーン」、「さまざまな経営資源」、「’効率的な’調達」を謳いつつも、一方では「サプライチェーンが広がり複雑化」「発展途上国の労働者」「’不当な’労働条件」とも指摘しており、何が主張されているのかどうにも分からない。
そもそも一般社会や産業界にては、’グローバル化’において財貨の多様化を危惧する人々もいれば、画一化(価格競争)を危惧する人々もおり、本問ではここが判然としていない。さらに、’効率化’というタームには論理上の意味はあっても物理上の意味は無い。ちゃんとした大学を真面目に狙う受験生諸君ならばこのくらいはたちどころに気づくはずである。


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【世界史A】
社会科教育の目的がさまざまな事実(人間行為)の複合による真理探究であるとするならば、あらゆる地域の資源と文化要件を横糸で繋ぎ合わせてゆくはずの世界史Aこそは地理と並んで最も重視さるべき科目といえよう。
だから僕なりにも世界史Aには以前から着目しており、ファンでもあり、ゆえに今回の出題も楽しみにしていた。
なるほど今回も出題テキスト文にはちょっと’読ませる'歴史譚を見出しえたし、とくに「会話文」「資料」「メモ」の多段構成のテキストそのものが楽しい ─ それでもやはり散在的な断片知識を質すに留まるものが多かった。


<第1問>
問題文Aは1867年パリ万博とフランス印象派、そして日本の美術工芸品(ジャポニズム)と陶磁器振興について語っており、この時代の実相を文芸面から繋いで論じる良テキストといえよう。さらに、ルノワールとレンブラントによる作画を並べつつフランス印象派を問うているところ、設問としては平易だが、視覚上の記憶の重要性をあらためて喚起している。
世界史Aはこうでなけれなならぬと感じ入った次第。

問題文Bは明の冊封下で李氏朝鮮が建てた(名付けた)迎恩門について。清の冊封下から脱して成立した大韓帝国がこれを取り壊して’その跡地’に独立門を建てたというところ、朝鮮文化の重大な特性が見て取れる。

なお、琉球が清に(中国諸王朝に)服属したとの一文が例年のように設問に引用されているが、なぜこう執拗なほどに念押しを続けるのか、そして琉球と日本の関係を併記しないのはなぜか、そもそも’服属’とはいったい何か?’冊封’とは?'朝貢’とは?ここのところはどうにも後味が悪い。


<第2問>
問題文Aは設問にて「政府による経済規制を’減らす’レーガノミクス」、とあるが、ホントかね?むしろレーガノミクスは、金融引き締めによるインフレの抑制および、軍事費歳出の拡大と失業吸収を図った、政府主導の(ケインズ型の)内需拡大政策でしょう。

問題文Bは地理学と国家観と国民意識の連関をさらりと記したテキストが軽量ながらも実にチャレンジングだ!此度のようなちっぽけな知識クイズに留めることなく、もっと全世界・全時代へと縦横に連関させた大テーマとして出題して欲しかった。そうしてこそ世界史Aではないか。

<第3問>
問題文Aはパキスタンとバングラディシュを地理的にも歴史的にもきちんと峻別しているかを質す良問。

問題文Bはせっかくロマン主義(バイロンなど)とヨーロッパ近代に触れるのならもっと広げた文化思想史に練り上げて出題して欲しかった。

問題文Cでは、鄧小平の活躍期間の長さが意外な盲点である。大躍進、不遇の文革期、「改革開放」、さらに「社会主義市場経済」の唱道まで。
しかし「社会主義にも市場はある」うんぬんの言はバカだね、そもそも社会主義だろうが何主義だろうが人間が複数存在する空間ならば必ず市場があるのよ。バカバカしくて真面目に学ぶ気になれないよね、だから受験生諸君もこんなものはとっとと忘れちゃいなさい。


<第4問>
問題文Aはペリー黒船とスエズ運河開通と明治維新の時系列を問い、さらにスエズ運河国有化と中東戦争のかかわりも質しており、スエズ運河に纏わる歴史の重層を再確認できる良問である。


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【世界史B】
こちらも出題テキストは「会話文」と「資料」と「メモ」の多段構成が楽しいが ─ それでもやはり散在的な断片知識を質すに留まる設問がほとんどであった。


<第1問>
問題文Aは第一次大戦後の女性参政権の拡大について。この理由として工場労働者→社会進出が増えたためと指摘している本テキスト記述は舌足らずであり、じっさいは女性たちによる所得税の納税額が大きく伸びたためにこそ、政府も議会も女性活用に積極的になった。


<第2問>
問題文Aはフランスのカペー朝からブルボン朝までの王家血統、その’紋章’登録料の徴収による絶対王政強化の試み、宗派(ユグノー)のかかわり、対外戦争とフランス財政…といったところを綴っている。せっかくこのような政策と財政のお多元的アプローチを起こしておきながら、設問が断片的な知識クイズに留まっているのがじつに惜しまれる。むしろ近代フランス財政論をひとつの軸に据えた出題とすれば大良問たりえたであろう。


<第3問>
問題文Aにて、マクロン大統領によるナポレオン批判の一部が引用されている。そもそもフランスにとってナポレオンは国民国家と民主主義の英雄たりうるのか、あるいはマクロンが評するように奴隷制を復活させた横暴な独裁者であったのか、そして一方では、(イギリスを除く)ヨーロッパ諸国にとってナポレオンは中世型の伝統文明を叩き壊した侵略者に過ぎなかったのか…
社会思想の相対化と画一化(左傾化)が大いに進行中とされる現下のヨーロッパ諸国において、さまざま論われるナポレオン評こそはその人たちの政治志向における一貫性ないし断裂性を探る重大な試金石たりうるかもしれず、そう捉えなおしてみれば、本テキストこそは世界史近現代のエッセンスから近未来まで併せて考えさせる絶好の教材たりえよう。


<第3問>
問題文Aはソリドゥス金貨をひとつのフォーマットに据えつつ、西アジア~地中海の宗派と主要民族を探らせるもので、これも第2問の問題文Aと同様、諸王朝の軍事拡大と財政について多元的に考察させうる論題たりえたであろうが、実際の設問はビザンツ帝国とウマイヤ(アラブ)帝国についての超大雑把な問い掛けで片付いてしまうところが実に惜しい。


<第5問>
問題文Aは世界恐慌直前期のアジア植民地とそれらの主要輸出先をまとめた表が素晴らしい。アジアの人口増とインドシナのコメ、アメリカの自動車大量生産(タイヤ生産)とマラヤのゴム、などなど。この表に則って、さらに第二次隊正誤のこれら諸国の主要産品と仕向け先まで併記すれば、本問は大良問たりえたであろう。しかしながら本問も設問が淡泊に留まってしまっている。

問題文Bは17~18世紀に亘るイギリスの農村人口と都市人口が「併記」されており、ちらっと一瞥すればこれこそ世界史にふさわしい多元的な論題とも映るが、設問にて本格的に質している知識はノーフォーク型のフル稼働農法とアイルランドジャガイモ飢饉に過ぎない。
なお問4における’農業調整法(AAA)’は、通常はアメリカ大恐慌時における農業生産量/価格の調整政策(農民救済政策)とされているが、「同名称かつ同旨の政策は18世紀後半のイギリスでは一度も遂行されなかった」と断定出来るのだろうか?「穀物法」についても同様の疑念は残る。


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ついでに、英語について。
大学入試の英文読解にては、一見したところ「語彙の量」が年々増え続けてはいる。
しかしながら、最も先鋭的な英単語がずらっと連なる早稲田理工や慶應SFCの入試英文でさえも、既得の思考をぶちやぶり真理探究を触発するような斬新な論題はあまり見受けられない。
ましてや共通テストの英文解釈であれば、語彙がどれだけ増えようとも深淵な論題など期待しうるはずもなく、理科や社会科の知識をある程度以上おさえている子ならざーーーっと斜め読みするだけでハイハイと全貌を掴んでしまうのである。
いろいろ論評してもつまらぬばかり、以上おわり。


(物理と化学についてはまた別稿にて)

2023/01/09

新成人 (2023)


成年年齢が18歳となって、初めての「成人の日」。
いわゆる少子化が進み、だから成年人口も減り続けてはいる。
この意味はいったいなんだろう?

人間という「実体」が通貨や多数決議会などの「論理」に反旗を翻し続け、だから人間の個体数とバラつきを減らしてきたということか?
あるいは逆に、通貨や多数決議会などの「論理」が人間という「実体」を侵し続けてしまったからこそ、人間の個体数とバラつきが少なくなったのか?
ならば、かつて人口が増大してバラつきも拡大していった時代局面では、「実体」が優位に尊重され続けてカネや政治などの「論理」を抑え込んでいたのだろうか?

どう解釈すればよいのか、どうにも分からない。
分からないながらも、「実体」と「論理」について思案を続けているうちに、新成年の諸君らに伝えたいことが一応はまとまった。

昨日まで子供だった諸君らにとって、「実体」と「論理」は一緒くたの不可分だった。
というより、すべて「実体」そのものに映っていたことだろう。
しかし、成年に達したということは、その彼/彼女にとって「実体」の次元と「論理」の次元が完全に分離したということ、そして、これらどちらもともに生きなければならぬということである。

だから、此度は「実体」と「論理」について、ちょっとだけ理屈をおいてみよう

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あらゆる物質も物体も、そして我々の肉体もまた脳神経すらも、1度に1つ限りの自然な「実体」である。
たとえば、遺伝子や細胞はむろんのこと ─ 水や食材、薬剤、電磁波、核、熱、鉱物、イオン、木材、鉄鋼、コンクリート、ガラス、プラスティック、機械類、半導体や導線、火力兵器、核兵器、ウイルス物質、ワクチン、さらにスポーツや絵画や音楽や文学などなど。
これらは何らかのエネルギーから起こり、何らかのエネルギーに転化もできる、だからこそ「実体」といえる。
日本国、皇室、日本人、お正月、アメリカ人、イギリス人、フランス人、ドイツ人、ロシア人…そして伝統文化や社旗規範なども「実体」。

「実体」は、途切れることなく連綿と変化し続けてはいるが、どこまでも有限の存在でもある。
変化し続けている以上は、「実体」それら自体をデジタルに均等細断することはおそろしく困難、ましてや有限の存在ゆえ、完全無欠の複製や流動や組み換えや復元はもっと困難、(素粒子レベルで本当に復元できようか)。

君たちは「実体」として生まれ、「実体」として育ち、「実体」として成人した。
「実体」として走り、「実体」として跳び、「実体」として「実体」を見聞し感受し、「実体」に対して右ストレートや左フックを叩き込み、「実体」を掴んで抱えて上手投げや下手投げを繰り出し、「実体」をぶっ叩いて場外ホームランを叩き出し、「実体」を蹴り飛ばしてオフサイドギリギリのシュートを放つことも出来る。


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一方では、成年なりたての諸君を大いに惑わしうる「論理」について注記しておこう。

「論理」はどれもこれも人間が考案した観念でしかない。
たとえば、数学とか言語とかソフトウェア(デジタル)とか、通貨とか価値とか税とか証券とか保険とか、法とか権利とか義務とか、多数決とか議会とかメディアとか…
さらに、国際金融資本、アメリカ合衆国、ヨーロッパ連合、ウクライナ政府、中国共産党、国際連合、NHK、感染者数、などなど。

人間考案の観念にすぎぬがゆえ、あらゆる「論理」は無限を前提とし得る。
無限の「論理」ゆえにこそ、作為的に意義や文脈を無視してデジタルに均等断裂が出来、なんぼでもシャッフルして組み換えが出来、さらに複製も流動も自由自在、そしていつかどこかで完全復元もOK ─ ということになっている。

「論理」のほとんどは、しばしば言葉遊びでもある。
たとえば「勤労の義務」は規範とされているが、「雇用の義務」という規範は無い。
また、「生産」および「生産物」は「実体」だが、「生産性」はカネまわしの「論理」でしかない。
「地球の気温」は「実体」だが、「温暖化あるいは寒冷化」となると「論理」でしかない。


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何が言いたいのかって?
成年なりたてホヤホヤの諸君に伝えたいことは、要するに簡単なことだ。
「実体」あってこその「論理」である!
「論理」のために「実体」があるわけではない!
有限の「実体」を改編し新規に作り上げるためにこそ、さまざまな「論理」の無限のフレキシビリティが起用される!
感染という「論理」をコロコロ転がしてカネをコロッコロと回すために、諸君らの肉体という「実体」が犠牲になってよいわけがない!

ひとたびカネに変えてしまった肉体を完全な元通りに買い戻すことは不可能なんだぞ!


君たちの多くが学んできたとおり(あるいは言い聞かされてきたとおり)、物理学は名称こそ紛らわしいが明らかに「実体」に則った学問である。
その証拠に、「万物」の運動現象をとことん還元すれば何らかの物体の単振動、それら力の作用と反作用である ─ などなどと断言している。
そして、エネルギーとその仕事の有限性に則ってこそ、エネルギー保存則もエントロピー限界説もある。
一方で、数学は「論理」でしかない、だからエネルギーも保存則もねぇんだ、無限にずーーーっと縦横無尽の展開をしていくんだ。

なるほど、物理学は数学「論理」によってさまざま新たな仮定もおこり、新たな発見もなされ、それらによってこそプラスティックもシリコンウエハーもコンピュータも航空機もレーザーも量子マシンも核兵器も生み出してはきた。
だから、「論理」あってこその新規創造だろうと反論したくなるかもしれない。
しかし、じっさいに生み出されたそれらは有限の物理環境においてこそ駆動するもの、だからどこまでも有限の「実体」である。

生命科学によって出現したクローンやIPSにしてもそうだ。
クローン男にせよ、IPS女にせよ、数学「論理」によって設定された完全な同一複製や組成再現であるはずだから、「論理」あってこその新たな生命秩序じゃないかと言いたくなるかもしれない。
しかしながら、それらはひとたび発生した瞬間から別々の環境にて別々の代謝を始めるもの、ゆえにどれもこれも別々のそして有限の「実体」である。


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グダグダと書き殴りやがって…と閉口しているかもしれぬが、ともかくも「実体」と「論理」の峻別は個々人にとっても国家民族にとっても生きるか死ぬかの超重大問題。
独立した成人であれば、なおさらのことだ。
だからこれからも何度でも繰り返すつもりだ。


以上