2024/04/30

【読書メモ】 宇宙を解くパズル

宇宙を解くパズル カムラン・バッファ著 講談社Blue Backs』
本書は典型的な数学パズル群から編成されており、シンプルな解法もあれば若干深淵な数式紹介もあるが、新書本であり概説ベースなので読み進めやすい。
とはいえ、これらの本領はあくまでも物理理論への誘いである。

本書のサブタイトルは 『「真理」は直観に反している』 とあり、全巻とおしての謎かけであろうこの言はなかなか深淵でもある。
物理現象(実在と運動)が真理であり、数学は所詮は人間なりの直感にすぎぬのか、いやいやその逆なのか…ちょっとウヤムヤ感に惑わされてしまう。
それでも本書のトータルなメッセージを僕なりに類推してみれば、なるほど数学は物理学を確立しているようではあるものの、すべての物理現象(つまり宇宙と自然)を完全に記述しきっているわけではない ─ といった由ではなかろうか。
そして物理学に対する数学の至らなさは、その’対称性’の流用において見いだせよう、とりわけ’連続対称性’のそれにおいて。

なお本書の文面読解においては、例えば「〇〇として」と「〇〇における」の論理区分などなどの難解さを留意してみたい。
とはいえ、このような論理表現上の不明瞭さは数学系の本で総じて見受けられるところではあり、しかも本書はあくまで物理学を主題に据えた概括本であるから、いちいち躓くことなく図案と数式と想像力に則って読みすすめたい。

さて、本書全体に目を通したわけではないものの、上に記したとおり重大コンテンツ(のひとつ)は序章~前段部において紹介されている「連続対称性」であろうかと察せられる。
そこで、今般の僕なりの読書メモとしてもこのあたりまでを要約雑記し、以下に記す。
※ 但しあくまでも導入部なので引用される数式も大雑把であり、だからこれらはメモ省略とする。




<最小作用~最小経路>
或る粒子が或る特定の出発点~終着点まで移動するとして、この粒子が任意に辿りうるさまざまな経路を考える。
ここで、この粒子の位置エネルギーと運動エネルギーとこれらの積分量から、この粒子の力学上の「作用」を定義する。
すると、この「作用」が最小となる経路を定義出来るはずである。
これが数学者ラグランジュに始まる「最小作用の原理」。

この原理を数学にて定式化するため、ラグランジュとオイラーは積分量の極致をもとに最小の経路を導く解法をおこし、ここで採用されたのが「変分法」。

ハミルトンは、位置の時間あたり関数と運動量の時間あたり関数を捉えなおし、これら時間微分を2次元から1次元へと単純化。
このさいに考案されたのが「相空間」で、ここからハミルトン力学が始まった。


<マクスウェル方程式~ローレンツ変換>
真空中でのマクスウェル方程式にては、磁場または電場のいずれかを力と見做した上で、ともかくも電磁波の進行とその速度を定義している。
非加速の或る慣性座標系にて、観察者がこの電磁波の速度を測定するとする。
このさい、あくまでもニュートン力学の速度合成則によるならば、電磁波とともに観測者自身も一定速度で移動しているため、両者間の「数学上の対称性」つまり「物理上の相対性」によって速度の測定値そのものが変わるはずである。
しかし、もしもこの電磁波の測定速度が観察者の移動速度にかかわらず一定であるとすると…

ローレンツは、マクスウェル方程式においてニュートン力学とは異なる「数学上の対称性」が在る由を指摘。
電場、磁場、粒子の位置、および時間が、或る座標系から別の座標系へと移る場合にどのように変化するかを数学にて導き、そこであらゆる座標系にて同じ形をとる方程式を導出。
これが「ローレンツ変換」の数学。

マクスウェル方程式とローレンツ変換を元に、アインシュタインは在る物体粒子とその質量と光速2乗がこれら物理エネルギーと等価になると導いた。
これは電磁気に留まらぬ「時空全般の相対性理論」となった。
リーマンは、歪曲した時空においても重力場の自由落下の経路は直線を辿ると指摘、これが「リーマン幾何学」。
これによって「一般相対性理論」は完全に幾何学的な重力理論となった。


<量子力学>
シュレーディンガーは、或る粒子のエネルギー演算子と運動量演算子と位置エネルギー演算子と質量をもとに、「量子力学の方程式」を編み出した。

アインシュタインの「特殊相対性理論」とはエネルギーの次数が2であり、シュレーディンガーの「量子力学方程式」はエネルギーの次数が1である。
この両者のつじつまを合わせようと、ディラックは「行列数学」を投入して次元を統一する方程式を表現した。
かつ、この行列数学は位置や運動量とは独立した電子自身の運動の自由度をも表現、こちらが「スピン」である。

ただし、ディラック考案のこの行列数学の方程式では、電子の正エネルギーも負エネルギーもありうることとなる。
ディラックの解釈によれば、負のエネルギー状態を成す'電子群の海’が存在しており、一方ではパウリの排他原理も働くことにより、エネルギー準位軌道と電子のエネルギー状態の相関をともに説明はかった。
一方で、アンダーソンは宇宙線における電荷粒子の軌跡を観測し、陽子とは別の正電荷を有する「陽電子」を発見。


<場の量子論~経路積分>
ここまで組み合わせて考えると、あらゆる粒子(量子)は移動経路を1つに特定しようがなく、あらゆる経路を進んでいることになる。
ここで、それぞれの経路に位相の複素数を割り当ててみれば、これら位相の総和と移動経路の選択確率が比例関係にある ─ と解釈することになり、これが「場の量子論」。
こうなるとラグランジュやオイラー以来の「最小作用の原理」のみでは説明しきれなくなる。

ファインマンは、或る点から別の点へと移動する粒子のとりうる各経路に「作用」の指数関数を’重み’づけて、これら経路と時間の選択確率を導いた。
ここでの確率計算は、経路と時間の積分にて複素数を採用しこれを2乗しつつ、さらにプランク定数を充てこんだもので、この換算プランク定数が0となる極限のもと、変数が無限個の無限次元における積分計算を為す。
これがファインマンによる「経路積分法」であり、シュレーディンガーの量子力学を新たに定式化しつつ、またニュートン力学をラグランジュとオイラーの形式で表現しなおすことにもなった。

しかしながら、ファインマンの「経路積分法」をマクスウェルの電磁気理論に充て込むためには、あらゆる電場と磁場の無限次元空間を設定しつつ積分計算を行わなければならず、これはあまりに複雑すぎるため完全には為されていない。

つまり、「場の量子論」の数学上の完全な定式化は未だ実現されていない。
数学上の定式化が為されていないのだから、物理法則の定式表現も為されていない。

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<物理上の連続対称性 ─ その破れ>
ラグランジュとオイラーとローレンツ変換にては数学上の対称性が大いに活かされてきたが、かかる対称性をとくに物理現象に充てこんだものが「連続対称性」である。

この物理上の「連続対称性」を集約すれば;
・時間反転における連続対称性
・空間内での鏡映パリティとしての連続対称性
・荷電共役変換としての連続対称性

そして、1つの連続対称性に応じて必ず保存則が1つは成り立っており、これが「ネーター」の定理。
時間の並進における連続対称性からはエネルギー保存則を導出可能であり、また空間の並進における連続対称性からは作用/反作用と運動量保存則が導出可能、そして回転における連続対称性からは角運動量保存則が導出可能。

「ローレンツ変換」においては、4次元時空内にて空間が時間方向へ、そして時間が空間方向へと連続対称性を成している。
そして「相対性理論」と「量子力学」の組み合わせとなると、上の3つの連続対称性すべてが成立しきっている。
(宇宙はビッグバンと相転移とその後の燃焼拡散が一方向なので、時間反転の連続対称性は成り立っていないともとれるが、しかし宇宙が拡大と収縮を繰り返していると見れば時間反転の連続対称性が成立している。)


しかしながら、宇宙自然のすべてが連続対称性を成しているわけではなく、むしろ連続対称性を破ってこそ成立してしまった(とも解釈しうる)物質も現象も多い

何らかの複数の粒子を近接させると、それらの粒子の電子スピンはすべて上向きあるいは下向きの同方向のスピンと成り、ゆえにこれらの系のエネルギーは基底状態にて最小状態に収まっている。
この系が或る一定の温度条件下に在ってこれら粒子が温められると、温度変化に応じてそれぞれの電子スピンの方向が’確率的に’変わる。
この確率上の相関はボルツマン定数を以て数学表現されており、これが「ボルツマン則」、かくて連続対称性は成立してはいる。

ところが、磁石を極低温におくと、それら粒子の電子スピンは上下どちらかの方向を向いたきりとなってしまい、温度条件の変化に応じていないことになる。
こうなると「ボルツマン則」は通用せず、連続対称性は無い

あらゆる剛体は、外部から加えられた一定方向の力に応じて構成原子が特定の位置を占め続けてしまい、だからこそ剛体そのものがその方向に一緒くたに動いてしまう。
つまり、この剛体は(構成原子は)並進対称性を破っていることになる。

ボルツマン則の着想にのっとり、宇宙のビッグバンと相転移、そこにおけるヒッグス場の生成、そこでヒッグス粒子が為す質量獲得などを俯瞰すれば、この超スケールのプロセスは連続対称性を破っていることになる。


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… ざっとここまで、本書巻頭箇所のほんの一端を紹介したに過ぎないが、それでも物理学の総復習ないし総括を楽しめるものである由、お分かり頂けるのではなかろうか。
ともあれ本書は見かけ以上のスケール感満載、次から次へと物理論題が目白押し。
そしてどれもこれも切り口は数学パズルであり、変人の多い数学ファン連中をもけして退屈させない思考鍛錬の書たりえよう。

以上

2024/04/16

大学新入生諸君へ (2024)

大学新入生向けのメッセージをざっと記す。

昨年は世界のデジタルでニヒルな無文脈化について触れつつ、じっさいのモノやエネルギーは無文脈化などありえず、世界の各地でさまざま胎動し連動もし暴発すら続けていると ─ まあそんなところをリマークした。
大学生の諸君らは、他者に押し込まれた断片的な知識や命題にいちいち盲従してはならぬと。

今般はバカでも分かるようにヨリ単純に書き綴ることにする。

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諸君らのほぼ全員は、幼少時から現在まで数学を学び続けてきた(押しこまれてきた)ことであろう。
そもそも数学とはなにかといえば、僕なりにまとめるに、何らかのデータや命題や事象や関数などの’再現性’を保証表現する術であろう。
じゃあ確率論はどうなるんだなどとイチャモンをつける輩もいるだろうが、そういう見方そのものが数学に寄り添い恋している証。
数学が’再現性’を保証すればこそ、アルゴリズムもさまざま可能だし、プログラムはもっと自由自在たりうる。
となると、数学は実体の情報転換技術でもあり、自動化の保証技術ともいえる。


さて、この数学による事象の’再現性’保証があってこそ、宇宙のあらゆるモノやエネルギーの運動(量)や作用/反作用や仕事について特定の法則が成り立ち、これらを束ねて物理学となっている。
たった一度きりの発生事象の場合は宇宙の気まぐれかもしれず幽霊かもしれず、だから再現性を観察できず、ゆえに数学に乗せることが出来ず、これは物理現象とはいえない。
じゃあ量子力学はどうなるんだよと難癖をつける輩もいるだろうが、そういう着眼そのものが物理学を愛している証であろう。
ともあれ、物理学によってさまざまなモノやエネルギーを特定の法則に則って人間なりに活かすことが出来るのだから、これは機械化の技術ともいえる(電子だろうが量子だろうがだ)。

これを産業側からみれば、数学による自動化技術と物理学による機械化技術の複合が大英帝国の繁栄を可能とし、これが巨大スケールの素材とインフラから精妙な暗号数理などなどまで現代型のテクノロジーを導く原初モデルを確立したように映る。


しかし大英帝国の産業は、20世紀以降はアメリカとドイツに対する圧倒的な優位性を失ってしまった。
とくに鉄鋼業などの重大産業にて、大英帝国は化学素材の組み換えやバラエティへの意欲が高揚されにくく、それでアメリカやドイツの後塵を拝するに至ったのではと言われる。

同じような経緯は旧ソ連でも見受けられるようだ。
特定品質の工業製品の大量生産においては旧ソ連はさすがに強かったが、アメリカとドイツが多品種の化学素材によるさまざまなバラエティ製品を世界に送り出すと、旧ソ連はもう追随できなくなったと指摘されている。
さらに悪いことにチェルノブイリ原発事故にても、旧ソ連の工業部材は化学素材がごく限られており、よって大事故を回避出来なかったと。

では日本の産業はどうだったかといえば、数学と物理学はもとより化学においてもドイツやアメリカに負けておらず、むしろ勝っていた。


もう言いたいことは分かりますね。
数学と物理学だけでは現代産業の優位性を保持することは出来ないってこと。
大量生産の勝負に必ずしも適さぬわが日本なればこそ、化学の知識見識が必要とされているってこと。
化学素材や化学薬品がらみでいろいろ揺さぶられてはいる昨今の産業界ではあるものの、大学生の諸君は化学を捨ててはいけない。
将来どの途を選ぼうとも、たとえ数学や物理学が大っ嫌いでも、化学の素材バラエティには常に関心を保持していこう。
世界はまんざら退屈ではないし悲劇的でもないよ、むしろさまざまリアルな関心が高まりかつ深まってゆくのではないかな。

だからって就職活動にて優位となるかどうかは分からないよ、なにしろ素材のバラエティあれこれの世界だ、得もありゃ損もありうる、知ったことかそんなもん。


※ ついでに指摘すれば、日本人のとくに年配層は(経験則からか)医薬品や石油やプラスティックがらみの化学知識がかなり豊富であること、これは大学生諸君にとってひとつの天啓とも呼ぶべき巡り合わせではないか。



なんだかズボラな論旨の投稿にはなったが、大学生向けのつもりだからこんなもんでいいんだ。
おわり

2024/04/11

新卒社会人の皆さんへ (2024)

新社会人の皆さんに伝えおきたことを、ちらっと記すことにする。
僕なりにここ数年ほぼ同じようなことを考えており、着想も問題意識もほぼ変わっていないので、今回も同じような意思を以てちらっと書き散らす。

とはいえ、昨年はモノと観念についての人間なりの捉え方として、無限性と有限性について留意しつつ、創造的な掛け合わせもあれば不幸な割り算(引き算)もあると、まあそんなようなことを記した。
今回はもうちょっと単純に、大人社会で大いに威力を発揮している根元的かつ端的な学術思考、すなわち物理(学)と経済(学)について、ごく簡単な比較をはかりつつ大人社会の不可思議さを ─ まあいいや、ともかくそういうこった。


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物理学はあらゆる物質/物体の運動とそれら仕事/エネルギーの変化と保存則とエントロピー増大を考察対象とし、これらを再現的に捉えて語る。
再現性を語るためにこそ、必ず数学に則っている。
数学が有限が無限かはさておくとして、物理は一応はあらゆる実体の有限性と保存性を記述する ─ ことになっている。
コンピュータプログラムさえも、ブロックチェーンでさえも、電磁波の変化として捉えてみれば物理学の考察対象である。
人間の脳神経も遺伝子もやはり物質なので、物理学のうちにあるのは当然である。


では経済学はといえば、こちらも物質/物体や運動や仕事/エネルギーの変化を捉え、これらについての再現性を語る。
やはり再現性ゆえ、数学に則ってはいる。
それなら物理学そっくりじゃんと納得するかもしれないが、そっくりどころか、おそろしく異なっている。

経済学は人間風の価値と権利を物理よりも上位に据え、それらの需要/供給が増えただの減っただのと分析し、さぁこれは希少なメタルだの貴重なアースだのと誉めそやし、そうかと思えばダーティーなエネルギーだの過剰な仕事だなどと論じている。
さらに、そういう声を反映しつつ信用が高まっただの下がっただのと…。
とりわけ厄介なのは、経済事象のひとつひとつを通貨換算して価値や権利を表象しつつも、当の通貨そのものに価値や権利の絶対尺度が無いというところだ。
要するに、どこまでもその時その場の人間風の価値と権利をとっかえひっかえで、これらが物理の外部に超然的におわしますなのである

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さて、物理学と経済学は同期をとりうるだろうか?
社会人らしくもうちょっと実践的に論うならば ─ さまざまな物質や仕事/エネルギーの「物理量」と「経済価値/権利」は比例関係にあるだろうか?


物理学に則れば、たとえば過去2000年間において地球の全物質量/全エネルギー量は全くといっていいほど変わっていない ─ ことになっている。
しかし同じ2000年間にて、資産の価値も通貨の価値も、それらの量も、とてつもなく増大しかつ変動してきた。
いったいなぜか?
人間とはそういうものさというのが達観的な答えであろうし、じっさいのところ、経験的な答えもこうならざるをえない


① 物理学と経済学の差は、上にちらっと書いたように、物質物体の外部に人間風の’価値’を超然させるかしないかだ。
あらためて、’価値’について捉えなおしてみたい。

資産の「価値」には、物理上の絶対尺度も基準も無い。 
1クーロンあたりや1電子ボルトあたりの「価値」尺度も基準も無い。
金(gold)1オンスあたりもだ。 
あらゆる価値は、あくまで人間がその時その場で好き勝手に決めているにすぎない。
だいいち、データそのものの価値を独占するなどというが、物理に即していえばデータは電磁上の表象でしかないんだぜ、これらの価値とはいったいどういう意味だ?
ましてや、付加’価値’だの、それを見做した上での付加価値税だのと…

ともあれ、物理学には’価値’の観念は無いが、経済学にてはあらゆるモノや仕事に’価値’を設定する。
ここだけ捉えてみても、物理学と経済学は同期をとっておらず、量的な比例関係にない。


② その上で、さらに仕事(生産)において物理学と経済学を比較してみる。

物理学に則れば、あらゆる物体はそれ自体なんらかの「運動」を為しつつ、さまざまな物体が互いに作用/反作用しあい、これら成果の距離を以て「仕事」と称していること、誰もがお分かりのとおり。
仕事は’生産’でもある。
ところが経済学における用語では「仕事(生産)」の定義が分かり難く、どうも察するに何らかの'価値’の付加を以て「仕事(生産)」と見做しているようでもある。
だから経済学によれば、通貨のみをグルグルと回しているだけでも「仕事(生産)」の付加がどんどん増えていく(そしてGDPも増えていく)ように映る。

※ とくに女たちは、生活そのものがこれすべて「仕事(生産)」を為していると信じているようで、だから職場で遊んでいても寝ていてもとにかく通貨を寄越せと。


③ さらに、仕事(生産)とコストについて。
たとえば電気には、電位差克服のために電流に物理上のコストがかかる。
その電位差を克服すれば、物理上の仕事つまり電力を起こしたことになる(発電を為したこしたことになる)。
しかし経済学に則れば、なんぼ電力の仕事を為したところで、カネというコストばかりが発生し、リターンという名の仕事(生産物)はほとんど無いことになっちゃう場合もありうるわけで、そうなるとこの仕事(生産)行為は経済学上の価値はほとんどゼロだ、ナッシングだ。

むかっ腹が立つかもしれないが、これが物理学と経済学の差だ、そして理系と文系の違いといってもよさそうだ。


④ もうちょっと。
AIが、世界中のあらゆる物質と電力とさまざまエネルギーを統一的に制御しつつ、最適プログラムをとことん実行し続けていく ─ としよう。
すると、いずれは全世界のあらゆるハードやソフトやインフラまわりの物理上のコストが最低限まで下がる ─ かもしれない

では、この偉大なAIとさまざまリソースの経済コストも下がり続けるだろうか?
むしろ、さまざまなリソースとカネの独占的な運用権を主張する連中どもによって、経済コストはバカっ高くなっていくのではないか?

どうだ、なかなか巨視的でエキサイティングな論題だろう。
新卒社会人の諸君は、このくらい巨視的な着想を日頃から弄ぶくらいで丁度いいんだ。


④ 安全保障について。
物理上は、人間にとって危険な物質やエネルギーは確かに在る。
では、経済学に則りつつこれら物質やエネルギーの価値や権利をゆっさゆっさと揺さぶっていれば、わが国はずーっと安泰でいられるのだろうか?



なんだか面倒くさくなったので、このへんでやめておく。
ともあれ、宇宙万物の真理のみからなる物理学と、人間都合の方便で’価値’や’権利’を使いまわす経済学 ─ これらがあらゆる学術思考の二大陣営であり、さまざまな事業や政策の根本ともいえよう。


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(付記)

毎年書いていることだが、仕事における実践的なアドバイスも一つだけしおく。

新人諸君は、なにはさておき、まずはメモ用紙を準備しろ、そして常に携行しろ、見聞きするもの片っ端からメモしまくれ。
チマチマした付箋などはダメだ、大きめの紙を使うんだ、出来ればB5サイズ以上のものだ、広告の裏紙でもなんでもいい。
これくらいのサイズであれば、まとめていろいろ書き記すことが出来るし、いつでもまとめてノート帳として一瞥できよう。

とくに、新規の世界への了察は理科や社会科の新分野学習に等しく、右脳的(絵画的)に物事をズンズン描き続けること必須、だから大きな紙面が望まいのだ。
また、電話番などで取り次いだメッセージもつらつらと書き残し、ビッと引きちぎって上長などに手渡すことが出来る。
一方で、書き損じをしてしまったメモは引きちぎってとっとと捨てるんだ、いちいち名残惜しんでいてはいけない。

以上の機能を同時に果たすべく、B5サイズ以上の紙を常時20枚くらい束ね、これを左上リング綴じの構造にしておけばいい。
これで重要なメモはノートとしてずっと保持し続けつつ、不要な紙はどんどんちぎり捨てることが出来る。
ホントに重宝するから。


もうひとつ付記。

技術仕様から契約書にいたる文書類について、職制を問わずほとんど誰もが実務上拘束されることとなろう。
これらの意義について精緻に了解しておきたい。
口頭による提示や合意ならまだしも、文書によるそれらは諸君らの想像を超えた恐ろしい失態を導きうるものだ。
例えば、同一の商材についての見積書が複数存在する場合、購入希望者はどちらかおのれに有利な方を正当な文書と見做し、それ以外の文書は黙殺すること、当然である。
契約書もしかり。
くれぐれも慎重に、ワンアンドオンリーの原則だぞ、ナンバリングと更新日時の明記を絶対に忘れるなよ。

※ 塾業界や風俗関係などであれば、うっかりミスでも土下座くらいで済まされる、かもしれない。
しかし、まともな産業のまともな産品や製品においてはちょっとしたミスのみでも復元不能なほどの大損をもたらす場合も多い。
そんなこと続けていたら多大な賠償を負うのみならず、さらには市場からバカアホ呼ばわりされて信用失墜してしまいかねないぞ。


以上