『化学と歴史のネタ帳 Ⅰ. 酸とアルカリ 遠藤瑞己 文彩堂出版』
本書は巻頭箇所にも案内のとおり概ね高校化学の範疇に則りつつ、化学イノベーションと協調あるいは拮抗してきた政治/軍事の諸事情をも併せ綴ったもの。化学選択の高校生~大学生などなどがヨリ学際的な着眼を鍛えてゆく上で、恰好のガイダンスたりえよう。
そもそも自然科学は文字通り’自然物’の状態や運動の探究が本性ではあり、中でも物理学は’人工性’(つまり数学上の再現性)との同期に絞り込んだ科学といえよう。
一方で、もっと’人工的’な操作性に準じつつも、もっと’拡張的’な創意から実践までもたらしてきた物質科学こそが「化学」である。
化学のスリリングな創造性と拡張性はズバぬけている ─ 或るインプットが或るアウトプットを生み出しつつ、そこでのデリバティヴを別の反応系にインプットすれば新たなプロセスが進行し…と、さまざまマテリアルがパズルのごとく入りつ解れつである。
よって、化学の活かし方によっては次々と産業を興し、市場を拡大しうるだろう、となれえば、デフレだろうがスタグフレーションだろうがなんぼでも克服可能ではないか。
…僕なりの所感をひっくるめて言えばざっと上述のとおりとなる。
なお予め注記しおくが、本書にては実践上の環境要件や物理量にかかる描写は控え目に留められてはいる。
よって、今回の【読書メモ】にても、あくまで総論的な化学反応式まわりを僕なりに引っ括って、以下にさらっと要約するに留め置いた。
範囲は「第1部(アルカリ)」である。
18世紀以来、石鹸やガラスの製造原料として炭酸ナトリウム(Na2CO3)が大量に求められた。
海草類や樹木灰など植物性アルカリも器用されてはいたが、これでは需要に間に合わず、そこで'人工的'にアルカリを合成するため、硫酸ナトリウム(Na2SO4)から炭酸ナトリウム(Na2CO3)が得られるようになる。
Na2SO4 + 2C → Na2S + 2CO2
Na2S+ 2CH3COOH → 2CH3COONa + H2S
2CH3COONa → Na2CO3 + (CH3)2CO
また、硫酸ナトリウムと石灰(Ca(OH)2) から、水酸化ナトリウム(NaOH)を作る方法も確立された。
Ns2SO4 + Ca(OH)2 → CaSO4 + 2NaOH
なお、火薬の原料としては、炭酸カリウム(K2CO3)を使って硝石(KNO3)を製造し、これをもとに硫酸(H2SO4)が合成されてきた。
しかしアメリカ独立戦争~フランス対外戦争の時期になると、炭酸カリウムがヨーロッパに入ってこなくなった。
硫酸ナトリウムを活かしつつ、炭酸ナトリウムの品質安定と大量生産のためヨーロッパ側で開発されたのが「ルブラン法」。
2NaCl + H2SO4 → Na2SO4 + 2HCl
このNa2SO4 と炭から 硫化ナトリウム(Na2S)ができる
Na2SO4 + 2C → Na2S + 2CO2
さらに石灰石CaCO3を反応させて
Na2S + CaCO3 → Na2CO3 + CaS
尤も、こうして大量生産用に開発された炭酸ナトリウムも、ナポレオンによる「塩税」政策によりしばらくはローkカルビジネスに過ぎなかったが、1825年以降にはヨーロッパで拡大生産と販売へ。
炭酸ナトリウムによるソーダ産業の勃興は、ヨーロッパの基本的な産業技術を革新させ、、反射炉から回転炉への転換、耐火材の開発などは製鉄業にも応用されていった。
炭酸ナトリウムと石灰水を反応させると水酸化ナトリウム(NaOH)に変化する。
Na2CO3 + Ca(OH)2 → 2NaOH + CaCO3
さらに未反応の硫化ナトリウム(Na2S)に硝酸ナトリウム(NaNO3)を加え、これを加熱すると、硫酸ナトリウムなどに変わりつつこのNa2Sが分離される。
ここに亜鉛ZnOを加えればNa2Sをもっと分離出来、かくて水酸化ナトリウム(NaOH)の純度が高まる。
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炭酸ナトリウムの製造方法としては「アンモニアソーダ」法もある。
NH3と水と二酸化炭素を反応させて、炭酸水素アンモニウム(NH4HCO3)を作り、これを食塩水(NaCl)と反応させてNaHCO3を生成させ、これを加熱すれば炭酸ナトリウムとなる。
さらにここで、炭酸ナトリウムと炭酸水素アンモニウム(NH4HCO3)を反応させれば、炭酸水素ナトリウム(NaHCO3)が生成される。
これに、純度高い塩化ナトリウム(NaCl)とアンモニア(NH3)と二酸化炭素を投入すれば、塩化アンモニウム(NH4Cl)も出来る。
この生成方式が「ソルベー法」。
塩化アンモニウムは肥料として活かされるようになった。
NaCl + H2O + NH3 + CO2 → NH4Cl + NaHCO3
2NaHCO3 → Na2CO3 + H2O + CO2
一方では、炭酸ナトリウムと鉄(Fe2O3)を組み合わせて水酸化ナトリウム(NaOH)を生成する方法も確立された。
ソルベー法は20世紀初めにはアメリカ含め全世界に普及していった。
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19世紀末の発電機の発明や人工炭素電極の実用化によって、大スケールの電気分解の工業化が始まった。
その端的な例が塩素ガス(Cl2)の製造であり、ここで開発された製造方法が「電解ソーダ法」。
陽極のCl2と陰極のH2およびNaOHによる反応。
2NaOH + CO2 → NasCO3 + H2O
この電気分解では水素ガス(H2)も同時に大量生成が出来、こちらは気球や飛行船に投入された。
ここで次亜塩素酸ナトリウム(NaClO)などを生じないよう、隔膜を以て分離させる。
「電解ソーダ法」として普及したのが「水銀法」。
塩素(Cl)とナトリウムの電気分解にて、NaOHとCl2を反応させないように、陰極側ではナトリウムと水銀のアマルガム(Na-Hg)を生成する。
全反応としては、2NaCl + 2Hg → 2(Na-Hg) + Cl2
さらにこのアマルガムに水を加えると、
2(Na-Hg) + 2H2O → 2NOH + H2 + 2Hg
こうして水酸化ナトリウム(NaOH)をきれいに分離抽出が出来る。
※ 尤も、この「水銀法」は有機水銀による公害ももたらしたため、電界ソーダ法としては「イオン交換膜法」に切り替えられていった。
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そもそも窒素は植物の重要な栄養源かつ肥料であり、ヨーロッパ農業では南米チリからの硝石(NaNO3)に多く拠っていた。
またこれに塩化カリウム(KCL)を反応させ、黒色火薬の硝酸カリウム(KNO3)も合成されていた。
NaNO3 + KCL → KNO3 + NaCl
さらに、硝酸(HNO3)も製造でき、これがTNTやニトログリセリンへ。
2NaNO3 + H2SO4 → 2HNO3 + Na2SO4
電気化学の発展によりアーク放電(電弧法)が活かされると、この硝酸製造が大規模化可能となった。
この硝酸と石灰石を反応させれば硝酸カルシウムが出来る。
2HNO3 + CaCO3 → Ca(NO3) + CO2 + H2O
19世紀末、アンモニア生成の「石灰窒素法」。
電気炉内で合成されたカルシウムカーバイド(CaC2)と窒素ガスからアンモニア(NH3)を合成する。
CaO + 3C → CaC2 + CO
CaC2 + N2 → CaCO3 + 2NH3
なお、この途中で生産される石灰窒素(CaCN)は肥料としても大いに使われるようになる。
1902年、アンモニア(NH3)から硝酸(HNO3)を製造する「オストワルト」法。
4NH3 + 5O2 → 4NO + 6H2O
2NO + O2 → 2NO2
3NO2 + H2O → 2HNO3 + NO
1913年、窒素ガス(N2)と水素ガス(H2)の直接的な合成によってアンモニア(NH3)製造する「ハーバー・ボッシュ」法。
N2 + 3H2 → 2NH3
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1914年、第一次大戦。
ドイツによるフランス侵攻作戦'シュリーフェンプラン'は'マルヌ会戦'で頓挫し、ここからドイツは消耗戦へ。
弾丸や魚雷や砲弾のため大量の窒素化合物が必要となるが、ここまで頼りにしてきたチリの硝石が輸入不可能となった。
そこでドイツは「石灰窒素法」に大注目したが、ここまでは低品質の褐炭が大量に投入されていたため加熱効率が悪く、だから石灰窒素法による窒素化合物の大量生産も困難であった。
しかし「ハーバー・ボッシュ」法によるアンモニア製造ならば、プロセスが省力的であり、このアンモニア(NH3)が硝酸(HNO3)と硝酸アンモニウム(NH4NO3)になった。
NH3 + 2O2 → HNO3 + H2O
NH3 + HNO3 → NH4NO3
一方で、「オストワルト法」は鉄をベースとした触媒の発見後に硝酸製造の効率が高まった。
こうしてドイツの硝酸アンモニウム製造能力は大きく増大し、軍事力も農業も支えることが可能となったはずだが、しかしドイツは戦局挽回することなく第一次大戦は終わってしまった。
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ここまでの「ハーバー・ボッシュ」法は約20MPaの低圧下におけるアンモニア生成であったため、高温でアンモニアが分解しやすく、これを防ぐためにわざわざアンモニアを液化しなおしてから抽出せざるをえなかった。
フランスのクロードは第一次大戦の終戦直前に約100MPaの高圧化にて500℃でのアンモニア合成に成功しており、これはほとんどの窒素と水素を反応させる高効率の方式である。
また、農地を確保しづらいイタリアでも合成窒素が大いに求められ、このため第一次大戦終了に前後して高効率のアンモニア合成が模索されており、カザレーが鉄くず触媒を用いつつ80MPaの高圧下でのアンモニア合成に成功。
1920年代以降、世界的な化学工業の成長に伴い、ヨリ効率的になった「ハーバー・ボッシュ」法によるアンモニア合成が進んだが、このため水素ガスの需要も増大した。
そこで、たとえばイタリアでは地形の高低差による水力発電とその設備が、アンモニア合成および水素ガスの大量生産に大いに活かされることになり、これが「ファウザー」方式。
KOH水溶液の電気分解による水素ガス製造
2H2O + 2e- → H2 + 2OH+
アンモニアガスへの硝酸噴霧による硝酸アンモニウム製造
2NH3 + H2SO4 → (NH4)2SO4
高圧下では…
4NH3 + 5O2 → 4NO + 6H2O
2NO + O2 → 2NO2
2NO2 → N2O4
2N2O4 + O2 + 2H2O → 4HNO3
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以上が、「第1章(アルカリ)」についての僕なりの超大雑把な要約である。
本章はさらに、カリウムや塩素ほか1940年代以降のプラスティック需要増大などにもふれつつ、学際的な論説が続く。
化学選択の高校生や化学分野専攻の大学生諸君にとって、本書は化学の本性的なダイナミズムはむろん、学際的な着想をも大いに拡大し得る一冊であろう。
同じ理由から、とくに「第3章(酸と塩基)」におけるアレニウスの定義などなども是非一読をチャレンジして欲しい。
おわり