2024/12/15

ちょっとした自分史を (3)

(前回のつづき)

さて、甲賀流の秘術のうち僕なりに習い覚えた術は予知能力である。
もともと幼少期からそうなのだが、僕は対峙する相手の仕草をしばらく注視していると、一瞬先の挙動をなんとなく予知出来た。
このセンスが、ヨリ鋭敏に磨かれることになったのだった。

たとえばだ。
ケンカになりそうな時に相手がどんなふうに攻めてくるのかが分かり、まっすぐ突っ込んでくるパンチやタックルは(おっかないが)すんでに予知してかわすことが出来るようになった。
掴みにくるやつには掴ませてやりつつ、同時にそいつの胴に巧みに絡みつき、身体のほんのちょっとした挙動変化から次の動きを予知し、これを逆用してだだーんと浴びせ倒すのである。
でかいやつが相手でも、ひとたびそいつの胴に絡みつけば、だだーん。
尤も、背筋力もかなり強かったためこんな真似も出来たのであって、これは相撲でいうところの…いや、きりが無いのでもう書かない。

ことは体術には留まらない。
尖鋭化された我が予知能力は、さまざまな人間の発話をも予知できるようになっていた。
さまざまな人間の挙動のわずかな変化から、その人物が直後に何を話すのかが(概ね)分かるようになったのだ。
読心術とはまでは称せぬにせよ、これはちょっとした’千里眼’能力ではある。
男子はむろん、無秩序なはずの女子の言さえも予知できるようになっており、それどころか外国人のそれも概ね分かってしまうほどとなり、もしかしたら古今東西の’スパイ’たちはこの能力の卓越者ばかりだったのかななどと想像しては、そっと慄くのであった。

或いは、いわゆる’既視感(デジャヴ)が研ぎ澄まされただけかもしれぬ。
しかしこの既視感というセンスにせよ、一瞬ごとの時系列に応じて起こるのだから、予知能力であり千里眼もどきであることに変わりは無かろう。

こういった思案のうちに、僕はこの甲賀流の特殊能力の修練を止めたのであった。
なお、この能力は自衛官に向いているのか、警官に適したものなのか、あるいは、教師として活かせるものだろうか、などなど考えを巡らせたのもこの時節ではある。


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さて。
日吉キャンパス時代には心身ともにさまざまな刺激や驚きを覚えること一方ならずではあったものの、いかんせん一般教養授業は退屈で溜まらなかった。
とくに、いわゆる経済学がらみのタームである。
「価値」とは何かについてザーッと講釈があり、一方では「権利」とは何かについてもザザーーっとと講釈がなされる。
しかしズガーンと一貫し完結した哲理が無い。
この分では三田キャンパスに進級後もたかが知れていよう、とたかを括っていたら、さらに「富」とは何かという高次元の謎かけが加わった。
かくて、「価値」と「権利」を「富」が通約しつつ或いは希釈しつつ、補完と互換の三つ巴、グルグル飛び回っての日本政治論や世界経済論…。
それで、どれもこれもをカネの多寡にすり替えて、やれ不平等だの不条理だのと空疎な批評ばっかし吐いてんの。
思い返せば、さまざま経済論に対してどうしても斜に構えてしまう我が心性はこの頃すでに起こっていたのであって、現在までずっと変わらない。


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ゼミはいわゆる地域研究系に入った。
理論系は退屈そうだなあと見当をつけていたためである。
このゼミで、あらためて褒められたこと ─ 僕は輻輳した知識と命題のアブストラクト図式化がじつに巧いと
この僕なりのアブストラクトは、全体像の系であり、系におけるさまざまな階層エンティティであり、エンティティにおける集合であり、そこに収められた部分要素である。
日吉の英語強化クラスにて習い覚えたアブストラクト作成技法ではあるが、これが初めて創造的に活かされたのであった。
なんだそんなもの、ちっぽけな資料作成技法に過ぎないじゃないか、と笑われるかもしれぬ。
しかし僕自身にとってはこれはただの技法に留まることなく、我が思考センスそのものとしていよいよ定着してくる重大な素養であった。
とりわけ就職後にさまざまなエンジニアやプログラマーなどと交わるに至り、じつに有益な思考センスとなったのは、今思い返しても不思議なことではある。


(つづく)

2024/12/11

ちょっとした自分史を (2)

(前回の続き)

ところで。
慶雄は軽薄な連中が多いとの言質がいまも根強いようだが、これはどちらかといえば地方出身者に多い性向ではないかと察している。
たとえば、ぼくは〇〇製の自動車をお父さんに買ってもらった、とか、あたしは〇〇のカクテルについてはうるさいのよ、といった類の自慢話をそこいら中で吹いている連中がいる。
こういうのは真の塾生ではない。
なんぼ都会風を気取っていても、気取った眼鏡かけていても、偽物はニセモノだ。

真の塾生というものは、常日頃はこざっぱりとした体であり、食事は質素なおかずばかり、そして静謐な部屋で謙虚に勉強している連中なのである。
自動車ならばその内燃機関や電気制御などについて見識があり、カクテルやワインにしても成分から製法まで熟知しており、それでも自慢気に吹聴したりすることはなく、欲はあまり無くほとんど怒らず、ああ世界は深淵なのだなあといつも静かに笑っている、そういう清風のごとき青年紳士こそが真の塾生なのである。
そしてこういう塾生は内部進学者が多い
(内部進学者がこういう青年ばかりとは言ってませんよ。)

卒業してからあらためて気づいたが、慶應人こそはじつは日本の物質と精神のよいところだけを組み上げた(あるいは遺し続けた)、真の日本人の姿ではないかと察する。
むしろ早稲田の方が派手好きで、我欲が強く、いつもイラついて怒っており、ケンカになると群れやがって、まあ全国区としての発信力と集客力だけは認めたるが、どうもブレが大きく外れも多いんじゃないかな。

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話は前後するが、慶應に入学後、英語の強化クラスに入ることになった。

もともと僕は入学試験では英語の出来が芳しくなかったし、自身の幼少期の育ちにもかかわらず言語勘が高い方はなかったのだが、まあ何らか奇縁のごときが働いたのであろう。
この英語強化クラスは、さまざまなイギリス人講師(アメリカ人もいたかな)による英語での授業が週に2回だか3回だか組まれていた。
さほど学術レベルの高い授業コンテンツは無かったものの、英語という言語の本質というか本性をあらためて知らされ、これは東芝就職後の思考センスの一助とはなった。

それつまり ─ 英語という言語は文法構造そのものが物理式や化学式にそっくりであるというところ(数学そのものには必ずしも似ていないものの)。
たとえば、全体があってこそ部分があり、それら部分の集積が全体を成し、これらがほぼ過不足なく完結しあっているというところであり、じっさい講師たちは雑ではあるがアブストラクトとマトリクスを略地図のごとく総括的にそしてシステマティックに描くことがじつに上手い。
だからこそ英語コミュニケーションにては理系センスと理系ヴォキャブラリが必須であるってことだ。
この由、他の記事にても何度も念押ししてきたことではある。


だが併せて認識出来たことがある。
英語世界は「実体」と「論理」のすり替えが上手い、というより、狡い。
或る自然物についての話題がいつの間にか産品や製品の論題にすり替わっており、さらにそれらが価値の論理にすり替わり、だからカネの論理にすり替わり、これらどこをとっても市場経済システムでございといったところである。
思いつきならまだ楽しめる思考操作ではあるが、上述したように英語の思念はあらゆる全体像と部分要素が強固に完結しあっているためか、彼らイギリス人やアメリカ人はこれら’次元’のすり替えについてほとんど疑念を抱かぬようである。
これまた、東芝入社後に思い知らされたことである(それも、いやっていうほどだ)。


ついでに記しておく。
この英語強化クラスにてあらためて気づかされたのだが、どうも女子はコミュニケーションそのものを楽しんでいるようなのである。
幼馴染のN子からしてそうだったが、だまーーーって考えることが女子にはどうにも耐えきれぬようである。
それでも授業中は一応は慎み深くふるまってはいるが、自身のプレゼンタイムになるとよく喋るわ喋るわ、もともとエピソード記憶型なのかなんだか知らんが、とにかく話が蜘蛛の巣のようにどんどん横展開してゆく。
こうなると、何が論点であり何が論旨であり結論なのか、もうアブストラクトもシステム思考もない。
しかも女子はなまじっか言語勘は高いためか、発音は綺麗だし単語表現は澱みないしで、だから英米人講師たちもどことなく楽しそうであり…

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さりとて。
僕自身、大学在学中にこれといって大きく飛躍させた才覚は無かった。
若干は乱暴な真似もしでかしたが、大した怪我をすることもなく、どちらかといえば漫然と日吉時代を過ごしていたことは否めない。

それでも、ちょっとした技量を習得することは出来た。
ひとつは、上に挙げた英語クラスをきっかけとした英米式のアブストラクト要約力であり、もうひとつは甲賀忍術の流れをくむ特殊能力である。


(つづく)

2024/12/08

ちょっとした自分史を (1)

※ なぜ自分が今のおのれ自身として出来上がったのか、あるいは捻じれてしまったのか、時おり分からなくなることがある。
だから、自分史をさらっと記してみたくなった。

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僕は英国ロンドン郊外で生まれ、やがて小学校に上がる時分に家族ともども東京都立川市に越してきた。
以降ずっと日本で生活している。
中学生の時分までは引っ込み思案の性格であり、だから僕の出来上がりの基本もきっと引っ込み思案なのであろう、そして今も慎みやかな性格は変わらねぇんだ、おらっ。

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尤も、高校部に進学後は、若干ながら頭を働かせることを覚えた。
我が高校ときたら、説明しがたいほど ─ つまり信じがたいほど見目麗しき美人教師たちの混成部隊、それも天才肌から超人タイプまでさまざま美人が目白押し…さらに教育実習生も舞台女優のように颯爽とした若年美人が入れ替わり立ち替わりであり、こんなだから都内どころか近隣県にまで美名を轟かすほど。
そんな彼女たちが慄然と進めていく毎週毎日の授業の数々、そのどれもこれもが、僕たち子ども頭から察してみてもかなり知的水準の高いもの。
よって、彼女たちに好いてもらおうと、あわよくば心に留め置いて頂こうと、少なくとも嫌われまいと、僕ら生徒たちはそこそこ頑張ったのであった。


美人といえば、忘れられずまた避けて通ることも出来なかった一人の女子がいる。
本ブログにても再三再四ふれてきたとおり、幼少期から高校時代まで通しての女友達、実名は隠すがN子である。
N子と僕とは母親の代からの旧知の知人であり、しかも彼女の家はなかなかの名家でもあったので、N子自身の学識もなかなかのもの。
そしてこれも何度も記してきたとおり、N子は大抵のスポーツからピアノ演奏までさまざま記録を刻むほどの卓絶したスーパーガールであり、褒め言葉ついでに付言しておけばバンビやピーターパンの絵本から跳び出でてきたかのようなスマートな長身美少女でもあった。

「下手な文芸小説を読むよりも、くだらない予備校に紛れ込むよりも、あたしと話す方がずっと賢くなれるのよ ─ 聞いているの?おバカさん」
ほとんど毎日の学校生活から登下校まで通じて、N子にはこんなふうにしばしばあしらわれたもの。
周囲からはいろいろ冷やかされつつも、なるほど僕自身たしかに知力が向上し、知識量から文脈理解力まで数段にわたって進歩したことは否めないし、それどころか今でも感謝している。
おまけに体格も大きくなり、さまざまスポーツも得意になったが、これらは我ながら意外なほど。

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こうして美人教師やN子についてさらりと述べ記したのには、僕なりにこだわりが有る。

実は僕は高校生くらいから、あらゆるものにおける『実体』と『論理』の整合と不整合についてぼやーっと考えに耽ることが多くなっていた。
そして僕自身は、『実体』と『論理』はしばしば不整合が多く、だから宇宙や地球の物質の多寡は比例しうるものの、それらと物価変動は直結しないのであり、だからこそカネと多数決とインチキとデタラメが横行してやがるんだ…などと考えてしまうのだった。

ところがである。
どうも女性たちは本能的に『実体』と『論理』を一体の整合として呼応させているようであり、だから(物理で言うところの)仕事と運動は同じ、(経済に言うところの)モノとカネも同じ、そして正義と多数決も同じであろうと、こんなふうに信じているようなのである。
大人の女性教師たちでさえこうなのだから、ましてや同年齢のN子ともなるとなおさらであった。

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ともあれ、僕は大学入試にてもさほどの苦難を覚えることはなく、慶應や早稲田の一般選抜入試にあっさり合格してしまった。
慶應は正直なところ英語の出来が悪かった気がするのだが、もともと論説課題は得意であり、某大手予備校の全国模試ですっごい上位成績を叩き出したほどで ─ まぁそのくらいの知的活力は有った、もちろん今はもっともっと有るんだ、おらおらっ。

もしも数学と相性が良ければ一橋あたりに…
そもそも集合や証明問題や確率関係ならば、僕だってそこらの理系よりは出来が良かったのだが、整数論などなどのように思考上のディレクトリ構造も入口と出口も判然としない範疇となると、どうにもこうにも出来が悪かった。
要するに、数学の縦横無尽な思考操作についていけなかったのであり、だからって数学を憎むほどではないものの、総じて相性が悪いのは否めまい。
もしも、今現在いうところの情報分野を大学入試にて選択していたら、僕はどのくらい得点出来ただろう…?

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慶應に入学後、しばらく思案したこと。
いったい僕自身は、「実体」と「論理」を峻別しきっているのだろうか?
この論題は「俗世間に言われる’仕事’とはなにか」に突き当たるだろう。
’仕事’とは、物理であろうか、それともカネまわし(価値操作)であろうか?
こんなこと大学で学べるのかなと訝ってはいたし、だいいち吉キャンパスのいわゆる一般教養科目では学ぶべくもない。

それでも、何か’仕事らしきこと’をしてみよう、真似事でいいから体験してみようと思い立ったのだった。
それで(我ながら意外なことに)平日の早朝5時~8時まで、某大手乳製品企業の集荷工場にて倉庫内作業のアルバイトに就いたのである。
朧気ながら覚えているかぎりでは、夏休み直前までほぼ毎日、この早朝アルバイトを続けていた。
それから自転車で立川駅まで出て、日吉キャンパスの授業へと。

この集荷工場の作業は、けして身体負荷がキツかったわけではないし、僕自身も実は身体労働は嫌いでもない。
しかし、あのヨーグルトのケースをまとめてこっちへ持って来いだの、このテトラポットをとっととそっちへ片づけろだのと、一方的に指示を受け続けているうちに僕はとうとう爆発したのである。
なんだこんな仕事、自分自身の意思決定はなーんにもないじゃないか、ロボットにやらせりゃいいじゃないか、ロボットがロボットを監視し命令し、ロボットがロボットとケンカしてりゃいいんだ、ロボットが作ったヨーグルトをロボットが飲んで食って寝てりゃいいんだ、俺はロボットじゃねぇぞ、たとえ時給を倍に上げられたって言いなりにはならないぞ…などと積もり積もった挙句の爆発であった。
なんのことはない ─ 僕自身は’仕事’の「実体」と「論理」を強引に峻別図っていたのだった。

ああ、そうだ ─ あの朝のことだ、ほんのちょっとだけ遅刻してしまい、事務所の課長と怒鳴り合ったのだった。
それで僕はロッカーをブン殴ると、ふてくされたまま現場に出て、器材を足で転がしまた放り投げ、それで年長社員たちを巻き込んでのケンカ騒動へ。
石油臭の入り混じったような強烈な空冷世界、キキーッと停まったフォークリフト、残酷に照らしつける蒼色の蛍光灯、もっと残酷にギラつく灰色のヘルメット、それらの合間からギッと睨みつけてくる真っ黒な視線の数々、テメェだのオンダリャァだのの怒号飛び交う哀しい現場。

このとき諍いを収めてくれたのが年長の男性社員である。
「おい学生くんよ、あんたはバイトだから適当な心づもりだろうっけども、ここの社員はみんな生活かけて朝から晩まで仕事してんだぁ、そしてよ、あんたも俺らもよ、同じ現場で同じ商品扱ってんだぁ、これらの商品を待っててくれるお客様もたーっくさんいるんだぁ、だっからよぉ、もっと仕事に敬意払ってくれや」
この言はいわば女性的な真理であった、「実体」」も「論理」も混然した世界のエッセンスそのものだった、そう僕には聞こえたのだった。
とっさに僕は、この集荷現場からトラックに積み込まれてゆく牛乳やヨーグルトが近郊の高校や中学校の子供たちの元へ届けられてゆくさまを想像していた。
そして、言いようの無いほどのぶざまな自己嫌悪に苛まれたのである。

この朝を最後に、僕はこの工場バイトをクビになったのだった。

一方で、初夏の日吉キャンパスは青空に映え、奇妙なほど真っ白に輝いて見えた。


(つづく)