本書はカーツワイル氏によるAI概括論。
AI論や技術文明論について、博識の著者ならではの広範な学際的/業際的な見解をさまざま散りばめた一冊ではあろう。
ただし、実践的な技術論や産業論についてはあまり踏み込んでいない。
穿った見方をすれば、同著者のさまざま著作の内から特に話題性の高い論題を最大公約数的により合わせたようにも察せられてしまう。
そのためであろうか、論旨も文面もしばしば散逸的あるいは飛躍的に映り、だからこそ本書コンテンツはしばしば難解である。
さて、サブタイトルにては「人類がAIと融合するとき」とある。
本書コンテンツの過半は、(おそらくは)AIの導入に伴う社会と産業の変容について綴ったものではあろう。
一方で、僕なりにAI論がらみで常々留意してきたところは、むしろ人間/AI間の混交や自己同一性の混同であり、ここいらについても本書では概括されている ─ それが 第2章「知能をつくり直す」および 第3章「私は誰?」である。
もとより、本書は冒頭からチューリングテスト型の知能認知・人間認知・それらの物理上の所在をひとつの大論題に据えてはおり、これら第2~3章にても’AIがいかに人間に近似しいかに超越するか’について相対的かつ多角的に概括している。
そこで、此度の【読書メモ】としては、これら第2章と第3章のコンテンツを総攫いし、やや論旨を入れ替えつつ、以下に要約する。
・まずは p.33から記載のニューラルネットとアルゴリズムの概要~基本設計(およびヴァリエーション)について。
本箇所はハードウェア上のニューロンやシナプス強度・学習・それらふまえたノード構造やトポロジーについて根元的な観念/フロー図を呈している。
読者としては是非とも一通りは了察されたい。
※ ICT関係企業を目指す大学生/高校生諸君であればここいらはさらっと了察しうるところであろう。
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・生物は、「フィード/フォワード学習」と「プログラム記憶」を為す数多くのニューロン神経系をモジュール構造として有している。
これらニューロンモジュールによる「学習」と「記憶」によって、生物はさまざま瞬時の判断を無意識に起こし、単純行動によって危機を回避し、生存の可能性を高めてきた。
生物は、これら数多くのニューロンモジュールを「小脳」に有する。
生物の世代間遺伝にともない、小脳のニューロンモジュールも遺伝複写され、その新世代もやっぱり同じ「学習/記憶」機能を有する。
その結果として、生物種の進化もある。
人類でさえも、これらニューロンモジュールの半分以上は「小脳」に在る。
・他の生物種と比べれば、人類は統合的な意識的思考を為す「大脳新皮質」を遥かに多大に活用している。
もともと大脳新皮質は、約2億年前に哺乳類の脳上に張り巡らされ始めたニューロンのネットワーク系である。
約6600万年前の生物種の大量絶滅にさいして、哺乳類たちは危機回避のため複雑かつ統合的な意思決定が必須となり、そこで大脳新皮質が脳上に折りたたみ構造を成しつつ表面積を増やすに至ってきた。
大脳におけるニューロンの9割は大脳新皮質にあり、その数は平均すると210億個、これらが約100個ごとにモジュールを成しており、これらさまざまなニューロンモジュールが並列思考処理を為しているようである。
現行の一般的なコンピュータが直列計算処理を為すのとは対照的である。
最新の研究によれば、人間のニューロンモジュールは、感覚などの'入力'と行動などの'出力'に上下のレベル差を起こす階層構造となっている。
この'入出力のレベル差'によって'学習や記憶における物理認知~論理判断まで階層化を為している'ようである。
・人間の脳とコンピュータの「計算能力」比較。
ニューロンのシナプスの発火に則って推察されるかぎり、人間脳による最大の計算能力は 1014 回/秒。
脳のエネルギー消費量に則れば、計算能力はもっと小さいことになる。
ところが、スーパーコンピュータ「フロンティア」による計算能力は 1018 回/秒であり、すでに人間を1万倍も上回っている。
AIと比べた人間の制約は;
情報の取り込みが遅いこと
記憶容量が少ないこと
個体に寿命があること
人間がこれら制約事項を克服出来ず、一方でAIが言語表現にて人間と完全に伍するならば、AIはこれらにて人間を凌駕していることになる。
・生物およびコンピュータごとの「情報処置のパラダイム」と所要時間を段階的に記すと以下。
① 無生物が化学合成して生物になるまで: 数十億年
② 小脳が初歩的な学習を為すまで: 数時間~数年
③ 小脳が進化を通じて複雑なスキルを習得するまで: 数千年~数百万年
④ 大脳新皮質が新たに複雑なスキルを習得するまで: 数時間~数週間
⑤ デジタルニューラルネットが'超知能'レベルの新スキル習得するまで: 数時間~数日
⑥ ブレインコンピュータインタフェースBCIが新規アイデア探索するまで: 数秒~数分間
⓻ コンプトロニウム(プログラム可能物質)が自身の在りようを再編成するまで: 数秒以下
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・我々人間の大脳新皮質のニューロンモジュールの活動を、’外部'コンピュータと同期をとり、さらにそちらから制御まで出来るだろうか?
そもそも、大脳新皮質の活動の測定自体がいまだ’非侵襲的’な方法に留まっており、例えばfMRIを使っても血流変化までは分かるが精密なタイミングは特定出来ず、また脳波測定を行ってもその電気信号は物質活動の部位までは特定しきれない現状である。
脳内に直接電極を埋め込めば、大脳新皮質の個々のニューロンの活動を精密に測定可能ではあり、またニューロンを外部から刺激することで双方向コミュニケーションも可能ではあろう。
しかしこれでも、あくまでごく少数のニューロンとしか接続出来ないため、言語型の複雑なコミュニケーションは不可能だ。
それでも現時点では、100万個のニューロンと接続しつつ10万個のニューロンを刺激し得るインターフェースが開発中ではあると。
ヨリ実践的には、ナノスケールの電荷を血流~脳へ送り込む方式が進められており、いずれはナノロボットなどを起用し、これで脳内の数多くのニューロンに直接そして効率的にコミュニケーションを図ることが…。
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・人間の脳とAIの共通項あるいは差異について注目すべきは、「意識」の完結性についての論題である。
そもそも「意識」とは何かについて、人間の側に科学上の完結的な定義が無い。
だからAIにとってのそれも定義しようがない。
※ 第3章のこの哲学論めいた論題は本書でも極めて難解なところ。
「意識」の問題は、自由意志の有無に拠らなければならぬが、自由意志とは何かとなると宇宙自然の認識の仕方に拠ってくる。
宇宙自然は必然完結性のみから成っているか、あるいは偶発のランダムネスを含んでいるかである。
数学で挙げられるセル・オートマトンの単純なルール/クラスを一目すれば、極めて単純な数理規則から成る数式を必然完結としつつも、これらの遠大な集積がところどころで創発的なランダムネスを含んでしまうことが分かる。
簡単な数学に拠ってさえ、必然か偶発かについての認識はこのように難解であり、だから自由意識の完結的定義は出来ていない。
人間の脳がこのようなパラドックスを許容してしまう理由は、外部からの情報入力に常に解放されつつ、それら入力情報が常に変動しており、脳内の11次元もある(?)ネットワークを通してこれらを処理しているため。
さまざまな思考や計算を個々にこなしてゆくことは可能であっても、全てを一度に解釈し完結した解を導くことが出来ない。
さて、こういう人間の脳と意識をこのまま外部のコンピュータに移植(複製)すると、移植されたそのコンピュータはあらゆる思考や計算を一度に完結して解を導くことが出来るだろうか?
やはり出来ないのでは?
脳と意識があくまでも不可分だとして、仮に脳をコンピュータに移植した場合に意識もそのまんま移植したことになるのだろうか?
そのコンピュータは自分を何者だと意識するのだろうか?
脳全体の移植ではなく一部の移植に留まった場合は、どうなるのだろうか?
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・我々の大脳新皮質のニューロンモジュールをAIに’外部化’するとしても、AIは人間そのものたりえない、とする理由がある。
「文脈の記憶」と「常識の了解」と「社会的相互作用」において、AIは人間同様には思考出来ないため。
「文脈」については、或る文章における単語や記号の「トークン」同士がとりうる組合せをそれぞれ部分集合として、どれもこれも別個の文脈たりうる。
例えば、或る1つの文章において何らかのトークンが10個在るとして、これらトークン間の’何らかの結びつき'としての部分集合は210-1 つまり1023通り。
トークンが50個在るとすると、部分集合は250-1でざっと1120「兆」通りにもなる。
これら部分集合の数だけAIが「文脈」を記憶しうるだろうか? - 大規模言語モデルのGPT-4でも不可能である(ましてや新規の文脈づくりは出来ていない。)
「常識」はあくまでも人間なりの常識であり、これは人間センスと人間都合についての膨大な’知識と因果推論と推察’から成っている。
これらを入力されたとして、AIがこれらの’意義’そのものを人間そっくりにモデル化し理解しうるだろうか?
現時点では困難であろう。
「社会的相互作用」は、例えば人間同士のコミュニケーションにおける互いの思考プロセスや皮肉の応酬などで、これも現時点ではAIには了察困難である。
しかしながら、こんごのハードウエア進歩、それ以上にビッグデータ化と並列処理の向上と自己プログラミング能力次第では、AIはこれら「文脈理解」も「常識」も「相互作用」も克服しうる ─ との見方も可能。
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…以上、第2章と第3章それぞれ、一部の箇所について僕なりに平易に要約しつつ、やや論旨を入れ替え、ざっくりまとめてみた。
なお、同箇所にては、著者がしばしばコンピュータの在りようそのものについて発展的に(大胆に)一貫している主張もある。
たとえば;
チューリングテストを完全に克服するコンピュータは、どこまでも人間の在りように準じ続ける必要があるのだろうか?
むしろ、AIはAIなりにおのれを発展させてゆき、人間の思考モデルからも思考の意義からも乖離して独自の超知能に到達するのではないか?と。
本旨には僕もちらりと賛成で、その理由は、物質/ハードウェアの内にこそ数学やソフトウェアやコンピューティングが在るに過ぎぬのだから、AIが人間の脳物質(意識)と同期を図りきれるはずもなかろう、と考えているためである。
おわり