2025/07/08

【読書メモ】世界は基準値でできている

『世界は基準値でできている 講談社Blue Backs

本書の主題は、さまざまな行政レベルでの’基準値’、それらの論拠と正当性さらに強度についての再検証である。
そもそも’基準値’とは、さまざまな物理量と経験量から再現的(帰納的)に確定された定量値であろうか、はたまた、数理上の演繹から導出された論理値に過ぎぬのか。
或る事象の発生頻度は、その自然性は、人工性は、類推値は、余裕斟酌は…どれがどこまで正当たりうるか?
あくまでも推奨値か、はたまたガイドラインか、法的基準値か。
政策制度の論争で片づけるにはあまりにも惜しい ─ むしろ科学そのものの再検証であり、理科教育のひとつの集大成だ。
学生や若手社会人の諸君、新聞雑誌やインターネットの斜め読みはもうやめよう。

さてとりあえずは、本書のほんの一端ながらも僕なりに興味関心惹かれた「基準値」論につき、【読書メモ】として以下に要約列記する。
それらは、新コロ騒動で注目された感染症の経路や時間等を検証すすめる第2~3章、および、原発事故で注目された放射線被曝量を検証分析すすめる5~6章である。



<ソーシャルディスタンス>

・新型コロナにおける「濃厚接触」の追跡にて、ソーシャルディスタンスとして一応は「1m・15分ルール」が考案された。
但し、厚生労働省~自治体にて統一されたルールではない。

「1m」のルールについては;
(1)従来よりの知見として、大粒の飛沫が飛ぶのは1~2m程度のはず。
(2)通常の生活にては、対人間距離はどうしても2m以上には離し難い。
(3)スーパーコンピュータ「富岳」における熱流体解析ソフト「CUBE」によって、飛沫の飛来シミュレーションがなされ、これによれば妥当なソーシャルデイスタンスは概ね1mになると。

一方で、「15分」ルールについては;
米国CDC(疾病予防管理センター)による定義づけによると、「24時間以内に複数回の接触があった者同士にてその合計接触時間が15分以上」を以て「濃厚接触」と見做す。

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<空気感染>

人体への飛沫粒子の「空気感染」は、それら粒子の粒径サイズ、経路、感染方式によってさまざま定義可能。
たとえば厚労省のガイドラインによれば、病原体を含んだ5μm以上の粒径粒子が1~2m以内を飛散して、人体の粘膜や結膜に接触した上での感染を、「飛沫感染」と総称している。
かつ、粒径サイズ5μm未満の粒子の場合には、とくに「マイクロ飛沫感染」と定義。
一方で、WHOは粒径サイズごとの感染経路定義はしていない。

いずれにせよ、「空気感染」を回避する具体策としては「換気」がある。
一般的な「換気の量」はビル管理法によって定義されている。
推奨値としては、その環境のCO2濃度を1000ppm以下におさえること(CO2であれば測定しやすいため)。
そのための基準値としては、「30m3/時間あたり/人数あたり」以上とすること。
尤も、これら推奨値も基準値も感染症の予防実績に直結しているか否かは実証されていない。

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<放射線被曝量>

日本人の 年間あたり 放射線被曝量 ─ 自然由来と人工由来を併せて。
・自然放射線源  2.1mSv  (うち飲食物由来は 0.99mSv)
・大気圏核実験フォールアウト 0.0035mSV
・医療被曝 2.6 mSV  (世界平均量の4倍)
・職業被曝 0.0018 mSv
・原子力施設関連 0.00017 mSv
・生活用品など 0.00005 mSv
以上計: 4.7mSV

福島第一原発事故 による'事故後1年間あたり'被曝量
・福島県における避難指示区域 0.15~7.8mSv
・福島県における上記以外地域 0.12~5.3mSv
・茨城、宮城、栃木、山形 0.15~1.3mSv
・他、42都道府県 0.005~0.51mSv

同事故 による '被爆者の生涯(80年間あたり)被曝量予測'
・福島県における避難指示区域 0.69~40mSv
・福島県における上記以外地域 0.27~19mSv
・茨城、宮城、栃木、山形 0.43~4.5mSv
・他、42都道府県 0.008~1.8mSv


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<敷地境界線量,  濃度限度>

原発からの放射性物質による被曝量は、その原発からの「敷地境界線量」として年間1mSv以下とされている。
この年間1mSvは自然由来の地域/時間ごと変動幅に則っている数値として、国際放射線防護委員会から勧告されている。

原発からの処理水を水中に放出するさいにもこの敷地境界線量を順守すべく、原子炉等規制法にもとづいて処理水の「告示濃度限度」が定められている。
この濃度限度によれば、放出口における濃度基準値として、或る個人がこの処理水を70歳になるまで毎日2.65Lずつ摂取し続けたとしても、平均の線量率が年間あたり1mSVを上限とする ─ そういう前提から放出口における濃度基準値がおかれている。

ここで仮に、処理水がトリチウムのみから成っているとして、或る個人が毎日これを2.65Lずつ摂水し続けるとして、この摂水量の上限を計算すると;
・敷地境界線量/年間あたりが1mSv
・人間への線量係数が 1.8x10-8mSv/Bq
・摂水量/年間あたりが2.65x365 L/年
すると、この敷地脅威線量を順守する限り、この個人はトリチウム水をおおよそ60,000Bqまで摂水することにはなりる。
だからトリチウム水の放出口もこれをふまえた濃度基準値を順守しなければならぬと。

しかし実際の放出水におけるトリチウム量は上の前提の1/40に過ぎず、だから放出水の放出口における濃度基準値も1,500Bqを前提にしておけば済むはず。
さらに、この個人がじっさいに毎日2.5Lもトリチウム水のみを摂取との想定も現実的ではない。

実際に、原発敷地内タンク貯蔵のトリチウム線量は約860兆Bqであり、この処理水の全てを仮に1年間で排出したとしても、これによる追加被曝量は0.00081mSv程度に過ぎない。
ここまで前提としてきた敷地境界線量1mSvよりも遥かに少ない。

なお、海水中における環境基準としてはトリチウム濃度の設定は無い。


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<濃度基準値>

放射性物質による空間線量を下げるために除去された土壌には、その再利用のための「濃度基準値」がある。
或る再利用土壌におけるセシウムの「濃度基準値」としては、土壌1kgあたりのセシウム134とセシウム137の合計濃度が8000Bq以下とされている。

この濃度基準値は、放射性廃棄物の埋立作業者が;
・当該地域に1000時間/年にて滞在し続けること
・作業時間あたりでの’遮蔽されない’時間数、つまり「遮蔽係数」が0.4であること
・固形物の傍での作業における'濃度当たり被曝量'、つまり「線量換算係数」が、セシウム134ではBq/㎏あたり4.7x10-7mSv/時、またセシウム137では1.7x10-7mSv/時であること。

この濃度基準値にかかる計算にて、滞在時間、遮蔽時間、線量換算係数をさまざま変えることで、例えば近隣住民の外部被曝についても濃度計算が可能ではある。

 2018年評価によれば、除去土壌と焼却灰の合計1335万m3のうち、このセシウム合計濃度8000Bq/kg以下の土壌が80.2%。
物理減衰によってこのうち6.4%が2045年までに濃度が下がるとされ、さらに技術によって10%が濃度が下がるとされる。


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<原発のリスク評価>

原発の安全度合を、事故発生の確率に則った「リスク評価」で表す ─ この評価範疇をとくに'PRA (Probabilistic Risk Assessment)' と称す。
レベル1 PRA:  発電原子炉の内部で損傷が起こる可能性
レベル2 PRA:   放射性ソースタームが原子炉外に出てしまう可能性
レベル3 PRA:  原発の外部にて放射性ソースタームによる影響が生じる可能性

2003年時点での、原子力安全委員会による「安全目標の中間取りまとめ」によれば、特に定量的目標案としては;
・原子力施設の事故に起因する放射線被曝に拠る、「敷地境界」付近における公衆個人の平均'死亡リスク'が、年間あたり10-6程度を超えぬよう抑制さるべき。
・同、放射線被曝に拠る’がん’の'平均死亡リスク'も、年間あたり10-6程度を超えぬよう抑制さるべき。

この安全目標案の策定にあたって、発電炉における炉心燃料の融解~外部への放射の「発生確率」を以て、原発の「性能目標」が定義されている。
この「性能目標」における定量的な指標としては、IAEAによる基本安全原則を根拠として;
指標値1:  炉心の損傷頻度が 10-4/年間 程度
指標値2:  格納容器の損傷頻度が 10-5/年間 程度

とくに格納容器の損傷頻度設定の妥当性については、或る個人の年間あたりの無作為な死亡リスクを 10-6/年間 程度としつつ、同個人の或る事故における条件付き死亡確率を0.1とし、前者を後者で割って…


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とりあえず此度の【読書メモ】はここまで。

本書随所における計算や検算そのものはけして難解ではないものの、具体的なデータの定量化がところどころ読み取り難く、このため本書はしばしば難解でもある。
さらに、団体名や法人名が頻発するジャーナリスティックな(文系的な?)コンテンツになると、もっと読み取り難い。
例えば第9章、有機フッ素化合物(いわゆるPFAS)のモノマーの生物体内における暴露量~有毒性と濃度基準の定量的検証が綴られてはおり、ここいらも僕なりには関心惹かれたコンテンツではあるが、如何せん団体名や法人名の引用がふんだんで時系列描写も複層的であるため、論旨捕捉はしばしば困難ではある。

とはいえ、あくまでも’数値’の根拠とその強度に着目しつつ読み進めてゆけば、本書は業際的なデータブックとしてこんごも重宝しえよう。
だから多くの学生や若手社会人の皆さんに薦めておきたいところではある。

おわり