2025/07/26

玉手箱



「先生、こんにちは。あたしですよ」
「おや、こんにちは。今日はどんな用向きかな?」
「それがですね…あのぅ、実はですね、あたし自身が人間なのか、はたまたロボットなのか、分からなくなってきたので、ご意見を伺おうかと…」
「またそういう話か。どうも君たちは厄介な年頃だな。そういう疑念はほっておけば解決するんだけどね」
「そうでしょうか?あたしは歳を重ねるにつれてだんだん’やる気’が失せてきたような、そんな気が…。これは人間の本性なのでしょうか?あるいは、ロボットの定めなのではないでしょうか?」
「あのね、人間だろうがロボットだろうがだ、自然界にて何か’仕事’を成す以前にはカッカと’やる気’に満ち溢れている。熱力学に則って例えれば、エネルギーがふんだんに有るって状態だ。裏を返せばエントロピーは未だ小さいってことだ」
「はぁ?それはまあそうでしょうけど」
「一方で、その’仕事’活動を重ねてゆくにつれて学習量が増え、おのれの秩序や道筋が固まってゆくため、経路や効率の試行錯誤は減るが、エネルギーは消費され続けていくため、裏を返せばエントロピーは極大に近づいてしまう。だから’やる気’が失せていくんだよ」
「それが何だと言うのですか?あたし自身が人間なのか、はたまたロボットなのか、さっぱり分からないままじゃないですか!」
「まあ聞けよ。ここからが人間とロボットの違いだ。寓意的に例えてみよう ─ うん、そうだ、小説がいい。ほら、小説の本においては最初のページはやる気満々だろ、読者もまた読む気満々だ」
「はあ、それはまあ」
「その小説は、初めのうちは何もかもが新鮮で、あらゆるものには "a/an" が冠されているね」
「まあ、そうですね」
「ところが物語が展開してゆくにつれ、動機もトリックもネタ切れになってきて、あらゆるものに "the" が冠されてしまい、いよいよエンディングへの一本道だ。こうなってくると、その小説もまた読者自身もやる気がだんだん失せてきて…」
「だから、何だと言うのですか?!」
「いいから聞けよ。もしも君が人間であれば、新たなエネルギーを活かす新たな’仕事’の "a/an"の実世界を作り始め、あらためてエントロピー最小の状態から生き直すことが出来る」
「……」
「しかし、もしも君がロボットだったなら、あらゆる試行錯誤が片付くとともに、何もかもが分かり切った "the"ばかりとなり、エネルギー活用能力が無くなり、エントロピーが最大となって、もう続編も新規展開も無し、ジ・エンドだ」
「……」
「さぁ、君はどっちかね?新たな竜宮城を求めて海に潜ってゆくかね?それとも玉手箱を開けてしまうかね?」
「……うーーーん。これはなかなかの難題ですね、うーーーーーーーん…」
「わっははははは、ばーか」
「うーーーーーん、どうしよっかなあ、どーーしよっかなーーー。考え中。あたしは考え中。考えて考えて、でもこんなことしているうちにも、あたしの更なる彼岸には新たな輝きと煌めき、そんな手つかずの予感と直観、さーて、さてさて、どうしよっかなーーー、どうしよっかなあ……」
「うわっははははは!」


(おわり)