柱時計がこーんこーーーーんと鳴った。
午後4時、かと思ったら、おや、もう5時だったのね。
心なしか陽の翳ってきた部屋では、老婦人がいそいそ、出かける支度。
そこへ。
ドタドタと孫娘が駆け込んでくると、おや、心なしか、ぽっかぽかと温か。
老婦人は、少しだけ外出を躊躇してみたり。
まあ、こんなものね - と、ほくそ笑む - なんだ、かんだと、名残惜し。
差し込む日射しは、ぐるりと、でっかく。
「ねえ、おばあちゃん、どうして、いつも帽子を被って出掛けるの?」
ほーら、始まった。
若い子は、すぐ理屈をつけたがる。
本当は他人の理屈なんか聴きたくないくせに。
「あら、女性はね、お出かけも真剣勝負なのよ」
「ふーーん、そんなもんなの」
ませた口調で、孫娘は自らの指先を、つ、と顔の前に掲げ、爪と手の甲を代わる代わる。
つくづく、見つめている。
老婦人が苦笑をおさえつつ、かすかに微笑む。
微笑みながら、いつもの黒い帽子。
つばがやや狭くて水色のリボンのついた、その帽子を、白髪頭の上にちょいとのっける。
「おばあちゃん…ねえ?おばあちゃん?」
今度は孫娘が、奇妙に笑いを噛み殺したかのような声色をあげる。
「何かしら?」
「おばあちゃんの、その帽子、白髪を隠すためなんでしょう?」
「あらあら、まあ、そうかもしれないけど、だったら、どうなのかしら?」
「…それとも、顔を隠すため?ねえ?そうなの?ねえ?」
さてさて、何と答えてやったものか。
「あ、わかった!若く見せるためでしょ?」
おや、おや、まあまあ。
なんでも、かんでも、すぐそこに答えがあると思ってるのねぇ。
老婦人は、また、ほくそ笑む。
「そうね、全部かもね」
そういうと、老婦人は帽子のつばをちょいとつかんで、ぐいっ、と深くふかく被り直してみる。
私なりの“流儀”。
何事にも、流儀ってものがあるのよ。
お分かりかな、お嬢ちゃん?
「ねえ……おばあちゃん、みんな歳をとったら、顔を隠したがるの?」
とつぜん、孫娘がかすかに、心細そうに。
老婦人は、玄関にささっと立つと、靴に足を踏み入れる。
「あたしも、いつか、そうなるのかなぁ?」
「ええ……?あんたが、どうなるって……?」
「あたしも、帽子を被ってお出かけするようになるのかなァ?」
まあ、まあ、この子は。
でも、ご心配なく。
あなたがそんなことを考えるのは、もう、ずーっと、ずーーっと、先でいいのよ。
ほら、ほら、あたしの話を聞きなさい。
聞くだけなら、タダなんだから。
あまりにも安すぎて、どこにも売っていないくらい。
だからこそ、よーく聞きなさい……。
この帽子はね、つまり、捕まえるためなのよ。
時間がどんどん逃げていかないようにね。
自分が霞んでしまわないようにね。
時間の翼の止まった瞬間を見計らって、サッと上から捕まえるためなの。
そう……すっごく大きな譜面のね、さらさらっと流れていく音符をね。
きゅっと、捕まえるってこと。
これが、あたしなりの人生の流儀なのよ。
流儀というもの、お分かりかしら、お嬢ちゃん。
さぁ、さぁ、わたしは出かけよう!
老婦人は、颯爽とドアを押し開けて、タッタタ、タッタタ、と足早に出て行く。
さて、孫娘はといえば。
三面鏡に向かって、ブゥゥゥ、と、ちょっとヘンな顔。
かと思えば、もう。
真顔に戻って髪を梳かしている。
ねぇ、ねぇ、聞いた?
あのね、人生には、流儀というものがあるんだってさ~。
じゃあ、おませさんでも、いいもんね。
と、いうわけで。
またひとつ賢くなったあたしは、時間を超えて、鏡のあっちからこっちへ。
すーい、すいすい。
きっと、あしたも、あさっても。
タッタカ、タッタカ、タンタタ、ターーーン ♪
そう、ピアノのスタッカートのように。
これが、あたしの、流儀なの。
ちょっと毛癖のある前髪は、まるで天使の翼のように、ふわふわしている。
と、思えば、ほら、鏡の隅から、もう夕陽がさしかかっている。
おわり
(何年か前に書いたものを改編)
(何年か前に書いたものを改編)