2014/12/31

【読書メモ】 バランスシートで読みとく世界経済史

かつて僕が営業マンのはしくれだったころ、新自由主義だのという無意味な旗印が産業界に跋扈し、肩で風切っていた自称・ビジネス通の連中がやたらめったら 「バランスシートの回復だ、リストラ断行だ」 なんだと威勢よいものの、一方ではどこか焦燥感に煽られてもいた。 
あまねく企業の資本の大きさを誉めそやしつつ、負債の大きさを突いて危機を煽り、さらにはそんな子供っぽい安直さを自嘲して、「猫も杓子もバランスシート」などという揶揄が流行ったり。
僕なりにも、バランスシートについて一通りは其処ここで説明を受けてはいたものの、でも英国式とアメリカ式では資産や資本の列記方式がやや異なっておるなど、どうも仔細までの実務理解には至らなかった。
さて、企業実務そのものはともかくとしても、せめてヨリ包括的なバランスシート論について学んでみたいものだ、と僕なりに常々考えてはいた。
だからこそ、今回紹介の本について概括したい。
【バランスシートで読みとく世界経済史 ジェーン・グリーソン・ホワイト 著 日経BP】 

僕が読んだ日訳版は本年10月に出たばかり、英語原題はズバリ Double Entry つまり複式簿記、つまりバランスシート。
我々日本人はバランスシートという主題から上述のように資本(カネ)の多寡を連想しがち、しかしながら、本書をほぼ一貫しているメッセージは資本や負債の規模比較論ではけしてない。
むしろ、複式簿記の発明から始まった資本と事業(利益)の分離であり、それが商業史上ひいては経済史上において果たし得た功/罪を炙り出しつつ、こんご更に如何なるフェアネスをたらしうるかと問いかけるものである。
そう捉えてみれば、複式簿記という史上最大のイノヴェーションにあたかも聖書のような啓発力を見てとらんとする巨視的センスはなかなかのもの。
なお、本書の著者はJaneという名前から察するに女性であろうか、そのためか引用事例の散りばめ方が実に楽しくバラエティに富み、ところどころには政治経済科や世界史科の副教材として薦めたいほどの決定的なエピソードもある。

※ あらかじめ僕なりに記しおくが、複式簿記=バランスシート上の「資産(asset)」 と 「資本(capital)」について,、ここではごく大雑把に、「資産」 が 「事業活動継続のために買っちゃった不動産や財貨や在庫やカネの総額」 を指し、「資本」 は 「資産獲得の源泉としてのカネ、株式会社なら株式と負債の総額」 を指す ─ よって両方の「総額」は必ず一致する、と了解しおく。
また、借方と貸方という用語定義の深淵は僕には分からない。

さて此度の【読書メモ】にては、特筆すべき刷新的な事実に絞りつつ、第4章以降から抜粋概括することとした。 



・ルカ=パチョーリが 『算術・幾何・比および比例全集(スンマの書、1494年)』 における 『計算および記録に関する詳説』 にて総括した、ヴェネツィア式の複式勘定簿記について。
そこで商人たちに奨励している記入要領 ─ ただし本箇所は実際のバランスシートを総括的に想起しつつ読み抜いた方がむしろ理解は早い。

① 自身の所有する全ての資産を、流動性(交換性)の高いカネや宝石などから順に不動産に至るまで、名目を分けて目録とする。
② つぎに取引帳簿を3冊…これは日記帳、仕分帳、元帳
このうち;
②-1 日記帳は、全ての資産の売買取引を毎日、毎時間、場所まで正確に一時記録するメモのこと。
②-2 この日記帳に則り、仕訳帳ではそれぞれの資産別の売買取引を、市場での取引価格にのっとって記す。
そのさい、取引した資産別に個別勘定とし、借方から記入し、対応させて貸方に記す。
ただし最初に、カネは流動資産として借方におきつつ、一方では財産=自己資本として貸方におく(…ここに最も根源的な革新性ありや)。
次に、売買した資産の名目と数量をそれぞれ借方に記しつつ、対応するカネを資本として貸方におき、個別勘定のリストを完結する。
②ー3 こうして、カネとそれ以外の資産での個別勘定の仕訳帳が出来たら、それらを元帳に転記、ただし今度はカネとそれ以外の資産それぞれにおいて、「借方=資産」は幾ら、「貸方=資本(と負債)」が幾らと分離したリストを記す。 

さらに自身の資産の個別勘定とは別に、商売手数料や為替手形の扱い、銀行とのカネ取引も仕分帳に記し、やはり借方=資産と貸方=資本に分けて元帳に転記。

以上の慎重なステップを踏んでまとめられる元帳こそが、典型的なダブルエントリーつまり複式簿記方式の帳簿、ひいてはバランスシートであり、「借方=資産」と「貸方=資本(と負債)」を過不足漏れなく確認するための画期的な発明となった。
この元帳における、各勘定の「借方=資産」と「貸方=資本」の差額をトータルに合算すれば、これがすなわち損益勘定、プラマイを最後に資本の部に記しておわり。
(各資産の取引ごとに損と得をおいかけていても、どこでどんなカネが出入りしたか、もともと誰のカネで誰が債権者なのかなどが判りにくい。)

・19世紀には、産業革命と事業規模の格段の拡大の過程で、株式会社が本格的に勃興。
英国の多くの事業家たちは複式簿記の活用を通じて商業上の成否分析を進めたが、そこからさらに進んで、非商業的な事業要因としての労務費ほか固定費圧縮と大量生産の効用までをも見出していった。
こうして、いわゆる工業簿記と原価計算の技術向上がおこり、19世紀末にはこれらが英国にて『工場会計』として理論的にまとめられることになった。 

・一方では、19世紀なかば以降、鉄道会社が大規模な株式会社として登場、だが事業規模の大きさに乗じて、利益水増しや株主資本の配当転用など不公正な会計操作を頻発させた。
これら不祥事がきっかけとなって、資本運用の自由という従来観念が見直され、複式簿記に則った資本と事業利益の明確な分離が求められるようになり、そして有限責任の観念、株主総会や社外監査などが会社法として制度的に整備されていった。
さらに巨大な設備資産の減価償却、人為的な会計年度の設定も制度化されていった。
そしてこれらの過程で、複式簿記に精通した会計士が職業として確立。

・一方でアメリカでは、独立戦争前後から会社設立が増え、そのご時代が下るにつれて英国の会社法など規制から逃れるかたちで企業家が事業を拡大、やがて19世紀末には英国同様に会計士も増えていった。
20世紀に入ると、複式簿記は英連邦、ヨーロッパ主要国、アメリカなどにて、企業の財務諸表を作る上で最適な手段と見なされるに至った。

・ドイツの経済学者ゾンバルトは、マルクスの言さえも参考としつつ、資本主義の起源がまさに複式簿記にあると指摘。
複式簿記の発明が事業における諸要素の数値化、ひいては理論化を徹底させつつ、とくに資本を事業資産から区別させてきたことで利益追求を精確に継続させることになった由。
マックス=ウェーバーもほぼ同意見であったが、かつ、こうして資本主義型経営の理論化ひいては費用対効果の追求が進めば、世界のあらゆる資源がここに組み込まれ燃焼されつくしてしまう旨を危惧してもいる。

・世界大恐慌から第二次大戦の只中では、インフレと失業増加と政府支出増大への懸念から、複式簿記に則った資本と事業の分離の着想が国家レベルで試させることになり、資本(通貨)の総需要をふまえた政策的な統制介入がなされることになった。
ケインズは国民経済を通貨のシステムとして捉え、社会全体の「購買力」と、失業者が働いた「場合の生産量」を通貨で測定すれば、この需給ギャップ換算額に応じた政府の追加投入金額も算出出来るとした。
消費額、投資額、貯蓄額というマクロ変数としての通貨に加え、家計、企業、政府、海外という経済部門の活動も通貨にて定数化、これらを総括した国民所得勘定の作成を提案。

・クズネッツがローズヴェルト大統領政権下で提示した国民所得表がもとになり、アメリカは戦時下の国民総支出を精緻に算出出来、だから戦争財源も明確になり、これらがもとになって国民総生産(GNP)が算出されるに至った。
やがて、第二次大戦後に向かう過程では戦時から平時への国際資本体制づくりも具体化がすすみ、国際復興開発銀行(世銀)と国際通貨基金が米ドル運用ベースで発足するに至ったことは、周知の通り。
それとともに国際収支統計も整備されていくことになり、マーシャル=プランが…と現代史はつづく。

・1991年、アメリカのカラザーズとエスペランドが発表した会計と修辞学についての論文は、複式簿記が本来有する記号的で強力な説得力を指摘、あるいは危惧したもの。

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以上、ざーっとまとめてみた。
本書はさらに、ロイヤルバンク・オブ・スコットランドやエンロンなどの巨大な粉飾決算事件にも触れつつ、ここいらが会計学や会計士職能の限界なのか、いやまだ職能としては始まりに過ぎぬのかと問いかける。
それどころか、GDP(GNP)に代わる新たな「地球経済会計の尺度」は如何様なものとなろうか、と巨大な問題提起を以て本書をとりあえずは終わらせている。
ただ、複式簿記から始まる資本と事業(利益)の分離は、資本主義経済において、公正性という崇高なメリットと強欲というリスクを常に併せ持つ叡智であることは間違いなかろう。

以上