<夏休みの高校3年生へ (1) 問題>
http://timefetcher.blogspot.jp/2015/07/blog-post_6.html
数学編の解答:
これは或る数理パズルの改編版。
何人目の人間が、どの瓶をどのように入れ替えたか
…という具合に各人の 「交換アクション」 と各瓶の中身を1対1で検証/計数していくと、100人の 「交換アクション」 と100本の瓶それぞれの対応マトリクスをつくることになる。
これはかなり冗長で面倒なもの、うっかり間違えても気づかなかったり。
だが、もっと遥かに簡単な捉え方があって、要するに本問で求められているものは、「最後にソーダ水が入った状態の瓶の本数」 。
そもそもどの瓶に対しても、「コーラ→ソーダ水」、あるいは 「ソーダ水→コーラ」 といういずれかの 「交換アクション」 が誰かによって為されており、それぞれの瓶ごとの 「交換アクション」 回数を追求すればよし。
そしてここでは 「コーラ→ソーダ水」 という 「交換アクション」 状態で終わった瓶の本数…つまり、奇数回の 「交換アクション」 を施された瓶を特定すればよいことになる。
(偶数回のアクションを施された瓶は、必ず 「ソーダ水→コーラ」 の状態で終わっている。)
そもそも、「n人目の人」 が 「nの倍数番目の瓶」 だけに 「交換アクション」 を施すとの本問の前提。
これを瓶の側から捉えると ─
1番目の瓶への 「交換アクション」 は、1人目のみによって為される、つまり 1回。
2番目の瓶への 「交換アクション」 は、1人目と2人目によって為される、つまり 2回。
3番目の瓶への 「交換アクション」 は、1人目と3人目によって為される、よって 2回。
4番目の瓶への 「交換アクション」 は、1人目と2人目と4人目によってなされ、3回。
5番目の瓶への 「交換アクション」 は、1人目と5人目によって為され、2回。
6番目の瓶への 「交換アクション」 は、1人目と2人目と3人目と6人目によって為され、4回。
7番目の瓶への 「交換アクション」 は、1人目と7人目によって為され、2回…
さぁ、勘の良い人はもうお分かりですね。
ここでは 「交換アクション」 が奇数回為される瓶を特定すればよいわけだから、これつまり、1 から 100 までの自然数のうち約数が奇数個ある n (番目) を求めればよろし。
それは平方数にほかならない、よって、 1, 4, 9, 16, 25, 36, 49, 64, 81, 100 番目の瓶が、「交換アクション」 が奇数回で終わったもの、すなわち本問における 「コーラ→ソーダ水」 で終わった瓶である。
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現代文編の解答案:
本題は、中村雄二郎・著 『哲学の現在』 (岩波新書版) からの抜粋により、現代文課題として僕なりに問題作成してみたもの。
だから以下に記す解答案も僕だけのものである。
我々人間が芸術作品に接するときに抱くイメージは、実在としての 『もの』 が元来有する物質性に依っており、我々は既存の芸術のうちにそれら物質性の構成を理解し習得することによって、おのれのイメージをも活性化し組み替えて、新たな創造をも実現しうる。
(ざっと120字)
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<夏休みの高校3年生へ (2) 問題>
http://timefetcher.blogspot.jp/2015/08/blog-post_3.html
数学編の解答
ガニマール警部の演繹的推論に則って、「ルパンの犯行予定日を事前に知ることは可能」 と断ずることは、間違ってはいない。
だが一方、シャーロック=ホームズの言も、「ルパン本人の真意を我々が分かるわけがない」 とみれば間違ってはいない。
つまり、両者とも正しいことになる。
根拠は、そうとしかいいようがないから。
え?なになに?ふざけるな?そんな解答があるか?
あるんだよ。
これは有名な数理パラドックスの超難問 「抜き打ちテストのパズル」 をもとにしたもの。
僕自身も仔細は知らないが、たとえばゲーデルの不完全性定理によれば、この問題は数学によって正答を1つに絞ることは出来ない由。
ただ、今回出題のものはいわゆる数学的帰納法 (n=k のときに Pk が成り立し、n=k+1 のときにPk+1が成り立つ、だからどのケースでも…) が現実として必ず成り立つか、を考えさせるヒントにはなるまいか。
(なお本当の帰納法は、公理や論理的前提ではなく、事実が確率的に発生するとの前提から推論していくもの。)
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現代文編の解答案
「あなたの主張と論拠」 を記せとの問題形式ゆえ、解答案はあえて記さない。
ただし、一つだけ留意しおきたい。
「経験」 「責任」 「ケンカ」 「チーム」 の4つは対人的(社会的)な尺度とフィードバックに則った相対的な語、おのが主観のみで絶対に完結出来ない観念である。
むろん自由作文課題であれば、あえて仲間や身内とのふれあいをズームアップする必要もないし、逆にそれらの仔細に則ったとて、主観ばかり記せばまともな経験論や責任論には仕上がらない。
何をした、何を学んだ、何を得た、さぁこのとおりです、といった具合に日頃から相対的な give and take を客観表現する訓練が重要である。
(きっとこんごは国際化に則ってもっと重要になる、いいか悪いかは別として。)
以上