今年も、早稲田大学と慶應義塾大学の一般入試英語について、語彙知識に重きをおきつつ幾つか投稿してみた。
とくに此度は、理数系学部(教育学部ふくむ)の出題英文に注目してみた。
その理由を、以下にさらっと記す。
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① 理数系の学問とは、思考と実践のダイナミズム、論理の自在な組み換えである。
僕なりにかつて横目で見聞し続けてきたこと、開発やエンジニアリングの現場にては、マテリアルや生き物を相手とする試行錯誤が延々と続く。
だから、「何が」 と 「何を」 に絶対秩序が無く、おのれ自身も含めて主体と客体がコロコロと入れ替わる。
さらに、それらはいつか動詞(関数)になっており、理科や数学の教科書でも明らかなように、時制も態もたいして拘束しない。
ゆえに、「誰が」 はほとんど出てこない。
このためだろうか、理数系の分野世界に身を置いた人の言においても、何が何を何やってんのか時折不明瞭に(アホに)聞こえる ─ 芸術やスポーツの当事者も同じ。
こういう人たちのアブストラクトを垣間見ると、およそ文章にはなっておらず、絵と図表と数式と漫画がぐっちゃぐちゃに踊っている。
こういう主・客のダイナミズムこそが理数系分野の特性 ─ だからこそ日本語にも向いているが、英語にも向いている。
※ 一方、経済や法の世界では往々にして、思考の秩序性が本源であり、とりわけ主体(主語)が何者であるかが命題の軽重を決定する。
ゆえに、言語において主・客の転換や知識の関数化がほとんどなされない。
とはいえ、外為や法務の英語表現にしても、IT化に即してのことか、理系的/散文的なメッセージ交換が増え続けていることは否めない。
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② 理数系のタームとマテリアルには国境など無い。
そもそも、経済や法には、国や地域という制限がある。
そして、それら前提にあってこその国際経済学であり国際法でもある。
しかし、理数系学問が取り扱う対象; 力、速度、熱、化学元素、生命体、コンピュータや数学にはそもそも国境などありませんよ。
だから当然のこと、これらの学術知識といっしょくたになって、英語表現がドシドシと流入してくる。
こちらから諸外国に発信するにせよ、今の時点では英語に換えるケースが多い。
以上から、理数系の学問分野こそ英語知識がますます求められるは必定。
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③ 早慶の理数系学部における入試英語は、科学技術の学術性と知識量を問う課題が多い。
今年の早稲田理工と慶應環境情報の英語では、(論旨は真逆ながらも)コンピュータと頭脳の近似性/差異をテクニカルに説くものが出された。
慶應理工の英語では、熱力学の基礎そのものが出題された。
また早稲田教育では進化論の普遍性について、早稲田国際教養では母親と子供の代謝特性についての英文が出された。
量子力学のファインマンが引用される英文も、複数学部にて確認出来た。
さらに昨年は、早慶の複数学部で電力と電池についての英語が出題された。
何より、早稲田人間科学の英語は科学技術の全方位にわたる知識問題が満載だ、だから一番楽しみでもある。
このような科学技術知識に則った出題傾向は、ますます強まるようにも察せられる ─ 来年は量子コンピュータや表面科学かな?いや、メタンハイドレートやロケットエンジンかもしれないぞ。
さらに、僕なりにひそかに直観していること。
近々、早稲田理工や慶應理工などで英文が激減しつつ、化学元素表や物理実験の図案を全面に押し出した英語入試、となってもおかしくないのでは?
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④ 英語教育の推進と科学技術知識
小学校から英語必須にと推す論旨にては、国際的なコミュニケーション能力の必要性が説かれている。
むろんこれとて意義はあるのだが、その一方では、科学技術に関する知識習得の必要性があまり強調されていないようで。
さらに、帰国子女の受け入れにおける必須要件としても、科学技術知識が厳密に問われているわけでもないようで。
これはいったいどういう現象なのだろうか?
つくづく不思議だ、文科省と早稲田慶應は(民間企業は)ケンカしているのだろうか?
だいいち、高校生から小学生まで縦断的にフォローしているはずの予備校が、どうしてこの乖離状態を声高に指摘しないのだろうか?
ともあれ。
大学入試においてその最前線をいくのが慶應と早稲田の入試英語、ということにして本件はひとまず終わり。
※ ついでに。
これから高校3年生になる理数系志望者たちに言いたい。
君たちね、生物や医療関係も面白いかもしれないけどね、どうだろうか、コンピュータとか電子関連で頑張ってみないかね?今はつまらないカネのゴタゴタが続いているが、やがておかしな人たちは綺麗サッパリ居なくなり、その先には爽快な新時代が待っているよ、たぶん。